第79回アカデミー賞がロサンゼルスのハリウッドで行われた。私はABCでそれを観ていた。なんと、タキシードを着たデカプリオとアル・ゴアがステージに出てきたので、驚いてしまった。そしてゴアの『不都合の真実』がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門賞を受賞した。また、主題歌部門でも、『不都合の真実』の主題歌であるMelissa Etheridgeの「I Need To Wake Up」が受賞した。Melissa はレズビアンのシンガーソングライターとして有名で、自分がレズビアンであることを公にしているし、また同性愛者解放運動家であり、彼女は受賞スピーチで、
「私の素晴らしい妻タミー、そして私たちの四人の子どもたち、ベケット、ベイリー、ジョニー・ローズ、ミラー、そして一緒に活動してきたスゴい人たち、みんなありがとう・・・でも、最も感謝すべきはアル・ゴア、この人は私たち、また私個人にインスピレーションを与えてくれた、地球をケアするのは共和党民主党、赤や青ではなく、みんな緑ということを示してくれました」
と語っていた。Melissaの曲は彼女のウェブサイトで聴ける(歌詞はこちら)。また彼女のインタビューもここで観れるし、その中で彼女は、
「Thank you, Al Gore, again. You are the best.」
と言っている。とてもパワフルな歌であり、勇気が湧いて来る。なんとこの曲、ゴアが個人的にメリッサに「この映画のために曲を書いてくれないか」と依頼して作曲されたものだという。よって、アル・ゴアの映画はアカデミー賞の二部門を獲得したのである。実質的にこのアカデミーはゴア・ナイトとなった。
それにしても、アカデミー賞でのゴアはハリウッド俳優たちの心をつかんだように見えた。テレビで観る限りでは、ゴアに対しては、みんなリスペクトしていたようだし。またゴアが、
「My Fellow Americans」
と政治家が市民に呼びかけるように、アカデミー賞の会場に集まった俳優どもに呼びかけるユーモアは観衆の笑いを誘っていた。でも、ゴアをアカデミー賞に招待して環境保護を訴えさせるとは、ハリウッドはリベラルな人が多いということなのだろう。なぜならそれはブッシュ政権の環境政策に真っ向から対立するからである。だが、ネオリベラル資本主義社会の頂点を極めた人たちが、とてもリベラルというのも、なんだか矛盾していると思うが。しかし、いくらネオリベラル社会の勝ち組といえども、やはり彼らは基本的に映画という総合芸術に携わるアーティストであるということなのだろう。やはりアーティストならではの環境へのケアという自然の力を感じる共感覚が働いているのだろう。道理で、アーティストにはリベラルが多いわけである。また、ダンディー俳優ジョージ・クルーニーも、
「さっき楽屋でゴアと話したんだけど、彼は大統領選には出ないといっていたよ」
とステージでジョークを言って、観衆を笑わせた。そして観衆の中にいたゴアも大笑いしていた。ゴアは完全にハリウッド映画界に受け入れられていたのである。一方、ブッシュは自らハリウッドを避けていたし、またハリウッドも彼を歓迎しないであろう。ブッシュが来たなら、それこそハリウッド通りはデモ行進で埋め尽くされるであろう。
そして、もう一人の今日の主人公はマルティン・スコルセシであった。彼は『The Departed』で悲願だった監督賞を取り、そして最優秀作品賞も取って、今夜のアカデミー賞の幕を閉じた。なんと、コッポラ、ルーカス、スピルバーグというハリウッド映画監督四天王の三人がそろってスコルセシにオスカー像を渡したのである。もちろん、スコルセシも四天王の一人であり、またこの四天王は実は「黒沢チルドレン」ともいわれているのだ。スコルセシはジョディー・フォスターが子役でデビューした『タクシー・ドライバー』の監督であり、また、彼は黒沢監督の『夢』にゴッホ役として出演しているほどであり、そこまで黒沢を尊敬していたのである。これで、四天王の中でアカデミー賞を個人で唯一受賞していないのはルーカスだけとなった。『スター・ウォーズ』を作った偉大な巨匠であるにもかかわらずだ。まあ、スタンリー・キューブリックもオスカーを一つも取っていないのだから・・・。
受賞者一覧はこちら。




「私の素晴らしい妻タミー、そして私たちの四人の子どもたち、ベケット、ベイリー、ジョニー・ローズ、ミラー、そして一緒に活動してきたスゴい人たち、みんなありがとう・・・でも、最も感謝すべきはアル・ゴア、この人は私たち、また私個人にインスピレーションを与えてくれた、地球をケアするのは共和党民主党、赤や青ではなく、みんな緑ということを示してくれました」
と語っていた。Melissaの曲は彼女のウェブサイトで聴ける(歌詞はこちら)。また彼女のインタビューもここで観れるし、その中で彼女は、
「Thank you, Al Gore, again. You are the best.」
と言っている。とてもパワフルな歌であり、勇気が湧いて来る。なんとこの曲、ゴアが個人的にメリッサに「この映画のために曲を書いてくれないか」と依頼して作曲されたものだという。よって、アル・ゴアの映画はアカデミー賞の二部門を獲得したのである。実質的にこのアカデミーはゴア・ナイトとなった。
それにしても、アカデミー賞でのゴアはハリウッド俳優たちの心をつかんだように見えた。テレビで観る限りでは、ゴアに対しては、みんなリスペクトしていたようだし。またゴアが、
「My Fellow Americans」
と政治家が市民に呼びかけるように、アカデミー賞の会場に集まった俳優どもに呼びかけるユーモアは観衆の笑いを誘っていた。でも、ゴアをアカデミー賞に招待して環境保護を訴えさせるとは、ハリウッドはリベラルな人が多いということなのだろう。なぜならそれはブッシュ政権の環境政策に真っ向から対立するからである。だが、ネオリベラル資本主義社会の頂点を極めた人たちが、とてもリベラルというのも、なんだか矛盾していると思うが。しかし、いくらネオリベラル社会の勝ち組といえども、やはり彼らは基本的に映画という総合芸術に携わるアーティストであるということなのだろう。やはりアーティストならではの環境へのケアという自然の力を感じる共感覚が働いているのだろう。道理で、アーティストにはリベラルが多いわけである。また、ダンディー俳優ジョージ・クルーニーも、
「さっき楽屋でゴアと話したんだけど、彼は大統領選には出ないといっていたよ」
とステージでジョークを言って、観衆を笑わせた。そして観衆の中にいたゴアも大笑いしていた。ゴアは完全にハリウッド映画界に受け入れられていたのである。一方、ブッシュは自らハリウッドを避けていたし、またハリウッドも彼を歓迎しないであろう。ブッシュが来たなら、それこそハリウッド通りはデモ行進で埋め尽くされるであろう。
そして、もう一人の今日の主人公はマルティン・スコルセシであった。彼は『The Departed』で悲願だった監督賞を取り、そして最優秀作品賞も取って、今夜のアカデミー賞の幕を閉じた。なんと、コッポラ、ルーカス、スピルバーグというハリウッド映画監督四天王の三人がそろってスコルセシにオスカー像を渡したのである。もちろん、スコルセシも四天王の一人であり、またこの四天王は実は「黒沢チルドレン」ともいわれているのだ。スコルセシはジョディー・フォスターが子役でデビューした『タクシー・ドライバー』の監督であり、また、彼は黒沢監督の『夢』にゴッホ役として出演しているほどであり、そこまで黒沢を尊敬していたのである。これで、四天王の中でアカデミー賞を個人で唯一受賞していないのはルーカスだけとなった。『スター・ウォーズ』を作った偉大な巨匠であるにもかかわらずだ。まあ、スタンリー・キューブリックもオスカーを一つも取っていないのだから・・・。
受賞者一覧はこちら。



『Borat: Cultural Learnings of America for Make Benefit Glorious Nation of Kazakhstan』を鑑賞した。いやー、とてもおもしろかった。というか、あまりにもバカすぎて、映画館は爆笑の渦に包まれていた。
サーシャ・コーエン演じるボラットとは、最近アメリカで大フィーバーとなっている奇想天外なレポーターである。設定はカザフスタンのジャーナリストであり、このドキュメンタリー映画が米国で成功しなければ、母国で死刑になるという。そして、ボラットは同性愛差別、女性差別、ユダヤ人・ジプシーに対する偏見、動物愛好家、環境保護家、フェミニストなど、いろいろな人々に対して偏見を持っている。そして、自己紹介では、彼はレイプストの息子で、そして彼の妹はカザフスタンで五本の指に数えられるほどの有名な娼婦だと自慢していた。
というか、カザフスタンはとても野蛮な国というステレオタイプを世界に伝導しているのだ。そして、人はそれを観て、納得してしまうのである。無理もない。なにしろ、カザフスタンなどだれも聞いたことがないだろう。いや、聞いたことがあったとしても地理で習うぐらいで、実際、ソ連の宇宙基地があったことでしか有名ではない。ソ連が崩壊して、地理がさらに難しくなり、まともに発音できない国すら出て来た。だれも聞いたことのない国から、米国に突入取材するというドキュメンタリー映画である。もともとボラットはイギリスで人気を博したコメディーシリーズの登場人物である。例として、これがある。アメリカ南部を取材した時のものである。
このシリーズは南部白人や共和党の政治集会などを荒らすという、荒唐無稽なコメディーである。ボラットは保守層の支持がもっとも強いアメリカ南部に旅に行く。そこで、南部文化を取材するという設定である。しかし、インタビューされる人は、ボラットが偽物であると知らない。南部文化の取材の一環で、ボラットが南部の老婆をインタビューした。そこで、老婆が、
「かつて私はバーバラ・ブッシュと同じ学校に通っていたのよ。」
と自慢していた。バーバラ・ブッシュとは、G.W.ブッシュ大統領の母であり、また前ファースト・レディーでもあり、ブッシュ前大統領が宮沢元総理の前で、ゲロを吐いた時に、どのシークレットサービスよりもいち早く夫を助けたと言う伝説の妻でもある。そんな偉大な人と彼女は同じ学校に行ったと自慢していたのだ。しかし、ボラットは、
「『バーバラ・ブッシュ』というと、カザフスタンでは笑われますよ。どうしてかというと、『ブッシュ』とは私たちの言葉では『睾丸の毛』という意味で、『バーバラ』とは『食べる』という意味です。だから、『バーバラ・ブッシュ』というと、『陰毛を食べる』という意味になります。けけけ。」
と笑った。すると、老婆はムッとして黙り込んでしまった。しかし、カザフ語で、そういう意味なのだから、怒るわけにはいかない。
さらに、18世紀の米国史会館で、歴史家がボラットに18世紀アメリカのテクノロジーを説明すると、ボラットは、
「カザフスタンでは、アメリカは最もテクノロジーが進んだところだと知られています。しかし、今、私の目の前にある道具は、本当に原始的じゃないですか。」
と言った。すると、歴史家は、
「これは18世紀だ。今から200年前の道具を説明しているんだ!」
とすごい剣幕で怒った。しかし、そんな歴史家をよそにボラットは、
「あなたは、奴隷ですか?」
と質問する。
「違う!私は歴史家だ。」
と答えた。しかし、かまわずボラットは、
「あなたを買ってもいいですか?」
と訊くと、
「いや、それはできないよ。」
と歴史家は言った。さらに、困り果てた歴史家は老婆に、
「彼に説明してあげてくれないか。」
と助け舟を求めるが、老婆は、
「私だってさっきから努力しているんだ。しかし、それでも彼は奴隷を買うことを、しきりに言い続けるんだ。奴隷売買など1865年から一切行われていないというのに!」
と怒った。つまり、カザフスタンでは、アメリカでは未だに奴隷売買が行われていると思われているのである。だからボラットはアメリカでセクシーな女の人を見かけると、「How much?」と訊くのである。人身売買がアメリカで当たり前のように行われていると思っているようだ。まあ、その通りなのだが。
また、ボラットは生粋の反ユダヤ主義者でもあり、アリゾナ州のカウボーイの集まる酒場で、反ユダヤ主義に満ちた歌を披露した。作詞作曲はボラットであり、カザフスタンの内政問題を扱ったものである。それがこの映像だ。
映像はセクシーなカウガールがボラットをステージに紹介するところから始まる。観客は大のテンガロン・ハットをかぶった豪腕なカウボーイたちであり、まさしくアメリカの辺境と言った感じである。アリゾナ州は大地が乾いていて、年がら年中熱い、そしてロディオの聖地でもある。私もアリゾナ州には二回ぐらい行ったが、とにかく熱い、そして土が赤くて、サボテンがあたりに生えていて、乾燥していて、まさに灼熱の大地だった。だから、非常に生きづらいというのが、率直な感想だ。そんなところで生きていく不毛の精神を持ったカウボーイらが、観客である。それが、アリゾナ州の文化でもある。インディアンを退治してきて開拓してきた文化である。その観客の前で、反ユダヤ主義の歌を披露するのだ。歌詞を掲載しておく。
訳するとこうなる。
このような偏見と差別に満ちた歌を、カントリーミュジック調に合わせて楽しそうに歌っているのだ。しかも、観客はノリノリで、最後には大合唱となってしまった。まあ、皆、酒に酔っているということもあるのだろうが、それともコメディーだと思ったのか、しかし「酒飲み本性違わず」という諺があるように、それが田舎の白人社会の本性だということか。だが、ある意味、それはとても恐ろしいことだ。そんな言説に対して、だれ一人抵抗しなかったのだから。酒場は至って危険ということか。
酒と音楽か、人を洗脳するのは。ヒットラーがどうして集中的にビアホールで演説したのか、その意図もわかるような気がする。バイエルン人はビールと歌が好きだ。そして男っぷりが良くて、元気で陽気だ。カウボーイも酒と音楽が大好き、そして男っぷりが良くて、元気で陽気だ。その集団の特性を生かして、その場の雰囲気で反ユダヤ主義のメッセージを伝えたのである。しかし、そんな反ユダヤ主義の歌で盛り上がっているカーウボーイの酒場にカフタンを着たユダヤ人が紛れ込んでいたら、どうなっていただろう。想像するだけでも恐ろしい。しかも、ボラットを演じているサーシャ・コーエンが、ユダヤ系であるということが、まさにその皮肉さを醸し出している。
とにかく、社会風刺である。
しかし、そんなカウボーイ文化に、ホモセクシュアリティーを組み合わせたのが、『ブロークバック・マウンテン』である。だから、あの映画は衝撃だったのだ。いつもクローズアップされるのは最先端の都会のゲイだが、田舎のゲイはスポットライトが当たらなかった。だからこそ、あの映画は斬新だったのだ。まあ、ボラットはカウボーイに対するステレオタイプをまた助長させたと言ってもいい。しかし、辺境の村はやはり保守的とういのは相対的に見て、合っているような気がする。ボラットのコメディーはそれを証明させてしまった。とても残念なことである。アメリカは未だにアングロ・サクソン社会なのである。そんなことを考えさせられる映画であった。

というか、カザフスタンはとても野蛮な国というステレオタイプを世界に伝導しているのだ。そして、人はそれを観て、納得してしまうのである。無理もない。なにしろ、カザフスタンなどだれも聞いたことがないだろう。いや、聞いたことがあったとしても地理で習うぐらいで、実際、ソ連の宇宙基地があったことでしか有名ではない。ソ連が崩壊して、地理がさらに難しくなり、まともに発音できない国すら出て来た。だれも聞いたことのない国から、米国に突入取材するというドキュメンタリー映画である。もともとボラットはイギリスで人気を博したコメディーシリーズの登場人物である。例として、これがある。アメリカ南部を取材した時のものである。
このシリーズは南部白人や共和党の政治集会などを荒らすという、荒唐無稽なコメディーである。ボラットは保守層の支持がもっとも強いアメリカ南部に旅に行く。そこで、南部文化を取材するという設定である。しかし、インタビューされる人は、ボラットが偽物であると知らない。南部文化の取材の一環で、ボラットが南部の老婆をインタビューした。そこで、老婆が、
「かつて私はバーバラ・ブッシュと同じ学校に通っていたのよ。」
と自慢していた。バーバラ・ブッシュとは、G.W.ブッシュ大統領の母であり、また前ファースト・レディーでもあり、ブッシュ前大統領が宮沢元総理の前で、ゲロを吐いた時に、どのシークレットサービスよりもいち早く夫を助けたと言う伝説の妻でもある。そんな偉大な人と彼女は同じ学校に行ったと自慢していたのだ。しかし、ボラットは、
「『バーバラ・ブッシュ』というと、カザフスタンでは笑われますよ。どうしてかというと、『ブッシュ』とは私たちの言葉では『睾丸の毛』という意味で、『バーバラ』とは『食べる』という意味です。だから、『バーバラ・ブッシュ』というと、『陰毛を食べる』という意味になります。けけけ。」
と笑った。すると、老婆はムッとして黙り込んでしまった。しかし、カザフ語で、そういう意味なのだから、怒るわけにはいかない。
さらに、18世紀の米国史会館で、歴史家がボラットに18世紀アメリカのテクノロジーを説明すると、ボラットは、
「カザフスタンでは、アメリカは最もテクノロジーが進んだところだと知られています。しかし、今、私の目の前にある道具は、本当に原始的じゃないですか。」
と言った。すると、歴史家は、
「これは18世紀だ。今から200年前の道具を説明しているんだ!」
とすごい剣幕で怒った。しかし、そんな歴史家をよそにボラットは、
「あなたは、奴隷ですか?」
と質問する。
「違う!私は歴史家だ。」
と答えた。しかし、かまわずボラットは、
「あなたを買ってもいいですか?」
と訊くと、
「いや、それはできないよ。」
と歴史家は言った。さらに、困り果てた歴史家は老婆に、
「彼に説明してあげてくれないか。」
と助け舟を求めるが、老婆は、
「私だってさっきから努力しているんだ。しかし、それでも彼は奴隷を買うことを、しきりに言い続けるんだ。奴隷売買など1865年から一切行われていないというのに!」
と怒った。つまり、カザフスタンでは、アメリカでは未だに奴隷売買が行われていると思われているのである。だからボラットはアメリカでセクシーな女の人を見かけると、「How much?」と訊くのである。人身売買がアメリカで当たり前のように行われていると思っているようだ。まあ、その通りなのだが。
また、ボラットは生粋の反ユダヤ主義者でもあり、アリゾナ州のカウボーイの集まる酒場で、反ユダヤ主義に満ちた歌を披露した。作詞作曲はボラットであり、カザフスタンの内政問題を扱ったものである。それがこの映像だ。
映像はセクシーなカウガールがボラットをステージに紹介するところから始まる。観客は大のテンガロン・ハットをかぶった豪腕なカウボーイたちであり、まさしくアメリカの辺境と言った感じである。アリゾナ州は大地が乾いていて、年がら年中熱い、そしてロディオの聖地でもある。私もアリゾナ州には二回ぐらい行ったが、とにかく熱い、そして土が赤くて、サボテンがあたりに生えていて、乾燥していて、まさに灼熱の大地だった。だから、非常に生きづらいというのが、率直な感想だ。そんなところで生きていく不毛の精神を持ったカウボーイらが、観客である。それが、アリゾナ州の文化でもある。インディアンを退治してきて開拓してきた文化である。その観客の前で、反ユダヤ主義の歌を披露するのだ。歌詞を掲載しておく。
In my country there is problem
In my country there is problem,
And that problem is transport.
It take very very long,
Because Kazakhstan is big.
Chorus 1
Throw transport down the well
So my country can be free
We must make travel easy
Then we'll have a big party
In my country there is problem
And that problem is the Jew
They take everybody money
And they never give it back
Chorus 2
Throw the Jew down the well
So my country can be free
You must grab him by his horns
Then we'll have a big party
If you see the Jew coming
You must be careful of his teeth
You must grab him by his money
And I tell you what to do
Chorus 2
訳するとこうなる。
私の国には問題がある
私の国には問題がある
その問題とは交通だ
とても長くかかる
なぜならカザフスタンは大きいから
(コーラス1)
交通を井戸に投げ捨てろ
そうすれば私の国は自由になる
交通はもっと便利にならないと
そして私たちは盛大な祝賀会を開こう
私の国には問題がある
それはユダヤ人だ
彼らは皆のお金を横取りする
そして絶対に返すことはない
(コーラス2)
ユダヤ人を井戸に投げ捨てろ
そうすれば私の国は自由になる
彼らの角に掴まって
盛大な祝賀会を開こう
もしユダヤ人がこっちに来るのを見かけたら
彼らの歯に気をつけないと
彼らのお金に掴まって
私がこれから何をするか言おう
コーラス2
このような偏見と差別に満ちた歌を、カントリーミュジック調に合わせて楽しそうに歌っているのだ。しかも、観客はノリノリで、最後には大合唱となってしまった。まあ、皆、酒に酔っているということもあるのだろうが、それともコメディーだと思ったのか、しかし「酒飲み本性違わず」という諺があるように、それが田舎の白人社会の本性だということか。だが、ある意味、それはとても恐ろしいことだ。そんな言説に対して、だれ一人抵抗しなかったのだから。酒場は至って危険ということか。
酒と音楽か、人を洗脳するのは。ヒットラーがどうして集中的にビアホールで演説したのか、その意図もわかるような気がする。バイエルン人はビールと歌が好きだ。そして男っぷりが良くて、元気で陽気だ。カウボーイも酒と音楽が大好き、そして男っぷりが良くて、元気で陽気だ。その集団の特性を生かして、その場の雰囲気で反ユダヤ主義のメッセージを伝えたのである。しかし、そんな反ユダヤ主義の歌で盛り上がっているカーウボーイの酒場にカフタンを着たユダヤ人が紛れ込んでいたら、どうなっていただろう。想像するだけでも恐ろしい。しかも、ボラットを演じているサーシャ・コーエンが、ユダヤ系であるということが、まさにその皮肉さを醸し出している。
とにかく、社会風刺である。
しかし、そんなカウボーイ文化に、ホモセクシュアリティーを組み合わせたのが、『ブロークバック・マウンテン』である。だから、あの映画は衝撃だったのだ。いつもクローズアップされるのは最先端の都会のゲイだが、田舎のゲイはスポットライトが当たらなかった。だからこそ、あの映画は斬新だったのだ。まあ、ボラットはカウボーイに対するステレオタイプをまた助長させたと言ってもいい。しかし、辺境の村はやはり保守的とういのは相対的に見て、合っているような気がする。ボラットのコメディーはそれを証明させてしまった。とても残念なことである。アメリカは未だにアングロ・サクソン社会なのである。そんなことを考えさせられる映画であった。

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私は「指輪物語」で有名なピーター=ジャクソン監督の「キングコング」を見た。主演のナオミ=ワッツは金髪碧眼の美女であり、奈良の大仏のような大きさもあるキングコングの手の中でマンハッタンをバックにした背景は、とても美しすぎた。
ではピンクフロイドの「狂気」というアルバムがあるが、なんとあの最初の「Speak To Me」という出だしの狂気染みた笑い声はあのハリウッドの大女優ナオミ=ワッツの父親の声だという。それに「Brain Damage」という笑い声もそうだという。まったく知らなかった事実であり、これほど驚愕させられたことはなかった。
ピーター=ワッツはピンクフロイドのサウンドエンジニアであり、麻薬中毒で若くして亡くなった。当時はサイケデリック時代であり、ドラッグカルチャー、フリーラヴ、そして多くのヒッピーが精神世界を求めてインドに旅立った時期であった。しかし今のインドはどうだろう。インドと聞くとアメリカでは経済的脅威と受け止める人が多いにちがいない。精神的桃源郷という70年代の幻想は終焉してしまったのだ
ではピンクフロイドの「狂気」というアルバムがあるが、なんとあの最初の「Speak To Me」という出だしの狂気染みた笑い声はあのハリウッドの大女優ナオミ=ワッツの父親の声だという。それに「Brain Damage」という笑い声もそうだという。まったく知らなかった事実であり、これほど驚愕させられたことはなかった。
ピーター=ワッツはピンクフロイドのサウンドエンジニアであり、麻薬中毒で若くして亡くなった。当時はサイケデリック時代であり、ドラッグカルチャー、フリーラヴ、そして多くのヒッピーが精神世界を求めてインドに旅立った時期であった。しかし今のインドはどうだろう。インドと聞くとアメリカでは経済的脅威と受け止める人が多いにちがいない。精神的桃源郷という70年代の幻想は終焉してしまったのだ
1、「美人薄命」
私は「女性上位時代」という1969年のイタリア製作のフランス映画を見た。69年のファッションはとても未来的であり、女性のヘアスタイルも本当に独特である。映画というのはその時の流行を伝えるとても貴重な歴史的遺産である。また主演女優のカトリーヌ・スパークのなんてあでやかで且つなまめかしいことか。まるでブリトニー・スピアーズのような容姿端麗さだ。これがまさか60年代後半の美女だとは。もうあれから40年近くも経ってしまったとは、とても信じられない。しかし、そんなカトリーヌも今ではもうすでに60代であり、その美しさに面影すらないだろう。そして悲しいことにいずれ彼女は死んでしまう。美は永遠ではないという現実をただ憂うことしかできないのか。しかし映画は違う。映画は永遠性を啓示してくれる。なぜなら映画の中でこそ彼女の美は永遠なのだから。よって映画こそが美を永遠にさせる不死の薬だ。
私は「女性上位時代」という1969年のイタリア製作のフランス映画を見た。69年のファッションはとても未来的であり、女性のヘアスタイルも本当に独特である。映画というのはその時の流行を伝えるとても貴重な歴史的遺産である。また主演女優のカトリーヌ・スパークのなんてあでやかで且つなまめかしいことか。まるでブリトニー・スピアーズのような容姿端麗さだ。これがまさか60年代後半の美女だとは。もうあれから40年近くも経ってしまったとは、とても信じられない。しかし、そんなカトリーヌも今ではもうすでに60代であり、その美しさに面影すらないだろう。そして悲しいことにいずれ彼女は死んでしまう。美は永遠ではないという現実をただ憂うことしかできないのか。しかし映画は違う。映画は永遠性を啓示してくれる。なぜなら映画の中でこそ彼女の美は永遠なのだから。よって映画こそが美を永遠にさせる不死の薬だ。
2、「佳人薄命」
また、このサウンドトラックのすばらしさ、私は大いに感銘を受けた。曲名は「L'amore dice "Ciao"」といい、LPのジャケットはポストモダン的だ。このほのぼのとしたボサノバ的な音楽は私の心をもの寂しくさせた。本当に60年代当時のフランスの空気を感じる。ロマンチックでありながら、儚い。フランスの代表的な60年代のロマンス映画「男と女」の主題歌にも共通する趣がある。そういえば「女性上位時代」の主演男優は「男と女」にも主演男優として登場するジャン・ルイ・トランティニャンである。かつてはヨーロッパ女性の憧れの的であり、一世を風靡した西欧のスーパースターであった。しかしそんな彼も年老いた。私の好きな「ロスト・チルドレン」では水槽に入っている話す脳ミソの役だったので、とてもショックだった。あんな偉大な映画俳優が現世代の間では「ああ、あの脳ミソやってた人」と片付けられてしまうなんて。どうして時代はすぐに去ってしまうのだろうか。今は2000年代、あの時のもっとも輝いていた美男女はもういない。
3、「タイムマシン」
恐縮ながら私は69年には生を受けていないが、それでもあの時は二度と戻ってこないという事実を痛感させられてしまうのはなぜだろう。私は「冷戦が終結した後に生まれたかったのに、インターネットが大衆化された後にに生まれかったのに」と年月が経つごとに若いままでいたいという強い後悔の念に襲われることがあるが、この映画を見たときばかりは「69年以前に生まれていれば」と後悔した。そしてとても悲しい想いに包まれた。しかしそれと同時に今よりもっと老化してしまっているということでもあり、私の感情は混乱している。このような画期的な時代を共有できなかったことへの後悔、しかしそのような偉大な世代はすでに年金システムを崩壊させかねない存在になってしまったという後悔。だからこそタイムマシンが欲しい。そうすれば遺跡や文献や映画どころか、本当にその時を体験することができるのだ。元ヒッピーだった老人たちと話しても、彼らの体験したことを経験することは不可能だ。だから本当の共感は得られず、憧れだけで終わってしまう。これも私の苦しみの一つだ。シッダールタのいう求不得苦とでも言うべきか。よって私が望むものは二つ、不老不死とタイムマシンだ。
4、「尊欧攘米」
それに「女性上位時代」が西欧で製作されたというのも大きな魅力である。そして西欧は長年の私の憧れだ。かつてはアメリカも西欧の一部という考えを持っていた。だから渡米することが私の夢だった。日本という小さく狭い島国を抜け出し、超大国の文化を肌身で体験したいという強い憧れを子供の頃から抱いていた。事実、私はアメリカを崇拝していた。そして大人になって太平洋を渡り、子供の頃からの夢をようやくかなえることができた。しかし現実はどうだっただろう。蓋を開けてみれば腐敗した資本主義社会だ。キリスト原理主義が横行し、政府はまったく無駄な戦争をするし。はっきり言ってアメリカ社会には幻滅した。アメリカは西欧ではなかった。そんな中、真の西欧に関する文献や映画に触れているうちに「ヨーロッパ連合は私の描く理想の社会により近いのでは」という思いを抱くようになってきた。「西欧社会は、この『女性上位時代』のようにフリーラヴを謳歌する自由な空気に満ちているに違いない。だから恋愛遊戯にはもってこいの土地だろう。」そう私は確信するに至った。よって私の次のステップは大西洋を越えることである。
5、「セックス革命」
69は私の好きな年だ。ウッドストックが開かれた年であり、ヒッピー文化の最盛期である。またビートルズが「アビーロード」を発表した年でもある。とにかく60年代後半はアメリカ人がベトナム戦争のばかばかしさに気付きだし、目覚めた時期でもある。67年にはラヴィング対ヴァージニア州判決で異人種間の結婚が認められた時でもあった。そしてアメリカ人の異文化に対する理解も大きく広がった。多くの西洋文化の若者が精神世界を求めてインドに旅立った。ビートルズもその一員だったことは言うまでもない。時代は確実に進展していたのである。
69年にこの映画が衝撃を与えたことは言うまでもない。今では女性が男に跨ることなど珍しくはないが、あの時は衝撃的だった。フェリーニの「La Dolce Vita」は男が女に跨る時代を象徴する最高傑作だが、69年に「女性上位時代」によってそれは吹っ飛んだ。女性解放とフリーラヴはセットだったのである。それにしても、なぜ今の時代はセックスを統制しようとする傾向にあるのだろうか。60年代にセックス革命が起きたのに。ロシアではすでに20年代にセックス革命が起こっていたというのに。
だが今ではブッシュやキリスト教右翼を中心とする共和党勢力がやけにセックスを禁止しようと躍起になっている。ブッシュは演説で「セックスは結婚まですべきではない」と公言した。また人工中絶に反対する連邦判事などを指名したり、同性愛者の結婚を禁止するように連邦憲法を改正しようとするし。しかし先日連邦上院議会が憲法改正を否決した。だが安心してはいられない。ブッシュはまた憲法改正、いや憲法改悪を議会に仕掛けてくるだろう。フリーラヴ文化が連邦政府によって破壊されようとしているのだ。
6、「ネオコンとヒットラー」
BBCのドキュメンタリー「テロとの戦いの真相」を見たが、ネオコンは60年代を欲望がリゾウムのように制御が全く利かずに自由に渦巻く暗黒の時代と捕らえていた。そしてエジプトの元祖テロリストのサイード・クトゥブもアメリカに留学した時、そのような印象を持ったという。クトゥブはザワヒリを発掘し、オザマ・ビン・ラディンはザワヒリを師と仰いだ。ようするにセックス革命によるフリーラヴ、ウーマンリヴ、ヒッピー文化を退廃文化として敵視した人々によって原理主義は生まれ、現在アメリカとエジプトで台頭するに至ったのだ。
同じことはドイツでも起こった。私は「Max」というヒットラーがまだ若くて貧乏画家をしていた頃を描いた映画を見たが、ヒットラーは当時流行していたドイツ表現主義を退廃芸術として糾弾した。彼はそれを「ユダヤ的」と表現した。彼にとってドイツ表現主義は社会風俗を乱す害毒でしかなかった。また彼はマルクス主義も「ユダヤ的」と表現した。多くのドイツ人女性が金持ちのユダヤ系の男性と道楽に耽るのを目のあたりにし、ドイツ人女性は「バイタ」になり下がってしまったとビアホールで嘆いていた。そしてそれが世界最悪な政府を築き上げる原動力となったのだ。だから退廃文化の巣窟であるワイマール政権を転覆することが彼の使命となった。さらにヒットラーは天下を取ってから退廃芸術展覧会というのを開き、多くのドイツ表現主義作品を展示し、現代美術を退廃芸術として徹底的に迫害した。
今のキリスト教右翼はどうだろうか。現代美術館を攻撃はしないものの、無神論者、リベラル、アナーキスト、ヒッピー、フリーラヴは「共産主義的」と表現しているし、アメリカ改革党の大統領候補だったパット・ブキャナンもアメリカ西洋文化が破滅に向かっているのはマルクス主義のフランクフルト学派の影響のためとしている。そしてキリスト教価値観を取り戻さなければならないと彼は主張するのである。「古き良きアメリカ」が彼らのモットーである。ということは私は「新しき悪きアメリカ」に生きていることか。私を「ガッドレス・ピープル(神なき人々)」と呼んだ人さえいた。私も宗教を持ってないと言った時は驚かれたことがあった。「お前も奴らの一人か」という態度には正直言って戸惑った。ヨーロッパではすでに19世紀にニーチェが「神は死んだ」と宣言したのに。それに原理主義者にとってヒッピーは忌々しい存在でしかないだろう。ヒッピーはアメリカに退廃文化をもたらしたと言うのだから。つまりヒットラーの発想とネオコンの発想はそうかけ離れていないように見えるのは私だけだろうか。
7、「善淫」
「女性上位時代」を真っ先に退廃芸術としてネオコンとクトゥブは糾弾したに違いない。リベラルへの反動が現在のアメリカ政治の主流となってしまったのか。文化レベルでの軋轢が政治を大きく左右するようになってしまった。そう、まるでヒットラーの生きたドイツのように。この現象は「カルチュラル・ウォー(文化戦争)」と呼ばれている。
原理主義が台頭するのはごめんだ。性の自由を統制されてたまるか。それに世俗権力だけではなく世界宗教までもがセックスを統制しようとするなんて。仏教では五戒の一つに不邪淫がある。またモーゼの十戒にもあるし、キリスト教も婚外のセックスを禁止した。イスラム教も同じであり、サウジアラビアやイランでは同性愛罪は死刑である。権力はどうしてそうまでしてセックスをコントロールしたがるのだろうか。セックスは個人の自由のはずなのに。恋愛遊戯ができなければ何が人生だろうか。思想の統制であるマインドコントロール、性の統制であるセックスコントロール、それが権力なのか。
アメリカは自由の国だ。他人の自由を侵害しなければ何をしてもいいはずだ。なにしろ私には合衆国権利章典がある。政府がセックスの自由を蹂躙しようとすれば私はこれを錦の御旗にして戦う。
「邪淫」、こんな言葉は権力が作り出したものだ。では「善淫」もあるはずではないか。しかしだれもそういう表現を使わない。だからあえて私は使おう。
「善淫はヒューマニティーだ!それを女性上位時代は証明してくれた!」と私は世界の中で叫ぶことを決意した。
また、このサウンドトラックのすばらしさ、私は大いに感銘を受けた。曲名は「L'amore dice "Ciao"」といい、LPのジャケットはポストモダン的だ。このほのぼのとしたボサノバ的な音楽は私の心をもの寂しくさせた。本当に60年代当時のフランスの空気を感じる。ロマンチックでありながら、儚い。フランスの代表的な60年代のロマンス映画「男と女」の主題歌にも共通する趣がある。そういえば「女性上位時代」の主演男優は「男と女」にも主演男優として登場するジャン・ルイ・トランティニャンである。かつてはヨーロッパ女性の憧れの的であり、一世を風靡した西欧のスーパースターであった。しかしそんな彼も年老いた。私の好きな「ロスト・チルドレン」では水槽に入っている話す脳ミソの役だったので、とてもショックだった。あんな偉大な映画俳優が現世代の間では「ああ、あの脳ミソやってた人」と片付けられてしまうなんて。どうして時代はすぐに去ってしまうのだろうか。今は2000年代、あの時のもっとも輝いていた美男女はもういない。
3、「タイムマシン」
恐縮ながら私は69年には生を受けていないが、それでもあの時は二度と戻ってこないという事実を痛感させられてしまうのはなぜだろう。私は「冷戦が終結した後に生まれたかったのに、インターネットが大衆化された後にに生まれかったのに」と年月が経つごとに若いままでいたいという強い後悔の念に襲われることがあるが、この映画を見たときばかりは「69年以前に生まれていれば」と後悔した。そしてとても悲しい想いに包まれた。しかしそれと同時に今よりもっと老化してしまっているということでもあり、私の感情は混乱している。このような画期的な時代を共有できなかったことへの後悔、しかしそのような偉大な世代はすでに年金システムを崩壊させかねない存在になってしまったという後悔。だからこそタイムマシンが欲しい。そうすれば遺跡や文献や映画どころか、本当にその時を体験することができるのだ。元ヒッピーだった老人たちと話しても、彼らの体験したことを経験することは不可能だ。だから本当の共感は得られず、憧れだけで終わってしまう。これも私の苦しみの一つだ。シッダールタのいう求不得苦とでも言うべきか。よって私が望むものは二つ、不老不死とタイムマシンだ。
4、「尊欧攘米」
それに「女性上位時代」が西欧で製作されたというのも大きな魅力である。そして西欧は長年の私の憧れだ。かつてはアメリカも西欧の一部という考えを持っていた。だから渡米することが私の夢だった。日本という小さく狭い島国を抜け出し、超大国の文化を肌身で体験したいという強い憧れを子供の頃から抱いていた。事実、私はアメリカを崇拝していた。そして大人になって太平洋を渡り、子供の頃からの夢をようやくかなえることができた。しかし現実はどうだっただろう。蓋を開けてみれば腐敗した資本主義社会だ。キリスト原理主義が横行し、政府はまったく無駄な戦争をするし。はっきり言ってアメリカ社会には幻滅した。アメリカは西欧ではなかった。そんな中、真の西欧に関する文献や映画に触れているうちに「ヨーロッパ連合は私の描く理想の社会により近いのでは」という思いを抱くようになってきた。「西欧社会は、この『女性上位時代』のようにフリーラヴを謳歌する自由な空気に満ちているに違いない。だから恋愛遊戯にはもってこいの土地だろう。」そう私は確信するに至った。よって私の次のステップは大西洋を越えることである。
5、「セックス革命」
69は私の好きな年だ。ウッドストックが開かれた年であり、ヒッピー文化の最盛期である。またビートルズが「アビーロード」を発表した年でもある。とにかく60年代後半はアメリカ人がベトナム戦争のばかばかしさに気付きだし、目覚めた時期でもある。67年にはラヴィング対ヴァージニア州判決で異人種間の結婚が認められた時でもあった。そしてアメリカ人の異文化に対する理解も大きく広がった。多くの西洋文化の若者が精神世界を求めてインドに旅立った。ビートルズもその一員だったことは言うまでもない。時代は確実に進展していたのである。
69年にこの映画が衝撃を与えたことは言うまでもない。今では女性が男に跨ることなど珍しくはないが、あの時は衝撃的だった。フェリーニの「La Dolce Vita」は男が女に跨る時代を象徴する最高傑作だが、69年に「女性上位時代」によってそれは吹っ飛んだ。女性解放とフリーラヴはセットだったのである。それにしても、なぜ今の時代はセックスを統制しようとする傾向にあるのだろうか。60年代にセックス革命が起きたのに。ロシアではすでに20年代にセックス革命が起こっていたというのに。
だが今ではブッシュやキリスト教右翼を中心とする共和党勢力がやけにセックスを禁止しようと躍起になっている。ブッシュは演説で「セックスは結婚まですべきではない」と公言した。また人工中絶に反対する連邦判事などを指名したり、同性愛者の結婚を禁止するように連邦憲法を改正しようとするし。しかし先日連邦上院議会が憲法改正を否決した。だが安心してはいられない。ブッシュはまた憲法改正、いや憲法改悪を議会に仕掛けてくるだろう。フリーラヴ文化が連邦政府によって破壊されようとしているのだ。
6、「ネオコンとヒットラー」
BBCのドキュメンタリー「テロとの戦いの真相」を見たが、ネオコンは60年代を欲望がリゾウムのように制御が全く利かずに自由に渦巻く暗黒の時代と捕らえていた。そしてエジプトの元祖テロリストのサイード・クトゥブもアメリカに留学した時、そのような印象を持ったという。クトゥブはザワヒリを発掘し、オザマ・ビン・ラディンはザワヒリを師と仰いだ。ようするにセックス革命によるフリーラヴ、ウーマンリヴ、ヒッピー文化を退廃文化として敵視した人々によって原理主義は生まれ、現在アメリカとエジプトで台頭するに至ったのだ。
同じことはドイツでも起こった。私は「Max」というヒットラーがまだ若くて貧乏画家をしていた頃を描いた映画を見たが、ヒットラーは当時流行していたドイツ表現主義を退廃芸術として糾弾した。彼はそれを「ユダヤ的」と表現した。彼にとってドイツ表現主義は社会風俗を乱す害毒でしかなかった。また彼はマルクス主義も「ユダヤ的」と表現した。多くのドイツ人女性が金持ちのユダヤ系の男性と道楽に耽るのを目のあたりにし、ドイツ人女性は「バイタ」になり下がってしまったとビアホールで嘆いていた。そしてそれが世界最悪な政府を築き上げる原動力となったのだ。だから退廃文化の巣窟であるワイマール政権を転覆することが彼の使命となった。さらにヒットラーは天下を取ってから退廃芸術展覧会というのを開き、多くのドイツ表現主義作品を展示し、現代美術を退廃芸術として徹底的に迫害した。
今のキリスト教右翼はどうだろうか。現代美術館を攻撃はしないものの、無神論者、リベラル、アナーキスト、ヒッピー、フリーラヴは「共産主義的」と表現しているし、アメリカ改革党の大統領候補だったパット・ブキャナンもアメリカ西洋文化が破滅に向かっているのはマルクス主義のフランクフルト学派の影響のためとしている。そしてキリスト教価値観を取り戻さなければならないと彼は主張するのである。「古き良きアメリカ」が彼らのモットーである。ということは私は「新しき悪きアメリカ」に生きていることか。私を「ガッドレス・ピープル(神なき人々)」と呼んだ人さえいた。私も宗教を持ってないと言った時は驚かれたことがあった。「お前も奴らの一人か」という態度には正直言って戸惑った。ヨーロッパではすでに19世紀にニーチェが「神は死んだ」と宣言したのに。それに原理主義者にとってヒッピーは忌々しい存在でしかないだろう。ヒッピーはアメリカに退廃文化をもたらしたと言うのだから。つまりヒットラーの発想とネオコンの発想はそうかけ離れていないように見えるのは私だけだろうか。
7、「善淫」
「女性上位時代」を真っ先に退廃芸術としてネオコンとクトゥブは糾弾したに違いない。リベラルへの反動が現在のアメリカ政治の主流となってしまったのか。文化レベルでの軋轢が政治を大きく左右するようになってしまった。そう、まるでヒットラーの生きたドイツのように。この現象は「カルチュラル・ウォー(文化戦争)」と呼ばれている。
原理主義が台頭するのはごめんだ。性の自由を統制されてたまるか。それに世俗権力だけではなく世界宗教までもがセックスを統制しようとするなんて。仏教では五戒の一つに不邪淫がある。またモーゼの十戒にもあるし、キリスト教も婚外のセックスを禁止した。イスラム教も同じであり、サウジアラビアやイランでは同性愛罪は死刑である。権力はどうしてそうまでしてセックスをコントロールしたがるのだろうか。セックスは個人の自由のはずなのに。恋愛遊戯ができなければ何が人生だろうか。思想の統制であるマインドコントロール、性の統制であるセックスコントロール、それが権力なのか。
アメリカは自由の国だ。他人の自由を侵害しなければ何をしてもいいはずだ。なにしろ私には合衆国権利章典がある。政府がセックスの自由を蹂躙しようとすれば私はこれを錦の御旗にして戦う。
「邪淫」、こんな言葉は権力が作り出したものだ。では「善淫」もあるはずではないか。しかしだれもそういう表現を使わない。だからあえて私は使おう。
「善淫はヒューマニティーだ!それを女性上位時代は証明してくれた!」と私は世界の中で叫ぶことを決意した。
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ニューヨークから来た女優である友人と久しぶりに夕食に出かけた。ハリウッドに撮影のため滞在しているという。あの「SEX AND THE CITY」で有名なサラ=ジェシカ=パーカー主演の映画に出演するためだそうだ。彼女は撮影のためにダイエットしたようで、見違えるほどかわいくなっていた。久々に見た彼女にはただ、「カワイイ!」と言葉を失ってしまった。
ブロンドの美しさも一段と!私の心臓はバクバクしてしまい、緊張のあまり舌が回らなくて笑われてしまった。三年前はそれほどでもなかったのに。やっぱ女優だもんなー。
すべての撮影が終わったのであとの二ヶ月はロスでぶらぶらしてからニューヨークに帰るという。私は尋ねた。
「二ヶ月間も働くなくても平気なの?」
彼女は、
「まあ、何とか大丈夫だよ。コマーシャルのレシジュアルがあるから。」
と言った。レーガン大統領がかつて会長を勤めていた映画俳優組合(SAG)に加盟していれば普通のサラリーマンの一か月分の給料を一週間の撮影で稼ぎ出せるそうだ。彼女もその会員なので優遇されている。しかし彼女いわく、
「いくら高い報酬を稼ぎ出しても仕事が来なかったら終わりだよ。だから常にオーディションを受けなきゃならないんだ。女優も大変なんだぜ。」
しかし六ヶ月は仕事がなくても大丈夫だという。うらやましい。私なんか一週間でも仕事を休んだら家賃が払えない。生きてはいけない。俳優になろうかなー。そうすればこんな貧困のカルマから解脱することができるだろうに。
それに彼女はロスのダウンタウンで私の目の前でホームレスに施した。そこまで余裕があるのかー!イエスは貧乏人に寄付しろといったし、イスラムの根本である五行のひとつはザカート(喜捨)であるし、菩薩乗の布施波羅蜜、慈悲喜捨も仏教の根本のひとつであるし、この子はまさにそれを実行しているのだ。私もそこまでお金があれば慈悲深くなれただろうに。今は自分のことで精一杯だ。老子も金があるほど人の心も寛大になるといった。その通りだろう。だから成功しなければ。
彼女は三年前はまだ下積みの時代だったのに、今では小さいながらもちゃんとメジャーの映画のキャストの中に入っているのだから、着実に成功に向かって進んでいるのだ。私の周りの友人はどんどん夢を実現してゆく。そして彼女との久しぶりの対面は、「この子まで!」と私の焦りにさらに拍車をかけた。このままではまずい。非常にまずい。取り残されてしまう。私だけ自己を実現できずに永遠に輪廻の中に彷徨い続けることとなったらどうしよう。。。何をすればいいのか、私の情熱はなんだろうか。問いて問いて問い続ける。毎日が苦悩だ。同じことの繰り返し。
そんなのはもうごめんだー!
ブロンドの美しさも一段と!私の心臓はバクバクしてしまい、緊張のあまり舌が回らなくて笑われてしまった。三年前はそれほどでもなかったのに。やっぱ女優だもんなー。すべての撮影が終わったのであとの二ヶ月はロスでぶらぶらしてからニューヨークに帰るという。私は尋ねた。
「二ヶ月間も働くなくても平気なの?」
彼女は、
「まあ、何とか大丈夫だよ。コマーシャルのレシジュアルがあるから。」
と言った。レーガン大統領がかつて会長を勤めていた映画俳優組合(SAG)に加盟していれば普通のサラリーマンの一か月分の給料を一週間の撮影で稼ぎ出せるそうだ。彼女もその会員なので優遇されている。しかし彼女いわく、
「いくら高い報酬を稼ぎ出しても仕事が来なかったら終わりだよ。だから常にオーディションを受けなきゃならないんだ。女優も大変なんだぜ。」
しかし六ヶ月は仕事がなくても大丈夫だという。うらやましい。私なんか一週間でも仕事を休んだら家賃が払えない。生きてはいけない。俳優になろうかなー。そうすればこんな貧困のカルマから解脱することができるだろうに。
それに彼女はロスのダウンタウンで私の目の前でホームレスに施した。そこまで余裕があるのかー!イエスは貧乏人に寄付しろといったし、イスラムの根本である五行のひとつはザカート(喜捨)であるし、菩薩乗の布施波羅蜜、慈悲喜捨も仏教の根本のひとつであるし、この子はまさにそれを実行しているのだ。私もそこまでお金があれば慈悲深くなれただろうに。今は自分のことで精一杯だ。老子も金があるほど人の心も寛大になるといった。その通りだろう。だから成功しなければ。
彼女は三年前はまだ下積みの時代だったのに、今では小さいながらもちゃんとメジャーの映画のキャストの中に入っているのだから、着実に成功に向かって進んでいるのだ。私の周りの友人はどんどん夢を実現してゆく。そして彼女との久しぶりの対面は、「この子まで!」と私の焦りにさらに拍車をかけた。このままではまずい。非常にまずい。取り残されてしまう。私だけ自己を実現できずに永遠に輪廻の中に彷徨い続けることとなったらどうしよう。。。何をすればいいのか、私の情熱はなんだろうか。問いて問いて問い続ける。毎日が苦悩だ。同じことの繰り返し。
そんなのはもうごめんだー!
コリアンタウンの西側にある映画館で話題作の「ブロークバック・マウンテン」を見た。この映画はヴェネチア映画祭の金獅子賞を受賞したので、ぜひ鑑賞したいと思った。またゴールデングローヴ最優秀作品にも選ばれ、アガデミー賞でも本命といわれている。
いやはや、とても胸が詰まる思いだった。当時の70年代のアメリカ社会で同性愛者が迫害されていたなんてとても信じられなかった。アメリカでは過去に黒人に対するリンチが頻繁に行われていたことは知っていたが、まさか同性愛者もその対象だったなんて。そういえば1998年にこの映画の舞台となったワイオミング州でゲイの男子学生がリンチされて殺されるという事件が起きた。自由の国と謳われるアメリカだが、まだまだ根強い偏見が存在する。
それに同性愛者がセックスの自由を勝ち取ったのはつい最近だ。連邦最高裁でのローレンス対テキサス州判決によるものだが、それもたった三年前だ。三年しか経っていないとは... だがアメリカは確実に良い方向に進んでいる。希望はある。
いやはや、とても胸が詰まる思いだった。当時の70年代のアメリカ社会で同性愛者が迫害されていたなんてとても信じられなかった。アメリカでは過去に黒人に対するリンチが頻繁に行われていたことは知っていたが、まさか同性愛者もその対象だったなんて。そういえば1998年にこの映画の舞台となったワイオミング州でゲイの男子学生がリンチされて殺されるという事件が起きた。自由の国と謳われるアメリカだが、まだまだ根強い偏見が存在する。
それに同性愛者がセックスの自由を勝ち取ったのはつい最近だ。連邦最高裁でのローレンス対テキサス州判決によるものだが、それもたった三年前だ。三年しか経っていないとは... だがアメリカは確実に良い方向に進んでいる。希望はある。
あの「Kill Bill」のタランティーノ監督も尊敬していると言うフランスの偉大なニューウェーヴ派の巨匠エリック・ローマー監督の作品「Le Rayon Vert」を見た。緑色が題材となっており、フランスの人々がブリテン島のグリーンマンのことに言及したりと、象徴主義が上手く使われていた作品だった。
エリック・ローマー監督の映画の魅力は主人公の心理状況、特に恋愛心理をとても素直でなおかつ率直に描き出しているところだ。イングマル・バーグマン監督は主人公の心理を沈黙を通じて表現するが、ローマー監督の登場人物はやたらとしゃべりまくる。ペチャクチャペチャクチャ話すのだ。フランス人はおしゃべりが大好きな民族なのだろう。女の子がもともと会話に長けていることは知っていたが、フランスの男もキャピキャピ話すのには驚かされた。ローマー監督はまさに「ダイアローグの鬼」である。
ローマー監督の主人公はだいたい恋に悩まされる若い女性か男性である。恋愛を中心とした人間関係である。私のように恋愛に異常な関心を持っている人ならローマー監督の映画は面白いと思う。そんな方にぜひこの作品をおすすめしたい。
エリック・ローマー監督の映画の魅力は主人公の心理状況、特に恋愛心理をとても素直でなおかつ率直に描き出しているところだ。イングマル・バーグマン監督は主人公の心理を沈黙を通じて表現するが、ローマー監督の登場人物はやたらとしゃべりまくる。ペチャクチャペチャクチャ話すのだ。フランス人はおしゃべりが大好きな民族なのだろう。女の子がもともと会話に長けていることは知っていたが、フランスの男もキャピキャピ話すのには驚かされた。ローマー監督はまさに「ダイアローグの鬼」である。
ローマー監督の主人公はだいたい恋に悩まされる若い女性か男性である。恋愛を中心とした人間関係である。私のように恋愛に異常な関心を持っている人ならローマー監督の映画は面白いと思う。そんな方にぜひこの作品をおすすめしたい。





