ああ、メキシコのテレノベラの『Fuego En La Sangre(フエゴ・エン・ラ・サングレ)』を見て、傷つきました。パン屋さんの三兄弟の一人が、クラブの人気歌手(ニネル・コンデ)のいる楽屋に会いにいきますが、
「por favor, muchachito. mírate, mírate y mírame. Soy mucha mujer para ti. A ver¿qué me puedes ofrecer? ¡Eh¡ A mi me gustan los lujos, la buena vida. Jamás podrías dármelas trabajando de albañil y de panadero. El día que tengas mucho dinero, búscame, y a lo mejor, y te hago caso. ¡Ahora lárgate y déjame en paz!
(ちょっとー、坊や、あたしを見なよ、で、自分をよく見てみなよ。あたしはあなたにとっては手の届かない女性なのよ。じゃ、なにをオファーしてくれるっていうの?え!あたしは贅沢、いい暮らしが好き。あなたのような大工でパン職人じゃそんなのは絶対に無理ね。ある日、お金持ちになったら、会いにくればいいじゃない、そうすればたぶん考えるわ。さあ、さっさと出ておゆき!)」
と撥ね除けられしまいました。つまり、
「成功するまで(勝ち組になるまで)、あたしを欲しては駄目よ」
と言ってるのです。ああ、メキシコでも、こんな言説がまかり通ってしまったとは…。やはりNAFTAへの加盟は、メキシコ女性を冷酷にしてしまったんです。ああ、こんなことを自分が言われたら、まるでピニャータになって袋叩きに遭うような心境ですね。自尊心が木っ端微塵に破壊され、窓から飛び降りてしまうでしょう。第三者として番組を見ていた私でさえ、グサッと心臓に刺さりましたから。
「欲しがりません、勝つまでは!」
という大東亜戦争のスローガンがありましたが、それこそメキシコの言説なのです。それはネオリベラル社会の言説そのままなんです。ネオリベラル式にそれを解釈すると、
「女性との皮膚感覚を欲しがりません、ネオリベラル競争社会で勝つまでは!」
となります。ああ、素晴らしきラテン文化のメキシコ、しかし、アメリカとカナダのアングロサクソン型資本主義、そしてネオリベラルシステムのNAFTAになってしまったことで、こんなことになってしまったんでしょうね。
そう、負け組にとって贅沢は敵、というか金がないから贅沢はできないのです。だから、
「欲しがっても手に入りません、勝つまでは!」
がもっと正確な表現なのです。でも、為政者はそうやって財政赤字を解消しようとします。アメリカでも、貧困ラインなのに社会福祉を拒絶する人がいるくらいですからね。福祉を受けることは、恥だと思ってるのです。
「欲しがりません、勝つまでは!」
の大和魂を持っているんでしょう。まっ、ネオリベラル・スピリットでしょうけどね、でも、それは、本当は、
「生活していけません、勝つまでは!」
ですから、福祉は当然の権利なはずです。福祉は、どう考えても贅沢のうちには入らないでしょう。しかし、戦国時代の下克上のような競争原理のネオリベラル社会では、そうなってしまうのです。贅沢とまではいかなくとも、福祉は怠けとなってしまうのです。
「怠けません、勝つまでは!」
なのです。とくに女との恋愛、スキンシップの謳歌、エッチは贅沢なのです。というか、貨幣経済になってから、そうなってしまったのです。つまり勝者、勝ち組の特権なのです。勝ち組が愛の快楽を独占しているのです。勝ち組が贅沢をしても、だれも「怠けてる」とは言いませんからね。「怠けてる」と批判されるのは、いつも負け組なのです。それが、ネオリベラル消費社会なのです。だから負け組、とくにキモヲタは恋愛することを許されないのです。それで、皮膚感覚が欠如してしまい、萌え系アニメに亡命してしまうんです。で、最終的には、本当に海外に亡命してしまうんです、実際に私がそうであったように。
しかし、その言説を否定するのがキモヲタなのです。つまり、ネオリベラル言説の否定なのです。だって、その根本が間違っている。昔の日本の農村では、だれも贅沢できませんでしたから、異性とのスキンシップは贅沢なわけがありませんでした。スキンシップに媒体は必要なかったんです。だから、村社会はいたって共産的なフリーセックスで、夜這いも盛んに行われていたのです。そう、ポットラッチ(蕩尽)によるエロティシズムだったんです。

セックスが経済力によって左右されるというのは、おかしいですよ。セックス自体がコミュニケーションだったのに、その間に財力という媒体が入ってしまってるんですから。それだと、セックスをお金で交換するので、援助交際、売買春と基本的に変わらないのです。直接的なスキンシップを取れなくなったんです。お金によって、男女は遮断されたんです。それこそ異性からの疎外なのです。で、財力が少ないものは、そのメディア(媒体)も小さいわけですから、財力のサイズはあそこのサイズと絡んで、ペニス神話さえ強化してしまいます。で、男が女を買う側ですから、男のサイズがものをいうんです。それも男尊女卑構造を強化しているのです。だから、拝金主義となり、つまりお金のフェティッシュとペニスのフェチが結びついて、物質的フェティシズムが横行してしまったんです。

で、最近は、女性も社会進出してますから、女の方も買ってもらおうと思って、自分に投資して、ブーブ・ジョブ(豊胸手術)するのです。石のように固い胸は、外見上は良いですが、柔らかくないし、セックスのときは形が崩れないので、気持ち悪いです。私が話した男は、すべて豊胸手術は必要ないとしてました。しかし、女の子は、経済力がつくとやるみたいですね。ブーブ神話なのです。キャリアウーマンが増えて、ペニス神話と同じく、ブーブ神話が出て来たのです。そう、女も経済力となったんです。つまり、女の経済力のサイズはブーブのサイズとなるのです。それは、もうセックスではなくて、ペニスをブーブで挟むホットドック・サンドウィッチですよ。それこそが、勝ち組の男女の至高の合体形態なんです。チンコの受け皿がマンコでもオーラルでもなく、ブーブズになってしまったんです。Mammal Sexママル・セックスとでもいいましょうか?男女ともフェチになってしまったんです。だから、アメリカのポルノは、勝ち組の男女のセックスを描写してるんです。ブルボン朝のフランスの貴族は男女とも髪の毛を暴発させたような巨大なサイズのカツラをかぶってましたが、今では、それはペニスとブーブズに移行したのでしょうね。

そして、その疎外化のもっとも悲惨な犠牲者は、キモヲタなのです。虹コンなのです。それは、20代男性の4分の1が恋愛経験無しという過酷な事実によっても明らかなのです。女性は経済力はなくても、恋愛ができなくなるということはないようです。それは、アメリカでも変わりません。清教徒倫理とネオリベラル資本主義が結びつき、皮膚感覚が欠落しているのです。なにせ、フリーハッグをやっても、警官に逮捕されてしまうのですから、フリーセックスはなおさらでしょう。
財力が関係なく、異性とのスキンシップが謳歌されているのはどこか?それは、まさに南米なのです。ラテン文化です。メキシコがグローバリゼーションとネオリベラリゼーションによって失ってしまったもの。それは、南米にあるんです。あそこは、本当にフリーハッグの世界です。だから、アメリカ人があそこでフリーハッグ運動を起こすことはありません。もうすでにそういう風習なんですから。そう、お金というものをスキンシップから取り払わなければならないのです。そうすることにより、スキンシップが回復し、キモヲタは救済されるのです。それこそ、キモヲタのサルベーションなのです。で、格言はこういうふうになります。
「欲しがります、いつまでも!」
「por favor, muchachito. mírate, mírate y mírame. Soy mucha mujer para ti. A ver¿qué me puedes ofrecer? ¡Eh¡ A mi me gustan los lujos, la buena vida. Jamás podrías dármelas trabajando de albañil y de panadero. El día que tengas mucho dinero, búscame, y a lo mejor, y te hago caso. ¡Ahora lárgate y déjame en paz!
(ちょっとー、坊や、あたしを見なよ、で、自分をよく見てみなよ。あたしはあなたにとっては手の届かない女性なのよ。じゃ、なにをオファーしてくれるっていうの?え!あたしは贅沢、いい暮らしが好き。あなたのような大工でパン職人じゃそんなのは絶対に無理ね。ある日、お金持ちになったら、会いにくればいいじゃない、そうすればたぶん考えるわ。さあ、さっさと出ておゆき!)」
と撥ね除けられしまいました。つまり、
「成功するまで(勝ち組になるまで)、あたしを欲しては駄目よ」
と言ってるのです。ああ、メキシコでも、こんな言説がまかり通ってしまったとは…。やはりNAFTAへの加盟は、メキシコ女性を冷酷にしてしまったんです。ああ、こんなことを自分が言われたら、まるでピニャータになって袋叩きに遭うような心境ですね。自尊心が木っ端微塵に破壊され、窓から飛び降りてしまうでしょう。第三者として番組を見ていた私でさえ、グサッと心臓に刺さりましたから。
「欲しがりません、勝つまでは!」
という大東亜戦争のスローガンがありましたが、それこそメキシコの言説なのです。それはネオリベラル社会の言説そのままなんです。ネオリベラル式にそれを解釈すると、
「女性との皮膚感覚を欲しがりません、ネオリベラル競争社会で勝つまでは!」
となります。ああ、素晴らしきラテン文化のメキシコ、しかし、アメリカとカナダのアングロサクソン型資本主義、そしてネオリベラルシステムのNAFTAになってしまったことで、こんなことになってしまったんでしょうね。
そう、負け組にとって贅沢は敵、というか金がないから贅沢はできないのです。だから、
「欲しがっても手に入りません、勝つまでは!」
がもっと正確な表現なのです。でも、為政者はそうやって財政赤字を解消しようとします。アメリカでも、貧困ラインなのに社会福祉を拒絶する人がいるくらいですからね。福祉を受けることは、恥だと思ってるのです。
「欲しがりません、勝つまでは!」
の大和魂を持っているんでしょう。まっ、ネオリベラル・スピリットでしょうけどね、でも、それは、本当は、
「生活していけません、勝つまでは!」
ですから、福祉は当然の権利なはずです。福祉は、どう考えても贅沢のうちには入らないでしょう。しかし、戦国時代の下克上のような競争原理のネオリベラル社会では、そうなってしまうのです。贅沢とまではいかなくとも、福祉は怠けとなってしまうのです。
「怠けません、勝つまでは!」
なのです。とくに女との恋愛、スキンシップの謳歌、エッチは贅沢なのです。というか、貨幣経済になってから、そうなってしまったのです。つまり勝者、勝ち組の特権なのです。勝ち組が愛の快楽を独占しているのです。勝ち組が贅沢をしても、だれも「怠けてる」とは言いませんからね。「怠けてる」と批判されるのは、いつも負け組なのです。それが、ネオリベラル消費社会なのです。だから負け組、とくにキモヲタは恋愛することを許されないのです。それで、皮膚感覚が欠如してしまい、萌え系アニメに亡命してしまうんです。で、最終的には、本当に海外に亡命してしまうんです、実際に私がそうであったように。
しかし、その言説を否定するのがキモヲタなのです。つまり、ネオリベラル言説の否定なのです。だって、その根本が間違っている。昔の日本の農村では、だれも贅沢できませんでしたから、異性とのスキンシップは贅沢なわけがありませんでした。スキンシップに媒体は必要なかったんです。だから、村社会はいたって共産的なフリーセックスで、夜這いも盛んに行われていたのです。そう、ポットラッチ(蕩尽)によるエロティシズムだったんです。

セックスが経済力によって左右されるというのは、おかしいですよ。セックス自体がコミュニケーションだったのに、その間に財力という媒体が入ってしまってるんですから。それだと、セックスをお金で交換するので、援助交際、売買春と基本的に変わらないのです。直接的なスキンシップを取れなくなったんです。お金によって、男女は遮断されたんです。それこそ異性からの疎外なのです。で、財力が少ないものは、そのメディア(媒体)も小さいわけですから、財力のサイズはあそこのサイズと絡んで、ペニス神話さえ強化してしまいます。で、男が女を買う側ですから、男のサイズがものをいうんです。それも男尊女卑構造を強化しているのです。だから、拝金主義となり、つまりお金のフェティッシュとペニスのフェチが結びついて、物質的フェティシズムが横行してしまったんです。

で、最近は、女性も社会進出してますから、女の方も買ってもらおうと思って、自分に投資して、ブーブ・ジョブ(豊胸手術)するのです。石のように固い胸は、外見上は良いですが、柔らかくないし、セックスのときは形が崩れないので、気持ち悪いです。私が話した男は、すべて豊胸手術は必要ないとしてました。しかし、女の子は、経済力がつくとやるみたいですね。ブーブ神話なのです。キャリアウーマンが増えて、ペニス神話と同じく、ブーブ神話が出て来たのです。そう、女も経済力となったんです。つまり、女の経済力のサイズはブーブのサイズとなるのです。それは、もうセックスではなくて、ペニスをブーブで挟むホットドック・サンドウィッチですよ。それこそが、勝ち組の男女の至高の合体形態なんです。チンコの受け皿がマンコでもオーラルでもなく、ブーブズになってしまったんです。Mammal Sexママル・セックスとでもいいましょうか?男女ともフェチになってしまったんです。だから、アメリカのポルノは、勝ち組の男女のセックスを描写してるんです。ブルボン朝のフランスの貴族は男女とも髪の毛を暴発させたような巨大なサイズのカツラをかぶってましたが、今では、それはペニスとブーブズに移行したのでしょうね。

そして、その疎外化のもっとも悲惨な犠牲者は、キモヲタなのです。虹コンなのです。それは、20代男性の4分の1が恋愛経験無しという過酷な事実によっても明らかなのです。女性は経済力はなくても、恋愛ができなくなるということはないようです。それは、アメリカでも変わりません。清教徒倫理とネオリベラル資本主義が結びつき、皮膚感覚が欠落しているのです。なにせ、フリーハッグをやっても、警官に逮捕されてしまうのですから、フリーセックスはなおさらでしょう。
財力が関係なく、異性とのスキンシップが謳歌されているのはどこか?それは、まさに南米なのです。ラテン文化です。メキシコがグローバリゼーションとネオリベラリゼーションによって失ってしまったもの。それは、南米にあるんです。あそこは、本当にフリーハッグの世界です。だから、アメリカ人があそこでフリーハッグ運動を起こすことはありません。もうすでにそういう風習なんですから。そう、お金というものをスキンシップから取り払わなければならないのです。そうすることにより、スキンシップが回復し、キモヲタは救済されるのです。それこそ、キモヲタのサルベーションなのです。で、格言はこういうふうになります。
「欲しがります、いつまでも!」
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