ニューヨークに旅行に行った。前からニューヨークに住みたいと思っていた。だからそういう意味では下見でもあった。大変楽しかった。私は女優である友達のBの家に泊まらせてもらった。彼女のアパートはクイーンズにある。でも第一印象としてニューヨークは古い町に見えた。ロスは歴史的にはニューヨークよりも古いが、早くして経済発展を遂げたのはもちろんニューヨークである。ロスは後進資本主義都市である。しかもニューヨークから追放されたユダヤ系がハリウッドを築いたそうだ。それまでは何もなかったと言う。
ニューヨークは歴史的でもある。しかもジョージワシントンが初代大統領に就任した場所もニューヨークのウォール街である。そしてニューヨークが事実新連邦憲法下での最初の首都であった。だからアメリカ合衆国はニューヨークから始まったと言ってもいい。新憲法を採択した場所もウォール街であったし。そして今はウォール街は世界の経済の中心地、世界最大の金融市場である。
Bは私の友達の中では最大の努力の人である。他人に優しく、自分には厳しく。彼女は完全に人間として独立している。キャリア一筋であり、黙々と一人で演技を研究している。また彼女はとても謙虚な人である。普通アメリカ人は褒めると、
「そうだ、俺はすごいんだ。俺様の偉大さにようやく気付いたか。」
とうぬぼれるが、この人は違う。16歳から女優人生をスタートさせて、ようやく十年目にして花開こうとしているのである。Spinning Into Butterにも出演したし、これから十二月にNBCのゴールデンタイムに放送される予定のBlack Donnellysにも出演すると言う。この脚本は今年アカデミー最優勝作品賞に輝いた「クラッシュ」の脚本家が書いているという。彼女は着々と俳優として道を切り開いているのである。それまではニューヨークでスケッチ・コメディーをずっとやってきて下積みをしてきた。セックスに関するジョークが満載なお笑いであるが、彼女はその喜劇役者として修行してきた。彼女の友達もスケッチ・コメディアンが多く、彼らは非常に愉快だ。そしてみんな輝いている。彼らの周りにいると落ち込むことはないだろう。でもその中でもっとも成功に近いのは彼女ぐらいだろう。いや彼女はもう女優として生計を立てているほどだ。そこまで到達するのにどれだけの人が挫折しただろうか。彼女の強靭な精神力はどこからくるのだろうか。彼女の父親は彼女がまだ小学生のときに家を出たそうだ。つまり家族を捨てたのだ。だから大変な苦労があったらしい。だからこそ一人で生きて行く気力を身につけたのだろう。精神力が人一倍強い訳である。釈迦が家族を捨てたのとは訳が違う。
Bのルームメイトも温かい人たちだった。二人とも作家であると言う。彼女の友達には弁護士とかウォールストリートジャーナルのコラムニストなどもいたが、皆いたって普通なので驚いた。きっとすごく知的に物事を話すのだろうとビビっていたが、パーティーで会ってみればビールを飲んで馬鹿なことを話している普通のアメリカ人だった。きっと仕事のときに突然プロフェッショナルになるのだろう。ニューヨークには世界から才能溢れる人が集まると聞く。私もその中に溶け込みたい。
Bはルームメイトとはあまりうまく行っていないと言っていたが、女の子同士だとギクシャクすることが多いようだとさ。私は女性ではないので、その辺は全く分からないが。
「He just wanna get some booties. (あいつは女の尻を捕まえたいだけだ。)」
と男の親友についてもそんなことを言っていた。はじめは冗談でそんなことを言っているのかと思ったが表情は真剣だった。その辺のことはよく分からない。でも私には全く関係のないことだ。しかしこのような話をする彼女を見たとき初めて私は、
「ああ、女の子だな。」
と思った。普段は個人として付き合ってきたので、凄い人間だとしか思っていなかったから。
摩天楼に行ったし、そのときの写真を掲載しよう。セントラルパークに行ってジョン・レノンの「ストローベリー・フィールド」の写真を撮ったはずなのだが、見当たらない。データが消えてしまったらしい。デジカメは信用できないね。もっとも世界で尊敬する人の意志を写真に納められなかったのはとてもショックだ。現在様々な問題に直面する国連にも行った。アメリカ財界を牛耳ると言われるロックフェラーのセンターにも行った。冬にはスケート広場になると言う。世界貿易センターの跡にも行った。原爆ドームに行ったときと同じぐらい憎しみの悲惨さを思い知り、身震いがした。いろいろな場所に行ったので写真を掲載しよう。アメリカの中枢が全て集まっている感じがした。何を隠そう、まさに巨大な金融資本が渦巻いている場所なのだ。
ウォール街のジョージ・ワシントン、初代大統領就任式はここで行われた

ニューヨーク株式市場とワシントン

世界貿易センター跡

オザマ・ビン・ラディンが破壊したビルの残骸

ロックフェラーセンター

自由の女神像

フェリーから見たマンハッタン

ブルックリン橋

GE社のビルとセントラルパーク(エンパイア・ステート・ビルディングの屋上から撮影)

これこそ憲法九条の精神、不戦の誓い、銃口をねじ曲げられたリボルバー

国連ビル

歴代国連事務総長

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pirikara710 ヘルメスさん、トラックバックありがとうございます。
写真きれいですね。自由の女神のシルエットと雲・・・ちょっと不穏な気配がして、いいですね(笑)
私も20台の前半、女の子といっしょに住んでいたことがありますよ。
彼女は最初からBFがいたので、私と住むことは親に対する隠れ蓑で、たいていはBFの家にいました・・・・
(;´д`)ノオイオイ。
懐かしい思い出なんだか、よくわからないです・・・・
国連ビルのナナメの角度と青空、なかなかプロっぽい写真ですね。
ここにボルトンがいるのかと思うと、生卵ぶつけにいきたくなりますが。もちろん、ボルトン限定ですよ。
アナンさんには、お気の毒でなぐさめのことばもありません。
ヘルメス ははは、そうでしたか。じゃ、自分のスペースが増えてよかったんじゃないですか。
ありがとうございます。ニューヨークって意外と道が狭いので,写真を撮るときビルがなかなか枠の中に入らないんですよ。
本当ですね。アナンさんは確かにお気の毒です。彼の息子も悪みたいだし。私はボルトンのひげを剃って、カツラを剥がしたいですね。
pirikara710 え?ボルトンってかつらだったんですか。やけにふさふさしてますが。
実は私、こっそり夜中に小泉さんの家に忍び込んで、トレードマークの髪の毛をそってやりたいと思ってたんですよ。偶然ですね。(*^m^*) ムフッ
ところで、ヘルメスさんのお友達はほんとに多彩ですね。女優のBさん、私もいつか日本のスクリーンで、あえますように・・・楽しみにしています。
私の住んでいるロス・アンヘレスは日本語で「羅府」と呼ばれる。羅府はラーフラの「ラーフ」であろう。つまり釈迦の息子の羅喉羅の羅喉であり、「羅」だけを取って「羅尊」とも呼ばれる。だからラーフラの町は「羅府」となるのである。よってロスアンジェルスとはラーフラの町のことである。ヒンドゥー神話では日食の交差点の昇交点がラーフと呼ばれ降交点はケートゥと呼ばれる。だから羅府は「束縛の町」を意味するのである。
だから私をこの束縛の町から脱出させ、ニューヨーク、またはパリに移り住まなければならないのだ。太平洋より大西洋の文化圏が私を解放してくれるだろう。それこそがモクシャ(解脱)への道である。よって私は今週末にニューヨークに旅に出ることを決意した。
だから私をこの束縛の町から脱出させ、ニューヨーク、またはパリに移り住まなければならないのだ。太平洋より大西洋の文化圏が私を解放してくれるだろう。それこそがモクシャ(解脱)への道である。よって私は今週末にニューヨークに旅に出ることを決意した。
ゴータマ・シッダールタ、いわゆる釈迦が太陽の末裔だということを以前この記事で紹介した。しかしシッダールタが実の息子ラーフラを邪魔者扱いしたのは親として失格だと思う。親の義務を怠ったとんでもない父親であり夫である。ブラックジャックの父親も妻子を捨てた。しかし成功した実業家となっていた。シッダールタも妻子を捨てたが、偉大な宗教家となっていた。きっとブラックジャックの父親も社会の中では尊敬される偉大な実業家なのだろう。しかし家庭を捨てた、しかも養う力がありながら捨てたというのは最悪である。ブラックジャックの父親はビジネスマンだったし、シッダールタは王子だったのだから。まあラーフラの場合は召使いなどに不自由はしなかったと思うが、それでも父親が息子を捨てたというのは・・・。
シッダールタはなぜこのような行動をとったのか。私はフロイトの説のほとんどがデタラメだと思っているし、今の心理学会では定説として受け入れていない。だが面白いので応用してみることにする。
シッダールタはなぜこのような行動をとったのか。私はフロイトの説のほとんどがデタラメだと思っているし、今の心理学会では定説として受け入れていない。だが面白いので応用してみることにする。
シッダールタは息子の出産を聞いて自分の障害になると言って喜ばなかった。だから彼は息子の名前を日食を意味する「ラーフ」から取って、「ラーフラ」と名付けた。なんという父親だ。そんな名前を普通つけるだろうか。まるで「悪魔君」だ。しかし父親が息子を危険視するのは何もシッダールタに限ったことではない。世界的に有名な話ではクロノスが子供に殺されると予言される、だからクロノスは次から次へと子供を食べ殺して行った。しかしゼウスだけは危機一髪のところで父親の魔の手から逃れ、逆に父親を討伐し、権力の座についた。クロノスは殺されることはなかったが、権力を剥奪され、父親の治世は息子によって終焉した。またシッダールタに帰依したとされるマガダ国のビンビサーラ王も息子のアジャタシャトルによって幽閉された。いきり立ったアジャタシャトルは母親までをも幽閉し、母親を処刑しようとしたが、家臣の必死の説得によって思いとどまったと言う。マガダ国は後にインドを統一する最初のマウリア王朝となり、アショカ王もその系統である。シッダールタの生きた時代はそういうことが多くあったし、自分も出家しなければ同じ運命を辿っていたと思っていたのだろう。
そういうわけでシッダールタも娘が生まれたのであればそういう思いも起きなかったと予測される。だが彼の第一子は息子だった。だから彼が息子に滅ぼされると直感したのだろう。太陽の子孫であるシッダールタ、しかし太陽である自分は数々の王がそうであったように息子に滅ぼされるのではないかと恐れおののいた。そしてほとんどの王は実の子を手にかけることによって予言された自己破滅を回避しようとした。
やられる前にやる。まさにブッシュ・ドクトリンの有名な「Preemptive Action」は「予防措置」、または「先制措置」とも訳される。いわゆる「殺される前に殺せ」である。それはギリシャ神話に既に記録されている。エディプスの父は息子に殺されると予言され、赤ん坊のエディプスを始末するよう命じた。しかしカルマには勝てなかった。父親は成長したエディプスに殺されてしまう。エディプスも自らその父親殺しのカルマに取り憑かれ、光を自ら断って出家した。また数々のギリシャ神話の支配者も同じ運命をたどった。そしてシッダールタも自分が息子に殺される運命であることを知り、太陽である自分を食う息子を「日食」と名付けたのである。
しかしシッダールタはラーフラが障害になるどころか自分の命の危険を及ぼす存在となることを知っていたのだろう。だから彼は葛藤したに違いない、息子を殺して、王として君臨するか、だがそんなことをしたらカルマから避けられない。しかし息子を生かしておけば天下を奪われてしまうと。つまりこのときのシッダールタは権力志向が非常に強く、また王としての野望を持っていたとも思われる。それにラーフラが成長してくればエディプス・コンプレックスを生じさせ、母親を溺愛し、父親を敵視するようになる。そんなカルマはもうたくさんだと発狂寸前までに追い込まれたのだろう。だから彼の取った行動は自殺でも他殺でもなく、自分が王室を捨て去ることだった。それが常識を覆すようなとてつもない決断であったことは言うまでもない。それこそがシッダールタを他の伝説の王から敬遠させる焦点である。
つまりフロイト的に言えばラーフラはシッダールタに殺されたかもしれない運命にあったのだ。それかラーフラが父親を殺していたかもしれないのだ。だが物心がついたラーフラには父親は既にいなかった。出家していたのである。だからラーフラにエディプス・コンプレックスが芽生えることはなかった。既に母親を独り占めにしていたのだから。敵を知らずして育ったのである。要するにラーフラはシングル・マザーに育てられたのである(もちろん召使いに恵まれていたが)。だが父親への探求というのはラーフラのその後の人生を支配したのではないだろうか。自分と母を捨てた父親はもはや王室の人間ではない、王太子でもない、王位相続権も傍系に譲ってしまった。しかもシッダールタは権威ある王室に不名誉をもたらした張本人である。そんなことをした父とは一体どういう人なのだろう。ある意味ではラーフラの父は彼の中で伝説となっていたのだ。だからラーフラも父親の開いた教団に入ることを望んだのだろう。自然の成り行きだったのだ。シッダールタの決断は良い方向に働いたのである。
共食いのカルマをシッダールタはまさに出家によって消し去ったのである。予言された運命を変えることができた世界史上初めての王子ではないだろうか。「ファイナル・デスティネーション(最終到着地点)」というアメリカのホラー映画があったが、それは予告された死をどうやって避けるかを題材にしていた。つまり運命に逆らって延命措置をいかに成功させるかという映画だ。シッダールタの最終到着地点はラーフラに食われてしまうというものだった。父親が息子に食べられる前に息子を食べる、それも一つの延命措置ともいえるが、どの伝説の王も子殺しのカルマから逃れられることはできなかった。最後には自分が食べられてしまう運命であった。そしてその日食のカルマは永却回帰の原則のごとく永遠と続くのであったが、シッダールタがそれを聖剣で打ち砕いたのである。シッダルータの取った延命措置はいかがわしいカルマを吹き飛ばしたのだ。
またシッダールタが生きた時代に流行していた古ウパニシャッド哲学ではアートマンを覚醒させることを主眼としていた。それによれば息子も財産も世界もアートマンには障害となるのである。つまり自分こそがマスターであり、他のものは自分を中心にして回る天体なのである。そういう意味では息子は障害だった。だからその思想の影響を受けたシッダールタは、マスターである自分を脅かす存在が登場したことによって不安に駆り立てられたのかもしれない。いや、その親食いのカルマを知っていたからこそ息子に「日食」と名付け、解決策を打開するために古ウバニシャッドに染まって行ったのかもしれない。当時は出家というのも子供が大人に成長してからが原則であった。だから名誉を保ったまま息子に王位を譲る選択だってあったはずだろう。だがシッダールタは予言を疑いもない真実だと信じていたようで、また自分を太陽と見ていた自己陶酔の強い人間だったので、とても息子に太陽の地位を譲ろうとは思えなかったようで、自暴自棄になりかけたのだろう。古ウパニシャッドは権力や財産を失っても自分をマスターと保証してくれたし、そして反伝統的でもあった。だからシッダールタは伝統を無視し、若くして王室を捨てて出家したのだ。王というのは自分の地位にしがみついては、息子に食われて、地位と名誉を全て失うのが常だった。だがシッダールタは発想を転換させ、自らその権力闘争の渦から身を退いたのである。
それに彼にとっては王になる資格を自分で捨てた方が、王になって権力を剥奪されるよりはよほどましだったのかも知れない。まるで小沢一郎の心理ようだ。「総理大臣になれたのにもかかわらず自ら辞退した。」だが小沢一郎の理由は「総理大臣になったら、自分のやりたいことが何もできずにすぐに引きずり下ろされるから」である。また若い小沢一郎が総理になったら世代間闘争が起きるからということでもあった。小沢一郎の場合は自分より年老いた前世代の老人に引きずり下ろされると予言し、シッダールタは次世代の息子に引きずり下ろされると予言した。どちらにしろ小沢一郎とシッダールタには通じるものがあることは確かだ。つまり小沢一郎もシッダールタも「自分が引きずり下ろされる」という予言を疑いもなく信じていたのである。だからそのような行動に出たのであろう。しかしこれが当時のインドでは最も革新的なことだったのではなかろうか。シッダールタの行動は自己保存の見地からアートマンを守ろうとして取った延命措置だったのである。つまり自己愛による措置であった。小沢一郎も自己愛からであろう。
そしてアニメ「花より男子」の主人公の牧野つくしも同じ手を使った。彼女の恋人である道明寺司が母親に監禁されたとき、司は鉄格子の窓を椅子で打ち破って牧野つくしの前に現れた。傷ついた司を腕の中に包み込んだつくしは悟る。
「このままでは道明寺もあたしも持たないよ。だから終わりにしよう。」
まるでロミオとジュリエットの破滅の運命を自覚したかのように、そう司に告げて去る。プロレタリアート階級の娘と巨大財閥を支配する伯爵家の息子、その二人の恋の終着点は破滅でしかないと、つくしは悟った。だから彼女はロミオとジュリエットのように突き進むことなく、道明寺司から身を退いたのである。シッダールタも小沢一郎も牧野つくしも、同じドクトリンを共有していたのである。
ブッシュ・ドクトリンは「食われる前に食ってしまえ!」である。ブッシュにとって最終到着地点は「キノコ雲」であり、それを回避するためにサダムの国を血の海にした。しかしシッダールタのドクトリンは「食われる前に身を退け」であろう。それか相手に食べる対象ではないと認知させるのである。あの凶暴なワニでさえ歯を掃除してくれる鳥は食べないように。ワニは鳥を食べる対象と見ていないのだ。権力を捨ててしまえば誰が権力を手に入れようとしてその人を敵と見るだろうか。それこそがブッダ・ドクトリンと言えるであろう。
だがシッダールタがアートマンへの執着を捨てたのは悟りを開いてからであろう。そしてラーフラは父親との再会を果たし、彼ら親子の共食いのカルマに終止符を打ったのである。しかしシッダルータの不吉な予感はコーサラ国によるシャカ族の虐殺となってしまうが。シッダールタとラーフラ自体は共食いのカルマ、または最終到着地点から逃れることができた。しかしイクシュヴァーク(オッカーカ)王の末裔である太陽族の不幸がシッダールタの晩年に起きてしまった。つまり民族としての「日食」のカルマは断ち切れなかったのである。シッダールタの予言も違う形で実現してしまったのだ。出家したものは運命から脱することができたが、民族主義に奉仕したものは運命共同体の中に滅んだ。釈迦はこの悲劇をどう見ていたのだろうか?
参考文献「釈尊の歴史的実像」
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pirikara710 TBありがとうございます。
シャカ=小沢一郎=牧野つくしちゃんという視点は、意外でびっくりしましたが、そのような視点から見ると共通する部分があるのですね。
小沢さんはまた、政権交代したら、総理の座をほかに人に譲るような気がします。
そういえば、けんかするよりは、身を引いたほうがいいというのは、聖徳太子の息子たちにも受け継がれましたね。
太子亡き後、蘇我氏と戦わねばらなくなったとき、戦争になれば多くの民を巻き込んで、むだな人殺しが起こる、そんなことになるくらいならと、彼らは、自ら命を終わらせたのです。悲劇でしたが、おかげで戦争は避けられました。
人の世は、いつの時代も荒修行のようですね。
ありがとうございます。
ヘルメス ピリカラさん、こんにちは。
牧野つくしを出したのは、最近見たアニメが頭にこびりついていたためです。
そうでしたか。なるほど。厩戸皇子の憲法十七条はブッダ・ドクトリンに満ちていますし、その意思を継いだご子息の方々もそれを実行された訳ですね。
一つ勉強になりました。ありがとうございます。
ああああ、そんな馬鹿な。あのジダンが退場だなんてー!!!
ショックだー!ジダンをどれほど心から応援していたことか。これが最後の引退試合、しかもその試合がワールドカップの決勝だというのに。ジダンは90年代後半から2000年代にかけて最も偉大なサッカー選手であろう。マラドーナやプラティニ以来の天才とも言われてきた。しかし花道には成らなかった。ああ、花道ではなく、ひとり控え室にうつむいたまま去ってしまった。まるでマッカーサーの「老兵ただ消え去るのみ」のごとく。そうそう、元帥はトルーマンと口論になって首にされたのだ。つまり戦場から退場させられたのだ。ジダンもマテラッツイと口論になり、ヘッドバットを食らわせて退場となった。あれは選手として最も卑劣な行為だ。ジダンは若い世代への教訓を作ったのだ。
ゲームとしては驚いたことにやけにフランスが押していた。ゲームを進めていたのはフランスだった。後半イタリアの選手の足が動かなくなった。私はきっとイタリアはあのドイツ戦のときのようにラストスパートまでエネルギーを貯めているのだろうと思ったが、実際は守りに徹してPKに持ち込もうと思ったのだろう。予想に反して勝負に出てこなかった。逆にフランスがジダンを筆頭として勝ちに行った。延長戦でもフランスが攻め続けていた。そしてあのジダンのヘディングシュート!おしかった。だがそのヘディングを人間にやってしまうとは。ゲットー育ちのジダンは気が荒いことでも有名だが、まさかあんなことをしてしまうとは。恥だ。
あのジダンの退場で応援する気は一気に失せた。フランスはワールドカップにふさわしくないと思った。いくら挑発されたと言ってもあんなことをしては行けないだろう。スポーツマンシップとしては卑劣である。喧嘩なら酒場でやればいいじゃないか。フィールドは神聖なところだ。だがイタリアがボールを持つたびに観客からブーイングが巻き起こった。普通はフランスの方におこるのに。ジダンの卑劣な行為に対して。どうやらフランスのサポーターの方が多かったのだろう。まあドイツとフランスは国境がつながっているし、イタリアとはアルプスの国に阻まれているのだから。
ああ、本当にがっかりだ。PKはイタリアが勝つと思った。ジダンがいなくなったフランス選手は精神面でイタリアに負けてしまっただろう。もちろんPKなんて運だが、練習では止められる方が奇跡に近いが、ワールドカップ決勝ともなるとまったく違うのだろう。そこが大きな差になるのだ。
テレビの画面の前でショックを受けた。世の中こんな馬鹿なことが起こっていいのかと思った。どんなにジダンの花道を見たかったことか。勝っても負けてもジダンにはなんらかの功労賞が送られるのだろうと思っていた。その揺るぎない栄光に拍手を送ろうと構えていたのに。きっとイタリアのサポーター、フランスのサポーター両方ともそれには暗黙の了解が合ったはずだ。彼の引退試合なのだから。だが彼は退場してしまった。表彰式にも参加することもできなかった。まさかこんなことになるとは。私は放心状態となり、イタリア人がワールドカップを持って踊っている姿をただぼーっと見ていた。「こんなはずでは・・・。」私の信じていたジダンが。フランスというより私はジダンその人を応援していたのだから。涙さえ出てこない。実力で負けたならいいだろう。正々堂々と戦ってジダンが負けたのなら、悔し涙が出てきただろう。しかしあんな形で選手人生を終わらせてしまうとは。マラドーナも麻薬で国際試合から姿を消した。偉大なスーパースターとしてはあっけない、そしてスポーツマンとして最も卑劣なことである。ジダンもその点ではスーパースターの伝統を守っているのかもしれない。
まあ、人間完全すぎても好かれない。中道だ。そう釈迦も説いている。最も素晴らしい選手と最も卑劣な選手、それ二つがあってこそバランスが保たれるのではないのか。まさに中道だ。
私は近いうちにフランスに移り住もうと思っていたのに。こんなゲームを見せられてショックだ。でもフランスに移住する野望は変わることはない。私がフランスを好きになったのもなんだかんだ言って、ジダンの98年W杯の活躍である。ジダンは私がフランスを好きになるきっかけを与えてくれた張本人だ。もちろんパリジェンヌとかフランス映画とか美しいフランス人女性が話す甘いフランス語とか、そういうのもあるが、なんと言ってもサッカーだろう。あのジダンの素晴らしいボールさばき、真の天才だと思った。天が、神があの才能を与えたとしか思えない。天才の現れる国、それがフランスである。だからこそ私はフランスに住みたい。アメリカなどもう飽きた。英語もかなりセクシーだが、フランス人女性のフランス語の優雅さ、上品さ、そしてセクシーさ、これには勝らないだろう。フランスに住みたーい!それこそが私の夢だ!
ゲームとしては驚いたことにやけにフランスが押していた。ゲームを進めていたのはフランスだった。後半イタリアの選手の足が動かなくなった。私はきっとイタリアはあのドイツ戦のときのようにラストスパートまでエネルギーを貯めているのだろうと思ったが、実際は守りに徹してPKに持ち込もうと思ったのだろう。予想に反して勝負に出てこなかった。逆にフランスがジダンを筆頭として勝ちに行った。延長戦でもフランスが攻め続けていた。そしてあのジダンのヘディングシュート!おしかった。だがそのヘディングを人間にやってしまうとは。ゲットー育ちのジダンは気が荒いことでも有名だが、まさかあんなことをしてしまうとは。恥だ。
あのジダンの退場で応援する気は一気に失せた。フランスはワールドカップにふさわしくないと思った。いくら挑発されたと言ってもあんなことをしては行けないだろう。スポーツマンシップとしては卑劣である。喧嘩なら酒場でやればいいじゃないか。フィールドは神聖なところだ。だがイタリアがボールを持つたびに観客からブーイングが巻き起こった。普通はフランスの方におこるのに。ジダンの卑劣な行為に対して。どうやらフランスのサポーターの方が多かったのだろう。まあドイツとフランスは国境がつながっているし、イタリアとはアルプスの国に阻まれているのだから。
ああ、本当にがっかりだ。PKはイタリアが勝つと思った。ジダンがいなくなったフランス選手は精神面でイタリアに負けてしまっただろう。もちろんPKなんて運だが、練習では止められる方が奇跡に近いが、ワールドカップ決勝ともなるとまったく違うのだろう。そこが大きな差になるのだ。
テレビの画面の前でショックを受けた。世の中こんな馬鹿なことが起こっていいのかと思った。どんなにジダンの花道を見たかったことか。勝っても負けてもジダンにはなんらかの功労賞が送られるのだろうと思っていた。その揺るぎない栄光に拍手を送ろうと構えていたのに。きっとイタリアのサポーター、フランスのサポーター両方ともそれには暗黙の了解が合ったはずだ。彼の引退試合なのだから。だが彼は退場してしまった。表彰式にも参加することもできなかった。まさかこんなことになるとは。私は放心状態となり、イタリア人がワールドカップを持って踊っている姿をただぼーっと見ていた。「こんなはずでは・・・。」私の信じていたジダンが。フランスというより私はジダンその人を応援していたのだから。涙さえ出てこない。実力で負けたならいいだろう。正々堂々と戦ってジダンが負けたのなら、悔し涙が出てきただろう。しかしあんな形で選手人生を終わらせてしまうとは。マラドーナも麻薬で国際試合から姿を消した。偉大なスーパースターとしてはあっけない、そしてスポーツマンとして最も卑劣なことである。ジダンもその点ではスーパースターの伝統を守っているのかもしれない。
まあ、人間完全すぎても好かれない。中道だ。そう釈迦も説いている。最も素晴らしい選手と最も卑劣な選手、それ二つがあってこそバランスが保たれるのではないのか。まさに中道だ。
私は近いうちにフランスに移り住もうと思っていたのに。こんなゲームを見せられてショックだ。でもフランスに移住する野望は変わることはない。私がフランスを好きになったのもなんだかんだ言って、ジダンの98年W杯の活躍である。ジダンは私がフランスを好きになるきっかけを与えてくれた張本人だ。もちろんパリジェンヌとかフランス映画とか美しいフランス人女性が話す甘いフランス語とか、そういうのもあるが、なんと言ってもサッカーだろう。あのジダンの素晴らしいボールさばき、真の天才だと思った。天が、神があの才能を与えたとしか思えない。天才の現れる国、それがフランスである。だからこそ私はフランスに住みたい。アメリカなどもう飽きた。英語もかなりセクシーだが、フランス人女性のフランス語の優雅さ、上品さ、そしてセクシーさ、これには勝らないだろう。フランスに住みたーい!それこそが私の夢だ!
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着こなし上手
pfaelzerwein イタリアはPKへ持って行くの戦略があったようですね。その辺りの狡猾さがフランスには無かった。ジダンの性格も知り尽くしている。ジダンには失望以外の言葉は見つからないが、フランスにはまたかとしか言えない。発想は大変良いのに、結果に繋がらない。
イタリア女性には関心が薄いのでそれはそれで良いのですが、フランス女性のフェミニンな過度な鼻息が、どうも安定した結果に繋がらないような印象を思い出しましたです。着こなし上手だけど。
鋭いコメント、ありがとうございます。
ヘルメス 噂によれば人種差別的発言にジダンが切れたとか。まあ、どちらにしろスポーツでは手を出した方が負けですけれど・・・。カントナのカンフースタイルの飛び蹴りも思い出すばかりです。ドイツの選手も暴行を働いてしまって。残念の一言です。
うーむ、さすがはヨーロッバに在住されているpfaelzerweinさんだけありますね。洞察力がすばらしい。アメリカ人女性であればエキスパートといかなくともある程度わかりますが、フレンチーヌはメディアを通してしか、あるいは留学生としか接したことがないので、印象ではとても色っぽいという感じでしたが。アメリカ人女性にはない、そう、身体ももちろんセクシーですが、何を着るべきかを知っている、またボディー・ランゲージの取り方にもセンスがあったような。さすがにフレンチーヌに肩をなでられたときは気絶するかと思いましたよ。なで方やウインク一つ一つをとっても違いますからね。下唇のあたりを小指でさする仕草なんて、もう「きぇー!」アメリカ人女性が同じ振る舞いをしても粗野ですから。上品というよりワイルドですから。下品とまでは行かなくとも。
またアメリカ人女性のファッションは基本的にTシャツにジーンズですから。だからチアリーダーを見てもウットリしません。ああ、そういえばサッカーってハーフタイムにチアリーダーのダンスがないんですよね。
まあ、フランス人女性はcoquetteの一言で言い表せるような気がします。サポーターである女性がcoquetteすぎては男性がマッチョになりすぎるので、逆に不安定になるのかも。そしてジダンのような失態も。とにかくアメリカ人女性にはcoquetteがあまりにも不足しているので、フランスに一度でいいから住んでみたいんです。
アメリカにいるといつも話題になるのがフランス人女性、その他東欧系、ブラジル系とかが憧れのようで。アメリカではフェミニズムがあまりにも強いので男性に媚を売るような態度はもってのほかです。「プロフェッショナルではない」と白い目で見られます。デートではまだ女性が男性におごってもらうのを期待しているみたいですが、そのほかはいたって平等ですね。でもフェミニストってフランス人女性のように極力フェミニンになることを主張する思想家だと思っていましたが、全然違いましたね。そういうのを徹底的に糾弾する思想なので驚きました。なんで「フェミニスト」と自称するのか不思議です。アンチ・フェミニストならまだしも。
イタリア人女性はわかりません。私が会ったイタリア人女性もフランス人女性みたいにスキンシップが多かったし、キスの遊戯を仕掛けてきましたが、そこまで可愛いくなかったので、ウットリしませんでした。それにイタリア人女性がセクシーとは聞かないですね。逆にイタリア人男性はスケベの大御所と聞きますが。どちらにしろイタリア人男性のほうが安定していたのは確かなようです。
ヨーロッパでのイタリア人女性の評価とは、いかがなものなのですか?
pfaelzerwein イタリアはPKへ持って行くの戦略があったようですね。その辺りの狡猾さがフランスには無かった。ジダンの性格も知り尽くしている。ジダンには失望以外の言葉は見つからないが、フランスにはまたかとしか言えない。発想は大変良いのに、結果に繋がらない。
イタリア女性には関心が薄いのでそれはそれで良いのですが、フランス女性のフェミニンな過度な鼻息が、どうも安定した結果に繋がらないような印象を思い出しましたです。着こなし上手だけど。
鋭いコメント、ありがとうございます。
ヘルメス 噂によれば人種差別的発言にジダンが切れたとか。まあ、どちらにしろスポーツでは手を出した方が負けですけれど・・・。カントナのカンフースタイルの飛び蹴りも思い出すばかりです。ドイツの選手も暴行を働いてしまって。残念の一言です。
うーむ、さすがはヨーロッバに在住されているpfaelzerweinさんだけありますね。洞察力がすばらしい。アメリカ人女性であればエキスパートといかなくともある程度わかりますが、フレンチーヌはメディアを通してしか、あるいは留学生としか接したことがないので、印象ではとても色っぽいという感じでしたが。アメリカ人女性にはない、そう、身体ももちろんセクシーですが、何を着るべきかを知っている、またボディー・ランゲージの取り方にもセンスがあったような。さすがにフレンチーヌに肩をなでられたときは気絶するかと思いましたよ。なで方やウインク一つ一つをとっても違いますからね。下唇のあたりを小指でさする仕草なんて、もう「きぇー!」アメリカ人女性が同じ振る舞いをしても粗野ですから。上品というよりワイルドですから。下品とまでは行かなくとも。
またアメリカ人女性のファッションは基本的にTシャツにジーンズですから。だからチアリーダーを見てもウットリしません。ああ、そういえばサッカーってハーフタイムにチアリーダーのダンスがないんですよね。
まあ、フランス人女性はcoquetteの一言で言い表せるような気がします。サポーターである女性がcoquetteすぎては男性がマッチョになりすぎるので、逆に不安定になるのかも。そしてジダンのような失態も。とにかくアメリカ人女性にはcoquetteがあまりにも不足しているので、フランスに一度でいいから住んでみたいんです。
アメリカにいるといつも話題になるのがフランス人女性、その他東欧系、ブラジル系とかが憧れのようで。アメリカではフェミニズムがあまりにも強いので男性に媚を売るような態度はもってのほかです。「プロフェッショナルではない」と白い目で見られます。デートではまだ女性が男性におごってもらうのを期待しているみたいですが、そのほかはいたって平等ですね。でもフェミニストってフランス人女性のように極力フェミニンになることを主張する思想家だと思っていましたが、全然違いましたね。そういうのを徹底的に糾弾する思想なので驚きました。なんで「フェミニスト」と自称するのか不思議です。アンチ・フェミニストならまだしも。
イタリア人女性はわかりません。私が会ったイタリア人女性もフランス人女性みたいにスキンシップが多かったし、キスの遊戯を仕掛けてきましたが、そこまで可愛いくなかったので、ウットリしませんでした。それにイタリア人女性がセクシーとは聞かないですね。逆にイタリア人男性はスケベの大御所と聞きますが。どちらにしろイタリア人男性のほうが安定していたのは確かなようです。
ヨーロッパでのイタリア人女性の評価とは、いかがなものなのですか?
ダヴィンチコードで一躍有名になったイエスだが、マタイによる福音書の第8章の28節から34節にかけて、いかにイエスが豚を殺害したかが克明に記されている。人類愛を掲げた平和主義者のイエスがまさかこんな残酷なことをしていたとは、とても驚いた。
それから、向こう岸、ガダラの人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。
0829> すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。
0830> さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。
0831> 悪霊どもはイエスに願って言った、「もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。
0832> そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。
0833> 飼う者たちは逃げて町へ行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいをしらせた。
0834> すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。
悪霊が豚に乗り移って豚の群れが暴れだして、怒濤のように崖から雪崩落ちて川で溺れて死んでしまったと言う。豚は泳げないのだろうか。ユダヤ教では豚は穢れているそうだが、それでも不殺生はいけないのでは。
同じく21章の18節から19節にかけてイチジクの木を呪い殺したのだ。とてもイエスがするとは思えない行為だ。
2118> 朝早く都に帰るとき、イエスは空腹をおほえられた。
2119> そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかには何も見当たらなかった。そこで木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
お腹が減っていて何か食べようと思って木と見たら何も実っていなかったので、腹いせで木を殺したとしか思えない行動だ。これが本当にイエスのすることだろうか。木に罪はないはずなのに。まるで暑いから扇風機をつけようと思ってつけたらコンセントがはずれていたから扇風機を壊したような子供地味た話しだ。とても神の子のすることは思えない。でも聖書に書かれてあるから、どうしょうもない。
もしキリスト教徒がいるのなら、彼らはこれをどうやって説明してくれるのだろうか、結構好奇心が湧くのである。興味津々だ。
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hide 悪霊たちは、豚の中ですごそうと思ったのだが、豚をコントロールしそこなったのですね。
豚の脳は単純なので、いったんパニックになったらとめようがないのです。
ようするに、悪霊の誤算。
しかし、この話そのものが眉唾物ですよ。本当の話と思うほうがおかしいんです。
ヘルメス hideさん、コメントありがとうございます。
そうかもしれませんね。イエスには責任がないのでしょう。豚が泳げなかったとは意外でしたが。
まあ聖書自体のちに編纂されたものなので、作り話かもしれません。しかも原典はヘブライ語ではなくギリシャ語だとか。
聖書解釈
ミナミの吟遊詩人 初めまして、ミナミの吟遊詩人と申します。
それに関しては3つ有ります。
NO,1早稲田の大槻教授の著作や所謂学者に代表される考え方!
基本的にイエスを賢い詐欺師的にみると、自然現象・豚の病気・死んだと思われる人間が仮死状態であり、息を吹き返す方法を知っていてそれを最大限に活用した方法です。 私は諸葛良孔明のようであるとよく比較いたします。 ですから、絶対的に賢いはずです。モーゼの十戒のなかでの紅海割れなんかもそうです!そうなるとイエスは普通の人になります。
NO2、他の方のコメントにもある様に当時はバビロニアに滅ぼされ、残ったミナミユダ王国の2部族(プラス祭祀部族)だけであり貿易と強い通貨、つまり商売するには・・・・・のためグリース(ギリシャ)語が支配層・司祭・裕福な階級が使用する文字となりますが、それには2つの要素があります。確かに、所謂聖書の訳が間違ってきている事実があります。
特にわが国などはひどい方ですね!長くなるので、ヒントだけ残します。順に 古代ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、英語、日本語(欽定約聖書)
今から約20年前にエホバの証人の・・・協会がストレートに(G→J)に翻訳したクリスチャン・ギリシャ語訳聖書という一品もあることはあります。
一方では、イエスが偽者であろうとなかろうと、聖書自体がある人間達の空想の産物であり、デタラメナものであるーという考え方!
NO3,聖書は素晴らしい本物であり、事実に基ずくもであるが、しかし、時代が経るに従っていたる箇所を改竄されてきた。
(注意点)今の豚の話でもそうですが、一般の日本人は、とかくその言葉通りに受け取り解釈するという誤りを犯しますので、仮に新約の中の或るたとえ話が真実・事実だとしても現代日本人の感覚で文面通りに読むと本意から外れます。 私は決して皆さんを馬鹿にしているわけではありません。 今、ダ・ビンチ・コードに関するいろんなブログを読ませていただきましたが、大学の教授クラスの方でもキリスト教に関する知識がないせいか、一人よがりのおそまつな解釈をなさっています。
だから、ドウナンダ?といわれそうですが?
(注意点2)新約・旧約のなかの比喩・シーム・話題はユダヤ人特有の考え方、はっきり言えばタルムードを知らないと読めません。
そういっても過言ではありません!
新約は、ユダヤ教徒以外の人びとにも理解出来るように改竄されたもであります!その中で約20%ぐらいが改竄ほどまではされずとも意味不明?趣旨不明?としてあるわけです。
長々とごめんなさい。 決してコミカル・ミュージック様にケチを付けてるわけではありませんので、お許し下さい!
この度、ダ・ビンチ・コード専門のブログを作りましたので、宜しければ
お寄り下さい。 お邪魔致しました!
★http://blog.livedoor.jp/mirai75/
ヘルメス ミナミの吟遊詩人さん、いらっしゃませ。
まあ、ダヴィンチコードはフィクションですから。メロヴィング朝の先祖がイエスとはとても信じられない話です。
そうですね、アメリカの神学校ではギリシャ語とヘブライ語が必修ですからね。まあ、一般のアメリカ人も仏教の経典とか神道の祝詞を読んでも、理解に苦しむでしょう。
新約聖書は確かに原文はギリシャ語ですね。原文を読んだ方が、意味は伝わるのは確かです。言葉がロゴスとか最初がアルケーとか古代ギリシャ哲学に通じる概念が登場するのは原文を読むまで知りませんでした。
ポルトガルが負けた。実力ではフランスに勝っていたと思う。だってポルトガルのポジショニングの素晴らしさ、スペースを完全に消していたのだから。それにボールの支配率も圧倒していたし、60%はポルトガルがゲームを支配していたように見えた。それにしてもフィーゴよりもあの若きクリスティアーノ・ロナウドの素晴らしい足さばき、私は息をのんだ。C・ロナウドの両サイドからの切り崩しがフランスを苦しませ続けた。彼の自由奔放にフィールドを駆け巡るスタミナと技術と才能、今日はジダンよりも彼がスポットライトを独占していた。ジダンがボールに触れるのをそんなに見なかったし、ポルトガルのポジショニングにより、ジダンまでボールがつながらなかったのだろう。見事にスペースを消していた。それに後半の一方的な猛攻はブラジルでさえできなかったことだ。ポルトガルは間違いなく優勝しているチームだった。ただ審判に恵まれていなかったとしか言いようがない。フランスがPKを取ったのは正しいが、ポルトガルも取っていたはずだ。明らかにフランスのディフェンダーがポルトガルの選手をペナルティーエリア内で後ろから押し倒しているのだから。まあ、誤審というのがいかに接戦の試合では響くかということだ。まあ、しょうがないだろう。人間が審判をやっている限りは。マラドーナの伝説の神の手も生まれなかっただろうし。
イタリアには正直言って負けてほしかった。フランスとドイツの試合を見たかったのに。非常に残念だ。そうすれば普仏戦争以来の因縁の対決となるからだ。ヨーロッパ連合でもっとも中心的な国、それはドイツとフランスである。イギリスはユーロにさえ参加してないので問題外だ。ドイツが負けたのはいかにも不覚だった。ドイツが負けたことによってフランス対ポルトガル戦に対する情熱が少し失せた。
イタリアで何が有名と言えば婦人警官に下積みのモデルが多いということだ。あれだったら、「逮捕してー」と鼻の下が伸びてしまう。だからイタリアでは交通違反がEUのなかでもきっての多さだと言う。そんなふしだらな国が決勝進出だなんて。せっかくの楽しみもなくなってしまったではないか。フランスがポルトガルに負ければドイツとの試合を見ることができたのだが、ポルトガルはキーパーの天才的な洞察力でさえジダンのボールを止めることはできなかった。
イタリアとフランスか。イタリアは何かと言えばフランスの支配下だったし。アヴィニョンの捕囚やナポレオンのイタリア支配。イタリアは統一するときフランスにサルディニアの一部を譲ってるし。ドイツとフランスだったら、白熱した戦いになり、ヨーロッパ中が湧いただろうに。イタリアめ、勝ちやがって。でもジダンには花道を飾ってほしいし。それにイタリアはもう三回もワールド杯を手にしているんだから。フランスはこれまで前途多難だった。しかしイタリアはオーストラリア、ウクライナと準決勝までは格下のチームとだ。それならドイツ戦でスタミナがあったに決まっている。ああ、ドイツとフランスを決勝でどれほど見たかったか。本当に台無しだ。イタリアにワールドカップを渡したらだめだ。フランスには勝ってほしい。そしてジダンに花道を!
それにしても準決勝になんで日本がいないんだ。日独伊と世界をもう少しで征服できる枢軸パワーだったではないか。その元パワーの二国がワールドカップを争っているというのに、日本だけ蚊帳の外なんて。私の自尊心が大いに傷つく。イタリアとドイツはサッカーであんなに強いのに、どうして日本だけ。
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「ブラジル対フランス」
ロサンゼルスの時間では正午、ブラジル対フランスの試合が開始した。ジダン、なんという選手だろう。あれが三十四歳の動きとは思えない。一時は国際試合から引退したというのに、フランスを救うべく再び国際試合に返り咲いた。若返りを図ったフランス代表チームもW杯出場を危ぶまれ、ジダンも引退を取り消して、フランス代表10番として、代表チームに復活した。
ロサンゼルスの時間では正午、ブラジル対フランスの試合が開始した。ジダン、なんという選手だろう。あれが三十四歳の動きとは思えない。一時は国際試合から引退したというのに、フランスを救うべく再び国際試合に返り咲いた。若返りを図ったフランス代表チームもW杯出場を危ぶまれ、ジダンも引退を取り消して、フランス代表10番として、代表チームに復活した。
ブラジル代表は蒼々たるメンバーだ。ロナウド、ロナウディーニョ、ロビーニョ、カカー、ロベカル、カフー、たとえサッカーを知らない人でもこれらの名前は認識できるはずだ。世界レベルのサッカーの頂点に君臨する選手が集まっているのがカナリア軍団、セレソンだ。
フランス代表はワールドカップのグループ戦でも苦戦を強いられ、コンディションがガタガタだと思った。だからセレソンと試合をしたら簡単に負けるのではないかと思った。「ああ、やはりジダンがまた入ったとしても、大会予選では通過できたものの、本大会では若返りに失敗したチームは通じないんだな」と思った。しかもフランス代表は今大会では平均年齢が最年長である。しかも1980年代生まれの選手はたったの4人だけ。これではいくらヴェテランといっても・・・。それに老化には勝てないし、新しい世代のサッカーは古いものを淘汰していく。それが一番濃厚な形で反映されるのが、ワールドカップだ。
ブラジル代表は日本に楽勝にだったし、ガーナの頑張りも世界の王者には歯が立たなかった。ロナウドの天才的なスパートにはだれも追いつけなかった。これではまたブラジルは決勝に進出するだろうと思った。そして因縁の戦い。セレソンは98年のワールドカップ決勝でフランスに撃沈されている。だからこの日に限ってセレソン一団はその雪辱を晴らすと意気込んでいた。
だが試合が始まってみれば、全く違った。私はブラジルの一方的な攻撃になってフランスは負けてしまうと見ていた。だがジダンのボールさばき、私は度肝を抜かれた。
「これが34歳の動きか!」
と感嘆した。パスの正確さ、ドリブルの速さ、ショートパスからのゲームの組み立て方、まるで360度周りが見えているかのごとくの位置の取り方、特に驚愕したのはブラジルの選手をドリブルで二人一気に抜き去り、スルーパスでチャンスを作ったところだった。ブラジルの選手を一人抜くだけでも大変なことなのに。
「うわ−!」
とただ声を上げるしかなかった。しかも後半の十二分にジダンからのフリーキックからのアンリーのボレーシュート、あれには正直言って脱帽した。ジダンのマルセイユのゲットーで培った「ジダン・スピン」も披露してくれた。私の全身に鳥肌が立ち、しまいにはジーンと来た。ジダンのプレイは見事としか言いようがなく、もはや芸術の領域である。そう、「美しい」というのが彼のサッカーのスタイルに当てはまる唯一の表現だろう。美学的サッカーとでもいうべきか。
その後は予想した通りブラジル一辺倒の攻撃に切り替わり、フランスは必死にディフェンスに徹した。そしてついにタイムアウト!フランスはまたブラジルを下した。それにしてもジダンの素晴らしさ、なんと表現したらよいのか。これはジダンがブラジルに勝ったと言ってもいいほど。ブラジルはまたジダンに負けたのである。ジダン、この人はすごい、いや真の天才だと思う。
よかった、この時代に生まれて、ジダンのような天才のプレイを生中継で見られるなんて、私は素晴らしい時代に生きているのだ。
「イングランド対ポルトガル」
イングランドがポルトガルに負けたのは残念だった。ベッカムとブラジルの対決、あるいはベッカムとジダンの対決を見たかったのに。レアル・マドリッドの強豪たちがワールドカップで戦っているのだから。まあ、ポルトガルにもフィーゴがいるが。
「貴公子と貴公女」
それにしてもベッカムとはなんという美男子なのだろう。あれではどうしょうもない。美男子すぎて私には嫉妬心さえも起きないほどだ。完全に戦意喪失だ。「ベッカム様」か。日本人の女性があそこまで熱狂するのもわかる。ただペ・ヨンジュに人気があるのはまったく理解できないが。
また世界のサポーターの女の子のなんとセクシーなこと。ベッカムもこんなセクシーな女の子たちにキャーキャー言われるなんて、なんて羨ましい。やはり日本人ではあそこまでセクシーになれるのは肉体的に無理だ。現在では整形手術は顔しか修正できない。体格を改造するのは技術的に不可能だ。だから私はベッカムのような美男子にはなれないのである。
東洋系以外の民族は皆セクシーな女性がたくさんいる。アフリカ、中東、ヨーロッパ、アメリカ、インドなどの南アジア、どの女性も非常にセクシーだ。どうして東洋系の女性だけ平で子供っぽい体型になってしまったのだろう。神は本当に不公平だ。どうして私は胴長短足の民族の中に生まれてしまったのだろう。どうせならセクシーな民族の一員として生まれたかったのに。遺伝子工学が未発達な今、自分の運命を呪うことしかできない。だが遺伝子工学の発展が全てを変える。今まで我々をチビで胴長短足と笑ってきた他民族ももはや笑うことはできない。
なぜ私がここまで美を渇望するのか、その原因を探求しなければならない。集諦とでもいうべきか。その一つの原因はあの忘れがたい屈辱であろう。私はこのことを書くかどうか迷っていたが、思い切って書くことを決断した。書くことはセラピーにもなると言うし。よってそれを告白しよう。
私は一人の美しきブロンド女性に「アジアの男ってチビなのねー」と鼻で笑われたことがある。もう5年前のことだ。私の友人は彼女を注意したが、それでも彼女には反省の気が一かけらもなかった。美しき女性の私に対する中傷はどれほど私を傷つけたか。自尊心どころかすべてを打ちのめされた思いだ。今まで生まれてきてからの人生の記憶がフラッシュバックのように頭をよぎった。ブスな女だったら腹は立つがそれほどまでに心理的ダメージを被っていなかったはずだ。きっと「なんだと、この民族主義者め!」と叱っていたことだろう。しかし憧れのブロンド女性にそんな卑劣なことを、しかも私の陰ではなく、目の前で言うなんて。まったく声が出なかった。あまりものショックで。陰口を叩かないのがアメリカの文化なのだろうが、目の前で言われたショックは計り知れない。私はその後二週間ずっと落ち込んでいて、人と会うのも辛くなってしまい、引き蘢りがちとなった。オクラホマという超ど田舎のど真ん中で日本人が引き蘢ったというのは歴史上私が初めてであろう。とても自慢にはならないが。だが悲嘆のなか呼吸法や精神統一などをして、そして詩を書いたり音楽などを作ったりして、やっと立ち直ることができた。だが今でも嫌というほどハッキリと覚えている。もう彼女のことはどうでもいいが、やはり忘れることはできない。耐え難い侮辱は死ぬまで、いや死んでも忘れられない。いや私は死なないのだ。将来必ず不死を獲得しているのだから。
リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」は私を感動させた。世界を破滅に追い込むアルベリッヒ、彼も侏儒である。アルベリッヒは彼の属するドワーフ族のなかではチビではないが、それと同じで私も東洋系の間ではチビではなく至って普通だ。しかしアーリア人の間ではドワーフなのである。アルベリッヒがブロンドのニンフを追いかけてもただ嘲笑されるばかりで彼はいじけてしまう。私には彼の気持ちが痛いほど分かった。あのブロンド女性も5.9フィートぐらいだったから、176cmはあったはずだ。それにハイヒールを履いていたから、180以上はあっただろう。
それにしてもこの世のものとは思えないほどのスタイルの抜群さで、私は完全に見蕩れてしまっていた。「こんな美しい女性が存在するということは、神が創造したとしか思えない」とさえ思うようになり、無神論者であったはずの私がいつしか神の存在を肯定するようになっていた。だが、ウットリしている間にあんなことを言われて嘲笑されたとは。まるでボクサーが腹筋を緩めた瞬間に食らったボディーブローのようだ。彼女が私をそう判断したという残酷な真実。どんなに辛かったことか、この世で理解できるものはだれもいないだろう。真実はいつも正義とは限らない。この経験によって「ニーベルンゲンの指輪」を深く理解することができ、ニーチェの哲学にも傾倒するようになった。逆にこの経験がなければ、リヒャルト・ワーグナーもニーチェもただ学校で習う有名なドイツ人で終わってしまっていただろう。
今回はドイツ大会ということもあり、ドイツにはぜひ頑張ってもらいたい。ドイツには私の心境を理解する偉大な音楽家や哲学者がいたのだから。フランスも好きだし、イタリアも好きだ。それらのどの国にでも移住したい。その一方で、現在私が束縛されているアメリカなんてまやかしの国でしかない。嘘によって成り立っているのだから。尊欧攘米、それが私の心境だ。でもポルトガルについてはあまり知らない。私はポルトガル語を話すブラジルの音楽が好きだが。特にボサノヴァは素晴らしい。無常観を歌い上げる音楽、そして私の心境を本当によく表している。「イパネマの娘」など、「美しい彼女が通るたびに彼は微笑みかけるが、彼女は気づかない」というフレーズ。それこそ私ではないか!とにかく、ベスト4はすべて西欧の国となった。まるでヨーロッパ選手権のようだ。これからの準決勝、決勝、非常に楽しみだ。
ああ、フランスに行きたいな。どうせならそこに住みたい。お金さえあればすぐにでもフランスに引っ越しているのに。バロセルナもいいな。カタルーニャ方言があるというし、私の習ったスペイン語とはだいぶ違うらしいが。でも行きたい。ドイツにいられたらなあ、そうすればジダンをその場で見れるのに。
西ヨーロッパ、それこそ私の目指すユートピアだ。アメリカなどディストピアにすぎなかった。ヨーロッパの美しい女性こそ瀕死の重傷を負った私の心をいたわってくれるだろう。それこそが私の救いだ。そう、ゲーテの「ファウスト」の主人公もそうであったように。
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世界中に同じように
pfaelzerwein 早速のTB有難うございました。同じように蜘蛛が糸を縁に架け張巡らしたような内容で、大層楽しみました。
176センチのブロンディーヌを想像して、どこかアングロサクソン系の丸みを勝手に感じました。上背としてがそれほど大きくはないと思うのですが、ゲルマン系ではそうなると中性ぽくなるのでなかなかフェミニンな人は少なくなりますね。嘗て一度だけあった事のある1,95メートル近くても例外もはありますけど。
遠縁の三世がノーマンシティーにいます。当方の近所出身であるアルザス人と結婚をして四世が二人います。彼女がそちらに留学中に大学のプールで知り合ったらしいです。
世界中に同じように好い女がいると言うのをモットーとしております。
コメントありがとうございます
ヘルメス pfaelzerweinさん、コメントたいへんありがとうございます。
お名前はどう発音されるのですか。きっとドイツ語でしょうが、この言葉がとても英語と姉妹語とは思えませんね。スペイン語とフランス語のほうが英語に似ているので、そちらのほうが学びやすかったです。
どうなんでしょう。pfaelzerweinさんがそうご判断されるということは、たぶんドイツでは身長の高い人がアメリカよりも多いのでしょう。アメリカでは女性で176だと、けっこう高いと受け止められるんですけど。195はどでかいですね。バスケットの選手ですかね。アメリカは肥満ですね、身長ではなくて。
へえ、アルザス人ですか。ノーマンのような田舎でも、いるものですね。ぼくの大学ではトゥルース出身が多かったんですよ。
そのモットーで結構だと思われます。
お住まいは南ドイツですね。三年前にバイエルンに旅行に行ったくらいですね。その時しか本場のドイツを見ていません。私もいずれお金持ちになったらヨーロッパ連合に移住しようと計画しています。アメリカ市民権を持っていようともヨーロッパでは通じませんから。まあ、そのときはじっくりとヨーロッパの文化に浸りたいですね。
ではまた遊びにきてください。そちらにもまた伺います。
平均的女性像
pfaelzerwein 名前に関しては当方の以下の記事にありますのでどうぞご覧ください。
自己紹介バトン [ BLOG研究 ] / 2006-05-28
女性の話となるとどうしても熱心になってしまいます。近くのマンハイム周辺では、女性に平均的ドイツ女性像を訊くと、「目も髪もは茶系、身長は170センチ弱」と答えます。地方によっても違うかもしれません。180センチ辺りのおばさんも多いので、160センチ辺りもそれぐらいに多いと言う事になります。他民族に比べると骨格の大きさが特徴ですから、ぶくぶくの脂肪太りは比較的少ないです。「米国人の肥満はこちらでも良く話題になります。」
面白い自己紹介ですね
ヘルメス プファルツ人のワインですか。WeinはWineと似てますね。やはり姉妹語でしょうか。
>女性の話となるとどうしても熱心になってしまいます。
同感です。私の書く記事もほとんど女性絡みなもんで。
私の知り合いにマンハイム大学を卒業したポーランド人女性がいます。その人によればpfaelzerweinさんのおっしゃたように目も髪も茶色い方が多いとのことです。私がミュンヘンに行ったときは「自然」のブロンディーヌがいっぱいいたという印象でしたが。それにしてもあんな堂々といたるところにセックスショップがあるなんて、たいへん驚きました。アメリカは自由の国と言いながら、結構宗教色も強くて保守的ですから、そういうのはあまり見かけないんですよね。ドイツでは宗教的権威はそんなに強くないですよね?
180cm代のおばさんですか。おそろしいですね。想像しただけで足がすくんでしまいます。
メルケル宰相もそれぐらいあるんですか。あの方もやっぱ骨格が大きい感じですからね。
そうですね、ドイツに行ってかなり驚いたことは肥満をまったく見かけなかったということです。もちろん体重オーバーの人はそれなりにいましたが、肥満がいないことには正直言って感心させられました。
もちろんロサンゼルスは多人種都市なので、身長もいろいろです。でもやはりアジア系は平均的に見ても低いですね。ちなみにアメリカ白人女性の平均身長は5.5、164cmぐらいです。以前住んでいたオクラホマでは「アーリア系」がとても多かったです。たぶん女性の4割近くがブロンドだったと思います。でもほとんどの女の子は「あたしの金髪は偽物よ」と答えてましたから、本物のアーリア系も実際は少なかったと思います。
pfaelzerwein 早速のTB有難うございました。同じように蜘蛛が糸を縁に架け張巡らしたような内容で、大層楽しみました。
176センチのブロンディーヌを想像して、どこかアングロサクソン系の丸みを勝手に感じました。上背としてがそれほど大きくはないと思うのですが、ゲルマン系ではそうなると中性ぽくなるのでなかなかフェミニンな人は少なくなりますね。嘗て一度だけあった事のある1,95メートル近くても例外もはありますけど。
遠縁の三世がノーマンシティーにいます。当方の近所出身であるアルザス人と結婚をして四世が二人います。彼女がそちらに留学中に大学のプールで知り合ったらしいです。
世界中に同じように好い女がいると言うのをモットーとしております。
コメントありがとうございます
ヘルメス pfaelzerweinさん、コメントたいへんありがとうございます。
お名前はどう発音されるのですか。きっとドイツ語でしょうが、この言葉がとても英語と姉妹語とは思えませんね。スペイン語とフランス語のほうが英語に似ているので、そちらのほうが学びやすかったです。
どうなんでしょう。pfaelzerweinさんがそうご判断されるということは、たぶんドイツでは身長の高い人がアメリカよりも多いのでしょう。アメリカでは女性で176だと、けっこう高いと受け止められるんですけど。195はどでかいですね。バスケットの選手ですかね。アメリカは肥満ですね、身長ではなくて。
へえ、アルザス人ですか。ノーマンのような田舎でも、いるものですね。ぼくの大学ではトゥルース出身が多かったんですよ。
そのモットーで結構だと思われます。
お住まいは南ドイツですね。三年前にバイエルンに旅行に行ったくらいですね。その時しか本場のドイツを見ていません。私もいずれお金持ちになったらヨーロッパ連合に移住しようと計画しています。アメリカ市民権を持っていようともヨーロッパでは通じませんから。まあ、そのときはじっくりとヨーロッパの文化に浸りたいですね。
ではまた遊びにきてください。そちらにもまた伺います。
平均的女性像
pfaelzerwein 名前に関しては当方の以下の記事にありますのでどうぞご覧ください。
自己紹介バトン [ BLOG研究 ] / 2006-05-28
女性の話となるとどうしても熱心になってしまいます。近くのマンハイム周辺では、女性に平均的ドイツ女性像を訊くと、「目も髪もは茶系、身長は170センチ弱」と答えます。地方によっても違うかもしれません。180センチ辺りのおばさんも多いので、160センチ辺りもそれぐらいに多いと言う事になります。他民族に比べると骨格の大きさが特徴ですから、ぶくぶくの脂肪太りは比較的少ないです。「米国人の肥満はこちらでも良く話題になります。」
面白い自己紹介ですね
ヘルメス プファルツ人のワインですか。WeinはWineと似てますね。やはり姉妹語でしょうか。
>女性の話となるとどうしても熱心になってしまいます。
同感です。私の書く記事もほとんど女性絡みなもんで。
私の知り合いにマンハイム大学を卒業したポーランド人女性がいます。その人によればpfaelzerweinさんのおっしゃたように目も髪も茶色い方が多いとのことです。私がミュンヘンに行ったときは「自然」のブロンディーヌがいっぱいいたという印象でしたが。それにしてもあんな堂々といたるところにセックスショップがあるなんて、たいへん驚きました。アメリカは自由の国と言いながら、結構宗教色も強くて保守的ですから、そういうのはあまり見かけないんですよね。ドイツでは宗教的権威はそんなに強くないですよね?
180cm代のおばさんですか。おそろしいですね。想像しただけで足がすくんでしまいます。

メルケル宰相もそれぐらいあるんですか。あの方もやっぱ骨格が大きい感じですからね。
そうですね、ドイツに行ってかなり驚いたことは肥満をまったく見かけなかったということです。もちろん体重オーバーの人はそれなりにいましたが、肥満がいないことには正直言って感心させられました。
もちろんロサンゼルスは多人種都市なので、身長もいろいろです。でもやはりアジア系は平均的に見ても低いですね。ちなみにアメリカ白人女性の平均身長は5.5、164cmぐらいです。以前住んでいたオクラホマでは「アーリア系」がとても多かったです。たぶん女性の4割近くがブロンドだったと思います。でもほとんどの女の子は「あたしの金髪は偽物よ」と答えてましたから、本物のアーリア系も実際は少なかったと思います。
ゴータマ・シッダールタ、通称釈迦は太陽の末裔として世界史に登場した。それは上座部仏教の教典に見いだすことができる。スッタニパータの第5章の991(英語版)によれば、シッダールタは光の創造者であるという。そして彼の属するシャカ族の始祖はオッカーカ王であるとする。またスッタニパータの「犀の角」ではシッダールタが太陽の眷属といわれている。
(強調文は私が追加した。)
"There's no way
that one delighting in company
can touch even momentary release."
Heeding the Solar Kinsman's words,
wander alone
like a rhinoceros.
-Sutta Nipata
54「集会を喜ぶ者には、〔彼が〕暫時の解脱に触れるであろうような、その状況は〔存在し〕ない。
太陽の眷属(ブッダ)の言葉をこころして聞き、犀の角のように、独り、歩むもの。」
-スッタニパータ
そして同じく「迅速」にもそう書かれている。ということはシッダールタのシャカ族も太陽の眷属ということになる。そしてシャカ族が従属していたコーサラ国の王室も太陽の末裔を自負していた。コーサラ国のもっとも有名な王は天竺最大の叙事詩「ラーマヤーナ」に登場する英雄のラマチャンドラである。そして太陽の末裔のラマチャンドラが討伐するランカの王はラヴァーナある。それは楞伽経でも出てくる。「楞伽」とはスリランカの「ランカ」のことである。つまり楞伽経はスリランカ経ということになる。しかしスリランカに来た仏は太陽の末裔ではなく「月の末裔」であると主張しているのは面白い。私の知り合いのスリランカ人も本気でそれを信じていた。
「摩訶婆羅多(マーハーバーラタ)」によれば天竺の太陽王朝はイクシュヴァークを始祖とし、ほとんどのインド・アーリア王朝がイクシュヴァークを始祖として認め、コーサラ国の歴代の王もその直系とした。ちなみに摩訶は「偉大な」、婆羅多は「天竺」という意味。ついでにオッカーカ(Okkaka)はパーリ語であり、イクシュヴァーク(Ikshvaku)はサンスクリット語である。よってシャカ族の始祖とコーサラ族の始祖は同一人物である。つまりシャカ族とコーサラ族は兄弟であり、今で言うユダヤとアラブのような犬猿の仲であった。しかし太陽族の覇者は世界に二人もいらないという道理が働いたのだろう。だからシャカ族はシッダールタが入滅して間もなくコーサラ国に滅ぼされたのだ。シッダールタの息子のラーフラという名前がそれを象徴しているかのように。
ラーフラの語源は「日食」を意味するラーフだという。つまりラーフラの世代にはシャカ族は滅ぶことを予言したものか。それともシッダールタが光の創造者であり、ラーフラが光の破壊者か。ブラフマーとシヴァの関係か。これはピンクフロイドの「狂気」の最後の曲も「日食」であり、ラーフラのことではないのか。一般的な解釈では、十二縁起説に従うと「生」の後に続くのは「老死」でしかない、よってラーフラが生まれたことによってシッダールタの先は老死となってしまった事実に直面したからだと言うことになっている。しかし解釈を拡大すれば、シッダールタは自分の運命を単なる王としてではなく自分を太陽として認識してた。つまり日嗣としての運命だ。だから自分を太陽だとしたら子供が生まれたことは十二縁起によると太陽は衰えて消滅してしまうということである。そしてその運命は彼だけでなく太陽族の滅亡も共にした。
ラーフラはシャカ族が滅びるのをみて太陽族の滅亡をさぞかし嘆いたことだろう。「自分のせいで!」と悲嘆にくれたに違いない。シッダールタがもし出家しなければラーフラも王太子として太陽の王になれただろうに。だがシッダールタは家督権を傍系に譲った。そしてラーフラも夢破れて出家した。だからシャカ族の王位継承権争いが加速し、内部分裂が起きて外的の攻撃に対してもろくなり、それで滅亡してしまったのだろう。
しかしラーフラ自身のその後は分かっていない。もしラーフラが意を決して旅に出て天竺に戻ってこなかったとしたら。もしかしたらラーフラは生き残ったシャカ族と一緒に婆羅多から日本まで航海し、そこの大王の娘と結婚したのかもしれない。ユダヤ人が世界に散らばったように。そしてラーフラの子孫が大王になったとか。日本に来たなら在家に戻ってもだれが何を言おう。それに破壊が起きたなら創造も起こるはずだ。だから天竺で滅亡したシャカ族も新天地日本で再生したのだ。日食後は太陽は復活するのだから。
源義経がチンギスハンになったように、ラーフラも日本に来てどこかの小国の大王になったのでは。卑弥呼はラーフラの直系と言うことにもなりかねない。義経だって天皇の血を引いている。清和天皇の末裔だ。そして、もしラーフラが日本で太陽族の再生を誓ったなら、彼の末裔が天皇というのは十分にありえる。トロイだって滅亡した時、トロイの王族のアエネイスは王権の剣を受け継いで、イタリア半島に亡命したのだから。そして彼の子孫がローマを築いたのだ。だからヨーロッパの王室は何かと言うとトロイ王家の末裔と誇示するのだ。
シャカ族もコーサラ国に滅ぼされて、シャカ族の亡命者が日本に難民となって渡ってきた。まるで百済の亡命者が日本に殺到したように。そしてその中のだれかが大王家に嫁いだのだろう。だから天皇家もイクシュヴァークの血を引いており、そうすると天皇の血を引いているチンギスハンもラーフラの末裔となるのだ。そしてオスマントルコの皇室もチンギスハンの末裔であると何かにつけて自負していた。モハメットとチンギスハンの双方の権威を血をもって引き継いでいるのである。これならだれも逆らうことができない。なにしろ中央アジア最大の宗教権威と政治的権威が合体したのだから。ということはコーサラ国によって滅ぼされた太陽族の子孫が世界史で歴史的大転換の中心的役割を果たしてきたということになる。チムール皇帝もチンギスハンの子孫だと宣言した。ということは中央アジアの英雄はみな天皇の末裔であるのだ。
そして日本の天皇も太陽の末裔である。天照大神がその証拠だ。アマテラスはきっとイクシュヴァーヌの母、妻、姉、妹、娘のどれかであろう。イクシュヴァークそのものが天照大神か。アマテラスは男装していた、いや、鎧兜を身につけていたのだ。だから軍神的性格の持ち主であり、アテネのようだった。トムボーイだったのだ。太陽の男性要素がイクシュヴァークで女性要素が天照大神なのだ。もとは同じ神だが男性さをあまりにも強調したコーサラとは一線を画し、独自の神の姿を作り上げたと想像する。その対抗意識から太陽神は女性となったのかもしれない。どちらにしろ太陽族がアジアを席巻したことは間違いない。
天皇家の十六弁八重表菊紋と天竺の国旗に描かれているチャクラ、いわゆる法輪。どうみても日輪であろう。古代ケルトのサン・ウィールと同じ類いだ。
それに日本語は多くのタミール語の語彙を含んでいると聞く。もしかすると古代タミール人は日本と交易していて、一部が日本に移り住んだのかもしれない。そしてラーフラ一行もまるでヨーロッパ移民が新天地を目指してタイタニック号に乗り込んだようにタミール人の貿易船に紛れ込んで日本に上陸したのであろう。かつて百済人が日本書紀の編纂などにも携わり、日本の文化に大きく関わってきたように、タミール人とシャカ族も日本に大きな影響を与えたのであろう。それか天竺から日本の海のルートを切り開いたのがラーフラであり、彼はいわゆるコロンバス的存在であり、それからタミール人が日本と交易をし出したのかもしれない。
天竺人の工学力は世界でも最高水準だ。なにしろスンヤ(ゼロ)を発見した国なのだから。スンヤ(空)は龍樹によってさらに概念が拡大し、日本の思想界にも大きな影響を与えた。また天竺の技術力に対抗できる唯一の国は日本だけだろう。とくにテクノロジー分野では天竺人も兜を脱ぐほどだ。アメリカも確かにすごいが、いろんな国からの寄せ集めというのが事実であり、コンピューター分野では天竺にアウトソーシングしてしまっている。やはりその国独自の優秀な人材で技術力を進歩させている国は天竺と日本ぐらいであろう。
最近まで日本は漢文化の言いなりだった。たとえ独立しようとしても何かにつけては漢文化の真の正当後継者とうそぶいてきた。水戸学者など尊王攘夷を掲げていながら、漢文化を絶賛していた。いくら文化独立運動の精神から古事記や日本書紀を編纂してきたとしても漢文で書かれているのでは・・・。漢の歴史など天竺と比べたら薄っぺらいものだ。これまでは経済につけては何かと漢国と強い連帯を築こうとしてきた。しかし、これからは漢ではなく天竺と連帯するべきだ。天竺と日本は共に世界史に記録されるような偉業を成し遂げてきたのだから。男性太陽神と女性太陽神、コーサラ族とシャカ族、天竺と日本、それが合体してこそ理趣経の妙適をもたらすことができるのだ。
皇権仏授説、そんな戯言はどうでもいいが、天竺と日本のきてれつな関係が世界史を動かしてきたし、これからもそうなるだろう。歴史は日本と天竺を中心に動く。それこそが新しい世界史観だ!
「摩訶婆羅多(マーハーバーラタ)」によれば天竺の太陽王朝はイクシュヴァークを始祖とし、ほとんどのインド・アーリア王朝がイクシュヴァークを始祖として認め、コーサラ国の歴代の王もその直系とした。ちなみに摩訶は「偉大な」、婆羅多は「天竺」という意味。ついでにオッカーカ(Okkaka)はパーリ語であり、イクシュヴァーク(Ikshvaku)はサンスクリット語である。よってシャカ族の始祖とコーサラ族の始祖は同一人物である。つまりシャカ族とコーサラ族は兄弟であり、今で言うユダヤとアラブのような犬猿の仲であった。しかし太陽族の覇者は世界に二人もいらないという道理が働いたのだろう。だからシャカ族はシッダールタが入滅して間もなくコーサラ国に滅ぼされたのだ。シッダールタの息子のラーフラという名前がそれを象徴しているかのように。
ラーフラの語源は「日食」を意味するラーフだという。つまりラーフラの世代にはシャカ族は滅ぶことを予言したものか。それともシッダールタが光の創造者であり、ラーフラが光の破壊者か。ブラフマーとシヴァの関係か。これはピンクフロイドの「狂気」の最後の曲も「日食」であり、ラーフラのことではないのか。一般的な解釈では、十二縁起説に従うと「生」の後に続くのは「老死」でしかない、よってラーフラが生まれたことによってシッダールタの先は老死となってしまった事実に直面したからだと言うことになっている。しかし解釈を拡大すれば、シッダールタは自分の運命を単なる王としてではなく自分を太陽として認識してた。つまり日嗣としての運命だ。だから自分を太陽だとしたら子供が生まれたことは十二縁起によると太陽は衰えて消滅してしまうということである。そしてその運命は彼だけでなく太陽族の滅亡も共にした。
ラーフラはシャカ族が滅びるのをみて太陽族の滅亡をさぞかし嘆いたことだろう。「自分のせいで!」と悲嘆にくれたに違いない。シッダールタがもし出家しなければラーフラも王太子として太陽の王になれただろうに。だがシッダールタは家督権を傍系に譲った。そしてラーフラも夢破れて出家した。だからシャカ族の王位継承権争いが加速し、内部分裂が起きて外的の攻撃に対してもろくなり、それで滅亡してしまったのだろう。
しかしラーフラ自身のその後は分かっていない。もしラーフラが意を決して旅に出て天竺に戻ってこなかったとしたら。もしかしたらラーフラは生き残ったシャカ族と一緒に婆羅多から日本まで航海し、そこの大王の娘と結婚したのかもしれない。ユダヤ人が世界に散らばったように。そしてラーフラの子孫が大王になったとか。日本に来たなら在家に戻ってもだれが何を言おう。それに破壊が起きたなら創造も起こるはずだ。だから天竺で滅亡したシャカ族も新天地日本で再生したのだ。日食後は太陽は復活するのだから。
源義経がチンギスハンになったように、ラーフラも日本に来てどこかの小国の大王になったのでは。卑弥呼はラーフラの直系と言うことにもなりかねない。義経だって天皇の血を引いている。清和天皇の末裔だ。そして、もしラーフラが日本で太陽族の再生を誓ったなら、彼の末裔が天皇というのは十分にありえる。トロイだって滅亡した時、トロイの王族のアエネイスは王権の剣を受け継いで、イタリア半島に亡命したのだから。そして彼の子孫がローマを築いたのだ。だからヨーロッパの王室は何かと言うとトロイ王家の末裔と誇示するのだ。
シャカ族もコーサラ国に滅ぼされて、シャカ族の亡命者が日本に難民となって渡ってきた。まるで百済の亡命者が日本に殺到したように。そしてその中のだれかが大王家に嫁いだのだろう。だから天皇家もイクシュヴァークの血を引いており、そうすると天皇の血を引いているチンギスハンもラーフラの末裔となるのだ。そしてオスマントルコの皇室もチンギスハンの末裔であると何かにつけて自負していた。モハメットとチンギスハンの双方の権威を血をもって引き継いでいるのである。これならだれも逆らうことができない。なにしろ中央アジア最大の宗教権威と政治的権威が合体したのだから。ということはコーサラ国によって滅ぼされた太陽族の子孫が世界史で歴史的大転換の中心的役割を果たしてきたということになる。チムール皇帝もチンギスハンの子孫だと宣言した。ということは中央アジアの英雄はみな天皇の末裔であるのだ。
そして日本の天皇も太陽の末裔である。天照大神がその証拠だ。アマテラスはきっとイクシュヴァーヌの母、妻、姉、妹、娘のどれかであろう。イクシュヴァークそのものが天照大神か。アマテラスは男装していた、いや、鎧兜を身につけていたのだ。だから軍神的性格の持ち主であり、アテネのようだった。トムボーイだったのだ。太陽の男性要素がイクシュヴァークで女性要素が天照大神なのだ。もとは同じ神だが男性さをあまりにも強調したコーサラとは一線を画し、独自の神の姿を作り上げたと想像する。その対抗意識から太陽神は女性となったのかもしれない。どちらにしろ太陽族がアジアを席巻したことは間違いない。
天皇家の十六弁八重表菊紋と天竺の国旗に描かれているチャクラ、いわゆる法輪。どうみても日輪であろう。古代ケルトのサン・ウィールと同じ類いだ。
それに日本語は多くのタミール語の語彙を含んでいると聞く。もしかすると古代タミール人は日本と交易していて、一部が日本に移り住んだのかもしれない。そしてラーフラ一行もまるでヨーロッパ移民が新天地を目指してタイタニック号に乗り込んだようにタミール人の貿易船に紛れ込んで日本に上陸したのであろう。かつて百済人が日本書紀の編纂などにも携わり、日本の文化に大きく関わってきたように、タミール人とシャカ族も日本に大きな影響を与えたのであろう。それか天竺から日本の海のルートを切り開いたのがラーフラであり、彼はいわゆるコロンバス的存在であり、それからタミール人が日本と交易をし出したのかもしれない。
天竺人の工学力は世界でも最高水準だ。なにしろスンヤ(ゼロ)を発見した国なのだから。スンヤ(空)は龍樹によってさらに概念が拡大し、日本の思想界にも大きな影響を与えた。また天竺の技術力に対抗できる唯一の国は日本だけだろう。とくにテクノロジー分野では天竺人も兜を脱ぐほどだ。アメリカも確かにすごいが、いろんな国からの寄せ集めというのが事実であり、コンピューター分野では天竺にアウトソーシングしてしまっている。やはりその国独自の優秀な人材で技術力を進歩させている国は天竺と日本ぐらいであろう。
最近まで日本は漢文化の言いなりだった。たとえ独立しようとしても何かにつけては漢文化の真の正当後継者とうそぶいてきた。水戸学者など尊王攘夷を掲げていながら、漢文化を絶賛していた。いくら文化独立運動の精神から古事記や日本書紀を編纂してきたとしても漢文で書かれているのでは・・・。漢の歴史など天竺と比べたら薄っぺらいものだ。これまでは経済につけては何かと漢国と強い連帯を築こうとしてきた。しかし、これからは漢ではなく天竺と連帯するべきだ。天竺と日本は共に世界史に記録されるような偉業を成し遂げてきたのだから。男性太陽神と女性太陽神、コーサラ族とシャカ族、天竺と日本、それが合体してこそ理趣経の妙適をもたらすことができるのだ。
皇権仏授説、そんな戯言はどうでもいいが、天竺と日本のきてれつな関係が世界史を動かしてきたし、これからもそうなるだろう。歴史は日本と天竺を中心に動く。それこそが新しい世界史観だ!
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初めまして
Harriet トラックバック有り難うございました。
非常にユニークな記事内容に圧倒されました。時々伺って徐々に味わわせて頂きます。
USAにお住まいなのですね?私はヨーロッパのど田舎、スウェーデンにおります。
ではまた
ようこそ
ヘルメス Harrietさん、
ブログにおこしいただき、誠にありがとうございます。
スウェーデンとはいいですね!すばらしいじゃないですか。行ってみたいですね。アメリカ人の友達でスウェーデンで生まれた人がいたので。スウェーデンと言うとIngmar Bergmanくらいしか知りませんが。ヨーロッパは私のあこがれです。いつかは住んでみたいと思っています。
ぜひ、またおこしください。そちらにもときどき伺いますので。
Harriet トラックバック有り難うございました。
非常にユニークな記事内容に圧倒されました。時々伺って徐々に味わわせて頂きます。
USAにお住まいなのですね?私はヨーロッパのど田舎、スウェーデンにおります。
ではまた
ようこそ
ヘルメス Harrietさん、
ブログにおこしいただき、誠にありがとうございます。
スウェーデンとはいいですね!すばらしいじゃないですか。行ってみたいですね。アメリカ人の友達でスウェーデンで生まれた人がいたので。スウェーデンと言うとIngmar Bergmanくらいしか知りませんが。ヨーロッパは私のあこがれです。いつかは住んでみたいと思っています。
ぜひ、またおこしください。そちらにもときどき伺いますので。
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