NAFTAでのキモヲタのソナタ
もう十数年前ですが、私の学園時代、体育会系DQNたちは、悪徳セールスのように断れない状況を作り出して、次々と女をやっていきました。アメリカで言えば、カー・ディーラーのような悪徳セールスです。そして、彼らは、教室で、どんだけ女をイカせることができるかを自慢し合ってました。で、その一方で、教室の隅で、私たちキモヲタが話すことは、
「こないだ隠してたエロ本がババアに見つかってよ、怒られちまったよ」
という次元のものでした。そう、皮膚感覚が欠落しているために、エロ本しかないのです。実際、現実の女の子のクラスメイトは、「キモイ」と言って私たちを差別してましたし、アンタッチャブル(不可触賤民)でしたから。私は女の子に触ることがまったくできませんでした。女の子に触ることは不可能、なぜなら、女の子は私を触りたくなかったからです。女の子が触りたいと思う男だけが、女の子に触れるのです。私たちは賤民でした。なぜなら、触ってくれなかったから、そして触ることが出来なかったから、だから、不可触賤民なのですよ。だから、私は一時期、
「オレは神聖不可侵だから、女の子は触って来ないんだ!」
と開き直ってましたが、それもそれでサウダージでしたよ。よって、幻想の世界でしか、女の子に触ることを妄想する以外ありませんでした。DQNは、触らせない女でも強引にやってしまいますが、キモヲタは優しいですし、正義感が強く、また人権を尊重してますから、そんなことはありません。またどんなに皮膚感覚が欠落しようとも、売春には手を出しません。売春に金を出すほどの余裕がないという以前に、売春は国連の条約で撲滅しなければならないとされてますから。だから、キモヲタにとっては、女性は「プロ」も「素人」もないのです。しかし、皮膚感覚の欠如は、とても苦しい、悶え苦しみ抜いた末、その逃げ道が、エロ本だったわけです。

で、キモヲタたちが読んでいたエロ本は、普通のエロ本ではなくて、それはさすがにヲタクだけあって、レズビアンのコミックでした。いわゆる百合漫画です。しかし、百合コミックが特別にいいわけではなく、それしか選択がなかったというのが、本音です。なぜかというと、普通の実写ポルノ、また男女間をセックスを描いたのエロ漫画では、暴力描写や強姦などがあまりにも多い為です。あれは、嫌悪感を助長するばかりで、女性が完全に暴力によって男性に支配されているものだったからです。そう、レイプ描写があまりにも多かったのです。生理的に受け付けないです。犯すシーンばかりがあり、とても正視できるものではありませんでした。
「やらせないと犯すぞ!」
というものがまかり通り、女性の人権が悉く侵害され、非人道的な犯罪シーンが鏤められてました。女性がまったくセックスを楽しんでいないのです。思春期に初めて見たポルノは、本当にショックでした。とても、受け入れられるものではありませんでした。しかし、
「あれはたまたまああいう作品だったんだ。もっとまともなのはあるさ」
と思って色々見てみましたが、どれもそういう頽廃したものばかりで、絶望しました。本屋やコンビニで立ち読みしたエロ本は実写だろうが、コミックだろうが、女性のレイプ願望の神話の信仰を煽るようなものだったのです。そう、あれこそDQNの視点そのままなのです。DQNのレイピスト原理主義が、日本のポルノに横行していたのです。DQNは、血も涙もなくヒューマニティーにまったく欠けたマッチョで、凶暴で、野蛮で、残酷で、冷酷で、残虐で、好戦的で、サディストで、セクシストで、レイピストで、血に飢えた獣ですから。まるで、どこかの中東の神ですね。というか、そういうDQNが女を犯している性描写なので、DQN文化がそのままコミックにも反映されていたのです。レイプ描写は、スポコンの黄道で、梶原一騎のまき散らしたDQNの頽廃文化だったのです。そういうポルノで思春期にモデルにして、十代の男は性行動を起こし、DQNとなるのです。それは、歪んだ性文化のためです。そういうポルノがDQNを作り出していってるのです。『GTO』の鬼塚は、まさにDQNでした。日本の腐ったポルノがああいう野蛮な男を作り出してしまったのです。海外から見れば、ああいうDQNポルノが蔓延している国は、
「こんな国じゃ、南京大虐殺も起こしかねないな」
と納得されてしまいます。まぁ、大虐殺を起こした軍部はDQNの集まりですし、同じくDQNの集まりのナチスと同盟関係にあったのですから。ナチスは、やがてユダヤ人虐殺を起こします。日本はそういう面で腐敗しているのです。だからもっと健康的な、男女平等のセックス描写のポルノはないのかと思って、色々探しました。

少女漫画も、男に強引に押し倒されるものばかりで、「いや、だめ、やめて」といいながら、セックスしてしまう、だから少女漫画もとても自分のエロ本にはできませんでした。女の子の読む漫画でさえ、性描写がそういうものだったんです。少女漫画もDQNからの避難所にはなりませんでした。なぜなら、少女漫画自体がDQN言説だったからです。絶望しました。すがる思いで、少女漫画に行ったのに。そして、そこでは女の子は処女性にやけにこだわっており、とてもセックスをもったいなぶって、それでジャニーズ系容姿のイケメンDQN野郎が無理矢理それをこじ開けるというものでした。貞操観念の強い女性を寝取るというのが、なにか称賛されていたようでした。だから、女性とのセックスはなにか戦勝品扱いです。で、女の子は深く傷ついて泣いている、読んでる私のほうがトラウマになってしまいます。『ふしぎ遊戯』も例外ではありませんでした。イケメンDQNにレイプされることを奨励するような作品だったのです。つまりレイプ願望の快感と男の性に完全服従するというものでした。DQN集団ナチスの長ヒットラーは、
別れの苦しみは女にとってはある種の快感をもたらす
と言っています。つまり、女をいたぶることは、女にとってマゾな快感をもたらすというのです。そう、女はみんなマゾだと言っているのです。それがまさにサディストの勝手な解釈であり、歪んだ世界観なのです。だから、当然、レイプも、女性にとっては快感とDQNは思っているのでしょう。その邪悪なナチス言説が、日本のポルノを支配しているのです。だから、日本ではあれほどまでに体育会系のDQNが多いのです。それは、まるで伝染病が増殖しているかのようです。で、その言説が芸能界などでも、政治でも、支配している。暴力事件を起こしたビートたけしとそのDQN軍団、天孫降臨で有名な県の知事もそうですし、島田紳介もそうですが、でも、さらにその上を行く日本で最も有名なDQNは、石原慎太郎ですね。女性に対してヒットラーにとても近い世界観を持っているような感じですし、ベトナムで買春をしていたというのも、頷けます。そして、女性をそういう風に扱う態度は、彼の弟を祖として、キムタクを代表するジャニーズなどにも受け継がれて、Gacktなんかの暴力的な男など、そういうDQNが女にモテるわけなのです。イケメンDQNの女像に自分を合わせようとして印象操作を行い、それで女はDQNに自己呈示して、それがレイプによって服従させられる女を作り出してしまっているのです。

これでは、DQNがつけあがるばかりです。だから、男女間のセックスでは、そういうのしかなかったので、自然と同性愛のほうをさぐりました。でも、私は、男が嫌いだし、女の子が好きなので、自然とレズビアンのエロ・コミックを読む方向にいったのです。いわゆる海賊版のやつで、たぶん著作権を侵害して描かれたものでしょうね。有名な女性キャラがレズとなってセックスするというものでしたから。でも、それは女性同士、男女の力関係というものが、まったく消えますから、純粋に楽しめます。だから、百合コミックがエロ本だったのです。

しかし、それは「萌え」が広がる前でした。「萌え」がヲタク界に普及したときには、私はとっくに渡米してました。萌え系美少女アニメでは、女の子が男の子を積極的にアタックしますからね。それも、
「がまんできない!」
って言って、キスするのです。男の子の唇を奪うのです。そこでは、貞操観念がまったく消えてます。つまり、解放されているのです。で、男の子は、あんまりぱっとしない、DQNとはまったく違うeveryman的なおとなしくて優しい子ですからね。私は女の子の優しさに憧れてましたからね。で、自分も女の子になりたいと思ってましたから。ある意味、キモヲタは、優しかったために、それが女々しいとして、DQNの迫害のターゲットになったんでしょうね。だけど、私は男になりたくなかった。当時は、体育会系のDQNが男の模範とされ、そういうのが「男」だというんだから、そんな男になることは真っ向から否定しました。できるなら、女の子になりたかった。

しかし、女の子まで、そういう男に憧れていたというのは、まったく理解できませんでした。ヒトラーのような世界史上最悪なナチスというDQN集団の下衆野郎でさえ、多くの女性を魅了し、レニ・リーフェンスタール、ヴィニフレート・ワグナーなど教養のある女性までもを虜にしたそうです。まったく理解不可能です。完全に洗脳されてたんですね。しかし、いつか女の子なら、私の優しさをわかってくれる人が出て来るはずだと思ったんですが、それは甘過ぎました。あまりにもナイーブだったんです。そのパンドラの箱の僅かな希望さえ、ズダズダに砕け散りました。現実では、私たちを変質者のように「キモイ」と言って避け、DQNの周りに集っていましたから。理解不可能でした。彼女らは、DQNに完全に騙されてたんです。洗脳されてたんです。ヒットラーは、
大衆は女のようなものだ、女は小さな嘘には敏感だが、大きな嘘には弱い。だから私は、女を服従させるように大衆を服従させる。大衆は女のように強い指導者に支配され服従したいと願っている。小さな嘘をつく輩はただの詐欺師だが、大きな嘘つきは、偉大なる魔術師だ
と言っています。そう、完全に、そのDQN言説にハマっていたのです。そんな馬鹿げた言説が日本女性に通じてしまっていたのです。だから、粗野な暴力的な男が「強い」と思われ、そういうのが少女漫画でも理想化され、強要されたセックスいわゆるレイプが服従の証となってしまっているのです。キリスト教徒は洗礼によって信仰の証としますが、DQNの女は強姦によって服従の証とするのです。つまり、強姦が洗礼なわけです。そのDQNへの服従願望がレイプ願望と結びつき、アイヒマンの服従心理が形成され、女より身分が下とされるキモヲタを迫害したのです。体育会系優越主義とキモヲタ迫害はセットで、ナチスの人種の順位では、ユダヤ人が最下位だったように、キモヲタも最下位だったのでせす。アーリア至上主義と反ユダヤ主義、そう、服従と迫害は常にセットなのです。それが、この図表です。
fukuju.jpg

で、DQNは、
「女を服従させたぞ(彼らは「口説いた」という表現を使いますが)」
と猿の群れのように喜ぶのです。彼らの支配欲とエゴイズムにさらに火をつけるのです。しかし、フェミニズムによる意識改革が進んでいる欧米では、そんなことは絶対に通じないはずですから。フランスでは、すでに70年代にヒトラーがSSの女に虐められるという映画まで出てたのですから。そして、アメリカでは、ヒラリーが「ヒトラリー」として風刺されるのですから。

だが、日本は、ジェンダー意識も、まったく祖末なもので、道理で、キリスト教原理主義とイスラムの男のように女を蔑み、DQNを助長するのです。

だから、キモヲタは、アニメの女の子にしか希望を持てなかったのです。で、キモヲタのようなおとなしい男の子は、DQNを蹴散らしてくれるような強くて、美しくて、かわいくて、優しい女の子に欲情されるんですから。もう、それは、天国です。アニメは、不可能を可能にした世界なのです。獲得不可能なものを獲得できる、それがアニメ、まるで『維摩経』のような、そういう意味で『維摩経』は好きです。なにしろ、シャーリプトラが女になってしまうんですから!そう、女の子が男性と対等の立場、いや、それ以上、これこそキモヲタが求めていたものでした。男尊女卑の日本社会では、それは到底無理ですからね。天皇の男性限定、つまり天皇は女人禁制、で、社会的にジェンダー平等も遅れている、そんなところでは、DQNが威張り腐ってしまいます。つまり、ジェンダーの平等を見極めるのには、ポルノを見ればわかるのです。日本は、性文化から改革が必要でしょう。さもなければ、DQNが蔓延る社会のままとなってしまいます。しかし、アニメでは、そんなDQNを強い女の子たちが退治してくれるのです。今までのコミックはDQNが読むようなものが主流でしたが、やっと、私たちが求めているものが出て来たのです。それぞ萌え系アニメ、あれならば、強くて優しい女の子に憧れますし、女の子になりたいと思いますよね。小さい時に、スーパーヒーローのスーパーマンなんか見て、
「スーパーマンになりたい」
と思うのと一緒で、それと同じで、私も女の子になりたいと思いましたね。

そう、で、とうとう自分が女の子になれるアニメも出てきました。『マリみて』を見たときには、衝撃を受けました。主人公の女の子に自分を同化してしまったのは、かつてない経験でした。まさに「人生のサイクロン」でしたね。あれで、本当に
私が女の子だったなら!
と後悔しましたからね。そして、宗教をすべてインチキだと強く思っていた私に心境の変化が起きました。ロザリオを小笠原祥子さまから受け取りたいと願ったのです。ああ、祥子さまのプチスール(妹)になりたい。だから、カトリックに改宗しようかなぁと本気で思いました。カトリックでは、カトリック信者ならだれでも洗礼を施すことが出来ます。パドレやシスターなどの聖職者じゃなくてもいいのです。だから、小笠原祥子さまに洗礼してもらいたい!
祥子お姉さま、洗礼してくださーい!!!
と叫んでしまいました。レズビアン・カトリック、その自由を謳歌しているリリアン女学園、どんなに女学園に通いたかったことか!しかし、それはあくまでも二次元、私がカトリックになるのは、二次元の世界だけです。レズビアンが認められていない三次元のカトリックでは、駄目です。だから、私は虹コン(二次元コンプレックス)なんです。ああ、そういえば、志摩子は、カトリックじゃなくて、禅宗寺の住職の娘で、仏教徒だし、カトリックじゃなくてもリリアンに入学できるし、山百合会(生徒会)にも入れるし(山百合も「百合」っていう言葉が入ってますね、ぐふふー!)。別にカトリックにならなくても平気か?私のような無神論者でも入学できるよね、もちろん?ああ、でも志摩子んちの檀那になろうかなぁ?小寓寺で冠婚葬祭?いや、葬式は取り除いておこう、なにせ、私は将来、進歩した遺伝子工学によって不死身になるのだから。

アメリカで萌え系アニメを見て、
「ああ、もっと遅く生まれていれば、渡米はしなかっただろうなぁ」
と思ってしまいました。自分に合った芸術作品が日本で出て来たのですから。それに、ヲタクも社会的認知を得て、DQNに痛めつけられるということは少なくなって来たみたいだし、やっと市民権を得たんでしょう。しかし、キモヲタの人口は増加する一方です。やはり、小泉のネオリベラル政策のせいでしょうね。

しかし、アメリカのエロ本は、レイプものはないですね。それが、じぇんじぇん日本と違うところでした。私が日本で見たエロ本はとても気分が悪くなるようなものばかりで、あれではDQNしか楽しむことができないのではないかと思ったくらいです。だから、百合コミックぐらいしかなかったんですよ。「暴力とセックス」というのか、ましては、女性をあそこまで蔑む雑誌を、女性は絶対に読まないと思います(マゾの女性でさえ文化的抵抗があるはず)。暴力とセックスを分けてないのが、日本のエロ本なのです。日本は性文化から、男尊女卑が徹底されているのです。しかも、その男尊女卑の女は、
「I can have sex with someone I love.好きな人だったらエッチしてもいい」
という受け身の態度であり、アメリカ人女性のように、
「I wanna fuck the guy I'm crazy about. 好きな人とやりたい!」
と主張しないのです。セックスは自分から進んで楽しむものではないという罪悪感は、DQNへの服従の結果です。だからオナニーにすら罪悪感を感じる、自分の体は自分のものであるにもかかわらず。一体だれに対して罪を感じてるのか?それは、DQNです。キリスト教で言えば、ヤハウェーです、なぜなら、処女はヤハウェーのものなのですから。シスターがすべてイエスの妻であるように。ビクニーがすべて仏の娘であるように。

だけど、アメリカのポルノは、男女がとても楽しそうにエッチしている、とても健全です。そこに暴力的なものは少ないですね。女性が笑顔でエッチしてますから、ましては、ポジションも女性上位が多いですね。だから、アメリカでは、女の子もポルノを見ると言います。女性の雑誌なんか読むと、オナニーの開発の仕方なんかが堂々と連載されてますからね。女性がそれだけ性に対してオープンで、処女神話というのは、崩壊してますね。女性が解放されている文化では、ポルノも健全となるのです。だから、日本がいかに精神性で遅れをとっているかが、エロ本でもわかるのです。世界のジェンダーギャップ指数で、日本は90位台、女性解放が遅れているイスラム諸国と争う順位です。先進国では、もっとも低く、あんな国では、DQNが大量発生するのは必至と言えるでしょう。私もその不健全な性文化で育ち、皮膚感覚が欠落して、キモヲタとなってしまいました。そして、20代男性の4分の1が恋愛経験なしというのは、なんと悲惨なことでしょうか?先進国でその割合は異常です。しかも、日本が先進国の中で20代男性の恋愛未経験の割合がもっとも多いのです。ポルノで女性が蔑まれているからです。DQNが不特定多数の女を独占してるからです。しかし、アメリカのポルノは女性が笑顔で楽しんでいるという性描写、アメリカに渡って、それも驚いたことの一つです。

ただ、アメリカのポルノは、女の人の胸が偽物というのが、不自然で、駄目ですね。だって、体位が変わっても胸の形が同じって、どう考えても気持ち悪いですよ。で、女の子は、やけに悲鳴を上げる、雄叫びというか雌叫びですね。あれも作っていてとても不自然です。まぁ、俳優なのだから、作ってるのは当然だと言われたらそれまでですが…。

でも、アメリカでも、白人男性至上主義が横行し、とくに東洋の移民は大変な思いをします。ポルノに東洋人の男優がまったく出ていません。どうしてでしょうか?未だかつて見たことがない。東洋人の男は、アメリカ人女性の性の対象にはならないのです。それはハリウッドがいけません。ハリウッドやテレビでの東洋人の出番は限られているし、来る役としたら非東洋系アメリカ人が東洋人にいだいている偏見そのものですよね。東洋人にまず、ロマンスがない。キスシーンもベッドシーンもない。カンフーや格闘技系の役ばかりで、セックスシーンは、まったくないです。あるとしても、売春婦や芸者とセックスしているシーンぐらいです。東洋の男優には、セクシーさが求められてない、まったくエロチックさが映画から欠落している、それが実生活で反映されてしまうのです。で、ポルノにもそれが反映されてしまうのです。だから、肝心なセックスの場面において、東洋人男はアメリカ女性のオナニーの材料にならない。よって、東洋人男性は、他の人種の男に比べると皮膚感覚が圧倒的に欠落する。だから、アメリカでも、皮膚感覚は欠落していました。チョ・スンヒがそのもっとも最悪な結果でした。でも私は、彼と違って、アニメ好きだったので、萌え系アニメを見るにいたったのです。アングロサクソン型ネオリベラル資本主義的消費主義社会で私は産業廃棄物としてスクラップにされましたが、しかし、自分を組み立て直して、やっと虹コン二次元コンプレックス=二次コン)としての自分を取り戻しました。それがアメリカに十数年住んで、その結果がこれだったのです。まさに、サウダージですよ。

しかし、南米に行って、思春期以来、異性との皮膚感覚が発生したのです。衝撃でした。キモヲタだった私に女性たちが話しかけて来たんですから。しかも、抱きついてきましたし、頬にキスまでしてきました。私は心の底から、
生きてて良かったー!
と女神に感謝しました。それは、まさに「人生の大地震」でした。私の世界観を震撼させました。ラテンのあの凄まじい破壊力のダイナマイトのお尻、私のWeltanschauung(世界観)が、北米から南米に移動したように、胸からお尻に移動したのです。そう、皮膚感覚なのです。異性との皮膚感覚が、いわゆるスキンシップが人を救うのです。それこそ魂の救済、アニメーションによるマスターベーションじゃなくて、サルベーションなのです。オナニーはマスターベーション、セックスはサルベーションなのです。

FC2blog テーマ:マリア様がみてる - ジャンル:アニメ・コミック

【2008/05/11 01:34】 | 漫画
トラックバック(0) |


車輪の国
以前にも指摘しましたが、日本ではバブル崩壊、小泉のネオリベ政策以来
ヲタクの負け組が増加し、癒しのナショナリズムに走る傾向が強くなりました。
当然女にモテなく自信のない
ヲタクの負け組は、保守化しフェミニズム、外国人排斥、軍国主義礼賛、
してゆき最近ではDQNと変わらなくなってきてしまいました。

ドイツでも、旧東側地区では格差が拡大しモテない
負け組男は極右に走り、女は旧西側地区に逃げ出すという
記事を見たことがあります。

ネオリベ社会が台頭すると、社会から寛容性が失われて
国民が総DQN化するから嫌ですよね。

>>「ああ、もっと遅く生まれていれば、渡米はしなかっただろうなぁ」

日本にいる僕からすると、アメリカの方がまだ日本よりずっとマシだと思います。
特にこの国は国内ではKY(空気嫁)とか他人と協調しろなどと
逝っておきながら国外には、我が国に内政干渉するんじゃない日本には
日本のやり方があるんだとか逝って他国の反発を買い
一番頭の悪い方向に進んでると思うんですが・・・
しかも、政府に反対する意見や集会などを開くとブログ炎上なんか
にすぐになりますし、黄色いバナナ状態で同じ有色人種を差別するくせに
白人になると卑屈になり、先進国の中で
一番マイノリティが住みにくい環境ですから。


DQNポルノ
ヘルメス
なるほど、ドイツが、そういう状況なんですね。ネオナチやパンクのようなDQNは、モテなくても強引に女をやってしまいますからね、チンパンジーのボスのように。それを、奴らは「オレはモテててる」と勘違いしてます。

日本は、世界一安全だというデマがありますが、実際、私のすぐ近所でDQNのチンピラ、チーマー、暴走族、ヤクザ、極右テロリストなどが市民生活を脅かしてしました。

私の行っていたアメリカの大学では、日本人留学生は女の子が圧倒的に多かったので、そう考えるとレイプものポルノが横行する日本社会はやはり女の子では暮らしにくい社会なのだと思います(キモヲタにとってもそうですし、マイノリティーだったらもっとひどい目に遭います)。女に服従を強要するDQNが支配している社会では、当然のことです。女を人間以下に蔑むタリバンが崇拝している神の性格がDQNそのものですからね。

まぁ、ビートルズも、当初はリバプールのDQNでしたが、ジョン・レノンはヨーコ・オノと出会って、改心しました。やはり、男を救うのは女性なのです。彼がDQNのままだったら、「イマジン」はこの世に出なかったでしょうね。

アメリカでは、80年に愛と平和の象徴だったジョン・レノンが凶弾に倒れ、レーガン政権が誕生して、この時にネオリベラルとネオコンとキリスト教原理主義とフェミニズムに対する反動がセットとなって、「強いアメリカ」を掲げ、アメリカの政界を牛耳ります。ネオリベとネオコン、この双子の「ネオ」が、アメリカを支配し、その政策に共感を持った小泉とか竹中とか安倍が日本をネオリベラルモデルの社会に変革しました。あのときから、アメリカが狂い、日本も20年後にその狂気が黒船として再び来航したのです。小泉自身はDQNとはちょっと違ってましたけどね。

たしかに、アメリカは、日本と比べると、ポルノから見ても、とても健全ですし、日本のようなDQNポルノのように野蛮なものではないですからね。女性やキモヲタにとっては、アメリカのほうがはるかにましです。まっ、私は、DQNを助長させる腐り切った牛のゲップと馬の下痢と豚のゲロと汚染川のヘドロと化学工場のダイオキシンを混ぜ合わせたような先進国でもっとも精神性が退化し頽廃している儒教的道徳社会の日本が死ぬほど嫌でしたし、その皮膚感覚の欠落のなかでDQNのレイピスト原理主義ものが横行していたアニメ・コミックのなかで、萌え系アニメが出て来たというのは、すがるものが出て来たとうことですから、あそこまで追い詰められて、難民として自殺覚悟で渡米するということはなかったでしょうね。まぁ「歴史に『もし』はない」と言いますから、本当はどうなってたかわかりませんけどね。私の渡米の動機の理由が一つ減るということですから。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
以前にも指摘しましたが、日本ではバブル崩壊、小泉のネオリベ政策以来
ヲタクの負け組が増加し、癒しのナショナリズムに走る傾向が強くなりました。
当然女にモテなく自信のない
ヲタクの負け組は、保守化しフェミニズム、外国人排斥、軍国主義礼賛、
してゆき最近ではDQNと変わらなくなってきてしまいました。

ドイツでも、旧東側地区では格差が拡大しモテない
負け組男は極右に走り、女は旧西側地区に逃げ出すという
記事を見たことがあります。

ネオリベ社会が台頭すると、社会から寛容性が失われて
国民が総DQN化するから嫌ですよね。

>>「ああ、もっと遅く生まれていれば、渡米はしなかっただろうなぁ」

日本にいる僕からすると、アメリカの方がまだ日本よりずっとマシだと思います。
特にこの国は国内ではKY(空気嫁)とか他人と協調しろなどと
逝っておきながら国外には、我が国に内政干渉するんじゃない日本には
日本のやり方があるんだとか逝って他国の反発を買い
一番頭の悪い方向に進んでると思うんですが・・・
しかも、政府に反対する意見や集会などを開くとブログ炎上なんか
にすぐになりますし、黄色いバナナ状態で同じ有色人種を差別するくせに
白人になると卑屈になり、先進国の中で
一番マイノリティが住みにくい環境ですから。
2008/05/12(Mon) 05:25 | URL  | 車輪の国 #-[ 編集]
DQNポルノ
なるほど、ドイツが、そういう状況なんですね。ネオナチやパンクのようなDQNは、モテなくても強引に女をやってしまいますからね、チンパンジーのボスのように。それを、奴らは「オレはモテててる」と勘違いしてます。

日本は、世界一安全だというデマがありますが、実際、私のすぐ近所でDQNのチンピラ、チーマー、暴走族、ヤクザ、極右テロリストなどが市民生活を脅かしてしました。

私の行っていたアメリカの大学では、日本人留学生は女の子が圧倒的に多かったので、そう考えるとレイプものポルノが横行する日本社会はやはり女の子では暮らしにくい社会なのだと思います(キモヲタにとってもそうですし、マイノリティーだったらもっとひどい目に遭います)。女に服従を強要するDQNが支配している社会では、当然のことです。女を人間以下に蔑むタリバンが崇拝している神の性格がDQNそのものですからね。

まぁ、ビートルズも、当初はリバプールのDQNでしたが、ジョン・レノンはヨーコ・オノと出会って、改心しました。やはり、男を救うのは女性なのです。彼がDQNのままだったら、「イマジン」はこの世に出なかったでしょうね。

アメリカでは、80年に愛と平和の象徴だったジョン・レノンが凶弾に倒れ、レーガン政権が誕生して、この時にネオリベラルとネオコンとキリスト教原理主義とフェミニズムに対する反動がセットとなって、「強いアメリカ」を掲げ、アメリカの政界を牛耳ります。ネオリベとネオコン、この双子の「ネオ」が、アメリカを支配し、その政策に共感を持った小泉とか竹中とか安倍が日本をネオリベラルモデルの社会に変革しました。あのときから、アメリカが狂い、日本も20年後にその狂気が黒船として再び来航したのです。小泉自身はDQNとはちょっと違ってましたけどね。

たしかに、アメリカは、日本と比べると、ポルノから見ても、とても健全ですし、日本のようなDQNポルノのように野蛮なものではないですからね。女性やキモヲタにとっては、アメリカのほうがはるかにましです。まっ、私は、DQNを助長させる腐り切った牛のゲップと馬の下痢と豚のゲロと汚染川のヘドロと化学工場のダイオキシンを混ぜ合わせたような先進国でもっとも精神性が退化し頽廃している儒教的道徳社会の日本が死ぬほど嫌でしたし、その皮膚感覚の欠落のなかでDQNのレイピスト原理主義ものが横行していたアニメ・コミックのなかで、萌え系アニメが出て来たというのは、すがるものが出て来たとうことですから、あそこまで追い詰められて、難民として自殺覚悟で渡米するということはなかったでしょうね。まぁ「歴史に『もし』はない」と言いますから、本当はどうなってたかわかりませんけどね。私の渡米の動機の理由が一つ減るということですから。
2008/05/12(Mon) 23:03 | URL  | ヘルメス #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック