NAFTAでのキモヲタのソナタ
カナダのブロガーで仏教徒がいますが、彼は日本に留学して仏教哲学を学んだそうです。だから、漢文も読めますし、北京語も話せるし、日本語も話せるし、フランス語も話せるし、で、もちろん英語も話せます。ああ、絶対モテますよね、とくに日本人の女の子に。私でさえ、日本語を話すアメリカ人に出くわすと、
「うわぁ、すげぇ!」
と思いますもん。

そういえば、大学に中国人の子で、日本語を流暢に話す女の子がいましたね。しかも、彼女、台湾人と付き合ってたし、どうして台湾という反逆国の人間とエッチするのか、とても理解しがたいものでした。本人たちは、「歴史的な和解」とほざいてましたけどねぇ。まぁいいや、もう十年も前のことだ。そんなことは忘れた。とにかく、日本語を話す外国人の女の子も、すごく魅力的に見えるってことですよ。かっこいいですよ、知的で。

一方、英語なんて、ほんとアメリカじゃ、だれでも話してますし、どんな人種だろうが、外国人だろうが、移民だろうが、片言でも、最低限の英語を話してますからね。英語がどんなに話せても、ネオリベラル社会で女性とスキンシップがとれなくて、もがき苦しんでるキモヲタだっていますからね。じぇんじぇんカッコいいことはないですね。でも、日本語を話す外国人は、ほんと珍しいですからね。モテます。女男とも。

で、やはりまだカナダやアメリカでは、西欧社会では、白人が仏教徒というのは、おかしいようです。
で、あなたは仏教徒なの?
「そうだよ」
ええ、だってあなた白人じゃない?
そんなふうに言われるのは日常茶飯事だそうです。詳しくは、このブログで。白人の白人に対するステレオタイプだそうです。でも、そういうオフな部分が、女の子に「おっ!?」と思わせるんですよ。つまり、モテにつながればなんだっていいんです。それを逆手に取ればいいんです。 ブラピもリチャード・ギアも、仏教徒だし、モテまくるじゃないですか!だから、ハリウッド産業で、東洋系の男をセックスシンボルにすればいいんです。そうすれば、東洋系の男だってモテるようになるんです。それは、上層部、共同幻想、二次元の改革になるんです。この下の図のように。
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そういえば、中西部に住んでいた時にいましたね。仏教徒の白人が、っていうか、あんなど田舎の中西部のバイブルベルトの土地で、結構いましたよ、仏教徒が。禅宗系だったと思います。「サムライ・リリジョン」とか言ってましたからね。で、やっぱり日本の武道とかやっていて、それで興味を持ったみたいです。だから、仏教徒は、なんかの武道の有段者ということも少なくなかったです。で、彼らはすごい美人な白人の女の子とデートしてるんですよ。彼女らは、
彼の東洋的な部分に惹かれたの。東洋ってセクシーじゃない?
と言ってました。私は、
「じゃ、オレは、ほんもんの東洋だから、オレってセクシーだよね?」
と聞くと、鼻で笑うように、
はいはい、そうですね
とバカにされたんです!
ふざけんじゃねー、バカヤロー!!!

本物を見極める力がない、これこそネオリベラル社会にどっぷりと浸かってしまった最悪の結果なんです。普通は、瞳を輝かせて、
あぁ、やっぱ本物は違うわ〜
と偽物の東洋人、いわゆる東洋かぶれのボーイフレンドを振り切って私に抱きついてキスするはずだったのに。ダイヤモンドだったら、偽物とわかったとたんにすぐに捨てるじゃないか?おかしいですよ。

でも、東洋人の男がクリスチャンになろうと、
「東洋人なのにクリスチャンなの?」
とはきかれませんね。驚かれないですね。モテの要素にはならないのです。私もテンガロンハットを冠って酒場でギターを弾いたり、エルビスの歌を唄ったりして中西部の人間になってましたが、それでもモテませんでした。アクセントとかも、一所懸命真似たんですけどね。それは、やはりキリスト教文化が世界を支配してるからです。だから、英語を話せても驚かれないし、英語は世界を支配してますからね。フランス語もスペイン語も、そうですね。南米に行って、スペイン語を話しても、だれも驚きませんでした。フランスなんかもっとひどくて、話せてももちゃんとしたアクセントで話さないと「フランス語を侮辱してる」ように感じるそうです。ケベック人も、
「そのフランス人の高慢さには、参る」
と言ってます。そのヨーロッパ帝国主義の高慢な態度は、撃滅しなきゃならないですね。普仏戦争でフランスは世界帝国の地位から脱落したのにね。私なんか、日本語を話してる外国人なんかに会ったら、もう、
「なんとすばらしい、ありがたやー」
と言って、感謝の意を表明するのに。自分の言語に興味を持って習ってくれたというほど、嬉しいことはないじゃないですか?それが、フランス人、スペイン人、イギリス人、アメリカ人、帝国主義国の人間には、まったくわからないんです。

世界帝国になり損ねた国、日本。やはり敗戦は、ここまで影響してるんです。日本は世界帝国になれなかったから、日本語は世界言語になり損ねたんです。で、ついつい日本語を話す外国人を見ると、感嘆してしまうのです。
すっごーい、どうやって覚えたの?
東洋人の男が東洋人らしくないことをしても、だれも「おおっ!」とはならないのにね。で、東洋人が東洋的なことをしても、尊敬はされるけどモテない。だけど西洋人が東洋系なことをすると、尊敬されるし、しかもセックスの対象になるんです。これほど不公平なことはない!!!

『マイノリティー・リポート』や『トータル・リコール』の原作者であるプィリップ・K・ディックが書いた小説で『The Man In The High Castle』があります。それは第二次世界大戦で、アメリカが負けて、日本とドイツに占領されるというものです。そこで、日本人の男性がアメリカ人女性の引っ張りだこになるというものです。まるで、敗戦直後の占領で、アメリカ兵士が、日本人女性とデートしまくってる状況みたいなもんです。その逆なんです。そう、東洋系の男性は、東洋の覇者であった日本が白人帝国主義国列強の覇者であるアメリカに勝っていれば、モテるようになったはずだというのが、この小説の観点なのです。

日本はロシアとドイツに勝ちましたが、世界の言語である英語、フランス語、スペイン語を使う宗主国、つまりアメリカ、イギリス、フランス、スペインに勝ったことがありません。東洋の覇者であった日本が西洋の覇者であるアメリカに負けたことは、とても大きかったんです。それで、東洋社会で白人男性がモテて、西洋社会で東洋人の男性はモテないことが決定的になったというのが、この小説の解釈なんです。すべては、あの戦争が原因だったというのです。

だから、私は、白人系でない人に大統領になってもらいたい。有色人種であるオバマになってもらいたい。そうすれば、有色人種である東洋系の男もモテるようになるのではないか?オバマも白人のハーフですが、まぁ、彼は多文化ですから。西洋社会、そして白人社会の覇者であるアメリカで、非白人が大統領となる。それが、どんなにすごい影響力をアメリカ人女性に対して持つか?というか世界中の女性に対して持つか?しかも、昔とは違い、今のアメリカ人はできるだけ混血であることを理想としています。それは保守的な中西部でさえ、白人の若者の意見はそうなっているのです。そう、まさにブラジル人のような姿ですね。オバマがカナリア軍団ブラジル代表のユニフォームを着てても、違和感がないですからね、このように。
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しかし、アメリカ人の理想はそうであっても現実社会では、それはまだ具現化されてませんでした。しかし、現在になってようやくその多文化のイメージが現実の世界(下層部)で、花開いて来たんです。それが、オバマだったんです。なんと素晴らしいことだろうか!だから、すべてはオバマの勝利にかかっています。そういう面でも、オバマはアメリカを大改革するのです。アメリカ史始まって以来のかつてない大変革が起こるのです。だから、みなさん、私と一緒に声を合わせて叫びましょう!
Change we can!

さて、女性リーダー像もオープラやマルサ・スチュワートやナンシー・ペローシやヒラリーによって具現化されてきました。女性の社会におけるリーダーシップもアメリカという現実世界で具現化してきたんです。しかし、キモヲタにとって一番気になるのは、次のことです。
「はたして二次元の萌えアニメの美少女が、三次元で実体化されるのは、いつになるんでしょうか?」
二次元の多文化男が、オバマによって三次元で実体化されてきてるので、もうそろそろでしょう。そうすれば、我らキモヲタも救済されるんです。イエス・キリストが生まれてから2008年、ようやくその兆しが見えて来たんです。だから、私たちは偉大な時代に生きてるんです!

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【2008/06/05 08:06】 | 文化
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4月20日はヒトラーの誕生日、で、1999年の同じ日に、コロラド州でコロンバイン高校で、ヒトラーの思想を受けた高校生二人が同級生を虐殺しました。また1995年の4月19日にはオクラホマ州の州都オクラホマシティーで連邦ビルが白人至上主義テロリストによって爆破されました。その犯人もヒトラーの思想を受けた人で、彼の読んだ小説に『ターナーの日記』がありますが、その中でヒトラーは『グレート・ワン』と呼ばれ、白人至上主義者がテロリズムでアメリカを乗っ取ることが書かれています。19日はいわゆるヒトラーの誕生日イブとなるのでしょうか?その日はバイエルン人のラッツィンガーがローマ教皇に就任した日でもあります。それも奇遇?だから、4月はとにかく危ない月なのです。

それにしても、ローマ教皇の誕生日4月16日が、ヴァージニア工科大学虐殺事件の日だとは。しかも、ローマ教皇は、アメリカのホワイトワウスでハッピーバースデーを祝いました。ブッシュ大統領が、バースデーソングを教皇に歌いました。私は、生放送でその中継を見ていました。ヒスパニックのチャンネルもローマ教皇訪問を生放送でカヴァーしてました。やはり、ヒスパニックはカトリック文化ですから、教皇は、パパです。スペイン語では、教皇のことをpapaというのです。英語では、「daddy」という意味ですね。そして、女性は司祭になれないと言う、それは、「mama」がないからです。女性教皇というのは、出て来れないのです。なぜなら、スペイン語で、教皇をパパというので、女性が教皇になったら、ママとなってしまうからです。そう、言葉でジェンダーを縛り付けてしまっているのです。だからファロゴセントリズムなんですよ。よって、その解決策として、教皇はpontiff(橋を造る人)とするのが、いいでしょう。

そしてなによりも白人以外の教皇が出てこない。つまり白人男性至上主義なんです。だから、異端者である魔女を虐殺していきました。ハプスブルグ帝国のスペイン人は米大陸の原住民をどんどん奴隷化して改宗していきました。ペルーのクスコは跡形もなく破壊され、その上に教会が建てられたことからもその残虐性がわかります。そのような宗教が人工中絶もコンドームも同性愛も認めないのは頷けます。非常に時代錯誤な宗教なのです。同じハプスブルグ帝国から来た貧乏画家が指導者となったナチスは同性愛に反対で、同性愛者を虐殺しました。そしてナチスの異端者は、近所から消されました。教皇はナチスの活動が最も盛んだったバイエルンでその思想を吹き込まれたヒットラーユーゲンドでした。だから、彼のイスラムへの敵対心はとても強いのでしょう。またユダヤ教徒を改宗させる聖句を復活させたのですから。ヨーロッパ人のセム人との対立、アーリア人対ユダヤ人、それはDQNの集まりの十字軍でもそうですし、お互いに聖戦(ジハード)を掲げて虐殺行為に及ぶという、イエズス会なんて、「教皇の精鋭部隊」というほどの軍隊形式の組織で、まさに体育会系揃いでした。それが、どんどん南米の先住民を改宗していったわけです。「銃か聖書」か、まるでイスラム教の「剣かコーラン」かです。つまりテロリスト原理主義の原点がそこにあるのです。そして、アメリカの国粋主義には、銃と聖書に星条旗まで加わりました。

キリスト教対イスラム教、アメリカのKKKは、イエスをアーリア人だとしてますし、黒人至上主義の教会では、イエスを黒人だとしてます。つまり、イエスはセム系ではないとされているのです。そして、マルコムXは、マホメットを黒人至上主義者と演説しています。どうしてそこまで過激になれるのか、それはやはり宗教そのものがいけないんですね。というか、その神です。セムの宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、残虐性においては世界一です。唯一神は嫉妬の神で、異教徒を抹殺するよう命じますし、同性愛の町はヤハウェ自ら殲滅しました。『天空の城ラピュタ』のムスカもそれに言及してます。また、新約聖書自体、ギリシャ語で書かれているので、キリスト教はヨーロッパ源流なのです。それで、キリスト教=ヨーロッパの宗教となったのですね。とくに教皇はローマ皇帝の神祇官のタイトルをそのまま引き継いだのですから。だから、シーザーもローマ教皇だったのです。つまりペテロが初代ローマ教皇ではないのです。そしてローマを築いたのはトロイの末裔ですし、そうなると、やはりギリシャに辿り着くのです。だから、キリスト教とヨーロッパ中心主義は結びついたのです。それが、植民地主義と帝国主義が結びつき、「White man's burden」となったのです。イタリアがヴァチカンを独立させたのは間違いでした。そしてヴァチカンの国家元首が訪米している、そしてホワイトハウスで誕生会を開いたのです。アメリカは、ローマ帝国とは、いや古いヨーロッパとは決別したはずです。あのラムズフェルドの「古いヨーロッパ発言」はなんだったのか?私は、ラムズフェルドの言葉に賛同しましたが、それはただのパフォーマンスだったのでしょうか?しかし、そのローマ帝国の神祇官の誕生日を祝うなんて、米国がまだヨーロッパ至上主義のように思えてなりません。

で、同じ日にヴァージニア工科大学では、追悼式がありました。チョ・スンヒというラブシャイが起こした事件でした。あのような頭脳明晰な学生が集まる大学で、そのような虐殺事件が起きたのも珍しいことです。やはり、それは移民として迫害を受けた、それてセクシュアリティーを謳歌できなかったことでしょうね。チョは、詩のクラスをとっていて、チョの詩は、とても残虐性に満ちたものでした。それで、教授から注意を受けたそうです。しかし、それは、彼に皮膚感覚が完全に欠落していたからでしょうね。女性とのスキンシップ、それが欠落していた為に、彼は頭の中に空想のガールフレンドを作り、つまり脳内嫁と一緒に異次元世界にいました。いわば、幻想世界でしょうか?それは二次元でも四次元でもないですが、とにかく妄想に耽っていたんです。しかし、体は現実世界にある、どんなに脳内嫁を想像しても、現実の女の子との皮膚感覚の刺激は、やはり花火です。空想の女の子との皮膚感覚はないのですから。だから、とうとう限界点を越えてしまい、女の子にさわりたい一心でストーカー行為に及んでしまったのです。でも、好きな子に告白しようとして近づいたらストーターと勘違いされたということもあるかもしれませんが…。まっ、アメリカは、日本の学園と違ってそんなに話したこともない相手にいきなり告白するという文化ではないですからね。

私は二次元で、萌え系アニメで女性キャラに萌えます。だから、私は虹コンなんです。やはり本物の女の子に触れたい欲求は、増幅するばかり。しかし、女の子との皮膚感覚はまったくない。とくに日本社会は異性との接触を嫌う馬鹿な風習ですから、そんなところにいたら、ほんと健全な精神の持ち主でも病んでしまいます。あそこは、病気になる為に病院に行くようなところで、病気を治す為に行く病院ではありません。それが、日本社会です。小泉の登場で、ネオリベラル政策が行われ、ワープアなる貧乏人が増えて、それでさらにキモヲタが増えてしまったんです。

でも、キモヲタは、現在では最低、自己表現する場を獲得したそうです。女の子でも、ヲタクが増えてきたそうだし、アニヲタの人口が増えてきました。だから、最低キモヲタの話を聞いてくれる人が出て来たんです。しかし、チョの場合はそうは行かなかった。彼は、自己表現のメディアとして詩を選び、クラスをとりましたが、その詩があまりにも残虐性を帯びていた為、みんな「こいつはやばい」と認めず、また教授にも注意されました。しかも、教授はアメリカで著名な詩人であるニッキー・ジオヴァンニ、その人はチョの詩を読むことさえも否定したわけです。次そういう詩を書いて来たら、クラスから追放すると警告したのです。つまり、だれも聞いてくれなかったのです。それが、彼にとってもっともショックなことだったんでしょうね。その詩の残虐性は、やはり社会に対する恨みからだと思いますが、チョは、サウダージを表現する場さえ否定されたのです。Clannadことみちゃんは、ヴァイオリンでサウダージを自己表現しました。そして、たとえヴァイオリンの音色は残虐性に満ちていようとも、せめて彼女にはそれに協力してくれる学友がいましたから。オバマは、「中西部の労働者階級はサウダージを銃や聖書、いわゆる国粋主義で表現する」という名言を残しました。つまり、銃と聖書と星条旗の三種の神器です。そして、私のようなキモヲタは、萌え系アニメによって、そして、貧乏ブラジル人はサンバで、ブルジョアの悩める恋人たちはボサノバで、米国南部の黒人労働者階級はブルースで。しかし、チョは、サウダージを銃に結びつけてしまったのです。

しかし、彼はスポーツもできて、勉強もできたそうです。それでも、女性との皮膚感覚は伴わなかったんですね。やはり、アメリカはとても冷酷な社会です。私は、スポーツも勉強も苦手だったので、他のクラスメイトよりも修得するのが遅かったので、それでDQNにイジメられて、そんなイジメられっ子を助けてくれる女の子はいませんでした。しかし、たいてい、スポーツもできて、勉強もできれば、体育祭でも中間テストの学年順位の発表でも注目を浴びるし、モテるんですけどね。かならずしもモテなくても、人気者にはなれますよ。それで、皮膚感覚も伴うようになるはずです。それに、彼は東洋系にしては身長も低くなかったそうでし。アメリカでは、移民だとそうもいかないのか?どうしても「外人」しかも、アメリカ女は、男とは違って、基本的に移民の男は恋愛対象外ですからね。セックスの対象外なんですよ。とくに、アジア系の男だと、そうですよね。とくに、ヴァージニアは歴史も古く、建国13州の中心でしたし、また南北戦争の奴隷制度を擁護したアメリカ連合国(南部)の中心で、首都がヴァージニアの州都のリッチモンドでした。ヴァージニアにはJDデー(ジェファーソン・デイビス大統領の記念日)があるほどです。だから、ある意味中西部よりも歴史的に保守的な州だったこともあって、移民であるチョは、日本のキモヲタよりもはるかに大変な思いをしたと思います。彼は、虐殺行為に及んでしまったのですから。

アメリカは人種社会です。ハリウッドがいけません。ハリウッドやテレビでの東洋人の出番は限られているし、来る役としたら非東洋系アメリカ人が東洋人にいだいている偏見そのものですよね。それは、撲滅されるべきです。東洋人にまず、ロマンスがない。キスシーンもベッドシーンもない。あるとしたら、東洋の女ぐらいですが、東洋の男性では、まったくないです。売春婦とセックスしているシーンぐらいです。東洋の男優には、セクシーさが求められてない。東洋系の男性にはまったくエロチックさが映画から欠落している、それが実生活で反映されてしまうのです。私に東洋系アメリカ人の俳優の知り合いがいますが、彼はやはり俳優だけあって、女の子からモテますが、そんなモテる彼ですら、東洋系の男はモテないと言ってましたからね。だから、これは、私個人がモテないから僻んで主張していることではなく、客観的事実なのです。

だから、二次元からまず改革しないと行けないのです。いわゆる上層部の改革です。それはハリウッド映画産業にアファーマティブ・アクションを取り入れ、東洋の男優に主役になるチャンスを与える。それも、ロマンスとエロティシズムが伴う役。そう、アメリカ人女性の欲望の対象としなければならないのです。しかし、東洋人のネガチブイメージがずっと垂れ流しだった。マイノリティーモデルとして、社会的地位は高いんだけど、恋愛とセックスの対象になってないのがいけない。白人アメリカ人だって、眼鏡をかけてる人が多いのに、黒人だって、マルコムXが眼鏡かけてたっていうのに、東洋人と思うとかならず思い浮かべるのが眼鏡。本当、憤慨します。裕仁もフジモリもチョ・スンヒも、アメリカ人の東洋系に対するステレオタイプにハマってしまうんですよ。

そういえば、ペルーでも、そうですよ。東洋人と言えば、眼鏡、そうあのフジモリも、眼鏡をかけてましたからねー。なんでコンタクトにしないのか。なんでレイシックを受けないのか。ほんと、悪いイメージです。三枚目なんですよ、東洋系の男は。三枚目では、セクシュアリティーは欠落してしまうのです。裕仁もそうでしたし、チョ・スンヒも眼鏡猿でしたね。「東洋人=眼鏡猿」という最悪なステレオタイプです。私はペルーで、パーティーで会ったセクシーで知的な女性にききましたよ、
「フジモリはセクシーだと思う?」
って。そしたら、彼女は表情を曇らせて、
「いや、知的だとは思うよ」
と言ってました。ほら、見ろ。ペルーでもっとも有名な東洋系男性があれじゃ、どうしょうもない。まあ、私は、その女性の腰ばかりに気が行っちゃって、なにを話したのか、あまり…、というか、私のスペイン語のレベルでは、あまり深入りした会話はできなかったこともありましたから。社会学の先生かなんかで、貧困問題に取り組んでいると言ってましたけど、私の言語レベルでは、詳しいことを知るにはちょっと無理だった、あぁ、彼女が英語を話せたら、会話できたのに。でも、ラテンの腰はめっちゃすごかった。
おお、神よ!なんで、あんなダイナマイトのような撃滅的で官能的な腰をお造りたもうたか!
と嘆いてしまいました。あの時は、さすがに私の無神論も揺らぎましたよ。もう、あの腰に手を回したくてしかたがなかった、だから一刻も早く彼女と踊りたかったんですよ。あれで女の子を見る目が変わりました。今までは、胸ばっかりに目が行ってたんですが、あれ以来、下部に移りましたね。そう、お尻に目が行くようになったんです。北米から南米に行ったように、胸からお尻に移動したんです。つまり、私のWeltanschauung(世界観)が変化したんです。

でも、私のようなキモヲタで東洋の男が女の子と踊れたんだし、私がシングルだというと、女の子が、
「じゃ、あたしの友だちにシングルの子がいるから、今度パーティーに連れてくるよ」
と言って、最初は冗談だと思ったんですが、本当にシングルの子を連れてきましたからね。非常に驚きました。キモヲタでも、ちゃんと女性との出会いの場を提供してくれるのは、ほんと、ラテン文化だと思いましたよ。その子たちに、キモヲタがどういうものなのか、スペイン語で一所懸命説明しましたけど、たぶん伝わらなかったでしょうね。ほんと、言語力がないということは、命取りです。あぁ、スペイン語をマスターしなければ!

そういえば、ペルーのテレビ番組でも、褐色の俳優は少なかったですね。リマで白人を見かけたこともないんですが、テレビだとやたらと白人が多いのです。それは、ちょっとびっくりしましたね。だって、ペルーの人って、ほとんどが褐色ですよ。なんかペルーの実体生活を反映してないなぁと思いました。しかし、それでも、ロマンスは人種を越えてますよね。それは、スゴいと思いました。だって、私のような外国人、異人種、異文化、それにスペイン語も話せない、それなのに、女性が、
「ガールフレンドいるの?」
って初対面できいてくるし、
「いなかったらそれじゃ」
とデートの機会をうかがうんですよ。「ガールフレンドいるの?」って女の子にきかれたことがないですからね。「ガールフレンドいないでしょ?」は何回もありましたけど。悲惨でしたよ。つまり、逆に言えば、「あなたに彼女は絶対出来ない」と思い込まれてるのと同じです。最初っからセックスの対象になってないってことですから…。まぁ、キモヲタだったんで、仕方ないでしょうね。でも、はじめて「ガールフレンドいるの?」と質問された言葉が、日本語でも英語でもなく、スペイン語っていうのが、スゴかったです。でも、私は、旅行の予定が入ってたし、そんなことも予想してなかったので、、女性と交わる時間がなかったのは、非常に悔しい。だから、絶対に南米に戻りたいんです。

チョ・スンヒは、南米に移住するべきでしたね。アメリカじゃ、ロマンスにおいては人種差別社会だし、東洋系の男性はセクシーモデルとして絶対に女性雑誌に載らないし。私は女性雑誌もちょこちょこチェックしてますが、セックスの欄で、モデルの男はかならず白人ですね。ときたま黒人、ラテンもいますが、東洋系はまずないですね。アメリカの男は女性に対して幅広いですよ、だって、どの人種の女性もセックスの対象ですから。五大陸すべての女性とやりたいんですから。しかし、アメリカの女性は五大陸の男すべてとやりたいとは思っていません。とくに東洋の男は省かれてしまっています。それは、アメリカの男が、女性の性欲をそう開発してしまったためです。ハリウッド映画産業をはじめとして。つまり、ハリウッドも男性至上主義なのです。女性を国内にとどめる、そう、人種内にとどめようとする白人男性至上主義が、アメリカの女を洗脳してしまっているのです。そして、その最悪な結果があのヴァージニア虐殺でした。だからこそ、女性のセクシュアリティー解放が、東洋系のキモヲタを救うはずなのです。それには、白人男性至上主義を打破することなのです!

まぁ、黒人男性もセクシーとされてますね。オバマも、オバマガールがいますし。オバマがセクシーとされるんです。ホットとされるんです。でも、オバマは黒人と言っても、普通の黒人とは違う。オバマは幼少時代、インドネシアに住んでましたから、東南アジア文化もわかってるんです。まぁ、彼は黒人というより混血で、ブラジル人っぽいですね。ブラジル代表のカナリアのユニフォームを着ても似合いそうですよね。ほんと、いろんな血と文化が混ざり合っていて、多文化主義の理想を体現した人って感じです。純黒人じゃないところが、また白人系アメリカ人にも気に入られてるところかもしれない。ああ、でもブラジルに行きたいなぁ、なにしろ音楽がいいですよね。それにオバマは表面的にはキリスト教徒だと言ってますけど、あれは本当は私と同じで無神論者ですよ。だからそういう人が大統領になれば、アメリカの狂信的原理主義も弱まりますよ。あんなふざけた宗教を本気で信じてること自体時代錯誤ですからね。キリスト教を信じれば信じるほど、自分はヨーロッパ文化の末裔という意識が強くなりますからね。アメリカはヨーロッパではないのに。それが、白人至上主義と結びつくのです。ヨーロッパよりも精神性が遅れているのはアメリカとしては恥です。アメリカはなんでもナンバーワンでなければならない、世俗化の面でもそれは同じです。だから、ヨーロッパよりも進んでないと行けないのです。アメリカから見たらヨーロッパは古いんですから、アメリカが新しいことでリードしなければいけないのです。「古いヨーロッパ」がアメリカに歯が立つはずがないのです。だって、ヒトラーが出て来たところですよ、ヨーロッパって。まだ教皇が国を持ってるところですよ。王様や貴族が未だにいるんですよ。宗教国や君主国なんて、民主主義に真っ向から反する制度ですからね。どう考えても政治システムではアメリカが進んでるじゃないですか?しかし、そんなヨーロッパに現在アメリカが精神面で遅れてるなんて…。清教徒倫理の宗教にしがみついているアメリカなんて古いヨーロッパよりも古くさいですからね、そんなのからは、脱皮しなければなりません。古いアメリカなんて、壊さなければなりません。新しいものを作り為には古いものを破壊しなければならないのです。でないと、アメリカとしての顔が立ちません。そして、その世界最先端のアメリカを実現可能にしてくれるのがオバマだと思います。というか、今の政治家の中では、オバマがその候補に最も近い。可能性が高いのです。だから、彼が大統領になれば、変わりますよ、アメリカは。それこそオバマの叫ぶ「チェンジ!」です。この、アメリカの恋愛資本主義での白人至上主義を打ち砕くためにも、オバマの勝利は必要なのです。それはシンボリズムにおいてもっとも重要なことです。そして、白人以外のマイノリティーの男、とくにアジア系、アジア系でもとくに東洋系がモテるようになるのです。そう、この機会に、ブラジルのようなラテンのようになってくれればいいですね。

大統領はずっと白人男性だった。しかもプロテスタントでアングロ・サクソン系、ケネディーもアイルランド系でカトリックでしたが、それでも、「自分はアングロ・サクソン価値観を共有する」としました。つまり、表層的にはアイルランドでカトリックでも、中身はアングロサクソンだと、したのです。それに、表面は白人ですから、つまり、本人がアングロサクソンだと言ってたら、だれもわからない。私も、知り合いの天然のブロンドのかわいい子が、ユダヤ系だと言うまでは、ずっとアングロだと思ってましたから。ところが、オバマは最初から外見が白人ではありませんから、それはアメリカにとっては大きいですよ。だからこそ、オバマがその突破口となってくれればいいと思っているのです!


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【2008/04/25 03:34】 | 文化
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私は「オバマの失言」の記事でいただいた車輪の国さんのコメントに大賛成です。

>本来パターナリステックな
体育会系が嫌いなヲタクがなぜ保守的な思想と
結びつくのかは、オタクである僕自身疑問なのですが...

体育会系、それはずばりDQN、いわゆるドキューンです。私には、こいつらと実に苦い思い出があります。あいつらのせいで渡米したといっても過言ではありません。

どうして体育会系的な性質のものがアニヲタと結びつくのか、ほんと不思議です。その疑問があります。はてなマークです。日本にはいないので、その辺の事情はよくわからないです。でも、サルヴァドール・ダリも、左派が多数を占めた超現実派のなかでも、右派でしたから。萌えヲタと同じく新しい人々の「ネット右翼」とうか、ネトウヨについては、よくわかりませんが、それが現在では萌え系ヲタクと結びつくようになったんですね。かつてヲタクは非社会的で非政治的でしたが、麻生の秋葉の選挙活動のように、ヲタクも認知して票にしようという社会的変化もあるでしょうか?IT革命によるインタネットや携帯の発達によって、ヲタクの自己主張の場が確保され、ヲタク人口が増え、社会のヲタクを見る目が変わって来た、そして政治家に認知されるまでになった。それでヲタクに対しても思想的に政治的影響力を持とうとする勢力が出て来た。ヲタクはいわば新しい市場。ヲタクが市民権を得たと言われるのも、この経緯からわかるような気がします。

まぁ、私が日本にいた頃にはアニヲタと体育会系がくっ付くとは考えられなかったですね。それはまるで正反対。ハトとタカほどの差があります。私にとっては体育会系は、DQNそのものです。もう十数年前ですが、私が日本にいたとき、DQNはチンピラやチーマーになって喧嘩に明け暮れ、暴走族になって旭日旗を掲げて「八紘一宇」なんてスローガンで夜中にバイクをガンガン乗り回して、善良な市民に平気で迷惑かけてました。そういうのが犯罪集団のヤクザになったりテロリスト集団の極右団体に入ったりしますから。そういうのが、天皇靖国原理主義をテロに訴えて主張しますから。市民の生活を脅かすテロ集団です。アメリカの「テロとの戦争」は、テロを撲滅することが目的なのですから、日本のテロも撲滅してほしいものです。

しかも日本の学校って、私の中高もそうでしたが、先公たちも、腐敗し切った体育会系が仕切ってますからね。戸塚ヨットは、その最たるもので、それを称賛する都知事はDQNの首領です。ほんとDQN社会、そういう奴らに私はイジメられましたから。そんな筋肉バカの奴らがよってたかってイジメて来たら、防ぎ用がないですよ。圧倒的な体力でターゲットを押さえ込むんですから。平和な市民生活を送る無抵抗な人間にそんなことをするなど、ほんと、正義は一体どこにあったのでしょうか…。それはなにも学園に限ったことだけじゃなくて、日本の企業も労働組合も体育会系が仕切っていて、新人社員に研修とかで「しごき(イジメ)」を実行します。パターナリスティック(家父長的な男を頂点とする男中心制度)な年功序列、いわゆる縦社会のもっとも悪質なものがそれです。そんな人の自由意志を無視するような社会で大人になって社会人になるのは、ごめんでした。サラリーマンには絶対になりたくありませんでした。日本に夢などありませんでした。大学に進学しても、タバコや酒は強制されるというし、それで日本人はその腐った飲酒と喫煙習慣を覚えてしまうのです。その野蛮な風習は韓国のほうがひどいと聞きますが、日本もそうですからね。先輩の命令で新入生はパンツ一丁で女性更衣室に突入させられたそうですから。それにカラオケボックスでギャングレイプしたり。日韓、あの国は二つそろって駄目なんですよ。中国や台湾では儒教制度は時代遅れなのに、日韓ではその悪しき伝統が残りDQNを助長していた。それで、十年以上前に渡米しました。

それに男尊女卑の影響で女の子はイジメられっ子を知らんぷり、しかも女の子たちは、DQNを称賛するばかり、だれも私をなぐさめてくれなかった、助けてくれなかった。弱々しくて、冷たい女の子が蔓延してました。彼女らはルーズソックスとポケベルに血迷い、憧れる男といえば、キムタクのようなDQNばかり。彼の切れやすい凶暴さに惚れてたのでしょう、まるで石原慎太郎とその弟裕次郎の古き悪しき伝統を引きずっているような。人を平気で殴るような男が賛美されるのです。ジャニーズは運動神経のいい、つまり体育会系のイケメン集団なのですから。お笑いでもそう、横山やすし、ビートたけし、そのまんま東や島田紳介のような平気で暴力事件を起こす輩が崇拝されるのが日本社会。DQNの最悪の社会は、ナチスでしょうね。ヒトラーは、
「ナチスに必要なのは人を殴れる人間だけだ!」
と言ってますから。暴力を振るえる人が称賛されたんです。ナチスと同盟を組んでいた軍国主義の日本も暴力を許容するファシズムの名残が残ってるんですよ、たとえGHQが第9条を日本にもたらしても。武装解除は人民レベルでまったく出来なかった、それが今の日本の膿みになってしまったんです。その最悪の結果がDQNの横暴です。私も日本でDQNに囲まれた生活をして来て、
「ああ、こういう奴らだったら南京虐殺をやりかねないなぁ」
と、南京虐殺事件が本当らしく思えて来ました。コンクリート詰めとかアメフト部のギャングレイプとかありましたからね。よって、DQNを蹴散らしてくれる強くて優しい美少女、それを求めた結果、私の目指す桃源郷は、三次元と言う日本の現実ではなく、二次元の萌え系アニメにいたったのです

日本のような土壌では、そのような女の子が出て来ることは難しいですからね。大相撲での表彰式に大阪知事を閉め出すという異常なことが通じてしまう社会なのですから、相撲協会なんて解散すればいいですよ、あんな腐った価値観しかもっていない腐敗したクソジジイのバカヤロウどもが仕切ってるスポーツなんて。DQNが仕切ってるんですよ、大相撲も。
日本文明の最も悪しき存在はオヤジとジジイでしょうね。
しかも高齢者社会になっちゃったから、あいつらはなかなか消えない。軍国教育を受けたものがまだしぶとく残ってる、三つ子の魂は百まで、オバマが言及した国粋主義者とまったく同じ心理です。日本の軍部なんてDQNの集まりで、それが政権を取ってたんですから、テロリストが政権を握って恐怖政治してたようなもん、そう、タリバンのような国家テロリズムが戦時中の日本だったんです。神風はテロリズムならではの自殺攻撃、それは自爆テロに受け継がれ、その最悪な結果が911でした。で、その時の精神を引き継いだDQNがまだ残ってる。DQNの影響が極めて濃厚、自民党でいえば、中曽根のようなもの。政治の毒。癌細胞です。DQNは極めて男尊女卑で、野蛮ですからね。それが国家を支配してる、官僚から自衛隊から警察から、教育現場まで。そして企業も。ぜんぶ体育会系なんですよ。ましてや、天皇制まで女性が閉め出されている。今の天皇制は明治のDQNが作ったんですから。そしてGHQのDQNがちょっと修正を加えただけです。小泉がその皇室のパターナリズムを消滅してくれると思いましたが、DQNが支配している議会や閣僚で、彼の意見が通ることは有り得ませんでした。郵政解散選挙と同じぐらいの意気込みで、皇室を改革して欲しかったんですけどね。先進国でもっともジェンダー平等が遅れていて、世界でも70位台ですから。そんな腐敗したところに住む意味がありません。つまり、日本の政治経済、防衛、公安、教育、すべてにおいてDQNが横行し腐敗してした。そんな国で生きていく選択は毛頭ありませんでした。それで、日本を捨てて、渡米しました。日本国憲法第22条第2項には、
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

と書いてあるのですから。

まあ、だから、DQNを犯罪者と見立てる風潮がないのがおかしいんですよ。だって、DQNが支配してるんですから、勝てば官軍ですよ、ソ連軍がドイツを占領してそうだったように。で、宮崎事件で、インドア系のおとなしい男は、性的犯罪の予備軍みたいに見られてしまったんですよ。性犯罪はDQNの方がずっと多いんですよ、ただ起訴されてないだけです。まるで連合軍が死刑にすべき裕仁を起訴しなかったようなもんです。本当に起訴されなければならない人間が起訴されない社会が日本です。で、スケープゴートでキモヲタが糾弾される。そりゃ、おとなしい男は、DQNの後ろに隠れてますからね。女の子の目にはつきにくいです。見えてないほうが、恐怖心は沸くものです。テロリストも実際生活では見当たらないですからね。DQNは目立ちますから。でも、DQNよりも女の子から見えない、接触機会がないキモヲタのほうに恐怖を感じるわけです。それで、それを尻目にDQNのような本当に凶暴で野蛮な奴らが次々と女をやってったわけです。レイプ犯罪者で一番多いのは女性と接触機会のある人間ですからね。キモヲタは女性との接点がないんですから、確率はDQNよりもはるかに低いです。それにキモヲタは性質がおとなしいですから、女性にデートを申し込むだけでも極度に緊張しますし、断られたらそれだけで落ち込んじゃいますからね。それが日本人女性から見たら「ヨワッチイ」と思うんでしょうけれども。そんな男の子でも好きになってくれる女の子は萌え系アニメぐらいですよ、『To LOVEる -とらぶる-,』のような。ああ、西蓮寺春菜ちゃん、かわいいよなぁ、10代後半の女の子に一番似合うあのショートなヘアスタイル、そしてヘアピン!!!あれは、
むかーかかぁぁああききくけっこー!!
と超ドストライク!しかも、とても優しそうだし。やっぱ日本人の子、かわいいですよ。ああ、なにしろそんなおとなしい性質の男の子を彼女はちゃんと「優しいんだね」と評価してるんですから!それがまた、ぐひぃいひびびびび。。。DQNを妄信的に賛美することはないですからねぇ。なんか、灼熱の砂漠の中のオアシス、そう、まさに核戦争で廃墟となった荒野に咲く一輪の花ですね!DQNみたいに、次から次へと悪徳セールスみたいに強制的に客が断れない状況を作り出して、女を犯していくみたいなことはしませんからね。

で、あいつらは、教室で、どんだけ女をイカせることができるか自慢し合ってました。まるで悪徳セールスでどんだけ客から金を騙し取ったかのように。で、しまいには、
「おい、オレまじで猿かと思ったよ」
て言ってましたね。自分の野蛮さが猿と同等であることは、ちゃんと認識しているようです。キモヲタが教室で話すことなんか、
「ベッドの下に隠してたエロ本がババアに見つかって、怒られたよ」
という次元でしたからね。しかも、そのエロ本は普通のAV女優の雑誌ではなく、やはりキモヲタだけあって、百合コミック、いわゆるレズビアンの性的謳歌、ガールズ・ラブのコミックでしたから。最近は、娘が腐女子になっても、母親がサポートする、というか一緒になってボーイズ・ラブのコミックを読んで興奮してるという家庭もある見たいですからね。親子で腐女子、時代は変わったんですね。男の子が嫌々ながら女装させられるという、それに女の子は「きいぇえええ!!!」ってなるんだって。腐女子の実態も知りたいなぁ、興味津々だなぁ、それにはやっぱ秋葉に行かないと。ああ秋葉に行きたい!私だって女装したいよ、宮小路瑞穂のように。で、日本には腐女子応援サイトまであります。しかしDQNにそんな豊かな感性はないでしょうね。男が「女装したい」なんていうのを聞いたら、殴り殺そうと思うんでしょうね、奴らは。かつてKKKが黒人をリンチしたように。

しかし、当時は、DQNのような野蛮な男がもっぱらモテたのです。そう、まるで梶原一騎の描いたスポコンの主人公たちのようです。梶原自体、DQNのはしくれでしたからね。猪木を監禁したぐらいに凶暴で野蛮ですから。誘拐して監禁するなんて、そのDQNぶりは北朝鮮工作員と同じですよ。そして、女の子は、そんな男を「こわいこわい」と言いながら、股を開くのです。アニメに美しさを感じた感性あるセンシティブな男には見向きもしない。

文化系、まあ、萌えフィギュア族でも、萌え系アニメヲタクでも、そのような男の子は相手にされなかった。とういうかまるで、性犯罪者として扱われていた。黙っていればキモオタ、告白しようと近づいたら変質者、でなんとか気持ちを伝えようとしたらストーカー。最悪です。ステレオタイプに惑わされてたんです。現実の女の子には、触れることすらできなかった。皮膚感覚が完全に欠落していた。ほんと窓から飛び降りたかったです。まあ、飛び降りる代わりに、飛行機に飛び乗って渡米したんですけどね。で、しかも、日本では、親しい女友だちでも、スキンシップがないですからね。タッチするといっても上腕が限界で、腰とか触れないですから。そんなんでは、本当男にとっては不健全です。モテない男は、さらにキモくなってしまいます。アニメの世界に亡命してしまうのです。だから、つまり日本ではDQNだけが女性に触れるのです。特に日本はスキンシップの欠落した文化、それもキモオタを助長するのです。

アメリカでは、スキンシップはありますが、実に形式的なものですね。握手ぐらいでしょう。アメリカの実体は清教徒倫理のネオリベラル社会ですからね。でも、ラテンアメリカ、特に南米になると、女の子は挨拶でもうガバって抱きついて、キスもします。ああ、ラテン文化、啓蒙でしたね!はじめっから南米に行っていれば!私のようなキモオタが女の子とスキンシップを取れたんですから。日本も明治までは、スキンシップ文化、とくにエロチシズムを謳歌したと言いますから、で、その文化は、現在は残念ながら二次元にしか見ることが出来ないのです。萌え系アニメぐらいです。よって現実でそれを追求するには、やはり南米ですね!

まあ、でも、萌え系が軍事に結びつくことはありえますね。軍事自体は国粋主義でもなんでもないですからね。エヴァンゲリオンも帝国海軍の軍艦をモデルにしてキャラ作りしてますし。私のクラスメイトも軍事オタクでした。でも、彼も私と同じく、おとなしかったため、DQNに常に暴力の脅威を受けてましたけどね。そして当然女の子に「キモイ」って避けられてました。女の子はDQNに洗脳され心理的に服従してるだけでしたから。まあ、だから軍事オタクが体育会系だとはかぎらないですね。でもなにより、軍服萌えも黄道ですからね。私も、テッサ大佐に一目惚れしちゃって…。で、古いアニメだとガンダムのマチルダ少尉に「くわぁぁきゃぁああ!!!」ってなりましたからね。あれがまさかアンパンマンの声だったとはがっかりです。機関車トーマスの声ですね。戸田恵子さん、『オーラの泉』で、化け物のような女にアドバイスを受けてました。でも、三島由紀夫は、彼女を「あれほど美しい人を見たことがない」と絶賛したようですから。三島由紀夫は、もともとはDQNではなかったんですが、どちらかというと現代のキモヲタに近かったと思いますが、ボディービルディングなんかやって、DQNが憧れる男になったというのもスゴいですね。いやー、しかしDQNに魂を売ってしまったのが、残念です。三島の美的感覚はわからない。まっ、でも私は、やはり16歳の美少女、それが私の理想です。ゲーテでいう永遠の女性像です。なにせ16歳が私の年齢なのですから。
永遠の16歳。そしてそれを手に入れること、それが、私の人生の目標です!
アメリカの独立宣言には、人は生まれもって幸福を追求する権利があるとされているのですから。

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【2008/04/22 03:03】 | 文化
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そういえば、三島由紀夫の小説で『仮面の告白』というのがありましたが、あれは主人公が自分がバイセクシュアルであることを告白するものですね。ということは、『キモメンの告白』の場合は、主人公が自分が本当はアンセクシュアル(Unsexual)、つまり隠れチェリーであることを告白するものになるのでしょう。

キモメンはキモイ面なので、英語に直訳すると、「Repulsive Mask」となります。つまり、セクシャルアピールがまったくないためにアンセクシャルとなり、不快感を起こすような容姿なので、キモメンなのです。「キモイ顔」がキモメンです。そう、日本書紀や古事記でも、国津神の葦原醜男(あしはらしこお)というキャラが出てきます。それは、大国主の別名というか通称というか、ヒップホップでいうAKAみたいなものです。それは、「葦原中国の醜い男」という意味です。でも、醜いことは、勇猛なこととされていたらしいです、少なくとも古代では。古代の価値観を復活させたいですね!つまり大国主は、キモメンだったのです。そして、大国主は、アマテラスが統治する高天原の遠征軍の天孫降臨によって、国を奪われてしまいます。つまり、キモメンの長は、悪玉として、ヒールとして、イケメンでベビーフェイスのアマテラス軍に成敗されてしまったのです。

そして、醜女(しこめ)というのが、女ヴァージョンのキモメンですね。古事記にイワナガヒメというキモメンキャラが登場します。アマテラスの子孫のニニギは姉妹を娶りますが(一夫多妻制)、その姉がイワナガヒメでした。妹はかわいかったのですが、姉の容姿は眼をつぶってもキモイほどて、とてもセックスできなかったそうです。だから、姉は初夜のときに、ニニギに部屋から追い出されてしまいました。プライドをズダズダにされた姉は、
「ムキー!ニニギめ。呪ってやる!」
とニニギと妹とその子々孫々に呪いをかけました。もちろん、その子孫となったのが、今の天皇家です。だから、天皇は代々に渡って寿命が短くなってしまったそうです。

つまり、もともと男のキモメンは勇猛なシンボルで、女のキモメンは長寿のシンボルだったのです。しかし、イケメン系のアマテラスの子孫は、醜男を追放して、さらに醜女に子どもを作らせませんでした。醜人は美人に断種されてしまったのです。そう、国津神を断種する計画が、葦原中国平定、または国譲りだったのです。国津神族絶滅計画、まさにユーゴスラビアの民族浄化さながらですね。

ということは、すでに日本の神話の時代から、キモメンは滅びる運命にあるということが記されているということです。辛い事実です。美=善、醜=悪という公式です。

さて、所変わって、世界のほうに眼を向けることにしましょう。西アフリカのバンバラ族の言い伝えでも、モーソ・コロニという女神がキモメンだったために男ができず、そのためにすべての男子に呪いをかけたそうです。その呪いをかけられた場所が包皮なので、すべての男子は割礼儀式を通過しなければいけなくなったそうです。それが、バンバラ族の割礼の起源です。

また、ワーグナーのオペラの『ニーベルンゲンの指輪』でもアルベリッヒというドワーフ(小人)がライン川の金髪の美女たちにまったく相手にされず、世界に対して呪いをかけるというものです。そして、鍛冶屋だったアルベリッヒはラインの黄金から呪いの指輪をつくり、それがラグナロークを誘発します。私もライン川の美女目当てにドイツに行ったのですが、ライン川はヨーロッパでもっとも汚染されている川の一つで、美女はどこにも見当たりませんでした。それがきっかけで、私は、環境保護を掲げる緑の党を支持するようになりました。当のアルベリッヒは英語でいうとオーベロンですが、シェークスピアの『真夏の夜の夢』で登場するオーベロンはひょうきんな妖精で、決してキモチビという陰鬱なキャラではありません。イギリスではコミカルなキャラが、ドイツでは悲劇のキャラになってしまうのも興味深いです。そこが、文化の違いでしょうか?

ニーチェは、ソクラテスの論理哲学のきっかけは、彼がキモメンだったからだとしています。それによって世界を論理という呪いにかけ、キリスト教という奴隷道徳の宗教が発生する土台を作ったとしています。しかし、それは古今東西、キモメンは迫害されてきたことを意味します。それは、美=善、醜=悪という公式を示唆しています。まるで、それが普遍的価値観であるように。

どころがどっこい、キモメンは、なんと古代日本では、きっとまだ古事記の神話の時代以前なのでしょうが、社会的に尊敬されていたようです。驚くべきことです。九州の遺跡のトンカラリンからは、変形した女性頭蓋骨が発掘されています。それを復元したら、キモメンとなりました。その女性は、付随していた装飾品から共同体の地位の高い巫女、またはシャーマンだったと推測されます。その女性は、きっと「葦原醜女」だったのでしょう。またペルーの遺跡でも、おなじく変形した頭蓋骨が発見されています。その人たちは、神事を司っていたとされています。つまりわざとキモメンにしたのでしょう。そこで推測されることは、古代では、醜いことは、なにか特別の力の現れだったとされていたということです。こちらの世界とあちらの世界を結ぶ架け橋のような存在だったのでしょう。それに、障害児や奇形児は、神の子と思われたようです。つまり、神から選ばれたので、その印として奇形になったというのです。醜男は、勇猛な男ですし、醜女は長寿の女です。それも、やはり神性なために、醜くなったという解釈によるものでしょう。現在でも、イタコは盲目の方がいますし、社会的弱者の障害者が神事に携わったという、つまり古代の社会福祉だったのかもしれません。というか、フーコーの言う「阿呆船」のような時代だったのかもしれません。現代で言えば、「キモ船」でしょう。その船には当然、キモメンも含まれてました。キモメンが真実を伝える、つまり神の言葉を伝えていたわけです。よって、葦原中国のリーダーはキモメンの葦原醜男だったのです。

しかし、今では、障害者やキモメンは、フリークショーという見せ物になりますし、おぞましきものを嘲笑するというコメディーという大衆娯楽になってしまい、それによって『オペラ座の怪人』の悲劇が生まれてしまいました。あのミュージカルはまさに「キモメンの告白」でした。キモ面の上に面をかぶっているのですから、つまり、仮面の上に仮面、ダブル・ペルソナとでもいいましょうか。そしてオペラ座の屋根裏または地下にひきこもってオペラに熱中するという、ひきこもりだったのです。キモオタもひきこもって、アニメに萌えますね。

そういえば、劇場型プロレスの『ハッスル』で、高田モンスター軍のニューリン様も、生まれた時から顔に怪我があったため、オペラ座の怪人のように仮面をかぶっています。そう、本来は母親のインリン様のような美人に生まれてくるはずだったのが、キモメンとなってしまったのです。だから、ニューリン様は、あそこまで凶暴な性格となったのでしょう。触れるものすべてを破壊し尽くさなければ気が済まないという。しかし、自分をキモメンにした張本人が高田総統だと知ったため、ニューリン様は総統を裏切って、小川直也の率いるハッスル軍に鞍替えします。そして高田帝国を破滅させることを誓います。

閑話休題、かつてのキモメンが社会的尊敬を得るという価値観は、たぶん天孫降臨の際に崩壊してしまったのでしょう。そのときからは、イケメンが葦原中国(日本)を君臨し統治し支配する世の中を作ってしまったのです。もし、キモ船の時代のままであったなら、イエスもシッダールタも出てこなかったのではないでしょうか。事実、出家する前のシッダールタはイケメンプリンスで、王宮のハーレムで美女とやりまくっていたのですから、キモメンとは対極の存在だったのであり、イケメンとキモメンの格差社会の象徴的な存在だったのです。その記号社会の頂点にいたわけですから。

高天原の軍団が築いた社会、それは今で言えばジャニーズのようなものでしょうか。それが行き過ぎれば、きっとナチスのような社会となってしまいます。理想のアーリア人にそぐわない人間は「汚物に息がつまる」くらい醜いとされ、断種の対象となってしまいます。事実、ナチスドイツでは、7万人の障害者が抹殺されました。現代日本では、ジェニーズがかつてのナチスのSS(親衛隊)のようなものでしょうか。そのようなジャニーズを頂点とした芸能人崇拝社会では、キモメンはおぞましきものとして、相手にされず、迫害されるだけなので、そのような過酷な現実から逃れるため、萌え系アニメに走るのです。それで、アニメオタクが誕生します。そして、キモメンとオタクがドッキングして、「キモオタ」となります。アニメは、まさにあちらの世界、つまり、古代のキモメンが担ってきた架け橋のように、現実と二次元世界の架け橋となっているのです。そう、萌え系アニメのキモオタは、国譲り以前の、真の古代日本の神事を引き継ぐシャーマンなのです!

現代の真のシャーマンはキモオタだー!

【2007/11/12 02:21】 | 文化
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クロワチアの女性が戦争にいく男にスカーフをまいたのがネクタイの始まりとされています。だから、スペイン語では、ネクタイは「corbata」となり、フランス語では、「cravate」となったのです。つまり、ネクタイは国家主義、国粋主義、国民主義のシンボルなのであり、戦争にいく男たちの愛国心の象徴なのです。そう、パトリオットの証なのです。そして、その最悪の結果が突撃隊のネクタイです。

ネクタイをすることによって、いや、つまり、女を作ることによって、ネクタイをしてくれる女性を作ることによって、はじめて守る人ができる、つまり、はじめて戦士として認められるのです。そうやって、国民の愛国心が刺激されてきたのです。だから、恋愛経験のない男は、戦士として認められない、闘うことが出来ない、命を捧げる覚悟をしたことがない、戦士として不適格、という身体検査の判断を下されてしまうのです。つまり、ネクタイをしていない男は、「非国民」と糾弾されるのです。そう、資本主義社会では、それは企業戦士となり、そこで男は戦士として適格かという判断を受けるのです。それで、結婚している人のほうが有利となるのです。隠れチェリーと恋愛経験ゼロのキモオタは、「非国民」なのです。

ネクタイは戦士の証、ナショナリズムの証、いや、ナショナリズムそのものです。愛する人を守るため、そのスカーフの持ち主を守るために、男は命を捧げるのです。犠牲精神こそが至高の愛なのです。だから、ロマンスと愛国心はセットとなっているのです。

だから、私はクールビズを絶賛するのです。あれは、国家主義を否定するものなのですから。事実、小泉は独身であり、ネクタイをしてくれる人は、存在しませんでした。よって、彼は腐敗した年功序列の日本社会をなんの未練もなく非情となって破壊することができました。彼には愛する女性がいなかったので、なにかを守る義務もなく、破壊に専念することができたのです。だから、彼はシステムの破壊者となり得たのです。私にもネクタイをする根拠がなく、その根拠となり得るものがだれもいない、だからこそ、私はネクタイをひどく毛嫌いするのです!ネクタイは国家への束縛への象徴、ネオリベラル資本主義社会の企業アメリカ、いわゆるコーポレート・アメリカへの束縛なのです。だからこそ、ネクタイを解くことこそが、自由の証であると私は主張するのであります!そのためには、結婚してなくても、恋愛してなくても人々がセックスの自由を謳歌できるように、人々の意識改革が求められるのです。つまり、ロマンスとセックスを分離することなのです!それこそ、国家主義の解体につながり、ネクタイという抑圧的な象徴から人々を解放することができるのです!

【2007/11/10 14:15】 | 文化
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私はパニックアタックを引き起こした。夜中に、急に起きてしまい、暗闇のなかで、淋しさが私を追い詰めた。いつもなら、ぐっすり眠れるのだが、今回はそうではなかった。秋寸前になって、急に冷え込んできたせいもあるのだろうか。「食欲の秋」というが、「性欲の秋」とも言われるし。私は「萌え」で、精神はなんとか埋め合わせができると思ってきたが、さすがに、「萌え」だけでは、皮膚感覚の欠如はどうしょうもできないということか。私は肉体と神経を持っているため、というか、それが私自身であるため、やはり肉体的な面での淋しさは、積もり積もって、それは、発作となって、夜中に現れてしまったのだろう。だから、iPodで、Yuriaの『Look at me』を聴いて、発作を乗りこえた。


あの、恋を切望するような現代的な優しい声、そしてエレキギターのカッティングの間奏は、本当に、私の淋しさを表しており、それをカタルシスにして、私の脳にシータ波を呼び起こし、瞑想状態となり、切ない余韻に浸った。ああいう歌い方は、日本にいたときは、聴いたことがなかったので、とても新鮮である。フェミニンならではの、空想的な声、最近のJポップはレベルがとても高くなってきたし、アニソンもそうである。これは、世界に誇れる日本の独自の文化と言ってもいいであろう。また、歌詞が本当に、素晴らしい、
だめね あなたの言葉が 胸を締め付ける
「気付いて…」心の中で ただ繰り返すだけ
そばにいて
見つめる視線が 熱くなる
いけない どうすればいいの?
教えてよ 神様

と、本当に、言葉(ことのは)ちゃんの心理状態をそのまま体現したかのようだ!「神様」というのが、いい。私は無神論者だ、「神」は人のセクシュアリティーを抑圧するために発明されたものだということに、私は賛成だ。だが、やはり、恋をすると、「神様・・・」ってなっちゃうんだ。それは、私もわかる。私の知り合いに元ギャングスターがいるが、あんな凶暴な人間でも、恋をすると、「I prayed to God to stop my heart from throbbing」という詩を書くぐらいであるから、それが、女の子となると、やはり、かわいい、かわいすぎる、ああ、もう萌え炸裂だ!

しかし、あれは、かなりまずかった。あのパニックはなんだったのだろうか。それは、ブリジット・ジョーンズの比ではない。彼女はセリーヌ・ディオンの『All by myself』の曲に合わせて、パジャマ姿で踊り、一人の寂しさの苦しみに耐えていたが、私には、アニメの「萌え」があるので、あそこまでの神経衰弱になることはないと思っていた。「萌え」で私は救われていると思ったのだが・・・。皮膚感覚、やはり、肉体あっての魂なのであろう。肉体あっての精神なのだろう。プラトニックというのは、ありえない。プラトンの影響を受けたキリスト教の二元論は空論である。肉体があってこそ、我々は存在するのである。だから、セックスは絶対なのである。ほとんどの宗教は肉体性を否定してきたが、その否定は有り得ないと思う。肉体がなければ、我々は無なのである。そう、精神性も肉体に属するのだ。しかし、女の子はどうなのだろうか。肉体のマグワイ、つまりセックスが絶対ではないのか?人それぞれか、でも、私はセックスがなければ、ニヒルだ。マグワイはお互いの肉体の承認なのだから。デカルトは「Cogito Ergo Sum(我考える故に我有り)」と言ったが、私は「Coqueto Ergo Sum(我色情する故に我有り)」であろう。それが、私の実存である。その実存をどこにもぶつけることができないために、パニックに陥ったのだろう。このパニックも女性との皮膚感覚の欠落からであろう。いくら真言(マントラ)を唱えても、その不安は消えなかった。それが、私の精神運動制止の原因だと思われる。

安倍晋三も、精神運動制止にかかったとされる。だから、ポッキリ折れた。また、安倍は自己愛性パーソナリティーの傾向にあるのだという。しかし、私はそのような人格障害はない。私が目指しているものはただ一つ、女性の承認である。しかし、私も、あれだけ、女性に拒絶されたら、もうどうでもいいや、と思ってしまい、自暴自棄になって、すべてを投げ出してしまおうとさえ思った。なにもかもが嫌になり、人に会うのが嫌になり、引きこもりたいとさえ思った。だから私も、ポッキリと逝きかけた。

そんなとき、このアルバムが来た。まさに、地獄で仏に会ったような、それだけ感激した。ぼくは、桂言葉ちゃんの大ファンで、というか、ぼくほど、彼女を理解している人間はいないので、この悲壮感溢れるエンディングソングを聴くと、それこそ、言葉ちゃんの苦痛が眼に浮かんできて、悲劇的な情景が、私を煩わる。全般にこのアルバムの曲はいいが、私のお気に入りの曲は、yozucaの『記憶の海』だ。あとは、Yuriaの『look at me』である。

あの、言葉ちゃんの、通学電車での恋は、本当に日本の学園文化ならではで、もう、二度とあの青春時代に戻れないと思うと、本当に、すべてが悲観的に思えてくる。まさに、失学園だ。そう、『School Days』のオープニングでの、44秒目での、言葉ちゃんの「背中腰に声かけたの、今は心の中で」という、あの歌と同時に、言葉ちゃんがうつむいてから「上を向いて歩こう」みたいな、顔を笑顔で上げるという、ああ、なんてかわいいんだ!しかも、彼女は、髪の毛も長くて美しく、ほんと大和撫子的な、おっとりとした、丁寧で、思いやりのある、やさしい女の子で、もし、あんな子が、私に「好きです」と告白してきたなら、もう私は、その場に崩れ落ちで、彼女の手を取って、
本当に、どうもありがとー!
と涙を流して感動していたことであろう。

私は、日本の学園で、彼女のような子に一度も会ったことはなかった。だから、アニメなのだろう。現実には存在しない女性。それは、まるでドストエフスキーの『罪と罰』でのソーニャのごとくである。ソーニャは、いわゆる「素人処女」であった。それは、『タクシードライバー』のジョディーフォスターにも当てはまる。だから、彼女には神聖さがあった。しかし、それは、キリスト教原理に基づく古びた解釈であり、私は「処女・乙女」の定義をデコンストラクトする。私にとっては、結婚をベースにした関係でなければ、いわゆる資本主義国家体制に毒されていない情事は、処女と童貞ということであり、いや、日本語では響きが悪い、というか、英語では「ヴァージン」か「メイド」である。それならば、性差別はない。それは、もともとは「独身」という意味である。つまり、ヴァージンの邦訳を「処女」ではなくて、「独身」にすればいいのである。イエスも「メイド」と呼ばれていた。だから、独身である私はメイドなのである。メイド喫茶は独身のための喫茶なのだ。だから、独身女性は、すべて神聖なのである。それは、性体験があるか否かで、処女性が決まるのではなく、結婚しているか否かで、処女か既婚かという二項対立概念こそが、真如なのである。小泉は離婚して独身となったので、彼はメイドでありヴァージンである。性体験によって処女性が決まるようになったのは、キリスト教が、性を敵視したからである。というか、最大の原因は、キリスト教が、セックスは結婚内にとどめるものだという言説をブチ蒔いたからである。だから、ヴァージンは未婚と同時に、性体験のない人のことを意味し、初夜によって初体験するというマニュアルができてしまったのだ。そのPSTDが、未だに欧米社会では、引きずられているのである。しかし、少なくとも、もともと、日本では、女性シャーマン、巫女(現代ではメイド喫茶のメイドたんか?)になるには、性体験の有無ではなく、結婚してないことが条件であった。性は問題ではなかったのだ。日本で少なくとも庶民の間で、性体験が問題視されるようになったのは、明治時代からである。だから、再び、ヴァージンが性体験の有無で、評価されるのではなく、結婚していないことでヴァージニティーが評価されるようにしなければならない。

そのためには、セクシュアリティーの解放が必至である。しかし、キリスト教原理主義の右翼は、セクシュアリティーは解放され過ぎ、いわゆる、彼らは、それを「解放」とは呼ばず、「乱れ」と蔑むのである。彼らはそうやって言葉をすり替え、言説によって弾圧する。ちょうど、彼らが女性の中絶の権利に反対するときに、「pro-life」と使ったように。その彼らの言説の才能には驚かされるが、そのディスクール、エクリチュールに惑わされないためにも、我々は独自の言葉を発明しなければならないのだ。たとえば、中絶の権利擁護派は、「pro-choice」というように。しかし、キリスト教原理主義者たちは、クリントン政権のときから、
「アメリカの性が乱れている、モラリティーが低下している」
と嘆いてきた。そして、ブッシュに強くロビーして、「結婚までの貞潔」を大統領が発言するにいたった。それは、アメリカの根本である個人の自由、セクシュアリティーの自由に反する発言であろう。それに、本当に彼らが主張するように性が解放されているのならば、私だって、とっくにそれに肖っているはずである。だが、どうして私のセクシュアリティーの解放が実現しないか、それは、男性至上主義的清教徒倫理的資本主義に人々が抑圧されているからである。性が「乱れ」ているのは、実際は資本主義の勝ち組だけである。メルセデスやベンベを所有している金持ちの男である。だから、勝ち組のテッド・ハガードのように、「ホモセクシャルは地獄に堕ちる」と言いながら、彼自身の性が「乱れ」ていたのである。つまり一番乱せることができるのは、金持ちであるが、その金持ちが、今度は庶民にセクシュアリティーの抑圧を強制するのである。それに、プロレタリアートは、一生かかっても「乱れ」は経験できない。ビルを払うのに精一杯だからだ。そして、その資本主義の勝ち組の言説は、「乱れ」は特権階級にしか享受できない、という差別化を計ろうとする魂胆である。シッダールタが王子時代に王子専用の雨期のハーレムで「乱れ」を享受しておきながら、五戒の一つであるbrahmacaryaを説くようなものである。つまり、ネオリベラル資本主義社会では、男が「乱れ」または「解放」を、金で買い取る社会なのである。それは、「解放」ではない。それこそが本当のイエスのいうところの偽善である。キリスト教原理主義者はパリサイ派なのである。実際は、性は「乱れ」ていないのである。それは、彼らが、クリストファシズムの政策を実現しようとする手段でしかない。しかし、セクシュアリティーの解放には、なにが先行されるか。それは、女性の解放である。男根至上主義の打破である。ファロゴセントリズムの打破である。彼女らを解放しなければならないのだ。

馬鹿なことに、ほとんどの女性は年上の男性を選ぶ。なぜ、年下と恋愛をしないのだろうか。それは、資本主義が男性至上主義を元にしているからである。駆け出しの男性は金がない。ホリエモンのようなよほどの金持ちでないかぎり、ほとんどの若い男はベンツに手は出ないだろう。だから、若い男は、同世代の女性に相手にされないのだ。特に結婚市場では同年齢の男はまったくだめである。資本主義に出たとたんに、女性は同世代の男性に対して冷たくなる。そして、年下の男性にたいしてはなおさらである。だから、男はある程度経済力がついたときには、すでにクソジジイであり、彼らは、若い女性を誑かすのである。だが、女性は、経済力が自立する前に、結婚してしまうのだ。つまり、女性に経済力がそれほどともわなくても、デートできるのである。なぜなら、デートでは、すべて男が負担するからである。そして、金持ちの男が、というか、その女性よりも経済力のある男性が、その女を魅了するのである。だから、ジジイが有利であるに決まっているのだ。そう、我々若者にとっては、ジジイとオヤジが、打破しなければいけない最大の敵なのである。しかし、経済力のない男はデートできない。若い男は大抵経済力がないのがオチだ。一回のデートで、ブロークになってしまうのでは、まったく光は見えてこない。

そもそも、なぜ女性はデートで、奢らないのであろうか。すべて、男性に奢らせるのか?なぜダッチになろうとしないのか。年齢、学歴が自分よりも低い男に興味を示さないのはなぜか。サマンサ・ジョーンズやミランダ・ホッブスのような、経済力が自分よりも低い若い男に興味を示す女性はいないのだろうか。あれは、最先端のニューヨークだから起こったようなもので、あのような男は、中西部では「pussy」と言って、蔑まれてしまうのである。女性にリードされる男は、マッチョ社会のアメリカでは、「pussy」となってしまうのだ。また、女性も、そんな男は、「へなちょこ、弱っちい」だと言って、相手にもしない。そう、彼女らも、男権至上主義に洗脳されているために、そういう考え方になってしまっているのである。それは、男性差別である。つまり、ジェンダーの役割がキリスト教によって固定化されてしまっているのだ。パウロの「男は家族の長であるべき」という言説に抑圧されてしまっているのである。セックスでも、イザナミからイザナギに声をかけてはいけないのである。新約聖書だけでなく、日本書紀まで男権至上主義の言説で書かれてしまっているのである。社会的地位の高い女性が、年齢の低い男性とはデートしたがらないのは、そういうマニュアルができてしまっているからである。それは、男権至上主義的資本主義の洗脳である。だから、その洗脳を解くには、男権至上主義的資本主義の消費社会の言説の打破である。宗教は阿片なのだ。そう、阿片で女性の脳を薬漬けにして、ヘッドギアをつけて洗脳するのである。オウムのように。そうやって、女性の性行動を決定づけるのである。つまり、セクシュアリティーのコントロールなのである。それが宗教である。だから、私は宗教を打破すれば、セクシュアリティーは解放されると訴えるのだ。

だから、高校の恋愛はいい、資本主義に冒されていないというのがいい。金銭も、ダッチだし、経済力を見せつけることもない。大人の社会は消費型表層社会であり、すべては、マニュアルという言説に従って恋愛も進むだけである。そして、どんな服を着ているか、流行の最先端にいるか、どんなブランドもののバッグを持っているか、どんな車に乗っているかで、大抵は判断されてしまう。どんな高級なレストランに連れて行ってもらえるか。マリリン・モンロー的に言えば、男がヨットを持っているか?ケネディーと不倫したように。そう、学園の恋愛は金銭では判断されないので、それは、共産主義的恋愛に近いのだ。車社会のアメリカでは、あんな恋は、ない。車が、すでに記号となってしまうのである。少なくとも日本の学園は、電車での恋が基本であり、それは地球環境にも優しく、排気ガスは出ない。とくに、ロスでは、スモッグがダウンタウンを覆い尽くしている。だから、16歳に戻って、電車での恋をしたい。『School Days』の女子高生は、ブランドバッグも、ルーズソックスも、持っていないし、茶髪でもないし、ポケベルも持っていないし、援助交際もしていないし、当時の資本主義によって開拓され搾取されてしまった女子高生の面影はない。あのときは、女子高生が、資本主義のシステムに組み込まれてしまったのが、とても耐えられなかった。資本主義の恋愛システムそのものが、巨大な援助交際なのだから。だから、私の学園での純粋な恋愛は胡蝶の夢となってしまった。たった16歳で女子は資本主義に冒されてしまったのである。私は、その世代なのだ。だから、それが消滅し、ゴア革命による携帯による恋愛、それを私は望んである。それをシクスティーン・フォーエヴァー。その願望というか、後悔が私を苛ます。そして、この「記憶の海」を聴いて、センチメンタル、いわゆる感傷に浸るのだ!そして、資本主義から脱却した女性は、私を見てくれるだろう。そうすれば、私は再び青春を回復できるのだ!

そう、女性の承認である。女性に見てもらいたい。『School days』は恋愛が女性主導だった。それが、素晴らしい。

あああ、16歳に戻りたい!Look at me!


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【2007/09/22 10:59】 | 文化
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ブリジット・ジョーンズの日記』のこのオープニング。ああ、これはまさに私だ。私は、いつも一人っきりの部屋で、私の好きな音楽に合わせて、踊り、手を振り、また、ドラムを叩く仕草をして、熱狂の余韻に浸るのである。最近では、酒はまったくやめてしまったが、以前までは、私はビールやワインを飲みながら、夜一人で、自分の部屋にこもって、寝る前に、パジャマ姿で、このようなことをしていた。
「All by myself!」
と歌い上げるあの声、熱唱に心を同化させて、様々なストレス、いや、人生そのものの苦痛を昇華させるという、私は、今でもそういうことをしているのだ。私はワーグナーをかつて崇拝していたので、ワーグナーの楽曲を大音量にして、指揮者気分で、手を振って体を振っていた。そして、首と縦に降って、髪を乱れさせ、メガロマニア状態となった。

現代の指導者でも、このような人がいた。それが、小泉純一郎だ。私は、あのエルビスの聖地、メッカのグレースランドでの、小泉のパフォーマンスがとても強烈で、今でも鮮明に覚えている。彼も、また独身であり、独身はやはり自己陶酔に陥りやすいのかもしれない。しかも、ブッシュ夫妻の前で、そしてプレスリーの妻と娘の前でである。まあ、娘のリサ・プレスリーは、あの80年代のポップ王、マイケル・ジャクソンの元妻である。つまり、ロック王の娘と、ポップ王が結婚したのである。キング・オブ・ロックの娘と、キング・オブ・ポップの結婚、それは、アメリカ中の話題をさらった。それは、『You are not alone』のビデオクリックで確認できる。マイケルとリサの夫婦が、ヌードで、出演している。しかし、これは人種ジョークでちょっといけないのだが、マイケルは黒人なのに、白人のリサよりも色が白いとは、いったいどういうことなのだろうか?リサが茶色がかって見えるのは、気のせいだろうか。あまりにもマイケルが白いためであろうか?不可思議だ。

しかし、そういう独身が日本の指導者となったことは、注目されるべきことである。最近では、独身が増えた。晩婚化で少子化、それに30代になっても未婚女性と男性が増えている。それは、結婚に対する信念が弱まったことと、女性の社会進出のためである。そう、これからは、独身の時代なのである。メイドの時代、ヴァージンの時代なのだ。そういう人間が、日本の社会システムの根本を叩き潰してくれることに大きく熱狂した。いずれ、彼らは結婚制度そのものを破壊してくれるであろう。

私にとって、日本はとても息苦しかった。中学でのDQNによるイジメ、女子に「変態」または「キモオタ」扱いされ、教諭の理不尽さ、親の干渉、それが原点となり、高校では引きこもりとなり、そして旧態依然の自民党の腐敗政治に対する怒り、年功序列というゲロ同然の制度を採用する企業、オウムなどのカルト、ヤクザ、右翼などのテロリスト集団、そんな憲法の原理に反するような暴力団が野放し状態になっているという腐敗した社会、財官政の癒着、不平等な言葉遣い、お辞儀という馬鹿げた習慣、夫婦別姓が認められない戸籍制度をベースにした結婚、私生児への差別、坊主の葬式詐欺、日本は言語、文化、宗教、政治、経済の随所において腐敗していた。しかし私はこの社会に対する復讐よりも、渡米を選んだ。でなければ、革命家といえども、一人で革命を起こしたならば、それは犯罪となり、犯罪者となっていたであろう。だから、小泉が出てきたときは、その腐敗したシステムそのものを破壊してくれるビシュヌ神のような人物が現れたのだ、と思った。その勢いで、自民党を粉砕してくれるとさえ思った。都会の独身者たちのルサンチマンが生んだアーキタイプが小泉だったのかもしれない。

だから、彼が、グレースランドでパフォーマンスをしたときは、
「ああ、オレと一緒だ!」
と叫んでしまった。ブリジット・ジョーンズ、小泉はともに2000年代初期に出現した文化的アイコンである。いやゆる女性も男性も「一匹狼」的な人間が、これからの主流になってきたのである。彼らが、登場してきたということは、文化的にそういう土壌が形成されたという証でもあろう。また『セックス・アンド・ザ・シティー』のニューヨークの30代と40代のスーパーキャリアガールズの独身女性の活躍は、著しいものであった。それは、西ヨーロッパ、北欧、アメリカで、とくにトレンドとなっており、日本でも、そうであろう。なにせ、30代の女性向けに、ファッションが発信されるというところは、世界でも、ロンドン、パリ、ミラノ、ニューヨーク、東京ぐらいであろうか。そして、その一つの都市から、小泉が出てきたということは、まさしく時代の寵児ともいうべき存在であった。

そして、『All by myself』と『You are not alone』は完璧な対をなしているはずである。それを聴いて、独身は、自慰するのである。本当はrefugeeがいいにもかかわらず。しかし、やはり、独身の心の支えとなるものは、「萌え」であろう。

【2007/08/24 10:54】 | 文化
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ああ、スカート穿きたいなぁ。
4月1日はエイプリル・フールで、昨日は新月で、今日から Passover(過ぎ越し祭)か。ユダヤ人がモーゼによって出エジプトしたことを祝う時期である。で、イエスもこの時期に処刑されたんだっけ?ついでに4月4日はトランスジェンダーの日、いわゆる軽蔑的に言えば、「オカマの日」ときくし、日本だけじゃないの、それって。まあ、今はキリスト教徒やユダヤ教徒にとっては、忙しい時期なのだが、猫も夜中にとても忙しいみたいでギャーギャー騒がしく、眠れないので、
「くそ猫ども!シャタップ!オレだってファックしてえんだよ!」
とアパートの前で興奮していた猫たちを追い払った。私も忙しく、風邪を引いてから、1週間、ようやく直ってきたところで、面倒な税金申告を済ませ、ついでにインターネットで選挙登録を済ませた。引っ越したらかならず、州政府に再登録しなければいけないのだ。さあ、カリフォルニアでは、18歳以上ならばインターネットで選挙人として登録手続きすることができる。こちらがそのカリフォルニア州州務長官のサイトであり、ここにその手順が載っている。そこにはちゃんと18歳以上と記載されてあるのだ。でも、どうして女性はいちいち「Mrs, Miss, Ms.」から選ばなきゃいけないのだ。そんな結婚しているかしてないか、なんでそんなことを政府は知りたがるのだ。男はただ一つ、「ミスター」だけではないか。そんなの廃止するべきだ。Mrsなんて、ゴキブリの羽音がするような響きだ。嘔吐させるだけだ、そんな言葉を聞いたら。しかし、それ以外ならばいいであろう。

それはさておき、さすがはアメリカ、高校3年でもう政治参加ができるという、とても進んでいる。日本では20歳であり、ティーネージャーは投票できないのだ。アメリカでは18歳で大人だが、1989年に生まれた人が、今年で18歳なのである。平成元年に生まれた人だ。やべっ、冷戦が終わった年にうまれた人が、もう選挙に投票できる?やめてよ。ちょっと待ってくれ〜!なんなんだ、それは。だから、できれば私は平成時代に生まれたかったのだ。昭和という腐敗した軍国主義時代、後進的な時代に生まれたのは不幸としか言いようがない。「昭和生まれ」というだけで、もう終わっているような気がして・・・。そういえば、ゴア革命がスタートした1991年に生まれた奴らがもう16歳、萌果ちゃんと同じ年ではないかー!そう、カリフォルニアでは、すでに車を運転できる、運転免許が取得できる年なのだ。そして、そいつらは、あと二年で、政治参加できてしまう!!!いいなぁ、アメリカの高校生は政治参加ができるんだもんなぁ。私なんか、腐り切った先公どもをやめさせようと思っても、できなかったからなぁ。マイケル・ムーアも、高校生で教育幹部に立候補して、当選し、校長を辞職に追い込んだそうだし。私も選挙に出れるんだったら、絶対に出て、当選したら、校長、教頭、あとすべて腹が立った教師をやめさせていたのに。クズどもを教育界から永遠に追放していたのに。日本には高校生には発言権がないからなぁ、不公平だ。まったく民主主義的とは思えないのだ。アメリカの教育幹部は市民の選挙によって選ばれるからね。まあ、少なくとも、ロサンゼルスの政治はそうだ。アメリカの団塊の世代か、厳しいね。半分以上がブッシュ支持だとは、まったく、彼らは老いた。もう感覚がずれてるよ。60年代にセックス革命を起こした世代なのに、どうしてこうもまで保守的な大統領を支持してしまったのだろうか。これですっかり年長者に対する尊敬の念が砕かれたね。まったく、年長者を敬えという儒教の根拠はこれで完璧に崩れ去ったよ。老馬の智というのは、正しくないね。麒麟も老いては駑馬に劣るのだ。やはり、若くなれば若くなるほど、どんどん良くなっていくということだ。見よ、歴史を。人権思想、公民権運動、女性解放運動、ホモセクシャルの権利拡張、すべて若者の力である。だから私は年を取りたくない。「若者」から老化のせいで脱落したくないのだ。いやだ。助けて〜。想像しただけでも鬱病に陥ってしまう。ああ、いつまでも若くいたーい!!!

ああ、いやだ。年を取りたくない、絶対に。頑固ジジイだけにはなりたくない。そんなことになるぐらいなら、死んだ方がましだ。永遠に若く健康でい続けたい。なぜだ。なぜ老化などあるのだ。神を恨む。聖書では、知恵の実を食べたから、罰として死ぬようになっただぁ?ふざけるんじゃねぇ!そんな馬鹿げた話、信じられるか!そして命の実を食えないようにした?だったら食えるようにすりゃいいじゃねえか。そうだ、生命の果実とは、遺伝子工学だ。その発展が私の唯一の希望だ。CO2による地球温暖化は私の生命、そして美女の生命を脅かす。だから、私はゴアの運動を支持する。地球の環境が破壊されたらもとも子もない。人間が生きていけないのだから、どうやってセックスできようか。だから私はヒラリーの国民健康保険にも大賛成だ。保険がなかったら、医療費は馬鹿みたいに高くて、とてもクレジットカードでは払えない。犯罪だよ、あの馬鹿げたコストは。それに社会契約者が人民の健康と生命を守らないとはどいういうことなんだ。四千九百万人が保険がないなんて。不条理だ。それに、命あっての物種だ。命あってのセックスだ。死んで花実が咲くものか。セックスができなければ一体何のために生まれてきたというんだ。日本を捨ててまで、決死の覚悟でアメリカに来て、アメリカ市民になった理由がズダズダになってしまうではないか。自由を謳歌できないなんて。「自由の国」ではないのか。セックスは生きている証だ。それはまさしく自由の証だ!僕らはみんな生きている、生きているからセックスするんだ。デカルトは、
「我考える故に我有り」
と言ったが、私は、
「我セックスする故に我有り」
とするのである。それが生きてる証だ!

イエスの証は奇跡だった、病人をスキンシップで治したり、なんと自分自身まで処刑されたのにも関わらず復活したのだ。その復活祭は今週の日曜日だ。私はキリスト教が大嫌いだが、永遠の命を手に入れた第一号の人間を祝いたいと思う。私だって不死身になりたいのだから。アダムとイブ以来、人間は不死身ではなくなったんだから、それをイエスは克服して見せてくれたのだから。そうだ、スキンシップだ、イエスの証の引き金となったのは、それで病人は癒された。ある女性はイエスの裾にちょっと触れただけで、病気がたちまち直ってしまい、イエスは、
私に触れたのはだれだ。エネルギーが私から抜けていくのを感じだ(ルカによる福音書8章45−46節)」
と言っているのだから。まさに鎧袖一触さながらの、エネルギーだ。そう、つまり、スキンシップが、接触が癒しの原理なのである。私だって美女からエネルギーをもらいたい。道教ではないが、女性の陰の力をもらいたい。その無制限のエネルギーにアクセスしたい。道教では男性の陽の力は、女性の陰のエネルギーに絶えず接触していないと、衰えてしまうそうだからね。でも、イエスは男性であっても無限のエネルギーを持っていたから、特別だったんだろうけどね。でも、そういう特別な男って生け贄になることが多いからねぇ。オルフェウスもあばずれ女たちに八つ裂きにされたんだし。ラスプーチンもそうだし。イエスも実際に十字架にかかったんだし。力を持った男って結構悲惨な運命をたどるからなぁ。そういう男性は女性エネルギーなしでやっていけるから、女性が必要ないと言い出しかねないね。だから、彼らは我々のセクシュアリティの脅威となるのだ。だが、そんな人は一握りだというのに、その人たちがセックスを禁止するような言説を振りまくとどうなるか。いまの日本のようになるのである。恋愛によってセックスが縛られてしまうのだ。しかし、それは私のような凡人では到底やっていけない。女性エネルギーなしでは、死んでしまうのだから!とても窮屈で不自由な世界、女性エネルギーにアクセスできない世界。無限の女性エネルギーがなければ生きていけない。だから、私は女性と抱き合いたい。抱擁しなければいけないんだ。女性は無限のエネルギーを持っているのだから。男なんかと抱き合えるか。男と抱き合ったところで、死ぬだけではないか。いや、たとえイエスのような無限の力があっても、陽と陽同士、反発するだけで、そのエネルギーは危険な核爆発を引き起こす。だから、男は大嫌いだ。よってイエスは嫌いだ。シッダールタも嫌いだ。ジョンレノンも嫌いだ。アル・ゴアも嫌いだ。私自身も嫌いだ。一番嫌いのはやはり私自身だ。だから女装してやる。そして瑞穂ちゃんのように、女装して、女の子たちとスキンシップを取って、永遠の命を得たい。それが不死身への道である。イエスも女装していれば、生け贄にならずに済んだのに。無限の力を持った人間同士、いいじゃん、楽しくて。男のままでいるから、殺されるんだ。でも、私は衰えを感じている。ああ、特別な能力を持っていなかったんだなぁ、マイケル・ジャクソンみたいな。だから、力のない私に、女性の、とくに美女とのスキンシップがアダルト・ティーネージャーである私の荒んだ心を癒してくれるのだ。しかし、そのスキンシップが喪失した世界なんて。究極のスキンシップであるセックスのできない世界など死んだも同然。窓から飛び降りるしかない。

せっかく風邪が完治したんだ。だったら美女とのスキンシップが私を歓迎してもいいんじゃないの?苦痛だ、こんなの、本当に苦しくて苦しくて仕方がない、だれにもtake careされないなんて。だれにも看病してもらえなかった、というより、だれも看病してくれなかった、一人でベッドの上で闘病するなんて。こんなときこそ、美女の看病、癒し系の萌果ちゃんの存在が必要だというのに!女性エネルギー満ちあふれるお巫女さんである萌果ちゃんのスキンシップが必要だというのに!この空しさ、女性とのスキンシップ、包括的なスキンシップ、梵我一如のスキンシップ。せっかく生還したのに、冷たくあしらわれるなんて、そんな馬鹿なぁ!まるで「七月四日に生まれて」の主人公の心境だ。

夜這いの民俗学』を読むと、日本はセクシュアリティの国であったということは確かだ。明治政府の責任だ、童貞処女観念をヨーロッパから持ち込んだのは。つまり、世界で日本人はスキンシップを取らない民族だと思われているのは、近代ヨーロッパ化した日本人なのである。キリスト教の恋愛主義結婚が伝染病のように増殖し、ましてや戸籍制度というふざけた野蛮な制度を強制し、「入籍」というゴキブリの羽音と同じほど吐き気を誘発されるような言説を築いてしまった明治政府の功罪はあまりにも大きい。「入籍」した人間は、他者とのセクシュアリティを排除されるのだ。結婚がセクシュアリティを縛るなど、そんなふざけたことはない。妻がいようが夫がい