エキストラの事務所にて
さて、先日は、バーバンクに行って、エキストラの事務所に登録して参りました。しかし、こういうのは、まったくのはじめてなので、少々緊張した、というか、ガチガチでした。まあ、ただ登録するだけだから、緊張するところなんて、まったくないんだけど、あそこが縮みまくってたので、キネシオロジカルに体は正直で、それほどまでに緊張してたのです。映画産業って、私とは、まったく無縁の世界ですからね。まるで一人だけヴァージンが紛れ込んでしまったという心境ですね。

さて、やはり写真撮影がありました。ヘッドショットといわれるものです。まっ、そのときのスマイルというのがわからない。やはり、ここはお忙しいところ同行していただいたアクション俳優である師Lanceさんに助言を仰ぎました。スマイルは「自然に」とのことです。しかし、自然というのが、とても難しい。自然のスマイルを作り出すのですから。つまり、演技というのは、演技なのです。本物ではないのです。しかし、それを本当のように見せる、自然のように見せる、そこは、「やはり俳優はスゴい」という畏敬の念を生じさせました。

レーガンもスゴいんですね。あの人は、手品師ですよ。だって、映画も嘘だってわかってても、名作にもなると、俳優が演技してるとうい意識がなくなりますからね、本当に見えてしまうんです。いつの間にか本物だと信じてしまう。それは、マジックにいくらトリックがあるってわかってても、観衆のなかで、肉眼で見ると、それは本当の事象に見えてしまうようなものです。魔導師はスゴいです。レーガンが語る「強いアメリカを復活させる!」というのが本当に聞こえたんです。小泉も演出の天才です。国民は、やはり嘘だとわかってても、信じてしまったんでしょう。手品ですよ。そういう面があったんですよ、小泉劇場というのは。そこが劇場型政治の恐ろしいところです。誤魔化されてしまうんです。郵政民営化をやれば、すべては解決されるという、そんなのはみんな嘘だとわかっていても、小泉自民党は大勝してしまうんです。魔導師というか偉大なる詐欺師です。でも、日本でああいう魔術師が出てくるのは本当特殊でしたね。魔術を使える政治家は、あの人ぐらいでしたから。まるで集団催眠でしたよ。でも、小泉が消えてよかった、手品が消えて。まるで目の前でパチンと指を鳴らして一気に催眠術が解けたように年金問題が噴出し、参議院で自民党が大敗したのですから。

まっ、話は戻して、で事務所は平日だというのに人が込んでましたね。行列ができてましたから、まるでDMV(自動車免許更新所)のような。それにしてもアメリカ人は、やはり背が高い。っていうか、アメリカ人から見たら、私が背が低いのか?みんな立ってると前が見えない。それも現実を直視させられる事態でしたね。そこの人たちは、やっぱ見かけも良かったですよ。自分の外見に自信がある人たちでしたね。中には「浪人」という漢字を自慢げに腕にタトゥーしている白人男性もいました。それほど体に自信があるのです。キモイ人はいませんでした。まっ、私ぐらいでしたね、あのなかでキモかったのは。

少なくとも、彼らは人口の70%がオーバーウェイトである典型的な米国人ではなかったですから、スタイルもよかったし、男も女から見たらモテそうなのは、いくらかいました。体育会系のDQNという感じでしたけどね、私にとっては。アメリカの女は筋肉質なのを好みますからね、洗脳されてるんですよ。ヒトラーの美的感覚と同じなんですよ。三島由紀夫のと同じなんですよ。三島もヒトラーを「わが友」と呼んでましたからね。DQNの美的感覚を称賛し、二人ともDQNの長になった。あの二人はもともと体育会系ではなかったのに…。アメリカも大統領に軍人出身が多いのも、そういうわけなんです。本当は、筋肉質じゃなくても、カッコいいはずなのに…。萌え系アニメでは、背が低くて痩せっぽちな男の子がモテるのに。

女の子も手術してまで豊胸する、あの気持ち悪いぐらいの馬鹿でかいバスト、逆三角のマッチョマンに巨乳女、それがアメリカ人の理想なんでしょうね。で、チンコも巨大でなければ行けない。私の迷惑メールのほとんどが、ペニス巨大化商品です。なんでも大きくないと行けない。女の子の迷惑マールは、豊胸商品なんでしょうね。Big is beautiful.なんですね。日本の「小さきものはいとかわいし」とは正反対なんです。この国はおかしい。間違ってるんだよ。そんなんでは、小柄な東洋人の男は駄目です。私もブロンドの綺麗な女の子から、
「アジアの男ってペニスが小さいのよね」
と言われたことがありますから。ショックでしたよ…その次の日は線路の上に立ってましたからね。あれで、アーリア人のbig is beautifulの神話を本気で解体したいと思うようになりました。ハリウッドに蔓延る白人男性至上主義を打破することを誓ったのです。だから、yellowworld.orgの運動を支持するようになりました。アメリカ人の美的感覚がハリウッドの独占市場によって開発されるので、その開発独裁を崩壊させるためにも、もっと萌え系アニメを広げなければなりません。それによって、小さい人も性的対象になるようにするのです。つまりセクシュアリティーの解放なのです。

乃絵タンのような小さい子が称賛されることを目指す。だから『アメリカン・アイドル』でラミエルが出て来た時は、本気で応援したんですけどね。いやー、現実の子で、あれほど萌えたのは、ラミエルぐらいでしたねー、へへへへっへ。ラミエルタンは乃絵タンよりも背が小さいんじゃないかなぁ。ラミエルタンが歌ってる時は、歌はあんまり聴いてなかったですからね。そもそも私が奇声を上げていたので。自分の奇声で歌が聞こえなかったというのが正しいかも。

閑話休題、また話は飛んでしまいましたが、でも、事務所の女性は綺麗な子が多くて、背が高くて脚が長かったですね。天然のブロンドガールもいました。しかし、お尻のスゴいラテン系の女の子はいませんでした。それは、残念。だって、ロスはラテン系が多いんですよ、なのに一人も見かけなかった。残念だ。そういう意味では、千差万別さに欠けたかなぁ。

でも、緊張した、一時間もずっと並んでたし、立ちっぱなしで脚も疲労して、それでやっと受付のところに辿り着いて、登録しました。受付の子は、かわいい黒人の子で、とくにヘアスタイルがよかったですね。
「待ったかいがあったー!」
と嬉しくなりました。で、その子、なんと私の髪を褒めてくれたんですよ。
「あなたの髪、好きだわ」
って。私は、
ぐふふふふふふふふ!
って、なってしまいましたよ。いやー、女の子に褒められるなんてー。くわーかっっかかー!!!私はキモヲタだから、そんなのとはまったく無縁だと思ってました。それに私の髪型はどちらかというと江頭2:50みたいなものですから。でも、今日は久しぶりにヘアクリームでセットしていきましたから、でへへ、で、まさか褒められるとは、それで、私の緊張は吹っ飛びましたね。で、私もその子に、
「あなたの髪も素敵ですね」
って言いましたよ。そしたら、彼女も笑って、
「ありがとう」
って言ったんですよ!写真撮っておけば良かったなぁ、でも、注意書きに「写真禁止」と書いてあったので、無理でした。逮捕されかねないですからね。女性に褒められた、あぁ、なんと嬉しいことか…、涙が出て来る、今までのキモヲタ人生、その苦しみがすべてフラッシュバックで蘇り、その悦びを純粋に堪能したのです。まるでマラソンランナーがゴールしたときのように。そういえば、南米に行った時も、女の子は、私の外見はまったく褒めてくれなかったなぁ。まぁ、スキンシップがあれば、それだけで花火なので、褒められることなんかどうでもいいんですが。なにしろ異性とのスキンシップこそが大事ですからね。まっ、でも彼女は、私があまりにもガチガチだったために、単に緊張をほぐす為にそう言っただけなんでしょうけどね。

その後、カメラ室に行って、ヘッドショットの写真を撮りました。女の子に褒められた嬉しさでニヤニヤしてました。そしてキヨシ・スマイルをばっちし決めました。「はい、チーズ」ではなくて、「はい、072」の2で、にっこり笑いました。

そして帰り際、偶然、ディズニー社の本部の前を通りました。バーバンクは、いろいろなスタジオが集まってるんですね。なんか世界のテレビと映画産業の総本山って感じです。NBCもあったし。日本で好きだった『世界まる見えテレビ特捜部』でいつも見てた景色があったのですから、中西部出身の私には、驚くことでした。

いやー、でもコールバックあるのかなぁ。私はキモイからなぁ。でも、エキストラにキモイのは関係ないっか?エキストラはただのバックグランドだからね。
あるスキャンダルの覚え書き
あるスキャンダルの覚え書きあるスキャンダルの覚え書き
(2007/11/02)
ジュディ・デンチ

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あるスキャンダルの覚え書き』を見ました。これは、すごい映画でした。こんなスゴい映画を見たのは久しぶりです。私がペルーで道徳心、とくに清教徒倫理と情欲の葛藤に苛まされていましたが、それをまさに思い起こさせるような映画でした。そう、高校の美術教師シェバ・ハートことハート先生も、道徳的葛藤の犠牲となったのです。

まぎれもなく世界最高の女優の一人と称賛されるケイト・ブランシェットはもちろん『ロード・オブ・ザ・リング』のエルフ族のガラドリエルとして有名ですが、それが、この映画では、ロンドンの美人高校教師を演じているのです。つまり、生身の人間を演じているのですよ。そう、私の高校のときにも、美人な音楽の先生がいて、昼休みはいつも会いにいってましたよ。でも、その先生は非常勤講師で、元の先生が産休で復帰して、私の片思いは虚しく終わってしまいました。ああ、先生と恋人の関係になっていれば、渡米することはなかったんです。だから元の先生に、
「また子供つくらないんですか?」
と言いましたけどね。

でも、シェバは、美術の先生、そして、なんと15歳の教え子と不倫してしまうのです。しかも、15歳の少年がとても羨ましい。羨まし過ぎる。私だって、高一のときに音楽の先生とどんなにセックスしたかったか!芸大卒業したてでしたし!それに、15歳の少年に取っては、こんな天国はないでしょう!それが犯罪になってしまうなんて、理解できません。だって、15歳の少年に取っては先生は女神なわけですから!逆に、私はこの先生を絶賛しますけどね。それがレイプになってしまうなんて、理解できません。美人の成人女性が未成年の少年とエッチするのがどうして法律上レイプになるのでしょうか?しかも少年はそれしか頭にないのですから。逆に女神として讃えるべきです!清教徒倫理は不条理過ぎる!

いやー、でも15歳、私もペルーで、15歳の女の子を紹介されて、その子はラテンの妖艶な体で、しかも悪魔の唇を持っていましたから、もう欲望を抑えるのに死にそうになりました。私を躊躇させているのは、道徳心でしたから。それでも、ペルーでは合法だったんですけど、でも清教徒倫理に私は屈してしまいました…。あれほどキリスト教を批判してきた私が、いざとなるとプロテスタント倫理に平伏してしまうとは…、一生の不覚です。でも、やはり、成人男性が未成年の女の子とするのは、問題ありますからねー。性的関係は女性主導じゃないといけないですから、だってゲーテも言ってるように、女性性が男性を導くのですから。

アニメで『おねがいティーチャー』がありましたが、まあ、あれは二次元ですからね、しかも先生が宇宙から降臨してくるというスゴい設定ですが、そしてその俳優が17歳教の教祖ですが、三次元でそんなことが起きると、先生は刑務所に行ってしまうのです。ケイト・ブランシェットは三次元のほうを担当した俳優と言えるでしょう。まあ、『おねティー』の生徒は、自分の病気で苦しんでましたが、『あるスキャンダルの覚え書き』では、生徒は社会環境による貧困に苦しんでいたのです。

その映画のなかのロンドンの高校は、全国平均より学力が低くて、生徒は主に労働者階級の子供だと言います。で、やはり15歳のスティーブンも、不良で、学力が低くて、補習を受けなければならない駄目生徒でした。しかし、彼は絵が描けたのです。それで、一所懸命補習を抜け出して、ハート先生にスケッチを見せにいくのです。ハート先生は、そんな子の力になりたいと手を貸します。しかし、いつの間にか恋心が…。

そう、ジョン・レノンもまさにそうでしたね。リバプールの労働者階級の子供でした。しかし、彼は音楽と美術が特別にできた。だから、彼はアートスクールに行ったのです。つまり、ジョン・レノンはミュージシャンよりもアーティストになりたかったのです。だから、彼はニューヨークの前衛芸術家ヨーコに憧れたのです。しかし、もしジョン・レノンに才能がなかったら、彼は不良のままでそのまま反社会的分子として大人になり、路頭に迷っていたかもしれません。だから、ハート先生も、スティーブンをそっちの方向で才能を伸ばしてあげたいと思ったのでしょう。将来のジョン・レノンを育てようと思ったのかもしれません。

でも、この映画のスゴいところはそれだけでは終わらない。老女のレズビアンのも、とてもスキャンダラス。でも、老女は悲劇ですね。同性愛が病気であるとされていた時代に生まれ育ったのですから、それに悩み苦しんだわけです。もし現在若かったら、あそこまで大変な思いをすることはなかったのに。レズビアンはセクシュアリティーの自由として認知されているのですから。ばかげた清教徒倫理は消滅していくのです。それにもう老女ですからね。だから、私は若ければ若いほどいいということを確信しました。時代は、新しくなればなるほど、よくなっていくのですから。だから、年を取りたくない、自分が古くなっていくことに耐えられない、永遠の16歳でいたいのです。

いやぁ、でもこれを日本のアニメで表現するのは難しいでしょうね。このロンドンの独特な重く陰鬱な雰囲気なんかは、いくらロンドンにロケに行って、それをアニメで再現しても、実写にはかなわないし、そして労働者階級の英語なんかは、日本の声優では無理です。やはり地元の役者にはかなわない。黒澤明監督も『デルス・ウザーラ』は、ロシアでロシアの俳優を使ってロシア語で撮影したんですから。それと同じでこの映画もイギリスならではですね。しかも、この女優二人がスゴ過ぎる。気迫溢れる演技は、スゴかったです。あの二人の演技力がこの映画を傑作にさせました。

この映画は、超お勧めです!
久しぶりの実写映画
あああ、何をやっているかわからない。無意味です。ナンセンスです。すべては虚しいです。ただ虚しい。ニヒルです。ニヒリスティックです。ニヒリズムです。ニヒリストです。

ほんと、毎日私は何をしているかわからない。毎朝のストレスのたまる交通渋滞、そして朝のつまらないニュースによるラジオは陰鬱なものばかり、サブプライムローンの破綻、それに伴う銀行の経営不信、そして消費者の自信低下、成長の停滞、株式の暴落、人員削減、そして失業、そんなニュースなど聞きたくない、そして私のところもレイオフの話が出ているし、クビになるのは時間の問題であるという、だから私は車の中でiPodでアニソンを聴いて、その不安から目をそらすだけなのです。近頃は車の中ではぜんぜんニュースを聞いてません。それだけで、不安が助長されますから。

久しぶりに実写映画を見ました。いやー、いつもはアニメだったもので。『Office Space』という映画で、邦題では、『リストラマン』といわれています。それは、まさに私の生活を反映しています。毎日つまらない仕事をして、賃金奴隷として扱き使われ、そんなんでモチベーションなんて、まったく持てませんね。ほんと、コーポレーションというところは、ネオリベラルの礼拝堂で、とても嫌な所です。そんなところにいたら、どんなに健康な人でも、精神を病んでしまい、最終的には体まで病気になって、ダウンしてしまいます。あんなところ、金さえあれば、絶対におさらばですし、女の子と皮膚感覚の伴う恋をしているか、もしくは、山奥の田舎に一人こもって、アニメを高画質のテレビ、それか映写機で見てますよ。まあ、でも、主人公の場合は、会社での立場が危ういのに、恋人を作ってましたし。昼食のレストランでウェイトレスと知り合って、その子も主人公と同じくカンフー映画オタクで、それで一気に意気投合した感じですね。だから、彼は三次元でがんばっていけたんですよ、結局。

ああ、私もアニメオタクの女の子、まわりにいないかなぁ。とくに、このネオリベラル社会で、虹コンでキモオタである私は、まったく相手にされない。それに、女の子でボーイフレンドがいないと答えた子に会ったことが…。でも、たとえその子がアニメオタクであっても、ネオリベラルの言説に毒されているために、ボーイフレンドがいて…。それにしても、なんで女の子ってボーイフレンドがいるんでしょうかね?声をかけると、かならずいるって感じです。セクシュアリティーがクソバカヤロウに独占されてるなんて…。恋人って、そんなに簡単に作れるもんなんでしょうか?セックスする相手ってそんな簡単にあっさり確保できるんでしょうか?とても不思議です。

私なんか、思春期のときから女の子を追い求め、世界で最も好きな女の子のためだけに生きてきましたので、それで女の子と恋とセックスができないことが原因で、その苦しみに耐えられず、渡米までしたというのに。アメリカに来なければ人格が崩壊していたことでしょう。だから、私は、二次元しかないのです。女性のセクシュアリティーの解放がないかぎり、皮膚感覚が伴うエロティシズムを謳歌することができません。よって、遺伝子工学の発達がない限り、私は永遠に二次元の世界の女の子に萌えるしかなさそうですね。それがない限り、この計画は実現できませんから。
いわゆるバージンに対する流言飛語
これはあまり言いたくないことですが、源氏名という匿名性があるので、書きます。
Sickoを観て


私はDelAmoのモールに行き、そこのAMCの映画館のチケットブースに立ち止まった。なんと、チケットセラーの女の子が、あまりにも可愛くて、びっくりしてしまったのだ。彼女は、とても赤く髪の毛を染めていたが、間違いなくラテン系なのだが、でも、あの子は、私の目を見てくるのだ。私は、
「えええ!!!?」
となり、目の前に可愛い子が私の目を見ている事実に直面して、
「なんだよ〜、この子」
と思ってしまった。ああ、ドキドキしてしまった。
「なんでオレの目を見てくるんだよ〜」
と、かなり動揺してしまい、財布を落としそうになってしまった。それにしても、どうして私の目を見たのだろうか、しかも笑顔で。私は冷静さをなんとか保ちながら、デビット・カード、いわゆるキャッシュ・カードで、その子にお金を支払った。そして、彼女が私にチケットを渡す瞬間、わずかに、彼女の指と私の指が触れ合ったのだ。私は、
「ああああ」
となってしまい、彼女の目を見た。すると、彼女はまだ私の目を見ているではないか!しかも、3cmもの厚さのガラスの向こうであっても、彼女は顔を近づけているのだ。だから、彼女の顔が度アップで私の眼球に映り、しかも、彼女の瞳の細部までもが見えてしまった。そう、彼女の瞳はグリーンで、しかも、瞳孔から放射線状に、あのCDを太陽に照らしたときに出る虹色の放射線が彼女の瞳をとても美しくさせていた。私は、
「ああ、なんて美しい瞳なんだ!」
と思ってしまい、我を忘れて、うっとりしてしまった。しかも、彼女は、
「Thank you」
と言って、私の目を見ていたのだ。ああ、彼女の眼差し、あれはもう視線攻撃というべきだろう、あれには、私の前頭葉と眼球の間の血管がズキッと痛んだね。私は、うっとりしながら、映画館のなかに入っていった。
レズビアン映画『The Children's Hour』
ああ、素晴らしい、『Sola』か。尊師の推薦で、このアニメを観ているが、まさに、ゲーテの「永遠の女性像」、『新世紀エヴァンゲリオン』的な綾波レイのアーキタイプ、そして私の幼年期から最も憧れてきた「お姉さん」つまり姉弟の関係、そう、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』『兄と妹』の逆パターンのような、「姉萌え」「弟萌え」というアニメの革命的な大転換であり、これぞ女性上位時代がとうとうアニメの世界にも到来したのであり、また、さらに行き着くとダンテの『神曲』に匹敵するほどのモチーフ、そして女の子のファッション、パンク・ロリータ、ゴズロリと、『ローゼンメーデン』の影響も見られる。私の崇拝する女性の要素をすべて集大成したようなアニメだ。さすがは尊師。そのセンスには敬服する。尊師は偉大な天才だー!ジョンイルが死んだら、今度は尊師がNextチュチェ(主体)確定だね!まあ、いい、詳しい感想は最終回を見終わってからにしよう。今回の話題は、レズビアン映画についてであるのだから・・・。
シンコ・デ・マーヨはチンコ・デ・マンコ
Cinco De Mayo Eveに、私は若いペルー人女性の同僚に誘われて『スパイダーマン3』をトーランス市のAMC映画館に見に行ったが、とてつもない若者の行列であり、まるで世界大恐慌並みであった。しかし、ファッショナブルの若者の集団には驚かされた。なにしろピチピチの若い女性、そう、結婚の年齢とはほど遠い女性たちの集団が行列を作っていたからである。それにしても、アメリカの女子高生、女子大生ってどうしてあそこまでセクシーなのだろうか。豊かな胸、くびれ、弾力性のあるお尻、まるでインドのカジュラホーのエロチック彫刻を彷彿させるような天女、いわゆるアブサラのような妖婉な体つきに、私は絶叫してしまった。
なんてセクシーなんだ、女とやりてー!
っと。いやー、本当、自殺しなくて良かった。生きててよかったー。しかも、ちゃんと日本語で叫んだので、私の同僚とその友人は理解できなかったであろう。ほとんどはヒスパニック系だったので。彼らが私に、
「いま、なんて言ったんだ?」
ときいてきたので、私は、
「映画、楽しみで興奮してるぜー、って言ったんだ」
と答えた。嘘も方便だ。だが、やはり若者向けの映画なので、女の子たちは恋人を連れてきているので、私の入る隙はなかった。ボーイフレンドという腐ったDQNたちが、セクシーダイナマイトたちを独占していたのだ。しかも愚かなことに彼女たちはDQNとラブラブだったのである。あろうことにも、あのような化け物たちとイチャついているなんて、まったく目にしたくない光景だった。DQNなど、どいつもこいつも端から見れば凶悪犯のような体つきと態度ではないか。いや、端から見ればではなくて、そのまんまだ。「本当は優しいのね」なんて思ったら、大間違いだ。それこそ消費社会の洗脳プログラムに踊らされることになってしまうんだから。DQNがちょっといい所を見せると、愚女は、
「本当は、やさしいんだ」
とウットリし、いい人がちょっと悪い部分を見せると、愚女は、
「ああ、ああいう人だったんだ」
と判断してしまう。小さなミスが、全てのいい人の性格を決定するようなふざけた判断を愚女はするのである。それにしても、どうしてデカイ凶暴性に満ちた男がモテるのだろうか。オージェーのようなアメフト選手がモテるのはなぜだろうか。私のような平均的なアメリカ人女性よりも小さいサイズの男はモテないというのか。私は事実、彼女らよりも体重が軽いし。もっとチビでキモメンの星であるデニス・クシニッチ候補をマスコミは取り上げたらどうだ。彼の妻エリザベスは、この映像からわかるように彼より身長が高いのだから。デニスの事務所に置いてある『Light of Consciousness』というスピリチュアル雑誌のイラストレーションとガンジーの銅像がエリザベスにデニスを「面白い人」と思わせたことから恋が始まったのだという。これから私もその雑誌を定期購読しよう。そうすればエリザベスのような超セクシーな美女と恋ができるんだから。しかも、エリザベスは180cm以上でモデルのようなスタイルの抜群さで、そしてケルト美女独特の地毛の赤毛という、私が理想に描いている女神のような人だ。まるで『指輪物語』のエルフのような。そう、『ロードス島戦記』のディードに匹敵するかも。勇者パーンはデニスではなく、私だ!ちくしょう、私だってデニスと同じぐらいスピリチュアルなんだ、しかしだれもそんなスピリチュアルな私を性の対象にしてくれなかった。くっそー、デニスめ、心から尊敬していたのに。なんで、女神を妻にするんだ。それではセックスの独占ではないか。それは紛れも無く罪だ。日本の童話の『羽衣天女』でも明らかではないか!最先端のドメスティックパートナーだったらよかったのに。そういう面では、やはりいくら精神年齢が若いといえども、私ほど精神年齢は若くなかったのだ。デニスは羽衣天女のあくどい主人公に成り下がってしまったとは。そういう面では、まだ小泉のほうがましだった。かれは独身だったんだから。なにしろ、ファーストレディーやファーストジェントルマンという、いわゆる大統領は結婚していなければいけないという言説を叩き潰すことが私の悲願なのだから。しかし、そもそも私がセックスに辿り着けないのは、DQNによるセックスの独占がすべての元凶だ。それは絶対に許せない。

イエス・キリストが十字架にかかったのもわかる。彼の罪は彼のセックス独占説が2000年間にも渡って人々を束縛したことにある。それで、彼は処刑されたのだ。だからイエスは群衆の罪をかぶって贖罪の山羊になったのではなく、もともと罪人だったのである。しかし、その刑罰の方法が悪かった。だから彼は反セックスの殉教者となってしまった。処刑せずに刑務所に監禁して、毎日、超セクシーな女性たちをイエスの周りに配置して、イエスを欲情させればよかったのだ。もちろん美女たちはイエスの前でヌードになるというサービスをすればいい。たとえ不特定多数のパートナーとの性を否定したイエスも、彼は聖者である前に、なので、寝ている間に夢精してしまうであろう。「体は正直」というのを思い知らせるべきであった。イエスだって「正直は徳だ」と説いているではないか。そうすればKiyoshi様もご満悦なはず。十字架ではなくて、そういう刑罰であったなら、キリスト教がここまで世界中に蔓延することはなかったのだ。そう、イエスが快楽のうちに死亡したのなら、キリスト教のシンボルは十字架像でなく、ミトゥナ像となっていたであろう。しかし、イエスは十字架で死んだため、キリスト教はセックスを排他的にし、この浮き世は凶暴なDQNたちに有利な世界にしてしまった。そう、イエスはセックスの独占をヨーロッパに植えつけた張本人である。暴力に異常に長けてる男がセックスを独占する社会。ヒットラーも「必要なのは人を殴れる人間だけだ」と言っていたし。そんなナチスのような男なんか全滅すればいいんだ。猿やチンパンジーの社会ではないのだから、セックスは共有するべきであろう。

それにしても、どうして男は存在するのだろうか。あのヴァージニア工科大学の韓国人学生も、どうしてDQNだけを射殺しなかったのだろうか。どうして女までを殺したのだろうか。理解に苦しむ。いくらなんでも女を殺したいとは思わないだろう。彼に影響を与えたとされる『タクシー・ドライバー』の主人公も射殺したのはDQNたちだけであった。女が愚かな男に独占されるのは女が悪いのではなく、女を洗脳する男が全ての元凶だ。男は女が一人で町中を歩くのは危険と恐怖を植えつける、それは野生での獣に対する恐怖ではなく、同じ人間のDQNに対する恐怖である。レイピストというDQNを。女はDQNから身を守るためにDQNと恋をして守ってもらうのだ。日本が核兵器国家の北朝鮮や中国が怖いから核兵器国家のアメリカに守ってもらうようなものだ。小泉はブッシュを恋人と見て接近していたのだ。だが、ブッシュにとってはもちろん、小泉はDQNに怯える女でしかなかった。媚を売る女でしかなかったのだ。もちろん、自分に追従する女はDQNは好きだし可愛がる。そして女は知らず知らずのうちにレイプされるのだ。レイプされているとも気付かずに。郵政民営化、陪審員制度、憲法改正、すべてDQNの言いなりだ。しかも、世界でもっとも強いDQNであるブッシュに。ネオコンの集団を見れば、いかにDQNの集まりであるかわかるだろう。そして女は一番強いDQNに恋してしまうのだ。DQNが女に求めるのは徹底した隷属だけだというのに。それは超大国、いわゆる世界帝国の伝統である。ロムルス軍団もサビーネ女性たちを強姦してローマを築いた。そしてその卑劣なローマの伝統を受け継いでいるのはアメリカである。アメリカのワシントンの建築を見れば一目瞭然、全てはギリシアローマ式である。そう、聖なるレイピストの伝統を受け継いでいるのだ。

逆に日本は女性国家である。なぜなら日章旗、あれは太陽だが、太陽はアマテラスだ。アマテラスは女だ。だから日本は女なのである。しかし、世界では未だにこういう風潮が蔓延っている、
「女一人ではなにもできない、自分を守ることすら」
という言説が。しかし、いくらなんでも、それはないであろう。合衆国修正第二条では人々は武装する権利があるという。だったら女性も武装すればいいのだ。DQNに頼ることはないだろう。最近は女性の兵士も増えてきてるし、銃を取って立ち上がればいいのだ。そう、フランス革命の自由の女神のように。ジャンヌ・ダルクのように。アマテラスも武装していたというし。それが日本の自由の女神の精神だ。DQNからの解放である。古代アイルランドの女王も軍事司令官で性欲もとても強かったというし。しかし、GHQによって、アマテラスは武装解除されてしまった。アマテラスは鎧と剣を奪われ、裸同然となってしまった。いわゆる「裸の女王様」である。自分で着るものを判断せず、アメリカの価値観にあっていればいいと思ってしまっているのだ。昔の百姓女性は腕力があった。喧嘩も強かったし、女相撲というのもあった。早乙女は田植えや稲刈りで鍛えた強靭な足腰を持っていたので、昔の女性はど根性的であった。武家の女性も長刀などの武芸を心得ていたし、闘うことができた。それが、アマテラスから続いた日本女性の伝統であった。そう、明治維新のときから、西欧化によって日本女性は弱体化してしまい、DQN天国を作ってしまったのである。アメリカのDQN社会がグローバルスタンダードとなってしまったのである。まあ、一番いいのは男の弱体化、というより武装解除だ。いわゆる男の非DQN化である。そう、国際社会でいえば、すべての核兵器の廃絶である。そうすれば、アマテラスもアンクル・サムに媚を売ることはなくなる。だれも核兵器を持っていないのだから。アトランティスやムーの悲劇を繰り返してはならない。そのためには、DQN性を男から取り除くことだ。もはや野獣に怯える野生の生活から人類は脱した。人類が文明をもったときから、男の凶暴性は進化の過程で消滅するべきだった。そう、西ヨーロッパではそういう男性もモテるようになってきているのである。フランス映画の『L'Auberge espagnole』では、主人公のザビエルがバルセロナのレズビアンのセクシュアリティに圧倒されるというシーンがあったくらいだ。しかし、そんな西ヨーロッパ社会とは違って、DQNだらけのアメリカ社会を見てみると、ダーウィンの進化論を疑ってしまうのである。やはり「進化」ってないんじゃないのかなぁって。道理で、アメリカの一部の地域では進化論を教えていないわけだ。

それにしてもセクシーな女性と交わりたい。せっかく自殺願望から解放されたのだ。だったら生きている証が欲しいではないか。女性の完全な拒絶によって死にそうになったんだから、だったら生きるためには女性の包括的な身体が必要だ。結婚は本当にブッ潰すべきである。デニス・クシニッチは同性愛の結婚も認めると公言しているが、結婚はセクシュアリティを排他的にさせるものだ。それに同性愛結婚を各州は禁止したのだから、だったら全てのいかなる結婚制度も禁止すればいいのだ。そう、結婚の廃絶だ。それこそ、ホモセクシュアルだろうが、ヘトロセクシュアルだろうが、皆平等というものだ。その排他性が私を自殺まで追い込んでしまった。結婚で承認されている権利はドメスティックパートナー制度に引き継がせればいいのであって、結婚の解体の本質とはセクシュアリティの排他性の解体である。イエスキリストが築いた結婚制度が全ての元凶だ。というか、神(ヤハウェー、アラー)が作った結婚制度、それは廃止するべきだ。ニーチェは神は死んだと言ったが、彼は結婚自体を否定しなかった。しかし、彼は結婚に失敗した。サロメという小悪魔にプロポーズしたのだが、見事に撃沈された。しかし、彼は、そのために風俗に通い、仕舞には発狂するだけで、結婚制度を否定することはなかった。それが、彼の最大のミスであった。彼は神を否定してきれていなかったのである。よって、結婚を否定することが本当に神を否定することにつながるのだ。セクシュアリティの排他性を否定することこそが、神を殺すことになるのだから。そうして、本当に神は死ぬのである。というか、神は死んだが、ハムレットの父のように、その亡霊が未だに自縛霊として我々を束縛しているのである。だから、セックスの独占を打ち砕くことこそが、神を除霊することとなり、セクシュアリティの排他性に苦しんできた我々負け組を救うのである。

『スパイダーマン3』もキリスト教言説の映画だった。スパイダーマンの恋人であるマリー=ジェーンは、
「あたし一人だけなのに、どうして他の女とキスしたの?」
とまったく馬鹿な質問をした。あれには正直言ってあきれた。キスごときであんな大騒ぎするなんて。それに愛する人はたった一人という、キリスト教に洗脳されているとしか思えないような言動を発していた。しかも、マリー・ジェーンは復讐としてスパイダーマンの親友である他の男とキスをした。全ての三角関係のいざこざは、このキリスト教言説が元凶であることを改めて確信した。やはりキリスト教言説が彼女を縛り、またこの二人の男も「オンリー・ユー・フォエヴァー」という言説に縛られて、セクシュアリティーを謳歌することはできなかった。結局スパイダーマンと恋人は婚約してハッピー・エンドになるという話だった。もちろん、私にはサッド・エンドでしかなかったが。そう、私の小さい頃からの憧れであったスパイダーマンも、決して神に変わる超人ではなく、神にすがりつくことでしか生きていけない迷える子羊であるキリスト教徒にほかならなかったことには、とてもがっかりさせられた。子どもの夢を踏みにじったのである。私にとってはくだらない映画で終わってしまった。ハリウッドはもっとリベラルな映画を作ると思っていたのに、無垢な子どもの夢を破壊された。それが大人社会というものだ。

余談だが、スパイダーマンの恋人の「マリー・ジェーンMary Jane」という名はスペイン語では「マリフアナMari-Juana」という。そう、MariaとJuanaの合体であり、いわゆる「大麻」なのである。女性=ドラッグという、フェミニストにとっては憤激ものであろうけれども、私にとっては、たとえつまらない映画でも、
「おお、うまいシンボリズムだなぁ」
と、これだけには関心させられた。

それにしても、ペルー人女性がイランの男も誘っていたとは、嫉妬した。私は会社で、
「一緒に映画に見に行こう」
と言われたから有頂天になったが、映画館に行ってみると、彼女はイランの男も誘っていたので、嫉妬した。しかも、映画館の中では、私よりも何倍もイランの男とずっと楽しそうに会話したので、やきもちを焼いてしまった。
「あいつの出身ってイランだよなぁ?じゃ、テロリストじゃねーのかよー?」
と暴言を吐いてしまった。あのときほど、ブッシュが善人に思えたことはなかったね。イランは紛れも無く悪の枢軸国であり、テロ支援国家だ。オバマだって、イランの核開発は止めなければならないと言っているし、イランをテロ支援国家だと見ている。だから私の言っていることは決して間違ってなんかいない。ヒラリーもそうだ。デニスもそうだろう。そう、万人がイランを悪の枢軸と見なしているのだ。それは普遍的な真実だ!まあ、そんなこと、どうでもいいや。嫉妬心は別名「ヤハウェー病」だというし、私も危うくキリスト教徒かイスラム原理主義者になりかけるところだった。危ない危ない。彼女は素晴らしい女性ではないか。たった一人の男ではなく、私もちゃんと共有してくれるのだから。まるで『マハーバーラタ』のドラウパディのように。やはりペルー人はインカ帝国のマンコ皇帝のチンコを崇拝しているのだ。だから私はシンコ・デ・マーヨではなくて「チンコ・デ・マンコ」と、この日を命名した。そしてマンコ皇帝の息子がツパク・アマルであり、それはあの1996年のリマ日本大使館占拠事件の左翼ゲリラグループの名前でもある。でもなぁ、共有はいいんだけど、あまり気をかけてもらえないんじゃ、やっぱ悲しいよなぁ。彼女の注意が私の方に向いてないなんて。私にも、もうちょっと話してよ〜。
有名人とは友人のままでいられないのか・・・
私の友人であるBが、NBCのゴールデンタイムのドラマに出演していた。私は飛び上がってしまった。『Black Donnellys』というドラマであり、ニューヨークのアイルランド系のマフィアの若者の話であるが、この中で、彼女は麻薬中毒の女の子の役を演じているのだ。私は、本当に彼女なのかと思った。なにしろ、全然雰囲気が違ったし、まったく別人であり、本当に廃人になってしまったのではないかと、心配になってしまった。注射器で麻薬を注入して、ハイになるところは、とても強烈であった。だから、本当に怖くなった。ジャンキーはどう対処したらいいかわからない。常識がまったく通じないのだから。でも、そこまで感じさせてしまう迫真の演技、それもスゴかった。まさに、これこそ俳優であろう。日本のドラマの演技とは、まったく比べ物にならないほどだ。また『Law And Order』というドラマでは、ロバート・パトリックという『ターミネータ−2』でT1000を演じた役者にレイプされる役を演じたこともあるそうだ。それは、さすがに観なかったが、いくら演技とわかっていても、そんな人道に反するものは観れない。彼女は、
「あたしはT1000にレイプされたんだよ」
と冗談を言っていたが。だが、それほどBが芸能界で活躍しているということであろう。
アカデミー賞 速報!
第79回アカデミー賞がロサンゼルスのハリウッドで行われた。私はABCでそれを観ていた。なんと、タキシードを着たデカプリオとアル・ゴアがステージに出てきたので、驚いてしまった。そしてゴアの『不都合の真実』がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門賞を受賞した。また、主題歌部門でも、『不都合の真実』の主題歌であるMelissa Etheridgeの「I Need To Wake Up」が受賞した。Melissa はレズビアンのシンガーソングライターとして有名で、自分がレズビアンであることを公にしているし、また同性愛者解放運動家であり、彼女は受賞スピーチで、
私の素晴らしい妻タミー、そして私たちの四人の子どもたち、ベケット、ベイリー、ジョニー・ローズ、ミラー、そして一緒に活動してきたスゴい人たち、みんなありがとう・・・でも、最も感謝すべきはアル・ゴア、この人は私たち、また私個人にインスピレーションを与えてくれた、地球をケアするのは共和党民主党、赤や青ではなく、みんな緑ということを示してくれました
と語っていた。Melissaの曲は彼女のウェブサイトで聴ける(歌詞はこちら)。また彼女のインタビューもここで観れるし、その中で彼女は、
「Thank you, Al Gore, again. You are the best.」
と言っている。とてもパワフルな歌であり、勇気が湧いて来る。なんとこの曲、ゴアが個人的にメリッサに「この映画のために曲を書いてくれないか」と依頼して作曲されたものだという。よって、アル・ゴアの映画はアカデミー賞の二部門を獲得したのである。実質的にこのアカデミーはゴア・ナイトとなった。

それにしても、アカデミー賞でのゴアはハリウッド俳優たちの心をつかんだように見えた。テレビで観る限りでは、ゴアに対しては、みんなリスペクトしていたようだし。またゴアが、
「My Fellow Americans」
と政治家が市民に呼びかけるように、アカデミー賞の会場に集まった俳優どもに呼びかけるユーモアは観衆の笑いを誘っていた。でも、ゴアをアカデミー賞に招待して環境保護を訴えさせるとは、ハリウッドはリベラルな人が多いということなのだろう。なぜならそれはブッシュ政権の環境政策に真っ向から対立するからである。だが、ネオリベラル資本主義社会の頂点を極めた人たちが、とてもリベラルというのも、なんだか矛盾していると思うが。しかし、いくらネオリベラル社会の勝ち組といえども、やはり彼らは基本的に映画という総合芸術に携わるアーティストであるということなのだろう。やはりアーティストならではの環境へのケアという自然の力を感じる共感覚が働いているのだろう。道理で、アーティストにはリベラルが多いわけである。また、ダンディー俳優ジョージ・クルーニーも、
「さっき楽屋でゴアと話したんだけど、彼は大統領選には出ないといっていたよ」
とステージでジョークを言って、観衆を笑わせた。そして観衆の中にいたゴアも大笑いしていた。ゴアは完全にハリウッド映画界に受け入れられていたのである。一方、ブッシュは自らハリウッドを避けていたし、またハリウッドも彼を歓迎しないであろう。ブッシュが来たなら、それこそハリウッド通りはデモ行進で埋め尽くされるであろう。

そして、もう一人の今日の主人公はマルティン・スコルセシであった。彼は『The Departed』で悲願だった監督賞を取り、そして最優秀作品賞も取って、今夜のアカデミー賞の幕を閉じた。なんと、コッポラ、ルーカス、スピルバーグというハリウッド映画監督四天王の三人がそろってスコルセシにオスカー像を渡したのである。もちろん、スコルセシも四天王の一人であり、またこの四天王は実は「黒沢チルドレン」ともいわれているのだ。スコルセシはジョディー・フォスターが子役でデビューした『タクシー・ドライバー』の監督であり、また、彼は黒沢監督の『夢』にゴッホ役として出演しているほどであり、そこまで黒沢を尊敬していたのである。これで、四天王の中でアカデミー賞を個人で唯一受賞していないのはルーカスだけとなった。『スター・ウォーズ』を作った偉大な巨匠であるにもかかわらずだ。まあ、スタンリー・キューブリックもオスカーを一つも取っていないのだから・・・。

受賞者一覧はこちら



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Borat: Cultural Learnings of America for Make Benefit Glorious Nation of Kazakhstan』を鑑賞した。いやー、とてもおもしろかった。というか、あまりにもバカすぎて、映画館は爆笑の渦に包まれていた。
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