さて、太古の洞窟人と言えば、例を挙げればロッコソルシェ遺跡の洞窟レリーフを残した人々などは、尊敬の対象でした。しかし、今では、そんなことはありません。少なくとも、自ら洞窟人になった人ではなく、そうならざるを得なかった人に限っては。それこそ、宗教家と虹コンの違いなのです。
虹コン(二次元コンプレックス=二次コン)というのは、ほんとプラトンの『国家』における洞窟人ですね。こちらにその図解がありますが、洞窟人は、影を見て、欲情するんです。つまり美術も洞窟の影なんです。とくに、プロジェクターがまさにその原理、映写機がその原理です。だから、映画館は、まさに洞窟そのものです。暗いところでフィルムの影を映し出すわけですから。それこそ、二次元の世界、キモヲタにとっての二次元世界なのです。それが、アニメなのです。それを作り出すアーティスト、映画監督はまさに影師、操り人形師なのです。キモヲタは萌え系キャラの女の子を見て、欲情するのです。萌えるのです。それは、洞窟人が洞窟で女の人の影を見て、オナニーするようなものです。影とは、皮膚感覚が欠落してますし、スキンシップは不可能ですから、セックスできませんし、オナニーしかないのです。一人エッチなのです。これが、現代のプラトンの洞窟の住民です。

セックスは、自分が世界と繋がっていることを認識できる体験です。世界と自分がコネクトして、コスモスとの一体感を得られます。しかし、萌えは、実に一人エッチ的で、世界と断絶してしまっているのです。洞窟に一人で住んでいるようなものです。つまり、女とエッチができないから、キモヲタに唯一残された快楽として妄想に耽ってオナニーするしかないのです。つまり、オナニーはこの世とのコネクトを望んでいる渇望からの行動なのです。苦肉の策、苦し紛れのラスト・リゾートなのです。妄想族の宿命なのです。
しかし、宗教家は、妄想ではなく、瞑想しています。宗教家は洞窟のなかでオナニーせず、ただ瞑想してるだけなのです。彼らは、この世とのコネクションを望んでおらず、断ったわけですし、だからオナニーすることもないのです。キモヲタは妄想によって萌えに達しますが、宗教家は瞑想によって梵我一如を得ます。簡単な図式にするとこうなります。

マホメッドも、ゾロアスターも、シッダールタも洞窟で瞑想してました。だから、彼らは私たちキモヲタと同じ洞窟人なんですよ。そして、宗教家は、その期間は世界と断絶して、つまりセックスを捨てていました。セックスを捨てるということが、世捨て人になる、いわゆる出家で、神と交信することでした。で、彼らは、神聖不可侵です。人と交わっては行けない、とくに女に触っては行けないのです。女=世界という図式があったのでしょう。で、世捨て人は、女を捨てた人でもありますから、神聖なものは世界と交わっては行けなかったんですね。イエスも、洞窟の墓場で復活したときは、女の人とのスキンシップを拒絶しました。そう、積極的潔癖なのです。イエスは神の国の王、そしてサタンは現実世界の王だったんですから。そう、イエスにとっては、コスモスの王はサタンでしたから、コスモス(女)を捨てたのでしょう。だから、彼らは、すでに女を捨ててるので、アニメのキャラを女代わりにオナニーすることはないのです。オナニーすら捨ててしまってるんです。完全にセックスを断ち、世の中を捨てた世捨て人なんですね。

しかし、キモヲタの場合はどうか?我々が宗教家と違うところは、セックスしたくても、できないところにあります。宗教家は自ら進んでセックスを捨てましたが、キモヲタは、だれもスキンシップをとってくれないので、で、洞窟にオバ捨て山のように社会から迫害されて排除されて捨てられてしまったんです。オバ捨て山というより、「ヲタ捨て山」ですね。キモヲタは世捨て人じゃないんです。女を捨ててないんです。女を渇望しているのです。そう、スキンシップによって、世界とコネクトしたいんですが、それができないのです。自分が世の中を捨てるんじゃなくて、自分が世の中から捨てられるんです。逆に、排除されてしまうのです。出家した洞窟人が世界に戻ってくることを「出世」といいますが、キモヲタが引きこもり状態から社会に戻ってくると、「不法侵入」となり、社会から排除されるのです。それが宗教家と虹コンの決定的な違いなのです。

つまり、「女とエッチできるけど、エッチしない」と「女とエッチしたいけど、できない」という違いが、宗教家とキモヲタの違いなのです。結果は同じなんですけどね、だって、どっちもセックスレスなんですから、ただ原因が違うんです。どちらも神託者なんですけどね。で、エッチできる奴はどいつか?それは、イケメンです。そう、宗教家はイケメンの理論なのです。そう、宗教はイケメンが作り出し、萌えはキモメンが作り出すのです。シッダールタも、王子時代は贅沢を極め、夏のヴァカンスの離宮では、毎日絶世の美女のエンターテーメントに興じてたといいます。それにインド人の女性は超官能的なくびれをしてますからねぇ。畜生、あんにゃろう、絶対に許せねぇ、っていうか、羨ましい…。でも、彼は沙門(今で言えばヒッピーみたいなもん)に憧れて、ビク(乞食)になったんです。ヒッピーも、徴兵制を免除された裕福なアメリカの学生が起こしたムーブメントですからね。それは、ブルジョアの傲慢と言えるべきものでしょう。あんだけ、美女とやりまくってたら、思い残すことはないと思いますから。
女の人は、イケメン宗教家には、触りたいけど触ることができない、で、スキンシップが欠落している。しかし、キモヲタには、触りたくないから触らない、でスキンシップが欠落している。よって、神聖不可侵の宗教家が女の人に触れば、それは、祝福となります、どころが不可触賤民のキモヲタが女の人に触れば、それは、痴漢となってしまいます。つまり、宗教家もキモヲタもアンタッチャブルなんですが、「神聖だから触れない」と「キモイから触れない」という決定的な違いなのです。だから、洞窟の宗教家は女性崇拝を捨てて、男神に徹底できるんですけど、キモヲタは女性崇拝者ですし、萌え系アニメキャラ、いわゆる女神に没頭するんです。

つまり、我々の洞窟にこもる動機がまったく違うのです。産業廃棄物のガラクタとして洞窟に捨てられたんです。保守系の人は、我々がいなくなればいいと思ってるし、
「キモヲタのような社会的弱者が社会福祉に群がり、国家の財政を逼迫する」
として、それで小泉竹中は、切り捨て政策を強行したのでしょう。おかげで社会福祉の予算は削減され、ヲタ捨て山まっしぐら。経済力の低迷はキモオタのせいにされ、責任転嫁されます。
「あいつらがレイジーだからだ」
と。彼らは、ほんとは我々を排除したいんでしょうね。でも、さすがに今の時代、ナチスのようなことはできませんからね。イギリスのように借金を返せない人々をオーストラリアやアメリカに追放することはできませんからね。宗教家とキモヲタ、宗教家は税金が免除されますが、キモヲタはしっかりとかかります。宗教家だと非労働非生産活動は賛美され、キモヲタだと、
「アニメ見る時間があるんだったら働け!」
となるのです。宗教家が瞑想してたら、それは宗教儀式ですが、キモヲタが妄想してたら、それはサボりと見なされてしまうのです。もちろん、オナニーは非再生産(非生殖)活動ですから、批難されます。で、キモヲタは宗教家と違って個人的に托鉢や寄付を受けられないし、
「サボってる奴に施せるものか!」
と叱られ、で、仕方なく政府の助成金を受けると今度は政府のトップや財界のトップがクレームをつけ、新聞、マスコミが騒ぎ、それに釣られてサラリーマンもキモヲタを白い目で見るようになり、とくに女の子に、
「何あいつ、サイテー」
と蔑まれ、社会全体の批判にさらされて、それでやっとの思いで職に就いてがんばって稼いでも、低賃金だし、消費量も少ないし、ましてや女の子一人とデートする金さえないし、税金を払う金額も少ないし、税金を払うよりも使う方が多いし、国家のマイナスとみなされてしまいます。
まっ、私はキモヲタとして渡米したので、日本国にとっては、一人分の福祉削減になって財政赤字が浮いたとして、評価してくれるのではないでしょうか?今のネオリベラル政権が密かに進めてるのが全キモヲタ渡米計画、かつての戦前の日系移民のように。今のアメリカには昔のような人種差別はなく、東洋人だからと言って閉め出すこともないでしょう。ヒスパニックがあんだけ不法入国しても大丈夫なんですから。で、行き場を失った日系がペルーやブラジルに行くこともないでしょうね。でも、女性のスキンシップを渇望しているキモヲタだったら、米国よりも南米でしょうね。
米国のネオリベラルたちも、私たちを追い出そうとしていますが、私は南米に行くので、彼らは喜ぶことでしょう。リサイクルしたところで、ちり紙交換ぐらいの価値しかありませんから、できるなら一思いに捨ててしまいたいのです。貧乏人はいつの時代も同じ運命です。社会のお荷物として扱われる、結局は助けてくれない、福祉削減が示すように、切り捨てられるんです、よってダイアスポラとなるしかないのです。
「捨てる神あれば拾う神あり」
と言うんですがね。日本の女神に捨てられ、アメリカの女神に拾われると思ったんですけどね、もう十数年経ってますけど、だれも拾ってくれなかった…。もうこうなったら、南米の女神に思いを託すしかないですね!
宗教家と同じようにキモヲタを承認してくれないかなぁ?どうして同じ洞窟人なのに、ここまで差別されなきゃいけないんだ?差別反対。我々は、宗教家と同じ社会的認知を要求する!
虹コン(二次元コンプレックス=二次コン)というのは、ほんとプラトンの『国家』における洞窟人ですね。こちらにその図解がありますが、洞窟人は、影を見て、欲情するんです。つまり美術も洞窟の影なんです。とくに、プロジェクターがまさにその原理、映写機がその原理です。だから、映画館は、まさに洞窟そのものです。暗いところでフィルムの影を映し出すわけですから。それこそ、二次元の世界、キモヲタにとっての二次元世界なのです。それが、アニメなのです。それを作り出すアーティスト、映画監督はまさに影師、操り人形師なのです。キモヲタは萌え系キャラの女の子を見て、欲情するのです。萌えるのです。それは、洞窟人が洞窟で女の人の影を見て、オナニーするようなものです。影とは、皮膚感覚が欠落してますし、スキンシップは不可能ですから、セックスできませんし、オナニーしかないのです。一人エッチなのです。これが、現代のプラトンの洞窟の住民です。

セックスは、自分が世界と繋がっていることを認識できる体験です。世界と自分がコネクトして、コスモスとの一体感を得られます。しかし、萌えは、実に一人エッチ的で、世界と断絶してしまっているのです。洞窟に一人で住んでいるようなものです。つまり、女とエッチができないから、キモヲタに唯一残された快楽として妄想に耽ってオナニーするしかないのです。つまり、オナニーはこの世とのコネクトを望んでいる渇望からの行動なのです。苦肉の策、苦し紛れのラスト・リゾートなのです。妄想族の宿命なのです。
しかし、宗教家は、妄想ではなく、瞑想しています。宗教家は洞窟のなかでオナニーせず、ただ瞑想してるだけなのです。彼らは、この世とのコネクションを望んでおらず、断ったわけですし、だからオナニーすることもないのです。キモヲタは妄想によって萌えに達しますが、宗教家は瞑想によって梵我一如を得ます。簡単な図式にするとこうなります。

マホメッドも、ゾロアスターも、シッダールタも洞窟で瞑想してました。だから、彼らは私たちキモヲタと同じ洞窟人なんですよ。そして、宗教家は、その期間は世界と断絶して、つまりセックスを捨てていました。セックスを捨てるということが、世捨て人になる、いわゆる出家で、神と交信することでした。で、彼らは、神聖不可侵です。人と交わっては行けない、とくに女に触っては行けないのです。女=世界という図式があったのでしょう。で、世捨て人は、女を捨てた人でもありますから、神聖なものは世界と交わっては行けなかったんですね。イエスも、洞窟の墓場で復活したときは、女の人とのスキンシップを拒絶しました。そう、積極的潔癖なのです。イエスは神の国の王、そしてサタンは現実世界の王だったんですから。そう、イエスにとっては、コスモスの王はサタンでしたから、コスモス(女)を捨てたのでしょう。だから、彼らは、すでに女を捨ててるので、アニメのキャラを女代わりにオナニーすることはないのです。オナニーすら捨ててしまってるんです。完全にセックスを断ち、世の中を捨てた世捨て人なんですね。

しかし、キモヲタの場合はどうか?我々が宗教家と違うところは、セックスしたくても、できないところにあります。宗教家は自ら進んでセックスを捨てましたが、キモヲタは、だれもスキンシップをとってくれないので、で、洞窟にオバ捨て山のように社会から迫害されて排除されて捨てられてしまったんです。オバ捨て山というより、「ヲタ捨て山」ですね。キモヲタは世捨て人じゃないんです。女を捨ててないんです。女を渇望しているのです。そう、スキンシップによって、世界とコネクトしたいんですが、それができないのです。自分が世の中を捨てるんじゃなくて、自分が世の中から捨てられるんです。逆に、排除されてしまうのです。出家した洞窟人が世界に戻ってくることを「出世」といいますが、キモヲタが引きこもり状態から社会に戻ってくると、「不法侵入」となり、社会から排除されるのです。それが宗教家と虹コンの決定的な違いなのです。

つまり、「女とエッチできるけど、エッチしない」と「女とエッチしたいけど、できない」という違いが、宗教家とキモヲタの違いなのです。結果は同じなんですけどね、だって、どっちもセックスレスなんですから、ただ原因が違うんです。どちらも神託者なんですけどね。で、エッチできる奴はどいつか?それは、イケメンです。そう、宗教家はイケメンの理論なのです。そう、宗教はイケメンが作り出し、萌えはキモメンが作り出すのです。シッダールタも、王子時代は贅沢を極め、夏のヴァカンスの離宮では、毎日絶世の美女のエンターテーメントに興じてたといいます。それにインド人の女性は超官能的なくびれをしてますからねぇ。畜生、あんにゃろう、絶対に許せねぇ、っていうか、羨ましい…。でも、彼は沙門(今で言えばヒッピーみたいなもん)に憧れて、ビク(乞食)になったんです。ヒッピーも、徴兵制を免除された裕福なアメリカの学生が起こしたムーブメントですからね。それは、ブルジョアの傲慢と言えるべきものでしょう。あんだけ、美女とやりまくってたら、思い残すことはないと思いますから。
女の人は、イケメン宗教家には、触りたいけど触ることができない、で、スキンシップが欠落している。しかし、キモヲタには、触りたくないから触らない、でスキンシップが欠落している。よって、神聖不可侵の宗教家が女の人に触れば、それは、祝福となります、どころが不可触賤民のキモヲタが女の人に触れば、それは、痴漢となってしまいます。つまり、宗教家もキモヲタもアンタッチャブルなんですが、「神聖だから触れない」と「キモイから触れない」という決定的な違いなのです。だから、洞窟の宗教家は女性崇拝を捨てて、男神に徹底できるんですけど、キモヲタは女性崇拝者ですし、萌え系アニメキャラ、いわゆる女神に没頭するんです。

つまり、我々の洞窟にこもる動機がまったく違うのです。産業廃棄物のガラクタとして洞窟に捨てられたんです。保守系の人は、我々がいなくなればいいと思ってるし、
「キモヲタのような社会的弱者が社会福祉に群がり、国家の財政を逼迫する」
として、それで小泉竹中は、切り捨て政策を強行したのでしょう。おかげで社会福祉の予算は削減され、ヲタ捨て山まっしぐら。経済力の低迷はキモオタのせいにされ、責任転嫁されます。
「あいつらがレイジーだからだ」
と。彼らは、ほんとは我々を排除したいんでしょうね。でも、さすがに今の時代、ナチスのようなことはできませんからね。イギリスのように借金を返せない人々をオーストラリアやアメリカに追放することはできませんからね。宗教家とキモヲタ、宗教家は税金が免除されますが、キモヲタはしっかりとかかります。宗教家だと非労働非生産活動は賛美され、キモヲタだと、
「アニメ見る時間があるんだったら働け!」
となるのです。宗教家が瞑想してたら、それは宗教儀式ですが、キモヲタが妄想してたら、それはサボりと見なされてしまうのです。もちろん、オナニーは非再生産(非生殖)活動ですから、批難されます。で、キモヲタは宗教家と違って個人的に托鉢や寄付を受けられないし、
「サボってる奴に施せるものか!」
と叱られ、で、仕方なく政府の助成金を受けると今度は政府のトップや財界のトップがクレームをつけ、新聞、マスコミが騒ぎ、それに釣られてサラリーマンもキモヲタを白い目で見るようになり、とくに女の子に、
「何あいつ、サイテー」
と蔑まれ、社会全体の批判にさらされて、それでやっとの思いで職に就いてがんばって稼いでも、低賃金だし、消費量も少ないし、ましてや女の子一人とデートする金さえないし、税金を払う金額も少ないし、税金を払うよりも使う方が多いし、国家のマイナスとみなされてしまいます。
まっ、私はキモヲタとして渡米したので、日本国にとっては、一人分の福祉削減になって財政赤字が浮いたとして、評価してくれるのではないでしょうか?今のネオリベラル政権が密かに進めてるのが全キモヲタ渡米計画、かつての戦前の日系移民のように。今のアメリカには昔のような人種差別はなく、東洋人だからと言って閉め出すこともないでしょう。ヒスパニックがあんだけ不法入国しても大丈夫なんですから。で、行き場を失った日系がペルーやブラジルに行くこともないでしょうね。でも、女性のスキンシップを渇望しているキモヲタだったら、米国よりも南米でしょうね。
米国のネオリベラルたちも、私たちを追い出そうとしていますが、私は南米に行くので、彼らは喜ぶことでしょう。リサイクルしたところで、ちり紙交換ぐらいの価値しかありませんから、できるなら一思いに捨ててしまいたいのです。貧乏人はいつの時代も同じ運命です。社会のお荷物として扱われる、結局は助けてくれない、福祉削減が示すように、切り捨てられるんです、よってダイアスポラとなるしかないのです。
「捨てる神あれば拾う神あり」
と言うんですがね。日本の女神に捨てられ、アメリカの女神に拾われると思ったんですけどね、もう十数年経ってますけど、だれも拾ってくれなかった…。もうこうなったら、南米の女神に思いを託すしかないですね!
宗教家と同じようにキモヲタを承認してくれないかなぁ?どうして同じ洞窟人なのに、ここまで差別されなきゃいけないんだ?差別反対。我々は、宗教家と同じ社会的認知を要求する!
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