BBCの「ブッダの生涯」という番組のビデオがGoogle Videoにアップロードされていたので、私はそれを観た。それにはダライ・ラマのような著名人も番組に出演していた。なお、この番組は全て英語であり、字幕はない。
私が一番惹かれたのは出家する前の王太子としての特権を享受していた15:00のシーンである。
「くそったれ、オレだって王子様として生まれたかったのによ〜!」
と悔やんでしまったほど。普通の男には一生かかって頑張っても手が届かない快楽である。グラマラスなインド美人がシッダールタを取り囲んで、妓楽に浸かっている姿は、とてもこの人が将来偉大なブッダになるとは想像がつかない。彼には王太子の権力を利用して王国一美しい女神も調達しえたであろう。元ミス・インディアのアイシュワリヤー・ラーイのような美女も夢ではなかったはずだ。しかし、そんな美女との歓楽三昧の彼の出家への決意を決定的にさせた事件は四門出遊である。このビデオの16:20にも白馬の王子が四門出遊するシーンがある。
私が一番惹かれたのは出家する前の王太子としての特権を享受していた15:00のシーンである。
「くそったれ、オレだって王子様として生まれたかったのによ〜!」
と悔やんでしまったほど。普通の男には一生かかって頑張っても手が届かない快楽である。グラマラスなインド美人がシッダールタを取り囲んで、妓楽に浸かっている姿は、とてもこの人が将来偉大なブッダになるとは想像がつかない。彼には王太子の権力を利用して王国一美しい女神も調達しえたであろう。元ミス・インディアのアイシュワリヤー・ラーイのような美女も夢ではなかったはずだ。しかし、そんな美女との歓楽三昧の彼の出家への決意を決定的にさせた事件は四門出遊である。このビデオの16:20にも白馬の王子が四門出遊するシーンがある。
虹色オリハルコンにリンクされていた動画で見る百人の村は私を憂鬱にさせた。このサイトは我々先進国の民にネット上での四門出遊を経験させる。そう、シッダールタがかつて経験したことを追体験できるのだ。美女の享楽に浸かることは現代でも特権階級の男にしかできないが、それでも我々はテレビ、インターネット、コンピューター、携帯電話とシッダールタでも経験できなかった贅沢を味わっている。日本人が海外旅行に行くとしてもほとんどは先進国である。アメリカ人も発展途上国のメキシコに旅行に行くけれども、ほとんどはカンクーンなどのリゾートである。よってそれは四門出遊とはならない。
かつて私もメキシコに行ったことがある。その時のことを鮮明に覚えている。そこで見たものは凄まじい光景であった。たしかヴィヤエルモサ市からオアハカ市まで、ヴァンで大陸横断している途中で、地方の村々を通過している時であったが、なんとも悲惨な家屋に村人が住んでいたのである。その家には窓ガラスも扉もなく、廃墟と同じであり、道路も舗装されておらず、悪臭が立ちこんでいて、子供が裸足でサッカーボールを蹴って遊んでいたのである。あの悪臭からすると下水道も通っていないのだろう。日本のU字溝の比ではない。その村の一角で休憩してジュース屋に立ち 寄ると、私を旅行者と見るや子供たちが一斉に集まってきた。なんと葦の袋を差し出してきて、
「これ買わない?」
と言ってきた。私は袋の中身を見たが、なんとマングースのような動物が入っていて驚いてしまった。こんなのを捕まえて、旅行者に売り付けようとしていたとは。しかし我々が買わないと知ると、彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていった。売れそうなものはとにかく売り付けようとする。だが、私はそのたびに、
「No interesante. Lo siento.(興味がないので、ごめんなさい)」
と謝って断った。しかも彼らはボロボロのTシャツを纏い、これでもかというほどの粗末な姿であり、とても胸が痛んだ。メキシコは本当に発展途上国だったのである。メキシコの地方がここまでひどかったとは。日本でも小泉政権で都市と地方の格差が広がったといわれているが、さすがに、ここまでではないであろう。メキシコシティーのような大都市でも、路上の子供が素足でバク宙などのアクロバチックな動きを披露して、小銭を旅行者から恵んでもらっていた。たぶん、あの子たちは家もないストリートチルドレンなのであろう。生活があんなに悲惨だから、麻薬や人身売買の犠牲者になるのである。この体験で私は発展途上国とはどういうものかということを知った。
今までは移民排斥を掲げるパット・ブキャナン氏に賛成であったが、この経験でそれを疑問に思うようになった。まさか、あそこまで悲惨だとは思わなかったからだ。私もメキシコの村でタコスを食べて食あたりを起こし、アメリカに帰ってからも二週間ずっと激しい腹痛に悩まされた。私の旅行グループの人々も皆食あたりを起こして、病院送りになったものもいた。そこまで、我々の免疫力というのは発展途上国の人々に比べたら弱いのである。しかし、我々の寿命は彼らよりも遥かに長い。
メキシコの奥地に行ったことは意義のある経験となった。シッダールタは南門を出ると、病気でやつれはてて苦しんでいる人を見たという。私もメキシコに行き、舗装されていない道路を裸足で走る少年少女らを見た。そしてそんな所に旅行者が入ったのも珍しいことなのだろう。私も貧乏で家賃が払えないからアパートを転々としているが、それでもあの子たちのは貧乏どころではない。どん底である。シッダールタは死にそうになるまで断食したそうだ。その動機は世界の人々の苦しみを分かち合おうとしたものだったに違いない。私も絶食を試みたことがあったが、たったの二日しか続かなかった。あんなに苦しいことはなかった。空腹というのは本当に激しい苦しみである。それをあの子たちは毎日のように耐えなければならないのだから。栄養失調で命を落とすものもいるのだろう。この世は苦しみだけの世界であり、なぜ自分が生まれてきたのか、全く意味がわからなくなってしまうこともある。まあ、人生の意義など勝手に人間が作り出したものなのだから、何の意味もないのが真如なのだろう。
シッダールタは世界は苦しみに満ちていると思い、たまらず出家したのであろう。本当に世界は苦しみだらけだ。というより一切皆苦というぐらいだから、全て苦しみなのだろう。メキシコに行ったときは、世界は苦しみだけだという認識が強くなり、この世を厭離する気持ちはよくわかる。よってシッダールタの究極の原理とは苦しみを滅することである。それが仏教だ。苦しみを滅すること、それが仏教の根本中の根本であり、それがなければ仏教ではない。四聖諦とは、苦しみを滅する手順に他ならない。抜苦与楽とはまさに慈悲であり、それが人の苦しみを滅することである。そういう自覚者がNGOなどの活動を展開するのであろう。かつてのジョン・レノンがそうであったように。
先進国の人への四門出遊の勧めは、これらのことを自覚させるであろう。そんなことを考えさせられるサイトであった。

かつて私もメキシコに行ったことがある。その時のことを鮮明に覚えている。そこで見たものは凄まじい光景であった。たしかヴィヤエルモサ市からオアハカ市まで、ヴァンで大陸横断している途中で、地方の村々を通過している時であったが、なんとも悲惨な家屋に村人が住んでいたのである。その家には窓ガラスも扉もなく、廃墟と同じであり、道路も舗装されておらず、悪臭が立ちこんでいて、子供が裸足でサッカーボールを蹴って遊んでいたのである。あの悪臭からすると下水道も通っていないのだろう。日本のU字溝の比ではない。その村の一角で休憩してジュース屋に立ち 寄ると、私を旅行者と見るや子供たちが一斉に集まってきた。なんと葦の袋を差し出してきて、
「これ買わない?」
と言ってきた。私は袋の中身を見たが、なんとマングースのような動物が入っていて驚いてしまった。こんなのを捕まえて、旅行者に売り付けようとしていたとは。しかし我々が買わないと知ると、彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていった。売れそうなものはとにかく売り付けようとする。だが、私はそのたびに、
「No interesante. Lo siento.(興味がないので、ごめんなさい)」
と謝って断った。しかも彼らはボロボロのTシャツを纏い、これでもかというほどの粗末な姿であり、とても胸が痛んだ。メキシコは本当に発展途上国だったのである。メキシコの地方がここまでひどかったとは。日本でも小泉政権で都市と地方の格差が広がったといわれているが、さすがに、ここまでではないであろう。メキシコシティーのような大都市でも、路上の子供が素足でバク宙などのアクロバチックな動きを披露して、小銭を旅行者から恵んでもらっていた。たぶん、あの子たちは家もないストリートチルドレンなのであろう。生活があんなに悲惨だから、麻薬や人身売買の犠牲者になるのである。この体験で私は発展途上国とはどういうものかということを知った。
今までは移民排斥を掲げるパット・ブキャナン氏に賛成であったが、この経験でそれを疑問に思うようになった。まさか、あそこまで悲惨だとは思わなかったからだ。私もメキシコの村でタコスを食べて食あたりを起こし、アメリカに帰ってからも二週間ずっと激しい腹痛に悩まされた。私の旅行グループの人々も皆食あたりを起こして、病院送りになったものもいた。そこまで、我々の免疫力というのは発展途上国の人々に比べたら弱いのである。しかし、我々の寿命は彼らよりも遥かに長い。
メキシコの奥地に行ったことは意義のある経験となった。シッダールタは南門を出ると、病気でやつれはてて苦しんでいる人を見たという。私もメキシコに行き、舗装されていない道路を裸足で走る少年少女らを見た。そしてそんな所に旅行者が入ったのも珍しいことなのだろう。私も貧乏で家賃が払えないからアパートを転々としているが、それでもあの子たちのは貧乏どころではない。どん底である。シッダールタは死にそうになるまで断食したそうだ。その動機は世界の人々の苦しみを分かち合おうとしたものだったに違いない。私も絶食を試みたことがあったが、たったの二日しか続かなかった。あんなに苦しいことはなかった。空腹というのは本当に激しい苦しみである。それをあの子たちは毎日のように耐えなければならないのだから。栄養失調で命を落とすものもいるのだろう。この世は苦しみだけの世界であり、なぜ自分が生まれてきたのか、全く意味がわからなくなってしまうこともある。まあ、人生の意義など勝手に人間が作り出したものなのだから、何の意味もないのが真如なのだろう。
シッダールタは世界は苦しみに満ちていると思い、たまらず出家したのであろう。本当に世界は苦しみだらけだ。というより一切皆苦というぐらいだから、全て苦しみなのだろう。メキシコに行ったときは、世界は苦しみだけだという認識が強くなり、この世を厭離する気持ちはよくわかる。よってシッダールタの究極の原理とは苦しみを滅することである。それが仏教だ。苦しみを滅すること、それが仏教の根本中の根本であり、それがなければ仏教ではない。四聖諦とは、苦しみを滅する手順に他ならない。抜苦与楽とはまさに慈悲であり、それが人の苦しみを滅することである。そういう自覚者がNGOなどの活動を展開するのであろう。かつてのジョン・レノンがそうであったように。
先進国の人への四門出遊の勧めは、これらのことを自覚させるであろう。そんなことを考えさせられるサイトであった。

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