アメリカの上院議会がもう少しで「連邦旗破損禁止法案」を可決するところだった。しかもたった一票差だったという。まさに危機一髪。これはとても恐ろしいことだ。たった百人の人間がすべてを決めてしまうわけであるから。くわばらくわばら。
以前、連邦裁判所は権利章典の究極奥義ともいえる憲法修正第一条により星条旗を燃やす権利を市民は有するとの判決を下した。そういえばミニチュアの星条旗を若者が連邦裁判所の前で燃やしている映像を見たことがある。パレスチナ人が星条旗とダビデの星に火をつけて踏みつける抗議行動を見たことがあったが、アメリカ人が星条旗を燃やすのを見たのはあれが初めてだった。なんだか異様な雰囲気だったが、これこそアメリカだと思った。
日本で皇居の前で日章旗を燃やす人はいないのだろうか。今では日章旗は日本の国旗と法律で定められてしまったし、都立の学校では国旗を掲げるのは強制的だと聞く。それに国歌斉唱をしなかった教諭が謹慎処分を受けたと聞いた。明らかに基本的人権の侵害だ。歌いたくない人は歌わなくていいのに。
アメリカではK−12、いわゆる小学校から高校までは忠誠宣言を毎朝暗唱しなければならないが、忠誠を誓わなくとも罰を受けることはない。旧悪の枢軸国のなかでドイツとイタリアは国旗を変えたが、日本だけは小渕内閣で国旗法が可決したのでそのままだ。
日本では日本国旗を燃やすのは自由だが、外国の国旗を燃やしたらいけない法律があるそうだ。そういえば日本で外国の国旗を燃やすのを見たことがない。いくら北朝鮮が嫌いでも北朝鮮の国旗を焼いて抗議している人は見たことがない。言論の自由を統制されているな、日本は。やはりアメリカと比べるとまだまだ遅れている。アメリカでもソ連を嫌っても国旗を燃やしているところは見たことがない。アメリカでは外国の国旗を燃やすのも自由だが、そんなことはしないのだろう。あってもほんの少数であろう。アメリカはやってもいいと言われてもしない、日本はやってはいけないと言われてしない、どっちがすごいか、訊くにも値しない。
以前、連邦裁判所は権利章典の究極奥義ともいえる憲法修正第一条により星条旗を燃やす権利を市民は有するとの判決を下した。そういえばミニチュアの星条旗を若者が連邦裁判所の前で燃やしている映像を見たことがある。パレスチナ人が星条旗とダビデの星に火をつけて踏みつける抗議行動を見たことがあったが、アメリカ人が星条旗を燃やすのを見たのはあれが初めてだった。なんだか異様な雰囲気だったが、これこそアメリカだと思った。
日本で皇居の前で日章旗を燃やす人はいないのだろうか。今では日章旗は日本の国旗と法律で定められてしまったし、都立の学校では国旗を掲げるのは強制的だと聞く。それに国歌斉唱をしなかった教諭が謹慎処分を受けたと聞いた。明らかに基本的人権の侵害だ。歌いたくない人は歌わなくていいのに。
アメリカではK−12、いわゆる小学校から高校までは忠誠宣言を毎朝暗唱しなければならないが、忠誠を誓わなくとも罰を受けることはない。旧悪の枢軸国のなかでドイツとイタリアは国旗を変えたが、日本だけは小渕内閣で国旗法が可決したのでそのままだ。
日本では日本国旗を燃やすのは自由だが、外国の国旗を燃やしたらいけない法律があるそうだ。そういえば日本で外国の国旗を燃やすのを見たことがない。いくら北朝鮮が嫌いでも北朝鮮の国旗を焼いて抗議している人は見たことがない。言論の自由を統制されているな、日本は。やはりアメリカと比べるとまだまだ遅れている。アメリカでもソ連を嫌っても国旗を燃やしているところは見たことがない。アメリカでは外国の国旗を燃やすのも自由だが、そんなことはしないのだろう。あってもほんの少数であろう。アメリカはやってもいいと言われてもしない、日本はやってはいけないと言われてしない、どっちがすごいか、訊くにも値しない。
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かおり 失礼ながら申し上げます。
わたくしは両親、学校の先生方に国旗、国歌は尊重すべき象徴と教わりましたので
如何に憎い敵国の国旗であろうとも
礼儀を持って丁重に扱うべきものと考えております。
例え日本で他国の国歌を破損することが罪になる法律がなくても、日本国民ならば他国の象徴に対する礼儀を弁えるとわたくしは信じております。
あまり日本国民を見縊らないでください。
ヘルメス かおりさん、コメントありがとうございます。
日本で外国旗を焼く抗議行動が禁止されているのは、憲法の言論の自由に抵触していると思います。
国旗を焼くことで抗議行動を選択するしないは、個人の自由です。国家権力が統制することではありません。
「生きがいの創造」という本を読み終わって感想を書いていたら日が暮れてしまった。またあまりにも長いので、読むのも時間の無駄だと思う。それにアイディアが浮かんでは書いたので考えもバラバラでとても読める代物ではないが、自己満足のために書いたので、申し訳ない。まあ、一応提示しておく。
以下感想文
以下感想文
とぎすまされた洞察力の持ち主であり、また太平洋の向こうのピースニック(平和活動家)として敬うピリカラさんがご推薦なされた「生きがいの創造」という本を読ませていただいた。そこには臨死体験や輪廻転生などをもとにして人生に価値を見いだすことが出来た人々の驚異の体験が書かれていた。インド系の哲学であるウパニシャッドやヒンドゥー教、そして仏教でも輪廻転生が説かれている。仏教徒によっては輪廻転生の存在はないと主張する人もいるので、仏教徒が何を言っているのか理解できないが、まあこの本を読む限りは輪廻転生があるとしか思えない気になった。
そういえば退行催眠とは私の友人も遊び半分でやったことがある。一度アメリカ人の友人が集まって催眠術をかけ合うゲームみたいなものをふざけてやっていた。アメリカの好奇心旺盛なサバーバン・キッズ(郊外のガキンチョ)はいろんなことを実験したがる。どこでも売っている催眠術の本を買ってきて実験したそうだ。ところが催眠を受けた男の子は本当に催眠にかかってしまった。みんな「オーマイガッド」とそう然となり、どうしたらいいか分からなかったが、本のマニュアルに従って継続することを決断した。そこで、「あなたの前世はなんですか」ときいたら、「中世の騎士でした」と言い出したという。素人がやっても催眠にかかってしまうのは衝撃的だった。私も試しに催眠を受けたが逆に眠ってしまった。
この本は、実例の多くをキリスト教社会である輪廻転生という思想とあまり縁のないアメリカを中心にして扱っているのでとても興味深い。信仰深いアメリカ人は私の友人みたいに催眠にかかりやすいのだろうか。それに数々の事例が輪廻転生を裏付けるものであったので驚いた。噂として生まれ変わりを覚えている人がいると聞いていたが、まさかここのまで多くの人がいるなんて。これは真実としか思えない。実際に私自身が体験したわけではないが、この本に書いてあることが事実とすれば驚異の現象だ。
でも正直言って私の前世を知りたくないなー。もし私の前世がトルストイのような偉大な人間だったらいいけど。しかし、もし凶悪犯だったらどうしよう。拷問官だったら。特高警察だったら。ファシストだったら。テロリストだったら。クメール・ルージュだったら。ゲシュタポだったら。そんなの嫌だ。それでどうやって「俺の前世はナチだったんだぜ」と人に自慢できようか。ましてやナチによって苦しめられた人に対してそんなことは到底言えない。忌々しい過去は思い出さないほうがいい。それにあかの他人のセラピストの前で「私はなんということを犯してしまったのでしょう!」と泣き叫ぶのもごめんだ。そんな恥ずかしい姿を人前で曝け出すことはできない。前世の記憶が重荷になったりそれが元で苦しくなったらたまらない。覚えていないからこそ楽ということもある。
この本はリーディングも紹介していたが、リーディングというのはあまり信用していない。私にはあてずっぽに聞こえるが。被験者は「はい」と「いいえ」しか答えられず、言論を統制されている。そしてリーダーの読みは的確ではなく、非常に抽象的であり、ある意味では当たりというのが多い。だったら被験者は沈黙すればいい。本当に分かるのなら「はい」も「いいえ」もいらないだろう。その助けが必要だとするなら、まだまだリーダーとしての修行が足りないということであり、リーダーとしての資格がないということだ。退行催眠の方がまだ辻褄が合う。
もし輪廻転生があるとしても記憶がどのようにして死んだ後に消え去らなかったのかということが大きな問題だ。脳は死ぬのだから。人間は学習によって人格を形成するが、前世の記憶があれば一からスタートすることもないし人格が既に形成されている。言語も前世で学んだものを使えばいいわけだし。少なくとも長く苦しい12年にも及ぶ義務教育を受けずに直接大学に行くことが出来る。そうだ、みんな退行催眠を受けて過去の記憶を取り戻せば、人生はある意味でもっと楽になるだろう。そうすればだれも「青二才め!」と見下すこともなくなるだろう。いや、でも前世がなくてこれが初めての人生だったらどっちにしろ青二才と言われてしまう。前世のある4歳の子供にも見下されてしまう。とても「クソガキ」とは呼べなくなってしまう。
輪廻転生を立証できる証拠はこの前世の記憶のみである。そしてその記憶の正確さだ。記憶は脳に保存され脳が破壊されたのなら記憶を失ってしまうのが今の定説だ。だがこの二十一世紀でも記憶のメカニズムというのは実は解明されていない。人間の記憶は本当に曖昧だ。それに我々は物忘れが激しい。一度記憶したことは二度と忘れないような頭脳が欲しい。コンピューターのメモリのように。記憶は前頭葉に蓄えると言うが、この本を読む限りでは、それは脳ではなくアートマンのような気がした。でなければ、ずっと忘れていたことを突然思い出すはずがない。記憶は実は消えたのではなくちゃんと残っているのだろう。たぶんずっと使わないでいると脳の機能は低下して忘れてしまうが、データは永久不滅なので記憶自体は滅びないだろう。
だから前世の記憶の主体はコンピューターのメモリのようなものだろう、正確に記憶しているのだから。コンピューターのメモリは限界があるが前世の記憶の主体であるアートマンは無限のメモリを持っているのだろう。うーむ、Nとこのことについて話したい。しかし彼とは絶交してしまった。なんてもったいないことを。メールアドレスをちゃんと保管しときゃ良かったのに。プライドは良くないものとキリスト教も仏教も説いているが、今頃になってその意味がようやく理解できるなんて、なんと愚かなことか。しかし悪口を言われて平気な人間はいないはずだ。プライドがない人間なんているのか。
推測でしかないが、彼はアートマンを認めていないのでこう述べただろう。
「主体が転生したのではなく、いままで蓄積された一つ一つの記憶でもある種が次の世界に生まれてきたのだ。だから前世の記憶を持っていても不思議ではない。」
だがそれでは母親の子宮に入る前に空中から見ていたと言う記憶をどうやって説明するのか。眼球もないし視神経もないし対象を認識する器官もないのだから意識も存在しないはずだ。もしアートマンがあるとするなら一体どうやって対象を認識したのか大きな謎だ。それに脳がないのにどうやってそれを記憶したのだろうか。アートマンに自動的に記憶が付随するのだろうか。それに言語が聞き取れるということは聴覚が働いているということだし、算数も出来るのだろうし、アートマンには知識も思考回路もあるのだろうか。真諦、勝義諦とはアートマンの能力か。ということは脳には能力の差があるがアートマンには差がなく平等だということか。Nよ、これは君の専門分野だろ、教えてくれ。
もし前世の記憶を完全に削除されたのならアートマンの確かめようもない。そういう人だっているだろう。そういう場合、輪廻転生をどうやって証明できようか。とくに前世でダライラマだった人が現世で完全に記憶を消されたのなら、またダライラマになることは出来ない。しかし輪廻転生を裏付けできるのは他人に正確な前世の記憶があるからである。本人に前世の記憶がないからといって輪廻転生を否定することは出来ない。そして肯定も出来ない。
ではそのアートマン、人間の体を持たないアートマンは巫女やシャーマンなどに取り憑いて神託することがあるが、現在生きている人間どうしで入れ替え可能とはならないのだろうか。リンジー・ローハンの「フリーキー・フライデー」のように。しかしそれは聞いたことがない。テレビでやっていたが、事実心臓移植手術を受けた病弱な老婆がいきなりパラリンピックの水泳選手として金メダルを取ってしまったという。心臓の持ち主が水泳の得意な少年だったといい、彼の種の一部かアートマンが老婆に移ったのだろう。また心臓移植を受けたブラジル人は突然流暢な黒人英語を話し出したと言う。英語の記憶が心臓を通じて移ったのだ。まるで黒人英語のソフトウェアをインストールしたかのように。しかしアートマンを授ける側は死んでいる。
人間が動物として生まれ変わらないというのもどうして保証できるのか。前世で動物になったことを話した人はいなかったのだろうか、それとも選別してその情報を盛り込まなかったのか。いや動物は言葉によって記憶しない。だから人間のように物語形式とし覚えておくことが出来ないために動物としての記憶がないのか。でもジャータカによるとシッダールタは過去の動物としての記憶までも覚えているそうだ。ある時はウサギとして火に飛び込んで飢えている人を助けたと伝える。
しかし文化によっては動物にアートマンは存在し、そのアートマンは移るらしいのだ。アイヌ民族はカワウソを食べたら馬鹿になるから食べてはいけないと説いている。これはカワウソのアートマンか五蘊のどれかが移るためだろう。しかし熊の肉を食べたら勇敢になると聞く。ハイチでもフランスから独立する時、黒豚を食べて自由戦士の戦闘能力を高めたと言う。イエスは神の子であり、イエスの肉と血、つまりパンとワインを仰ぐことによってキリストのアートマンを得る。アーサー王の聖杯伝説はまぎれもなくイエスの力を得るためだった。十字架上のイエスの脇腹に刺さったとされるロンギヌスの槍はヨーロッパ王権の象徴となった。カール大帝が所有し、ナポレオンも所有した。そしてヒットラーが若かった頃この霊力を得て、その霊力を悪用し、世界を戦争へと巻き込んだ。アートマンの力は使う人次第ということか。
ユダヤ教やイスラム教では豚を食べてはいけない。豚は不浄であり、糞尿を食べて生きているからとされる。それに寄生虫の巣窟だ。そしてもちろん豚は貪欲さを象徴するイメージの悪い獣である。ジャイナ教となるとすべての動物を一切口にしない。日本も明治天皇が牛肉を食べるまでは肉食を忌むのが社会的規範だった。だから仏教徒もジャイナ教徒も肉を食べないのは元々動物のアートマンが移ってしまうためではなかったのか。たぶん原始ユダヤ教もそうである可能性がある。だから貪欲な豚は汚いために食べると性格も不潔になると考えられたのだろう。だから豚の肝臓を移植された人が突然貪欲になったり、スケベになったり、泥遊びをするようになったという事例はないのだろうか。それがないというのなら、動物の記憶、またはアートマンがないということだろう。
野菜にはアートマンがないのだろうか。少なくとも意識があるようには見えないからか。だが野菜だって生き物だ。不殺生は生きとし生けるものはずだから、野菜や木も殺してはならないのでは。草木仏性と日本では言われていた。だから屋久島では山の木を切ってはいけなかった。木にはアートマンがあると信じられていたからだ。しかし豊臣秀吉の命令で木は切り落とされ、寺の材木となってしまった。「ロードス島戦記」の森の精霊のハイエルフも沖縄のキジムナーみたいなものだろう。私に取っては仏も神も精霊もアートマンも同じだ。本地垂迹説はデタラメであり、文化によって名前が違うだけだろう。
それに日本では山や川にもアートマンがあるとする。ドイツでもライン川のブロンドのニンフは川の精霊である。私は三年前ドイツを旅行し、ケルン大聖堂の横にある目的のライン川に行った。しかしニンフはどこにも見当たらなかった。リヒャルト・ワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」で見た金髪碧眼で透明なドレスを着てライン川で戯れる水のニンフたちに会うことは出来なかった。それにライン川はドブ色だったので「何事か」と思ってそこの旅行ガイドにきいたが、ライン川はヨーロッパでもっとも汚染のひどい川の一つだと言う。なんてことだ。夢にまで見た妖婉なニンフたちが。だからニンフは消えてしまったのだ。この時から私は環境保護を熱烈に支持するようになった。とくに緑の党を支持する。川をきれいにしなければニンフは永遠に戻ってこれない。川の本覚を取り戻すためにも仏性に付着した汚染物を除去しなければならない。「千と千尋の神隠し」でも川のアートマンをきれいにする場面があった。ライン川に必要なのはまさしくそれだ。
だがその山や川や植物のアートマンが人間として生まれ変わることがあるのだろうか。アートマンがあるのなら植物としての記憶もあるはずだ。しかし植物には脳がないので記憶できないのだろう。だから植物としての前世があっても、覚えていないのだ。木こりに殺される記憶はあるのだろうか。どうなのだろう。シッダールタは菩提樹の下で悟りを開いた。この時菩提樹のアートマンが作用を起こしたのだろうか。
それに記憶そのものが何であるかも本当に不思議だ。データは記号化され保存される。そして適切な読み取り機を使えばデータは復活する。人間の記憶も記号で保存されるのか。言語で保存されているのか。アートマンには記号が含まれているのだろうか。アートマンには言語能力があるのか。その能力をあたかも当たり前のように毎日寝ている時でさえ使わせてもらっている。記憶がなければ人間は何も出来ない。記憶がなければ全ての存在がむき出しになり、ゲロを吐くしかないだろう。なにも判断できないのだから。しかし蓄積された種(記憶)が全く別の生まれてくる人間に飛び越えて移るというのも摩訶不思議だ。でも前世の記憶が正確なのだから、それはあるのだろう。
それにしても、「苦しい人生を歩まなければならない」という理由が「生まれる前に苦しい人生を修行のために選んだから」というのはなんとも言えない。そんな予定説は本当なのだろうか。では彗星が地球に衝突して人類が絶滅したら、どうやってアートマンは人間として修行できるのだろうか。実体を持たないアートマンは成長が必要なのか。成長と言う時間と空間的な概念が当てはまるとも思えないし、アートマンになってまでも人間の時の善悪の道徳心を引きずってまで存在するのもどうだろうか。
またアートマンは時間に縛られているのか。来世を生きてから現世に戻ることはないのだろうか。だから予言があるのだろうか。巫女の予知夢とか。だが未来を知っていてそれを変えたら未来が成り立たなくなる。アートマンは時間に縛られていないが、時間に縛られていないものは存在できるだろうか。また人は現在しか経験することができず、未来と過去は経験できない。0.1秒前のことを経験はできないし0.1秒先も経験できない。未来を経験しているときはそれは現在であり未来ではない。また現在は止まっていない。それに現在は合わせ鏡のように小さくなる。0.000000000xxxxx秒と小さく単位を切り裂いても現在にたどり着くことはない。だから現在はあって経験しているが、現在は極微であるのだ。現在は無限に小さくなる。命数法だと分、厘、毛、糸と現在は小さくなり、そしてそのもっとも小さなものは涅槃寂静となる。そう、まるで円周率のように。そして現在がないということにもなるのだ。時間の実体はない。実体のないものはないのだ。真空が存在すると言えるだろうか。
だがアートマンは幽体離脱というのもあるので、存在するのだろう。「特命リサーチ」を見てそう思った。ただ体から離脱したアートマンだけでどうやってものを知覚するのか謎だが。私のテキサスの親友のMは幽体離脱を経験している。その方法を最近メールで送ってきてくれた。私も始めたばかりでまだ何も見えないが、精神は安らいでくるような気がする。もし幽体離脱に成功したなら、アートマンは実在するということだ。
また人が死んだ後にアートマンは他のアートマンと合体しないのだろうか。また分子のように結合分裂を繰り返すことはないのだろうか。梵我一如とはすべてが一体になることではないのか。それでどうやって自己を保つことが出来るのか。前世で二人の人間が同時に生きていて、それらのアートマンが一つになってこの世に生を受けることはないのか。そうすれば二つ同時期の前世の記憶を思い出すはずだ。
それにチベット仏教に詳しい同僚から聞いたことだが、精神レベルの高い人は自分の意志力でアートマンを保って輪廻転生できるという。一般的には死んだ後にアートマンは五蘊に分裂してしまい、それぞれがばらばらに生まれ変わるようだが、精神レベルが高い人だけ死んでも五蘊が一つにまとまめることができ、同じアートマンが生まれ変わるという。そういう人をトゥルクといい、スチーヴン・セガールもトゥルクだそうだ。それにリチャード・ギアは納得いかないとか。しかしシッダールタは自己に執着してはいけないと説いているはずなのに。輪廻から解脱することが涅槃ではないのか。
安倍晴明の母も狐のアートマンを持っていたそうだ。それか狐の五蘊と人間の五蘊が合わさって出来た存在なのかもしれない。トーテムとはまさにそのことか。安倍晴明のトーテムは狐なのだろう。アメリカのトーテムは鷲である。猫がトーテムの人は五蘊の一部が猫の前世を経験したか、猫のアートマンの作用を受けているのだ。亀、虎、龍、などなど人によってトーテムは様々だ。それも前世の記憶によるものなのか。
またアートマンにサイズはあるのだろうか。なにしろ空間に縛られないのだから。空間に縛られないものは果たして存在できるのだろうか。アートマンを示唆するものはこの本によればあるが、それが何かは私の器量では知り得ない。アートマンは数式で証明できないのだろうか。エネルギーに実体はない。だからあるとはいえない。しかしそれは数式によって定義される。だからあるともいえる。人間の観念だけの中かもしれないが。だがアートマンは数式で定義できるか。だから今のところはアートマンはゼロだと言っておこう。ゼロはないし、あるのだから。それが一番安全だ。Nだったら私にこう言っただろう。
「君はアートマンが何か分かっていないのにどうして『アートマン』と呼ぶことができるんだ。」
プライドの高い私だったら、
「なんだとーきさまー。」
と頭に来るところだが、今では、
「名前を付けとくと便利だからだよ。」
と答えるだろう。アートマンがあるかないか。まあ、私には分からないことなので沈黙するしかないだろう。アートマンどころか人間、いやすべての生物、地球、宇宙が存在している事自体不思議なのだから。すべては不思議だ。しかしそんなこと考えても美女をゲットできないし。よってアートマンがどうだこうだによって幸せにはなれない。この本は形而上学的な議論ではなく、読者を幸せにさせることが目的なのだから。
まあ私の数々のくだらない疑問を列挙したが、この本の目的は人をいかに幸せにするかということなので、いささか無意味と思われるだろうが、損ではないと思う。まあとにかく目的を持って生きていた方が病気になりにくいのなら、人生の目的は自分で勝手に作ってそれを信じていれば、救われるのではないだろうか。それはエクセレントだ。一冊の小さな本によって希望を持てることはどんなに素晴らしいことか。少なくとも救われた人々がいるのだから。そういうことを信じる人がいても私の人権を侵害する訳でもないし。危険なカルトやセクトや原理主義は別だが。
それにシッダールタやイエスは衆生を救いにこの世に現れた。それこそが彼らの真の目的だろう。たとえどんな宗教でも「衆生を救う」ということでは一致するのではないか。色々な宗教があるのはそれだけ方便があるということだ。それは仏教至上主義からの考え方からではなく、「衆生救済」というのが普遍的なテーマであり、宗教があろうがなかろうが人の行き着く究極点はそこであろう。無神論者であろうと平和活動に従事する人はシッダールタやイエスの最高教義を実行しているのである。
しかし幸せは人それぞれだろう。私も私なりの救いを目指している。言っておくが私の救いとは美女と戯れることだ。それによって私は救われ幸せになれる。笑いたければ笑うがいい。しかし私は極めて正直だ。しかしなかなかそれは実現しない。ということは私の前世は女に縁がなかった独身男性だったのだろうか。それか私のアートマンが美女に避けられる男の人生を送ろうと決めたからか。それか私のすべての前世は女性であり、男性としての人生はこれが初めてなのだろうか。いやそれだったら私は同性愛者となっているだろう。男のソウルメイトがたくさんいるのだから。しかし私は同性愛者ではない。逆にモテる男は多くの女性と前世でソウルメイトだったことか。アメリカの50%以上もの離婚率はそのためか。アメリカ人は前世が豊富ということか。
デカルトは自分を疑う自分だけは疑うことが出来ないとし、「Cogito Ergo Sum(我思う故に我有り)」と宣言した。私は美女と戯れたいと思う私自身を疑うことが出来ないので、「我恋愛遊戯する故に我有り」とモットーを立てよう。Nは苦笑いを浮かべて私に賛成しなかったが、彼には彼の幸福論があるので、それはそれでいい。また彼の好きな縁起の法則を使えば「恋愛遊戯したい渇望があるなら我が有り、我がないのなら恋愛遊戯したい渇望もない」と言える。これならさすがの彼も私の命題を否定することは出来ないだろう。自信はある。しかし現在残念ながら恋愛遊戯は達成されていない。だから苦しい。恋愛遊戯しようと思って努力してきたが現在に至ってまで実っていない。なおさら金もない。だから遺伝子工学の発展を一日も早く実現させて欲しい。そうすればブラピのように世界中の美女は私に触れるだけで天国を感じ、気絶するだろう。
またブスに生まれてくるのもかなり悲惨だ。第一印象では絶対に拒絶反応を起こされてしまう。そんなに辛いことはないだろう。本当にアートマンがブスとしての人生を選んだのか。いや、それでは自分に襲いかかってくるすべての不幸が自己責任となってしまう。だかそれは正しくないだろう。もし私にイエスのような奇跡の力があるのなら、醜女醜男を真っ先に美女美男子に変身させているのに。数々の自分の外見に失望している人間と話してきたが、彼らの中にはそのどうすることも出来ない事実を受け入れてた人もいた。というか諦めてしまったのだろう。「人間諦めが肝心」というが、それはそれでいい。しかし諦めきれない人たちを私は励ましたいと思う。
しかしもっとも切なかったのはかつて美女だったブロンド女性だ。20代後半に遺伝病を発症し、薬を服用せざるをえなくなり、ひどい副作用を起こして肥満となってしまったのだ。美の喪失、それはどんなに彼女を苦悩させただろう。彼女は陰鬱な表情で私にこう言ってきた。
「私はかつて酒場で数々の男に言い寄られては、彼らをゴミ同然のようにもてあそんでたわ。私はそれをとても楽しんでいたのよ。私はどんな男でもヨダレをたらしてしまうような妖婉な美女だったのに。しかし今となっては男は私の前をまるで私が存在してないかのように素通りしてしまうの・・・」
この言葉を聞いた時は本当に気の毒で、私はどうやって彼女を慰めたらいいか分からなかった。私がイエスならすぐにでも彼女の病気を治し、また美人にしてあげられるのに。彼女の苦しみはシッダールタのいう五蘊盛苦か。
ニーチェも言っている、「醜いものはこの世を呪う」と。ソクラテスの醜さが哲学を非人間的なものにしてしまったと。アルベリッヒも醜いために世界を呪い、呪いの指輪を作って神々の世界を破壊した。ヒットラーも自分の美術作品が当時の美的感覚に合わず、それを「ユダヤ的美的感覚」とこじつけてユダヤ系ヨーロッパ人を虐殺するモンスターとなった。だから自分が醜いと認識することは負のエネルギーが働いてしまう結果となる。よって私は奇跡の力で醜を美に変えたい。
マイケル・ジャクソンにも奇跡の力がある。末期癌の少年が死ぬ前にマイケルに会いたいと両親に頼み、両親は死にゆく息子の最後の願いを叶えるためマイケルの関係者にコンタクトを取った。そしてマイケルは承諾し、少年のもとを訪れたのだ。そしたら奇跡が起きた。なんと少年は回復に向かい癌に打ち勝ったのである。イエスも不治の病を癒したり、盲目の男に光を与えたのである。私にもその力が欲しい。これで私がどれほど聖杯を手に入れたいか分かっただろう。その力を得れれば私は幸せになれるのだ。もしそれが無理ならば、遺伝子工学の発展に期待するしかない。遺伝子操作だけで遺伝病を克服したり、遺伝子操作によって醜い人間が生まれるのを防ぐことが出来るのだ。そうすれば人間は美と醜ではなく心と性格で判断されるようになる。すべての人間が醜くなければ「キモッ」と差別されることもない。
この世の女性がすべて美人なら美女に断られたところでどうってことはない。美女が限られているから問題なのだ。だから美女を求めても財力のある男に独占されてしまう。このアメリカ新自由主義社会では美女はブランド化されてしまっている。ダイヤモンドやローレックスと同じだ。所有することでハロー効果により男の価値は高まる。
アメリカのテレビである実験を行っていた。二枚の男の写真をニューヨークの道端で歩いている女性に見せ、印象を聞くというものだった。実は写真の男は同一人物だが、一方はきっちりしたスーツにアタッシュケース、もう一方はファストフードのユニフォームである。すべての女性はスーツを着た男を「ハンサムねー」と評価し、うっとりしていた。つまり男自身の肉体が彼をハンサムにしたのではなく、スーツの表象による「仕事のできる男=高額な給料」が彼を魅力的にさせたのだ。だから美女と一緒に歩いている男は女性にモテるのだ。美女はいわば成功した男のステータスだ。私にとってはそんな男は妬みの対象でしかないが。
逆に美女はどんなものを着てても美女だ。スーツだろうが古汚いジーンズだろうがマクドナルドのユニフォームだろうが。たとえ裸になろうともだれが不快感を起こすだろうか。逆に男の脳みそをどろどろに溶かしてしまうだろう。しかし男が裸になったらどうか。露出狂と叫ばれてそく現行犯逮捕されるだろう。それに世界の中でも若い男の裸体をあからさまに好むのはオランダの年輩女性だけだと聞く。彼女たちがまだ若い内に目覚めてくれさえすれば!私もオクラホマのアパートに住んでいたとき、若い女が裸でベランダで日向ぼっこをしていたことがあったが、だれも通報するものはいなかった。恥ずかしながら私もそのような現行犯を目撃しておきながら通報しなかった一人である。アメリカ市民としての義務を果たさなかったなんて、なんて私は情けない人間なのだろうか。この世で私ほど人間が出来てないものは・・・
まあそんなことはどうでもいい。私が言いたいのは「女性美しければすべてよし」という言説がまかり通っていることだ。そして美女はダイヤモンドのように限られているので価値もそれだけ馬鹿高い。だからこそ美女の脱ブランド化が必要だ。それにはもっと多くの美女が生まれなければならない。いや醜いものが美しくなればいいのだ。そうすれば私の苦しみも消える。それに「美なんか関係ない」と言っている人間はシッダールタのように快楽の限りを尽くし限界効用がなくなった人間だろう。そう、上流階級か、よっぽどの美人だけだろう、そんな快楽に浸れるのは。シッダールタも白馬に乗ってたとは言わなくとも「白象の王子」だったのだから、女性の憧れだったに違いない。そう英国王室のプリンス・ウィリアムのように。
伝承によればシッダールタは180cm以上で澄んだ碧眼であり、健康優良児そのもので、頭もよく、スポーツ万能で、スワヤムヴァラという格闘技大会に参加し見事に優勝し、美しきヤショーダラを妻として娶った。あの「ラストエンペラー」の巨匠べルナルド・ベルトルーチ監督の映画「リトル・ブッダ」ではキアノ・リーヴズがシッダールタを演じていた。その映画の中のシッダールタは豪華なベンチに横たわり、凄艶な宮女に囲まれ、爪などを手入れしてもらっていて、歓楽の絶頂にいた。私は「これがあの壮大な宗教の創始者と言われる釈迦牟尼の姿か」と非常にショックを受けた。生まれながらに神聖なお方だと思っていたのに。あの「天上天下唯我独尊」とはなんだったのか。私の想像していた偉大なシッダールタとは大違いだ。なんだ、シッダールタも元々は享楽主義者だったのか。あんな綺麗な人に囲まれて、なんて羨ましい。そこで思いついた、「そうだ、悟りへの道はまず享楽に耽ることだ」と。それから苦行に浸る。そして中道を身につけて悟りを得るのだ。それか逆でもよい。苦行してから歓楽に浸かるのもよい。とにかくバランスが必要だ。私も恋愛遊戯と縁のない生活を送ってきたのだから私の生活は苦行も同然。もうそろそろ歓楽の生活になってもいい頃だろう。もう苦行にも嫌気がさした。そうでないと悟れないのだから。
それにヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」の主人公でさえ遊女カーマーラの誘惑によって享楽に甘んじてから悟りの道に進んだではないか。そうだ、悟りへの道には享楽が必要なのだ。漢武帝だって言っているではないか、「歓楽極兮哀情多」って。歓楽に耽ていたシッダールタもこのような心境だったのだろう。それが中庸の原理というもの。だから彼はすべてを捨てて苦行に走ったのだ。極端な快楽は極端な苦行で補おうとする。シッダールタだって苦行だけでは悟れなかったはずだ。その前に享楽があったからこそ中道を発見したのだ。それこそが重要なポイントである。だから恋愛遊戯こそ悟りへの道を開いてくれるのだ。そして金も名声もない私がその恋愛遊戯を実現されるためには美女の脱ブランド化が絶対条件だ。しかし「シッダールタ」の主人公がカーマーラと遊ぶには金持ちになることが条件だったので、カーマーラもブランドのようなものだ。2500年前のインドと現在のニューヨークと全く変わらないではないか。だからこそ美女の脱ブランド化が貧乏人にも悟りへのチャンスを開かせるのだ。
みんな美しくなればだれが「キモッ」という感情を起こすだろうか。美しい人間は「キモイ」と言われた時の苦しみを理解できないだろう。それを理解できるからこそ美への追求が私を生きさせるのだ。美人が前世で醜女だった記憶を退行催眠で甦らせても同情心は生まれるだろうが、それは現在醜い人の苦しみの解決にはならない。
それに整形手術して精神病が治ったという人もいるのだ。整形で救われるのならそれでいいではないか。私の知り合いは日本に帰って整形手術をして、アメリカにふたたび現れたときはアメリカ人の男にモテまくる存在となっていた。それまでの彼女は世界を呪っていたように人が悪かった。醜さは人の性格も影響するのだ。だが整形後の彼女は輝きだした。しかし逆に私を相手にしなくなってしまったが。それでも彼女は恋愛遊戯の毎日に身を投じ、とても幸福そうであった。
またある経済学部の頭脳派の女の子も恋愛遊戯が出来ずに悩んでいた。彼女は勉強一筋に生きてきたようで、化粧もせず、毎日同じパーカーを着ていて、とても淋しげであった。彼女は「青春を経験したい」とある時私にもらした。私は「化粧して、髪も伸ばしてカラーリングして、身体の線を強調するような服を着れば絶対にモテるって。君の脚は長いんだからピチッとしたズボンをはけば、どんな男も集中できなくなるって」と言った。はじめはもちろん「余計なお世話だ!」と怒られて、どこかに行ってしまった。しかし半年後、彼女はまるで見違えるほどに美人になっていた。大学の男どもは「おい、あの子の脚見たか。めちゃくちゃセクシーだよなー」とヨダレを垂らし、彼らの目は行ってしまっていた。半年前はだれも彼女のことを見ていなかったのに。それに彼女は私に言った。「ヘルメス。今最高に楽しい。毎日が楽しくて仕方ないよ。」それに彼女が話すことは男のことばかりとなった。だが美しくなった彼女は私と一度しかドライブに行ってくれなかった。美しくなる前の彼女はよく私のアパートに遊びに来て映画を見たりしてたのに。
スリランカの留学生も女にモテなくて悩んでいた。どんなに賢い男でも結局は女のことが頭から離れない。彼は数学の修士号をスリランカですでに取得しており、アメリカでコンピューター工学を学びに留学してきた。彼は髭もじゃで髪の毛が寝癖のように爆発していてフチの厚い大きな眼鏡をかけていた。そしてワイシャツにカッキーといたってステレオティピカルなスリランカ男性だった。だから私は正直に「髪を短く切って、髭を剃って、コンタクトに変えて、大きなTシャツを着れば、女の子にモテるって。」と言った。彼は素直に受け入れて早速それを実行した。しばらくすると彼が多くの女の子を車に乗せてドライブしているのを目撃した。私は「ええ、そんな馬鹿な。まさかアイツが!」と驚愕した。そして彼は連日のようにパーティーを開くようになった。真夜中までパーティーをしていたので近所迷惑で警察から警告を受けたこともあった。彼のいるところには女の子が群がるようになった。まさかあそこまでモテるとは、予想外だった。私も彼に頼んだ。「おい、俺にもどの子か紹介してくれよ。」しかし残念なことに当の女の子はダンスに夢中になるばかりで私など眼中になかった。
外見が変われば人も変わる。外見を良くする事で幸せになるのだ。つまり自分のこうありたい姿に成るというのが幸福の要素である。性転換もその一つだろう。自分が本来は男だとか女だとか、性転換後の人々は明らかに幸せになったという。だったらいいではないか。幸せな人は犯罪を犯すことも少ないだろうし、ましてやこの世界を呪うこともない。一昔前までは性転換も無理だったし、整形でさえ無理だった。だが今はそれが可能となったのだ。だから美しくなりたいのなら大いに投資したらいいと思う。それで幸せになるのであればいいではないか。しかし未だに性転換に対する偏見はアメリカでは根強い。「TransAmerica」はそれを描写している。アメリカでそういう環境が受けいられている土地はサンフランシスコぐらいであろう。ブッシュのような保守系の政権が続く調子では彼らが市民権を獲得するのはまだまだ先であろう。保守系にトランスヴェスタイトやトランスセクシャルに理解を示さない人が多いからだ。しかし整形の場合はそこまでの偏見はなくなった。
しかしアメリカでは整形手術は高額だ。とても韓国のようには行かない。ましてや貧乏人にはとても手が出ない。今では支配階級は痩せていることがステータスであり、貧乏人は肥満で醜い。健康食品は支配階級、ハンバガーとピザとホットドックなどのファストフードは貧乏階級。醜いことは自分の身なりに金をかける余裕すらないことを曝け出しているようなものだ。だから外見による所得ギャップを一掃することが私の政治的信条だ。所得格差があまりにも大き過ぎるから貧乏人は生活することで精一杯だ。とてもイタリア人のようにプレゼンタブルになれない。
それにイタリアは「歌おう、踊ろう、食べよう、恋をしよう」という文化だと言う。それを可能にしているのはヴァカンス5週間をとっても大丈夫な労働環境が整っているからだろう。ヴァカンスがたった2週間のアメリカとは大違いだ。あるイタリア人の女の子は「日本はエロティシズムに満ちているではないか」と言っていた。フランス人の男性も「フランスと日本は共通するものがある。それはエロティシズムを謳歌しているところだ」と言っていた。私は日本で育ち暮らしてきたが、そのような覚えはない。私には日本は性に関しては窮屈だと思ったが。少なくとも西洋と比べたらかなり保守的だと思うが。たぶん彼らヨーロッパ人がイメージしている日本とは江戸時代末期の好色文化であろう。
しかしアメリカ人がそのようなことを言ったのは聞いたことがない。キリスト原理主義が横行するアメリカでは日本のエロティシズムはただの軽蔑すべき変態文化としか受け取れないであろう。経済的に余裕がなければエロティシズムを抱擁する環境は出来にくいのだろう。キリスト原理主義が最も強いのは貧しい南部の州であり、俗にいう「バイブルベルト」と呼ばれる土地だ。私が住んでいたオクラホマもバイブルベルトに含まれている。だから労働者にも整形に投資できるぐらいの給料を確保させなければならない。そうすればテロリストのような思想を生むこともないだろう。
アメリカの一番の問題は法外な労働時間の長さにあるのだから。月給では給料はよく見えても時給に換算したら最先端を行くITコンサルタントの給料でさえ私の給料とさほど変わらない。それこそまさにアメリカ新自由主義型資本主義の詐欺である。ある程度の豊かさが人の幸せには必要だろう。労働時間を減らせばまともな食事も出来るようになるし、ファストフードどころか西欧のようにスローフードを楽しむことが出来るようになるのだから。そして労働者にも整形が届くようになる。
しかし整形は危険だ。手術は人を切り刻むのだから。東洋医学は最近まで体にメスを入れるのを反道徳的と捉えていたそうだ。残念ながら現時点では手術なしに整形は不可能だ。しかし遺伝子工学の発展が人を切ることなしに美しくさせるだろう。そうすれば東洋医学の道徳にも反することもない。どうせなら、生まれる前に遺伝子操作で美しく成長する遺伝子に組み替えればいいのに。脚も長くできるし身長も高くできる。日本人としての宿命的な胴長短足に苦しむことはないのだ。そうすれば恋愛遊戯するときに差別は起きない。この差別を滅することが苦しみを滅することでもある。シッダールタは苦しみの原因は美しくなりたい渇望であるとした。しかし渇望が原因ではなく美しくなれないことが集諦なのだ。だったら美しくしてしまえばそれが滅諦となるのだ。そして遺伝子工学が道諦となるであろう。それこそが涅槃である。
アートマンにもちろん美と醜はない。善も悪もない。そんなのはこの世のものだ。自己保存の必要もないアートマンにどうして善悪が必要か。アートマンはアートマンを傷つけることもないし殺すこともないのだから、よって愛も憎しみもない。ただ静寂だ。保存を必要とするものだけに道徳がある。自己の保存、種の保存、文化の保存、国家の保存、環境保護。絶滅危惧種なんて言葉も道徳的だ。つまり破壊可能なものに道徳があるのだ。よって他人を破壊するものは悪だ。だから不殺生をシッダールタは説いた。
私は自己破壊は勧めないが他人の人権を侵害しないのだからやむを得ない場合は仕方ないだろう。「ミリオンダラーベイビー」を見た時は主人公に自殺の権利があると思った。私にイエスの力がない限り、あの子は救えない。我々がせめて出来ることは心の支えとなることだけだ。そして彼女が入滅の選択をしたのならばそれを尊重するのみだ。しかし彼女も入滅すればアートマンになるのだから。パプアニューギニアのどこかの部族は葬式はお祭りだと言う。日本のお通夜のように哀愁漂うものではない。入滅してアートマンになったのだから。
美と醜はアートマンにはない。調和も不調和もない。だが人間にはある。そして私は人間だ。それに私は美しいものが好きだ。それに我々は人間なのだからそれを基準にして生きてもいいではないか。この世が楽しいものであればそんなに素晴らしいことはない。だから恋愛遊戯したい。それにたとえアートマンがあるとしても死ぬのは嫌だ。病気になりたくない。老化を避けたい。事故に遭いたくない。自然災害が起きないで欲しい。戦争が起きないで欲しい。隕石が落下しないで欲しい。環境破壊が起きないで欲しい。恋愛遊戯の歓楽を経験しないで死ぬなんてそんな悲惨なことはない。死んでも死に切れない。また生まれ変わるなんて、なんて面倒くさいことか。また大人に成るまでの長い時間を通過しないと行けないのか。恋愛遊戯が出来る年までに成長しなければいけないのだから。だから私の望みは不老不死だ。そうすれば永遠に楽しくこの世を生きられる。そして遺伝子工学によってそれは可能となる。そしてその技術を使って不治の病で苦しんでいる人々を助けるのだ。キューブラー・ロス博士はホスピス運動のさきがけとなって何も出来ずにただ死に行く人をいたわることを説いたが、遺伝子工学が発展すればそういう人々を救うことが出来るのだ。だから彼らが絶望して自殺することもなくなるだろう。それこそが方便というものだ。
だが、この本が本当に好きになった理由は筆者がジョン・オノ・レノンの「イマジン」で閉めくくったことだ。この本を読み終わった時は「この人もそうかー!」と叫んで嬉しくなった。私はジョンを最も偉大なスピリチュアルなピースニックとして尊敬している。この筆者もその意志を受け継いでいるのだ。レノンは歌によって世界を救おうとしたがこの筆者は書物で人々を救おうとしている。「イマジン」の意志がこんな腐敗した世の中でも着実に浸透しているのは素晴らしいことである。輝かしい未来に向かって地球が平和になることをイエスやシッダールタやオノ・レノンに比べれば私のようなたわいもないちっぽけな生命でも祈願することに決して損はない、と思う今日この頃である。またピリカラさんにこの本を紹介していただいたことを心から感謝する。
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pirikara710
ヘルメスさん、読んでくれてありがとうございました。私のことも身に余る言葉をいただいて、大変恐縮しております。なんだか、だいぶ混乱させてしまったようで・・・
私は、頭があまりに単純なため、ヘルメスさんのように難しくは考えなくて、全部素直に受け入れてしまいました。
きっと、これを読んだとき、以前のつらかったことが解決した後だったので、その経験を踏まえて今の生活があると、感謝の気持ちが、芽生えていたこともあるかも。
つらいことの真っ最中なら、「このつらさが自分が生まれる前から持ってきたテストなの?冗談じゃないわ。」とか怒ってしまったかもしれないし・・・。
ヘルメスさんは、なかなか鋭く本質に肉迫してらっしゃるので、すごいなあと思いました。
宗教に対する知識も豊富で、恐れ入りました。
著者は主にアメリカで研究された事柄を例に出して、輪廻転生や生まれてきた意味を問うていますが、「生きがいの創造2」では、著者の秘密が書かれています。
なぜ、経営学の専門化が、このようなスピリチュアルな本を書いてしまったか、謎が解けますし、ヘルメスさんの疑問も少しは解決するかもしれません。
なお、この著者「飯田史彦」さんの一番新しい本「ツインソウル」を読まれると、なぜヘルメスさんが恋愛から遠いのか理解できるかも・・・つまり、ヘルメスさんが本当に恋愛に陥る相手にまだ出会っていないということですよ。
恋愛ゲームはむなしいと思います。美女と戯れたいなら、お金を出せばいくらでも相手をしてくれる人はいるでしょう。でもそれって、相手がヘルメスさんじゃなくてもいいわけでしょう。そんな女性と恋愛ごっこしたところで、むなしさだけが残るのではありませんか。
また、きれいなら誰でもいいって言うなら、相手の人は自分がきれいじゃなくなったら嫌われてしまうのかと、不安になりますよね。外見だけじゃなくて自分のすべてを受け入れてくれる相手じゃなけりゃ、本当の恋愛関係にはならないっていうか、やっぱりむなしいですよ。
とはいえ、アメリカ社会ほど見た目重視の社会もないかもしれないですね。子供のころから歯の矯正をして、にかっと笑ったとき真白い美しい歯並びが見えるようにしなくちゃならないとか・・・太ったら負け犬?とか・・・・大変そうですよね。
日本人であるヘルメスさんが、わざわざアメリカに行って、格差厳しいアメリカ社会の中で、がんばって働いていらっしゃるのも、ヘルメスさんが何かきっと学ぶべきことがあるからなのでしょうね。ご自分で生まれる前に決めてきた・・・!?
でも死ぬのがこわくなくなってくれなかったのが残念です。
後の2冊を読んだら、こわくなくなるかな?宇宙や宗教の本質も垣間見られるかもしれないです。
「ツインソウル」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456964886X/qid=1150645748/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2419873-2457148
お粗末な感想文で申し訳ございません
ヘルメス ピリカラさん、いつもご丁寧にありがとうございます。気付いたら夕ご飯を食べるのを忘れて感想文を書いてました。うだうだしたまとまりのない長文でありながら、お忙しいところ御拝読いただき、敬意の念を表します。
>私は、頭があまりに単純なため、ヘルメスさんのように難しくは考えなくて
そこまで謙虚にならなくても。数学の苦手な子は問題を解く時、難しく考えて時間がかかってしまいますが、得意な子は一瞬で解いてしまいます。ピリカラさんの「Eureka!」の境地に到達したいものですね。
>宗教に対する知識も豊富で、恐れ入りました
私の興味のある宗教をちょっとかじった程度にすぎませんが、ヒッピーの友達が多かったもので、彼らに多くのことを学びました。Nももちろんその一人でした。私自身はスピリチュアルではありませんが、なぜか私の友達はスピリチュアルな方が多いですね。どうして彼らに惹かれるのかわかりませんが。でも彼らが「君もスピリチュアルだ」と言ってくれたときは嬉しかったです。
>恋愛ゲームはむなしいと思います。美女と戯れたいなら、お金を出せばいくらでも相手をしてくれる人はいるでしょう。でもそれって、相手がヘルメスさんじゃなくてもいいわけでしょう。そんな女性と恋愛ごっこしたところで、むなしさだけが残るのではありませんか。
その通りだと思います。仏陀が、恋愛ゲームの歓楽三昧でも過酷な苦行でも何も得られず、結局むなしさだけが残ったため、中道を発見したのだと思われます。私が強調しておきたかったのは、仏陀が歓楽の経験なしに果たして苦行だけで中道を発見できたかどうか、という疑問です。それに仏陀が説いたようにそれは本当にむなしいだけなのか、実際に自分で確かめてみたいのです。しかしシッダールタ王子のような美男子でもありませんし、ましてや金持ちでもありません。だからお金がなくても恋愛遊戯のできる社会にしたいのです(すみません、ただの愚痴です)。
>また、きれいなら誰でもいいって言うなら、相手の人は自分がきれいじゃなくなったら嫌われてしまうのかと、不安になりますよね。外見だけじゃなくて自分のすべてを受け入れてくれる相手じゃなけりゃ、本当の恋愛関係にはならないっていうか、やっぱりむなしいですよ。
そうですね。確かにソウルメイトを前提にした関係ではありませんね。でもイタリア人は噂によると恋愛遊戯をたいへん好む民族だそうですよ。「楽しいんだったら、それでいいじゃん」というのが私の立場です。しかしそれに「むなしい」と感じた時が哲学の始まりかもしれませんね。
>とはいえ、アメリカ社会ほど見た目重視の社会もないかもしれないですね。
アメリカはプレゼンタブルネスを最重視する社会というのは、おっしゃる通りです。しかし商品グッツに関しては、日本の製品を見てますと、すべてに関して美意識が関わっているなと思います。アメリカの車はデザインが悪いのですぐに分かります。逆に日本の本のカヴァーデザイン一つをとっても、その見事な美しさには感嘆させられます。
しかし日本では重要なポストを占める社長やCEOや政治家などは欧米に比べるとイメージにはあまり力を入れていなかったと思います。日本でも小泉になってようやくイメージ戦略を展開するようになりました。そしてホリエモンなどもイメージを売り込む新しいタイプですね。アラブの女の子が「小泉はかっこいい」というのには正直言って驚きました。今まで日本の首相がだれなのかも海外で知る人はそういなかったと思います。それで海外に住んでいる私さえでも「ああ、小泉は新しいタイプの政治家なんだな」ということぐらいは分かりました。そういう意味では日本もプレゼンタブル重視型に変わったのでしょう。
小泉のイメージは偽物だとよく反小泉派は批判します。はじめは苦笑いを浮かべて聞いてましたが、ある時ヒッピーの言っていることが頭をよぎりました。彼らが言うには美は仮の姿で、本物ではないそうです。「じゃ本物は何だ」と訊くと、「そのままだ」と言っていました。「じゃ、そのままとは何だ」と訊くと、彼らは黙ってしまいました。あの時は議論に勝ったのだと驕り高ぶってましたが、本当はそうではなかったのだと今になって分かります。だからヒッピーの女の子のほとんどがスッピンだったのはそのためでしょう(冗談です)。

>でも死ぬのがこわくなくなってくれなかったのが残念です。
これには土下座をしてお詫びをしなければなりません。しかし一つ言い訳をさせていただきますと、「生きがいの創造」によって輪廻転生がきっとあるんだと知って、かなり安心したのは事実であります。恐怖を完全に滅した人はあなたやキング牧師みたいな平和活動家の使命感を持っている方だと思いますが、私のように自分が可愛いと思うたいていの人間からは、たとえ生まれ変わるという確信を持っていても、恐怖は消えないでしょう。
こんなハチャメチャな感想文を読んでいただいて、ほんとう申し訳ないです。私のような愚人を相手にしていただき、なんとお礼を申したら。心から感謝しております。

私は「指輪物語」で有名なピーター=ジャクソン監督の「キングコング」を見た。主演のナオミ=ワッツは金髪碧眼の美女であり、奈良の大仏のような大きさもあるキングコングの手の中でマンハッタンをバックにした背景は、とても美しすぎた。
ではピンクフロイドの「狂気」というアルバムがあるが、なんとあの最初の「Speak To Me」という出だしの狂気染みた笑い声はあのハリウッドの大女優ナオミ=ワッツの父親の声だという。それに「Brain Damage」という笑い声もそうだという。まったく知らなかった事実であり、これほど驚愕させられたことはなかった。
ピーター=ワッツはピンクフロイドのサウンドエンジニアであり、麻薬中毒で若くして亡くなった。当時はサイケデリック時代であり、ドラッグカルチャー、フリーラヴ、そして多くのヒッピーが精神世界を求めてインドに旅立った時期であった。しかし今のインドはどうだろう。インドと聞くとアメリカでは経済的脅威と受け止める人が多いにちがいない。精神的桃源郷という70年代の幻想は終焉してしまったのだ
ではピンクフロイドの「狂気」というアルバムがあるが、なんとあの最初の「Speak To Me」という出だしの狂気染みた笑い声はあのハリウッドの大女優ナオミ=ワッツの父親の声だという。それに「Brain Damage」という笑い声もそうだという。まったく知らなかった事実であり、これほど驚愕させられたことはなかった。
ピーター=ワッツはピンクフロイドのサウンドエンジニアであり、麻薬中毒で若くして亡くなった。当時はサイケデリック時代であり、ドラッグカルチャー、フリーラヴ、そして多くのヒッピーが精神世界を求めてインドに旅立った時期であった。しかし今のインドはどうだろう。インドと聞くとアメリカでは経済的脅威と受け止める人が多いにちがいない。精神的桃源郷という70年代の幻想は終焉してしまったのだ
1、「美人薄命」
私は「女性上位時代」という1969年のイタリア製作のフランス映画を見た。69年のファッションはとても未来的であり、女性のヘアスタイルも本当に独特である。映画というのはその時の流行を伝えるとても貴重な歴史的遺産である。また主演女優のカトリーヌ・スパークのなんてあでやかで且つなまめかしいことか。まるでブリトニー・スピアーズのような容姿端麗さだ。これがまさか60年代後半の美女だとは。もうあれから40年近くも経ってしまったとは、とても信じられない。しかし、そんなカトリーヌも今ではもうすでに60代であり、その美しさに面影すらないだろう。そして悲しいことにいずれ彼女は死んでしまう。美は永遠ではないという現実をただ憂うことしかできないのか。しかし映画は違う。映画は永遠性を啓示してくれる。なぜなら映画の中でこそ彼女の美は永遠なのだから。よって映画こそが美を永遠にさせる不死の薬だ。
私は「女性上位時代」という1969年のイタリア製作のフランス映画を見た。69年のファッションはとても未来的であり、女性のヘアスタイルも本当に独特である。映画というのはその時の流行を伝えるとても貴重な歴史的遺産である。また主演女優のカトリーヌ・スパークのなんてあでやかで且つなまめかしいことか。まるでブリトニー・スピアーズのような容姿端麗さだ。これがまさか60年代後半の美女だとは。もうあれから40年近くも経ってしまったとは、とても信じられない。しかし、そんなカトリーヌも今ではもうすでに60代であり、その美しさに面影すらないだろう。そして悲しいことにいずれ彼女は死んでしまう。美は永遠ではないという現実をただ憂うことしかできないのか。しかし映画は違う。映画は永遠性を啓示してくれる。なぜなら映画の中でこそ彼女の美は永遠なのだから。よって映画こそが美を永遠にさせる不死の薬だ。
2、「佳人薄命」
また、このサウンドトラックのすばらしさ、私は大いに感銘を受けた。曲名は「L'amore dice "Ciao"」といい、LPのジャケットはポストモダン的だ。このほのぼのとしたボサノバ的な音楽は私の心をもの寂しくさせた。本当に60年代当時のフランスの空気を感じる。ロマンチックでありながら、儚い。フランスの代表的な60年代のロマンス映画「男と女」の主題歌にも共通する趣がある。そういえば「女性上位時代」の主演男優は「男と女」にも主演男優として登場するジャン・ルイ・トランティニャンである。かつてはヨーロッパ女性の憧れの的であり、一世を風靡した西欧のスーパースターであった。しかしそんな彼も年老いた。私の好きな「ロスト・チルドレン」では水槽に入っている話す脳ミソの役だったので、とてもショックだった。あんな偉大な映画俳優が現世代の間では「ああ、あの脳ミソやってた人」と片付けられてしまうなんて。どうして時代はすぐに去ってしまうのだろうか。今は2000年代、あの時のもっとも輝いていた美男女はもういない。
3、「タイムマシン」
恐縮ながら私は69年には生を受けていないが、それでもあの時は二度と戻ってこないという事実を痛感させられてしまうのはなぜだろう。私は「冷戦が終結した後に生まれたかったのに、インターネットが大衆化された後にに生まれかったのに」と年月が経つごとに若いままでいたいという強い後悔の念に襲われることがあるが、この映画を見たときばかりは「69年以前に生まれていれば」と後悔した。そしてとても悲しい想いに包まれた。しかしそれと同時に今よりもっと老化してしまっているということでもあり、私の感情は混乱している。このような画期的な時代を共有できなかったことへの後悔、しかしそのような偉大な世代はすでに年金システムを崩壊させかねない存在になってしまったという後悔。だからこそタイムマシンが欲しい。そうすれば遺跡や文献や映画どころか、本当にその時を体験することができるのだ。元ヒッピーだった老人たちと話しても、彼らの体験したことを経験することは不可能だ。だから本当の共感は得られず、憧れだけで終わってしまう。これも私の苦しみの一つだ。シッダールタのいう求不得苦とでも言うべきか。よって私が望むものは二つ、不老不死とタイムマシンだ。
4、「尊欧攘米」
それに「女性上位時代」が西欧で製作されたというのも大きな魅力である。そして西欧は長年の私の憧れだ。かつてはアメリカも西欧の一部という考えを持っていた。だから渡米することが私の夢だった。日本という小さく狭い島国を抜け出し、超大国の文化を肌身で体験したいという強い憧れを子供の頃から抱いていた。事実、私はアメリカを崇拝していた。そして大人になって太平洋を渡り、子供の頃からの夢をようやくかなえることができた。しかし現実はどうだっただろう。蓋を開けてみれば腐敗した資本主義社会だ。キリスト原理主義が横行し、政府はまったく無駄な戦争をするし。はっきり言ってアメリカ社会には幻滅した。アメリカは西欧ではなかった。そんな中、真の西欧に関する文献や映画に触れているうちに「ヨーロッパ連合は私の描く理想の社会により近いのでは」という思いを抱くようになってきた。「西欧社会は、この『女性上位時代』のようにフリーラヴを謳歌する自由な空気に満ちているに違いない。だから恋愛遊戯にはもってこいの土地だろう。」そう私は確信するに至った。よって私の次のステップは大西洋を越えることである。
5、「セックス革命」
69は私の好きな年だ。ウッドストックが開かれた年であり、ヒッピー文化の最盛期である。またビートルズが「アビーロード」を発表した年でもある。とにかく60年代後半はアメリカ人がベトナム戦争のばかばかしさに気付きだし、目覚めた時期でもある。67年にはラヴィング対ヴァージニア州判決で異人種間の結婚が認められた時でもあった。そしてアメリカ人の異文化に対する理解も大きく広がった。多くの西洋文化の若者が精神世界を求めてインドに旅立った。ビートルズもその一員だったことは言うまでもない。時代は確実に進展していたのである。
69年にこの映画が衝撃を与えたことは言うまでもない。今では女性が男に跨ることなど珍しくはないが、あの時は衝撃的だった。フェリーニの「La Dolce Vita」は男が女に跨る時代を象徴する最高傑作だが、69年に「女性上位時代」によってそれは吹っ飛んだ。女性解放とフリーラヴはセットだったのである。それにしても、なぜ今の時代はセックスを統制しようとする傾向にあるのだろうか。60年代にセックス革命が起きたのに。ロシアではすでに20年代にセックス革命が起こっていたというのに。
だが今ではブッシュやキリスト教右翼を中心とする共和党勢力がやけにセックスを禁止しようと躍起になっている。ブッシュは演説で「セックスは結婚まですべきではない」と公言した。また人工中絶に反対する連邦判事などを指名したり、同性愛者の結婚を禁止するように連邦憲法を改正しようとするし。しかし先日連邦上院議会が憲法改正を否決した。だが安心してはいられない。ブッシュはまた憲法改正、いや憲法改悪を議会に仕掛けてくるだろう。フリーラヴ文化が連邦政府によって破壊されようとしているのだ。
6、「ネオコンとヒットラー」
BBCのドキュメンタリー「テロとの戦いの真相」を見たが、ネオコンは60年代を欲望がリゾウムのように制御が全く利かずに自由に渦巻く暗黒の時代と捕らえていた。そしてエジプトの元祖テロリストのサイード・クトゥブもアメリカに留学した時、そのような印象を持ったという。クトゥブはザワヒリを発掘し、オザマ・ビン・ラディンはザワヒリを師と仰いだ。ようするにセックス革命によるフリーラヴ、ウーマンリヴ、ヒッピー文化を退廃文化として敵視した人々によって原理主義は生まれ、現在アメリカとエジプトで台頭するに至ったのだ。
同じことはドイツでも起こった。私は「Max」というヒットラーがまだ若くて貧乏画家をしていた頃を描いた映画を見たが、ヒットラーは当時流行していたドイツ表現主義を退廃芸術として糾弾した。彼はそれを「ユダヤ的」と表現した。彼にとってドイツ表現主義は社会風俗を乱す害毒でしかなかった。また彼はマルクス主義も「ユダヤ的」と表現した。多くのドイツ人女性が金持ちのユダヤ系の男性と道楽に耽るのを目のあたりにし、ドイツ人女性は「バイタ」になり下がってしまったとビアホールで嘆いていた。そしてそれが世界最悪な政府を築き上げる原動力となったのだ。だから退廃文化の巣窟であるワイマール政権を転覆することが彼の使命となった。さらにヒットラーは天下を取ってから退廃芸術展覧会というのを開き、多くのドイツ表現主義作品を展示し、現代美術を退廃芸術として徹底的に迫害した。
今のキリスト教右翼はどうだろうか。現代美術館を攻撃はしないものの、無神論者、リベラル、アナーキスト、ヒッピー、フリーラヴは「共産主義的」と表現しているし、アメリカ改革党の大統領候補だったパット・ブキャナンもアメリカ西洋文化が破滅に向かっているのはマルクス主義のフランクフルト学派の影響のためとしている。そしてキリスト教価値観を取り戻さなければならないと彼は主張するのである。「古き良きアメリカ」が彼らのモットーである。ということは私は「新しき悪きアメリカ」に生きていることか。私を「ガッドレス・ピープル(神なき人々)」と呼んだ人さえいた。私も宗教を持ってないと言った時は驚かれたことがあった。「お前も奴らの一人か」という態度には正直言って戸惑った。ヨーロッパではすでに19世紀にニーチェが「神は死んだ」と宣言したのに。それに原理主義者にとってヒッピーは忌々しい存在でしかないだろう。ヒッピーはアメリカに退廃文化をもたらしたと言うのだから。つまりヒットラーの発想とネオコンの発想はそうかけ離れていないように見えるのは私だけだろうか。
7、「善淫」
「女性上位時代」を真っ先に退廃芸術としてネオコンとクトゥブは糾弾したに違いない。リベラルへの反動が現在のアメリカ政治の主流となってしまったのか。文化レベルでの軋轢が政治を大きく左右するようになってしまった。そう、まるでヒットラーの生きたドイツのように。この現象は「カルチュラル・ウォー(文化戦争)」と呼ばれている。
原理主義が台頭するのはごめんだ。性の自由を統制されてたまるか。それに世俗権力だけではなく世界宗教までもがセックスを統制しようとするなんて。仏教では五戒の一つに不邪淫がある。またモーゼの十戒にもあるし、キリスト教も婚外のセックスを禁止した。イスラム教も同じであり、サウジアラビアやイランでは同性愛罪は死刑である。権力はどうしてそうまでしてセックスをコントロールしたがるのだろうか。セックスは個人の自由のはずなのに。恋愛遊戯ができなければ何が人生だろうか。思想の統制であるマインドコントロール、性の統制であるセックスコントロール、それが権力なのか。
アメリカは自由の国だ。他人の自由を侵害しなければ何をしてもいいはずだ。なにしろ私には合衆国権利章典がある。政府がセックスの自由を蹂躙しようとすれば私はこれを錦の御旗にして戦う。
「邪淫」、こんな言葉は権力が作り出したものだ。では「善淫」もあるはずではないか。しかしだれもそういう表現を使わない。だからあえて私は使おう。
「善淫はヒューマニティーだ!それを女性上位時代は証明してくれた!」と私は世界の中で叫ぶことを決意した。
また、このサウンドトラックのすばらしさ、私は大いに感銘を受けた。曲名は「L'amore dice "Ciao"」といい、LPのジャケットはポストモダン的だ。このほのぼのとしたボサノバ的な音楽は私の心をもの寂しくさせた。本当に60年代当時のフランスの空気を感じる。ロマンチックでありながら、儚い。フランスの代表的な60年代のロマンス映画「男と女」の主題歌にも共通する趣がある。そういえば「女性上位時代」の主演男優は「男と女」にも主演男優として登場するジャン・ルイ・トランティニャンである。かつてはヨーロッパ女性の憧れの的であり、一世を風靡した西欧のスーパースターであった。しかしそんな彼も年老いた。私の好きな「ロスト・チルドレン」では水槽に入っている話す脳ミソの役だったので、とてもショックだった。あんな偉大な映画俳優が現世代の間では「ああ、あの脳ミソやってた人」と片付けられてしまうなんて。どうして時代はすぐに去ってしまうのだろうか。今は2000年代、あの時のもっとも輝いていた美男女はもういない。
3、「タイムマシン」
恐縮ながら私は69年には生を受けていないが、それでもあの時は二度と戻ってこないという事実を痛感させられてしまうのはなぜだろう。私は「冷戦が終結した後に生まれたかったのに、インターネットが大衆化された後にに生まれかったのに」と年月が経つごとに若いままでいたいという強い後悔の念に襲われることがあるが、この映画を見たときばかりは「69年以前に生まれていれば」と後悔した。そしてとても悲しい想いに包まれた。しかしそれと同時に今よりもっと老化してしまっているということでもあり、私の感情は混乱している。このような画期的な時代を共有できなかったことへの後悔、しかしそのような偉大な世代はすでに年金システムを崩壊させかねない存在になってしまったという後悔。だからこそタイムマシンが欲しい。そうすれば遺跡や文献や映画どころか、本当にその時を体験することができるのだ。元ヒッピーだった老人たちと話しても、彼らの体験したことを経験することは不可能だ。だから本当の共感は得られず、憧れだけで終わってしまう。これも私の苦しみの一つだ。シッダールタのいう求不得苦とでも言うべきか。よって私が望むものは二つ、不老不死とタイムマシンだ。
4、「尊欧攘米」
それに「女性上位時代」が西欧で製作されたというのも大きな魅力である。そして西欧は長年の私の憧れだ。かつてはアメリカも西欧の一部という考えを持っていた。だから渡米することが私の夢だった。日本という小さく狭い島国を抜け出し、超大国の文化を肌身で体験したいという強い憧れを子供の頃から抱いていた。事実、私はアメリカを崇拝していた。そして大人になって太平洋を渡り、子供の頃からの夢をようやくかなえることができた。しかし現実はどうだっただろう。蓋を開けてみれば腐敗した資本主義社会だ。キリスト原理主義が横行し、政府はまったく無駄な戦争をするし。はっきり言ってアメリカ社会には幻滅した。アメリカは西欧ではなかった。そんな中、真の西欧に関する文献や映画に触れているうちに「ヨーロッパ連合は私の描く理想の社会により近いのでは」という思いを抱くようになってきた。「西欧社会は、この『女性上位時代』のようにフリーラヴを謳歌する自由な空気に満ちているに違いない。だから恋愛遊戯にはもってこいの土地だろう。」そう私は確信するに至った。よって私の次のステップは大西洋を越えることである。
5、「セックス革命」
69は私の好きな年だ。ウッドストックが開かれた年であり、ヒッピー文化の最盛期である。またビートルズが「アビーロード」を発表した年でもある。とにかく60年代後半はアメリカ人がベトナム戦争のばかばかしさに気付きだし、目覚めた時期でもある。67年にはラヴィング対ヴァージニア州判決で異人種間の結婚が認められた時でもあった。そしてアメリカ人の異文化に対する理解も大きく広がった。多くの西洋文化の若者が精神世界を求めてインドに旅立った。ビートルズもその一員だったことは言うまでもない。時代は確実に進展していたのである。
69年にこの映画が衝撃を与えたことは言うまでもない。今では女性が男に跨ることなど珍しくはないが、あの時は衝撃的だった。フェリーニの「La Dolce Vita」は男が女に跨る時代を象徴する最高傑作だが、69年に「女性上位時代」によってそれは吹っ飛んだ。女性解放とフリーラヴはセットだったのである。それにしても、なぜ今の時代はセックスを統制しようとする傾向にあるのだろうか。60年代にセックス革命が起きたのに。ロシアではすでに20年代にセックス革命が起こっていたというのに。
だが今ではブッシュやキリスト教右翼を中心とする共和党勢力がやけにセックスを禁止しようと躍起になっている。ブッシュは演説で「セックスは結婚まですべきではない」と公言した。また人工中絶に反対する連邦判事などを指名したり、同性愛者の結婚を禁止するように連邦憲法を改正しようとするし。しかし先日連邦上院議会が憲法改正を否決した。だが安心してはいられない。ブッシュはまた憲法改正、いや憲法改悪を議会に仕掛けてくるだろう。フリーラヴ文化が連邦政府によって破壊されようとしているのだ。
6、「ネオコンとヒットラー」
BBCのドキュメンタリー「テロとの戦いの真相」を見たが、ネオコンは60年代を欲望がリゾウムのように制御が全く利かずに自由に渦巻く暗黒の時代と捕らえていた。そしてエジプトの元祖テロリストのサイード・クトゥブもアメリカに留学した時、そのような印象を持ったという。クトゥブはザワヒリを発掘し、オザマ・ビン・ラディンはザワヒリを師と仰いだ。ようするにセックス革命によるフリーラヴ、ウーマンリヴ、ヒッピー文化を退廃文化として敵視した人々によって原理主義は生まれ、現在アメリカとエジプトで台頭するに至ったのだ。
同じことはドイツでも起こった。私は「Max」というヒットラーがまだ若くて貧乏画家をしていた頃を描いた映画を見たが、ヒットラーは当時流行していたドイツ表現主義を退廃芸術として糾弾した。彼はそれを「ユダヤ的」と表現した。彼にとってドイツ表現主義は社会風俗を乱す害毒でしかなかった。また彼はマルクス主義も「ユダヤ的」と表現した。多くのドイツ人女性が金持ちのユダヤ系の男性と道楽に耽るのを目のあたりにし、ドイツ人女性は「バイタ」になり下がってしまったとビアホールで嘆いていた。そしてそれが世界最悪な政府を築き上げる原動力となったのだ。だから退廃文化の巣窟であるワイマール政権を転覆することが彼の使命となった。さらにヒットラーは天下を取ってから退廃芸術展覧会というのを開き、多くのドイツ表現主義作品を展示し、現代美術を退廃芸術として徹底的に迫害した。
今のキリスト教右翼はどうだろうか。現代美術館を攻撃はしないものの、無神論者、リベラル、アナーキスト、ヒッピー、フリーラヴは「共産主義的」と表現しているし、アメリカ改革党の大統領候補だったパット・ブキャナンもアメリカ西洋文化が破滅に向かっているのはマルクス主義のフランクフルト学派の影響のためとしている。そしてキリスト教価値観を取り戻さなければならないと彼は主張するのである。「古き良きアメリカ」が彼らのモットーである。ということは私は「新しき悪きアメリカ」に生きていることか。私を「ガッドレス・ピープル(神なき人々)」と呼んだ人さえいた。私も宗教を持ってないと言った時は驚かれたことがあった。「お前も奴らの一人か」という態度には正直言って戸惑った。ヨーロッパではすでに19世紀にニーチェが「神は死んだ」と宣言したのに。それに原理主義者にとってヒッピーは忌々しい存在でしかないだろう。ヒッピーはアメリカに退廃文化をもたらしたと言うのだから。つまりヒットラーの発想とネオコンの発想はそうかけ離れていないように見えるのは私だけだろうか。
7、「善淫」
「女性上位時代」を真っ先に退廃芸術としてネオコンとクトゥブは糾弾したに違いない。リベラルへの反動が現在のアメリカ政治の主流となってしまったのか。文化レベルでの軋轢が政治を大きく左右するようになってしまった。そう、まるでヒットラーの生きたドイツのように。この現象は「カルチュラル・ウォー(文化戦争)」と呼ばれている。
原理主義が台頭するのはごめんだ。性の自由を統制されてたまるか。それに世俗権力だけではなく世界宗教までもがセックスを統制しようとするなんて。仏教では五戒の一つに不邪淫がある。またモーゼの十戒にもあるし、キリスト教も婚外のセックスを禁止した。イスラム教も同じであり、サウジアラビアやイランでは同性愛罪は死刑である。権力はどうしてそうまでしてセックスをコントロールしたがるのだろうか。セックスは個人の自由のはずなのに。恋愛遊戯ができなければ何が人生だろうか。思想の統制であるマインドコントロール、性の統制であるセックスコントロール、それが権力なのか。
アメリカは自由の国だ。他人の自由を侵害しなければ何をしてもいいはずだ。なにしろ私には合衆国権利章典がある。政府がセックスの自由を蹂躙しようとすれば私はこれを錦の御旗にして戦う。
「邪淫」、こんな言葉は権力が作り出したものだ。では「善淫」もあるはずではないか。しかしだれもそういう表現を使わない。だからあえて私は使おう。
「善淫はヒューマニティーだ!それを女性上位時代は証明してくれた!」と私は世界の中で叫ぶことを決意した。
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美女との巡り合いが無くて私がどれほど苦しんでいるか、この世で理解できる人間は誰もいないであろう。そう、私の唯一の味方は天の摂理だけなのだから。
私の元ルームメイトのRがサンフランシスコに引っ越すというので、みんなでお別れパーティーを開いた。Rは30代前半のフィリピン系アメリカ人でアメリカ民主党員であり、ITコンサルタントでもあり、また変わったことに日本のアニメにも精通している。それにしても女の思考回路というのはまったく理解できない。パーティーで女の子たちはRに、
「キュート(かわいい)!」
と連発して彼をかわいがっていた。まるでハムスターをかわいがるように彼の頭をさすってクスクス笑う女の子たちの姿には到底耐えられるものではなかった。
「くそったれ!なんで俺じゃねえんだ!!!」
と心の中で絶叫した。それもウイウイしい20代の女の子たちだ。まったくアイツもアイツだ。照れ笑いを浮かべて嬉しさを隠そうとするのは同性としてすべてお見通しということが分かっていないのか。そんな卑劣な真似をしてまで自分の本性を隠そうとするとは。私はかなり嫉妬した。もうすこしでRを嫌いになるところだった。しかしこれが彼にとってロスで最後になるので、なんとか私は彼がいなくなってしまう寂しさの感情で嫉妬心を制御することに成功した。それに彼と口論するのはよくない。なにしろ彼は大学でディベート=クラブの部長だったのだから。一度アメリカの歴史について口論し、撃沈されたことが。。。ちくしょう。Rめ。ふざけやがってー。
それにしてもアニメオタクでここまでモテる人間は非常に珍しい。アニメオタクは普通だれにも相手にされないルーザーが主流なのだが。ましては女の子とはまったく縁が無い。私は高校の頃、オタクではなかったにしろ、私を受け入れてくれた唯一のクラスメートがオタクたちだったので、オタクには大きな借りがあり、彼らを悪く言うことはできない。だが、この日は違った。嫉妬心から私はパーティーで酒を飲みまくったし、がんばって女の子と話したが、結局だれも私を「キュート」と褒めてくれなかった。そんな馬鹿な。。。本当に神なんかいるのか。だからパーティーのあとはちょっと後味が悪かった。でもRはすばらしいルームメイトだったので、いつか機会があればサンフランシスコを訪問したいと思っている。
「キュート(かわいい)!」
と連発して彼をかわいがっていた。まるでハムスターをかわいがるように彼の頭をさすってクスクス笑う女の子たちの姿には到底耐えられるものではなかった。
「くそったれ!なんで俺じゃねえんだ!!!」
と心の中で絶叫した。それもウイウイしい20代の女の子たちだ。まったくアイツもアイツだ。照れ笑いを浮かべて嬉しさを隠そうとするのは同性としてすべてお見通しということが分かっていないのか。そんな卑劣な真似をしてまで自分の本性を隠そうとするとは。私はかなり嫉妬した。もうすこしでRを嫌いになるところだった。しかしこれが彼にとってロスで最後になるので、なんとか私は彼がいなくなってしまう寂しさの感情で嫉妬心を制御することに成功した。それに彼と口論するのはよくない。なにしろ彼は大学でディベート=クラブの部長だったのだから。一度アメリカの歴史について口論し、撃沈されたことが。。。ちくしょう。Rめ。ふざけやがってー。
それにしてもアニメオタクでここまでモテる人間は非常に珍しい。アニメオタクは普通だれにも相手にされないルーザーが主流なのだが。ましては女の子とはまったく縁が無い。私は高校の頃、オタクではなかったにしろ、私を受け入れてくれた唯一のクラスメートがオタクたちだったので、オタクには大きな借りがあり、彼らを悪く言うことはできない。だが、この日は違った。嫉妬心から私はパーティーで酒を飲みまくったし、がんばって女の子と話したが、結局だれも私を「キュート」と褒めてくれなかった。そんな馬鹿な。。。本当に神なんかいるのか。だからパーティーのあとはちょっと後味が悪かった。でもRはすばらしいルームメイトだったので、いつか機会があればサンフランシスコを訪問したいと思っている。
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pirikara710 日本でも、「電車男」というネットから生まれたオタクの男の子の恋愛成就映画、ドラマ、本がヒットして、秋葉系の男性が見直されたりしました。女性が結局、最後に惹かれるのは、外見じゃなくて、ハートですよ。

ありがとうございます
ヘルメス ピリカラさん、助言ありがとうございます。まことに恐縮です。

秋葉系はたぶんアメリカ英語では「ギーク」、イギリス英語では「アノラック」と呼ばれています。私の友人はITギークで「恋愛市場ではオレらはルーザーだが、結婚市場ではウィナーだ」と言っていました。「『戦に負けて戦争に勝つ』とはこのことだな」と豪語していましたよ。
「電車男」ですか。聞いたことがないですね。日系のビデオ屋でチェックしてみます。電車かー。懐かしいですね。ここでは車一筋なもんで。
リストラの嵐がまた吹いた。また私は生き残ったが、アメリカの資本主義というのは最悪だと改めて感じた。私たちは組合も持っていないのでどうしようもないが、韓国系アメリカ人の同僚だけが上司に対して食いかかった。これこそがアメリカ精神だと思うが、そんなことをしても会社が決めたことは覆すことはできない。とくにアメリカでは労働者は経営者の言いなりであり、働きアリであり、奴隷である。もっと我々に力を。「パワートゥーザピーポル!(民に力を!)」とジョンレノンも歌っていたではないか。
いつリストラされるか分からない。このままでは路頭に迷ってしまう。情緒が不安定になると死に対する意識も強くなる。私に死の恐怖が襲いかかり、「死にたくないー!」と英語で悲鳴を上げた。すると隣にいたイラン人の同僚のCは私に、「何を言っているんです」と言って来た。彼女は40代の女性でイタリア語とアルメニア語も達者である。20代のころは国連で働くという野心を抱いていたという。だから語学に力を入れていたそうだ。彼女は言う。
「死なんてものはいつ来るか分からないんだから、おびえてたって仕方がないですよ。」
私は、
「いやー、こわいですよ。自分が無くなってしまうというのがどんなに恐ろしいことか。」
彼女は、
「こわいといっても逃げられないんですから。いやでも死はやってくるんですから。でもその人はそのときに死ぬようになっているから死ぬという予定説は信じないわ。あの人は死ぬ運命だったから死んだと占い師は言うけど、人間はみんな死ぬ運命なんだから、そんなことを問題にすること自体ばかげています。」
と言った。
「いやー、でも死なんて間近に迫ったことなんてないし。」
「死はいつも間近ですよ。それに普段は気づかないというより、意識しないようにしているといったほうが適切かもしれません。」
「むむむ、でもやっぱり怖い。死ほど恐ろしいものはないです。死を怖がらない人なんかいないんじゃないですか。」
すると彼女は、
「君はイラク=イラン戦争を知っている?」
と言った。なんだかからかわれている気がして、ちょっとムキになった。
「はあ?もちろんですとも。歴史の授業で習ったんだから。」
「20年も前になるけど私がテヘランに住んでいたとき、イラク軍がテヘランを爆撃したのを鮮明に覚えています。」
私は驚愕した。
「えー!!!そんなこと経験したんですか。よく生き延びましたね。どうだったんですか、そのときの状況は。」
「戦争が始まった当初は人々はパニックに陥って逃げまどっていたし、逃げる途中に車にひかれて死ぬ人もいたほどですから。」
「えー、じゃ、毎日どうやって爆撃を凌いでいたんですか。」
「もちろん空襲警報が鳴って家族で防空壕の中に隠れていた。でも後々になると死の恐怖なんてものはうせてしまうものですよ。」
「ええ、どういう心境か分からないです。もっと詳しく教えてくれませんか。」
「始めはみんな町の住民が死んだりしてショックだったけれども、慣れてしまったんだと思います。もちろん死ぬのは怖いというのはあったけど、怖い怖いと言ったところでどうにもなりはしないし。爆撃に直撃したら死ぬわけだから死ぬときは死ぬわけだし。だから始めのうちはみんな防空壕の中にあわてて避難していたけれども、最終的にはほとんどの人が警報が鳴っても気にしなくなっちゃいましたね。食事中に空襲が起きてもそのまま食事してたし。会社で事務をしているときも逃げることもなくただ黙々と仕事をしていました。」
「えええ、僕にはまったく理解できません。」
「それはそうでしょう。ニュースを見ているだけじゃ何がおきているかまったく把握できないでしょう。所詮は画面の中ですからね。」
「テヘランの人は田舎とかに逃げなかったんですか。」
「たしかにたくさんのテヘラン市民はイランの北側に疎開したけれども、私のようにそのままの状況を受け入れた人のほうが多かったような気がするわ。」
私は何も言えなくなった。私は死ぬのが怖い。できれば不死身になりたい。しかし彼女のイランでの体験を日本と比較するとどうなるのだろう。確かに日本は核兵器の被爆国とはいえ、その後遺症というのは手をとるようには伝わってこない。もう60年以上も前のことだし、戦争世代はどんどん亡くなっていくし。憲法九条に対する人々の熱意というものがあるということが戦争体験を生かしてしているという証なのかもしれないが、どうなのだろう。
「だから死に対する恐怖というのは消えましたね。というか死というものを受け入れたんだと思います。なるようになるさって言う諦めではなく、開き直りというか、悟りとでも言うか、なんていうんでしょうね。とにかく受け入れたんですよ。」
と彼女は言った。
「ということは、いつでも死ぬ準備ができていると言うことですか。」
「いや、死ぬんだったら死ぬんでしょう。だだそれだけです。」
私には分からない境地だ。ヨーガの修行者が苦行をし尽くしたあとに得る境地なのか。私には生に対する諦めとしか映らないが。不死身になることが私の最大の目標なのだから。私が目指すのは宗教の言う魂の不死身ではなく肉体の不死身だ。
私は、
「でもそのイラクを支持したのはレーガンですよね。」
と言った。するとCは、突然火が付いたように顔が真っ赤になった。
「そのとおり。サダムはあのときアメリカにサポートしてもらっていた。そしてイラク軍はテヘランを爆撃した。君はイランの政権交代が必要だといっているしブッシュの対イラン制裁を支持しているが、アメリカがどんな悪事を犯してきたのか知っていれば、君がそんな馬鹿なことを言わなくなるんじゃないですか。」
私はムッとなった。
「いや、イラン政権は基本的人権を無視するような政策をとっているじゃないですか。イラン人を政府の抑圧から解放することを支持してどうして悪いんですか。」
「過去、アメリカが人々を解放したことなんてあるんですか。いままでアメリカが侵攻した国の民は豊かになるどころかますます搾取の対象になっているではありませんか。過去の中南米の法外な独裁政権を支持してきたのはどこか。人民の意志を無視して選挙で選ばれた政権をCIAが裏工作で起こしたクーデターで崩壊させて、親米反民の傀儡政権を立てたのはどこか。チリのアレンデ政権の転覆、ピノシェット将軍の圧制、インドネシアのスハルト政権、ギリシャの独裁政権、フィリピンのマルコス、ペルーのフジモリ、共産主義者と疑われた人民は拷問され生きて帰ってこれなかったようだし。グレナダやハイチなどあんな小さな国が軍事的脅威といって侵攻するなんて、そんな馬鹿なことがあっていいとでも言うんですか。」
「たしかにあなたの言うことは正しいかもしれない。でもアメリカはイタリアをファシストから解放したし、日本に平和憲法を与えてくれた。だからかならずしも悪いことだけをしてきたのではなく、よい事も行ってきたわけです。」
「それはそうかもしれないけど。しかし今のイラクを見てどうでしょう。まったくの失策じゃありませんか。偽りによって戦争したじゃありませんか。それに君はイランの政権交代のためにイランへの攻撃に賛成だというけど、ブッシュの目的はイランが核兵器をもてないようにすることだし。」
「それはそうですよ。イランは悪の枢軸国なんだから。北朝鮮みたいに核をもってしまったら世界は滅んじゃいます。」
「本当にそんなことを思っているんですか。まさか北朝鮮とイランが世界を滅ぼすために核を開発すると思ったら君はナイーヴすぎます。それではネオコンのプロパガンダの言いなりじゃないですか。イランが核兵器を使うはずがないでしょう。核があるとアメリカが手も足もでなくなるから核を全力で開発してるだけです。それに当のアメリカだって千発以上の核を持っているではありませんか。自分が持ってて人に持つなという理屈はまったく通じないと思いますよ。それに核を唯一戦争で使ったのはアメリカなんですから。イランはいくらなんでもそこまで馬鹿なことはしないでしょう。」
「うーむ、よーく考えてみればたしかにそうです。でもイランの政権は悪いとは思いません?女性の人権を無視してるんですよ。それにイスラムに基づいて法律を作ったりしているので政教分離という民主主義の原則を完璧に無視しているじゃないですか。刑罰の中に非人道的なむち打ちの刑とか浮気した女性を石で嬲り殺すとか、そんな腐った社会はアメリカの軍隊で一掃したほうがいいと思うんですけど。」
「アメリカはイラクを使ってたくさんのイラン人を殺しました。クルドスタンではイラクは化学兵器まで使いました。そして国連はそれに目をつぶっていましたし。そんなことをしといてアメリカにはなんの権利があるのでしょう。そんなアメリカがイランに何を言えるというのでしょうか。でも君が言うように、たしかにイラン政府は変わって欲しいと私も思います。もっと民主主義が発達して欲しい。女性が自由に着こなして町を歩けたらいい。でもそれを外国が武力で大量の人を殺してやることとは思いません。平和的に人権を推し進めるべきです。戦争によって一国の人権を向上できるとは思いません。とくにアブーグレブやグアンタノモであからさまに捕虜を拷問しているアメリカに限っては問題外としかいいようがありません。アメリカこそが悪の枢軸国ではありませんか。だからアメリカのイラン侵攻には断固として反対します!」
私はその圧力に屈してしまい、反論することができなかった。戦争を経験した人間にはそれだけの気力がある。Cは普段はとってもおっとりしているのに、うるさいことで有名なイラン人のなかで彼女のような人は珍しいのに、アメリカのことになったら彼女の態度は一変した。その変わりように私は固唾を飲んだ。それにしても、ここまでのアメリカ嫌いだとは、どうしてアメリカに移住してきたのか。いや、それはアメリカの偏狭的な右翼の考え方だ。アメリカに来たいものは誰でも来てもいいのだ。悪いことさえしなければ。でも人民が開放を望んでいてそれを助けたらいけないとはどうしてなのだろう。アメリカだってイギリスから独立するときフランスが助けてくれた。ラファイエット将軍には今でも我々は敬意を表する。もしフランスが助けてくれなかったらアメリカはいまでもカナダみたいに英国の君主国になっていたはずだ。私はイラン人民を圧制から解放するのであればブッシュを支持するが、石油の利権と核兵器を持たせないためだけで人民の解放が目的でないのならイラン侵攻は支持しない。
「死なんてものはいつ来るか分からないんだから、おびえてたって仕方がないですよ。」
私は、
「いやー、こわいですよ。自分が無くなってしまうというのがどんなに恐ろしいことか。」
彼女は、
「こわいといっても逃げられないんですから。いやでも死はやってくるんですから。でもその人はそのときに死ぬようになっているから死ぬという予定説は信じないわ。あの人は死ぬ運命だったから死んだと占い師は言うけど、人間はみんな死ぬ運命なんだから、そんなことを問題にすること自体ばかげています。」
と言った。
「いやー、でも死なんて間近に迫ったことなんてないし。」
「死はいつも間近ですよ。それに普段は気づかないというより、意識しないようにしているといったほうが適切かもしれません。」
「むむむ、でもやっぱり怖い。死ほど恐ろしいものはないです。死を怖がらない人なんかいないんじゃないですか。」
すると彼女は、
「君はイラク=イラン戦争を知っている?」
と言った。なんだかからかわれている気がして、ちょっとムキになった。
「はあ?もちろんですとも。歴史の授業で習ったんだから。」
「20年も前になるけど私がテヘランに住んでいたとき、イラク軍がテヘランを爆撃したのを鮮明に覚えています。」
私は驚愕した。
「えー!!!そんなこと経験したんですか。よく生き延びましたね。どうだったんですか、そのときの状況は。」
「戦争が始まった当初は人々はパニックに陥って逃げまどっていたし、逃げる途中に車にひかれて死ぬ人もいたほどですから。」
「えー、じゃ、毎日どうやって爆撃を凌いでいたんですか。」
「もちろん空襲警報が鳴って家族で防空壕の中に隠れていた。でも後々になると死の恐怖なんてものはうせてしまうものですよ。」
「ええ、どういう心境か分からないです。もっと詳しく教えてくれませんか。」
「始めはみんな町の住民が死んだりしてショックだったけれども、慣れてしまったんだと思います。もちろん死ぬのは怖いというのはあったけど、怖い怖いと言ったところでどうにもなりはしないし。爆撃に直撃したら死ぬわけだから死ぬときは死ぬわけだし。だから始めのうちはみんな防空壕の中にあわてて避難していたけれども、最終的にはほとんどの人が警報が鳴っても気にしなくなっちゃいましたね。食事中に空襲が起きてもそのまま食事してたし。会社で事務をしているときも逃げることもなくただ黙々と仕事をしていました。」
「えええ、僕にはまったく理解できません。」
「それはそうでしょう。ニュースを見ているだけじゃ何がおきているかまったく把握できないでしょう。所詮は画面の中ですからね。」
「テヘランの人は田舎とかに逃げなかったんですか。」
「たしかにたくさんのテヘラン市民はイランの北側に疎開したけれども、私のようにそのままの状況を受け入れた人のほうが多かったような気がするわ。」
私は何も言えなくなった。私は死ぬのが怖い。できれば不死身になりたい。しかし彼女のイランでの体験を日本と比較するとどうなるのだろう。確かに日本は核兵器の被爆国とはいえ、その後遺症というのは手をとるようには伝わってこない。もう60年以上も前のことだし、戦争世代はどんどん亡くなっていくし。憲法九条に対する人々の熱意というものがあるということが戦争体験を生かしてしているという証なのかもしれないが、どうなのだろう。
「だから死に対する恐怖というのは消えましたね。というか死というものを受け入れたんだと思います。なるようになるさって言う諦めではなく、開き直りというか、悟りとでも言うか、なんていうんでしょうね。とにかく受け入れたんですよ。」
と彼女は言った。
「ということは、いつでも死ぬ準備ができていると言うことですか。」
「いや、死ぬんだったら死ぬんでしょう。だだそれだけです。」
私には分からない境地だ。ヨーガの修行者が苦行をし尽くしたあとに得る境地なのか。私には生に対する諦めとしか映らないが。不死身になることが私の最大の目標なのだから。私が目指すのは宗教の言う魂の不死身ではなく肉体の不死身だ。
私は、
「でもそのイラクを支持したのはレーガンですよね。」
と言った。するとCは、突然火が付いたように顔が真っ赤になった。
「そのとおり。サダムはあのときアメリカにサポートしてもらっていた。そしてイラク軍はテヘランを爆撃した。君はイランの政権交代が必要だといっているしブッシュの対イラン制裁を支持しているが、アメリカがどんな悪事を犯してきたのか知っていれば、君がそんな馬鹿なことを言わなくなるんじゃないですか。」
私はムッとなった。
「いや、イラン政権は基本的人権を無視するような政策をとっているじゃないですか。イラン人を政府の抑圧から解放することを支持してどうして悪いんですか。」
「過去、アメリカが人々を解放したことなんてあるんですか。いままでアメリカが侵攻した国の民は豊かになるどころかますます搾取の対象になっているではありませんか。過去の中南米の法外な独裁政権を支持してきたのはどこか。人民の意志を無視して選挙で選ばれた政権をCIAが裏工作で起こしたクーデターで崩壊させて、親米反民の傀儡政権を立てたのはどこか。チリのアレンデ政権の転覆、ピノシェット将軍の圧制、インドネシアのスハルト政権、ギリシャの独裁政権、フィリピンのマルコス、ペルーのフジモリ、共産主義者と疑われた人民は拷問され生きて帰ってこれなかったようだし。グレナダやハイチなどあんな小さな国が軍事的脅威といって侵攻するなんて、そんな馬鹿なことがあっていいとでも言うんですか。」
「たしかにあなたの言うことは正しいかもしれない。でもアメリカはイタリアをファシストから解放したし、日本に平和憲法を与えてくれた。だからかならずしも悪いことだけをしてきたのではなく、よい事も行ってきたわけです。」
「それはそうかもしれないけど。しかし今のイラクを見てどうでしょう。まったくの失策じゃありませんか。偽りによって戦争したじゃありませんか。それに君はイランの政権交代のためにイランへの攻撃に賛成だというけど、ブッシュの目的はイランが核兵器をもてないようにすることだし。」
「それはそうですよ。イランは悪の枢軸国なんだから。北朝鮮みたいに核をもってしまったら世界は滅んじゃいます。」
「本当にそんなことを思っているんですか。まさか北朝鮮とイランが世界を滅ぼすために核を開発すると思ったら君はナイーヴすぎます。それではネオコンのプロパガンダの言いなりじゃないですか。イランが核兵器を使うはずがないでしょう。核があるとアメリカが手も足もでなくなるから核を全力で開発してるだけです。それに当のアメリカだって千発以上の核を持っているではありませんか。自分が持ってて人に持つなという理屈はまったく通じないと思いますよ。それに核を唯一戦争で使ったのはアメリカなんですから。イランはいくらなんでもそこまで馬鹿なことはしないでしょう。」
「うーむ、よーく考えてみればたしかにそうです。でもイランの政権は悪いとは思いません?女性の人権を無視してるんですよ。それにイスラムに基づいて法律を作ったりしているので政教分離という民主主義の原則を完璧に無視しているじゃないですか。刑罰の中に非人道的なむち打ちの刑とか浮気した女性を石で嬲り殺すとか、そんな腐った社会はアメリカの軍隊で一掃したほうがいいと思うんですけど。」
「アメリカはイラクを使ってたくさんのイラン人を殺しました。クルドスタンではイラクは化学兵器まで使いました。そして国連はそれに目をつぶっていましたし。そんなことをしといてアメリカにはなんの権利があるのでしょう。そんなアメリカがイランに何を言えるというのでしょうか。でも君が言うように、たしかにイラン政府は変わって欲しいと私も思います。もっと民主主義が発達して欲しい。女性が自由に着こなして町を歩けたらいい。でもそれを外国が武力で大量の人を殺してやることとは思いません。平和的に人権を推し進めるべきです。戦争によって一国の人権を向上できるとは思いません。とくにアブーグレブやグアンタノモであからさまに捕虜を拷問しているアメリカに限っては問題外としかいいようがありません。アメリカこそが悪の枢軸国ではありませんか。だからアメリカのイラン侵攻には断固として反対します!」
私はその圧力に屈してしまい、反論することができなかった。戦争を経験した人間にはそれだけの気力がある。Cは普段はとってもおっとりしているのに、うるさいことで有名なイラン人のなかで彼女のような人は珍しいのに、アメリカのことになったら彼女の態度は一変した。その変わりように私は固唾を飲んだ。それにしても、ここまでのアメリカ嫌いだとは、どうしてアメリカに移住してきたのか。いや、それはアメリカの偏狭的な右翼の考え方だ。アメリカに来たいものは誰でも来てもいいのだ。悪いことさえしなければ。でも人民が開放を望んでいてそれを助けたらいけないとはどうしてなのだろう。アメリカだってイギリスから独立するときフランスが助けてくれた。ラファイエット将軍には今でも我々は敬意を表する。もしフランスが助けてくれなかったらアメリカはいまでもカナダみたいに英国の君主国になっていたはずだ。私はイラン人民を圧制から解放するのであればブッシュを支持するが、石油の利権と核兵器を持たせないためだけで人民の解放が目的でないのならイラン侵攻は支持しない。
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pirikara710 TBありがとうございました。
ヘルメスさんのお知り合いは、さまざまな方がいらっしゃるのですね。さすがアメリカです。
私の弟の会社も何年か前、リストラの嵐で、弟は残りましたが、それからが大変・・残った者が、いないくなった人員分働かねばならなくなり、毎日朝は5時に起き、出勤、夜は12時を過ぎないと帰れないというスケジュールで、過労死してしまうのではないかと心配しました。
生きるために働くのに、働きすぎて死んでしまったら何にもなりません。
弟は3月から、家族を残して九州に単身赴任しました。
資本主義って何なんだろうと思うのです。その反対にある共産主義がいいとも思いませんが・・・
ヘルメスさん、死ぬのはこわいですよね。
だって、生まれてからずっと生きてるんだもの・・・臨死体験って言うか、一度死んで、もう一度生き返ったら、こわくなくなるかも?
何年か前に読んで、私は死ぬのがこわくなくなった本がありますよ。
↓
「生きがいの創造」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569573142/249-2419873-2457148
「生きがいの創造2」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569641911/249-2419873-2457148
早速読んでみます
ヘルメス ピリカラさん、本の推薦、ありがとうございます。
死の恐怖を克服されたのは超スゴイと思います。そのきっかけとなった本のレビューを読みましたが、ポジティヴになった方が多いようですね。だから私もたった今オンラインで注文しました。さすがに在米日本人にも人気があるようで、もう少しで在庫切れだったようです。読み終わった後は感想を書きますので、そのときは遠慮なく批判等をお願いします。
うわー、弟さんはとても苦労されていて。それでは余暇が全くないではありませんか。それどころかそんなことずっと続けていたら倒れてしまいます。日本の会社も悪名高いアングロサクソン型資本主義に変質してしまったのですね。それを押し進めたのは小泉ですか。
ヨーロッパ連合では5週間のヴァカンスと週36時間労働が基準だとか。あそこの地域の人々はアメリカ人よりもはるかに精神性が高いと自負してますが、ヨーロッパに住んだことがないので謎です。
セルフ・コーチング 先日はコメントいただきありがとうございます。お礼が遅くなってしまいました。あなたのブログも読ませていただきました。仏教についても深く研究されておられますね。わたしも大いに得ることがあります。
ヘルメス ブログにお越しいただき大変ありがとうございます。いやー、仏教徒に論破された屈辱がありますから、それでやっきになってしまって。。。

セルフコーチングさんのブログはいろいろなアイディアが詰まっているので、またお邪魔させていただきます。
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