NAFTAでのキモヲタのソナタ
私の人生の師であるLanceさんに、この音楽を紹介していただき、私は朝食の前、夕食の前、就寝の前、そして起床直後に聴いてしまいました。やばい、『ダカーポ』の主題歌『サクラ アマネク セカイ』はいいですね。こらがOPで、完全版はこちらです。歌詞もすばらしい。桜はほんと日本独特の文化ですね。「中国では梅、日本では桜」、そうなったのは平安時代からだそうです。その桜の花びらが女の子のカバンにひらひらと落ちていくという情景、ああぁぁぁあああああ、ほんとサウダージだ!諸行無常です。あの情景、校舎の桜並木で、桜が満開がなってる光景は、まさに恋の予感ですね。自分もそこにいたからこそ、神懸かりにかかったようにわかるんです!そこで、登校する女の子たち、あああ、青春を取り戻したい、学園を回復したい!私も桜の下でどんなに恋をしたかったことか!なんて音楽なんでしょう。まるで天から降りて来たマナのようだ。というか、麻薬のようだ。そう、阿片というか、レセプターにはそれぞれに鍵があるように、
合わぬ蓋あれば合う蓋あり
というように、私の心のレセプターにがっちりとフィットしてしまったんです。なんででしょう、桜並木の学園のイメージが一気にフラッシュバックのように鮮明に沸いてしまったんです。女子校や共学はこれだから美しい!こんな経験は久しぶりですね。私も、ビートルズが好きになったのは、中学のときの好きな子がビートルズが好きだったからです。あのときも、そう、レセプターと鍵ががっちりとかみ合ったという感じでした。あれ以来ですね。あと、カーペンダーズもそうですね。でも、実ははじめから好きだったわけではなく、最初は、あれはまるで糖尿病を誘発するような音楽だと思って気嫌いしてたんですが、っていうが、自分にはまったく合ってないと思ってましたから。『Yesterday once more』なんか聴いたら、ジンマシンが体全体に表れて、尿から糖が流れ出てしまうようでしたから。

しかし、中3のときのクラスメイト、地毛の赤毛で、そして三つ編みで、で色が白くておしとやかな子、結構背は高かったかなぁ、私より2cmほど高かったかなぁ(高校に入って身長が伸びたので、今では私の方が高いかも?)、でもすらっとしていて、話し方が優しい、それに胸もけっこうジャージの上からでもふくらみがあったので、その柔らかそうな胸でさえ、彼女の優しさを体現してるような…(彼女のお尻はどうだったか覚えてません、南米に行くまではお尻はあまりチェックしてませんでしたから)。その子がカーペンターズ好きで、
ああ、Kちゃんの優しさはここから来てるんだ!
と勝手に解釈して、それでカーペンターズの曲調と彼女の優しさが妄想の中でマッチして、それでいつの間にかハマってしまい、毎日のようにかかさず聴くようになってしまいました。あんだけ生理的に受け付けず拒絶してた音楽が、なぜか天使の賛美歌に聴こえるようになってしまったんです。それまで、体育会系兼DQNの横行する学園のなかでイジメに耐え抜いて来て、そしてキモヲタとして女の子に避けらまくってたときに、あの子だけでしたから、私が話しかけて、ちゃんと受け答えしてくれたのは。まるで、核兵器で荒廃した大地に咲く一輪の花でしたよ。だから、登校拒否にならなかったんです。

ああ、あの子、今頃どうしてんだろう?高校も別々になっちゃったし、私も渡米してから、それっきりだし。今頃は、日本でバリバリのキャリアウーマンとして一線で働いているのだろうか?そして母親になっちゃったのかなぁ。日本女性の結婚平均年齢をとっくに過ぎてるし、たぶん母親になっちゃったんだろうなぁ。あの子はお姫様願望が強かったし。ああ、あんな子が母親なんて、彼女の子供はさぞかし幸せだろうなぁ、私が彼女の子供の生物学的父親じゃないというのは、ちょっと残念。父親じゃなくても、せめて彼女の弟として迎えて欲しいなぁ、だって、私は彼女より3ヶ月若いんだから。そう、お姉さんみたいな子だったんですよ、Kちゃんは。同じ学年だったんだけどね。15歳のときに既に私と契りを結んでいれば、まるで『3年B組金八先生』の杉田かおるでしたけどね。

Kさん、あああ、でも、彼女には既に好きな人がいて、私なんて眼中になかったからなぁ。それを知った時は、ガーンで、とてもショックでした。部屋にこもって布団の中に入って枕に顔をうずめて泣きました。でも、彼女の好きな人はDQNタイプじゃなくて、普通の勉強のできる男の子だったので、それも、救いで、ほんとよかったです。でも、告白はしませんでしたよ、駄目じゃないですが、他に好きな人がいるんですから。しかも彼女の男の子のタイプは「頭のいい人」でしたからね。それを言われた時は、ドラキュラ退治のごとく杭で心臓を打ち抜かれた衝撃でした。私なんかスポーツも勉強も駄目だったし、他の子に比べて学習のスピードが遅かったし、オール2のような通信簿でしたからね。まっ、でも、「頭のいい子」になろうとして、それ以来、NHKを見るようになったんですけどね。それまでNHKなんて、つまらな過ぎて、まったく見る気しなかったんですけどね。見るとしたら、教育テレビのノッポさんとゴン太君ぐらいでしたから。でも、告白はしませんでした。しても、「お友達」で終わることは確実だったんで。日本では、ふざけた男尊女卑の儒教道徳が支配してるので「お友達」では皮膚感覚は生じませんからね。
「お友達でいましょうね」
この言葉によって、どんなに傷ついたことだろう。その言葉は何万回と聞いた。そして、とうとう耐えられなくなり、立ち入り禁止の屋上に行って、『北斗の拳』のユリアのように町を見渡し、飛び降りようかと思いましたよ。自分を拒絶した町、そこで骨を埋めようかと夢想し、しかし、飛び降りたら、魔女の宅急便のキキが私をキャッチしてくれて、それで太平洋を渡ったんです。でも、彼女は、私の好意には気付いていたんだと思うよ、だって、こっちが5mぐらい遠くの席からじっと見てると、彼女は気付いてにこっと微笑んで来たんですから。私は、
「やべっ!」
となって、黒板の方にあわてて顔を向けました。そりゃ、気付くでしょう、だって女の子だもん。女の子は、ほんと、恋には敏感ですからね〜。男は逆に鈍感ですから、気付かれてないと思って、キョンシーにバレないように息を止めて、ついつい性的な目で女の子を見てしまうんです。で、女の子がこっちを振り向くと、あわてて何事もなかったかのように口笛を吹きながらそっぽを向くのです。そのような誤魔化し、小さな姑息な嘘は、すぐに見破られてしまうんです。ああ、でもキスしたかった、抱きつきたかった、あの胸元に泣きつきたかった、告白してない分だけ、撃滅されてないですからね、だから、告白してない子の記憶は、たまたまですが鮮明に蘇ってくるんです。未練がましいかもしれませんけど…。それが、またサウダージ、苦しみを増大させてるんです。

ああ、でも学園、なんで失ってしまったんでしょう。
「卒業したからだろう!」
と言われたら、そうですが、でも、それでは、なんの解決にもなりません。私の苦しみの解決にはなりません。苦を滅することにはつながらないのです。失学園の苦しみ、いわゆるサウダージはあまりにも辛いです。学園の恋、それをなんとかして取り戻したい。でも、身体的にそれは無理。魂が若くてもどうしょうもないのです。身体を遺伝子工学で若返らせないことには。それに私は、ジョン・レノンと同じ無神論者で神や魂という概念はインチキだと思っています。身体と魂という二元論は否定しているのです、が、しかし、やはりそれは揺らいでしまいます。だって、いまも私の心、精神、魂は16歳のままだと思ってしまうんですから、その時点で魂の存在を認めてしまってるんです、証拠がないのに。科学的ではありませんね。そう、人間の心理というのは矛盾してるんですよ。感情を表現するのに、魂の概念はかかせないですからね。やっぱりジョン・レノンが「神(魂)は人の苦しみを量る概念」と言ったのは正しかったですね。まぁ、私の場合は、「萌えはキモヲタの苦しみを量る概念」ですけど。

しかし、学園は、今では二次元でしか疑似体験ができません。だから、二次元世界に萌えるのみです。三次元で学園に回帰したいんですが、それは無理です。つまり、私は本当は三次元で実現してほしいことを二次元によってそれを経験するのです。カタルシスですね。失われた学園、それは私にとっては失われた恋愛でもあります。失恋愛、そう、失恋なのです。失学園=失恋なのです。四字熟語にすると「失園失恋」なのです。失われたものを取り戻す、それこそ私の革命なのです。それを、三次元で実現したいのです。将来の遺伝子工学の発達に、私の夢のすべてを託しているのです。それが、その図式です。
moereligion.jpg


で、この『サクラ アマネク セカイ』という鍵、いわゆるyozuka*の音楽は、ほんと、レセプターに合ってしまったんですよ。あの桜の世界観、それこそ私の描いている学園恋愛です。あの日本独特での学園の恋愛、ああ、それがあの曲と合致してしまったんです。彼女の音楽の才能はビートルズのよう、そう、まるでジョン・レノンの再来を思わせるような、カレン・カーペンターの再来を思わせるような、学園の郷愁と未来の学園への回帰を一瞬にしてフラッシュバックさせたのです。

FC2blog テーマ:アニメソング - ジャンル:音楽

【2008/05/15 01:51】 | 音楽
トラックバック(0) |