私は同僚の女の子から、
「あなたって、ラブシャイじゃないの?」
ときかれた。私は、
「なんのこと?」
と思ったが、
「いや、違うよ。そんなはずないじゃないか」
とその言葉の意味がわからずに当意即妙に答えた。「引きこもり」だったら、わかるが、「ラブシャイ」と言われたのは初めてだった。と同時に、その言葉は初耳でもあった。いわゆる、「知ったか」をして、答えたのである。だから、家に帰って、さっそくネットで検索し、とうとう「Love-Shyness」という記事をウィキピディアで見つけた。そして、ラブシャイを検索していくと、あのヴァージニア工科大学の乱射事件の犯人がラブシャイだったという意見が、ある書き込み掲示板にもあった。だから、私は、
「これは、そうとう重大なことなのかもしれない」
と、そのことに興味を持ち、今回の記事を書くに至った。「ラブシャイ」は「恋愛にシャイな症状」とでも訳したらいいのだろうか。
ウィキピディアに書いてある記事を抜粋して趣意的に訳するとこうなる:
さて、どれだけ、あなたは当てはまっているだろうか。私は、まったく当てはまっていない。唯一当てはまっているとしたら、それは「愛国心が弱い」というところだろう。というか、私には愛国心のかけらもない。全体主義とファシズムは嫌悪しているからね。民族主義もない。私にあるのは、愛女心である。また自由を愛する精神である。だから、私はラブシャイではない。私は、可愛いと思った子とは、進んで話すし、セックスもしたいと思う。だから、女性に対してシャイではない。
「あなたって、ラブシャイじゃないの?」
ときかれた。私は、
「なんのこと?」
と思ったが、
「いや、違うよ。そんなはずないじゃないか」
とその言葉の意味がわからずに当意即妙に答えた。「引きこもり」だったら、わかるが、「ラブシャイ」と言われたのは初めてだった。と同時に、その言葉は初耳でもあった。いわゆる、「知ったか」をして、答えたのである。だから、家に帰って、さっそくネットで検索し、とうとう「Love-Shyness」という記事をウィキピディアで見つけた。そして、ラブシャイを検索していくと、あのヴァージニア工科大学の乱射事件の犯人がラブシャイだったという意見が、ある書き込み掲示板にもあった。だから、私は、
「これは、そうとう重大なことなのかもしれない」
と、そのことに興味を持ち、今回の記事を書くに至った。「ラブシャイ」は「恋愛にシャイな症状」とでも訳したらいいのだろうか。
ウィキピディアに書いてある記事を抜粋して趣意的に訳するとこうなる:
ラブシャイ男の定義:
* 男性である
* 社会的に女性と出掛けることが殆どない
* 異性とはロマンチック、またはセクシャルな性格の意味合いのある関係、そのような情緒的に親密な関係になった経歴がない
* 意義的な女性のパートナーの欠如のため、これまで苦しみ、また現在でも苦しみ続けている。簡単に言えば、彼は、女性との恋愛関係を必死になって渇望しているのであり、しかし、彼のシャイな性格のため、それがない。言い換えれば、彼は、意図的にロマンチックな、または親密な関係を持たないことを選択したのではなく、むしろ、そのような関係を欲しているのだが、築くことが出来ないのである。
* ただのカジュアルな友だちとして、女性に対して自分を主張することを考えるだけで、過度の不安に苛まされる。これが、「ラブシャイ」の本質である。
* 厳格的にロマンスとエロチックなオリエンテーションでは、異性愛者である。また、彼がホモセクシャルということは、絶対にない。
ラブシャイの特徴
Gilmartin博士によれば、多くのラブシャイ男はこれらのパターンを示す
* 女は男よりも特権がある(簡単に獲得できる)と思っている
* 身体的美を適当以上に重視する(とくに容姿)
* 難産、または帝王切開で生まれた
* 男友達に興味がない、同性に対して男嫌いの感情がある
* グループとして身体が平均以下のサイズ
* 幼児のときに静かだった、一方、非ラブシャイ男は殆どそうではないが
* 映画と音楽にとても興味がある、非ラブシャイ男よりも多様なジャンルを好む
* 女性的なアクティヴィティーにとても興味がある
* どちかというと貧乏
* 愛国心が弱い
* 非政治的
* 無宗教だが、スピリチュアル的
* 普通の男子にくらべて女性に興味を持つ年齢が早い、特に三年生から五年生にかけて
* 子どもは女の子しかほしがらない
* 感情を表現するのが苦手
* 緊張した、神経質な、怒りっぽい、二面性の母親を持っている
* 一人っ子であることが多い
* 姉妹がいない、いても一人だけ
* とても生真面目
* 子どもの時、情緒的なサポートをする大人を見いだせない、そして大人になってもそれは続く
* 子どもの時、家族の決定にほんの少しの影響力しかなかったと感じていた
* 簡単に切れる
* 要求しすぎる両親、プライパシーへの過度の干渉と過保護
* 過度な量の心理的トラウマを通過する、ラブシャイはその結果の可能性になりうる、そしてこれらの上記のパターンが前兆
* 上記のパターンの制限のため、親の責任とする
さて、どれだけ、あなたは当てはまっているだろうか。私は、まったく当てはまっていない。唯一当てはまっているとしたら、それは「愛国心が弱い」というところだろう。というか、私には愛国心のかけらもない。全体主義とファシズムは嫌悪しているからね。民族主義もない。私にあるのは、愛女心である。また自由を愛する精神である。だから、私はラブシャイではない。私は、可愛いと思った子とは、進んで話すし、セックスもしたいと思う。だから、女性に対してシャイではない。
Eysenck Personality Questionnaireのテストによれば、ラブシャイは、非ラブシャイに比べて、内向的で、神経過敏だという結果が出ている。また、ラブシャイが幼児だったときは、多数の母親が静かな子どもだったと報告している。それが、先天的な要因である。
そして、後天的な、ラブシャイにさせる主たる原因は、同級生のイジメであるという。ここが、最重要ポイントである。大多数のラブシャイ男は、学園で同年代の男にいじめられた経験を持ち、それがトラウマとなって、後の恋愛シャイを決定する要因になってしまうのだという。また、ラブシャイ男は、いじめに対して抵抗することがほとんどないという。抵抗しないというより、抵抗できないのである。なぜなら、身体的に平均以下であるため、しかも思春期では、成長の早いものと遅いものの差は、まさに大人と子どもであるため、暴力を使ったいじめでは、どうすることもできない。
また、親と社会の態度が、彼らに「real boys」になるためにプレッシャーをかけるというのも、原因になるそうである。つまり、「男」として成長してほしいと思っているのである。その社会の強制する「男」の基準に従わなければ、思春期の男性は、制裁を受けるのである。そう、特に、父親の強権的な制裁が、思春期の男を傷つけてしまうのである。ここでいう「父親」とは、ヤハウェーであり、家父長制度的な、男性が横暴する男性至上主義社会であり、私も、その社会的Hazingを堪え忍ばなければならなかった。だから、私は、中学に入って、いじめられ、そして、それが、私の引きこもりの性格を決定した。だから、私は、ヤハウェーに関連づけられるすべてのものを、完全に否定するのである。「星一徹」は打倒されなければならないのだ。
また、子どもに結婚をしろという親の要求にも、ラブシャイはその期待に答えないため、というか答えられないため、親は子どもに失望する。しかし、ヤハウェーが制定した結婚制度がなければ、そんなプレッシャーすらないのだから、それは、結婚制度の廃止によって解決されるのだ。だから、親は子どもに失望することはないし、子どもも親の期待に答えられないと悩み苦しんで罪深くなることもなくなるのだ。また、結婚しなければ、子孫が作れないと親は悩むのだが、フランスでは、3分の1の新生児が結婚外で生まれている。だから、結婚=子孫繁栄という図式に縛り付けられることはないのだ。子孫は、結婚がなければできないという、ヤハウェーの洗脳は偽りであるということが、21世紀になって、ようやく明かになってきたのである。
しかし、ラブシャイにおいては、男性だけが被害をもっとも多く被るのだ。それも、ヘトロセクシュアルの男に限ってである。なぜなら、ラブシャイのホモセクシュアル男性は、シャイであっても、男性から声をかけられるから、デート率が高くなるのである。しかし、ヘトロのラブシャイでは、女性から声がかかる確率が極端に低いので、一生ガールフレンド、またはセックス経験なしで死んでしまう男性が多くなってしまうのだ。しかし、女性のラブシャイの場合は、シャイで消極的であっても、デートはできるのである。なぜなら、彼女らは黙っていても、男が声をかけるからである。だから、女性がラブシャイであっても、デートすることは可能なのだ。しかし、男性がラブシャイだと、女性はデートしたがらない、というのが、最大の功罪である。また、ラブシャイは、よく傍目から見れば、シャイなため、女性に興味がないように見え、ホモセクシャルではないかと疑われるが、彼らは、れっきとした異性愛者である。
恋愛アニメの『School Days』でも、桂言葉(かつら・ことのは)という女性キャラがいるが、それはいたってラブシャイであるのだが、彼女だって16歳で、最初のボーイフレンドを作ったではないか。だから、女の子がシャイであっても、容姿端麗なら、モテるのである。だが、シャイな男はモテない。なぜなら、男性至上主義がそのような男は、「男らしくない」と女子を子どもの頃から洗脳しているからである。それこそが、男尊女卑の価値観を日本人に植え続けてきた自民党政治の功罪である。まあ、伊藤誠(いとう・まこと)も、シャイではあったが、そんなシャイな男を、西園寺世界(さいおんじ・せかい)が好きだという、しかも、世界は、ありあまるエネルギーで誠を圧倒する。私は、世界こそは、男性至上主義から解放された女性だと思う。『Nothing In This World』に出て来るパリス・ヒルトンが演じる女性教師は、いじめられっこの中学生をどんだけ救ったことだろうか。私は、たまらず、
「先生ー!ボクを助けてください!」
と叫んでしまった。もし、このような女性がいたのなら、私も中学高校時代に救われたのだ。だから、ラブシャイを負け犬のステータスから解放するには、男性至上主義を打ち砕くことである。そして、「男」としての社会的プレッシャーを取り払うことである。それこそがジェンダーフリーであり、セクシュアリティーの解放である。小泉も、天皇を性別に関係ないようにしようとしたが、男性至上主義に洗脳されたオヤジたちによって、阻まれてしまった。だからこそ、私は彼に自民党をとことんまで破壊して欲しかったのだ。そうすれば、男性至上主義は、消滅したことであろうし、天皇も女性になることができたのだ。だが、今回の選挙で、自民党という蛆の沸いた男尊女卑政党は大敗を喫した。よって、私は、女性が解放されることを大いに期待するのである。
あのヴァージニアの韓国人学生のチョー・スンヒも、アジア系というだけあって、成長が白人や黒人にくらべて遅かったのだろう。白人の女の子は、12歳で、大人の体と区別のつかないくらいグラマラスになることは稀ではないので、そんななかでは、アジア系の成長の遅さはいたって不利だ。また、彼は数学と英語で、聡明な成績を残したのにもかかわらず、逆に特別に頭のいいことで、いじめられてしまった。それに、彼は移民だったので、中学生のときは、強いアクセントがあったのだという。それが原因で、彼はいじめられたのだ。
「Go back to China」
とまで言われたそうである。しかし、彼の犯行声明での英語は、完璧だった。アメリカ人の英語とは変わりないので、大学生に頃には、韓国なまりは消えていたのだろう。しかし、中学のときのイジメによって、彼は、成人になって、ラブシャイとなってしまったのだ。
そして、アジア系男性に対するステレオタイプもその原因の一つである。特に多くの東洋系男性はそれを経験する。東洋系男性は、「ラブシャイ」というステレオタイプが貼られ、またコメディーの対象でもある。それは、ハリウッド映画では、とくに顕著だ。だから、私は、あのようなアジア系男性をコケにするシーンよりも、アジア系男性が、主役となり、ロマンスを繰り広げる映画をもっと作るべきであると要求するのだ。黒人とヒスパニックは、それを達成した。だから、彼らはモテないことはない。だが、アジア系男性は、「アジア系」というだけでモテない。これは、明らかに差別ではないか。そういう腐った社会的風潮も、スンヒがいじめられた原因である。だから、アメリカのイジメでは、人種問題も絡んでくるので、もっとイジメ対策が日本よりも複雑なのである。そんなこともあって、彼は孤独になってしまったのだ。私も、日本の学園では、人種問題はなかったものの、オタク的だったために、孤立無援となり、引き蘢って、アニメ、とくに、「セーラームーン」「花より男子」そして「ふしぎ遊戯」などに熱中した。
スンヒは、あの有名な黒人系アメリカ人の詩人のニッキー・ジオバンニのクラスを取っていたというのも、スゴい話だが、ニッキーは、彼の書く詩に、とてつもない不快感を覚えたと言う。あまりにも暴力描写が強かったためであり、またクラスの女の子にセクハラしたため、ニッキーは学部長に韓国人学生をクラスから除席させることを要求したと言う。その除席処分も、彼の乱射事件に関係しているのは確かだろう。アメリカで、憧れの有名な詩人に、処分を受けたのだから、これが普通の無名な教授であれば、そこまでの怒りはないのだろうが、有名な詩人から認められず、しかも、自分の詩のために、プライドを傷つけるような措置まで取られたのだから、ルサンチマンは爆発したにちがいない。彼のラブシャイは、人種問題も絡んでいるので、日本のラブシャイ男とは、また違うのである。
まあ、私の場合は、ラブシャイではない。なぜなら、私は、映画や音楽はそれほど幅広いジャンルを知らないし、私が見ている映像芸術はもっぱらアニメだからである。しかも、それもかなり狭いし、萌え系アニメだし。だから、私はラブシャイではないのだ。よって、同僚の子は間違っているのだ。
だが、女性が男性至上主義に支配されているため、デートするときは、必ず男性から奢ってもらうことを期待するし、女性からデートに誘うということはめったにない。ナンパもめったにしない。また、割り勘や、奢ることはしないのだ。男女平等を叫んでおきならが、それである。しかし、彼女らは、それは、「役割分担」と呼び、「差別」とはしていない。それがアメリカのフェミニストの偽善であり、彼女らは清教徒倫理をしっかりと身につけているのである。また、とくに、日本女性は、男尊女卑社会に育ったため、その傾向がいたって顕著だ。
「女性は、待つものだ」
というステレオタイプがあるのだ。だから、女性は、好きでも、自分からは声をかけないのである。好きなら声をかければいいではないか。デートに誘えばいいではないか。「女だから」というくだらない性差別に固執することは、まったくないのだ。21世紀だ。インターネットの時代だ。だったら、女性も、男をデートに誘って、奢るようにするべきである。ジェンダー・ロールというのは、もはや時代遅れだ。イザナミとイザナミの声の掛け合いがどうのこうのではないのだ。そんな神話の時代はもう終わった。あれこそ、中国と朝鮮の男性至上主義によって、日本書紀は編纂されてしまったのである。イザナミが最初に誘ったら奇形児が生まれてしまったなんて、そんな馬鹿な神話があるだろうか。だから、女性は受け身でなければならないというふざけた言説をブチ蒔いてしまった。
「男はリードするもの、女はリードされるもの」
というふざけた言説を。だから、ラブシャイは、救われなくなってしまったのだ。よって、男性至上主義を破壊することが、ラブシャイを救うことになる。日本のイジメ社会の根幹であった自民党は、崩壊の一途を辿るだろう。今まで、女性のあり方というイデオロギーを使って思想統制してきた。それが原因で私の青春時代は台無しとなった。だからこそ、小泉にはとても期待した。しかし、小泉は、結局自民党を肥大化させたに過ぎなかった。しかし、小泉が自民党を潰してくれるのではなく、国民が自民党を潰してくれるという期待感が、この参院選に膨らんだ。だから、私は、このままいけば、これぞ、国民革命となると大いに期待するのである。そして、日本が、男性至上主義という男尊女卑のイデオロギーから解放されるのだ。そうすれば、ラブシャイが、治療しなければ行けない病気であるということはなくなるのだ。ラブシャイを救うには、社会的変革が必要なのである。だから私は訴える、
「ラブシャイを治すのではなく、社会を直せ!」
と。いわゆる、世直しである。それこそが、本当のセラピーである。
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