NAFTAでのキモヲタのソナタ
今日は本当に辛い。くっそー、どうして風邪なんか引いてしまったんだろうか。熱もあるし、頭痛、目眩、吐き気、下痢、腹痛、関節痛、しかも脚が宙に浮いているようで、最悪である。しかし会社を休めない。アメリカは労働条件が最悪だ。正社員は風邪ごときで休んだら、それこそ白い目で見られるし、派遣社員や契約社員やパートやバイトというものは病欠しても、給料が出ないし、保険もないし、まったくふざけているとしかいいようがない。シュワちゃん知事が州民健康保険を今年始めに提唱したんだけど、それが実現するのはいつのことやら・・・。私も一日や二日さえ休暇を取れれば、回復しているはずなのだが、出勤しなければ行けないため、回復が長引いてしまう。というか、その間にどんどんどんどん人から人へと風邪がうつり、社内全体が風邪で蔓延し、その中の労働者はすべて風邪にかかってしまったぐらいだ。しかも、ごほごほしたものがエアコンによって空中にまき散らされ、社内は風邪の温床となる。まさにタミフルの実験台には最適な環境だ。


私は帰りの途中、ヒスパニックの店に寄り道して、オレンジジュース100%を買った。風邪にはオレンジジュースが一番いいと聞くからなぁ。でも、一番肝心のタミフルを探したんだけど、見つからなかったね。まあ、アメリカだから、ないのかもしれない。しかし、私のレジの前に並んでいた可愛い19歳くらいの女の子、その黒人の子は、とてもセクシーだったから、もう大変。超スタイルが良くて、くびれが半端じゃないし、しかもお尻が斜め45度に突き出ているんだから。私は、
「うわ、なんていいケツしてんだ!」
と思った瞬間、
「ぎぎぎげほげほげほげほげほ!!!」
と大量に咳き込んでしまった。興奮すると咳き込んでしまうとは、風邪って本当にうっとおしくてしょうがない。まるで孫悟空が興奮すると、三蔵法師の呪文によって頭の輪で締め付けらて制されるように。でも、病気でも興奮するということは、それだけまだ大丈夫ということだ。しかし、彼女の後ろにいた黒人の大男は彼女の父親だろうか、彼はOJシンプソンのように大かくて、たぶん190cmぐらいの巨漢で、ジョージ・フォアマンのような腕をしていたから、そして彼は私をぎらりと睨んできた。まるで、
「オレの娘に手を出したら、ぶっ殺すぞ!」
と言わんばかりのものだった。この時、初めてテレパシーの存在を信じるようになったね。今まで、テレパシーなんて詐欺だと思ってたんだけど。しかしこの男、まるで、暴力を振るうことしか能がないような巨大な野獣にしか見えなかった。だから、私は彼女に声をかけることはできなかった。悔しかった。私ほど可愛い子が好きな人間はこの世にいないだろうに。ふざけやがって。やはり男って邪魔だよなぁ。どいつもこいつも私の邪魔をしやがる。いっそうのこと絶滅すればいいのに。このことが原因で、帰りの車の中で、どうして「父親」というものが存在するのか。その存在意義を考慮していた。そして、ついに結論が出た。

娘に対して過保護になる父親は、ヤハウェーとなんら変わりがない。男権至上主義の神であるヤハウェー、娘は貞潔でなければいけないという、とんでもない言説をもって娘のセクシュアリティーを弾圧するのである。娘のセクシュアリティーを踏みにじる父親たち、その集合的無意識がヤハウェーなのである。だから、イスラムの文化圏のタリバンやイランでは、貞潔を失った娘は、家族の恥として、処刑されるのである。しかも、レイプの被害にあった娘でさえ、保護されなければいけないのに、レイプの被害者なのに、家族に恥をもたらしたとして、父親は自らの娘を処刑させるのだ。そんなふざけた宗教などあるだろうか。ユダヤ教だって、昔は、不倫、浮気した女は石打の刑で、ぶっ殺された。女を石打にする処刑は今でもイスラム社会で根強く残っている。その証拠はこちらのサイトに載っている。新約聖書では、イエスはその不条理な刑を止めに入ったのだが。しかし、イエスの父は紛れもなく極悪非道なヤハウェーである。そんなことを命令するヤハウェーという存在は、神ではなく、卑劣で極悪な悪魔でしかない。キリスト教だって、パウロというクソバカヤロウがレズビアンは罪だとして、糾弾し、パウロのことばに忠実な神父たちは、古代ギリシャのレズビアン文学の文献を捨て去り、おかげで今ではほんの断片しか残っていないのである。すべては父親言説のためだ。その父親たちの集合的無意識言説がヤハウェーを作り出したのだ。だから、我々、男女平等主義者、自由主義者はこのヤハウェーの言説をブッ潰さなければならないのだ。父親はいないほうがいい。結婚という制度が父親という存在を正当化させたが、育てるのは必ずしも父が必要ということはないであろう。

中国雲南省の納西(ナーシー)族は、女だけで家族をつくり、完全な女系女権社会なので、男は外でぶらぶらしているだけであり、「結婚」という概念もなく、また「父親」という概念さえない。親は女、つまり母親だけなのだ。そう、男はただの女のセックスの相手であるくらいか、子作りの種馬ぐらいなものであり、子育ても労働も全部女がやるから、社会ではなんの責任もなく、そこらへんの犬や猫のようにぶらぶらとのんびりと、ただ麻雀して、酒飲んで、女性に呼ばれた時だけ、夜這に行くような放浪な生活を満喫しているのである。そう、男は放し飼いのペットなのである。なんという素晴らしい社会だろうか。
「あたしたちは男たちを養っていかなきゃいけないんだから、今日も一生懸命働くか!」
と気合いを入れていた姿、それにはジーンとしてしまった。決定権は全て女にあるという、そして男は毎日遊んでいればいいという、男にとってこれほど羨ましいことはないだろう。そう、結婚制度を破壊することは男の解放にもつながることなのである。まあ、私は女になりたいので、この社会に入れば、決断決断ばかりとなり、女としての苦労は耐えないだろうし、大変だろうが、エロチシズムにおいて女性上位を望む男ならば、天国のような世界であろう。まあ、私は女楽園に行きたいのは確かだが、厳密に言えばそれは女学園であり、レズビアンの世界である。つまり、完全に女だけの世界だ。そこでは自分も女になるのだから。

男って、文明が発達したのに、どうして絶滅しなかったんだろう。野生時代はとっくに終わったのに。男は野生の名残があるけれども、女は本当に進んでいる。まさに現代人類である。男は野生の名残というより、野生そのものであり、野獣に知能が備わっただけの存在でしかない。しかし、女性は、人間に知能が備わっている存在なのだ。だから男は女に教育をなるべく施さないようにした。知性と理性が全て、たとえ獣であっても。だから、知性を持たない人間より、知性を持っている野獣のほうが優れていると男は思いたかったのである。ソクラテスというゲイの男権至上主義哲学者のせいで、すべては知性で測られてしまう世の中が続いてきたのだ。それは女性を差別するものだったし、女性隷属を正当化してきた。だが、これからは人間性を測らなければならなくなった、なぜなら女性解放によって、女も知性をつけてしまったからだ。そして、それを阻止するヤハウェーが19世紀末に死んでしまったからだろう。だから、男にとって女性が知性をつけるのをとても恐れていたのも理解できるのだ。だから、男女平等社会をなんとか実現しないようにヤハウェーを作って、阻止してきたのだ。なぜなら、女性が知性をつけたら、両方とも知性をつけてしまうので、もはや知性が判断基準にならず、人間性が判断基準となり、野獣である男は人間である女にかなうはずがないからだ。それが、どうして長年、ヤハウェー的社会が女性を教育しなかったかという最大の歴史的疑問の答えである。

それに、男というものは、すぐにムキになってカッとなる。そして暴力沙汰となる。男は知性よりプライドだ。そんなの台湾の議会を見れば、一目瞭然ではないか。男なんて野生の時代からちっとも進歩がない。だから、男は政治に参加しない方がいい。納西族の男のように、すべて女性に任せようではないか。労働も、ビジネスも、子育ても、家事も、教育も、政治も、お祭りも、そうすればセクシュアリティーは実に自由だ。どの男がどの女を所有しているか、どの女がどの男を所有しているか、つまり結婚制度で、所有者以外とセックスしたら不倫という馬鹿げた言説など、この社会にはないのである。セックスしたい人とやればいいだけの話だ。アメリカも日本も、結婚という制度があるから、あのようなふざけた娘を監視するゲシュタポのような父親を生産し、娘の自由を奪ってしまうのである。あの野郎は絶対に監視カメラを自分の娘の部屋に取り付けているはずだ。そして娘がオナニーするところを見て、興奮しているのだ。父親とはそういう存在なのだ、とくにヤハウェーは。そして恋という風邪を引いた娘を治そうとして、父親はタミフルを飲ませるのである。恋を治すのにタミフルは最適だと父親は思うのだ。そしてヤハウェー・ネオコンのカモにされるのだ。しかし、恋という高熱が出たら、無理にタミフルで治そうとするれば、どんなことになるか。だから、そんなものはないほうが娘のために良い。それに、タミフルを買ってくるチャイルド・モレスターは娘から隔離されなければならない。ああいうオヤジがいるから、タミフルが売れてしまうんだ。だから、自由を勝ち取るには、公民権運動もそうだが、人種差別撤廃もそうだが、結婚制度の廃止もそうなのである。結婚制度の廃止なくして、人間解放宣言は有り得ないのである。

よって、年頃の娘をヤハウェーの呪縛から解放するためにも、結婚を廃止せよ!


追記を閉じる▲


私は帰りの途中、ヒスパニックの店に寄り道して、オレンジジュース100%を買った。風邪にはオレンジジュースが一番いいと聞くからなぁ。でも、一番肝心のタミフルを探したんだけど、見つからなかったね。まあ、アメリカだから、ないのかもしれない。しかし、私のレジの前に並んでいた可愛い19歳くらいの女の子、その黒人の子は、とてもセクシーだったから、もう大変。超スタイルが良くて、くびれが半端じゃないし、しかもお尻が斜め45度に突き出ているんだから。私は、
「うわ、なんていいケツしてんだ!」
と思った瞬間、
「ぎぎぎげほげほげほげほげほ!!!」
と大量に咳き込んでしまった。興奮すると咳き込んでしまうとは、風邪って本当にうっとおしくてしょうがない。まるで孫悟空が興奮すると、三蔵法師の呪文によって頭の輪で締め付けらて制されるように。でも、病気でも興奮するということは、それだけまだ大丈夫ということだ。しかし、彼女の後ろにいた黒人の大男は彼女の父親だろうか、彼はOJシンプソンのように大かくて、たぶん190cmぐらいの巨漢で、ジョージ・フォアマンのような腕をしていたから、そして彼は私をぎらりと睨んできた。まるで、
「オレの娘に手を出したら、ぶっ殺すぞ!」
と言わんばかりのものだった。この時、初めてテレパシーの存在を信じるようになったね。今まで、テレパシーなんて詐欺だと思ってたんだけど。しかしこの男、まるで、暴力を振るうことしか能がないような巨大な野獣にしか見えなかった。だから、私は彼女に声をかけることはできなかった。悔しかった。私ほど可愛い子が好きな人間はこの世にいないだろうに。ふざけやがって。やはり男って邪魔だよなぁ。どいつもこいつも私の邪魔をしやがる。いっそうのこと絶滅すればいいのに。このことが原因で、帰りの車の中で、どうして「父親」というものが存在するのか。その存在意義を考慮していた。そして、ついに結論が出た。

娘に対して過保護になる父親は、ヤハウェーとなんら変わりがない。男権至上主義の神であるヤハウェー、娘は貞潔でなければいけないという、とんでもない言説をもって娘のセクシュアリティーを弾圧するのである。娘のセクシュアリティーを踏みにじる父親たち、その集合的無意識がヤハウェーなのである。だから、イスラムの文化圏のタリバンやイランでは、貞潔を失った娘は、家族の恥として、処刑されるのである。しかも、レイプの被害にあった娘でさえ、保護されなければいけないのに、レイプの被害者なのに、家族に恥をもたらしたとして、父親は自らの娘を処刑させるのだ。そんなふざけた宗教などあるだろうか。ユダヤ教だって、昔は、不倫、浮気した女は石打の刑で、ぶっ殺された。女を石打にする処刑は今でもイスラム社会で根強く残っている。その証拠はこちらのサイトに載っている。新約聖書では、イエスはその不条理な刑を止めに入ったのだが。しかし、イエスの父は紛れもなく極悪非道なヤハウェーである。そんなことを命令するヤハウェーという存在は、神ではなく、卑劣で極悪な悪魔でしかない。キリスト教だって、パウロというクソバカヤロウがレズビアンは罪だとして、糾弾し、パウロのことばに忠実な神父たちは、古代ギリシャのレズビアン文学の文献を捨て去り、おかげで今ではほんの断片しか残っていないのである。すべては父親言説のためだ。その父親たちの集合的無意識言説がヤハウェーを作り出したのだ。だから、我々、男女平等主義者、自由主義者はこのヤハウェーの言説をブッ潰さなければならないのだ。父親はいないほうがいい。結婚という制度が父親という存在を正当化させたが、育てるのは必ずしも父が必要ということはないであろう。

中国雲南省の納西(ナーシー)族は、女だけで家族をつくり、完全な女系女権社会なので、男は外でぶらぶらしているだけであり、「結婚」という概念もなく、また「父親」という概念さえない。親は女、つまり母親だけなのだ。そう、男はただの女のセックスの相手であるくらいか、子作りの種馬ぐらいなものであり、子育ても労働も全部女がやるから、社会ではなんの責任もなく、そこらへんの犬や猫のようにぶらぶらとのんびりと、ただ麻雀して、酒飲んで、女性に呼ばれた時だけ、夜這に行くような放浪な生活を満喫しているのである。そう、男は放し飼いのペットなのである。なんという素晴らしい社会だろうか。
「あたしたちは男たちを養っていかなきゃいけないんだから、今日も一生懸命働くか!」
と気合いを入れていた姿、それにはジーンとしてしまった。決定権は全て女にあるという、そして男は毎日遊んでいればいいという、男にとってこれほど羨ましいことはないだろう。そう、結婚制度を破壊することは男の解放にもつながることなのである。まあ、私は女になりたいので、この社会に入れば、決断決断ばかりとなり、女としての苦労は耐えないだろうし、大変だろうが、エロチシズムにおいて女性上位を望む男ならば、天国のような世界であろう。まあ、私は女楽園に行きたいのは確かだが、厳密に言えばそれは女学園であり、レズビアンの世界である。つまり、完全に女だけの世界だ。そこでは自分も女になるのだから。

男って、文明が発達したのに、どうして絶滅しなかったんだろう。野生時代はとっくに終わったのに。男は野生の名残があるけれども、女は本当に進んでいる。まさに現代人類である。男は野生の名残というより、野生そのものであり、野獣に知能が備わっただけの存在でしかない。しかし、女性は、人間に知能が備わっている存在なのだ。だから男は女に教育をなるべく施さないようにした。知性と理性が全て、たとえ獣であっても。だから、知性を持たない人間より、知性を持っている野獣のほうが優れていると男は思いたかったのである。ソクラテスというゲイの男権至上主義哲学者のせいで、すべては知性で測られてしまう世の中が続いてきたのだ。それは女性を差別するものだったし、女性隷属を正当化してきた。だが、これからは人間性を測らなければならなくなった、なぜなら女性解放によって、女も知性をつけてしまったからだ。そして、それを阻止するヤハウェーが19世紀末に死んでしまったからだろう。だから、男にとって女性が知性をつけるのをとても恐れていたのも理解できるのだ。だから、男女平等社会をなんとか実現しないようにヤハウェーを作って、阻止してきたのだ。なぜなら、女性が知性をつけたら、両方とも知性をつけてしまうので、もはや知性が判断基準にならず、人間性が判断基準となり、野獣である男は人間である女にかなうはずがないからだ。それが、どうして長年、ヤハウェー的社会が女性を教育しなかったかという最大の歴史的疑問の答えである。

それに、男というものは、すぐにムキになってカッとなる。そして暴力沙汰となる。男は知性よりプライドだ。そんなの台湾の議会を見れば、一目瞭然ではないか。男なんて野生の時代からちっとも進歩がない。だから、男は政治に参加しない方がいい。納西族の男のように、すべて女性に任せようではないか。労働も、ビジネスも、子育ても、家事も、教育も、政治も、お祭りも、そうすればセクシュアリティーは実に自由だ。どの男がどの女を所有しているか、どの女がどの男を所有しているか、つまり結婚制度で、所有者以外とセックスしたら不倫という馬鹿げた言説など、この社会にはないのである。セックスしたい人とやればいいだけの話だ。アメリカも日本も、結婚という制度があるから、あのようなふざけた娘を監視するゲシュタポのような父親を生産し、娘の自由を奪ってしまうのである。あの野郎は絶対に監視カメラを自分の娘の部屋に取り付けているはずだ。そして娘がオナニーするところを見て、興奮しているのだ。父親とはそういう存在なのだ、とくにヤハウェーは。そして恋という風邪を引いた娘を治そうとして、父親はタミフルを飲ませるのである。恋を治すのにタミフルは最適だと父親は思うのだ。そしてヤハウェー・ネオコンのカモにされるのだ。しかし、恋という高熱が出たら、無理にタミフルで治そうとするれば、どんなことになるか。だから、そんなものはないほうが娘のために良い。それに、タミフルを買ってくるチャイルド・モレスターは娘から隔離されなければならない。ああいうオヤジがいるから、タミフルが売れてしまうんだ。だから、自由を勝ち取るには、公民権運動もそうだが、人種差別撤廃もそうだが、結婚制度の廃止もそうなのである。結婚制度の廃止なくして、人間解放宣言は有り得ないのである。

よって、年頃の娘をヤハウェーの呪縛から解放するためにも、結婚を廃止せよ!

【2007/03/28 12:02】 | 社会風刺
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック