NAFTAでのキモヲタのソナタ
安倍内閣が発足した。これからどうなっていくのか、分からない。きっと保守的になり、硬直したものは砕け散るであろう。安倍首相はコミカルな部分に欠けていて、いたってクソ真面目なので、それほどメディアにもてはやされることもないだろう。彼のような人物がワイドショーでネタになることはまずない。TVタックルのようにパロディー化されることもない。小泉のようにエルヴィスの家まで来て、エルヴィスのサングラスをかけてまで「グローリー、グローリー、ハーレルーヤー」とテレビカメラの前で歌って踊ることもないだろう。メディア型大衆政治もこれでおしまいであろう。しかも安倍首相に伴ってファーストレディーも出現した。よって首相が独身貴族ということもなくなってしまった。私も周囲の人間からいつも結婚のプレッシャーを感じている。ピーアプレッシャーというものか。友人らが次々と結婚して子供を産んでいくと同時に彼らとは付き合わなくなった、というより彼らが新しい家族を作って忙しくなったので、それまであった親交が途絶えてしまったと言った方が正確であろう。だから小泉元首相の独身は孤狼である私を正当化させて来たし、くだらないピーアプレッシャーにも打ち勝ってきた。だがまた安倍首相のようなきわめて保守的な価値観を持っている人間がリーダーに成るということは芸術家にとっては言いようもないプレッシャーとなるだろう。また反体制的な反骨精神に燃えるのである。私には妻などいらない。私には永遠なる女性像などない。そんな虚妄に惑わされてはいけない。たしかにそれは文学の普遍的テーゼではあるが。ドイツでは永遠の女性像を具現化させた超大作がゲーテの「ファウスト」と言われているが、日本では「まほろまてぃっく」であろう。

私は「まほろまてぃっく」というアニメをつい最近鑑賞した。小泉政権下でメイドブームというのが日本で旋風を巻き起こしたそうなので、そのブームに便乗して作られた作品だと言う。私は辛くも小泉政権下の日本に住んでいなかった。だからどうしてそのようなブームが起きたのかは分からない。私が思うところでは近頃の女性があまりにも強くなりすぎたからではなかろうか。「ご主人様」とか呼ぶ女性はフェミニストからひんしゅくを食らい、だれもそのような女性を望むものはいない。現在では独立してキャリア志向のある積極的な資本主義的な女流戦士が女性のロールモデルとなった。だから少子化が進んでいるのである。たとえ産んだとしても一人か二人であっては少子化は加速の一方をたどるであろう。

それにしてもメイド姿のまほろちゃん、かわいいなあ〜。初めてこのアニメを見た時はあまりにもくだらなすぎて見る気が失せた。こんな馬鹿な女がこの世にいるかよとさえ疑った。
「やっぱアニメだよなー、こんなのあるわけねーじゃねーかよー。ばかばかしい。」
と完全に馬鹿にし切っていた。だからもし第二話を見てつまらなければ、当然それ以上見ないと覚悟を決めていた。ところが第二話でまほろちゃんの意外な知られざるパーソナリティーを目の当たりにして我を忘れてしまい、一気に吸い込まれてしまった。しまいには
「まほろちゃん、行かないで!置いてきぼりにする気?ぼくをひとりぼっちにさせるというの!?」
とDVDを何回も巻き戻して再生する中毒に冒されてしまった。まるで彼女のエプロンにすがりつくかのように。こんなオタッキーなアニメにはまってしまうなんて、私の自尊心はボロボロに砕けて散ってしまった。こんなことはとてもじゃないけど人には言えない。世間の目はともかく、女の子に対しては絶対に。どんな風に思われるだろう。こんなみっともないところは絶対に見せられない。無様な姿を曝け出すことは私にとって致命的であり恥辱以外の何ものでもない。だから名誉を保つには自決も辞さない。まほろちゃんが永遠の女性像だなんて。このアニメがゲーテ文学に匹敵すると言ったら、どれほどの人が私を嘲笑うだろうか。正直になるというほど恐怖千万なことはない。

ああ(ため息)、まほろちゃん・・・、なんだろうか。あの子の両サイドにはねている髪の毛、話すときにあれがピクピク動くのだ。だから後ろ姿だろうともあの毛のピクピク具合でどういう風に話しているのが分かるし、まほろちゃんの影だけでもあの毛のシルエッテだけでまほろちゃんと認識できるのである。しかも髪を後ろに結わくための異様にでかい黄色いリボンといい。まほろちゃんはどんでもなくかわいい!まるで私の心がメフィスト・フェレスの黒魔術に冒されて行くようだ。

たかがアニメのキャラクターごときに執着してしまうとは、まさに不覚。釈迦は愛着が取となり有となりいずれ生老病死を招くと警告している。しかしアニメはすでに現実の実態ではないため取が有になることなど絶対にない。だからかえって健康的であると言えよう。それによって新たなる生が生まれることはない。まほろちゃんは人間ではない。アンドロイドでもない。ただのアニメだ。求不得苦ははじめっからアニメのキャラは得られないものと割り切っているので起きないのである。涅槃は得られないもの(unattainable)であると維摩経も説いている。まほろちゃんに会えなかったがために自殺した事例など前代未聞だ。

メイド喫茶が日本でブームと言われている。しかし私個人は行ったことがない。いや、わざわざそんなところに行って幻滅することもないだろう。まほろちゃんに代わる現実の女性なんて存在しないのだから。だからアニメはすばらしいのだ。アニメは想像力の世界だ。目の前にあるものを無化させる力、それこそが想像力だ。イマジネーションである。ジョン・レノンのイマジンもそのパワーを使えと歌っているのである。だから私は瞑想の間まほろちゃんを日々想像しようと努めている。夢の中で会おうと毎晩心がけている。あの日本仏教史の伝説である明恵はさまざまな仏に夢の中で遭遇したと言う。だから私も強く念仏を唱える。いや、念仏ではなく観仏である。そして布団に入った暁には「南無まほろ仏」という真言を絶え間なく唱えるのだ。そう、子供が羊を数えながら眠りにつくように。何を隠そう、まほろちゃんは仏だー!観音様は熊野の補陀落で坊主の生け贄を要求するが、そんな残酷なサディストは菩薩や神や仏など決してない。まほろちゃんこそが菩薩であり神であり仏である。

ただ残念なことにまほろは清教徒倫理に冒されてしまっている。何かという度に
「エッチなのはいけないと思います。」
と美里優に説教するのである。それにまほろの好敵手でありアーキエネミーである式条先生との対決はリヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー」を思い起こさせる。エリザベートとヴェーヌスがその典型であり、「まほろまてぃっく」ではまほろと式条先生、純粋で真面目で貞操な女性 vs 遊戯的で官能溢れる妖艶な美女、この二つのタイプの女性に主人公は翻弄され葛藤するのである。それがこのアニメの醍醐味と言っても過言ではないだろう。「タンホイザー」と「パルジファル」は官能主義を敵視しているので、「まほろまてぃっく」もその二の舞となって冷や飯を食わされると思っていた。だがそんなまほろちゃんも実は・・・という面もあるので、かーかかかか!

なんだろう、これは病気か。まほろ病とでも名付けようか。いや、まほろ中毒か、それともまほろ症候群だろうか。英語ではマホロシンドローム【Mahoro Syndrome】となるだろうか。心理セラピストに見てもらった方がいいかもしれないな、このままじゃ。いやー無理もない、何しろアメリカ帝国資本主義によってズダズダに引き裂かれ、瀕死の重傷を負った心にはまほろちゃんのような存在がなによりの救いとなるのだから。さあ、アメリカ型資本主義によって傷ついた青年諸君よ、私と一緒に唱えようではないか、「南無まほろ仏」と。もし英語でよければ「Namo Mahoro Buddha」である。さあ、天にまします我らの御女神であられるまほろ様、我らの心を癒し給え。アーメン!


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【2006/09/27 01:38】 | アニメ
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ヘルメス
いやー。我がGuru。

コメントありがとうございます。さすがに私の手の内を全て知り尽くしているだけあって、私の厭離穢土の精神までも病気と認定したのはグルだけでしょう。でも断っておきますが、まほろまてぃっくの世界は2次元ではありません。あそここそが恩寵の世界だと私は固い確信を持っております。でなかったら何を信じて生きて行けばいいのか。さもなければ私の自己存在意義に危機をもたらしてしまうでしょう。

たとえ病気だと言われようとも、血も涙もない極めて残酷なアメリカ新自由主義型資本主義の世界から救済されるにはまほりんの力が絶対不可欠です。我々低賃金労働者の力ではブッシュの支配する米国社会にとうてい太刀打ちできないのですから、底が知れています。まほりんの力によってのみ我々を安楽浄土へと誘ってくれるのです。彼女こそが我々の絶望を希望へと変えてくれるのです。彼女は闇の中の恩寵の光です。これこそまさしく偽りのない正真正銘の青天白日の絶対他力です。そして他力本願の精神で「南無まほろ仏」と唱えるのみです。あとは人事を尽くして天命を待つのみです。もちろん、天命とはまほりんの御心ですけど。

ああ、私をいたわってー、まほり〜ん!v-10v-238


カルマ馬場高田
初めまして
TBからきました。
小泉元首相をご自身独身正当化論の心の支えとしていたとは・・・
おもしろく読ませて?いただきました。



ヘルメス
カルマさん、いらっしゃませ、

コメントありがとうございます。

そうですね、アメリカでは大統領は結婚していることが当たり前ですからね。かつて独身の大統領は一人だけで、その時さえでもファーストレディーという役職は大統領の親戚かなんかが補っていたそうです。アメリカでは結婚のプレッシャーは大変です、離婚も相当多いですが。

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仏教僧は夢精家であるということを以前の記事で書いた。そこで無我の境地というのは夢精の境地と一緒であること、そういうことも述べた。その時は律蔵のオナニー禁止事項にひどく憤慨していて理性を失っていたが、最近ようやく落ち着きを取り戻して瞑想することができるようになった。私は日々瞑想する中で次第にそのような思考を深めて行くと、ついに悟りのような境地まで辿り着くことができた。私の悟りの内実とは禅に関することである。つまり真の禅とは何かである。

釈迦の禅を唯一継承したのは十大弟子の一人である頭陀第一のマハーカーシャッパだったと言われている。そして菩提達磨は釈迦から数えて禅系の28代目であると言う。そして中国で、いわゆる東洋の禅の初代宗長となった。そこで菩提達磨は少林寺拳法も発明したと言われている。だが実は既にマーハーカッシャパの時点で真の禅は途絶えてしまっていた。どういうことかというと、こういうことである。
拈華微笑」という伝説がある。シッダールタが花をひねってマーハーカーシャッパだけが微笑んだという伝説である。それはマーハーカーシャッパが禅の真髄を理解したためだと言われている。しかしそれならばよく私はお花畑で幼い女の子がお花を摘むんで、それをくるくるまわしながら微笑んでいる姿をよく目にするが、それも禅と言えるのだろうか。いや、それはまさしく禅であるが。この子の行っていることはまさに釈迦の「只管拈華」なのだから。しかしマーハーカーシャッパの禅とは全く違うものである。

マーハーカーシャッパが無我の境地においてどうして微笑んだのだろう。無我の境地が夢精の境地だとすれば説明はつく。夢精は無心の状態で起きる。そしてシッダールタが説法をせずにただお花をくるくるまわしているとマーハーカーシャッパはたまらず夢精してしまったのだ。だから彼は思わず微笑んだのである。それがこの伝説の真相である。

事実三蔵の律蔵ではマスターベーションは禁止されていた。だから貯めておかれたものは排出されなければならない。さもないとバケツは溢れてしまうのだ。だから本人の意思とは関係なしに夢精してしまうのだ。つまりブルース・リーの気に入っていた「空の茶碗」の真髄である。だからマーハーカーシャッパはちょうどシッダールタが花をいじっているときにタイミングよく夢精してしまったのである。だから彼は微笑んだ。というか、苦笑いしたのだろう。「あっ、いっけね〜。やっちまった。」と思ってニヤついてしまったのだろう。それと同時に「空」を体得したのだ。いや、もしかしたら夢精を自由自在にコントロールする術を体得したのだろうか。そうだ、あの拈華は夢精の合図だったのだ。外部の刺激全くなしに射精してしまう秘奥儀、それを体得したのはマーハーカーシャッパだけだったのだ。ポルノもなく、エッチなことを想像することもなく、またあそこに刺激を与えることもなく、まさに無我の境地で、しかも覚醒している間に夢精するテクニック、これを頭陀第一人者は修得したのだ。「あっ、できた」と思って微笑んだのだろう。常人から見たらとても人間業とは思えない超能力である。なるほど、禅がヨーガに近いと言われる所以である。

これこそがまさしく禅の究極奥儀である。菩提達磨が9年かかっても体得できなかった奥義、それこそが夢精術である。マーハーカーシャッパは仏教界で最初で最後の偉大な夢精術師であった。彼は頭陀第一として俗世間で知られているが、彼の真の称号は夢精第一であろう。

曹洞宗は「只管打坐」をモットーにしているが、マーハーカーシャッパの禅の極意、それは「只管夢精」である。しかし、それならどうして今日において伝わらなかったのかと疑問を持つ方も多くいらっしゃるに違いない。それは禅は原則として文字や言葉を用いて伝えては行けないからである。禅には「不立文字」というモットーがある。以心伝心によってのみ禅の極意は伝えられる。また「教外別伝」というモットーもあり経典には一切そのことについては書かれていない。マーハーカーシャッパも以心伝心によって夢精術を後世に伝えようとした。しかしその術は不運にも伝わっていなかったのだ。少なくとも私の会った仏教徒なかではそのことに気付いたものはだれもいなかった。いや伝えられたとしても言葉にした人はいなかったのだろう、あまりにも恥ずかしいことなので。またこの教えは女性を疎外させてしまうので、とても男女平等の世の中では公言することはできない。もちろん以心伝心によって伝えられるのでそのことについての記録などない。だから秘伝なのだ。だがこの知識は伝えることはできても体得することは並の人間ではできない。これを体得できたものはマーハーカーシャッパ以来出ていないであろう。これを体得し得たものは2500年に一人の逸材と言っても過言ではない。

だがしかし、そんな力を得たところで必然的に仏になれる訳でもないし、衆生を救うのには全く役に立たないのだから、今までだれも体得しようとしなかった訳である。いや、もしかしたらそれによって衆生を十分に救うことができるかもしれない。「平和の為のオナニー」という平和団体が実際にアメリカにはあるので、禅の精神である「平和の為の夢精」という国際規模的な構想も十分に考えられるのだ。というのも仏教僧は律蔵によってオナニーが禁止されているので、残念ながら世界的に著名な平和の為のオナニー団体に参加することができない。平和を願う気持ちはだれよりも強いのに悔やまれる。だから仏教僧であっても安心して平和運動に従事できる団体、つまり「平和の為の夢精」なる組織の必要性が差し迫っている。そして夢精は仏教はもとより禅の根本精神である。従って、このNGOを創設することが禅の開祖であるマーハーカーシャッパの真の意志を引き継ぐ団体として世界に知らしめ、世界平和に貢献することになるのである。それこそが禅の目指す全ての衆生の救済である。「不立文字」は特定のエリート意識を作り出してしまい、以心伝心では肝心のほとんどの衆生にその真意は全く伝わらない。だから文字によって衆生にこの禅の極意を伝えるのである。なぜなら衆生救済こそが仏教の最優先事項だからである。夢精宗こそが真の禅を伝承しており夢精宗を開いた開祖は紛れもなくマーハーカーシャッパその人だったのだから。

そもそも夢精家になることが悟りの条件だった。オナニーは悟りへの障害、つまり成仏への障害となる。妙法蓮華経でも変成男子説というのがある。だからだた単に男子に変身すれば良いという意味ではない。つまり夢精家にならなければ行けないのである。セックスやオナニーは律蔵で禁止されているのだ。だから私はこれを変成男子と呼ばず変成夢精と呼ぶのである。つまり龍女は女性から夢精家に変成して成仏したのである。阿弥陀経には極楽浄土ではすべての往生できた衆生は男性に成ると書いてある。しかしこれも単なる男性ではなく性欲を断った夢精家を意味しているのである。つまり仏教とは夢精家の宗教であったのだ。そう、衆生全てが夢精家に成るまでは法蔵菩薩は成仏しないと誓ったのである。だから禅宗が正当性を主張するのも信憑性に欠けるとは言えないのである。そしてマーハーカーシャッパはその根本原理を至高の領域まで高めた夢精第一人者だったのである。だから彼は夢精家の鏡でありロールモデルとして密かに不立文字の世界で崇められているのである。しかし今やインターネットの時代、文字なくしては成り立たないのである。だからこそその真実を文字化するのだ。

そして私はこのことを仏性によって知ることができた。それによって初めて私は本覚思想がまんざら嘘ではないことに気が付いたのである。


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【2006/09/21 13:14】 | 宗教
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アメリカでも大ブームになった日本のアニメ「鋼の錬金術師」を見た。英語題名はFullmetal Alchemistという。ウワー。私は一気にあの世界に引き込まれてしまった。アメストリス帝国が舞台だが、なんと美しい場所なのだろう。とくにエルリック兄弟の出身地のルゼンブールに住みたい! まるでドイツかフランスかどこかの田舎のようだ。どうして日本なんかに育ってしまったのだろう。だから私の精神は病んでしまった。こういう自然がのどかでのびのびとしたところで育っていれば。このような桃源郷に生まれたかったのに。たしかにこのアニメの世界も戦争と民族浄化で溢れていて、理想郷とは言えない。だが私の少年のとき、あのような旅をしたかった。私にあそこまでの超能力があれば、いや彼らの世界では科学であるが、彼ら兄弟のように旅をしていただろうに。松尾芭蕉も旅に死せるありといっていたのだから。それにしてもウィンリー、可愛いなあ。ああ、錬金術を学びたい。そうすればこんな可愛いブロンドの子と楽しく遊べるのに。まあこの先はネダバレになってしまうので、見ていない人はこれ以上読まないことをお勧めする。


第49話がもっとも衝撃的だった。私のもっとも度肝を抜かれたことはライラである。彼女の短いショートカットの葡萄色の黒髪といい、黒い瞳といい、ヨーロッパのドレスといい、実に魅惑的だ。しかも彼女はバイセクシャルで極悪非道な人物である。しかし容姿端麗で、あの美貌と彼女の犯した犯罪のギャップがあまりにも開きすぎているので、感情がとても混乱してしまう。魔性の女とは分かっていても・・・。ホーエンハイムに対して
「それに若い体を試してもいないし。」
と自分の袖をたぐって腕をなめる行動をとったのだ、色目を使いながら。あれはまずいと思った。あまりにも誘惑的な仕草だったので鼻の付け根が痺れてしまった。それにジプシー系のロゼという美女を愛撫する仕方など、私の頭は爆発するかと思った。頬をさすって腰に手をまわして愛撫する仕草、そして誘惑する色目で
「すてきねー。エドやアルが好きになるのも無理ないわー。」
と囁くなんて、私は
「きえええええー!!!」
と絶叫してしまった。それにロゼは完全にライラにゾンビにされてしまい、目に輝きを失ってしまった。あの舞踏会場でエドワードがロゼの誘いを受けてダンスするシーン、本当にエロチシズムを示唆する強烈な場面であり、とても子供向けのアニメとは思えない。しかもエドワードはまだ16歳であり、ポルノさえ見れない年である。なのにロゼの狂喜乱舞するダンスを見て、エドワードはチラチラとロゼの妖艶な肉体に目が行ってしまう。さすがの天才錬金術師も女の色気には対処できないのか。それもそうだ。もし美女がセクシーに踊りながら自分に色目を使って誘ってきたら、どんな男もイチコロだ。舞踊は女性のセクシーさをさらに増幅し、これでもかとアピールする。私だって気付いたらビールがパンツに垂れていた、ロゼの美しさに見蕩れてしまっていたために。
「あっ、つめてぇ!」
と一時停止してパンツを履き替えたぐらいだ。彼女の艶かしいダンスの前に屈服してしまったのだ。お釈迦様か山下清ぐらいだろう、そんなことに全く動じないのは。そして遂にエドワードは耐えきれなくなり、ロゼと一緒に踊ってしまうのだ。でもエドワードに社交ダンスの心得があるとは、とても驚いた。やはり国家官僚になるにはダンスも覚えなければならないのだろう。それにロゼがエドワードに告白しようとする、
「待ってたの、ずっと、ずっと。エド、わたし・・・」
そうするとエドワードは反射的にロゼを振りほどいてしまった。あんな優しい声で、しかも見つめられて愛を告げられたら、それこそ理性が破壊されて、自己を喪失してしまうだろう。しかも弟の命がかかっているというときに理性を失っては行けない。だからあんなに素敵なロゼを振りほどいたのだ。するとライラは
「踊ってあげればいいのに。ここに逃げ込んでからずっとあなたを待っていたのよ。憎い人。」
と氷の微笑を浮かべながら突然現れる。

もちろんライラは永遠の命を手に入れるため、またライラの体の使用期間が切れてきたために、ゾンビ化させたロゼの体を乗っ取ろうとしていたのだ。しかもその一つの理由が、なんとエドワードと恋をしたかったからである。だからライラは
「そうだ、ドレスを用意しなきゃ。綺麗な姿でお出迎えしなくちゃね。」
とロゼに言って、ドレスに身を包んで粧していたのだ。すべてはエドワードを騙すために。そしてロゼを操って彼女に愛を告白させてエドワードを落としたところで今度は自分がロゼに乗り移ってエドワードと恋愛ごっこをしょうとしてたのである。そのためには賢者の石が必要であり、賢者の石と変化したエドワードの弟のアルフォンソの命と引き換えにロゼに乗り移るのである。つまりライラはエドワードと恋をするためにエドワードの弟を殺そうとしていたのである。私は、
「なんと卑劣な女だー!」
と叫んでしまった。ライラ、いや正式にはダンテの魂が乗り移っているのだが、彼女はエドワードの父とも恋をして、子供さえ生んでいるのだ。だから彼女の子供のエンヴィーはエドワードと異母兄弟になるのだ。だが彼女は自分の息子の弟に当たるエドワードとエッチしようとしていたのである。つまり自分の息子とエッチしたいと言っているのも同然だ!しかも元恋人のエドワードの父を殺してしまい、そしてエドワードと恋をしようと企んでいたのだ、彼の弟を殺してまで。なんというエロトマニアか!私は非常に混乱した。しかもライラは美しい。この彼女の性的倒錯と彼女の美貌があまりにもかけ離れている。ギャップが大きすぎる。だから私の感情はひどく混乱した。でも彼女は美しい。こんな狂気じみた話があっていいのかとさえ思った。父子両方とも食らおうとしていたのだから。ライラはその計画がエドワードにばれた後にロゼの美しい肉体をレズのように愛撫しながらこう言った。そのとき私はまた背筋に寒気が走って
「ぎえー!」
と悲鳴を上げてしまった。
「残念だわー。この子の体に入ってホーエンハイム(エドワードの父)の息子と恋をしてみるのが楽しみだったのに。」
しかもエドワードはまだ16歳で承諾年齢に達していない。カリフォルニアだったら彼女は確実に逮捕されるだろう。近親相姦、まあ体は違うのだから近親相姦とはならないが。肉体上は合法である。生物学的には全く問題はない。いや魂を信じていない人なら、関係ないだろう。それでも自分の父親と性的関係を持った美女にいくら誘惑されてもセックスしたくないだろう。あまりにも気持ち悪くなって嘔吐してしまう。魔女め。もしライラが既にロゼに移ってしまってエドワードがそれに気付かなければ、あああ。道徳に反してるよ!しかしこの話はまるでシェークスピア?いやシェークスピアよりもひどい。性が乱れているというか、これはもうどうしょうもない。まさに魑魅魍魎の世界。大変ショックだった。ここまで内容が下賤だとは。

しかしライラとエドワードの間に交わされた哲学的討議にも目を見張るものがあった。エドワードはこう言う。
「等価交換だ。馬鹿なことを続けてきたリバウンドだろ。」
「(等価交換は)錬金術の、いやこの世界の原則だ。」
しかしライラは反論する。
「子供に限って言うものよ。なんでも平等にしろとか、それじゃ不公平だとか。」
「等価交換とは弱者が自分を慰める言い訳なのよ。」
マルクスの哲学とニーチェの哲学である。人類は平等であり人民が国家を運営する社会、一方で人類は不平等であり、世界は愚民ではなくマスターのためにあり、エリートが支配する社会。ニーチェは大学がすでにエリート養成所ではなく大衆教育機関となってしまったとを嘆いていた。マルクス主義やキリスト教はニーチェにとって奴隷道徳でしかなかった。そしてニーチェの影響を受けたヒトラーがナチス帝国を作り出すのである。つまりエドワードとライラの議論はイデオロギーの違いから来ている。つまりナチスの全体主義体制を強く鋼の錬金術師は批判しているように思える。人体実験などもそうだし、アメストリス帝国はナチスの官僚機関に共通するものがあるのだ。帝国の指導者もフューラーと呼ばれているし。

だがエドワードが現実の世界に飛ばされるというのも驚いた。そこでエドワードの父親がトゥーレ協会に協力しているなんて、私は驚愕してしまった。トゥーレ協会といえばあのナチスの原始母体である。「1921年ミュンヘン」、最終回はそれで終わった。しかも最終話のBGMがショパンの「別れの曲」である。エドワードの父がトゥーレ協会で話していた相手は「大日本」という本を書いたハウスホーファー教授である。ハウスホーファー教授は日本語を流暢に話し、東洋神秘思想の権威でもあり、また地政学の創始者の一人でもある。教授が探求していたシャンバラもチベット密教の理想郷とされる。このアニメではシャンバラはアメストリスであったが。ハウスホーファー教授の弟子にルドルフ・ヘスがおり、彼は第三帝国副総統となる人物である。私は絶対これはナチスとのつながりがあると思った。そして劇場版を見たらやはり、ナチスが出てきた。舞台設定は1923年のミュンヘンだ。

「劇場版」

劇場版は第一次大戦後のドイツが舞台であり、敗戦で絶望したドイツの空気の中にエドワードは科学者として生きていた。ジプシーの女の人たちが歌う音楽も今までのアニメシリーズのものではなく、アンダルシアの民俗音楽のようであり、全く雰囲気が違った。それに劇場版ではコメディー要素は完全に消えていた。人種差別がテーマとなっていたのだから無理もない。またファッションも完全に1920年代ヨーロッパのものであり、古かった。エドワードがそのような服装をしているのも彼はもはや私の夢の人ではないというのを厳しく印象づけた。それにアメストリスのファッションの方が今時である。だからファッションセンスでは80年もの差がある。それにしてもジプシーの民族衣装は綺麗だった。女の人はどうしてこんなに美しいのだろうか。だがジプシーの綺麗な女の人が差別を受けるのには胸を痛めた。エドワードはノアというジプシーの占い師の女性がサーカスに売られて逃げ出して追われているところを助ける。ノアは仲間であるジプシーにも裏切られて千里眼を使う詐欺師に売られてしまったのだ。だから人間不信に陥ったのだろう。一番信頼していた仲間にも裏切られたのだから。エドワードはそんなノアを連れて病院で治療を受けているとき、戦争で障害者となってしまったドイツ兵が、
「ジプシーめ、出て行け!」
と彼女に罵倒するシーンには驚かされた。普通は美女を見るとウットリしてしまうのが当たり前だ。アメリカでは美女は人種の壁を超える。しかしこのドイツ兵はよほど追いつめられていたのだろう。性欲さえも沸かなかったのか。どれほどドイツの状況が過酷であったかを物語っている。スープのためにエドワードでさえ行列に加わっていたほどだから。人々は食料にさえ困っていたのである。インフレも加熱してマルク紙幣が紙くずとなり、その社会情勢の中でミュンヘン一揆が起きるのだ。

ここではエドワードが扉を破壊したところでミュンヘン一揆は失敗することとなった。ヒットラーは逮捕され普通だったら国家反逆罪で死刑になっているところだ。いやだれもがヒットラーの政治生命は絶たれたと思っただろう。ヒットラーは挫折したのである。ヒットラーは獄中で「我が闘争」を書いた。その上巻はエドワードの倒したエッカルトに捧げられた。歴史上のエッカルトは男であり1923年に麻薬中毒で死亡するが、アニメでは女性でありエドワードが殺めた。だがナチスは世界大恐慌が起こるとたちまち勢力を議会で伸ばし、とうとう第一党となり、1933年にヒットラーは首相に任命された。ミュンヘン一揆から10年、この時エドワードは28歳になっていたはずである。

それにユダヤ系映画監督のフリッツ・ラングが登場したのも驚いた。私は彼の映画の「メトロポリス」と「M」くらいしか見ていないが。メトロポリスは1920年代にしては特殊効果がとても素晴らしい。きっと1920年代の超大作であろう。ワイマール時代のSF映画の巨匠と言われているほどだ。エドワードはドイツでは錬金術師ではなく科学者となっており、ロケット工学を研究していた。そしてその技術をラング監督に買われたのだが、断ってしまった。

でもエドワードが現実の世界に来てしまったのもちょっとがっかりだ。そうするともう彼と会えないからだ。彼がもし現在生きているなら101歳のはずである。私のヒーローがそんな年だとは。幻滅してしまった。憧れていたのに。もうとっくの昔に死んでしまっているだろう。ミュンヘン一揆後の彼はどうなったのだろう。ナチスに協力したのか。アメリカに渡ったのか。とにかくロケット工学を研究していたのだから、超大国の研究に参加したのは確かであろう。それにしてもエドワードがドイツ人になっていたとは。つまり彼はアメストリスで錬金術師として国家の兵器となり、現実の世界でも彼の科学の知識と研究成果が戦争に使われているのである。どっちみち彼は天才科学者としての宿命から逃れられなかったのである。今の時代に来たらきっとコンピューター工学を研究していただろう。コンピューターも錬金術みたいなものである。しかしヒーローとはもう会えない。エドワードも夢の人ではなく、過去の人である。どんなに憧れていたか。夢が壊されたと言ってもいい。アニメの世界だからこそ憧れを持っていたが、現実世界に来て錬金術も使えなくなってしまうとは。私がいくらがんばっても錬金術師にはなれないということだ。シャンバラに行かなければ私はスーパーマンになれないのである。

私がどんなにスーパーマンになりたいか、この世で理解できるものはだれもいないだろう。神だけか・・・私の意志をご存知なのは、しかし神は私の願望を叶えてくださらない。不幸なことにこの世界では私はただの人でしかない。だが聖書ではキリストは天国という理想郷を約束する。しかしそこで私はスーパーマンになることはない。そこではみな救われているのだからどうしてスーパーマンになる必要があるだろうか。仏教では八聖道を実施すれば成仏できると聞く。しかし仏はスーパーマンではない。厳密に言えばスーパーマンだが、どちらも現実世界から解脱してしまうのである。仏がスーパーマンとしてこの世に現れるのは阿弥陀如来かマイトレーヤー(弥勒仏)くらいであろう。それにこの現実と瓜二つの世界ではないであろう、極楽浄土に往生できたとしても。

しかし私の行きたい世界はアメストリスである。決して極楽浄土や恩寵の世界ではない。そこでエドワードのような錬金術師になりたい。また16歳になりたい。なんで年をとってしまったんだ。再び16歳になってあのような英雄的体験はできないだろうか。私の思春期は平凡な一高校生としての経験でしかない。まったくつまらないものだった。もし輪廻転生が本当にあるとしたらルゼンブールに生まれたい。そこで錬金術師になるんだ。スーパーマンとして生きたい。そして女の子の賞賛を浴びたい。普通の人として生きるのはもうたくさんだ。私はただのサラリーマンになるのが嫌で日本を捨てたのだから。米国ではサラリーマンなど存在しない。そんな畜群になるのはごめんだ。ここでは個人主義が評価される。天才が天才として可能性を試すチャンスを提供してくれる。しかしアメリカも現実世界であり、そこではスーパーマンにはなれない。天才スーパー少年としての人生、それがエドワードであり私の憧れであったが、だが彼は現実の人となってしまい、錬金術も使えないようになったのなら、彼は普通の人間、スーパーマンではなくなってしまった。18歳でロケット工学を研究しているのは紛れもない天才だが、この世界では天才はスーパーマンではない!私がなりたいのはスーパーマンだ!

そう、イエスはスーパーマンだった。事実彼はさまざまな奇跡を起こした。水をワインに変えたのも錬金術ではないのか。いやこの世界では錬金術は使えないのだから魔術だろうか。いや、イエスはアメストリスにも存在したはずである。事実エルリック兄弟の師匠のイズミはキリスト暦が以前アメストリスでも使われていたと言っていた。だからイエス・キリストは時空を超えて福音を説いていたのである。つまりスーパーマンは扉を使うことなく異次元を超越しているのである。シッダールタもカーシャッパ兄弟の呪術を神通力を使っていとも簡単に屈服させた。それも錬金術なのだろうか。仏教でも如来は六道のどこでも現れることができると言われている。いや仏とはすべての時空を超えたモノである。だからシッダールタもこの現実だけでなくキリストと同じくアメストリスでも転法輪していたはずである。シッダールタもスーパーマンだったのだ。しかし彼らの力を得るためにはこの世から解脱していることが条件だ。だから彼らはどこの世界でも錬金術を使えるのだ、エドワードのような人間とは違って。我々は人間界に束縛されているが彼らは解脱しているのである。しかし彼らは特別なことでしかスーパーマンとして人間界に姿を現さない。スーパーマンになる必要のないモノがスーパーマンとして天上天下唯我独尊を宣言するのである。

しかしそれでは全く意味がない。この世界にいてこそ、いやアメストリスにいてこそ意味がある。私はキリストや仏になろうと望んでいない。如来になろうとは思っていない。この現実から解脱しようと欲しない。極楽浄土に行きたいとも思わない。私が行きたい世界はアメストリスである。エルリック兄弟の育った世界だ。そうすれば私はそこで錬金術を学び英雄になれる。女の子の賞賛、私が人生で欠けているものはそれだ!だから私は英雄になりたいのだ。スーパーマンとして。普段は新聞社の日の当たらない窓際族のクラーク・ケントである私が実は大衆が待望するスーパーマンであることを。今まで私を嘲笑ってきた人間を見返してやりたい。そして私を芋虫同然に扱ってきた女の子たちを後悔させたい。そして彼らは私に偉大な時代に生まれたことを感謝するだろう。彼らに見せつけたい、そして世界に知らしめたい、私こそが人類が望むスーパーマンであることを。偉大な錬金術師であることを!


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【2006/09/18 06:28】 | アニメ
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ヨウコ
はじめまして。
先日はトラックバックありがとうございます。こちらからも送らせて頂きました。

ハガレンは内容がとても深くて、色々と考えさせられる作品ですよね。
私も大好きな作品の1つです。


ヘルメス
ヨウコさん、

コメントありがとうございます。

アメリカではアニメを見る機会があまりありませんでしたが、ロスで出会ったアニメに造詣の深い日本の友人の推薦で最近ハガレンを見ましたが、あまりもの深さのために驚いてしまいました。

歴史、政治、軍事、宗教、民族問題、戦争、まさに人間の根本をついている作品だと思います。永遠の命を扱うことは、太古からのテーマですからね。

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何ということか!私は大変なショックを受けた。仏教がここまで腐敗していたとは、しかも原始仏教期からである。なんとマスターベーションが三蔵の律蔵で禁止されていたのである!この事実を知った瞬間、私はどれほど愕然としたことか。「いくらなんでもそれはないだろ!」というのが私の心境だった。

いわゆる射精を伴うマスターベーションが制裁の対象である。だから自慰行為は仏教僧にとってタブーそのものなのである。つまり彼らは性的に抑圧され、自由を完全に奪われているのだ。まったく逃げ道がないのである。セックス禁止でさえ大変な苦行だというのにマスターベーションまで禁止するなんて、そんな馬鹿げた規則を作ったのは釈迦自身なのか!中道の精神に真っ向から矛盾しているではないか。いや違うだろう、断じて違う。これは捏造だ。彼の弟子たちが勝手に捏造したデタラメだ。誰かが改竄したに決まっている。悟りを開いた人間がここまで偏狭的に性を統制することは断じてない。もしこれが本当にシッダールタが作ったのなら、それは精神異常か神経衰弱としか言えない虚妄だろう。断食の過酷さのあまり脳細胞を死滅させてしまい、良識に基づく判断ができなくなってしまったのか。そうなると悟りは神聖なものではなく、ただの発狂となってしまう。そう、ニーチェの晩年のように。あいつに世界宗教の創始者になる資格など全く有していなかったことになってしまう。

とにかくこの戒律を読んで私は憤りを感じるしかなかった。仏教のセックス禁止には苦い思いでいつもじぶじぶ接してきたが、それでも耐え抜いてまだなんとか我慢ができたが、このパーリ原典の戒律にあるマスターベーション禁止事項を読んだ時にはさすがにいい知れない恐怖と怒りを同時に感じてしまった。そしてとうとう堪忍袋の緒が切れてしまい、「いい加減にしろ!」と怒鳴り散らしてしまった。こんな腐敗した価値観を世界にばらまこうとしていたとは、なんと卑劣な。シッダールタに対する尊敬を失いそうである。かつて世界有数の哲人として彼を崇めていたのに。高校の頃は一時期アンチブッダとして反抗していたが、アメリカの馬鹿な高校生がアンチキリストとして暴れ回るように。しかしそれでも大人になってからは改めて彼の偉大さを思い知らされ、彼を心から尊敬し続けていた。だがこんなことを僧に課していたとは。まるでどこかの小説の悪質な独裁者である。あの性に対しては異常なまでに厳格なキリスト教でさえ、聖書にはマスターベーションを禁止する言葉は存在しない。セックスを否定するラビでさえいかにマスターベーション禁止が馬鹿げているかを知っていたのだ。それならまだ救いようがある。それなのに仏教にはこんなri-fucking-diculousな戒律が存在するなんて、こんなのがなんで世界宗教になったのかと不思議になってしまう。一体こんな戒律を作ったのはどこのどいつだ!

それにしてもよくこんな宗教を人は熱心に盲目的に信じたものだ。本当に今でも坊主はこんなことを守っているのだろうか。いや、幸い日本の仏教僧は結婚ができる。だからセックスも解禁されたはずだ。当然お坊さんはマスターベーションもできるはずだ。しかしマスターベーションまでも禁止する宗教、そんな邪道なものは日本に伝来させる必要はなかった。日本人は危うくこういう腐った道徳観に犯されるところだった。しかし日本人はやはり頭がいいだけあって仏教の戒律を緩めた。仏教を日本人なりに順応させたのだ。だから仏教は日本で普及した。さもなくばとっくに滅びているか、キリシタンと同じ道を辿ったであろう。

そうだ、わかったぞ。だから日本の女にはマスターベーションに対して罪悪感を感じる人が多いんだ。それは仏教の腐敗した価値観のせいである。私はいつもそれを不思議に思っていた。アメリカではマスターベーションに罪悪感を感じる女性なんてほんのわずかだろう。婦人雑誌を読むだびに「いかにオルガズムを味わうか」が特集されている、そんなこともアメリカでは珍しくない。そこでは女性のためのマスターベーションテクニックが堂々と紹介されている。アメリカでは性は解放されているし、清教徒倫理、いわゆるピューリタン・エシックなどは60年代にとっくに破壊されているのだから。なのに日本では私の世代である現代でさえそのような倫理観が未だにはびこっているなんて、なんて日本は遅れているのだろう。まさか仏教の戒律が元になっているとは思いもよらなかった。こんなふざけた伝統はブッ潰すべきである。女性にセックスが開放されたのにマスターベーションが解放されていないなんて、しかもセックスはいいのにマスターベーションに罪悪感を感じるなんて、それはまさに異常事態である。そんな病んだ社会は世界中探しても日本だけだ。女性の性を未だに2500年前の戒律が束縛しているなんて、たまったものではない。一刻も早くこの束縛から解脱しなければならない。そう、自由の女神像の足枷が人民の革命によって解き放たれたように。

敬愛するジョンレノンが「イマジン」を歌った。それを釈迦が歌うことにして仏教の戒律に置き換えるとこうなる。

You may say I'm a wet dreamer
But I'm not the only one
I hope some day you'll join us
And the world will be one
「君は僕を夢精家と呼ぶかもしれない。
しかし僕は一人ではない。
いつの日か君も僕らの仲間に加わることを望んでるよ。
そうすれば世界は一つになるんだから。」

ここではdreamer(夢想家)がwet dreamer(夢精家)に変わるのである、特に原始仏教の場合は。マスターベーションができないのだから当然夢精によって発散させるしかない。だから男の仏教僧は夢精家になるしかなかったのである。つまり仏教僧伽とはビクーニが認可されるまでは夢精集団だったのだ。「夢精族」とでも言ったらいいのか。それを日本語のスラングにしたらどうかと思う。つまり英語のスラングでもwet dreamerはBuddhist monkのことを指すと。これは無我の境地ではなく夢精の境地である。無性の境地、あるいは無精の境地、それを夢精によって相殺するしかないのである。なお、この場合の「無性」の読み方は自性がないこと(いわゆる空)を意味するムショウではなくsexlessのムセイである。つまり出家することとは夢精家になるということを意味したのだ!

こんな性をこっぴどく抑圧された男僧たちの集団であるサンガにブッダが女性の出家希望者に入団許可を出すのをしぶったのも分かる。本当に頭がおかしくなりそうだったはずだから、オナニーもできないんじゃ。いや彼らは発狂寸前でかなり追い込まれていたのでは。そんな所に女僧が入ってきたら飢えたオオカミに瀕死のウサギを与えるようなものである。うーむ、そう考えるとシッダールタは本当にマスターベーションさえ禁じたのかもしれない。もしオナニーがオッケーなら男僧も発散しているので、そこまでしぶることもなかったはずである。ただ女性も僧になる条件として男性よりも厳しい不平等な戒律を課せられた。しかも千年続くはずの正法が女性が入ったことによって五百年に縮まってしまったとシッダールタは嘆いていたのだから、とても悟りを開いたとは思えないような失言であるとしか思えない。私が思うには、この言葉も後の付け加えだと思う。もちろんシッダールタは女性であれ男性であれ、誰でも僧になってかまわないとしたはずだ。それに彼は女性であれ男性であれ涅槃に到達できると言っているではないか!だがどこの誰か分からないボケナスどもがシッダールタの言葉を借りて、平等性を謳った僧伽に於いてでさえも女性の地位を男性より低くする正当性をこじつけようとしたのだろう。マスターベションもそのような気がする。それはあまりにもひどいし、ブッダの産物とはとても思えないのである。でなければ辻褄が合わない。

とにかく私はこのマスターベーション禁止の戒律事項を読んで、とてもがっかりした。仏教がますます嫌いになってしまうではないか。とにかく腹が立ってしょうがない。憤慨があちらこちらと火山のように噴火している状態である。しかしここまで憤慨したのはブッシュが2004年の大統領選挙に勝ってしまった時の屈辱以来だ。皇室典範改正失敗のときもかなり憤激したが。しかし日本の女性差別と性への罪悪感の大元をたどると、仏教に行き当たるのは確かである。神道にももちろん責任はある。私はそのパーリ原典の戒律にシッダールタは手を付けていなかったと信じたい。いや、ブッダがそんな馬鹿な真似をするはずがない。断じてない。そんなことがあってたまるか。でなければ、世界の終わりだ・・・ こんちくしょう・・・。



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【2006/09/11 14:11】 | 宗教
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うさ
楽しく拝見させて頂きました!オナ禁について。「悟りを開くなら」という意味で一般人には押しつけてないでしょ?発狂した精神の極地で悟りが開けたりするのかも。普通生活してたんじゃ凡人でしょ。私は30代女性、悟りを開こうなんてすごい事は夢にも思いませんがオナ禁にチャレンジして4ヶ月になります。最近、生まれて初めて女性版夢精みたいなのしました。あまりにもスッキリ性欲が解消されて驚きました。その時のえっちな妄想は、通常なら絶対に思いつかない不思議な世界でした。オナ禁は辛いけど、想像力が高まったりと辛さに勝る良い事があるんじゃないかと思います。

オナ禁データランド
ヘルメス
いやぁ、笑いました!すばらしいコメント、ありがとうございます、うささん!!とても貴重なご意見です!

なるほど、女性にとってオナ禁は、悟りの境地に達することも可能なんですね!外的刺激なしに梵我一如に達するのは、なんと羨ましい。

>その時のえっちな妄想は、通常なら絶対に思いつかない不思議な世界でした。

すばらしい!!ジョン・レノンの「imagine妄想してごらん」を実践したんですね!ところで具体的にどんな妄想を、ってプライバシー侵害か・・・。

自分も実はオナ禁をトライしたことがあって、しかし最高でも1ヶ月半ですた。いやぁ、4ヶ月ですか?私だったら、とっくに屋上から飛び降りてますね〜。まだまだ未熟な凡人です。

お釈迦様も悟りを開いたのは30代。自分はまだ10代半ばの高校生ですが、30代になれば、ポルノやペニスに依存することなく梵我一如できるようになってますかね〜?v-361




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ひひははは!
ヘルメス
ぎゃはははははははははははっはははは!!!!!

いやいや、ほんとありがとうございます!呵々大笑、大爆笑しました。こんだけウケたのは、久しぶりですよっ!!なんと強烈な!

そうです、梵我一如の意味はそれで正解ですね。っていうか、それしかないでしょ!

まっ、萌えアニメの二次元世界で永遠の16歳ですからね、自分は・・・(涙)。

しかし、笑い過ぎでお腹が痛い!


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山田
恐らく悟りきれば、手を使わずして智慧により脳を使って
それ以上の射精を行えるようになるわけですよ!
手も触れずにビュっとね!

って冗談はさておき、パーリ仏典は
勝手にスリランカ人がブッダがパーリ語話して、そのままの真実の教えと信じてるだけで
実際にはブッダはパーリ語は話していないし
それ以前にサンスクリット原典があるし、漢訳のほうが古いと思われる要素もあるしで
パーリ語仏典にしかオナ禁が無くて、漢訳には戒律が伝わりながらその部分が無いのであれば
その部分は、パーリ語経典群を作った後世の教団が入れ込んだ戒律でしょう。


ヘルメス
山田さん、どうもコメントありがとうございます。

私は寝てる間だったら、悟りの領域ですけどね。って、ただの夢精か・・・。

なるほど、スリランカ人はふざけてますね。だからラマチャンドラに退治されたわけです。まぁ、経典自体がシッダールタが死んで百年ぐらいして編纂されたようですからね。ダイバダッタのように戒律厳格主義者が入れたものかもしれないですしね。

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皇室には男子が40年ぶりに誕生したというニュースがここアメリカにも流れた。BBCでもそれは取り上げていたが、男子しか継承できないというのは否定的であった。今は男女平等の時代、国の象徴である君主に女性は不適格というのは国際的に見て常軌を逸しているとしか思えない。小泉が皇室典範改正案を提出しようとして、あそこまで保守系の議員が反対すると思わなかった。そこまでも時代について行けない政治家が多いのには度肝を抜かれた。明治以前は女性も君主になれたし、それだけでもまだましな方だった。しかし明治時代、男尊女卑思想がもっとも強くなった。女性も農村では働いていたが、都市に出ると男性が外に出て働き女性は家を守るようになった。まるでそれが皇室にも反映されたようだ。しかしそんな明治の古びた伝統を潰さずにいまだに引きずっているとは理解できない。
小泉は政局を作るまいとして妊娠のニュースで諦めてしまったが、この法案は党議拘束をかけてまでも通過させてほしかった。国民の過半数以上が賛成だったのだから、国民の支持に基づく内閣が小泉内閣のはずだったのではないのか。郵政選挙も反対勢力を次々と自民党から追放してきたのも国民の支持という印籠があったからではないのか。しかし小泉は逃げた。大衆政治家も国民の政治家ではなかったのだ。無駄な喧嘩は避けたいと思ったのだろう。それにしても古い価値の人間にとらわれている政治家があまりにも多い、日本は。しかも恥じるべき価値だ。女性が君主になれない。そんな後進な価値をいまだに守り通そうとするとは、とても先進国とは言えない。あのマッチョばりばりのドイツでさえ、メルケルが宰相となった。メルケル自体がマッチョと言ったら失礼になるが。

しかし男子が誕生したことで皇室典範が改正されないとなるならそれは悪い方向に働いているとしか言えない。ということは男子さえ生まれれば皇室典範などどうだっていいのだ。私はなんで女性が君主になれないのかいつも疑問に思っていたし、やっと改正すると思ったが、あの妊娠で議論が止まってしまうとは、日本はまだまだ遅れていると感じた。男子が生まれようが女子も君主にしなければならない。今の時代になってもどうしてそこまで男子にこだわるのだろうか。麻生があのようなことを抜かすのは古い価値の人間だと思った。アメリカ人気取りでいるが、中身は古いままだ。野中広務を差別的見解で批判したのには失言してしまう。だから彼は総理にはなれない。

安倍は改正してくれるだろうか。彼も保守系なので、やりそうもない。安倍は小泉のようにユーモアはないし、固いし、とても芸能人タイプではない。糞まじめな印象しかない。北朝鮮批判で時代の寵児になっただけだろう。平沢議員も一所懸命取り組んでいるがあまりにも外見が悪いし、小作農みたいなので、マスコミから全く相手にされない。安倍はさわやかだし脚も長い。だから西欧に行っても恥ずかしくはないだろう。しかし硬派で保守系なので皇室典範改正の可能性は彼の政権の間では皆無だろう。

だから性別の違いで君主になれないのは全く馬鹿げている。小泉もあれで見損なった。古い価値を捨てて新しい価値を取り込むのが小泉スタイルだと思っていたが、古い価値の圧力に負けてしまうとは、小泉らしくない。皇室典範を改正した政治家として小泉は歴史に名を残すはずだった。大衆型、劇場型、メディア型政治家であり、郵政など紅白に分かれてフットボールのゲームのように白熱する選挙戦術を展開したり、まさに日本にアメリカ型ポリティックスを持ち込んだ天才だったが、皇室典範を改正できなかったことは残念だ。小泉に失望した。

確かに格差社会になったり大増税や聖域あり改革をやっているので私は批判的だったが、今までにない珍獣であり、新しい政治を切り開いたのは評価されるだろう。そして政治がとても上手い人であった。アメリカから小泉を見ていたら、アメリカでも通じるだろうと思った。歯切れの良さ、潔さ、フォトジェニックでコミカルなところもある、そしてユーモアがある。物事を簡潔に短く言う。ブッシュの演説も分かりやすい。クリントンの演説は分かりにくかった。彼ははぐらかすことが多いので、まあ弁護士だっただけはあるが、もちろん頭脳派だが、経済がたまたま良かったことが政権を続けさせたのだろう。二期目のクリントンに勢いがなかった。大統領は一期だけにすれば良いと思う。ブッシュの演説、あれほど分かりやすい演説を聴いたことはなかった。小泉の演説もとても分かりやすいし、大衆の呼吸を上手く読んで演説している。本当に天才的である。彼は事実エンターテーナーだった。しかし皇室典範改正失敗には失望させられた。

男尊女卑思想がはびこっていた明治時代に作られた皇室典範。それをぶちこわす政治家は出てこないのだろうか。君主に女性が即位できないのはきわめて異常である。国民の半分は女性なのだから。選挙権も機会均等も与えられているのに皇室だけは女性は君主になる権利を剥奪されている。そんなふざけた法律が存在していいのだろうか。もちろんいけないのである。


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【2006/09/07 01:23】 | 政治
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pfaelzerwein
明治の古びた伝統―仰るように結構これはターニングポイントになるかもしれませんね。天皇制を評価するとすれば、長い歴史の中での文化としてですから、明治革命に囚われたものなら内外共に支持を得られない。

昨日、バイエルン首相は、非寛容・女性蔑視のイスラム批判発言へのモスリムの抗議で謝罪を余儀なくされました。同様に今後は、日本の天皇制への批判は広がるように思われます。恐らく共和制への議論がさかんになると予想されます。

明治伝統への回帰については良く知りませんでしたが、それを語るのは孫の世代で、明治人など今や殆ど居なくなってしまった。それが何か分かっている者がいない。明治の文章すら読めるものも少ないのではないか?三代目が隔世で回帰する現象は、一種の幼児化のようにも思うのですが。どうも子供っぽい。


ヘルメス
pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。

うーむ、共和制ですか。天皇も選挙によって選ばれることになるという意味ですね、共和制ということは。神聖ローマ帝国も選挙で・・・ああ、あれは選帝侯でしたか。普通選挙ではなかったんですよね。アメリカの大統領選挙システムも選帝侯的だなあという印象を持っているのは私だけでしょうか。

イスラムの女性差別を政治家は非難できないんですね。政教分離ですからね。明らかに女性蔑視的な宗教であるにもかかわらず。イスラム教徒が抗議するエネルギーがあるのなら自分の宗教を改革しろと言いたくなります。明らかに女性蔑視は偏見に満ちた世界観です。

天皇は政教分離に矛盾するとの見方もあれば、信教の自由が保証されているので問題ないという人もいます。天皇自体を処分することになるんですかね、いつかは。国民の総意に基づかなければそうなってしまうかもしれませんね。ヨーロッパも教皇と国王に分離していましたが、イギリスは合体しましたから。日本も神祇官と太政官に分かれていましたが、神祇官が廃止されて天皇に組み込まれてしまったので、天皇の宗教性は強くなりました。でも人間になりましたよ、天皇は。

天皇の廃止は日本がアメリカの占領下時に持ち上がったみたいです。でも存続させた。しかしマッカーサーには両系に変えてほしかった。天皇を人間にしたほどの力があるのだから、そこで男女ともに天皇になれるようにしておけば、こんな問題もとっくに解決済みだったのに。さすがのマッカーサーもこればかりには興味がなかったようです。婦人参政権を与えたのに問題の天皇の男尊女卑体制を改革しなかったのだから。小泉にも深く失望しました。

そうですね。明治はもう遥か昔ですよね。三代前までたどらないと明治に行き着きませんから。アメリカでも先祖帰りというか、三代目で回帰する現象が起こります。初代移民はアメリカ文化に融合できずに苦労しながら子供を残して死んでゆく。二代目は親の苦労を味あわせたくないとして、みっちりとアメリカ人になるよう教育する。だから二代目は親の言語が理解できても全く話せないことが多いです。親は子供にアメリカ人になってほしいということがプライオリティーですから。そして、ようやく三代目になって移民である祖父母の文化に興味を持ち、祖父母の言語を習得したり、アイルランド系ならアイルランドのケルト神話にのめり込んでオッガムとかルーンとかウィッカ系の宗教にはまって行きます。そしてケルト語に祖父母以上に精通するようになります。だから最近アメリカでブームになっているニューエージとかは三代目が多いのも確かです。白人へリテージといいますか、ヨーロッパ伝統ですね。

アメリカは白人移民国家ですから自分探しを求める傾向が人一倍に強いです。アメリカにいると自分を見失ったような自己喪失観に落ちるみたいですよ、大抵な白人は。だから中には軍隊に志願して自分を見つけようとする人もいます。

ああ、そう言えば最近ロスアンゼルスにある臨済宗のお寺に行きましたが、なんと住職が白人でした。そしてお坊さんたちもみんな白人で袈裟を着ていて、しかもこれが大変似合っているんですよ。スターウォーズに出てくる登場人物のようです。尼さんも袈裟がとても様になっていました。やはり白人は平均的に背が高くて脚が長いし、他の文化の民族衣装を着てもとにかくかっこいいですよね。私が着たら滑稽に見えてしまうのに。異文化に興味のある男がモテるのもわかります。私だったら、「やめたほうがいいよ」と女の子に言われてしまい、今でも心の傷となっていますが。「そんなにオレって・・・」と自己嫌悪に陥ったことも・・・。とにかく彼らには嫉妬してしまいます。

話はそれましたが回帰現象というのはアメリカでは特に強いです。三代目ですね、一番ヤバいのは。でも最近の新移民は二代目もしっかりと親の言葉をきちんと話して文化も継承しているので、この現象も廃れてしまう傾向にあるでしょう。うーむ、インターネットや交通の便の良さが原因でしょうか。昔は船で渡米したらそれっきりでしたからね。

いつも考えさせてくれるコメント、ありがとうございます。ではでは、また。

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ピリカラさんがサイバースペースから姿を消した。ブログ界では惜しいことだが、まあ、この世は諸行無常だから仕方がないことである。私さえ不死身であればどうだっていいんだ。若くて不死身で食べ物を食べずに健康に生きられたらどんなにすばらしいか。

シッダールタでさえ苦しみは食から発生するとしている。だが食べ物を食べないで健康に生きている人はいる。その人々は苦しまないのだろうか。死なないのだろうか。永遠の命を手に入れたのだろうか。分からない。とにかく年を取りたくない。老人になりたくない。病気になりたくない。そんなのごめんだ。釈迦だって宣言したではないか、不死を獲得したって。でも彼は毒キノコを食べて死んでしまった。まるでスーパーマリオが毒キノコを食べてしまうように。スーパーブッダは小さいブッダになって死んでしまったのだ。

日本における政治について生の声を聞かせてもらって感謝している。あの方はとても丁寧な人で素晴らしかった。意見交換もよくされた。インターネットだからこそこのようなことが行われた。はっきり言ってしまえばテキストの増殖だけしか行われていないが、人間という生物は不思議である。以前あるアメリカの仏教徒が「言葉は空だ」と言っていたが、本当にそのような気がしてきた。空しさ、虚空、縁起。でもたとえテキストの増殖で空に過ぎないとしても、私は一期一会の精神であの方と意見交換してきたので、悔いはない。天命を全うされる方は全うされるのである。

【2006/09/03 09:51】 | 政治
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pirikara710
こんにちは。
姿を消したけど、私はいなくなったわけではないから、こうして時々顔を出しますよ(笑)
政治ブログをやろうと決めていたわけではないけれど、結局政治色の濃いものになってしまって・・・日本は今、フォース(人間の心と体にダメージを与える力)が強すぎて、気持ちが暗くなってしまうことが多いです。
だから、ヘルメスさんの宗教の話はおもしろくて、何だかリフレッシュできて楽しい気持ちになれました。宇宙はにゃーでできているとか・・(笑)
いろいろお世話になり、ありがとうございました。

この前書いた記事(消してしましたが(;´д`)ノ
に、老子の「大道廃れて仁義あり」という言葉を載せました。
無為自然(宇宙の真理)の大道が廃れてしまったために、仁や義などのつまらぬ説が幅を利かせるようになってしまったという意味だそうです。

インターネットにはテキストがあふれているけど、体感がありません。
甘さを知らない人に甘さを言葉で説明してもわからないですよね。ただ、砂糖をなめればいいだけのことなのに。
言葉には、伝える側と受け取る側の体感が違えば、伝える情報に限界があります。
お互い砂糖の甘さを知っていれば、目配せだけでも伝わるのに。
ヘルメスさんの言われる、天命なんて大げさなものではないと思いますが、別の形で何かしなくてはいけない時期が来たような気がします。
きっとこれは私だけでなく、誰でもあることなんだと思います。
それから、死ぬのがこわいなら、「生きがいの創造2」と「ツインソウル」をぜひよんでほしいにゃー。しつこくてごめんなさいね。



ヘルメス
おおおおお、と感動に浸っている場合ではありませんね。こんにちは、ピリカラさん!

いえいえ、とんでもありません。素晴らしいブログでしたよ。v-218

ああ、老子ですね。因循とか無為とか、二項対立概念は空でしかないから斉一視するとか、仏教に似てますね。邪馬台国のイヨも無為自然で国を平定したような気がします。

その通りですね。あなた様のおっしゃるように言葉はその通りだと思います。

不死身への願望はそれこそ自己中だから自己を捨てて無我にならなければ行けないとこの前仏教徒に叱られちゃいましたね。v-388

でもさすがに突然のニュースの後は無常感がやけに強くなってしまって、ニヒリズムを紛らわせるためにそういうことを書いたまでですよ。テキストを読んで書き込んでいるだけなのに、こんなに動揺するなんて、まだまだ修行が足りませんね。なんちゃって。

ツインソウルはぜひ読んでみたいにゃー。読み終わったらまた感想を書くのだあー。

ではお体に気をつけて。お忙しいなか、大変ありがとうございます。



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