二枚版アルバムでは、ビートルズの『ホワイトアルバム』を二位に退け、世界で最も売れたというピンク・フロイドの『ザ・ウォール』に『Young Lust(若い色情)』という曲があります。プログレッシヴ・ロックを代表するピンク・フロイドがディスコのような音楽を作曲したというのも、非常に稀なので、とても貴重と言えるでしょう。まあ、1980年は、ディスコの最盛期でしたからね。ジョン・トラボルタの『Saturday Night Fever』が、まさにブレークした時代ですから。
映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』のなかの『Young Lust』の映像はこちら。
歌詞はこちらから抜粋します。邦訳は私です。
まさに、Rock'n roll refugee、そう、私はロックンロールの亡命者なのです。どこか新しいところに行くしかないですね。dirty womanのdirtyは、そのままだと「汚い」という意味ですが、dirty magazineは、「エロ雑誌」という意味なので、まあ直訳すれば、dirty womanは、「エッチな女」となるでしょう。そう、エロティシズムが汚いというのは、まさにキリスト教の、いわゆる清教徒倫理に影響された言説ですね。私にとっては、エロティシズムほど美しいものはないと信じて疑いませんが。だから、私もとにかくエッチな女の子が欲しい。そして国外に行って、新来者として快楽を追求したい。NAFTAでは、敗北者となってしまったのですから…。
しかし、映像でのエッチな女の子たちは、有名なロックミュージシャンのパーティーに招待された子たちなので、やはり金と名声に群がる男性至上主義的資本主義思考の女であることにはかわりありません。つまり、金と名声としか遊ばないのです。主人公はすでに富と名声を手に入れたから、離婚した時に自暴自棄になって遊び系の女の子のなかから一人自分の部屋に連れ込むことが出来たのです。いわゆる、グルーピーですね。しかもこのときは80年代、社会的成功を収めた金持ちの女は少なかったはずです。
私のような貧乏なキモオタでは、どうしょうもありません。彼は打ちのめされても名声と金がありましたから。しかし、私こそが、女の子の慰めを受けたいのです。女の子は打ちのめされたとき、いつでも男に泣きつくことが出来る。しかし、男は打ちのめされたとき、そばにだれもいない。順調なときにしか、女は集まってこない。それは、エリック・クラプトンの『Nobody knows you when you're down and out』の歌詞にも反映されています。だからドラッグに走るしかないのです。阿片です。そしてその代表的なものが宗教です。宗教は阿片なのです。
私にとって阿片宗教は、萌えです。つまり、アニメの女の子を求めることです。それにエッチな女の子が負け犬と遊んでくれるのはアニメでしか見れないですから、現実の三次元ではそんなことは残念ながら起きません。セクシュアリティーは二次元でしか解放されてないんですよ。そこで、くるみちゃんや、『ロザバン』の赤夜萌香に萌えるのです。あの、胸のふくらみに顔をうずくめておもいっきり泣きたい。だから、私は虹コンになるしかない、いまの男権至上主義ネオリベラル社会では。
でも、できることなら皮膚感覚が欲しい。だからこそ、真に男女平等の世の中にならなければならない。女性がもっとやさしく、貧困の男性とも金を出してまでデートしてくれないと。だって今では女性はCEO、そして大統領選までにも出ているんですから。やはり『虹コン・マニフェスト』に描いた革命が起きてくれないと、私たちは野垂れ死にしてしまいます。
映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』のなかの『Young Lust』の映像はこちら。
歌詞はこちらから抜粋します。邦訳は私です。
I am just a new boy,
Stranger in this town.
Where are all the good times?
Who's gonna show this stranger around?
Ooooh, I need a dirty woman.
Ooooh, I need a dirty girl.
オレはただのニュー・ボーイだ
この町で初めての
どこで楽しい時間を過ごせるか?
だれがこの新来者を案内してくれるだろうか?
あああ、エロい女が欲しい
おおお、エッチな女の子が必要だ
Will some cold woman in this desert land
Make me feel like a real man?
Take this rock and roll refugee
Oooh, baby set me free.
Ooooh, I need a dirty woman.
Ooooh, I need a dirty girl.
はたしてこの砂漠の土地で冷たい女は
オレを真の男にさせてくれるだろうか?
このロックンロールの亡命者を引き取って
おおお、ベイビー、オレを解放してくれ
おおお、エロい女が欲しい
あああ、エッチな女の子が必要だ
まさに、Rock'n roll refugee、そう、私はロックンロールの亡命者なのです。どこか新しいところに行くしかないですね。dirty womanのdirtyは、そのままだと「汚い」という意味ですが、dirty magazineは、「エロ雑誌」という意味なので、まあ直訳すれば、dirty womanは、「エッチな女」となるでしょう。そう、エロティシズムが汚いというのは、まさにキリスト教の、いわゆる清教徒倫理に影響された言説ですね。私にとっては、エロティシズムほど美しいものはないと信じて疑いませんが。だから、私もとにかくエッチな女の子が欲しい。そして国外に行って、新来者として快楽を追求したい。NAFTAでは、敗北者となってしまったのですから…。
しかし、映像でのエッチな女の子たちは、有名なロックミュージシャンのパーティーに招待された子たちなので、やはり金と名声に群がる男性至上主義的資本主義思考の女であることにはかわりありません。つまり、金と名声としか遊ばないのです。主人公はすでに富と名声を手に入れたから、離婚した時に自暴自棄になって遊び系の女の子のなかから一人自分の部屋に連れ込むことが出来たのです。いわゆる、グルーピーですね。しかもこのときは80年代、社会的成功を収めた金持ちの女は少なかったはずです。
私のような貧乏なキモオタでは、どうしょうもありません。彼は打ちのめされても名声と金がありましたから。しかし、私こそが、女の子の慰めを受けたいのです。女の子は打ちのめされたとき、いつでも男に泣きつくことが出来る。しかし、男は打ちのめされたとき、そばにだれもいない。順調なときにしか、女は集まってこない。それは、エリック・クラプトンの『Nobody knows you when you're down and out』の歌詞にも反映されています。だからドラッグに走るしかないのです。阿片です。そしてその代表的なものが宗教です。宗教は阿片なのです。
私にとって阿片宗教は、萌えです。つまり、アニメの女の子を求めることです。それにエッチな女の子が負け犬と遊んでくれるのはアニメでしか見れないですから、現実の三次元ではそんなことは残念ながら起きません。セクシュアリティーは二次元でしか解放されてないんですよ。そこで、くるみちゃんや、『ロザバン』の赤夜萌香に萌えるのです。あの、胸のふくらみに顔をうずくめておもいっきり泣きたい。だから、私は虹コンになるしかない、いまの男権至上主義ネオリベラル社会では。
でも、できることなら皮膚感覚が欲しい。だからこそ、真に男女平等の世の中にならなければならない。女性がもっとやさしく、貧困の男性とも金を出してまでデートしてくれないと。だって今では女性はCEO、そして大統領選までにも出ているんですから。やはり『虹コン・マニフェスト』に描いた革命が起きてくれないと、私たちは野垂れ死にしてしまいます。
この日は、日本仏教では、ゴータマ・シッダールタが成道した日です。つまり、悟りを開いた日でもあります。そして、真珠湾攻撃の日でもあります。そして、ジョン・レノンが銃殺された日でもあります。日本では、ジョン・レノンを崇拝する人が多いので、ジョン・レノン・ミュージアムがあるほどです。ジョンは、私のヒーローであり、プロレタリアートの英雄でもありました。あのパンクバンドのグリーンデーも、『労働者階級の英雄』をカヴァーしているぐらいですから。ジョン・レノンは、ビートルズが労働者階級のバンドであることを誇りにしていました。私は、ジョン・レノンもそうですが、フリーダ・カーロも同じ労働者階級系統で、とても尊敬しています。私は、チェ・ゲバラよりも、フリーダでしたね。かつては、彼女が、私の世界でもっとも尊敬する芸術家でした。彼女は、メキシコ出身のスーリアリズムの女性芸術家で、私は、メキシコシティーにあるフリーダの美術館にも巡礼に行きました。そこは、フリーダの青い家が美術館に改造されていて、そして彼女の寝室には、マルクスとレーニンの写真が飾ってあったのが衝撃的でした。また、スターリンや、毛沢東の写真まであったのは驚きでした。あの二人は、ちょっとヒットラーと同じぐらい邪道であるとしか思えないのですが…。でも、マルクス主義の考え方には同調しないにしろ、弱者救済の思想には共感します。ジョン・レノンの『イマジン』も、そういうところの影響は受けているはずです。とくに、ネオリベラリズムで貨幣経済最優先となってしまったこの大人の社会では、ジョンの精神は見直されるべきでしょう。弱肉強食、自然淘汰というあまりにも過酷な競争社会は、人の心と体、両方ともボロボロにしてしまいます。だから、薬物かサプリメント、栄養増強ドリンクとかで、体力を補充して、くたくたになるまで働かされるのです。そう、薬物の助けがなければ、とてもやっていけない社会なのです。それが、ずばり資本主義社会です。酷使です。労役です。8時間も労働に拘束されて平気であるというほうがおかしいのです。そして、週末になると飲みに行き、楽しみはそれで終わってしまうのです。そして気付いた時には、過労死寸前の危機に陥ってしまっているのです。いわゆる企業奴隷です。だから、大人になりたいと思う子どもは減っていくのです。そして、彼女らはインディゴチルドレンと呼ばれるのです。やはり、今こそ、ジョン・レノンの魂を復活させるべきではないでしょうか?それを強く認識させられる日でもありました。
ああ、働きたくない。月曜日は本当に最悪です。さらに水曜日は、とくに週の中間なので、とくに疲れます、精神的にも肉体的にも。人間は、肉体よりも、精神を使った方が疲労度が激しいと言いますからね。たしかに、それは当たっていると思います。お金がないキモオタは、出掛けるきっかけがないので、週末の休日は、ひたすらひきこもってアニメに没頭しています。そうやって、現実逃避、資本主義社会という大人社会から逃避して、二次元の学園世界へと旅立つのです。そう、そのときこそ、資本主義の奴隷の身分から解放されるのです。大人から、16歳の高校生へと、変身するのです。そうやって、毎週の週末は、若返りをはかるのです。そう、再生、復活のようなものです。クリスチャンも、毎週の日曜日に教会に行って、聖水を飲むように。アニメは、私にとっては、聖水なのです。
そうそう、格闘技のできる女の子は、ほんとかっこいいですよね。というか、かわいいし。ナウシカで私は、はじめて、童心ながら、女の子の強さというものに神秘的な要素を感じましたし、『Yawara!』で、私は強い女の子にとても憧れました。そして『Bamboo Blade(直訳:そのまんま竹刀)』で、あの主人公のタマちゃんにとても憧れてしまいますよ!しかも、とても強いのに、性格は普段はおっとりしていて、というかぼーっとしていて、それにちんちくりんでかわいいし、なんといっても髪型がショートカット、そう、学園でしかその魅力が発揮できないスポーツガール系のショート、それが、もっとも私を、
「うご〜、かわいいいいいい!!!」
ときゅいーんとさせてしまいましたね。私は小さい子は、あまり路線ではないのですが、いや〜、タマちゃん、くっくく。あと、幽霊部員的なサヤちゃんは、私の音楽の趣味とピッタリでしゅ。彼女は、ジミヘンの『Purple Haze』に感化されて、エレキギターをはじめましたからね。まあ、飽きが速いとうのが、彼女の短所なんだけれど…。そう、サイケデリックロックですよ。ジミヘンといえば、『星条旗』をディストーションサウンドのエレキギターで演奏したはじめてのギタリストじゃないですか!アメリカ人ならば、だれもが知っている超偉大な人物です!それから、エレキをやってる人ならば、絶対に弾くとされる定番になったわけですから!俳優なら、絶対にシェークスピアの台詞は暗唱できなきゃいけないようなものです。
私は、高校のとき、彼を尊敬していました。そして、高校生であるサヤちゃんがジミヘンをすげぇ〜と賛美していたのですから、絶対に私と感性が合うはずなんでーす。そういや、私の学園では、ジミヘンを聴いている子なんていなかったなぁ。みんなスマップのようなジャニーズや、安室奈美恵などの小室ファミリーを頂点としたJ-popばかりで、完全に恋愛資本主義に冒されてしまっていましたからね。ああ、だから、サヤちゃんは、ほんと貴重ですよ。あんな子がいたなら、絶対に友だちになっていたし、渡米も考え直したと思う!
まあ、そんなわけで、今回は、ジミヘンの『パープル・ヘイズ』を貼付しまーす!サヤちゃん、ばんざーい!!!
そうそう、格闘技のできる女の子は、ほんとかっこいいですよね。というか、かわいいし。ナウシカで私は、はじめて、童心ながら、女の子の強さというものに神秘的な要素を感じましたし、『Yawara!』で、私は強い女の子にとても憧れました。そして『Bamboo Blade(直訳:そのまんま竹刀)』で、あの主人公のタマちゃんにとても憧れてしまいますよ!しかも、とても強いのに、性格は普段はおっとりしていて、というかぼーっとしていて、それにちんちくりんでかわいいし、なんといっても髪型がショートカット、そう、学園でしかその魅力が発揮できないスポーツガール系のショート、それが、もっとも私を、
「うご〜、かわいいいいいい!!!」
ときゅいーんとさせてしまいましたね。私は小さい子は、あまり路線ではないのですが、いや〜、タマちゃん、くっくく。あと、幽霊部員的なサヤちゃんは、私の音楽の趣味とピッタリでしゅ。彼女は、ジミヘンの『Purple Haze』に感化されて、エレキギターをはじめましたからね。まあ、飽きが速いとうのが、彼女の短所なんだけれど…。そう、サイケデリックロックですよ。ジミヘンといえば、『星条旗』をディストーションサウンドのエレキギターで演奏したはじめてのギタリストじゃないですか!アメリカ人ならば、だれもが知っている超偉大な人物です!それから、エレキをやってる人ならば、絶対に弾くとされる定番になったわけですから!俳優なら、絶対にシェークスピアの台詞は暗唱できなきゃいけないようなものです。
私は、高校のとき、彼を尊敬していました。そして、高校生であるサヤちゃんがジミヘンをすげぇ〜と賛美していたのですから、絶対に私と感性が合うはずなんでーす。そういや、私の学園では、ジミヘンを聴いている子なんていなかったなぁ。みんなスマップのようなジャニーズや、安室奈美恵などの小室ファミリーを頂点としたJ-popばかりで、完全に恋愛資本主義に冒されてしまっていましたからね。ああ、だから、サヤちゃんは、ほんと貴重ですよ。あんな子がいたなら、絶対に友だちになっていたし、渡米も考え直したと思う!
まあ、そんなわけで、今回は、ジミヘンの『パープル・ヘイズ』を貼付しまーす!サヤちゃん、ばんざーい!!!
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Lance ハマってしまったようですね(笑)
Bamboo Bladeおもしろいですよね! しかし、「サーヤ」に行くとは思いませんでしたね〜。 自分は特に誰というのは無いですが話がおもしろいから観てます。
日本の若者(特に女子)は“周りと同じ事が正しい”と思ってますから「皆が聴いてるから私も」という主張性が無い行動をとるのでしょう。 全員が全員ではないですけどね。
だからファッションもメイクも同じになって皆同じ顔に見えるのでしょう。
それに比べると、どのジャンルのオタクも個性があって良いと思います。 まさに、オタクまんせー!!!
はい、ハマっちゃいました…(汗)
ヘルメス 尊師、
いやぁ、心強い言葉、ありがとうこざいます。ほんと、日本はそういった意味では、生きにくい社会ですよね。でも、サヤちゃんの情熱をかける行動は、そんな個性を駄目にする社会に反するようなものなので、親近感を持ちましたよ。そして、とくに女子の場合は、周りと違うことをするのは、男よりも勇気がいることだと思いますから、彼女は、すばらしかったです。まさにオタクの鏡ですね!彼女は、きっとアメリカのほうが合ってると思いますよ。
オタク、まんせー!!!
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かーかっかかー!!!
いやー、もう「悲しみの向こうへ」という曲は衝撃的でしたよ。だって、あれは、もう放送禁止となってしまった最終回の歌曲でしたから。あの衝撃のシーン、とてもショッキングでしばらく睡眠不足に陥りました。私はアニメには常に「萌え」を求めているんですが、このアニメでは、まったく萌えはなかったですね。ほんと、悲しみ、悲劇としかいいようがありませんでした。ブラジルのことばだと、「サウダージ」になるんでしょうね。アニメに救いを求めるはずだったんですが、こればかりは、逆にカタルシスどころか、大きな外傷を負ってしまい、PTSDになってしまいますよね。
私のスクールデーズ(学園の日々)と言えば、キモメンであり(自分ではそう思っていませんでしたが、むしろ自分はタキシード仮面と思っていましたが、学園のクラスメイトの女子にそう思われていたのでそうなのでしょう)、またアニメオタクであり、それが合わさって最悪のコンビネーションのキモオタとして、避けられていたこどぐらいですね。そして、彼女らがイケメンと思う男と来たら、キムタクを頂点としたジャニーズ系で、だからキムタクは消費社会の抑圧のシンボルでした。いわゆる芸能人崇拝が、日本でした。キムタクはイケメンで成功した金持ちの芸能人で、それを女子高生は崇拝していたのです。だから、すでに学園のときから、資本主義の消費社会の言説に取り込まれてしまっていました。彼女らは、なにかというと芸能人の話題ばかりしていましたから。アイドル崇拝、それが日本社会を蔓延っていました。だから、私は、ニーチェのいう「アイドルの黄昏」を望んで、というか憎しみと怒り(まあ、はっきり言ったら怨念ですが、まあ、ニーチェの言葉だと「ルサンチマン」ですが)を以て、日本を捨てました。私のコードネームは女子の間では、「キモタク」でしたから、彼女らは私がそれに気付いていないと思っていたようですが、「悪事は千里を渡る」という通り、本人に伝わってしまうんですよ。それはキモメンとオタクを合わせたことばで、その時はまだ「キモオタ」ということばすらなかったですから、女子高生得意の言葉遊びで、私は卑下されてしまた。私の大好きな女の子たちにそう思われてしまっている、よって、その現実から逃避するため、私は渡米したのです。
まあ、その芸能人崇拝という日本人の特性を利用して、小泉は大衆動員型政治を実行したわけですが…。それによって、日本の腐敗した男尊女卑の年功序列社会を破壊したのは、実に皮肉です。榎本加奈子でさえ、
「小泉さん、いいですね
」と言っていましたし、関口宏やビートたけしや所ジョージまで、小泉を絶賛してしまったんですから。ビートたけしといえば、石原慎太郎につぐ日本のオピニオンリーダーですからね。日本人の崇拝する芸能人たちが崇拝する指導者、小泉はそれで「芸能人のなかの芸能人」という策略を実行しました。モー娘に対して「イブニング男」といったのも、大衆政治家としての、ポピュリズムがうかがえます。まあ、アメリカでは、ハリウッド映画の俳優でしょうか、実際にシュワルツネッガー、クリント・イーストウッド、ロナルド・レーガンなどがいますから。まあ、私はその風土に渡ったわけですが。
しかし、蓋を開けてみれば、アメリカは、ネオリベラル社会でした。そこも、現実だったのです。だから、アニメしか、私の桃源郷は残されていません。しかし、現実というネオリベラルな社会から逃避しようというのに、それで『School Days』を見たのに、桃源郷であるはずのアニメの世界がこんなんだとは。マルクスは、きっと萌え系アニメを「阿片」と呼んだのでしょうが、このアニメは阿片ではなくてダイオキシンでしたね。いやー、すごかったです。小泉改革の影の部分をもろに見せつけられたような。これぞ「ゆとり教育」の悪い結果なのでしょうか。いや、たまたまでしょう。
それにしても、スクールデイズは、強いて言うなら石原慎太郎の「太陽の季節」を思い起こさせるようなアニメでした。でも、このアニメの恋愛は、女性主導でしたので、その辺は、まったく違いますけどね。ああ、でも携帯での恋愛、あこがれます!しかもメールで恋文を送信するなんて!なんで私は現在高校生じゃないんでしょうか?青春を返せー!
クリスマスイブに女の子と寄り添うことをどれほど夢見ていただろうか。イエスの降誕祭の前夜でのロマンス。しかし、私の高校生活はとっくに過ぎてしまいました。青春を経験できなかった人生なんて、なんの意味があるんでしょうか?ナンセンスです。ニヒルです。諸行無常です。まさに祇園の鐘の声のごとく。ほんとサウダージですよ。悲しみですよ。その向こうにはなにがあるんでしょうね?
もう一度16歳になれたら!もし魔法のランプがあるのなら、ドラゴンボールが願いを叶えてくれるのなら、私は16歳になってふたたび学園で桂言葉ちゃんのような女の子と恋愛をしたいです。あと、欲張りを言えば、女の子にもなりたいです。レズビアンとして、永遠のお姉さまである小笠原祥子さまと恋をしたい。体が小さくて貧弱で華奢な性同一性障害者の金太郎くんも、祥子さまに救われたんです!永遠のスール(姉)である祥子さまに。私もお姉さん萌えなので、これはもう、エヴァンゲリオン(福音)でした。それまで金太郎くんは自分の本名を隠して、「アリス」というあだ名で通していました。しかし、それはあだ名ではなくて、そう、彼は本当にアリスだったんですよ。そして、祥子さまは、窓から放たれる太陽の光をバックにして、
「『金太郎』という名前も素敵だけど、『アリス』という響きのほうが、あなたにはピッタリだわ
」と、なんと金太郎くんをアリスとして承認したのです!私は、あまりもの感動と衝撃で涙を流してしまいました。これぞ、カトリックのマリア様の慈悲というものです。まさにマザーテレサがカーストの最下層の死に行く人に、「I love you」と言うようなものです。死に行く人は、それだけで、魂が救われるのです!私はずっと自分を主人公の裕巳ちゃんと同化させていましたけれども、金太郎くんにも同化してしまいました。リリアン女学園の入学式の歓迎会で、祥子さまが聖堂
のステンドグラスの光に包まれて「アヴェマリア」をオルガンで演奏するあの華麗さ、裕巳ちゃんが「はぁあ」と感動に浸った時、私も、それで恍惚に包まれて、そのときから、裕巳ちゃんになってしまいましたよ。私は、それで必死になってラテン語の歌詞も暗記したぐらいですから、祥子さまに近づきたい一心で。でも、今回は、アリスを目指す金太郎くんでしたけどね。アリスは女の子ですから。でも、男が女の子になれないということはないでしょう。私もアリスを目指す人間として、彼の気持ちはすごくわかります!アリスはゲルマン系統で、ロリータはラテン系統ですね。でも、この二つが今のアニメに多大な影響を及ぼしているのです。この二つがなければ、いまのアニメは成り立ちません。そして、やはり学園、とくに女学園で、私は救われるのです。救いの場所は学園にしかありません。私の求めているものは楽園ではありません、学園なのです。しかし、学園生活を喪失してしまいました。よって、救いが求められません。それこそ失学園。だから、年齢を再び16歳にすることでしか、救いの道はありません。しかし、現在では、残念ながら、遺伝子工学はそこまで発達していません。ああ、私のスクールデーズはいずこ!
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美し過ぎる。ボサノバ、ここまで美しいとは。しかも歌手が日本人離れした、というか日本人には見えないセクシーな美しさ、ああ、やはりセクシーな女性の超能力、スーパーパワー、ニュータイプの特性、というか特別な属性に
「ああああ、なんてキレイなんだ!」
となるのでしょう。それは、まるで、聖テレジアの法悦のような感動と恍惚とでも言いましょうか。「はぁ〜」となっちゃいますよね。女性そのものにももちろん「きれいー」と感動しますが、それよりも、彼女のニュータイプとしての才能、巫女的な神懸かり的な、そのようなこちらとあちらの世界をつなぐような媒介(メディアム)としての特殊能力、それに私はもう言語回路と論理的思考回路が完全にシャットダウンしちゃいますね。
「ああああ、なんてキレイなんだ!」
となるのでしょう。それは、まるで、聖テレジアの法悦のような感動と恍惚とでも言いましょうか。「はぁ〜」となっちゃいますよね。女性そのものにももちろん「きれいー」と感動しますが、それよりも、彼女のニュータイプとしての才能、巫女的な神懸かり的な、そのようなこちらとあちらの世界をつなぐような媒介(メディアム)としての特殊能力、それに私はもう言語回路と論理的思考回路が完全にシャットダウンしちゃいますね。
やはり類は友を呼ぶといいますが、私の尊敬するアーティストである尊師が紹介してくれたMayumi Kaneyukiというアーティストなんですけど、その方の音楽は、もう絶叫を通り越して、その甘いセクシーなジャズ的なアルカホールのほろ酔いにも似た幻覚的なサウンドにくらっとしちゃいましたね。ディジーになっちゃったという感覚でしょうか。こんな感覚はひさしぶりです。これでは、たちまちに恋に落ちてしまいます。ロマンチストならば、「魔法」もしくは「マジック」と呼ぶんでしょうけどね、私はロマンチストではないので、とうか、ポストモダンでもないので、ただの萌え系アニメ好きな変人なので、「黒魔術」とでもしておきましょうか?ホレ薬を飲まされたような…。
ああ、お姉ちゃん絶賛のマンボーのような(あれは音楽のジャンルじゃなくて魚か?)、ボサノバのような、ラテンの色濃い、ほんと恋というものが崇高で、また生々しいものでもあるという、聖なるものとおぞましきものがブレンドしたような、いやー、その軽く弾くピアノとギターといいますか、力を抜いた音楽というのも、いいですよね。私は、ボサノバは、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメで初めて聴いたんですけど、まあ、ボサノバ初体験だったんですけど、それはそれは、あのエンディングの月光が湖に浮かんで、その上に裸体の女性の美しきセクシーでフェミニンをそのまま体現したようなシルエットが逆さまに歩行運動をしているという、私は衝撃を受け、感動してしまいました。そのときのかかっていたアニソンが『Fly Me To The Moon』というジャズのスタンダードで、それがボサノバ風にアレンジされていたのですよ。あああ、すばらしかったです。それからです、アントニオ・カルロス・ジョビムを聴くようになったのは。
そして、坂本真綾が出演した『ラーゼフォン』もボサノバとかジャズ風の曲を挿入歌に多く使っていたので、あの大人の雰囲気はすばらしいものでした。『ガンダム』とは違い、ラーゼフォンを操縦するパイロットは「インストゥルメンタリスト(奏者)」と呼ばれます。そして、インストゥルメンタリストとしての17歳の少年の恋人は、時空の歪みのために、一人だけ29歳となってしまったのです。それは、彼女の時間が過ぎてしまったということなのであり、一人だけ老化してしまったとうこと。そのすべてを過去のものとしてしまう時間の恐ろしさを、ボサノバは痛烈に直視させるようなところもあるんです。音楽も、時間性とは切って離せませんからね。ほんと、ギターとピアノ、あのオブリガードは、間があって、その隙間が、まるで諸行無常を表しているような。ものはあわれのような。それは、ピンク・フロイドの『Time』に通じるものがあります。
でも、17歳の少年は、奏者でもあり、アーティストなわけです。彼は17歳の恋人をずっと油絵で描き続けたわけですから。実際の恋人は、12歳年上になってしまったんですが。彼が恋人に永遠の17歳像を求めることができたのは、アートの世界だけだったのです。まあ、恋人にとって彼は、17歳そのままだったのですが、自分だけが12年も年を取ってしまったという悲劇が彼女を突き刺しましたけれども。
『Sola』もまた、時間制にかかわるストーリーです。30代後半か40代前半のヒゲダンディーは、小学生の娘を連れてまわっているんですが、実は、その子は、娘ではなく、彼の小学校のときの初恋の人だったんです。彼だけ何十年という年をとってしまいましたが、恋人はゲーテのいうところの「永遠の女性」だったのです。初恋の人は殺人事件に巻き込まれてしまいますが、夜禍の力によって彼女は蘇生します。そして、そのときから、彼女のファッションもサブカルチャーのゴスロリ系となります。あれは、「死」を表しているのでしょう。キリスト教のシンボルが十字架であるように。そう、彼女は死した永遠のロリータだったのです。しかし、彼女がヒゲダンディーの初恋の人だったという事実、それは、どんなに私の心を打ったことか!あのときは、涙を流してしまいました。まさに、ダンテの『神曲』の域です。
そういえば、『おねがいティーチャー』も、時間制の歪みがテーマでしたね。主人公は『レナードの朝』的な、「停滞」という昏睡状態に陥ってしまって、目ざめた時は浦島太郎のように数年もの時間が経過してしまっていて、同級生が成長して自分より年上になってしまったという悲劇。そこに、超セクシーな救い主のみずほ先生が天から降りてくるわけです。だから、彼は再び自分のなかに引き蘢らずに済んだのですね。風見みずほという永遠の女性像が、彼を救ったのです。そして、みずほ先生役の声優は、あの17歳教の開祖、井上喜久子さまです!
ああ、でも、やっぱり女性というのは、本当に美しいですね。この世で一番美しいものは、やはり女性でしょう。アートは女性の美を引き立たせるためにあるようなものです。それは、ジェームス・キャメロンの最高傑作『タイタニック』でも表現されてるでしょう。あのデカプリオが十字形に腕を広げている女性を包み込むように抱擁してキスするという、なんと素晴らしいシーンだったんでしょう。そしてMayumiさんが歌うボサノバも、女性の美を引き立たせるもので、しかも声がとてもセクシーで、ああ、なんといえばいいんでしょうか。音楽もセクシー。『One Kiss From You』がとても素敵すぎて、頭の爆発よりも、頭がとろけると言った方がいいですね。頭の爆発は「萌え」ですけど、頭のとろけりは「セクシーさ」ですよね。そのセクシーなメロディーは、私を憂鬱にさせます。
しかも、『ボサノバのカフェ』の歌詞がいいですよ。もうジーンと来ちゃう。
「そのリズムは女の鼓動、そのメロディーは男の孤独…」
私は、
「あああああああ、ほんとその通りだー!」
となってしまいました。そう、ボサノバは悲しみ、まさに「Saudadeサウダージ」なのです。サウダージは日本の「わび、さび」というのとは、また違いますが、それに似てはいます。まあ、悲愁とでもいいますか。哀愁ただようとでも言いましょうか。過ぎてしまったもの、たとえば恋の感情、それを思うこと、まあ「郷愁、懐旧の情」とでもいいましょうか。すべては過ぎ去ってしまい、はかなく、悲しみだけが残るという、万能性の否定、永遠性の否定からサウダージははじまっているのかもしれません。だから、今ただその時を思いっきり楽しもうという態度に変わるのかもしれませんね。それは、ゴータマ・シッダールタの感じた虚しさ、「空、emptiness 」に通じるのかもしれません。彼も王子だったので、楽器は教養の一環として弾けたことでしょう。まあ、当時はギターもボサノバもありませんでしたが、シッダールタもそのような思いで、音楽を奏でたのでしょう。とくに、雨の日に。インドでは夏が雨期ですから、彼は避暑地の別荘、いわゆる雨期の離宮で音楽に興じていたのでしょう。そして、彼は妓楽ともども、楽器を捨てたのです。事実、出家した者は、楽器を弾くことも許されませんでしたし、音楽を聴くことも許されませんでした。サウダージによって人はうろたえるので、サウダージそのものを断ってしまおうとしたのでしょう。サウダージはセクシーさの根底にあり、輪廻に束縛させるものと考えられたのでしょう。
ああ、サウダージ、それこそボサノバの根底にあるものでしょう。私の萌えの根底には憂鬱があるように。メランコリー(憂鬱)があるのですよ。『涼宮ハルヒの憂鬱』も英語に訳すと『メランコリー・オブ・ハルヒ・スズミヤ』となるので、サウダージなのでしょう。ボサノバチックですね。リズムを打つということは、時間性に縛られている、そしてメロディーもそれに従わざるを得ない、メロディーの音符も時間性ですね。そのリズムである心臓の鼓動は老化していることを表しています。それが人間のリズムであり、リズムはいずれ終焉してしまいます。英語にはOld age tires both body and soul.(寄る年波には勝てない)ということわざがあります。直訳すれば、
「老いは肉体と魂両方を疲労させる」
となります。そう、ここでもっとも重要なのは、魂、いわゆる精神も、老化に影響されてしまうということなのです。魂も老いてしまうのです。それこそ痛恨の事実というものではないでしょうか?ボサノバは、「新しい波」という意味ですから、新しい鼓動を打つたびに、人間は心身とも老いていくわけです。新しい波は年波なわけです。そして、すべては過ぎ去ってしまい、老化するだけなのです。新しいものがあるから古いものがある。古い波は消え去ってしまうのです。それは月の運行によって影響を受ける潮の満ち引きにも通じます。そして、女性の月経も月ごとにやってきますし、その月のリズムの周期も、閉経によって、やがて滅びてしまいます。そういう意味では、女性はよりリズム的な存在なのでしょう。だから、女性がゆったりしたリズムで色っぽくなるように、ボサノバのピアノの音、ガットギターの音、それらはできるだけカラフルに音程が混じり合うコードを奏でるんですが、しかし、それも儚く消滅してしまいます。そして、音楽は終わってしまいます。よって、私は老いと死を凌駕するため、この時間というものを超越したいと考えるのです。そして永遠の16歳になりたいのです。そうすれば、老化なんて絶対に起きないじゃないですか。
サウダージ、悲しい。
「セクシーさとサウダージは二極一対なのかも」
とさえ思ってしまいます。ボサノバは本当に悲しい。しみじみとした思いにさせてしまいます。でも、ボサノバでも、沢近愛理の『Feel my feeling』はいいですね。しんみりしていて。本当、17歳の女の子の曲で、セクシーさはあまり感じられない。セクシーさなしで、充分恋が楽しめるわけです。っていうか、萌えとボサノバが融合しているすばらしいものです!いいですね。たぶん、私の予想では、セクシーさは、やはり永遠を諦めているところから来ているのかもしれません。社会に出てしまった大人は、去勢された存在ですから、「死に行く存在」として悲しみが溢れているのです。そう、セクシーさとは、傷を舐めさせるための密のようなものです。カール・マルクスは阿片と言いましたが…。『ラーゼフォン』を観て、そう思いました。17歳の少年の恋人は、年をとってセクシーになりましたが、そのセクシーさは、老化という永遠性を否定する現実に原因があるようです。それでも、少年は年を取った恋人を、受け入れました。すごかったです、感動してしまいました。
そういえば『君が望む永遠』もセクシーさは大人の雰囲気ですね。涼宮遥は、事故で3年間も意識不明になり、目ざめたらボーイフレンドは社会人となっており、ボーイフレンドは、自分の親友である速瀬水月と付き合っているという事実、それはあまりにも悲劇的でした。一方の速瀬水月は、社会人になってとてもセクシーになりましたが、それは、やはり悲しみに覆われていたからこそでした。大人になることは、水泳選手としての、自分の万能を諦めるということでもあったのです。だから、その大人になった悲しみが、去勢によるサウダージが、彼女をいっそうセクシーにさせました。セクシーさは、サウダージと表裏一体なのです。だから、彼女のセクシュアリティーは、あのように「死の贈与」となってしまったのです。
まあ、カフェというのは、フランスの実存主義者たちが集まって、タバコを吹かしてコーヒーを飲んで、ハチャメチャなことを語り合っていた場所ですから、だから、『ボサノバのカフェ』も実存主義的なのでしょう。60年代のフランス映画の『男と女』や『女性上位時代』もテーマ曲がボサノバですから。『男と女』の女の夫がスタントマンで、彼は、ボサノバを崇拝してましたから。フレンチロリータたちには、もってこいの音楽ですね。またその時期に五月革命が流行りましたから。だから、ボサノバは実存主義的なアニメの『エヴァンゲリオン』や『ラーゼフォン』にとても合ったのでしょう。また、実存主義的なアニメが制作されるなれば、Mayumiさんの曲をぜひ、アニソンとして使ってもらいたいですね。まあ、私はボサノバ喫茶よりも、メイド喫茶のほうですが。だから、私としてはセクシーな『ボサノバのカフェ』ではなくて、萌えの『メイドのカフェ』というのを作曲して欲しいですね。そして、もちろん、そこでは、禁煙ですし、アルコールも出ません、なにしろ17歳ですから。身体の破壊行為は永遠性を台無しにするものですから。だから、私はメイド喫茶です。
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『One Kiss From Me』は、どうしょうもない。ああ、どうしょうもない。ほんと、どうしょうもない。この曲は、ナップスターのサイトで聴けると思うのだが、うぬー、もう、「あああ」という感じだけです。とても切なくて、私も、この曲をさっそくiPodに取り込んで、夜しーんとしたあたりに聴きますし、そして会社で南米育ちの同僚に聴かせたんだけど、彼も、
「ほんとに、ジーンときましたよ」
と言っていました。
私も南米に行きたかったんですよ。学園で、いじめられて、引きこもりになって、そして、日本社会が嫌になって、とにかく新天地を求めていました。新天地はやはりアメリカ大陸でしょう。アメリカ大陸と言えば、NAFTA、中米、南米ですね。ああ、あとカリブがありましたねー。とにかく、北米を抜かせば、スペイン語、ポルトガル語、フランス語と、ラテン系の言語が主流ですから。だから、私は高校のときに、スペイン語と英語を同時に学んでいました。しかし、英語のほうが良くできたので、私は北米に行くことを決めました。スペイン語は本当に難しかった。英語より、とても煩瑣で、ややこしくて、文法でセンテンスを築くのに一苦労でした。読むのは良かったんですけど、文章が組み立てられませんでしたね、文法があまりにもややこしくて。
「あんな言語、よく話せるなぁ」
と思いましたよ。まるで、日本の古典ですよ。でも、なんでスペイン語を学んだかと言うと、当時は、サッカーがとても流行っていたし、それで南米文化が日本にどっと入ってきた。それに触発されて、南米文化は憧れになりましたね。私のクラスメイトも、ポルトガル語を自分で学んで、ブラジルに留学しましたから、それは、私に取っても、すごい刺激となりました。
私は、とにかく日本という腐敗した社会から出たい、だから、アメリカ大陸に行きたかったんです。でも、やはり、女性でしたね、私の最大の動機は。ラテン系の女性、『新世紀エヴァンゲリオン』のボサノバの曲によって、私は、ブラジル人女性のセクシーさを思い浮かべて、それで、高校のときに、ギターのコードを本格的に学んで、ボサノバを弾くようになったんですよ。スワーヴェ、スワヴィタ、甘さ、そして悲しさ、セクシーさ、すべてを兼ね備えているのがブラジル人女性なのだと思いました。もちろんそれは現実ではなくて、私の想像の世界ですけれども。ブラジルに行ったことはありませんし。しかし、そのボサノバの曲が、私に衝撃を与えたわけです。それで、初めてボサノバの存在を知ったのですから。そう、『エヴァンゲリオン』のエンディングの曲も、私に南米にすごい興味を持たせたきっかけです。だから、ちょっとポルトガル語も勉強したことがあったんですよ。すべては、ブラジル人女性を求めて…。
一方、日本の女性は、たとえ美女でも、吐き気が起こってしまいましたから。あれはかなりまずかった。緊急事態でした。美女を見て吐き気を起こすのは、よっぽどです。だから、もう、日本社会にはいられませんでした。もともとイジメを受けたため、人が嫌になって、引き蘢ってしまいましたが、でも、あそこまでひどくなるとは予想外でした。まさか美女にたいして不快感を起こすなんて。重症でした。だから、環境を変えるしかなかったんです。だから、渡米したんです。
ああ、今でも、またすべてが嫌になってきています。というか、嫌です、なにもかも、全部嫌だ。アメリカのネオリベラル社会、資本主義の冷酷さ、私の尊敬する老いた知り合いも、
「アメリカは破滅する運命にある」
と、とても悲観的でした。あそこまで愛国心の強い国家主義者が、そんなことを言うのですから、そういう認識が、帝国に広がりつつあるということです。だからもう、アメリカは駄目でしょう。社会が嫌だ、政治も、経済も、エンターテーメントも、すべてはネオリベラル消費社会に搾取される歯車にすぎないんです。そんなんだったら、社会で生きてる意味がありません。だから、私は、もう引き蘢りたい。だれとも顔を合わせたくない。唯一心残りなのは、美女です。この世にあんな美しい存在がいることを知っているから、自殺もできませんでしたし、引きこもりになったことを後悔したんですよ。彼女らがいたから、私は引き蘢ろうと思っても、ちゃんと社会で働いて食いつないできました。でも、もう疲れちゃいましたよ。
あぁあ、もう疲れた。ほんと、疲れたよ。がんばろうという気力すらない。憂鬱のみが私を支配してます。このままひきこもって、アニメ見て、ブログだけ書いて、生きていきたい。モンタナかどこかの寒い山奥にひきこもりたい。ロッキー山脈なら、ユタでもいいんだけど、あそこは、モルモン教だし、私を助けようとするだろうから、自由にはできないでしょうね。おっせかいはゴメンです。
「さわらないで、ほっといてくれっ」
と言いたいです。私はひきこもりとして産まれてきたんでしょうから。だって社会に溶け込むことは、私の性に合っていないんです。私は社会性の動物ではありません。このまま、会社をやめてどこかに逃げてひきこもりたいです。まったくなにをやっているのかわかりませんので。
そんなことを『One Kiss From Me』を聴きながら思ってしまいました。ほんと憂鬱にさせてしまう音楽です。現実は嫌です。老化していく自分が嫌です。自分を16歳として人々は見てくれません。この前、17歳ぐらいの女の子に、
「Sir」
と言われたので、とてもショックでした。あきらかに、私が大人に見えてしまっているということです。私は彼女よりも一つ年下なはずなのに…。そんな現実は嫌だー!!たすけてくれー。ほんとに嫌だ。やめてくれ〜。苦しい、苦しくてたまらない。年をとりたくない。16歳になりたい。女の子にそういうふうに見られてしまっているということは、一体どうすればいいんでしょうか。もう駄目だ。人生は台無しだ。悲しい、すべては悲しい。サウダージしかない。セクシーさをアピールするのは、なんの意味があるんでしょうか。だって、それは大人の女性がすることだけど、それはある意味、自分が「去勢された『大人』」だということを言いふらしているようなものなんですよ。
性同一性障害というのがあるんだけど、私はたぶん「年齢同一性障害」なんでしょうね。17歳教もたぶんそうだと思います。『One Kiss From Me』という曲は、現実と向き合わさせられる楽曲でした。もうなにもかもが虚しくなって、引き蘢ってしまいたいです。
「ほんとに、ジーンときましたよ」
と言っていました。
私も南米に行きたかったんですよ。学園で、いじめられて、引きこもりになって、そして、日本社会が嫌になって、とにかく新天地を求めていました。新天地はやはりアメリカ大陸でしょう。アメリカ大陸と言えば、NAFTA、中米、南米ですね。ああ、あとカリブがありましたねー。とにかく、北米を抜かせば、スペイン語、ポルトガル語、フランス語と、ラテン系の言語が主流ですから。だから、私は高校のときに、スペイン語と英語を同時に学んでいました。しかし、英語のほうが良くできたので、私は北米に行くことを決めました。スペイン語は本当に難しかった。英語より、とても煩瑣で、ややこしくて、文法でセンテンスを築くのに一苦労でした。読むのは良かったんですけど、文章が組み立てられませんでしたね、文法があまりにもややこしくて。
「あんな言語、よく話せるなぁ」
と思いましたよ。まるで、日本の古典ですよ。でも、なんでスペイン語を学んだかと言うと、当時は、サッカーがとても流行っていたし、それで南米文化が日本にどっと入ってきた。それに触発されて、南米文化は憧れになりましたね。私のクラスメイトも、ポルトガル語を自分で学んで、ブラジルに留学しましたから、それは、私に取っても、すごい刺激となりました。
私は、とにかく日本という腐敗した社会から出たい、だから、アメリカ大陸に行きたかったんです。でも、やはり、女性でしたね、私の最大の動機は。ラテン系の女性、『新世紀エヴァンゲリオン』のボサノバの曲によって、私は、ブラジル人女性のセクシーさを思い浮かべて、それで、高校のときに、ギターのコードを本格的に学んで、ボサノバを弾くようになったんですよ。スワーヴェ、スワヴィタ、甘さ、そして悲しさ、セクシーさ、すべてを兼ね備えているのがブラジル人女性なのだと思いました。もちろんそれは現実ではなくて、私の想像の世界ですけれども。ブラジルに行ったことはありませんし。しかし、そのボサノバの曲が、私に衝撃を与えたわけです。それで、初めてボサノバの存在を知ったのですから。そう、『エヴァンゲリオン』のエンディングの曲も、私に南米にすごい興味を持たせたきっかけです。だから、ちょっとポルトガル語も勉強したことがあったんですよ。すべては、ブラジル人女性を求めて…。
一方、日本の女性は、たとえ美女でも、吐き気が起こってしまいましたから。あれはかなりまずかった。緊急事態でした。美女を見て吐き気を起こすのは、よっぽどです。だから、もう、日本社会にはいられませんでした。もともとイジメを受けたため、人が嫌になって、引き蘢ってしまいましたが、でも、あそこまでひどくなるとは予想外でした。まさか美女にたいして不快感を起こすなんて。重症でした。だから、環境を変えるしかなかったんです。だから、渡米したんです。
ああ、今でも、またすべてが嫌になってきています。というか、嫌です、なにもかも、全部嫌だ。アメリカのネオリベラル社会、資本主義の冷酷さ、私の尊敬する老いた知り合いも、
「アメリカは破滅する運命にある」
と、とても悲観的でした。あそこまで愛国心の強い国家主義者が、そんなことを言うのですから、そういう認識が、帝国に広がりつつあるということです。だからもう、アメリカは駄目でしょう。社会が嫌だ、政治も、経済も、エンターテーメントも、すべてはネオリベラル消費社会に搾取される歯車にすぎないんです。そんなんだったら、社会で生きてる意味がありません。だから、私は、もう引き蘢りたい。だれとも顔を合わせたくない。唯一心残りなのは、美女です。この世にあんな美しい存在がいることを知っているから、自殺もできませんでしたし、引きこもりになったことを後悔したんですよ。彼女らがいたから、私は引き蘢ろうと思っても、ちゃんと社会で働いて食いつないできました。でも、もう疲れちゃいましたよ。
あぁあ、もう疲れた。ほんと、疲れたよ。がんばろうという気力すらない。憂鬱のみが私を支配してます。このままひきこもって、アニメ見て、ブログだけ書いて、生きていきたい。モンタナかどこかの寒い山奥にひきこもりたい。ロッキー山脈なら、ユタでもいいんだけど、あそこは、モルモン教だし、私を助けようとするだろうから、自由にはできないでしょうね。おっせかいはゴメンです。
「さわらないで、ほっといてくれっ」
と言いたいです。私はひきこもりとして産まれてきたんでしょうから。だって社会に溶け込むことは、私の性に合っていないんです。私は社会性の動物ではありません。このまま、会社をやめてどこかに逃げてひきこもりたいです。まったくなにをやっているのかわかりませんので。
そんなことを『One Kiss From Me』を聴きながら思ってしまいました。ほんと憂鬱にさせてしまう音楽です。現実は嫌です。老化していく自分が嫌です。自分を16歳として人々は見てくれません。この前、17歳ぐらいの女の子に、
「Sir」
と言われたので、とてもショックでした。あきらかに、私が大人に見えてしまっているということです。私は彼女よりも一つ年下なはずなのに…。そんな現実は嫌だー!!たすけてくれー。ほんとに嫌だ。やめてくれ〜。苦しい、苦しくてたまらない。年をとりたくない。16歳になりたい。女の子にそういうふうに見られてしまっているということは、一体どうすればいいんでしょうか。もう駄目だ。人生は台無しだ。悲しい、すべては悲しい。サウダージしかない。セクシーさをアピールするのは、なんの意味があるんでしょうか。だって、それは大人の女性がすることだけど、それはある意味、自分が「去勢された『大人』」だということを言いふらしているようなものなんですよ。
性同一性障害というのがあるんだけど、私はたぶん「年齢同一性障害」なんでしょうね。17歳教もたぶんそうだと思います。『One Kiss From Me』という曲は、現実と向き合わさせられる楽曲でした。もうなにもかもが虚しくなって、引き蘢ってしまいたいです。
![]() | Days 安藤高弘、 他 (2007/05/02) キング この商品の詳細を見る |
うごぁぁぁぁあおおおお!!!ほっちゃんだー。
とうとう手に入ったゾイ!17歳教の信者となったほっちゃん。その事実を『Hey Hey Hey』で公表したし。そして、まるでほとんどの女の子たちが17歳以下に見えそうな「ながさて藍蘭島」!くー、私も漂流して藍蘭島に流れ着きたい。あああ、天国だ。極楽だ。女の子だけの島なんて。ああ、私の人生はずっと男ばっかりだったなぁ。男は極力避けてきて女の子たちだけと話そうとするんだけど、結局は男と話しちゃうんだよね。どうしてだろう。私ほど、男を嫌悪している人はいないのに。まあ、男である私自身も嫌悪してることになっちゃうけどね。だから、私は自己嫌悪。

ああ、出生からして、すでに私の人生は間違いでしたよ〜。なにせ、私は不運にも男尊女卑の男社会に育ってしまったんですよ。とくに日本は、女性の社会進出は、欧米とくらべると、発展途上国レベルですね。まるで、イスラム原理主義さながらの、まあ、それ言い過ぎで、そこまでひどくはありませんが…。しかし、女性の比率が国会にも経営者にも少ないという、そんなところでは、もう息苦しくてたまりません。いっそのこと、北欧のようにクオーター制度を導入すればいいのに。たとえば、国会、企業にかならず40%は女性にするような。でも、日本ではそんなことは無理か。社会自体が男尊女卑的で腐っているからね。天皇も女系女子はなれないし。天皇制度も腐ったままだよ、小泉の皇室典範の改正案に古びた価値観したもたない老害どもが一斉に潰しにかかったからね。藍蘭島では、そんな君主制度は無理だね。でも、私は、そんな日本社会の学園でいじめられ、ひきこもりになった、だからアメリカに渡ったんです。
でも、アメリカも、「聞いて極楽、見て地獄」、男尊女卑は日本ほどひどくないものの、野郎メンタリティーが日本よりも激しかった。アメフトのチームや海兵隊などの運動系はとくにひどいですね、まるで野蛮な野獣のようです。それが資本主義社会にまで浸透し、それはアメリカがいかにネオリベラル社会の本家となりえる社会的背景であるかを克明に語っていますし、そんなアメリカの姿にはっきり言って幻滅しました。こうなると、もうアメリカに来たのは間違いだったと思わざるを得ません。そういう結論に至ったのは、誠ながら遺憾ですが…。アメリカは桃源郷ではなかった、だから、いっそうのこと、藍蘭島に行きたい!そして、その最たる女性が、すずっち。彼女がアニメの主人公。しかも、声優は、ほっちゃんこと堀江由衣。あああ、この曲『Days』を聴いて、私は桃源郷を一人二次元の世界で夢見るので〜す!それこそ、萌え〜!すずっちが歌う歌詞もいいねー。
女の子のトキメキほど萌えさせるものはあるんでしょうかぁぁぁあああ!!!

とんかつさんも、私に賛成だブヒ!

あああああ、私は、かなり凹んでいたため、夜の港町の高速をドライブしながら、アニソンを聴くことにしました。いいですね。このkotokoの『Suppuration』という楽曲。私は、iPodでこれを聴きながら、夜遅く高速道路でドライブしていていました。このコーラスはじつにトランス系であり、スピード感があります。ヒッピーのように、マリファナをやって、これを聴いたら、もう意識が吹っ飛んでしまうでしょう。交通事故を起こしてしまいます。いっそうのこと、天界、デーヴァ界に飛んでいきたかったですね!天女のもとへ!
やはり、音楽というものは、素晴らしいです。この世でもっとも美しいものは、もちろんダントツで女性ですが、そして、それにも勝るとも劣らないものは、やはり音楽でしょう。このようなトランス系は、やはり昼間に聴いても、そんなに深くないですね。やはり、太陽は秩序のアポロなので、ディオニソスは姿を現せないのでしょう。日が沈んで夜になれなければ、人間の言語による意志統制は、解かれないのでしょう。だから、夜中の車の少ない高速道路で、一人このスピード感ある、シャーマン的なトランス系の楽曲を聴くと、本来の自分が出て来ると言うか。『神無月の巫女』も、巫女が主人公ですから、トランス状態に陥るシャーマンです。しかも、日の巫女と月の巫女のレズビアニズムであり、この恍惚の感覚は、昼間では絶対に得られないものです。
私は夜は怖いです。っていうか、人間はだれしも暗闇が本能的に怖いのです。その恐怖と淋しさ、孤独感、だからより本能的になるのでしょう。そして、私は、その時に、もっとも女性が欲しくなるのです。もう、どうしょうもなくなります。言語的な脳の機能は、やはり日が沈むと、休止し、遺伝的に生存のために本能がより研ぎすまされるようになっているのでしょう。だから、そんな時に異性がいると、「添い遂げよう」という感情がわいてきてしまいます。姫宮千歌音の気持ちがとてもわかります。夜を司る神は、愛欲を謳歌するのです。
ああ、また『ロミジュリ』の主題歌もいいですね。アニメエクスポで、巨大スクリーンにJBLのスピーカーで聴いたものだから、感動しちゃって、泣いちゃったんですよ。それ以来ですね、この曲を好きになったのは。Lena Parkが歌っているんですけど、いいですねええええ。アイルランドの民謡の『ダニー・ボイ』が原曲だそうだけど、なにしろ、ビートルズのジョンレノンも『Let It Be』のアルバムで歌っているし。ビートルズのは本当に酔っぱらいの曲ですけれども、まあ、『星条旗よ永遠に』も、もとはイギリスの酔っぱらいの歌だけど、そう考えると酔っぱらいの歌はすごいのが多いけど、リナ・パークさんのは、マジですごい!本当、大恋愛の末の悲劇を表現していまーす!ああ、あのOPの、ロミオの手とジュリエットの手がドームの天井の下で繋ぎ合おうとして求め合うという構図、それはもう、ミケランジェロの最高傑作の『天地創造』に匹敵するとでも言うべきでしょうか。また『E.T.』にも通じるものがあります。あれで、もうジーンとして感動してしまって、
「あああああ!!!」
ってなっちゃいますね。
やはり、音楽というものは、素晴らしいです。この世でもっとも美しいものは、もちろんダントツで女性ですが、そして、それにも勝るとも劣らないものは、やはり音楽でしょう。このようなトランス系は、やはり昼間に聴いても、そんなに深くないですね。やはり、太陽は秩序のアポロなので、ディオニソスは姿を現せないのでしょう。日が沈んで夜になれなければ、人間の言語による意志統制は、解かれないのでしょう。だから、夜中の車の少ない高速道路で、一人このスピード感ある、シャーマン的なトランス系の楽曲を聴くと、本来の自分が出て来ると言うか。『神無月の巫女』も、巫女が主人公ですから、トランス状態に陥るシャーマンです。しかも、日の巫女と月の巫女のレズビアニズムであり、この恍惚の感覚は、昼間では絶対に得られないものです。
私は夜は怖いです。っていうか、人間はだれしも暗闇が本能的に怖いのです。その恐怖と淋しさ、孤独感、だからより本能的になるのでしょう。そして、私は、その時に、もっとも女性が欲しくなるのです。もう、どうしょうもなくなります。言語的な脳の機能は、やはり日が沈むと、休止し、遺伝的に生存のために本能がより研ぎすまされるようになっているのでしょう。だから、そんな時に異性がいると、「添い遂げよう」という感情がわいてきてしまいます。姫宮千歌音の気持ちがとてもわかります。夜を司る神は、愛欲を謳歌するのです。
ああ、また『ロミジュリ』の主題歌もいいですね。アニメエクスポで、巨大スクリーンにJBLのスピーカーで聴いたものだから、感動しちゃって、泣いちゃったんですよ。それ以来ですね、この曲を好きになったのは。Lena Parkが歌っているんですけど、いいですねええええ。アイルランドの民謡の『ダニー・ボイ』が原曲だそうだけど、なにしろ、ビートルズのジョンレノンも『Let It Be』のアルバムで歌っているし。ビートルズのは本当に酔っぱらいの曲ですけれども、まあ、『星条旗よ永遠に』も、もとはイギリスの酔っぱらいの歌だけど、そう考えると酔っぱらいの歌はすごいのが多いけど、リナ・パークさんのは、マジですごい!本当、大恋愛の末の悲劇を表現していまーす!ああ、あのOPの、ロミオの手とジュリエットの手がドームの天井の下で繋ぎ合おうとして求め合うという構図、それはもう、ミケランジェロの最高傑作の『天地創造』に匹敵するとでも言うべきでしょうか。また『E.T.』にも通じるものがあります。あれで、もうジーンとして感動してしまって、
「あああああ!!!」
ってなっちゃいますね。
![]() | イノセント・ブルー DeviceHigh (2007/07/25) ランティス この商品の詳細を見る |
ではははははー!!!!
とうとう来た。イノセントブルーだ。これは、『School Days』のOPであるのだー!そう、大和撫子的な、黒髪の髪の毛の長い桂言葉ちゃんが、電車で、好きな人の後ろで、ほっぺたが赤くなって、恋心をいだくという、なんというすばらしいシーンなんだろうか!!!
ああ、でも、ジャケットの写真もすばらしい、なにせ、二人の女の子が手を取り合っている、これほどまでに萌えることがあるだろうかぁぁぁああ!!!あああ、いいなあぁ。かわいい、ほんとうにかわいい。ちょーかわいい!!!
女の子ってほんとうにかわいいよなぁ。この世で一番かわいいのは、紛れも無く女の子だー!女の子がいるから、私は生きていられるんだ。自殺を思いとどまることが出来るのは、生きていく希望が持てるのは、間違いなく女の子のおかげであーる。桂言葉ちゃんと西園寺世界ちゃんのツーショット、へーへっへへっへへー!この二人の関係は、ロゴスとコスモスなのだが…。それは、こちらで詳しく書いた。
そして、イノセント・ブルーの歌詞も、ぴったりと、恋をする女の子の心境を見事に表している。まさに画竜点睛であーる!!!では、歌詞を抜粋しよう。
いつからか舞い降りた 私の蒼い天使よ
気がつけばみつめてしまう あなたの横顔ばかり
Ah すれ違う微笑みに うつむくしかできずに
背中ごしに声かけたの 今は心の中で
それは雪のように降りつもった イノセントな痛み
たとえ遠まわりでも この想いは まっすぐ届けたい
くっけけけけー。なんという素晴らしい歌詞なんだ。ほんと、かわいくてしょうがない。ああ、それにしても16歳に戻りたい。どうしても16になりたい!そして携帯で恋をしたい。イノセント、資本主義に冒されていないイノセンスなのだ!ブルーは、「青春」の青であろう。くそったれ、どうして大人になっちまったんだ。私のイノセンスはいずこー!年を取りたくない!いくら精神が16でも、肉体は容赦なく老化してゆく。こんな不公平なことがあるだろうか!どうして、人間は老化してしまうんだ!そんなの、あまりにも不幸ではないか!どうして、老化なんてあるのだろう。せめて、ゴア革命のあとに、生まれたかったのに…。そうすれば、永遠の16歳が可能となったかもしれないっというのに!!!
それには遺伝子工学の発達しかない。ゲーテの『ファウスト』のファウスト博士は、メフィスト・フェレスの魔法で、若返ったが、我々には、メフィストなどいない。だからこそ、遺伝子工学の開発が必要なのである。それこそが、私の解放なのである。この、老化という現実からの解脱なのであーる!!!
新しいアメリカ人の女性像。いわゆるジェネレーションXの女性である。1962年生まれ、民主党のオバマ大統領候補とそれほど年齢がかわならい。とくに、この『Everyday is a winding road』という楽曲は素晴らしい。歌詞を抜粋すると、
私もわかる。同じ世代の女性と合う度に、彼女らには子どもがいて、自分の人生なのに自分がマルクスのいうところの「alienation」いわゆる疎外ということである。ちなみに、「異邦人」を意味するalienを、動詞化したものがalienateであり、その名詞形がalienationである。だから、自分の人生において自分が異邦人となっている状態なのである。それは、カミユの「異邦人」というべきか、そしてその不条理さに「はー」とため息をついているのである。だから、私も、
「ああ、16歳になんで戻れないんだ!」
と後悔の念に苛まされるのである。
しかし、彼女はマイケル・ジャクソンの元で修行した。マイケルの楽曲の『I just can't stop loving you』で、その相方役で、歌っているのだ。しかも、87年の日本のコンサートでも、マイケルとシェリルの共演が見られるのだ。だから、これはかなり貴重な映像である。しかも、シェリルがまだ、歌手としてデビューする前の映像なのだから。まさに80年代の表層的な感情がこもっていないケバケバしい化粧とファッションで、歌っているのは衝撃であった。
「この人も若い時は資本主義そのままだったとは!」
と驚いてしまった。シェイルと言えば、自然体の女性として有名である。綺麗でもなく、どちらかというと不細工な、いや、まあ、実に平均的なアメリカ人女性であり、それが30歳で、デビューするという、つまり30代の独身女性、あたらしい女性像となり、まさに90年代のアメリカの文化的アイコンとなったのである。それは、冷戦が終わって、アメリカが民主党のクリントンとゴアによって、インターネット革命が起き、それに続いて、30代の未婚女性が初めてカルチュラル・アイコンになるという時代の吹雪を彼女は提供してくれたのだ。だから、彼女は、もちろん、私にとって憧れの人であり、もっともカッコいいアメリカ人の中に入るであろう。
He's got a daughter he calls Easter
She was born on a Tuesday night
I'm just wondering why I feel so all alone
why am I a stranger in my own life?
私もわかる。同じ世代の女性と合う度に、彼女らには子どもがいて、自分の人生なのに自分がマルクスのいうところの「alienation」いわゆる疎外ということである。ちなみに、「異邦人」を意味するalienを、動詞化したものがalienateであり、その名詞形がalienationである。だから、自分の人生において自分が異邦人となっている状態なのである。それは、カミユの「異邦人」というべきか、そしてその不条理さに「はー」とため息をついているのである。だから、私も、
「ああ、16歳になんで戻れないんだ!」
と後悔の念に苛まされるのである。
しかし、彼女はマイケル・ジャクソンの元で修行した。マイケルの楽曲の『I just can't stop loving you』で、その相方役で、歌っているのだ。しかも、87年の日本のコンサートでも、マイケルとシェリルの共演が見られるのだ。だから、これはかなり貴重な映像である。しかも、シェリルがまだ、歌手としてデビューする前の映像なのだから。まさに80年代の表層的な感情がこもっていないケバケバしい化粧とファッションで、歌っているのは衝撃であった。
「この人も若い時は資本主義そのままだったとは!」
と驚いてしまった。シェイルと言えば、自然体の女性として有名である。綺麗でもなく、どちらかというと不細工な、いや、まあ、実に平均的なアメリカ人女性であり、それが30歳で、デビューするという、つまり30代の独身女性、あたらしい女性像となり、まさに90年代のアメリカの文化的アイコンとなったのである。それは、冷戦が終わって、アメリカが民主党のクリントンとゴアによって、インターネット革命が起き、それに続いて、30代の未婚女性が初めてカルチュラル・アイコンになるという時代の吹雪を彼女は提供してくれたのだ。だから、彼女は、もちろん、私にとって憧れの人であり、もっともカッコいいアメリカ人の中に入るであろう。








