
最近、メキシコのテレノベラ(ドラマ)をよく見ますが、その中で『Pasión 』という大河ドラマがあり、去年メキシコで大ヒットしたのですが、その最終回が先月にありました。感動して、泣いちゃいましたよ…。なんといってもアニヲタにとっては『ポケモン10』のEDで有名なサラ・ブライトマンの歌う主題歌がいいですね。で、どういう物語かというと、まだスペイン領だった18世紀のメキシコで、婚約したての女性がDroit De Seigneurから逃れるために、村から脱出して、逃げ先で海賊の男と出会い、そして最終的に恋に落ちるというものです。で、私は、
「そのDroit De Seigneurって一体なんだろう?」
と疑問に思って、それでいろいろ考慮しながら、この記事を書くことにしたのです。
さて、中世ヨーロッパには、Droit De Seigneurという領主の初夜権がありました。つまり、領民の娘が結婚したときに、最初にする男が領主なわけです。それは領民の娘がすべて領主に属しているからです。しかし実際には、結婚税、または結婚登録料金が初夜権を購買したこととなり、つまりそれで新郎がセックス権を買ったことになったので、領主とのセックスはほとんどなかったようです。その権利売買はオプション取引みたいですね。セックスを金で交換していますから、これも立派な売春、いや援助交際?で、その伝統はヨーロッパ独特ではなくて、チグリス・ユーフラテス川の流れるメソポタミアにあり、ヨーロッパ文明もギリシャを通して、メソモタミアに辿り着きますから、ギルガメッシュの時代にまで遡るそうです。そう、シュメール、バビロニアがそうですね。で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の源流である、いわゆるセム民族の開祖であるアブラハムも、メソポタミアのウル出身です。まっ、メソポタミアという意味がギリシャ語で「真ん中の川、中川」ですから、世界の中川というぐらいだから、ギリシャ人でさえ自分たちの文明はメソポタミアからもたらされてたと思っていたわけです。丁度、日本人が今でも支那を「中国」と呼ぶようなものですね。そんなわけでDroit De Seigneurも、当然、メソポタミアから発祥したのでしょう。
そう、領主のモデルはヤハウェですね。Droit De Seigneurはフランス語で「領主の権利」という意味で、実質「Seigneur」はスペイン語だと「Señor」、英語だと「Lord」で、「主」という意味です。つまり「ヤハウェの権利」としてもとることができます。結婚でセックスする権利をヤハウェから買うのです。つまり、娘は家父長ヤハウェのものだから、すべての処女(未婚女性)はヤハウェに属するのです。Droit De Seigneurは、本当はだれが娘の所有者か、それを明白にさせる権利だったんです。つまり、だれがボスかということです。だから、処女とエッチすることは、ヤハウェに対する犯罪なのです。で、結婚は、新郎にヤハウェの権利を与えたわけですから、浮気はヤハウェとの契約を侵害することになるので駄目なのです。なぜなら、自分の娘とのセックスの権利を新郎に与えたのであり、他の男には与えてないからです。また第三者の男が処女かまた既婚女性とセックスするならば、、ヤハウェに対する犯罪となります。よって当事者はすべて石打の刑に処せられます。たとえそれがレイプであっても、女は貞操を失ったとして、死刑です。被害者まで許さないのが「慈悲」の神ヤハウェなのです。結婚は、男女の契約ではなく、ヤハウェと男の間の契約なのです。だから、結婚はヤハウェの代理人である牧師の前で行われます。それこそ、家父長制男性至上主義社会であり、その集合的無意識がヤハウェだったのです。女性は、飽くまでも、男のための存在であり、それ以上ではありません。アダムが淋しい思いをすると行けないので、男のためにイヴが造られたのですから。ゴーレムやアダムのようにちゃんと土から造ってないのです。しかも、男のあばら骨から。つまり女はもともと男の体の一部、だから男の所有物、男に属するもの、だから、男がどうしょうといいわけなのです。つまり、男の都合の為に女はいるのですから。それが創世記を書いたヤハウェ的人間、そう、モーゼはそういう世界観をもった思想家だったのです。
だから、アダムより高い次元の存在とされたリリスという女性は、アダムとのセックスで下になることを拒みました。リリスは土ではなく、ましてやあばら骨からではなく、風によって造られた精霊です。だから、自分はアダムより高い存在なので、アダムこそが下になるべきだと主張しました。そして、リリスはヤハウェを拒み悪魔となりました。つまり、ヤハウェは、女であれば、すべて男に屈服させようとしたのです。風の精霊、風と言えば、『CLANNAD』の風子、そう、彼女はリリスだったのです。ヒトデばかり造っていましたが、ガラクタ人形を造った謎の少女が主人公だったので、風子はサイドキックほどの存在でした。その子たちは、ヤハウェ的社会で、みんな病気になるんですね。
そして、Droit De Seigneurは、なにも人間社会においてではなく、チンパンジーにも確認されているです。そう、チンパンジーのボスがセックス権を握っているのです。よって、すべてのメスチンパンジーは、ボスのものなのです。それでボスがだれかわかるのです。ダーウィンの進化論だと、人間はチンパンジーは共通の祖先から進化したのですから、ボスのセックス権もそのチンパンジーの祖先である猿が始めたんでしょう。つまりそのDroit De Seigneurという伝統と思想は猿ゆずりだったといいうわけです。そう、進化の過程で、その野蛮な風習も人間に継承されたのです。まっ、聖書をはじめとするセム神話はメソポタミアが人類発祥の地とされるので、メソポタミアで猿が人類に進化したんでしょうね。で、Droit De Seigneurもメソポタミアで発祥したのですから、猿から引き継いだ、そして、その領主は、もともと猿のボス、で、そのボス猿の姿は全身が体毛で覆われているチンパンジーに近いはずでしたから、ということは、ヤハウェは、その領主の集合的無意識だから、ヤハウェは、姿としてはチンパンジーのボス、いわゆるボスチンプだったのです。
そして、その「ヤハウェ」を最初に妄想したのはアブラハムです。ヤハウェはアブラハムの二重人格の一つだったか、勝手にヤハウェを作り上げたんでしょうね。それか「imaginary friend」だったんです。つまり、ヤハウェがアブラハムの分身だとしたら、人類とチンパンジーの共通の祖先がアブラハムなのです。だから、アブラハムはボス猿なのです。よって、アブラハムも外見はチンパンジーなのです。そして、アブラハムの息子のイサクもボス猿で、で、彼の二人の息子がエサウとヤコブです。それが、チンパンジーと人類の分かれ目となります。つまりエサウがチンパンジーの祖、ヤコブが人類の祖だったんです。そう、創世記は、実は進化論に基づく物語だったのです。もちろんエサウは毛もじゃらのチンパンジーでしたから彼が正統後継者でしたが、体毛が薄い人間であるヤコブは、毛皮を着て、
「自分はチンパンジーのエサウです」
と盲目の父親イサクを騙し、正統後継者となります。それか、イサクは、「turn a blind eye (見て見ぬふり)」で、内心、人類が猿の伝統を引き継いでくれることを喜んでたのかもしれません。そう、毛もじゃらであることが、神の正統後継者としての証だったのです。人間は、猿から完全に決別して進化しようとしたんですが、ヤコブはそれを阻止してしまったのです。せっかくの「人類」としての進化のチャンス、猿からの自由と独立のチャンスを潰してしまったのです。やはり、一人だけ体毛が薄いことは、霊長類の「はぐれもの」というレッテルに耐えられなかったのでしょう。よって、世界の大部分の人口がキリスト、イスラム、ユダヤという毛皮を着てしまうハメになったのです。なにしろヤハウェに無条件に従属して徹底服従することが信仰ですから、ナチ党員が茶色いシャツとハーケンクロイツを身につけてヒトラーに従属するようなもので、人々も猿の毛皮を着て、それを服従の証、信仰の証としたのです。イスラムという意味はアラブ語で「surrender(服従)」という意味で、ムスリムは「服従者」という意味です。「unconditional surrender」とは、無条件降伏ですね。そう、ヤハウェへの無条件降伏が「faith(信仰)」なわけです。それは、猿の毛皮で表します。だから信仰とは、毛皮のようなものなのです。そう、猿の伝統と猿への信仰(帰属、従属、服従)は、猿の毛皮なんですよ。よって、キリスト教徒だったダーウィンは、下の図のように猿の毛皮を着ているのです。だから、彼の中では進化論とキリスト教は反駁することなく合致していたのです。

そう、ボス猿が、ヤハウェの元だったのです。それがミームとして進化して、ヤハウェになった?そう、猿が人間に進化したと同時に、ヤハウェはチンパンジーに進化した(?)というか、それがヤハウェと呼ばれるようになっただけのことです。そう、そのボス猿の性風習を引き継いだのがチンパンジーだったのです。だから、猿のボスでもあり、当然人間よりもチンパンジーを選んだヤハウェはまたチンパンジーのボスでもありますね。で、その人間のように進化できなかったチンパンジーの性風習を、チンパンジーよりはるかに進化した人間にまだ押し付けようとしているのです。「毛もじゃら猿の伝統を絶やすな!」と言わんばかりに。Droit De Seigneurは、チンパンジーと人類が兄弟である証だったのです(ヤハウェからの視点では)。だから、それを捨て去ってしまったら、人類は完全にチンパンジーから離別してしまうことになってしまいますから。しかし、人類は進化するために、チンパンジーを捨て去ることが必要だったのです。つまり進化できていないのは、ヤハウェだけなのです。だから、ヤハウェはボスチンプのカヴァーだったんです。
どうして、ヤハウェは、偶像崇拝を禁止しているか、それは、自分がチンパンジーであることがバレてしまうからです。だから、神の姿は極力避けるように仕向けたのです。ミケランジェロのシスティン聖堂の天地創造の白髪で白ヒゲを貯えた白人のジジイではないのです。そう、人間ではないのです。チンパンジーなのです。チンパンジーの姿では、人間はだれも崇拝してくれません。逆に下等生物としてバカにされてしまいます。それに、ほかの神々は、人間らしくて、とても美しいです。だから、彫刻にされたら、みんなアフロディーテとかベルダンディーとかアポロとかディオニソスとかに心を奪われ、チンパンジーは取り残されてしまいかねません。多神教では彼は埋もれてしまうのです。だから、あそこまで偶像崇拝禁止にこだわり、一神教に徹底し、十戒にも載せたのです。
「自分は嫉妬の神だから、他の神ではなく、自分だけを拝んで欲しい」
って。そう、姿を見せなくすることで、人々の心に畏れを抱かせるのです。天皇がかつて幕の後ろに隠れていたようなものです。そうすれば、チンパンジーであろうが、バレません。動物だろうが、なんだろうが、崇拝してくれますね。で、自分を崇拝しない人間は「infidel」として虐殺します。たかが一匹のチンパンジーを崇拝しないために、ジャーヒリーヤとしてテロ攻撃の対象となってしまうのです。

あと、ヤハウェは自分の姿に似せて人間を造りましたね。それは、ヤハウェから人間に進化したことを表しています。自分の子孫が人間であるなら、それは理にかなっているでしょう。ナザレのイエスも「神の子」と言っているのですから。つまりもし私たちの先祖が神であるなら、進化論からすると、先祖はチンパンジーと共通の祖先なので、チンパンジーのような毛もじゃらな猿が神となります。当然、人間はチンパンジーに似てますし、DNAの98%が人間と同じです。そのたったの2%で、姿が似てるけど、違うようになるのです。だから、ヤハウェと人間が98%DNAが同じならば、それは「似てる」と言えるでしょう。
またボスチンプとしての伝統を守るヤハウェは、ヨセフの婚約者であったマリアに対して、チンパンジーならではのDroit De Seigneurを行使しました。そして、ナザレのイエスはひっそりと馬小屋で誕生します。だから、私はマリアが未婚状態で子供が出来たということで「Virgin Birth(未婚女性の出産)」を信じます。で、イエスは、ヤハウェを「神」ではなく「父」と呼びました。だから、イエスは、チンパンジーと人間の間の子、半人半猿の「チンパンマン」なのです。そう、犬夜叉みたいなものですね。安倍晴明も母親が雌ギツネといいますし、獣姦は神話のお決まりパターンのようであります。そう、チンパンジーと人類の間の子を造ることによって、人類をすべて猿の伝統に縛り付け、人類の進化を阻止しようとしたのです。イエス自身は、
「自分はチンパンジーと人類の架け橋だ」
と正義感に燃えていたようですが、ご存知の通り、それで、人類の大多数がキリスト教となってしまい、進化のプロセスがスローダウンしてしまいました。それでDroit De Seigneurが中世ヨーロッパに蔓延し、また18世紀のメキシコで『Pasión』の悲劇を生み出しました。で、イエスもチンパンジーと人類の間の子ですから、イエスの容姿は、チンパンジーに近かったはずです。

そして、これが人間とチンパンジーの進化の過程とアブラハムの神話の家系図です。そして、分化した二つの族を統合させようとしたのがイエスの存在でした。

話は変わりますが、イエスの神話からわかるように、未婚の女性とエッチすれば、ヤハウェと同じことをしてるので、つまり、神になれるのです。イエスの生物学的父親も、聖書にはまったく出てきませんし、その責任は追及されることなく野放し状態です。『ターミネーター』も、黙示録のようなもので、未来に起こるハルマゲドンですね。そして、ジョン・コナーというメシア(救世主)が人類を救う。しかし、その母である処女(未婚女性)サラ・コナーをターミネーターがタイムマシンで1984年に抹殺しにいくわけです。で、ジョン・コナーの率いる解放軍の一兵士のカイルも、タイムマシンでサラを救出すべく、1984年に行きます。そう、ジョージ・オーウェルの『1984』の小説の年です。しかし、カイルは、サラとファックしてしまいました。それで、ジョン・コナーの父親はカイルとなってしまったのです。そう、カイルは、Droit De Seigneurを行使することによって神になったのです。救世主の父、しかも父親の素性がわからない、なにせ未来から来たのだから。よって、私もタイムマシンで2008年前に中東に行って、結婚前のマリアとエッチすれば、神になれるのです。
「イエスの父親は私だ。だから、みんな、私を崇拝しろ!」
となるのです!まっ、でも、だれもイエスの肖像画をキモメンに描かないので、私が父親ということはないですけどね。なにせ、チンパンジーに先を越されてしまいましたからね。
まぁ、80年代の聖母マリアは、サラ・コナーだったわけですが、あともう一人いますね。それは、ビリー・ジーンです。彼女は、息子の父親はマイケル・ジャクソンだと主張しましたが、マイケルはそれを否定しました。
「but the kid is not my son」
って。父親の素性がわからなければ、その子は神の息子となり、その父親は神となるのですから。そう、だから、マイケル・ジャクソンも、ヤハウェなのです。『スリラー』のビデオで、彼も満月を見て、チンパンジーのような毛もじゃらな体に変身するので(実際は狼男だったんですが)、彼も元エホバの証人(ヤハウェの証人)だけありますね。つまり毛皮を着てるわけです。

そういえば、ヤハウェの証人が原作の『ドラゴンボール』の孫悟空も、満月を見ると巨大チンパンジーに変身しますね。まっ、キングコングのような、キングコングこそが、ヤハウェの姿にもっとも近いのでは、と思う次第であります。サイヤ人は、人間に比べると尻尾もあり、進化しきれてないので、野獣的で、人間よりは下等な存在ですが、よりヤハウェに近いというのは確かでしょう。凶暴で残忍ですからね。体育会系やDQNのように好戦的で残虐性に満ちていてますからね。サイヤ人は半人半猿ですから、彼らはイエスの子孫かもしれないですね。だから、サイヤ人は、より神に近い生物なんでしょうね。そうなると、サイヤ人も「チンパンマン」だったんですね。なのに人類は、そんな下等なサイヤ人のようになろうと猿の毛皮を着ようとするのです。

そういえば、W.ブッシュ大統領もチンパンジーそっくりですね。サイヤ人なのかなぁ。っていうかスーパーサイヤ人?あれこそ、神が自分に似せて造った最高の彫刻なのでは。チンパンマンなのかなぁ、イエスみたいに。だから、ブッシュもイエスのような奇跡の力を持っている?なにせ、ブッシュは神の声が聞こえるようで、私たちには、
「きききー」
という奇声にしか聞こえない鳴き声が、
「神は私にイラクを侵攻するように告示してくれた」
と聞こえたのですから。しかし、さすがに「きききー」では、リチャード・ドーキンズ博士も指摘してるように、侵攻の大義名分であるWMD(大量殺戮兵器)の有無はわからなかったようですね(Dawkins, p112)。しかしエデンの園があったチグリス・ユーフラテス川の流れるメソポタミアで戦争を起こすとは…。まさかチンパンジーの鳴き声までもが、グロッソラリアに数えられるとは…。多数のキリスト教原理主義の牧師も、ヤハウェがブッシュを大統領に選んだと発言してます。ああ、それはもうチンパンジー・ポリティックスですね。だからブッシュの政治の特色はチンペリアリズム(Chimperialism)と言われます。それは、チンパンジーと帝国主義をかけたものですね。

そう、ブッシュも神の世界を実現したいとのことです。しかし、神の世界、恩寵の世界とは、まさにチンパンジーの世界なのです。だから、天国、ヤワウェ的桃源郷は、『猿の惑星』のような景色が広がっているのです。チャールトン・ヘストンが困惑するわけです。『猿の惑星』の役者は、猿の毛皮を着てますからね。みんなヤコブを模範にしてるんです。あれが、ヤハウェの約束した未来なのです。みんなチンパンジーの姿に戻って、メスは、ボスチンプの都合のいいときにエッチさせられる、つまりチンパンジーのハーレムが天国なのです。それこそ先祖帰りもいいところです。かつての野蛮な猿としてのDNAの記憶がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教として受け継がれたのでしょう。だから、あれだけあれらの宗教が広がったのです。なにせ、DNAに埋め込まれている記憶が刺激されるのですから。まさにチンパンジー回帰です。 で、それらの宗教にどっぷり浸かると、テロリストとして覚醒し悟空のように巨大チンパンジーの姿になって、十字軍やアルカイーダなどの聖戦やジハードで暴れ回るのです。まるで、サムソンがある時覚醒し、怪物になったように。しかし、それは人間に進化する前の状態に戻ることですから、それは「進化」ではなく「退化」です。つまり、ダーウィンの進化論に対して、私は「退化論」を唱えるわけです。だから、それは、「進化論対創造論(evolution vs creationsim)」ではなくて、「進化論対退化論(evolution vs devolution)」にすり替えればいいだけのことです。創造論者が退化論者となればいいのです。なぜならヤコブとエサウの話がすでに進化論の上に成り立っているんですから、聖書は進化論で、その中の議論としての退化論だったんです。聖書自体が進化論に基づく本だったんですよ。そうすれば、問題の本質はもっと明確になるはずです。
しかし、私たちは、進化し、チンパンジーではなくなったのですから、それを切り捨てることこそ、本当に進化したということになるのではないでしょうか?ヤコブが着ていた毛皮を脱ぎ捨てなければならないのです。ヤハウェのご機嫌を取るために、毛皮を纏うことでチンパンジーであるということを偽る必要はないのですから。ヨーロッパの先進国はそれが出来てます。ドイツは85%が無神論、フランスが65%、イギリスは44%が無神論、で、驚くことに精神性が低いはずの日本が意外にも65%。先進国(日本も含めて?)は、やはり精神的に進化してます。しかし、アメリカでは、無神論はわずか12%です。なんと悲しいことでしょう。冷戦時代の反共とキリスト教が結びついたプロパガンダの結果ですね。「無神論=赤」というデマです、それを盲目的に今でも信じてしまってるのです。それにしても、ボスチンプが、人間社会の目に見えないボスであるというのも、おかしな話ですからね。だから、悪魔が山羊の姿をしているなら、ヤハウェはチンパンジーなんですよ。そして、その介在者がブッシュなわけです。

オバマも、やっとジェレマイア・ライト牧師との関係を絶ちました。あれはちょっとネガティブでしたからね。あれで、宗教もカットオフすれば、いいんですけどね。オバマはもともと無神論だったのに、無理矢理キリスト教に改宗したようですからね、で、ああいうことになっちゃう。政治家は、無神論から退化論に、政治家は人民の代表ですから、人民の風俗を反映してるのが政治家ですから、それがアメリカの実像なんでしょうけれども、ぜひオバマにそれを「チェンジ!」してもらいたいものです。
ということで、Droit De Seigneurというのは、毛もじゃらの猿ボスであるヤハウェの性風習だったのです。それが、『Pasión』の主人公の女性を苦しめ、彼女は追い詰められ、とうとう村から脱出して波瀾万丈の人生を送るという物語の中核です。それが、スペイン領メキシコのキリスト教の社会だったのです。その中で、彼女は自らをヤハウェの横暴から解放し、自由を獲得したのです。それこそ、Emancipation Proclamation(解放宣言)です。彼女は、チンパンジーの毛皮を脱ぎ捨てたのです。それは、人類が突然変異によって猿の特性をなくし、進化したことの証でもあります。なにしろ、私たちはヤハウェよりも遥かに進化しているのですから。それを逆戻りさせようとしても、もはやそうは行きません。すでにニーチェがヨーロッパで「神は死んだ」と宣言したのです。18世紀、19世紀にやっと人類は、人類としての進化ができるようになったのです(インドでは2500年前にすでにそうでしたが)。まぁ、メキシコの大河ドラマを見て、そういう結論に至ったわけです。
参考文献:
Dawkins, Richard. (2008). The God Delusion. New York: Mariner Books.

このブログの題名に「サウダージ」とあるように、その言葉はブラジル源流なのです。もちろん、ポルトガル語圏全般にありますが、やはりもっとも有名なのは、ブラジル版のサウダージでしょうね。で、そのサウダージ文化を体験したいがために、サンバのライブに行きました。
ブラジルのサンバのライブがロングビーチのBlueCafeというダンスクラブでありました。すごかった、あのドンドコドンドコという太鼓はすごい。そして、それに合わせて踊る孔雀姿のお姉ちゃんたち。SambaLa Schoolという団体が主催してましたが、そのグループの音楽は、バイア州系統のサンバでありました。だから、私たちに一般的になじみ深いヒオ・ジ・ジャネイル系統のサンバとはちょっと違って、もっとアフリカ色が強くなります。私たちがサッカーのワールドカップや、Jリーグかなんかでよく耳にするサンバは、ヒオ・ジ・ジャネイル系ですね。しかし2時間ぶっ続けであの太鼓を打ちたたき、ダンサーたちが踊っているとは、ブラジル人のスタミナはスゴいです。しかも、お尻の動きは人間ではありません。まるで、軟体動物か、もう電気ウナギのようにブルブル震えているのです。あれは、人間バイブレーターというか、もう振動そのものですね。あれこそ、「balançar 」です。バランスをとるという意味ですが、「振る、揺らす」という意味もあるのです。つまり、振ってバランスを取るわけです。鎮魂祭の「魂振り行事」ですね。「魂」を振って健康バランスを取るのです。サンバは「お尻」ですけどね。中東のベリーダンスも臍を振るダンスですから、下半身を振るダンスですね。つまり臍下丹田を振るのです。この映像は参照になるんじゃないでしょうか?それにしてもあの脚のステップの複雑な動きもスゴい。あれじゃ、サッカーは絶対に勝てないですね。フランス代表も、ジダンという特殊な天才がいなければ、ブラジルにやられていたでしょう。サッカーをやるには、まずはラテンのダンスから身につけないと駄目ですね。
サルサとかクンビアは、ラテンダンスでも、社交ダンスという性格が強いですね。踊る時はみんな正装してきます。半ズボンでは、踊れません。それは、道場で道着を着用するようなものです。正装なので、ダンスも疑似デートのようなものです。それでも、お尻のふりふりはスゴいですけど。なにしろ私のWeltanschauung(世界観)を胸からお尻に変えたほどですから。人生の大地震でした。でも、サンバは、正装では服が台無しになるでしょうね。あれは、やはり裸に向いているダンスです。孔雀姿のダンサーも、だから裸同然の格好なのです。で、かならずしもパートナーが必要ではなく、一人で踊れるのがサンバです。だから、下手クソでも、だれにも迷惑をかけることがありません。なにせサンバは社交ダンスではなくて、カーニバルのダンスですからね。一人か団体で踊るのに適してますね。とにかく動きが激しいですから。服があったら逆に邪魔になる。まるでトランス状態にかかったように体がブルブル震えて、みんな踊るのです。なにか踊り子たちが霊媒師のような。まるで岩戸の隠れでアメノウズメが裸体になって全身が痙攣したようなダンスを踊ったような。そうなると、宗教色も強くなるでしょうか?なにか、オリシャ(ヨルバ族の神々)を召喚しているような。バイア州は、西アフリカのダホメ王国の太后が政治犯として連行されたところです。それと同時に多くのダホメの囚人も奴隷として連行されました。それで、ヨルバの神々がバイアに入って来たのでしょう。バイア州は、アフリカ系がもっとも多い州でもありますから。
まぁ、でもサンバは、中央アフリカのコンゴとアンゴラから奴隷が伝えたのが源流だとされてますし、そのダンスは男女が臍と臍を合わせて踊るようなもので、かなり官能的だったとされます。それで、腰の動きがあそこまでなったんですね。あのくねくねした腰。本当に骨が入っているのかとさえ思ってしまうほど柔軟性に富んでいます。どれだけお尻を振動させるかで、拍手と歓声が沸き起こるのです。ほんと、すごかったですね、あれは。エロティシズムの肯定、というか、それが淫靡とか、まったくそういうのがなくて、ほんと自然ですから、それはとても健康的だと思いました。エロスが生活のなかに溶け込んでいるのです。それぞ南米文化ですね。日本とアメリカはあまりにもエロスが抑圧されてますね。あれじゃ、神経症患者が出てきてもおかしくないですよ。日本ではキモヲタが大量発生するし、アメリカではチョ・スンヒのようなものが出て来る、実に不健全な社会です。それに、エロスの度合いがネオリベラル格差社会と結びついているので、エロスにも格差が生じてしまいます。日本は偏狭的潔癖文化で、アメリカは清教徒倫理文化。なにか、共同体で、蕩尽のようにエロスを共有するということはないんですね。『CLANNAD』の「だんご大家族」が、ネオリベラル社会では欠落しているのです。しかし、南米にはそれがあります!
アメリカでは、音楽では黒人が一番優秀というステレオタイプがありますし、R&Bは、もう黒人の専売特許という感じがありますが、ブラジルのサンバは、どの人種も優秀なのです。インターナショナルですね。「黒人じゃなきゃああいうふうには踊れない」ということはまったくないのです。まぁ、キモヲタはああいうふうには踊れないことは確かですね。実際、私がそうですから。でも、ブラジル人ができないこと、それは二次元の世界で萌えることでしょうね。それが、私にとっては、サンバなんですから。自分のお尻を妄想の世界で振わせるのです。それで「balançar 」で、おあいこ、バランス(均衡)を取れるのです。
あぁ、サウダージ、ブラジルに行きたいですね。ペルーとブラジルは隣同士だし、アマゾン川はペルーにも流れてます。未来に帰りたい、未来を懐かしく思う、そして私の未来は南米、それこそサウダージですね。
『CLANNAD』で、ガラクタの人形が私に似ていると発見しました。あの謎の少女は、まさに私の創造主です。私は荒野の鉄くずから作られたガラクタの人形だったのです。それでネオリベラル社会で虹コンとして再生したのです。それと似たものがユダヤ神話にもあります。ゴーレムです。ゴーレムとは、ユダヤ教の土の怪物です。それは、ユダヤ司祭が土から作った怪物なのです。土偶のようなものです。もしかして、古代日本の土偶も、お友達欲しさに作られたのかもしれないですね。西アフリカのガーナのアカン族なども、木かなんかで、「魂の子供」を作りますからね。

また、コートジヴォアールのボール族の「魂の配偶者」もそうですね。

家族の像とか、友だち、恋人、将来の家族の像を投影して作るんですね。そう、だから土偶も謎の少女が作ったものかもしれませんね。というか、家族の思いというか、それは「だんご大家族」の精神でしょう。大家族ですからね、普通の厳密な家族とは意味が違うのです。ジョン・レノンのイマジンの「世界が一つになる」と同じコンセプトです。インド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam(世界家族)」です。
しかし、ゴーレムには心がありません。人格がないのです。それは、『オズの魔法使い』の心のないブリキの木こりとおなじなのです。教育心理学に「ゴーレム効果」というものがありますが、そのゴーレム効果とは、先生が期待をかけない生徒は成績が落ちていくというものです。で、そのゴーレムは、ここで話したゴーレムから名付けられてます。
『オズの魔法使い』はカンザス州の物語、そしてトルネードでドロシーがさらわれて幻想世界に行くという。私も中西部出身、そしてトルネードにいつも怯えて地下に隠れてました。だから、『オズの魔法使い』は、私の感性にピッタリなんですよ。中西部に住んでいた経験から『オズの魔法使い』は、もっとも親しみやすい作品なのです。そしてブリキ人形、彼はドロシーに出会い、ドロシーと旅をし、最後に心を獲得します。つまり、ゴーレムがアダムとなったのです。ただの土塊の人形から人間となったのです。それは、「ピグマリオン効果」といい、先生が期待をかけると生徒の成績が上がるというものです。それは、ギリシャのピグマリオン伝説が元となっており、ビグマリオン王が女性の像を彫って、それに愛情をかけたら、彫刻が人間になったという物語です。つまり、ブリキ人形はドロシーから期待され、心を得たのです。また、ガラクタの人形も謎の少女に愛情を受けたので、心を持ったのです。つまりゴーレム効果は、愛情を与えられなかった人間に起こる効果であり、ピグマリオン効果は、愛情を与えられた人間に起こる効果なのです。そう、女の子の愛情、それこそが、キモヲタを救うのです!
しかし、私は、中西部でドロシーに出会うことはなかった。だから、ドロシーと共にトルネードに巻き込まれて幻想世界に旅立つことはなかったし、心を失ったままでした。しかし、私は、擬似的愛情、いわゆる二次元世界の愛情、幻想世界の愛情である萌えによって、心を回復し、虹コンとなりました。あとは、このガラクタの体を本物の有機体にすることです。それには、皮膚感覚が必要なのです。だから、それには南米に行くことなのです。
ゴーレムに風を送り込めば、それはアダムとなります。そう土塊の人形が人間になれるのです。つまり、息です。ギリシャ語のπνευμα(プネウマ)なのです。πνευμαがラテン語でespirituとなり、英語で、spirit(魂)となりました。プネウマ(風)を送る最適な方法はCPR(心肺蘇生法)です。だから、女の子にCPRしてもらいたい…。私はゲイじゃないから、ヤハウェーは絶対に嫌だ、あんな殺人鬼。そういえば、風子も、プネウマ(風)の女の子ですね。また、ドロシーも竜巻という風によって異次元世界に行きます。ボブ・ディランの『風の吹くとき』もそうですね。『風邪の谷のナウシカ』もそうですね。そう、風を出す器官は口ですね。まぁ、鼻もそうですが、それで、マオリ族やハワイのキスとかは、鼻でするんでしょうけど、まぁ一般的には、唇で、口づけをして、それで命は復活します。眠れる森の美女もそうでしたね。だから、私も女の子の口づけ、接吻、キスが必要なのです。南米でかわいい女の子が頬にキスしてくれましたから。どんなに人間的だったことか!あれこそが、ヒューマニティーの真髄だぁあ!ああ、南米に戻りたい。皮膚感覚の謳歌を!あれこそ、私を人間たらしめるのです。だから、現在ガラクタ人形である私は、『妖怪人間ベム』のように、
「はやく人間になりたーい!」
と喘ぐのです。
さぁ、ガラクタ人形も心を持ってました。だから、あの謎の少女はドロシーのような存在だったのです。しかし、やはりガラクタでは、ブリキでは、皮膚感覚がない、そう、人間たらしめるものはやはり体の感覚なのです。皮膚感覚が欠落した禁欲的精神至上主義ではないのです。「プラトニック」というデタラメな神話などではないのです。それだと心を得た時点で旅は終わってしまいます。だから、ブリキ人形も心を獲得して旅は終わらなかったのです。つまり、ブリキ人形の物語の続編が、『CLANNAD』だったのです。


さて、ゴーレムのその内に入りますが、ゴーレムに関しては、イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルの伝説がもっとも有名です。レーヴ司祭は、カッバーラ神秘主義では有名人で、そして、彼はユダヤ人を守る為にゴーレムを作り、町に禍を起こさせました。すると、ドイツ皇帝は、ユダヤ人の居住を帝国内で認めたそうです。ゴーレムは英雄の人形なのです。さて、このレーヴ司祭、なんと彼の兄弟が2004年の民主党大統領候補だったジョン・ケリーの先祖にあたるとされるのです。そう、ケリーはゴーレムを作ることが出来るかもしれないのです。というか、彼自身がゴーレムで、ケリーの表情は硬くて冷たいという印象がありました。ボートクス注入の整形手術は失敗でした。あれでさらに表情が硬くなり、フランケンシュタイン博士の人造人間のような印象を持ったという選挙人が多くいたそうです。

『フランケンシュタイン』もゴーレム伝説が元になってるかもしれないですね。まるでブリキ人形、人造人間のように表情に感情がない、有機的ではなかったのです。大統領選挙の討論会で三夜連続でケリーが勝ったのですが、結局選挙ではブッシュが勝ちました。だから、ブッシュのような田舎臭いカウボーイが勝ってしまったのです。つまりブッシュは、有機的だったのです。
人造人間も、フランケンシュタイン博士の愛情、期待を受けられなかったのです。だから、フランケンシュタイン博士はピグマリオンではなかったのです。人造人間の唯一の願いは、やはり異性でした。それは、やはり女の子でした。その女の子の人造人間を造って欲しいと博士に頼みましたが、しかし、博士は、それを拒絶し、去ってしまいました。そう、人造人間にゴーレム効果を与えてしまったのです。だから、人造人間は、虐殺行為へと走ってしまったのです。そして、現代では、それはチョ・スンヒのヴァージニア工科大学の虐殺事件という最悪の結果を招きました。ゴーレム効果は、やはり彼の詩を教授が拒絶し、授業から追放するという警告によって、最大限になってしまったのでしょう。彼は、脳内嫁を持っていましたが、それでも、やはり駄目でした。皮膚感覚の欠落は、彼を殺人者へと変えてしまったのです。
ブリキの木こりはドロシーを、そしてガラクタの人形は謎の少女を持っていました。よって彼らは救われたのです。だからこそ、だからこそ、私は、皮膚感覚を求め、南米に旅立つのです!

また、コートジヴォアールのボール族の「魂の配偶者」もそうですね。

家族の像とか、友だち、恋人、将来の家族の像を投影して作るんですね。そう、だから土偶も謎の少女が作ったものかもしれませんね。というか、家族の思いというか、それは「だんご大家族」の精神でしょう。大家族ですからね、普通の厳密な家族とは意味が違うのです。ジョン・レノンのイマジンの「世界が一つになる」と同じコンセプトです。インド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam(世界家族)」です。
しかし、ゴーレムには心がありません。人格がないのです。それは、『オズの魔法使い』の心のないブリキの木こりとおなじなのです。教育心理学に「ゴーレム効果」というものがありますが、そのゴーレム効果とは、先生が期待をかけない生徒は成績が落ちていくというものです。で、そのゴーレムは、ここで話したゴーレムから名付けられてます。
『オズの魔法使い』はカンザス州の物語、そしてトルネードでドロシーがさらわれて幻想世界に行くという。私も中西部出身、そしてトルネードにいつも怯えて地下に隠れてました。だから、『オズの魔法使い』は、私の感性にピッタリなんですよ。中西部に住んでいた経験から『オズの魔法使い』は、もっとも親しみやすい作品なのです。そしてブリキ人形、彼はドロシーに出会い、ドロシーと旅をし、最後に心を獲得します。つまり、ゴーレムがアダムとなったのです。ただの土塊の人形から人間となったのです。それは、「ピグマリオン効果」といい、先生が期待をかけると生徒の成績が上がるというものです。それは、ギリシャのピグマリオン伝説が元となっており、ビグマリオン王が女性の像を彫って、それに愛情をかけたら、彫刻が人間になったという物語です。つまり、ブリキ人形はドロシーから期待され、心を得たのです。また、ガラクタの人形も謎の少女に愛情を受けたので、心を持ったのです。つまりゴーレム効果は、愛情を与えられなかった人間に起こる効果であり、ピグマリオン効果は、愛情を与えられた人間に起こる効果なのです。そう、女の子の愛情、それこそが、キモヲタを救うのです!
しかし、私は、中西部でドロシーに出会うことはなかった。だから、ドロシーと共にトルネードに巻き込まれて幻想世界に旅立つことはなかったし、心を失ったままでした。しかし、私は、擬似的愛情、いわゆる二次元世界の愛情、幻想世界の愛情である萌えによって、心を回復し、虹コンとなりました。あとは、このガラクタの体を本物の有機体にすることです。それには、皮膚感覚が必要なのです。だから、それには南米に行くことなのです。
ゴーレムに風を送り込めば、それはアダムとなります。そう土塊の人形が人間になれるのです。つまり、息です。ギリシャ語のπνευμα(プネウマ)なのです。πνευμαがラテン語でespirituとなり、英語で、spirit(魂)となりました。プネウマ(風)を送る最適な方法はCPR(心肺蘇生法)です。だから、女の子にCPRしてもらいたい…。私はゲイじゃないから、ヤハウェーは絶対に嫌だ、あんな殺人鬼。そういえば、風子も、プネウマ(風)の女の子ですね。また、ドロシーも竜巻という風によって異次元世界に行きます。ボブ・ディランの『風の吹くとき』もそうですね。『風邪の谷のナウシカ』もそうですね。そう、風を出す器官は口ですね。まぁ、鼻もそうですが、それで、マオリ族やハワイのキスとかは、鼻でするんでしょうけど、まぁ一般的には、唇で、口づけをして、それで命は復活します。眠れる森の美女もそうでしたね。だから、私も女の子の口づけ、接吻、キスが必要なのです。南米でかわいい女の子が頬にキスしてくれましたから。どんなに人間的だったことか!あれこそが、ヒューマニティーの真髄だぁあ!ああ、南米に戻りたい。皮膚感覚の謳歌を!あれこそ、私を人間たらしめるのです。だから、現在ガラクタ人形である私は、『妖怪人間ベム』のように、
「はやく人間になりたーい!」
と喘ぐのです。
さぁ、ガラクタ人形も心を持ってました。だから、あの謎の少女はドロシーのような存在だったのです。しかし、やはりガラクタでは、ブリキでは、皮膚感覚がない、そう、人間たらしめるものはやはり体の感覚なのです。皮膚感覚が欠落した禁欲的精神至上主義ではないのです。「プラトニック」というデタラメな神話などではないのです。それだと心を得た時点で旅は終わってしまいます。だから、ブリキ人形も心を獲得して旅は終わらなかったのです。つまり、ブリキ人形の物語の続編が、『CLANNAD』だったのです。


さて、ゴーレムのその内に入りますが、ゴーレムに関しては、イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルの伝説がもっとも有名です。レーヴ司祭は、カッバーラ神秘主義では有名人で、そして、彼はユダヤ人を守る為にゴーレムを作り、町に禍を起こさせました。すると、ドイツ皇帝は、ユダヤ人の居住を帝国内で認めたそうです。ゴーレムは英雄の人形なのです。さて、このレーヴ司祭、なんと彼の兄弟が2004年の民主党大統領候補だったジョン・ケリーの先祖にあたるとされるのです。そう、ケリーはゴーレムを作ることが出来るかもしれないのです。というか、彼自身がゴーレムで、ケリーの表情は硬くて冷たいという印象がありました。ボートクス注入の整形手術は失敗でした。あれでさらに表情が硬くなり、フランケンシュタイン博士の人造人間のような印象を持ったという選挙人が多くいたそうです。

『フランケンシュタイン』もゴーレム伝説が元になってるかもしれないですね。まるでブリキ人形、人造人間のように表情に感情がない、有機的ではなかったのです。大統領選挙の討論会で三夜連続でケリーが勝ったのですが、結局選挙ではブッシュが勝ちました。だから、ブッシュのような田舎臭いカウボーイが勝ってしまったのです。つまりブッシュは、有機的だったのです。
人造人間も、フランケンシュタイン博士の愛情、期待を受けられなかったのです。だから、フランケンシュタイン博士はピグマリオンではなかったのです。人造人間の唯一の願いは、やはり異性でした。それは、やはり女の子でした。その女の子の人造人間を造って欲しいと博士に頼みましたが、しかし、博士は、それを拒絶し、去ってしまいました。そう、人造人間にゴーレム効果を与えてしまったのです。だから、人造人間は、虐殺行為へと走ってしまったのです。そして、現代では、それはチョ・スンヒのヴァージニア工科大学の虐殺事件という最悪の結果を招きました。ゴーレム効果は、やはり彼の詩を教授が拒絶し、授業から追放するという警告によって、最大限になってしまったのでしょう。彼は、脳内嫁を持っていましたが、それでも、やはり駄目でした。皮膚感覚の欠落は、彼を殺人者へと変えてしまったのです。
ブリキの木こりはドロシーを、そしてガラクタの人形は謎の少女を持っていました。よって彼らは救われたのです。だからこそ、だからこそ、私は、皮膚感覚を求め、南米に旅立つのです!
ビートルズの曲で『抱き締めたい』というのがありましたが、原題は『I wanna hold your hand(君と手をつなぎたい)』なのです。邦題ほど、腐った風習はありません。だから、私は替え歌で、『I wanna hug your body(抱きつきたい)』と歌うのです。それが今回の記事のテーマ。
オレンジ・カウンティーでパーティーがありました。日系の著名なプロテスタント系教会のゴスペルバンドのコンサートがあるとのことだったので、で、行ってみた。厳密に言えば、これもサブカルに入るんだろうね。いや、しかし、オレンジ・カウンティーだけあって、家々は裕福、豪華絢爛です。なんか、私の生活が惨めに思えてきた。汚いアパートに住んでますからね。プロレタリアートにも属さない宙ぶらりんなキモヲタ兼虹コンですから。しかし、なんでこう米国のブルジョワは丘に住みたいんですかね。ブラジルやペルーでは、丘に住む人ほど、貧しいんですけどね、とくにブラジルでは、ファヴェーラというゲットー区域がヒオ・ジ・ジャネイルの丘に集まっているんです。しかし、アメリカでは逆なんですよ。ビバリー・ヒルズとか六本木ヒルズとか、ヒルズ(丘)なんですね。どうして、丘がそんなに魅力的なんでしょうね。丘って不便じゃないですか。
いやー、パーティーは、日系のコンサートだけあって、日系の女の子がたくさんいました。いや、日系じゃないか、日本人か、移民して来た人たちがほとんどでしたから。みんな日本語話してましたから。でも、自己紹介して、ペルーのように初対面で抱きつくことはないんですね。かわいい子が意外といたから、
「うわっ、抱きつきたい!!!」
と思いましたが、がんばっても握手がやっとでした。ほんと、不健全な文化です。こんなんでは、まったく人生は楽しくない。皮膚感覚がまったく欠落してしまっているのが、日本文化の最大の汚点です。しかもそれも明治維新以降のです。ヨーロッパがまだキリスト教倫理観から脱却できてない時の価値観を輸入してしまったからです。しかし、ヨーロッパは今ではとてもセクシャルになりました、しかし、日本は第一次大戦前のヨーロッパ文化の呪縛に縛られてしまっているのです。それが、この女の子たちの、私が距離を縮めたら、拒否反応を起こして後ろに下がるというリアクションにつながってしまってるんです。誠に残念です!このようなふざけた文化は、撃滅するべきなんです。
でも、こう言ったら変かも知れませんが、このパーティーではブスは一人も見かけませんでした。いや、これは口からでまかせじゃなくて、ほんとに本当です。みんな整った容姿をされてたんです。これは驚嘆すべき事象でした。いやー、たぶん、ステージに立つ人たちだから、やはり音楽のコンサートだけあって、ミュージシャン、歌手、ダンサーなど、ステージ慣れしている人たちが見に来たパーティーなので、というか「同業者パーティー」みたいな。そんなところに、私だけアニヲタが紛れ込んでしまったという心境でしたね。私は音楽の話はぜんぜん出来ないし、まぁ、私も結構音楽好きですけど、相手はみんなプロですからね、知識量がじぇんじぇん違い過ぎます。アニメだったら、会話できたんですけどねぇ。まぁ、そういうパフォーマンス系の人たちだったから、それで外見は自然と良くなってったのかもしれません。というより、外見が良くないと、人に不快を起こすような外見だとステージには立てないのでしょうけれども。それぞれ魅力的な女の子ばっかでした。年がいってるオバさんも綺麗でしたからね、ビックリしました。日本舞踊のダンサーということで、しかも化粧もやはりプロですね。オバさんでさえ、抱きつきたいと思ってしまった私、自分が同一性障害に陥ったのかと思いましたよ。しかし、そういう見かけのいい人たちだったからこそ、私の苦しみはいつもの百倍以上までに増大しました。
ああ。本当に欲望を抑圧するのに神経を疲労困憊させてしまいました。これほどまでに制御するのはどんなにきつく辛かったことか。普段はあんな沢山のかわいい子は見ないですからね、この米国の人口70%が体重オーバーという国で。7割がブサイクということですから。しかし、パーティーの女の子たちはみんなかわいかった。だから、どうしても、抱きつきたかった。
「抱きつきてぇ、抱きつきてぇ
」
と呟く自分がいました。でも、さすがに日本語だとバレるので、スペイン語で、
「Las quiero abrazar, las quiero abrazar」
と呟きました。その渇望はもうどうしょうもなかったのです。なのに、日本文化はそれを許してくれない!なんたることか!魅力的な人と皮膚感覚を謳歌できないなんて。そんなの犯罪だ。人権侵害だ!国連の権利章典に違反してるんだ!魅力的な人にはどうしても触りたいという衝動が起きて、どうしょうもなかった。ほんとに苦しかった。苦しくて苦しくて、しょうがなかった。まるで犬が飼い主から餌を目の前にして食べるなと命令されてるのと同じような心境だ。だから、よだれがばんばん出る。空腹に苦しむ犬は、床にポタポタと唾液を垂らすのです。ほんと、拷問です。日本社会は、セクシャルな面において不健全です。あんな社会では、キモヲタが沢山出てくるのも頷けます。日本の20代の男性の4分の1が恋愛経験がないというのも、そういう腐敗した文化だからです。
でも、みんな男を連れて来てましたね。すごい残念。あれでは、触れないではないか!いちいち、
「おまえの女を抱かせてくれ!」
と許可を取るわけにも行かないし。ラテンだったら、許可なしに、というか、挨拶で女の子から抱きついてくるけど、日系コミュニティーでそんなことしたら集団リンチに遭いかねないですから。日系は男社会ですからね。だから、コンプレッサーでグシャリと欲望を押しつぶしました。『ターミネーター』のラスト・シーンでサラ・コナーがターミネーターをコンプレッサーで押しつぶしたように。その代わり、今度は嫉妬心が私を焼き焦がしました。
ああ、とくに音楽療法師の女の子はかわいかったなぁ。癒し系で(まっ、癒しのプロだからそうなんだけど)、まるで17歳教教祖の喜久子尊師をそのまま20年若くしたような雰囲気の子で。はぁはぁ。やべっ、よだれが。だから、泥んこまみれになった子犬のように、
「僕を癒してー!!」
とお強請りしましたが、鼻で笑われて終わりました(涙)。キモヲタとして受けて来た仕打ちによって深く傷ついたか弱い心を癒して欲しかったのに…。サウダージでしたよ。いやー、でも、日本人の子は、胸とお尻はないけど、顔はほんと日本人形のようにかわいい。それに、痩せてる分だけ、よりファッションモデルに近い格好ができる、つまり着せ替えが多様にできる、そこは本当有利で、アメリカのようにジーンズ一色にならない。さすがは日本はイタリア、フランスと並ぶほどのモードの国。しかし、まぁ、でも化粧はだいたい画一化されてて、で、話し方も、なんか敬語のときは、みんな女性は同じですよね。ふだん通りに話せば、個性は出てくるんだけど、日本語の敬語というのは、ほんとみんな防毒マスクをつけてるような感じになりますからね。あれは明治政府の人工語ですからね、現代ヘブライ語みたいなものです。人工的に作られたんです。だから、日本人は普段の言葉と人工語で、あんなにキャラが変わってしまうんです。
またお辞儀をするのもほんと無様。みんな頭をちょんちょんと下げ合っている、あんなの世界から見たら、嘲笑の対象です。国際社会であんなことするのは、まったくみっともない。ほんと文化的に未開です。だから、相手が頭を下げたら、腰を突き出す。そうすれば、釣られて頭を下げなくて済む。で、代わりに握手をしました。頭を下げるのは卑屈精神で、いわば儒教的な腐った風習。しかもアメリカに来てまで、そんなことを仕出かすなんて、ほんと一緒にいて恥ずかしい。あんなことをする奴らと同じだと思われたくない。私は米国で韓国系と日系以外で、頭を下げるのを見たことがない。中華系はだれもそんなことはしないし、自己紹介の時はかならず握手です。そう、儒教の宗主国である台湾や中国ですら、その風習は崩壊したのです。それにくらべて、日韓というのは、文化的に頽廃してるとしかいいようがない。まるで、
「今の中華文明が失った礼儀作法を引き継いでいる正当な後継者は我々だ」
という馬鹿なプライドがあるんでしょうね。水戸学のような。それが最悪DQNの蔓延る体育会系社会を作り出してしまったのです。
また、日本では、それ以上にやっぱり「お上に逆らっては行けない」という観念があるからでしょう。とくに今では目上である天皇を風刺したりするコメディアンは出てきません。君主国の英国でさえ、セックスピストルズのような女王をコケにするヒット曲を出す文化なんだから。だから裕仁を退位させるか死刑にしなかったことは、日本に悪影響を残したのです。アメリカ型民主主義が徹底しなかったのが大きな禍根です。裕仁がちゃんと責任を取っていれば、ここまで硬直することはなかったでしょう。人間宣言は天皇の神格の解体にはならなかった、やはり裕仁の起訴が神格を否定することとなったはずです。ヒエラルキーの一番上が崩れるわけですから、儒教的家父長道徳のピラミッドはそれで倒壊したはずです。まぁ、敬語はビジネス用語として確立していれば問題ないけど、あのまるでハトが道端に散らばってるトウモロコシを突っつくような滑稽な習慣、そして、そのあとは腹のふくれたハトが糞をまき散らし、憩いの場であるプラザを汚染するという、まさに汚染文化そのものです。この風習は文化的ダイオキシン、撃滅しなければならないのです。それこそ日本の『不都合な真実』ですよ。
まっ、腰を突き出すのはラテンアメリカ、とくに南米の文化ですよね。アメリカは清教徒倫理だから、抱きつくにしてもちょこんと腕を肩に乗せるだけですから。表面的にも甚だしい。こう、体全体ではハグしないんです。しかし、南米では、体全体、そう、臍というか、腰でハッグする勢いなのです。皮膚感覚が体全身に伝わるわけです。南米でハッグをしなかったら、「風邪引いてるの?」ときかれますからね。
しかし、日本は潔癖性の国ですからね。ラテンに比べると潔癖過ぎです。とくに、日本とドイツは最悪と聞きます。ドイツ人は匂いにもとても敏感な民族で、カントも嗅覚について哲学を書いてるぐらいですから。まっ、その民族性は世界一のリサイクル国家というのには役立ってますが…。いやー、それでも日本人の潔癖ぶり、まるで皮膚病患者を避けるような文化です。日本では、リサイクル面ではなくて、変な方向に潔癖が現れている。とくに対人関係に関してです。あれじゃ、沢山の日本人がキリスト教に改宗してもおかしくないですよ。だって、皮膚病患者に対等に接して治療してくれたのはナザレのイエスだけだったんですからね。キモヲタが、日本であそこまで気持ち悪がられたのも、日本の独特な潔癖性文化です。そう、あの日本の敬語という人工語も潔癖そのものですね。陽気な関西人でさえ、敬語を使うと心理的潔癖感を感じて、表現が規制されるそうですから。
「漂白剤で洗われてるようや」
と言ってますからね。まっ、私は方言を使えないので、その心境はわかりませんけどね。まぁ、確かに人工日本語では、感情をがつんと表現できませんね。人工日本語を上手く使いこなせるのは声優ぐらいですからね、あんな標準語を感情的に使えるのは、やっぱりアニメキャラですね。だから、キモヲタもそれに憧れて、日常会話でも敬語を使おうとするのです。それが、現実の女の子には、もっとキモく感じてしまうんですけど。まぁ、声優のは特殊なケースで、人工日本語それ自体が、感情を圧迫するような、感情を汚れとして捕らえる潔癖感がありますね。やはり、アメリカ英語のほうがダイレクトに、強く率直にものをはっきりと言えます。だってアメリカには人工的な敬語がないですからね。だから、ロックは英語に合うんですよ。
ああああ、やっぱり日本人の女の子はかわいい、魅力的であることは確かです。ラテンの腰から来る破壊力抜群のダイナマイトさには欠けるけど、それでも充分魅力的ですよ。柳腰もいいです。着物を着るとそれは本当ピッタリです。大和撫子って感じ。なにしろかわいい。抱きつきたい、抱きつかずにはいられなかった。でも、なんでラテンのように抱き合わないんだろうか。それにしても日本人女性は痩せてます、それもアメリカ人から見ると病的なくらい、私も今回久しぶりに大和撫子の花畑を見て、目が慣れるまでは、
「拒食症じゃないのかなぁ」
と心配になったんですが、やはりファッションの多様性に適してるんだなぁってことがわかりました。ああ、わかった!だから女の子はみんな痩せたいんだ!痩せれば、多様性が広がるからですね。でも、ファッションは多様なのに、化粧がちょっと画一化というのは、奇異でしたけどね。まぁ、でもかわいいですよ、かわいければなんだっていいんです、っていうか、今回のパーティーにブスはいなかっただけのことか…。
抱きつきたかった。でも、抱きつけなくて、精神が参ってしまった。トイレに行って鏡を見ると、目が充血してました。あぁ、我慢が限界点を越えてしまったんですね。皮膚感覚の欠如がこれほどまでに苦痛なことはかつてあっただろうか!ある子は、うなじが…、うなじがとても魅力的で、キ・・キスしたい衝動に駆り立てられました。南米であれば、キスできたんですけどね。日本人は、顔がかわいいです。体はファッションに覆われて、誤魔化すっと言ったらなんだけど、まあ、痩せていれば、多様性なファッションに有利ですから、でも、顔はやっぱ先天的なものだし(整形ももちろんあるけど)、かわいいですからね。それに日本人の子の口はもともと小さいから歯並びが悪くても、あんま目立ちませんよね。欧米人は、口が広いから、スマイルすると歯が目立ちますからね。だから、日本人の子は、欧米人の女の子より、そういう面でも、若さが持続しますね。ああ、でも、あの子たちの唇を感じたかった。だから、ラテン文化であれば、あの子たちの唇を私の頬で感じることが出来たんですよ。で、私の唇で彼女たちの柔らかい頬を感じることもできる、ああ、なんで日本はラテン文化じゃないんだ!しかし、だれともキスできなかったなぁ、ああ、苦しい、胸焼けがする、で、我慢できなくなって、手当り次第に抱きついていったら、彼女らの野郎どもにリンチされたでしょうね。だから、会場に集まってた男に関しては、いい感情は持ってなかったです。嫉妬で心臓が焼き尽くしされそうだったので。まるで、男全員ヤハウェのように見えましたよ。そう、ヤハウェは、女を独占する男の集合的無意識なんですよ。
皮膚感覚の有無、そこが、アニメの女の子と日本人の実際の女の子との違いですね。アニメの子だと、積極的に皮膚感覚を謳歌しようとしますから。だから、私は、
「ぐふあーあははぁぁあ!!!」
と萌えを炸裂させ、コンピューターの前で食べていた朝食の目玉焼きにケチャップが飛び散るのです。だから、ちり紙で鼻を詰めておかないと、萌え系アニメを観る時は。
ああ、でも日系っていいところに住んでるんですね。社会の成功者ですね、丘に住んでるなんて。でも、その反面皮膚感覚の欠如は、金銭面での豊かさとはかけ離れてましたけどね。ねえ、ガバって抱きつければいいんですけどね、女の子に。どうしてそんなに禁欲的なんでしょうね。もしかして、クリスチャン系だったからかなぁ?清教徒倫理の禁欲原理主義と日本の潔癖文化がドッキングして、人としての温かさを失ってしまったんでしょうね。それにしても、魅力的な子に抱きつけないとは、ああ、ほんと、サウダージでした。
あっ、そういえば、肝心のゴスペルグループですが、よかったですね、コーラスがきれいでした。ゴルペルはあまり私の音楽のタイプではなかったので。アニソンだったら、よかったのに。後は、ボサノバとか。ラテン音楽ですね。ティーンのロックもいいですね。くっそー、みんな男を連れて来たのはちょっとなぁ、やってらんねぇ、で、その子たちのだれにも抱きつけなかったのも、本当最悪だ。限界点を越える我慢はやはりよくない。パーティーの翌日、睡眠不足になってしまいました。我慢は体に悪いですよ。病気になりやすくなりますし、生活リズムが狂って、健康を損ねてしまいます。やはり、私の行くべきところは、南米であるということが、これではっきりしましたね。
オレンジ・カウンティーでパーティーがありました。日系の著名なプロテスタント系教会のゴスペルバンドのコンサートがあるとのことだったので、で、行ってみた。厳密に言えば、これもサブカルに入るんだろうね。いや、しかし、オレンジ・カウンティーだけあって、家々は裕福、豪華絢爛です。なんか、私の生活が惨めに思えてきた。汚いアパートに住んでますからね。プロレタリアートにも属さない宙ぶらりんなキモヲタ兼虹コンですから。しかし、なんでこう米国のブルジョワは丘に住みたいんですかね。ブラジルやペルーでは、丘に住む人ほど、貧しいんですけどね、とくにブラジルでは、ファヴェーラというゲットー区域がヒオ・ジ・ジャネイルの丘に集まっているんです。しかし、アメリカでは逆なんですよ。ビバリー・ヒルズとか六本木ヒルズとか、ヒルズ(丘)なんですね。どうして、丘がそんなに魅力的なんでしょうね。丘って不便じゃないですか。
いやー、パーティーは、日系のコンサートだけあって、日系の女の子がたくさんいました。いや、日系じゃないか、日本人か、移民して来た人たちがほとんどでしたから。みんな日本語話してましたから。でも、自己紹介して、ペルーのように初対面で抱きつくことはないんですね。かわいい子が意外といたから、
「うわっ、抱きつきたい!!!」
と思いましたが、がんばっても握手がやっとでした。ほんと、不健全な文化です。こんなんでは、まったく人生は楽しくない。皮膚感覚がまったく欠落してしまっているのが、日本文化の最大の汚点です。しかもそれも明治維新以降のです。ヨーロッパがまだキリスト教倫理観から脱却できてない時の価値観を輸入してしまったからです。しかし、ヨーロッパは今ではとてもセクシャルになりました、しかし、日本は第一次大戦前のヨーロッパ文化の呪縛に縛られてしまっているのです。それが、この女の子たちの、私が距離を縮めたら、拒否反応を起こして後ろに下がるというリアクションにつながってしまってるんです。誠に残念です!このようなふざけた文化は、撃滅するべきなんです。
でも、こう言ったら変かも知れませんが、このパーティーではブスは一人も見かけませんでした。いや、これは口からでまかせじゃなくて、ほんとに本当です。みんな整った容姿をされてたんです。これは驚嘆すべき事象でした。いやー、たぶん、ステージに立つ人たちだから、やはり音楽のコンサートだけあって、ミュージシャン、歌手、ダンサーなど、ステージ慣れしている人たちが見に来たパーティーなので、というか「同業者パーティー」みたいな。そんなところに、私だけアニヲタが紛れ込んでしまったという心境でしたね。私は音楽の話はぜんぜん出来ないし、まぁ、私も結構音楽好きですけど、相手はみんなプロですからね、知識量がじぇんじぇん違い過ぎます。アニメだったら、会話できたんですけどねぇ。まぁ、そういうパフォーマンス系の人たちだったから、それで外見は自然と良くなってったのかもしれません。というより、外見が良くないと、人に不快を起こすような外見だとステージには立てないのでしょうけれども。それぞれ魅力的な女の子ばっかでした。年がいってるオバさんも綺麗でしたからね、ビックリしました。日本舞踊のダンサーということで、しかも化粧もやはりプロですね。オバさんでさえ、抱きつきたいと思ってしまった私、自分が同一性障害に陥ったのかと思いましたよ。しかし、そういう見かけのいい人たちだったからこそ、私の苦しみはいつもの百倍以上までに増大しました。
ああ。本当に欲望を抑圧するのに神経を疲労困憊させてしまいました。これほどまでに制御するのはどんなにきつく辛かったことか。普段はあんな沢山のかわいい子は見ないですからね、この米国の人口70%が体重オーバーという国で。7割がブサイクということですから。しかし、パーティーの女の子たちはみんなかわいかった。だから、どうしても、抱きつきたかった。
「抱きつきてぇ、抱きつきてぇ
」と呟く自分がいました。でも、さすがに日本語だとバレるので、スペイン語で、
「Las quiero abrazar, las quiero abrazar」
と呟きました。その渇望はもうどうしょうもなかったのです。なのに、日本文化はそれを許してくれない!なんたることか!魅力的な人と皮膚感覚を謳歌できないなんて。そんなの犯罪だ。人権侵害だ!国連の権利章典に違反してるんだ!魅力的な人にはどうしても触りたいという衝動が起きて、どうしょうもなかった。ほんとに苦しかった。苦しくて苦しくて、しょうがなかった。まるで犬が飼い主から餌を目の前にして食べるなと命令されてるのと同じような心境だ。だから、よだれがばんばん出る。空腹に苦しむ犬は、床にポタポタと唾液を垂らすのです。ほんと、拷問です。日本社会は、セクシャルな面において不健全です。あんな社会では、キモヲタが沢山出てくるのも頷けます。日本の20代の男性の4分の1が恋愛経験がないというのも、そういう腐敗した文化だからです。
でも、みんな男を連れて来てましたね。すごい残念。あれでは、触れないではないか!いちいち、
「おまえの女を抱かせてくれ!」
と許可を取るわけにも行かないし。ラテンだったら、許可なしに、というか、挨拶で女の子から抱きついてくるけど、日系コミュニティーでそんなことしたら集団リンチに遭いかねないですから。日系は男社会ですからね。だから、コンプレッサーでグシャリと欲望を押しつぶしました。『ターミネーター』のラスト・シーンでサラ・コナーがターミネーターをコンプレッサーで押しつぶしたように。その代わり、今度は嫉妬心が私を焼き焦がしました。
ああ、とくに音楽療法師の女の子はかわいかったなぁ。癒し系で(まっ、癒しのプロだからそうなんだけど)、まるで17歳教教祖の喜久子尊師をそのまま20年若くしたような雰囲気の子で。はぁはぁ。やべっ、よだれが。だから、泥んこまみれになった子犬のように、
「僕を癒してー!!」
とお強請りしましたが、鼻で笑われて終わりました(涙)。キモヲタとして受けて来た仕打ちによって深く傷ついたか弱い心を癒して欲しかったのに…。サウダージでしたよ。いやー、でも、日本人の子は、胸とお尻はないけど、顔はほんと日本人形のようにかわいい。それに、痩せてる分だけ、よりファッションモデルに近い格好ができる、つまり着せ替えが多様にできる、そこは本当有利で、アメリカのようにジーンズ一色にならない。さすがは日本はイタリア、フランスと並ぶほどのモードの国。しかし、まぁ、でも化粧はだいたい画一化されてて、で、話し方も、なんか敬語のときは、みんな女性は同じですよね。ふだん通りに話せば、個性は出てくるんだけど、日本語の敬語というのは、ほんとみんな防毒マスクをつけてるような感じになりますからね。あれは明治政府の人工語ですからね、現代ヘブライ語みたいなものです。人工的に作られたんです。だから、日本人は普段の言葉と人工語で、あんなにキャラが変わってしまうんです。
またお辞儀をするのもほんと無様。みんな頭をちょんちょんと下げ合っている、あんなの世界から見たら、嘲笑の対象です。国際社会であんなことするのは、まったくみっともない。ほんと文化的に未開です。だから、相手が頭を下げたら、腰を突き出す。そうすれば、釣られて頭を下げなくて済む。で、代わりに握手をしました。頭を下げるのは卑屈精神で、いわば儒教的な腐った風習。しかもアメリカに来てまで、そんなことを仕出かすなんて、ほんと一緒にいて恥ずかしい。あんなことをする奴らと同じだと思われたくない。私は米国で韓国系と日系以外で、頭を下げるのを見たことがない。中華系はだれもそんなことはしないし、自己紹介の時はかならず握手です。そう、儒教の宗主国である台湾や中国ですら、その風習は崩壊したのです。それにくらべて、日韓というのは、文化的に頽廃してるとしかいいようがない。まるで、
「今の中華文明が失った礼儀作法を引き継いでいる正当な後継者は我々だ」
という馬鹿なプライドがあるんでしょうね。水戸学のような。それが最悪DQNの蔓延る体育会系社会を作り出してしまったのです。
また、日本では、それ以上にやっぱり「お上に逆らっては行けない」という観念があるからでしょう。とくに今では目上である天皇を風刺したりするコメディアンは出てきません。君主国の英国でさえ、セックスピストルズのような女王をコケにするヒット曲を出す文化なんだから。だから裕仁を退位させるか死刑にしなかったことは、日本に悪影響を残したのです。アメリカ型民主主義が徹底しなかったのが大きな禍根です。裕仁がちゃんと責任を取っていれば、ここまで硬直することはなかったでしょう。人間宣言は天皇の神格の解体にはならなかった、やはり裕仁の起訴が神格を否定することとなったはずです。ヒエラルキーの一番上が崩れるわけですから、儒教的家父長道徳のピラミッドはそれで倒壊したはずです。まぁ、敬語はビジネス用語として確立していれば問題ないけど、あのまるでハトが道端に散らばってるトウモロコシを突っつくような滑稽な習慣、そして、そのあとは腹のふくれたハトが糞をまき散らし、憩いの場であるプラザを汚染するという、まさに汚染文化そのものです。この風習は文化的ダイオキシン、撃滅しなければならないのです。それこそ日本の『不都合な真実』ですよ。
まっ、腰を突き出すのはラテンアメリカ、とくに南米の文化ですよね。アメリカは清教徒倫理だから、抱きつくにしてもちょこんと腕を肩に乗せるだけですから。表面的にも甚だしい。こう、体全体ではハグしないんです。しかし、南米では、体全体、そう、臍というか、腰でハッグする勢いなのです。皮膚感覚が体全身に伝わるわけです。南米でハッグをしなかったら、「風邪引いてるの?」ときかれますからね。
しかし、日本は潔癖性の国ですからね。ラテンに比べると潔癖過ぎです。とくに、日本とドイツは最悪と聞きます。ドイツ人は匂いにもとても敏感な民族で、カントも嗅覚について哲学を書いてるぐらいですから。まっ、その民族性は世界一のリサイクル国家というのには役立ってますが…。いやー、それでも日本人の潔癖ぶり、まるで皮膚病患者を避けるような文化です。日本では、リサイクル面ではなくて、変な方向に潔癖が現れている。とくに対人関係に関してです。あれじゃ、沢山の日本人がキリスト教に改宗してもおかしくないですよ。だって、皮膚病患者に対等に接して治療してくれたのはナザレのイエスだけだったんですからね。キモヲタが、日本であそこまで気持ち悪がられたのも、日本の独特な潔癖性文化です。そう、あの日本の敬語という人工語も潔癖そのものですね。陽気な関西人でさえ、敬語を使うと心理的潔癖感を感じて、表現が規制されるそうですから。
「漂白剤で洗われてるようや」
と言ってますからね。まっ、私は方言を使えないので、その心境はわかりませんけどね。まぁ、確かに人工日本語では、感情をがつんと表現できませんね。人工日本語を上手く使いこなせるのは声優ぐらいですからね、あんな標準語を感情的に使えるのは、やっぱりアニメキャラですね。だから、キモヲタもそれに憧れて、日常会話でも敬語を使おうとするのです。それが、現実の女の子には、もっとキモく感じてしまうんですけど。まぁ、声優のは特殊なケースで、人工日本語それ自体が、感情を圧迫するような、感情を汚れとして捕らえる潔癖感がありますね。やはり、アメリカ英語のほうがダイレクトに、強く率直にものをはっきりと言えます。だってアメリカには人工的な敬語がないですからね。だから、ロックは英語に合うんですよ。
ああああ、やっぱり日本人の女の子はかわいい、魅力的であることは確かです。ラテンの腰から来る破壊力抜群のダイナマイトさには欠けるけど、それでも充分魅力的ですよ。柳腰もいいです。着物を着るとそれは本当ピッタリです。大和撫子って感じ。なにしろかわいい。抱きつきたい、抱きつかずにはいられなかった。でも、なんでラテンのように抱き合わないんだろうか。それにしても日本人女性は痩せてます、それもアメリカ人から見ると病的なくらい、私も今回久しぶりに大和撫子の花畑を見て、目が慣れるまでは、
「拒食症じゃないのかなぁ」
と心配になったんですが、やはりファッションの多様性に適してるんだなぁってことがわかりました。ああ、わかった!だから女の子はみんな痩せたいんだ!痩せれば、多様性が広がるからですね。でも、ファッションは多様なのに、化粧がちょっと画一化というのは、奇異でしたけどね。まぁ、でもかわいいですよ、かわいければなんだっていいんです、っていうか、今回のパーティーにブスはいなかっただけのことか…。
抱きつきたかった。でも、抱きつけなくて、精神が参ってしまった。トイレに行って鏡を見ると、目が充血してました。あぁ、我慢が限界点を越えてしまったんですね。皮膚感覚の欠如がこれほどまでに苦痛なことはかつてあっただろうか!ある子は、うなじが…、うなじがとても魅力的で、キ・・キスしたい衝動に駆り立てられました。南米であれば、キスできたんですけどね。日本人は、顔がかわいいです。体はファッションに覆われて、誤魔化すっと言ったらなんだけど、まあ、痩せていれば、多様性なファッションに有利ですから、でも、顔はやっぱ先天的なものだし(整形ももちろんあるけど)、かわいいですからね。それに日本人の子の口はもともと小さいから歯並びが悪くても、あんま目立ちませんよね。欧米人は、口が広いから、スマイルすると歯が目立ちますからね。だから、日本人の子は、欧米人の女の子より、そういう面でも、若さが持続しますね。ああ、でも、あの子たちの唇を感じたかった。だから、ラテン文化であれば、あの子たちの唇を私の頬で感じることが出来たんですよ。で、私の唇で彼女たちの柔らかい頬を感じることもできる、ああ、なんで日本はラテン文化じゃないんだ!しかし、だれともキスできなかったなぁ、ああ、苦しい、胸焼けがする、で、我慢できなくなって、手当り次第に抱きついていったら、彼女らの野郎どもにリンチされたでしょうね。だから、会場に集まってた男に関しては、いい感情は持ってなかったです。嫉妬で心臓が焼き尽くしされそうだったので。まるで、男全員ヤハウェのように見えましたよ。そう、ヤハウェは、女を独占する男の集合的無意識なんですよ。
皮膚感覚の有無、そこが、アニメの女の子と日本人の実際の女の子との違いですね。アニメの子だと、積極的に皮膚感覚を謳歌しようとしますから。だから、私は、
「ぐふあーあははぁぁあ!!!」
と萌えを炸裂させ、コンピューターの前で食べていた朝食の目玉焼きにケチャップが飛び散るのです。だから、ちり紙で鼻を詰めておかないと、萌え系アニメを観る時は。
ああ、でも日系っていいところに住んでるんですね。社会の成功者ですね、丘に住んでるなんて。でも、その反面皮膚感覚の欠如は、金銭面での豊かさとはかけ離れてましたけどね。ねえ、ガバって抱きつければいいんですけどね、女の子に。どうしてそんなに禁欲的なんでしょうね。もしかして、クリスチャン系だったからかなぁ?清教徒倫理の禁欲原理主義と日本の潔癖文化がドッキングして、人としての温かさを失ってしまったんでしょうね。それにしても、魅力的な子に抱きつけないとは、ああ、ほんと、サウダージでした。
あっ、そういえば、肝心のゴスペルグループですが、よかったですね、コーラスがきれいでした。ゴルペルはあまり私の音楽のタイプではなかったので。アニソンだったら、よかったのに。後は、ボサノバとか。ラテン音楽ですね。ティーンのロックもいいですね。くっそー、みんな男を連れて来たのはちょっとなぁ、やってらんねぇ、で、その子たちのだれにも抱きつけなかったのも、本当最悪だ。限界点を越える我慢はやはりよくない。パーティーの翌日、睡眠不足になってしまいました。我慢は体に悪いですよ。病気になりやすくなりますし、生活リズムが狂って、健康を損ねてしまいます。やはり、私の行くべきところは、南米であるということが、これではっきりしましたね。
『CLANNAD』の最終回は良かった。演劇部部長の古河渚の劇は素晴らしい、まさに、私はあのガラクタの人形だった!それは、幻想世界の謎の少女とガラクタの人形の物語です。その文化祭の劇は、こちらで見れます。やはり南米に行ったことで、『CLANNAD』の深さがわかりました。南米に行く前まではあまりピンと来ませんでしたから。
これが、私、ガラクタの人形です。いわゆる「虹コン人形」です。そう、虹コン(二次元コンプレックス)は、現代のゴーレムなのです。(ピグマリオン効果とゴーレム効果についてはこちらのブログに詳しいです)

そして、私はこのように作られました。少女は荒野で散らばっていたスクラップになった産業廃棄物の部品を集めて来て、私を組み立てたのです。


まるで神がアダムを塵から作っているようなものですね。そして彼女のキスで、というか人工呼吸で、私は蘇生されたのです。だから、私にとって神とは、残虐性に満ちたヤハウェー(アラー)であるはずがなく、女神なのです。
さて、少女とガラクタ人形の会話を抜粋しましょう。
そう、私の創造者は、あの謎の少女だ。あの子が欲しい。そう、遠い昔か遠い未来、私は別の場所にいた、それはそれは賑やかな場所だったのです。それこそ、南米なのです。でも、私はキモヲタという体のなかに縛られてしまってるんです。それは日本を捨ててまで渡米しても変わることはありませんでした。女の子との皮膚感覚は欠如したままだったのです。そして、このネオリベラル社会のNAFTAで搾取され、産業廃棄物として解体され、荒野の鉄くずとなったのでした。しかし、謎の女の子は私を再構築したわけです、虹コンとして。この皮膚感覚の欠落した世界に生まれて来たこと、それはサウダージなのです。私も中西部の荒野にいました。窓の外は荒野、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』の景色ですね。そう、このような荒野で、少女は死んだゴーレムを埋葬し、私を組み立てたのです。これは、その埋葬シーンです。ほんと、この景色は、私の出身地のアメリカ中西部の荒野そのものです。

で、私は未来に行くのですから、それは、未来に帰ることでもあり、それはまさに『Back to the future』なのです。『たんぽぽ娘』のマーク・ランドルフも未来の女性に出会いましたから。で、その子は、「一昨日はウサギに遭い、昨日は鹿に遭い、今日はあなたと出会った」とマークに告げ、その言葉は一ノ瀬ことみちゃんも使ってました。そして、そして未来の賑やかな場所、それこそ南米なのです。セクシュアリティーの謳歌、皮膚感覚による女性との触れ合い、こんな風に心躍るもの、そう心躍る踊りといえば、ラテンダンス、サルサ、サンバ、クンビアなど。ガラクタの人形は飛び跳ねて「こころおどるもの」を表現します。

智代も「家族は、なにも親子ではなく、仲間とも言える」と言ってましたから、そう、それはラテン文化に見いだしましたよ。まさに南米ラテン文化が「だんご大家族」だったのです。踊りを通じての大家族、そう、「哲学はダンスのようなもの」と言うニーチェの人生観、大家族、それは世界家族というインド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam」です。
物理学者の一ノ瀬夫妻は、
「この世界は美しい、悲しみと涙に満ちてさえ」
という言葉で世界を表しました。インドでは「サンサーラ(輪廻)」という言葉で世界を表します。そして、シッダールタは輪廻を「ドゥッカ(苦)」の一言で表現しました。で、私が世界を一言で表すのなら、「サウダージ」でしょうね。まっ、私ではなくて、南米のブラジル人ならそう思うのでしょうけれども。サウダージに悲しみと涙も含まれます。人生そのものがサウダージ、いわゆるサウダージ世界観です。だから、世界はサウダージ、それを美しいとするのは感性でしょうか?サウダージとLacrima(涙)の関連性は、この『True Tears』の記事で書きました。
ブラジル人っぽいバラック・フセイン・オバマも、
「失業で苦しんだ中西部の人々は、サウダージを表現する方法として銃や宗教にしがみつく」
と名言を残しました。まっ、「フラストレーションを説明する方法として」が正確ですが、まあ、同じ意味合いでしょう、シンボリズムでは、ていうかCLANNAD的に言えば幻想世界では、同じ意味合いなのです。そしてキモヲタたちは、アニメによって、とくに萌えによってサウダージを表現します。自分の世界を表現するのです。それが、世界を表現することに繋がるのです。
ガラクタの人形もまさにサウダージですね。その少女のサウダージの表現方法がガラクタの人形を組み立てることだったんですよ!『Sola』もそうですね。紙で弟を作り上げたというのも、まさに姉のサウダージでした。そして少女もピグマリオンのように自分の作った人形に話しかけます。

そして、このガラクタの手で少女の手に置いてるというのもサウダージ、これが皮膚でないというのもサウダージです。それは遠隔操作で女の子に触るようなもので、触覚はないですからね。私も数々の美少女キャラに萌えてきましたが、やはり皮膚感覚がないですからね、二次元(幻想世界)では。

しかし、ガラクタの人形は少女とアイコンタクト(目もないから視覚も当然なく実際にはアイコンタクトも取れない)によって、心はこのように繋がっているのでしょう。

しかし、それでは、スキンシップを取れません。皮膚感覚がないのですから。だから、この子と本当に触れ合えるようになりたいと思うからこそ、この荒野の世界を出たいと思ったのでしょうね。そして、少女もそう思ったはずです。少女は、ピグマリオンと同じく、生殖の相手を作ったのですが、ガラクタ人形には皮膚の感触がないのですから、なにしろガラクタでは、玩物として一人エッチに使えるが、セックスはできない。触れ合うことが出来ないのですから、お互いにエロティシズムを謳歌できません。そして皮膚感覚の欠落、それが「この世界は終わってしまった、もう命は生まれない、命あるものは彼女しか存在しない」となるんです。なにしろ、ガラクタには生殖器官がない、だからセックスできない、さらに精子バンクに登録できる精子すらない、よって子作りもできないから、日本のトキのよう絶滅してまいます。だから、皮膚感覚の欠落は世界の終わりなのです。虹コンは、キモヲタは、終末論的、悲観的なのです。消極的ニヒリストなのです。しかし、その皮膚感覚を追い求める意志が、未来への回帰と繋がるのです。それこそ、サウダージです。
サウダージは未来への志向性です。それは憧れでもあるのです。そして、未来に帰る、それは、まさに未来に故郷を求めることなのかもしれません。未来に郷愁を持つ、それがサウダージ。そう、未来を懐かしく思うことがサウダージなのです。私が南米に行って感じたのも、それなのです。はじめて行った場所なのに懐かしく感じたのです。それがまさにユートピアでありまだ実現してないもの、つまり「地が無い」というのがユートピアの意味なのですが、だからこそ今現在は無い、つまり来るべき未来、「未だ来ないもの」が未来、「未だに実現しない郷」が桃源郷でありユートピアなのです。孫文の「革命未だ成らず」も、サウダージを表現した言葉、つまり彼はユートピアンだったのであり、未来への志向性を持っていたわけなのです。過去も未来も、現在は経験できませんから、そういう意味では、ガラクタの人形にとって、遠い昔も遠い未来も同じだったのでしょう。だからサウダージは、過去も未来もどちらにも行くのです。つまり懐かしさは、過去と未来、関係ないのですから。
ガラクタの人形は言いました、
「そしていつか、この世界から出て行くんだ。昔僕がいた、暖かくて賑やかな世界へ。」
そう、私も日本から出て行った。しかしNAFTAは弱肉強食、自然淘汰、白人男性至上主義的恋愛資本主義型消費社会、清教徒倫理的なネオリベラル社会、そこで私は使い捨てられ、ガラクタ同然となりました。しかし、そのガラクタのスクラップを掻き集めて来て、虹コンとしてやっと組み立て直されました。萌えによって再構築したのです。もしこれが20年前で、インターネットがない時代だったら、萌え系アニメを見て、自分を再構築することも出来ませんでしたね。萌え系アニメがなかったら死んでたでしょう。で、虹コンとして再構築された。だから、今度はNAFTAから出て行こう。昔、また未来に私がいた、暖かくて賑やかな南米へ。
これが、私、ガラクタの人形です。いわゆる「虹コン人形」です。そう、虹コン(二次元コンプレックス)は、現代のゴーレムなのです。(ピグマリオン効果とゴーレム効果についてはこちらのブログに詳しいです)

そして、私はこのように作られました。少女は荒野で散らばっていたスクラップになった産業廃棄物の部品を集めて来て、私を組み立てたのです。


まるで神がアダムを塵から作っているようなものですね。そして彼女のキスで、というか人工呼吸で、私は蘇生されたのです。だから、私にとって神とは、残虐性に満ちたヤハウェー(アラー)であるはずがなく、女神なのです。
さて、少女とガラクタ人形の会話を抜粋しましょう。
少女:
あなたを、あなたをお連れしましょうか、この町の願いの叶う場所に?ここは終わったしまった世界、私の他には誰もいない世界です。部屋にあるのは、小さな気のテーブルとイス、窓の世界に何にもない荒野が広がっています。建物は古く、いつ建てられたのかもわかりません。私はここでひとりで暮らしています。時々外に出て、必要なものを拾ってきます。
外に出ても誰もいません。弱い日差しの中に、小さな光が沢山飛んでいます。私は、木切れや釘や色々なものを拾ってきました。友だちを作る為です。でも、こんな世界に生まれてしまうことは、その子にとって幸せなのかしら、そんな疑問を胸の中に抱きながら…。
ガラクタの人形:
この世界は、やっぱり終わってしまっていた。もう命は生まれない。命あるものは彼女しか存在しない。いつか、遠い昔か遠い未来、僕は別の場所にいた。そこはとても賑やかな場所だった。でも、今は、もう帰れない。僕には、彼女が作ってくれた体があるから。
「どうしたの?」
「また作るの?」
「でも動かないんだよ。友だちはね、ないんだよ。」
「別なものを作るの?なにを?」
ガラクタの人形:
それは僕にもまだわからない。でも、彼女はガラクタを組み合わせて何か新しいものを作ることが出来る。それは僕には出来ない特別なことだ。
「そうだね、時間をかければ、何か素敵なものが出来るかもしれないね。何を作ろうか?」
ガラクタの人形:
こんな風に心躍るものがいい。彼女が作って僕が手伝う、それはとても素敵なことだ。僕は彼女の側にいよう。これからもずっと二人でいよう。そしていつか、この世界から出て行くんだ。昔僕がいた、暖かくて賑やかな世界へ。
そう、私の創造者は、あの謎の少女だ。あの子が欲しい。そう、遠い昔か遠い未来、私は別の場所にいた、それはそれは賑やかな場所だったのです。それこそ、南米なのです。でも、私はキモヲタという体のなかに縛られてしまってるんです。それは日本を捨ててまで渡米しても変わることはありませんでした。女の子との皮膚感覚は欠如したままだったのです。そして、このネオリベラル社会のNAFTAで搾取され、産業廃棄物として解体され、荒野の鉄くずとなったのでした。しかし、謎の女の子は私を再構築したわけです、虹コンとして。この皮膚感覚の欠落した世界に生まれて来たこと、それはサウダージなのです。私も中西部の荒野にいました。窓の外は荒野、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』の景色ですね。そう、このような荒野で、少女は死んだゴーレムを埋葬し、私を組み立てたのです。これは、その埋葬シーンです。ほんと、この景色は、私の出身地のアメリカ中西部の荒野そのものです。

で、私は未来に行くのですから、それは、未来に帰ることでもあり、それはまさに『Back to the future』なのです。『たんぽぽ娘』のマーク・ランドルフも未来の女性に出会いましたから。で、その子は、「一昨日はウサギに遭い、昨日は鹿に遭い、今日はあなたと出会った」とマークに告げ、その言葉は一ノ瀬ことみちゃんも使ってました。そして、そして未来の賑やかな場所、それこそ南米なのです。セクシュアリティーの謳歌、皮膚感覚による女性との触れ合い、こんな風に心躍るもの、そう心躍る踊りといえば、ラテンダンス、サルサ、サンバ、クンビアなど。ガラクタの人形は飛び跳ねて「こころおどるもの」を表現します。

智代も「家族は、なにも親子ではなく、仲間とも言える」と言ってましたから、そう、それはラテン文化に見いだしましたよ。まさに南米ラテン文化が「だんご大家族」だったのです。踊りを通じての大家族、そう、「哲学はダンスのようなもの」と言うニーチェの人生観、大家族、それは世界家族というインド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam」です。
物理学者の一ノ瀬夫妻は、
「この世界は美しい、悲しみと涙に満ちてさえ」
という言葉で世界を表しました。インドでは「サンサーラ(輪廻)」という言葉で世界を表します。そして、シッダールタは輪廻を「ドゥッカ(苦)」の一言で表現しました。で、私が世界を一言で表すのなら、「サウダージ」でしょうね。まっ、私ではなくて、南米のブラジル人ならそう思うのでしょうけれども。サウダージに悲しみと涙も含まれます。人生そのものがサウダージ、いわゆるサウダージ世界観です。だから、世界はサウダージ、それを美しいとするのは感性でしょうか?サウダージとLacrima(涙)の関連性は、この『True Tears』の記事で書きました。
ブラジル人っぽいバラック・フセイン・オバマも、
「失業で苦しんだ中西部の人々は、サウダージを表現する方法として銃や宗教にしがみつく」
と名言を残しました。まっ、「フラストレーションを説明する方法として」が正確ですが、まあ、同じ意味合いでしょう、シンボリズムでは、ていうかCLANNAD的に言えば幻想世界では、同じ意味合いなのです。そしてキモヲタたちは、アニメによって、とくに萌えによってサウダージを表現します。自分の世界を表現するのです。それが、世界を表現することに繋がるのです。
ガラクタの人形もまさにサウダージですね。その少女のサウダージの表現方法がガラクタの人形を組み立てることだったんですよ!『Sola』もそうですね。紙で弟を作り上げたというのも、まさに姉のサウダージでした。そして少女もピグマリオンのように自分の作った人形に話しかけます。

そして、このガラクタの手で少女の手に置いてるというのもサウダージ、これが皮膚でないというのもサウダージです。それは遠隔操作で女の子に触るようなもので、触覚はないですからね。私も数々の美少女キャラに萌えてきましたが、やはり皮膚感覚がないですからね、二次元(幻想世界)では。

しかし、ガラクタの人形は少女とアイコンタクト(目もないから視覚も当然なく実際にはアイコンタクトも取れない)によって、心はこのように繋がっているのでしょう。

しかし、それでは、スキンシップを取れません。皮膚感覚がないのですから。だから、この子と本当に触れ合えるようになりたいと思うからこそ、この荒野の世界を出たいと思ったのでしょうね。そして、少女もそう思ったはずです。少女は、ピグマリオンと同じく、生殖の相手を作ったのですが、ガラクタ人形には皮膚の感触がないのですから、なにしろガラクタでは、玩物として一人エッチに使えるが、セックスはできない。触れ合うことが出来ないのですから、お互いにエロティシズムを謳歌できません。そして皮膚感覚の欠落、それが「この世界は終わってしまった、もう命は生まれない、命あるものは彼女しか存在しない」となるんです。なにしろ、ガラクタには生殖器官がない、だからセックスできない、さらに精子バンクに登録できる精子すらない、よって子作りもできないから、日本のトキのよう絶滅してまいます。だから、皮膚感覚の欠落は世界の終わりなのです。虹コンは、キモヲタは、終末論的、悲観的なのです。消極的ニヒリストなのです。しかし、その皮膚感覚を追い求める意志が、未来への回帰と繋がるのです。それこそ、サウダージです。
サウダージは未来への志向性です。それは憧れでもあるのです。そして、未来に帰る、それは、まさに未来に故郷を求めることなのかもしれません。未来に郷愁を持つ、それがサウダージ。そう、未来を懐かしく思うことがサウダージなのです。私が南米に行って感じたのも、それなのです。はじめて行った場所なのに懐かしく感じたのです。それがまさにユートピアでありまだ実現してないもの、つまり「地が無い」というのがユートピアの意味なのですが、だからこそ今現在は無い、つまり来るべき未来、「未だ来ないもの」が未来、「未だに実現しない郷」が桃源郷でありユートピアなのです。孫文の「革命未だ成らず」も、サウダージを表現した言葉、つまり彼はユートピアンだったのであり、未来への志向性を持っていたわけなのです。過去も未来も、現在は経験できませんから、そういう意味では、ガラクタの人形にとって、遠い昔も遠い未来も同じだったのでしょう。だからサウダージは、過去も未来もどちらにも行くのです。つまり懐かしさは、過去と未来、関係ないのですから。
ガラクタの人形は言いました、
「そしていつか、この世界から出て行くんだ。昔僕がいた、暖かくて賑やかな世界へ。」
そう、私も日本から出て行った。しかしNAFTAは弱肉強食、自然淘汰、白人男性至上主義的恋愛資本主義型消費社会、清教徒倫理的なネオリベラル社会、そこで私は使い捨てられ、ガラクタ同然となりました。しかし、そのガラクタのスクラップを掻き集めて来て、虹コンとしてやっと組み立て直されました。萌えによって再構築したのです。もしこれが20年前で、インターネットがない時代だったら、萌え系アニメを見て、自分を再構築することも出来ませんでしたね。萌え系アニメがなかったら死んでたでしょう。で、虹コンとして再構築された。だから、今度はNAFTAから出て行こう。昔、また未来に私がいた、暖かくて賑やかな南米へ。
さて、先日は、バーバンクに行って、エキストラの事務所に登録して参りました。しかし、こういうのは、まったくのはじめてなので、少々緊張した、というか、ガチガチでした。まあ、ただ登録するだけだから、緊張するところなんて、まったくないんだけど、あそこが縮みまくってたので、キネシオロジカルに体は正直で、それほどまでに緊張してたのです。映画産業って、私とは、まったく無縁の世界ですからね。まるで一人だけヴァージンが紛れ込んでしまったという心境ですね。
さて、やはり写真撮影がありました。ヘッドショットといわれるものです。まっ、そのときのスマイルというのがわからない。やはり、ここはお忙しいところ同行していただいたアクション俳優である師Lanceさんに助言を仰ぎました。スマイルは「自然に」とのことです。しかし、自然というのが、とても難しい。自然のスマイルを作り出すのですから。つまり、演技というのは、演技なのです。本物ではないのです。しかし、それを本当のように見せる、自然のように見せる、そこは、「やはり俳優はスゴい」という畏敬の念を生じさせました。
レーガンもスゴいんですね。あの人は、手品師ですよ。だって、映画も嘘だってわかってても、名作にもなると、俳優が演技してるとうい意識がなくなりますからね、本当に見えてしまうんです。いつの間にか本物だと信じてしまう。それは、マジックにいくらトリックがあるってわかってても、観衆のなかで、肉眼で見ると、それは本当の事象に見えてしまうようなものです。魔導師はスゴいです。レーガンが語る「強いアメリカを復活させる!」というのが本当に聞こえたんです。小泉も演出の天才です。国民は、やはり嘘だとわかってても、信じてしまったんでしょう。手品ですよ。そういう面があったんですよ、小泉劇場というのは。そこが劇場型政治の恐ろしいところです。誤魔化されてしまうんです。郵政民営化をやれば、すべては解決されるという、そんなのはみんな嘘だとわかっていても、小泉自民党は大勝してしまうんです。魔導師というか偉大なる詐欺師です。でも、日本でああいう魔術師が出てくるのは本当特殊でしたね。魔術を使える政治家は、あの人ぐらいでしたから。まるで集団催眠でしたよ。でも、小泉が消えてよかった、手品が消えて。まるで目の前でパチンと指を鳴らして一気に催眠術が解けたように年金問題が噴出し、参議院で自民党が大敗したのですから。
まっ、話は戻して、で事務所は平日だというのに人が込んでましたね。行列ができてましたから、まるでDMV(自動車免許更新所)のような。それにしてもアメリカ人は、やはり背が高い。っていうか、アメリカ人から見たら、私が背が低いのか?みんな立ってると前が見えない。それも現実を直視させられる事態でしたね。そこの人たちは、やっぱ見かけも良かったですよ。自分の外見に自信がある人たちでしたね。中には「浪人」という漢字を自慢げに腕にタトゥーしている白人男性もいました。それほど体に自信があるのです。キモイ人はいませんでした。まっ、私ぐらいでしたね、あのなかでキモかったのは。
少なくとも、彼らは人口の70%がオーバーウェイトである典型的な米国人ではなかったですから、スタイルもよかったし、男も女から見たらモテそうなのは、いくらかいました。体育会系のDQNという感じでしたけどね、私にとっては。アメリカの女は筋肉質なのを好みますからね、洗脳されてるんですよ。ヒトラーの美的感覚と同じなんですよ。三島由紀夫のと同じなんですよ。三島もヒトラーを「わが友」と呼んでましたからね。DQNの美的感覚を称賛し、二人ともDQNの長になった。あの二人はもともと体育会系ではなかったのに…。アメリカも大統領に軍人出身が多いのも、そういうわけなんです。本当は、筋肉質じゃなくても、カッコいいはずなのに…。萌え系アニメでは、背が低くて痩せっぽちな男の子がモテるのに。
女の子も手術してまで豊胸する、あの気持ち悪いぐらいの馬鹿でかいバスト、逆三角のマッチョマンに巨乳女、それがアメリカ人の理想なんでしょうね。で、チンコも巨大でなければ行けない。私の迷惑メールのほとんどが、ペニス巨大化商品です。なんでも大きくないと行けない。女の子の迷惑マールは、豊胸商品なんでしょうね。Big is beautiful.なんですね。日本の「小さきものはいとかわいし」とは正反対なんです。この国はおかしい。間違ってるんだよ。そんなんでは、小柄な東洋人の男は駄目です。私もブロンドの綺麗な女の子から、
「アジアの男ってペニスが小さいのよね」
と言われたことがありますから。ショックでしたよ…その次の日は線路の上に立ってましたからね。あれで、アーリア人のbig is beautifulの神話を本気で解体したいと思うようになりました。ハリウッドに蔓延る白人男性至上主義を打破することを誓ったのです。だから、yellowworld.orgの運動を支持するようになりました。アメリカ人の美的感覚がハリウッドの独占市場によって開発されるので、その開発独裁を崩壊させるためにも、もっと萌え系アニメを広げなければなりません。それによって、小さい人も性的対象になるようにするのです。つまりセクシュアリティーの解放なのです。
乃絵タンのような小さい子が称賛されることを目指す。だから『アメリカン・アイドル』でラミエルが出て来た時は、本気で応援したんですけどね。いやー、現実の子で、あれほど萌えたのは、ラミエルぐらいでしたねー、へへへへっへ。ラミエルタンは乃絵タンよりも背が小さいんじゃないかなぁ。ラミエルタンが歌ってる時は、歌はあんまり聴いてなかったですからね。そもそも私が奇声を上げていたので。自分の奇声で歌が聞こえなかったというのが正しいかも。
閑話休題、また話は飛んでしまいましたが、でも、事務所の女性は綺麗な子が多くて、背が高くて脚が長かったですね。天然のブロンドガールもいました。しかし、お尻のスゴいラテン系の女の子はいませんでした。それは、残念。だって、ロスはラテン系が多いんですよ、なのに一人も見かけなかった。残念だ。そういう意味では、千差万別さに欠けたかなぁ。
でも、緊張した、一時間もずっと並んでたし、立ちっぱなしで脚も疲労して、それでやっと受付のところに辿り着いて、登録しました。受付の子は、かわいい黒人の子で、とくにヘアスタイルがよかったですね。
「待ったかいがあったー!」
と嬉しくなりました。で、その子、なんと私の髪を褒めてくれたんですよ。
「あなたの髪、好きだわ」
って。私は、
「ぐふふふふふふふふ!」
って、なってしまいましたよ。いやー、女の子に褒められるなんてー。くわーかっっかかー!!!私はキモヲタだから、そんなのとはまったく無縁だと思ってました。それに私の髪型はどちらかというと江頭2:50みたいなものですから。でも、今日は久しぶりにヘアクリームでセットしていきましたから、でへへ、で、まさか褒められるとは、それで、私の緊張は吹っ飛びましたね。で、私もその子に、
「あなたの髪も素敵ですね」
って言いましたよ。そしたら、彼女も笑って、
「ありがとう」
って言ったんですよ!写真撮っておけば良かったなぁ、でも、注意書きに「写真禁止」と書いてあったので、無理でした。逮捕されかねないですからね。女性に褒められた、あぁ、なんと嬉しいことか…、涙が出て来る、今までのキモヲタ人生、その苦しみがすべてフラッシュバックで蘇り、その悦びを純粋に堪能したのです。まるでマラソンランナーがゴールしたときのように。そういえば、南米に行った時も、女の子は、私の外見はまったく褒めてくれなかったなぁ。まぁ、スキンシップがあれば、それだけで花火なので、褒められることなんかどうでもいいんですが。なにしろ異性とのスキンシップこそが大事ですからね。まっ、でも彼女は、私があまりにもガチガチだったために、単に緊張をほぐす為にそう言っただけなんでしょうけどね。
その後、カメラ室に行って、ヘッドショットの写真を撮りました。女の子に褒められた嬉しさでニヤニヤしてました。そしてキヨシ・スマイルをばっちし決めました。「はい、チーズ」ではなくて、「はい、072」の2で、にっこり笑いました。
そして帰り際、偶然、ディズニー社の本部の前を通りました。バーバンクは、いろいろなスタジオが集まってるんですね。なんか世界のテレビと映画産業の総本山って感じです。NBCもあったし。日本で好きだった『世界まる見えテレビ特捜部』でいつも見てた景色があったのですから、中西部出身の私には、驚くことでした。
いやー、でもコールバックあるのかなぁ。私はキモイからなぁ。でも、エキストラにキモイのは関係ないっか?エキストラはただのバックグランドだからね。
さて、やはり写真撮影がありました。ヘッドショットといわれるものです。まっ、そのときのスマイルというのがわからない。やはり、ここはお忙しいところ同行していただいたアクション俳優である師Lanceさんに助言を仰ぎました。スマイルは「自然に」とのことです。しかし、自然というのが、とても難しい。自然のスマイルを作り出すのですから。つまり、演技というのは、演技なのです。本物ではないのです。しかし、それを本当のように見せる、自然のように見せる、そこは、「やはり俳優はスゴい」という畏敬の念を生じさせました。
レーガンもスゴいんですね。あの人は、手品師ですよ。だって、映画も嘘だってわかってても、名作にもなると、俳優が演技してるとうい意識がなくなりますからね、本当に見えてしまうんです。いつの間にか本物だと信じてしまう。それは、マジックにいくらトリックがあるってわかってても、観衆のなかで、肉眼で見ると、それは本当の事象に見えてしまうようなものです。魔導師はスゴいです。レーガンが語る「強いアメリカを復活させる!」というのが本当に聞こえたんです。小泉も演出の天才です。国民は、やはり嘘だとわかってても、信じてしまったんでしょう。手品ですよ。そういう面があったんですよ、小泉劇場というのは。そこが劇場型政治の恐ろしいところです。誤魔化されてしまうんです。郵政民営化をやれば、すべては解決されるという、そんなのはみんな嘘だとわかっていても、小泉自民党は大勝してしまうんです。魔導師というか偉大なる詐欺師です。でも、日本でああいう魔術師が出てくるのは本当特殊でしたね。魔術を使える政治家は、あの人ぐらいでしたから。まるで集団催眠でしたよ。でも、小泉が消えてよかった、手品が消えて。まるで目の前でパチンと指を鳴らして一気に催眠術が解けたように年金問題が噴出し、参議院で自民党が大敗したのですから。
まっ、話は戻して、で事務所は平日だというのに人が込んでましたね。行列ができてましたから、まるでDMV(自動車免許更新所)のような。それにしてもアメリカ人は、やはり背が高い。っていうか、アメリカ人から見たら、私が背が低いのか?みんな立ってると前が見えない。それも現実を直視させられる事態でしたね。そこの人たちは、やっぱ見かけも良かったですよ。自分の外見に自信がある人たちでしたね。中には「浪人」という漢字を自慢げに腕にタトゥーしている白人男性もいました。それほど体に自信があるのです。キモイ人はいませんでした。まっ、私ぐらいでしたね、あのなかでキモかったのは。
少なくとも、彼らは人口の70%がオーバーウェイトである典型的な米国人ではなかったですから、スタイルもよかったし、男も女から見たらモテそうなのは、いくらかいました。体育会系のDQNという感じでしたけどね、私にとっては。アメリカの女は筋肉質なのを好みますからね、洗脳されてるんですよ。ヒトラーの美的感覚と同じなんですよ。三島由紀夫のと同じなんですよ。三島もヒトラーを「わが友」と呼んでましたからね。DQNの美的感覚を称賛し、二人ともDQNの長になった。あの二人はもともと体育会系ではなかったのに…。アメリカも大統領に軍人出身が多いのも、そういうわけなんです。本当は、筋肉質じゃなくても、カッコいいはずなのに…。萌え系アニメでは、背が低くて痩せっぽちな男の子がモテるのに。
女の子も手術してまで豊胸する、あの気持ち悪いぐらいの馬鹿でかいバスト、逆三角のマッチョマンに巨乳女、それがアメリカ人の理想なんでしょうね。で、チンコも巨大でなければ行けない。私の迷惑メールのほとんどが、ペニス巨大化商品です。なんでも大きくないと行けない。女の子の迷惑マールは、豊胸商品なんでしょうね。Big is beautiful.なんですね。日本の「小さきものはいとかわいし」とは正反対なんです。この国はおかしい。間違ってるんだよ。そんなんでは、小柄な東洋人の男は駄目です。私もブロンドの綺麗な女の子から、
「アジアの男ってペニスが小さいのよね」
と言われたことがありますから。ショックでしたよ…その次の日は線路の上に立ってましたからね。あれで、アーリア人のbig is beautifulの神話を本気で解体したいと思うようになりました。ハリウッドに蔓延る白人男性至上主義を打破することを誓ったのです。だから、yellowworld.orgの運動を支持するようになりました。アメリカ人の美的感覚がハリウッドの独占市場によって開発されるので、その開発独裁を崩壊させるためにも、もっと萌え系アニメを広げなければなりません。それによって、小さい人も性的対象になるようにするのです。つまりセクシュアリティーの解放なのです。
乃絵タンのような小さい子が称賛されることを目指す。だから『アメリカン・アイドル』でラミエルが出て来た時は、本気で応援したんですけどね。いやー、現実の子で、あれほど萌えたのは、ラミエルぐらいでしたねー、へへへへっへ。ラミエルタンは乃絵タンよりも背が小さいんじゃないかなぁ。ラミエルタンが歌ってる時は、歌はあんまり聴いてなかったですからね。そもそも私が奇声を上げていたので。自分の奇声で歌が聞こえなかったというのが正しいかも。
閑話休題、また話は飛んでしまいましたが、でも、事務所の女性は綺麗な子が多くて、背が高くて脚が長かったですね。天然のブロンドガールもいました。しかし、お尻のスゴいラテン系の女の子はいませんでした。それは、残念。だって、ロスはラテン系が多いんですよ、なのに一人も見かけなかった。残念だ。そういう意味では、千差万別さに欠けたかなぁ。
でも、緊張した、一時間もずっと並んでたし、立ちっぱなしで脚も疲労して、それでやっと受付のところに辿り着いて、登録しました。受付の子は、かわいい黒人の子で、とくにヘアスタイルがよかったですね。
「待ったかいがあったー!」
と嬉しくなりました。で、その子、なんと私の髪を褒めてくれたんですよ。
「あなたの髪、好きだわ」
って。私は、
「ぐふふふふふふふふ!」
って、なってしまいましたよ。いやー、女の子に褒められるなんてー。くわーかっっかかー!!!私はキモヲタだから、そんなのとはまったく無縁だと思ってました。それに私の髪型はどちらかというと江頭2:50みたいなものですから。でも、今日は久しぶりにヘアクリームでセットしていきましたから、でへへ、で、まさか褒められるとは、それで、私の緊張は吹っ飛びましたね。で、私もその子に、
「あなたの髪も素敵ですね」
って言いましたよ。そしたら、彼女も笑って、
「ありがとう」
って言ったんですよ!写真撮っておけば良かったなぁ、でも、注意書きに「写真禁止」と書いてあったので、無理でした。逮捕されかねないですからね。女性に褒められた、あぁ、なんと嬉しいことか…、涙が出て来る、今までのキモヲタ人生、その苦しみがすべてフラッシュバックで蘇り、その悦びを純粋に堪能したのです。まるでマラソンランナーがゴールしたときのように。そういえば、南米に行った時も、女の子は、私の外見はまったく褒めてくれなかったなぁ。まぁ、スキンシップがあれば、それだけで花火なので、褒められることなんかどうでもいいんですが。なにしろ異性とのスキンシップこそが大事ですからね。まっ、でも彼女は、私があまりにもガチガチだったために、単に緊張をほぐす為にそう言っただけなんでしょうけどね。
その後、カメラ室に行って、ヘッドショットの写真を撮りました。女の子に褒められた嬉しさでニヤニヤしてました。そしてキヨシ・スマイルをばっちし決めました。「はい、チーズ」ではなくて、「はい、072」の2で、にっこり笑いました。
そして帰り際、偶然、ディズニー社の本部の前を通りました。バーバンクは、いろいろなスタジオが集まってるんですね。なんか世界のテレビと映画産業の総本山って感じです。NBCもあったし。日本で好きだった『世界まる見えテレビ特捜部』でいつも見てた景色があったのですから、中西部出身の私には、驚くことでした。
いやー、でもコールバックあるのかなぁ。私はキモイからなぁ。でも、エキストラにキモイのは関係ないっか?エキストラはただのバックグランドだからね。
ああ、私は『CLANNAD』の16話の映像を見た時に、ぐわいーってなりました。この3分18秒目からの食堂で藤林シスターズと岡崎が学食を食べてるとことです。つまり、姉の杏が岡崎に、
「おまえ、彼女いないんだってね?」
ときいていて、それで妹の椋が横で見てる。そして、岡崎が、
「どうしてそんなことしつこくきくんだ!」
って怒って、で、椋のほうを見たら、彼女は、「はっ」となって、慌てふためいて下を向いたんですよ。私は、
「むぎぶぶうぶぶぶぐがうあうあがうあうあうああがががぁぁぁぁあああああ!!!!!」
と奇声を上げてしまいました。多分、近所迷惑になってしまったでしょうね。全身の毛穴が一気に引き締まり、鳥肌が立ち、電気ショックが頭のてっぺんからつま先まで、まるで落雷のようにバシーンっと走りましたよ。いやー、でもかわいいなぁ、あんなに顔が赤くなってるんだもん。しかも、恥ずかしがっているところが、ぐむー、キュート!!!なんてくぁわいいんだぁあ!あんなかわいい子は現実にいるだろうか?ぶひぶひぶひ、っと私は豚のように絨毯に這いつくばり、その衝撃の映像を100回ぐらい再生しちゃいました。やべー、中毒だ。まるで阿片中毒になったような。いわば萌えです、これぞ萌え炸裂!
ああ、あんな子が日本にいたら、絶対に渡米することはなかったでしょうね。日本を捨てることはなかったんだ!きぃいいいいいってなっちゃいますよ。あの子だったら、もうね、絶対に一発で恋に落ちちゃうでしょうね。あんな恥ずかしそうに、でも好きな感情を隠さないというのも、ふわっはっはあ。恥ずかしそうにしてるんだけど、積極的だよねー、女の子から、食事に誘うなんてさぁ、丁寧で恥ずかしそうに、
「迷惑じゃないですよねぇ」
って言いながら、ねぇ、で、お姉ちゃんも実は好きだからねぇ、岡崎のことが、でぇっへへへへー!ああああ、天国だー!くっそー、岡崎め、なんて幸せな野郎だ!だからあいつは私のように外国に出ることを考えないんだ。
しかし、現実の世界、特に日米のジェンダー史観は、男が女性を誘うものだというふざけた言説がある、ルールがあるんですよ。食事に誘うのはかならず男、金を払うのも男、そういう恋愛マニュアルなんです。それを打破してくれるのがフェミニズムだと思ってるんですが、フェミニストがそれを奨励しちゃってるんですよ。つまり、雇用においては平等を求めるけど、恋愛では男性にリードして欲しいと思ってるんです。ほんとイエスから言わせればパリサイ派ですよ。その偽善ぶりには失望させられます。それでは、DQNの思うつぼです。DQNが称賛される恋愛体系のままなのです。だから、恋愛においてこそ、男性至上主義を破壊しなければならないのに!それこそが本当のフェミニズムというものだ!だから、この藤林姉妹は、天国、桃源郷を体現しているように見えたのです!
「おまえ、彼女いないんだってね?」
ときいていて、それで妹の椋が横で見てる。そして、岡崎が、
「どうしてそんなことしつこくきくんだ!」
って怒って、で、椋のほうを見たら、彼女は、「はっ」となって、慌てふためいて下を向いたんですよ。私は、
「むぎぶぶうぶぶぶぐがうあうあがうあうあうああがががぁぁぁぁあああああ!!!!!」
と奇声を上げてしまいました。多分、近所迷惑になってしまったでしょうね。全身の毛穴が一気に引き締まり、鳥肌が立ち、電気ショックが頭のてっぺんからつま先まで、まるで落雷のようにバシーンっと走りましたよ。いやー、でもかわいいなぁ、あんなに顔が赤くなってるんだもん。しかも、恥ずかしがっているところが、ぐむー、キュート!!!なんてくぁわいいんだぁあ!あんなかわいい子は現実にいるだろうか?ぶひぶひぶひ、っと私は豚のように絨毯に這いつくばり、その衝撃の映像を100回ぐらい再生しちゃいました。やべー、中毒だ。まるで阿片中毒になったような。いわば萌えです、これぞ萌え炸裂!
ああ、あんな子が日本にいたら、絶対に渡米することはなかったでしょうね。日本を捨てることはなかったんだ!きぃいいいいいってなっちゃいますよ。あの子だったら、もうね、絶対に一発で恋に落ちちゃうでしょうね。あんな恥ずかしそうに、でも好きな感情を隠さないというのも、ふわっはっはあ。恥ずかしそうにしてるんだけど、積極的だよねー、女の子から、食事に誘うなんてさぁ、丁寧で恥ずかしそうに、
「迷惑じゃないですよねぇ」
って言いながら、ねぇ、で、お姉ちゃんも実は好きだからねぇ、岡崎のことが、でぇっへへへへー!ああああ、天国だー!くっそー、岡崎め、なんて幸せな野郎だ!だからあいつは私のように外国に出ることを考えないんだ。
しかし、現実の世界、特に日米のジェンダー史観は、男が女性を誘うものだというふざけた言説がある、ルールがあるんですよ。食事に誘うのはかならず男、金を払うのも男、そういう恋愛マニュアルなんです。それを打破してくれるのがフェミニズムだと思ってるんですが、フェミニストがそれを奨励しちゃってるんですよ。つまり、雇用においては平等を求めるけど、恋愛では男性にリードして欲しいと思ってるんです。ほんとイエスから言わせればパリサイ派ですよ。その偽善ぶりには失望させられます。それでは、DQNの思うつぼです。DQNが称賛される恋愛体系のままなのです。だから、恋愛においてこそ、男性至上主義を破壊しなければならないのに!それこそが本当のフェミニズムというものだ!だから、この藤林姉妹は、天国、桃源郷を体現しているように見えたのです!



4月20日はヒトラーの誕生日、で、1999年の同じ日に、コロラド州でコロンバイン高校で、ヒトラーの思想を受けた高校生二人が同級生を虐殺しました。また1995年の4月19日にはオクラホマ州の州都オクラホマシティーで連邦ビルが白人至上主義テロリストによって爆破されました。その犯人もヒトラーの思想を受けた人で、彼の読んだ小説に『ターナーの日記』がありますが、その中でヒトラーは『グレート・ワン』と呼ばれ、白人至上主義者がテロリズムでアメリカを乗っ取ることが書かれています。19日はいわゆるヒトラーの誕生日イブとなるのでしょうか?その日はバイエルン人のラッツィンガーがローマ教皇に就任した日でもあります。それも奇遇?だから、4月はとにかく危ない月なのです。
それにしても、ローマ教皇の誕生日4月16日が、ヴァージニア工科大学虐殺事件の日だとは。しかも、ローマ教皇は、アメリカのホワイトワウスでハッピーバースデーを祝いました。ブッシュ大統領が、バースデーソングを教皇に歌いました。私は、生放送でその中継を見ていました。ヒスパニックのチャンネルもローマ教皇訪問を生放送でカヴァーしてました。やはり、ヒスパニックはカトリック文化ですから、教皇は、パパです。スペイン語では、教皇のことをpapaというのです。英語では、「daddy」という意味ですね。そして、女性は司祭になれないと言う、それは、「mama」がないからです。女性教皇というのは、出て来れないのです。なぜなら、スペイン語で、教皇をパパというので、女性が教皇になったら、ママとなってしまうからです。そう、言葉でジェンダーを縛り付けてしまっているのです。だからファロゴセントリズムなんですよ。よって、その解決策として、教皇はpontiff(橋を造る人)とするのが、いいでしょう。
そしてなによりも白人以外の教皇が出てこない。つまり白人男性至上主義なんです。だから、異端者である魔女を虐殺していきました。ハプスブルグ帝国のスペイン人は米大陸の原住民をどんどん奴隷化して改宗していきました。ペルーのクスコは跡形もなく破壊され、その上に教会が建てられたことからもその残虐性がわかります。そのような宗教が人工中絶もコンドームも同性愛も認めないのは頷けます。非常に時代錯誤な宗教なのです。同じハプスブルグ帝国から来た貧乏画家が指導者となったナチスは同性愛に反対で、同性愛者を虐殺しました。そしてナチスの異端者は、近所から消されました。教皇はナチスの活動が最も盛んだったバイエルンでその思想を吹き込まれたヒットラーユーゲンドでした。だから、彼のイスラムへの敵対心はとても強いのでしょう。またユダヤ教徒を改宗させる聖句を復活させたのですから。ヨーロッパ人のセム人との対立、アーリア人対ユダヤ人、それはDQNの集まりの十字軍でもそうですし、お互いに聖戦(ジハード)を掲げて虐殺行為に及ぶという、イエズス会なんて、「教皇の精鋭部隊」というほどの軍隊形式の組織で、まさに体育会系揃いでした。それが、どんどん南米の先住民を改宗していったわけです。「銃か聖書」か、まるでイスラム教の「剣かコーラン」かです。つまりテロリスト原理主義の原点がそこにあるのです。そして、アメリカの国粋主義には、銃と聖書に星条旗まで加わりました。
キリスト教対イスラム教、アメリカのKKKは、イエスをアーリア人だとしてますし、黒人至上主義の教会では、イエスを黒人だとしてます。つまり、イエスはセム系ではないとされているのです。そして、マルコムXは、マホメットを黒人至上主義者と演説しています。どうしてそこまで過激になれるのか、それはやはり宗教そのものがいけないんですね。というか、その神です。セムの宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、残虐性においては世界一です。唯一神は嫉妬の神で、異教徒を抹殺するよう命じますし、同性愛の町はヤハウェ自ら殲滅しました。『天空の城ラピュタ』のムスカもそれに言及してます。また、新約聖書自体、ギリシャ語で書かれているので、キリスト教はヨーロッパ源流なのです。それで、キリスト教=ヨーロッパの宗教となったのですね。とくに教皇はローマ皇帝の神祇官のタイトルをそのまま引き継いだのですから。だから、シーザーもローマ教皇だったのです。つまりペテロが初代ローマ教皇ではないのです。そしてローマを築いたのはトロイの末裔ですし、そうなると、やはりギリシャに辿り着くのです。だから、キリスト教とヨーロッパ中心主義は結びついたのです。それが、植民地主義と帝国主義が結びつき、「White man's burden」となったのです。イタリアがヴァチカンを独立させたのは間違いでした。そしてヴァチカンの国家元首が訪米している、そしてホワイトハウスで誕生会を開いたのです。アメリカは、ローマ帝国とは、いや古いヨーロッパとは決別したはずです。あのラムズフェルドの「古いヨーロッパ発言」はなんだったのか?私は、ラムズフェルドの言葉に賛同しましたが、それはただのパフォーマンスだったのでしょうか?しかし、そのローマ帝国の神祇官の誕生日を祝うなんて、米国がまだヨーロッパ至上主義のように思えてなりません。
で、同じ日にヴァージニア工科大学では、追悼式がありました。チョ・スンヒというラブシャイが起こした事件でした。あのような頭脳明晰な学生が集まる大学で、そのような虐殺事件が起きたのも珍しいことです。やはり、それは移民として迫害を受けた、それてセクシュアリティーを謳歌できなかったことでしょうね。チョは、詩のクラスをとっていて、チョの詩は、とても残虐性に満ちたものでした。それで、教授から注意を受けたそうです。しかし、それは、彼に皮膚感覚が完全に欠落していたからでしょうね。女性とのスキンシップ、それが欠落していた為に、彼は頭の中に空想のガールフレンドを作り、つまり脳内嫁と一緒に異次元世界にいました。いわば、幻想世界でしょうか?それは二次元でも四次元でもないですが、とにかく妄想に耽っていたんです。しかし、体は現実世界にある、どんなに脳内嫁を想像しても、現実の女の子との皮膚感覚の刺激は、やはり花火です。空想の女の子との皮膚感覚はないのですから。だから、とうとう限界点を越えてしまい、女の子にさわりたい一心でストーカー行為に及んでしまったのです。でも、好きな子に告白しようとして近づいたらストーターと勘違いされたということもあるかもしれませんが…。まっ、アメリカは、日本の学園と違ってそんなに話したこともない相手にいきなり告白するという文化ではないですからね。
私は二次元で、萌え系アニメで女性キャラに萌えます。だから、私は虹コンなんです。やはり本物の女の子に触れたい欲求は、増幅するばかり。しかし、女の子との皮膚感覚はまったくない。とくに日本社会は異性との接触を嫌う馬鹿な風習ですから、そんなところにいたら、ほんと健全な精神の持ち主でも病んでしまいます。あそこは、病気になる為に病院に行くようなところで、病気を治す為に行く病院ではありません。それが、日本社会です。小泉の登場で、ネオリベラル政策が行われ、ワープアなる貧乏人が増えて、それでさらにキモヲタが増えてしまったんです。
でも、キモヲタは、現在では最低、自己表現する場を獲得したそうです。女の子でも、ヲタクが増えてきたそうだし、アニヲタの人口が増えてきました。だから、最低キモヲタの話を聞いてくれる人が出て来たんです。しかし、チョの場合はそうは行かなかった。彼は、自己表現のメディアとして詩を選び、クラスをとりましたが、その詩があまりにも残虐性を帯びていた為、みんな「こいつはやばい」と認めず、また教授にも注意されました。しかも、教授はアメリカで著名な詩人であるニッキー・ジオヴァンニ、その人はチョの詩を読むことさえも否定したわけです。次そういう詩を書いて来たら、クラスから追放すると警告したのです。つまり、だれも聞いてくれなかったのです。それが、彼にとってもっともショックなことだったんでしょうね。その詩の残虐性は、やはり社会に対する恨みからだと思いますが、チョは、サウダージを表現する場さえ否定されたのです。Clannadのことみちゃんは、ヴァイオリンでサウダージを自己表現しました。そして、たとえヴァイオリンの音色は残虐性に満ちていようとも、せめて彼女にはそれに協力してくれる学友がいましたから。オバマは、「中西部の労働者階級はサウダージを銃や聖書、いわゆる国粋主義で表現する」という名言を残しました。つまり、銃と聖書と星条旗の三種の神器です。そして、私のようなキモヲタは、萌え系アニメによって、そして、貧乏ブラジル人はサンバで、ブルジョアの悩める恋人たちはボサノバで、米国南部の黒人労働者階級はブルースで。しかし、チョは、サウダージを銃に結びつけてしまったのです。
しかし、彼はスポーツもできて、勉強もできたそうです。それでも、女性との皮膚感覚は伴わなかったんですね。やはり、アメリカはとても冷酷な社会です。私は、スポーツも勉強も苦手だったので、他のクラスメイトよりも修得するのが遅かったので、それでDQNにイジメられて、そんなイジメられっ子を助けてくれる女の子はいませんでした。しかし、たいてい、スポーツもできて、勉強もできれば、体育祭でも中間テストの学年順位の発表でも注目を浴びるし、モテるんですけどね。かならずしもモテなくても、人気者にはなれますよ。それで、皮膚感覚も伴うようになるはずです。それに、彼は東洋系にしては身長も低くなかったそうでし。アメリカでは、移民だとそうもいかないのか?どうしても「外人」しかも、アメリカ女は、男とは違って、基本的に移民の男は恋愛対象外ですからね。セックスの対象外なんですよ。とくに、アジア系の男だと、そうですよね。とくに、ヴァージニアは歴史も古く、建国13州の中心でしたし、また南北戦争の奴隷制度を擁護したアメリカ連合国(南部)の中心で、首都がヴァージニアの州都のリッチモンドでした。ヴァージニアにはJDデー(ジェファーソン・デイビス大統領の記念日)があるほどです。だから、ある意味中西部よりも歴史的に保守的な州だったこともあって、移民であるチョは、日本のキモヲタよりもはるかに大変な思いをしたと思います。彼は、虐殺行為に及んでしまったのですから。
アメリカは人種社会です。ハリウッドがいけません。ハリウッドやテレビでの東洋人の出番は限られているし、来る役としたら非東洋系アメリカ人が東洋人にいだいている偏見そのものですよね。それは、撲滅されるべきです。東洋人にまず、ロマンスがない。キスシーンもベッドシーンもない。あるとしたら、東洋の女ぐらいですが、東洋の男性では、まったくないです。売春婦とセックスしているシーンぐらいです。東洋の男優には、セクシーさが求められてない。東洋系の男性にはまったくエロチックさが映画から欠落している、それが実生活で反映されてしまうのです。私に東洋系アメリカ人の俳優の知り合いがいますが、彼はやはり俳優だけあって、女の子からモテますが、そんなモテる彼ですら、東洋系の男はモテないと言ってましたからね。だから、これは、私個人がモテないから僻んで主張していることではなく、客観的事実なのです。
だから、二次元からまず改革しないと行けないのです。いわゆる上層部の改革です。それはハリウッド映画産業にアファーマティブ・アクションを取り入れ、東洋の男優に主役になるチャンスを与える。それも、ロマンスとエロティシズムが伴う役。そう、アメリカ人女性の欲望の対象としなければならないのです。しかし、東洋人のネガチブイメージがずっと垂れ流しだった。マイノリティーモデルとして、社会的地位は高いんだけど、恋愛とセックスの対象になってないのがいけない。白人アメリカ人だって、眼鏡をかけてる人が多いのに、黒人だって、マルコムXが眼鏡かけてたっていうのに、東洋人と思うとかならず思い浮かべるのが眼鏡。本当、憤慨します。裕仁もフジモリもチョ・スンヒも、アメリカ人の東洋系に対するステレオタイプにハマってしまうんですよ。



そういえば、ペルーでも、そうですよ。東洋人と言えば、眼鏡、そうあのフジモリも、眼鏡をかけてましたからねー。なんでコンタクトにしないのか。なんでレイシックを受けないのか。ほんと、悪いイメージです。三枚目なんですよ、東洋系の男は。三枚目では、セクシュアリティーは欠落してしまうのです。裕仁もそうでしたし、チョ・スンヒも眼鏡猿でしたね。「東洋人=眼鏡猿」という最悪なステレオタイプです。私はペルーで、パーティーで会ったセクシーで知的な女性にききましたよ、
「フジモリはセクシーだと思う?」
って。そしたら、彼女は表情を曇らせて、
「いや、知的だとは思うよ」
と言ってました。ほら、見ろ。ペルーでもっとも有名な東洋系男性があれじゃ、どうしょうもない。まあ、私は、その女性の腰ばかりに気が行っちゃって、なにを話したのか、あまり…、というか、私のスペイン語のレベルでは、あまり深入りした会話はできなかったこともありましたから。社会学の先生かなんかで、貧困問題に取り組んでいると言ってましたけど、私の言語レベルでは、詳しいことを知るにはちょっと無理だった、あぁ、彼女が英語を話せたら、会話できたのに。でも、ラテンの腰はめっちゃすごかった。
「おお、神よ!なんで、あんなダイナマイトのような撃滅的で官能的な腰をお造りたもうたか!」
と嘆いてしまいました。あの時は、さすがに私の無神論も揺らぎましたよ。もう、あの腰に手を回したくてしかたがなかった、だから一刻も早く彼女と踊りたかったんですよ。あれで女の子を見る目が変わりました。今までは、胸ばっかりに目が行ってたんですが、あれ以来、下部に移りましたね。そう、お尻に目が行くようになったんです。北米から南米に行ったように、胸からお尻に移動したんです。つまり、私のWeltanschauung(世界観)が変化したんです。
でも、私のようなキモヲタで東洋の男が女の子と踊れたんだし、私がシングルだというと、女の子が、
「じゃ、あたしの友だちにシングルの子がいるから、今度パーティーに連れてくるよ」
と言って、最初は冗談だと思ったんですが、本当にシングルの子を連れてきましたからね。非常に驚きました。キモヲタでも、ちゃんと女性との出会いの場を提供してくれるのは、ほんと、ラテン文化だと思いましたよ。その子たちに、キモヲタがどういうものなのか、スペイン語で一所懸命説明しましたけど、たぶん伝わらなかったでしょうね。ほんと、言語力がないということは、命取りです。あぁ、スペイン語をマスターしなければ!
そういえば、ペルーのテレビ番組でも、褐色の俳優は少なかったですね。リマで白人を見かけたこともないんですが、テレビだとやたらと白人が多いのです。それは、ちょっとびっくりしましたね。だって、ペルーの人って、ほとんどが褐色ですよ。なんかペルーの実体生活を反映してないなぁと思いました。しかし、それでも、ロマンスは人種を越えてますよね。それは、スゴいと思いました。だって、私のような外国人、異人種、異文化、それにスペイン語も話せない、それなのに、女性が、
「ガールフレンドいるの?」
って初対面できいてくるし、
「いなかったらそれじゃ」
とデートの機会をうかがうんですよ。「ガールフレンドいるの?」って女の子にきかれたことがないですからね。「ガールフレンドいないでしょ?」は何回もありましたけど。悲惨でしたよ。つまり、逆に言えば、「あなたに彼女は絶対出来ない」と思い込まれてるのと同じです。最初っからセックスの対象になってないってことですから…
。まぁ、キモヲタだったんで、仕方ないでしょうね。でも、はじめて「ガールフレンドいるの?」と質問された言葉が、日本語でも英語でもなく、スペイン語っていうのが、スゴかったです。でも、私は、旅行の予定が入ってたし、そんなことも予想してなかったので、、女性と交わる時間がなかったのは、非常に悔しい。だから、絶対に南米に戻りたいんです。チョ・スンヒは、南米に移住するべきでしたね。アメリカじゃ、ロマンスにおいては人種差別社会だし、東洋系の男性はセクシーモデルとして絶対に女性雑誌に載らないし。私は女性雑誌もちょこちょこチェックしてますが、セックスの欄で、モデルの男はかならず白人ですね。ときたま黒人、ラテンもいますが、東洋系はまずないですね。アメリカの男は女性に対して幅広いですよ、だって、どの人種の女性もセックスの対象ですから。五大陸すべての女性とやりたいんですから。しかし、アメリカの女性は五大陸の男すべてとやりたいとは思っていません。とくに東洋の男は省かれてしまっています。それは、アメリカの男が、女性の性欲をそう開発してしまったためです。ハリウッド映画産業をはじめとして。つまり、ハリウッドも男性至上主義なのです。女性を国内にとどめる、そう、人種内にとどめようとする白人男性至上主義が、アメリカの女を洗脳してしまっているのです。そして、その最悪な結果があのヴァージニア虐殺でした。だからこそ、女性のセクシュアリティー解放が、東洋系のキモヲタを救うはずなのです。それには、白人男性至上主義を打破することなのです!
まぁ、黒人男性もセクシーとされてますね。オバマも、オバマガールがいますし。オバマがセクシーとされるんです。ホットとされるんです。でも、オバマは黒人と言っても、普通の黒人とは違う。オバマは幼少時代、インドネシアに住んでましたから、東南アジア文化もわかってるんです。まぁ、彼は黒人というより混血で、ブラジル人っぽいですね。ブラジル代表のカナリアのユニフォームを着ても似合いそうですよね。ほんと、いろんな血と文化が混ざり合っていて、多文化主義の理想を体現した人って感じです。純黒人じゃないところが、また白人系アメリカ人にも気に入られてるところかもしれない。ああ、でもブラジルに行きたいなぁ、なにしろ音楽がいいですよね。それにオバマは表面的にはキリスト教徒だと言ってますけど、あれは本当は私と同じで無神論者ですよ。だからそういう人が大統領になれば、アメリカの狂信的原理主義も弱まりますよ。あんなふざけた宗教を本気で信じてること自体時代錯誤ですからね。キリスト教を信じれば信じるほど、自分はヨーロッパ文化の末裔という意識が強くなりますからね。アメリカはヨーロッパではないのに。それが、白人至上主義と結びつくのです。ヨーロッパよりも精神性が遅れているのはアメリカとしては恥です。アメリカはなんでもナンバーワンでなければならない、世俗化の面でもそれは同じです。だから、ヨーロッパよりも進んでないと行けないのです。アメリカから見たらヨーロッパは古いんですから、アメリカが新しいことでリードしなければいけないのです。「古いヨーロッパ」がアメリカに歯が立つはずがないのです。だって、ヒトラーが出て来たところですよ、ヨーロッパって。まだ教皇が国を持ってるところですよ。王様や貴族が未だにいるんですよ。宗教国や君主国なんて、民主主義に真っ向から反する制度ですからね。どう考えても政治システムではアメリカが進んでるじゃないですか?しかし、そんなヨーロッパに現在アメリカが精神面で遅れてるなんて…。清教徒倫理の宗教にしがみついているアメリカなんて古いヨーロッパよりも古くさいですからね、そんなのからは、脱皮しなければなりません。古いアメリカなんて、壊さなければなりません。新しいものを作り為には古いものを破壊しなければならないのです。でないと、アメリカとしての顔が立ちません。そして、その世界最先端のアメリカを実現可能にしてくれるのがオバマだと思います。というか、今の政治家の中では、オバマがその候補に最も近い。可能性が高いのです。だから、彼が大統領になれば、変わりますよ、アメリカは。それこそオバマの叫ぶ「チェンジ!」です。この、アメリカの恋愛資本主義での白人至上主義を打ち砕くためにも、オバマの勝利は必要なのです。それはシンボリズムにおいてもっとも重要なことです。そして、白人以外のマイノリティーの男、とくにアジア系、アジア系でもとくに東洋系がモテるようになるのです。そう、この機会に、ブラジルのようなラテンのようになってくれればいいですね。
大統領はずっと白人男性だった。しかもプロテスタントでアングロ・サクソン系、ケネディーもアイルランド系でカトリックでしたが、それでも、「自分はアングロ・サクソン価値観を共有する」としました。つまり、表層的にはアイルランドでカトリックでも、中身はアングロサクソンだと、したのです。それに、表面は白人ですから、つまり、本人がアングロサクソンだと言ってたら、だれもわからない。私も、知り合いの天然のブロンドのかわいい子が、ユダヤ系だと言うまでは、ずっとアングロだと思ってましたから。ところが、オバマは最初から外見が白人ではありませんから、それはアメリカにとっては大きいですよ。だからこそ、オバマがその突破口となってくれればいいと思っているのです!
ヒラリー有利と言われていたペンシルバニア州でやはりヒラリーが勝ちました。ヒラリーが55%で、オバマが45%でした。

やはりヒラリーはペンシルバニアの労働者階級の支持、また白人層の支持を得たそうです。そして、女性の票では、60%がヒラリーに投票したと言います。相変わらず女性の支持が基盤となっていますね。それは、この図表からもわかります。緑がヒラリーで紫がオバマです。

そして、先週までにどちらの候補に投票するか決めてなかった選挙人の6割がヒラリーに投票したそうです。オバマの得意とする草の根運動でも、ヒラリーが制したわけです。これで、また民主党の大統領候補がだれになるのか、ますますわからなくなってきました。

しかし、オバマもそれまでは20ポイントもの差をつけられてましたが、それでも、その差は、選挙当日には10%まで縮まりました。あの、労働者階級に対する「失言」があってもです!しかし、オバマは、今度の5月上旬に行われるノースキャロライナ州の予備選挙で勝利するという見方が強いです。ノースキャロライナは、黒人が非常に多い州でもありますので、しかも黒人のほとんどは民主党なので、それでオバマに有利ですね。とくに、南部、黒人がもっとも多いディープ・サウスでは、オバマはとても強いですね。下の図は、地区ごとによるオバマとヒラリーの分布図です。紫がオバマです。

そして、下の図は、ディープサウスです。濃い赤の州がディープサウスで、薄赤のは時々ディープサウスの範囲に取り込まれることがある州です。

南部でオバマの勝利した地域はまるっきりディープサウスなのです。いわゆるルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、サウス・キャロライナ。テキサスは、一応オバマが勝ちましたが、あれはちょっと選挙システムに問題がありますね。
これで、ヒラリーが選挙を辞退することがなくなりました。まだまだ、民主党全国大会の大統領候補選出まで、デッドヒートの闘いが、オバマとヒラリーの間で続きそうです。やはり、選挙はそうでないと。
さて、ヒラリーが勝ったとのことなので、スコットランドのシンガーソングライター、ケイティー・タンストールの『Suddenly I see』で祝いましょう。意味は「突然わかった」「突然気付いた」「突然見えた」「突然覚醒した」でしょうね。開眼、または悟りの境地に近いかもしれません。般若心経の「ボーディーソワカー」でしょうね。もっとも女性を勇気づける曲だと思います。歌詞がいいですね。ほんとの女性の美しさを表現してるような。まぁ、詩を訳しておいたので、それは「続きを読む」に抜粋しておきます。

やはりヒラリーはペンシルバニアの労働者階級の支持、また白人層の支持を得たそうです。そして、女性の票では、60%がヒラリーに投票したと言います。相変わらず女性の支持が基盤となっていますね。それは、この図表からもわかります。緑がヒラリーで紫がオバマです。
そして、先週までにどちらの候補に投票するか決めてなかった選挙人の6割がヒラリーに投票したそうです。オバマの得意とする草の根運動でも、ヒラリーが制したわけです。これで、また民主党の大統領候補がだれになるのか、ますますわからなくなってきました。

しかし、オバマもそれまでは20ポイントもの差をつけられてましたが、それでも、その差は、選挙当日には10%まで縮まりました。あの、労働者階級に対する「失言」があってもです!しかし、オバマは、今度の5月上旬に行われるノースキャロライナ州の予備選挙で勝利するという見方が強いです。ノースキャロライナは、黒人が非常に多い州でもありますので、しかも黒人のほとんどは民主党なので、それでオバマに有利ですね。とくに、南部、黒人がもっとも多いディープ・サウスでは、オバマはとても強いですね。下の図は、地区ごとによるオバマとヒラリーの分布図です。紫がオバマです。
そして、下の図は、ディープサウスです。濃い赤の州がディープサウスで、薄赤のは時々ディープサウスの範囲に取り込まれることがある州です。
南部でオバマの勝利した地域はまるっきりディープサウスなのです。いわゆるルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、サウス・キャロライナ。テキサスは、一応オバマが勝ちましたが、あれはちょっと選挙システムに問題がありますね。
これで、ヒラリーが選挙を辞退することがなくなりました。まだまだ、民主党全国大会の大統領候補選出まで、デッドヒートの闘いが、オバマとヒラリーの間で続きそうです。やはり、選挙はそうでないと。
さて、ヒラリーが勝ったとのことなので、スコットランドのシンガーソングライター、ケイティー・タンストールの『Suddenly I see』で祝いましょう。意味は「突然わかった」「突然気付いた」「突然見えた」「突然覚醒した」でしょうね。開眼、または悟りの境地に近いかもしれません。般若心経の「ボーディーソワカー」でしょうね。もっとも女性を勇気づける曲だと思います。歌詞がいいですね。ほんとの女性の美しさを表現してるような。まぁ、詩を訳しておいたので、それは「続きを読む」に抜粋しておきます。
Yahooのニュースによると、ウォールマートがアメリカ一儲けている大企業だそうです。3787億ドルもの収益を出したそうです。で、純利益が127億ドルです。それは、どうしょうもないですね。で、1から10位までの順位を見てみましょう。
1. Wal-Mart Stores
2. Exxon Mobil
3. Chevron
4. General Motors
5. ConocoPhillips
6. General Electric
7. Ford Motor
8. Citigroup
9. Bank of America Corp.
10. AT&T
三社がガソリンです。三社が金融関係、一社が自動車産業、そして一社がコミュニケーション。そして、もちろんウォールマートはチェーン店の大店舗です。このなかで、三社がガソリンというのは、ほんと駄目です。ガソリンがこんだけ高い時にぼろ儲けしてる反国民的産業です。一刻も早くガソリンなしで車を動かすエンジンにしてほしいものです。しかもConocoはオクラホマ発です。そう、中西部なのです。中西部にいくと、大草原にあるのはConocoのガススタンドばかりなのです。しかし、中西部の企業といえば、やはりウォールマートではないでしょうか?
そう、アーカンソー州のリトルロックに本部があるウォールマート、そしてその企業弁護士が、ヒラリー・クリントンだったんです。オバマも、ヒラリーを、
「私がシカゴで貧困に喘いでいる人たちを助けている時に、あなたはウォールマートで弁護士をやっていた」
と中傷にも似た批判をしています。それが、ウォールマートなのです。ヒラリーを雇っていた企業なのです。
実はウォールマートは、私が渡米してはじめて買い物をしたアメリカの店でした。やはり中西部はぜんぜん店がない、大店舗がない、だから買い物も遠くまでいかなければならず、色々なものを仕入れるためには、色々小さな店を回らなければなりませんでした。だから、そこで巨大店舗が出て来たことは、中西部では画期的だったんです。とにかくなんでも置いてあって、しかも安いというのが便利で、巨大駐車場がぼんと大草原の小さな街の一角にあったんです。つまりウォールマートを建てれば、人が集まって来て、町興しが出来るというわけです。で、税収も増えるし州の財政も潤うわけです。
私の住んでいた小さなバイブルベルトの田舎町も、ウォールマートはたった一つあっただけですが、ここ10年で、スーパーウォールマートが三つも建てたれ、人が一気に多くなりました。それもサブプライムローンの不動産の投機ブームと重なって家が次々に建てられ、アパートも次々に建てられ、町は都市になりました。だから、アメリカの不動産バブルはなにもカリフォルニアのようなデカイ州だけではなく、中西部、アメリカ全土のブームだったのです。2001年の911でIT株ブームは完全に冷めましたから、株式市場やドルに投資する人が、住宅ブームに切り替えたのでしょうね。私も不思議に思ってましたからね、どうしてIT経済は終わったのに、家がいっぱい建てられてるんだろうって。で、今は、住宅バブルもはじけて、穀物や石油に投機が加熱しています。大豆だけでも価格が90%上がったそうですから。そんなんじゃ、食料が高くなるじゃないか!食パンでさえ、高くなってるので、食パンを買うのを辞めましたよ。だから、代わりに毎日米を炊いて、それで腹を膨らませてなんとか凌いでます。パンより米のほうが充分節約できます。
しかし、自営業の店や家族経営の店はどんどん潰れていきました。ウォールマートによってビジネスが出来なくなり、それはやはりアメリカは自然淘汰の世界ですから、店がハンマーでどんどん潰されていくわけです。で、新しいビジネスが入って来て、巨大ショッピングモールも沢山建てられて、それで、スターバックスに変わったところもありましたし、とにかく、私の町にはスターバックスもなかったのですが、投機ブームでスターバックスも二つぐらい出来ましたよ。で、女の子のファッションもおしゃれになりましたからね。スタバで毎朝コーヒーを買ってくるのがブームになったみたいで、大学でも会社でも、スタバのカップを持ってくるんです。
しかし、古き良き中西部の田舎の雰囲気は町から消えてしまいましたね。ウォールマートは本当の自由競争を打ち砕くんですから、あれはアメリカの精神に反してますよ。だって一人勝ちじゃないですか?しかもあんだけ価格破壊を行ったら他のビジネスが潰れるじゃないですか、しかも労働者の低賃金を犠牲にしてまで。そんなのは、とても自由競争と言えませんね。アダム・スミスの理論にも反してます。働いてる人は幸福になりません。その面では、私はアメリカの保守派の人と意見が同じでしたけどね。まさか、デニス・クシニッチを支持する私が中西部の保守的な人と同じ意見になるとは思わなかったですから。彼らのウォールマート不買運動にも影響を受けて、私はカリフォルニアで数回しかウォールマートでショッピングしたことがありません。でも、アメリカって最大の特徴はウォールマートもそうだけど、巨大ショッピングモールや映画館なんか、ほとんと駐車場がスペースをとっている。
そう、駐車場が80%を占めてるんです。まさに車社会アメリカ、中西部なんかほんとそうです。だからニューヨークのマンハッタンに行ったとき、
「おい、ここ、本当にアメリカかよ!」
と思ったほどです。駐車場がどこにもないんですから。っていうか、歩行者だらけでまさに歩行者天国、人人人、あれは不思議な体験でした。
でも、それでも、ちょっと町の外に出れば、中西部アメリカでしたよ。大草原で馬、牛、豚、そして鹿までもがいて、キモヲタであった私も、中西部で引きこもったことがなかったですから。毎日外にドライブに出て、あの広大な草原の景色で深呼吸してました。外に出ても、人と会わないというのがよかったですね。っていうか、人があまりいないから、引きこもりになる必要がない、というか「引きこもり」の定義すら大草原では軽薄になるのではないでしょうか?ブッシュ大統領も若いときは一人でテキサスの荒野をドライブしてたと言ってましたから、やはり中西部から来た人は、みんな同じことをやってるんですね。やっぱ、日本は狭いし、かならず人に会うから、引きこもりになってちゃいます。あの社会は引きこもりを助長してるんですよ。しかも車じゃないし、自転車や電車やバスだと、かならず人にぶつかりますからね。息苦しい社会ですよ。日本の都市とはまったく正反対の土地に行って、本当よかったです。あのまま日本にいたら、間違いなく頭がおかしくなって発狂して、自殺してたでしょうね。精神病にかかったらどうするか、精神安定剤にセラピストからもらうんじゃなくて、外国に行くことですね。それこそ自然療法ですよ。
まあ、でも、ウォールマート建設ブームが不動産ブームと結びついていたとはね。そして、その前身となる企業の弁護士をやっていたのが、ヒラリーだったんです。だから、ウォールマートは実に中西部の中西部による中西部のための店だったし、ヒラリーはそういう意味で中西部で貢献したわけです。それもあってか、ヒラリーは中西部で強いとの評判だったんですね。
「私は中年、中産階級出身、そして中西部出身」
と「middle(中)」をやたらと強調してました。つまりミドル精神というものを全面に出したんです。たしかに、彼女の世代はベビーブーマーで団塊世代、だから、もっとも票が多い年齢層ですね。
でも、ウォールマートは今ではグローバル企業、多国籍企業です。だから、私なんかからすると、もう今の新しい世代のアメリカ人の意識からは、ズレてますね。そ





