NAFTAでのキモヲタのソナタ
萌え経済学萌え経済学
(2005/10/30)
森永 卓郎

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萌え経済学を読みました。森永さんがこの本を書いた理由は、萌え系ヲタクに対する誤解を解くためだといいます。そうですね、ほんとですよ。アニヲタほど、性犯罪者常備軍のようにメディアでは騒がれてる、そう、まったく私が経験した日本の学園で私に対する偏見そのものが、社会全体に伝搬してしまったかのようです。そう、私は、その前にアメリカに逃亡しましたからね、その汚染に害されずに済んだわけです。でも、最近の北海道の監禁事件で、容疑者はイケメンだったのです。そう、女にモテまくる男がやった事件であり、まったく相手にされないキモヲタではないんです。でも、世間は、萌えの氾濫でああいう事件に繋がったといいます。しかし、それは違います。萌えは、モテないキモヲタたちのものであり、最初から女性は気持ち悪がって彼らに近づかないので、犯罪を犯す接点がないのです。第一、家に連れ込まない限り、どうやって監禁できましょうか?家に連れて来れるということは、そこまでの関係になってないと絶対に無理です。キモヲタでは、話しかけても、
「キモイんだよ、あっちに行け!」
と罵倒されるだけです。そんな犯罪をするチャンスすらないではありませんか?明らかにイケメン犯罪なのです。森永さんも、こう言っています。
私が知っている限り、アキバ系の人たちほど、おとなしくて、やさしくて、人を傷つけるのを嫌い、人から傷つけられるのも嫌い、そして法律や社会ルールを守る存在はいない。(p202)

私は、女性に対する性犯罪率から言ったら、イケメン系の人たちのほうが圧倒的に高いと思っている。数十人の女性を手玉に取り、ウソをつき、暴力をふるい、金銭を貢がせ、人間性を否定するような性的行為に及ぶ。それでも、彼らはめったに訴えられることがない。女性が、最初にだまされた自分が悪いのだと泣き寝入りしてしまうからだ。(p203)

そう、その通り、まさにそうです。イケメンのDQN、いわゆるジャニーズ系が、レイプ願望を信奉しており、それで、
「女性は、支配され服従したいと願っている」
と勝手な解釈をして女性に乱暴を働くんです。そして、
「別れの苦しみは女性に一種の快感をもたらす」
と、まるで女性がマゾであるような、サディスト的な解釈をしているのです。それが、体育会系DQNの女性観なのです。そう、で、女の子たちも、レイプ願望の少女漫画ばかり読んでいたし、だから、私は少女漫画がまったく好きになれなかった。暴力的なDQNな男たちに彼女らは憧れるんですから。『花より男子』のF4も、DQNジャニーズ系の頂点ですからね。そんなのに、女の子はレイプされたいと思ってたんでしょう。それで、私たちのようなヲタクを侮蔑嘲笑し、虫けら以下に扱っていたんです。オバマも、そういう心境を知っているのです。

オバマの選挙に落選したときの心境を語った言葉です。
when the girl you'd been pining over dismissed you with a joke in front of her friends(p107)
自分のずっと気になってる娘に友だちの目の前でジョークとしてふられてしまうような
-『The Audacity of Hope』

そう、あのオバマでさえ、学園時代は、女の子にはジョークとしてしか扱われてなかったんです。あのカリスマ的存在のオバマですら、学園時代はそうだったのです!
そしてそのショックと屈辱感は、選挙に負けたときのに匹敵するほどなんです!それで、どうしても自分が全コミュニティーに、というか全世界に拒絶されたように感じちゃうこと。女の子にふられるってことは、選挙に負けたときと同じほどの衝撃なんです。あぁ、オバマは私をわかってくれている。彼ほど私を理解しているアメリカ人はいない!

私も、キモヲタとして体育会系・DQNに洗脳された女の子たちにふられた上に、「キモイ」と言って相手にもされてなかったこと…。
「ねぇねぇ、きいてよ、きいてよ。あのキモヲタ、あたしにコクってきたんだよ」
「えー、うっそー?気持ち悪ーい!最悪じゃん」
「自分の立場をわきまえろっちゅーの!」
ああ、彼女らの会話はもう十数年経ってますが、それでも鮮明に覚えてます。この忌々しい記憶をぬぐい去ることは一生できないでしょうね。オバマなんか、まだいいですよ、彼は、好きな娘にジョークとして見られてただけだけど、私なんか、ジョーク以下、そう、虫けら以下ですよ。そんな彼女らが絶賛するのは、クラスのDQN・体育会系でした。そう、私を侮蔑していた輩でした。暴力をふるってる奴らでした。そんな奴らに、女の子たちがうつつを抜かすとは、完全に洗脳されてたんです。だから体育会系に毒されている国自体を捨てて、渡米したんです。

現実の日本の女の子は、そんなものでした。憂鬱にさせるばかりでした。『涼宮ハルヒの憂鬱』じゃないけど、学園は憂鬱でしたよ。だから、二次元のアニメを見るとき、とくに学園もののアニメを見るとき、そこの日本の学園での日本人の女の子は、まさに理想ですよね。そう、表情が豊か、差別しないし、会話もするし、なにしろスキンシップがある。感情をちゃんと外に表すというのが、いいですよね。素直で、いいです。ラテンの子は喜怒哀楽が素直に出る、そう、まるでラテンのような。それに彼女らは積極的だし、エッチだし、スキンシップを取ってくるし、アイコンタクトをしっかり取ってくるし、落ち込んでると、
「どーしたの?
と顔を覗き込んでくるし、こっちが赤面しちゃうほどの。ぐふふー。だから、
こんな娘がいたなら、絶対に渡米することはなかったんだー!私の学園はこうあるべきだったんだ!
と机を叩いて後悔するのです。

その思春期・青春期トラウマというものは、一生続くもんで、「三つ子の魂百まで」、というより「16の魂、永遠に」となってしまうんです。だから、今でも、日本人の女の子と話すときは、脚がすくんじゃいますよね。渡米して以来、まともに会話することはそんなになかったですからね。っていうか、中西部に行ったので、日本人にはまったく会わない環境を選びましたから。とにかく、私の中にある日本というのを、徹底的に排除しようと思ったんです。日本を思い出すと、怒りと憎しみしか沸いて来ないですからね。そして、ついにアメリカ市民権を獲得したんです。

しかし、「聞いて極楽見て地獄」で、アメリカは人種社会で、東洋人の男がもっぱらモテない。私はインド人男性と付き合っているアメリカ人女性を見かけましたし、パキスタン人と付き合ってる女性も見かけましたし、イラン人と付き合っている女性も見かけました。911テロの影響で中東系に対する人種差別が起きると思いきや、アメリカ人女性が中東系男性とデートしてるのをちょくちょく見かけましたからね。また黒人と付き合っている女性も見かけました。北米先住民と付き合ってる女性も見かけましたし。しかし、東洋人男性はというと…。そう、中西部では、たった一度だけです。どこかの美術館に行った時に、東洋人男性と白人女性が手をつないでました。それぐらいです。その逆の非東洋系アメリカ人男性と東洋人女性は、東洋人自体が少ない中西部の田舎でも見かけたんですけどね。東洋系の男性以外だったら、アメリカ人の娘の恋愛対象になってたんでしょうね。
つまり、東洋人女性はどの人種にもモテる、しかし、東洋人男性はどの人種にもモテない。
それが、まるでアメリカ人種主義社会の黄金律になってしまってるようです、というかなってます。私もパーティーに毎週末行ってましたが、どんなにがんばってもやっぱ性の対象にならなかったです。地元の映画館で働いてるときも、女の子がいれば、話しかけてたんですけどね。しかし、東洋移民である私は、じぇんじぇん駄目で、もうほんと絶望感で打ちのめされました。

それで自暴自棄になってテキサス州ダラスまで運転してゲイバーに行きましたが、やっぱり女にモテない男は男にもモテない、だれも私を口説いてくるゲイはいませんでした。ゲイは、マイノリティーなので、人種主義には汚染されるどころか、その言説を否定してると思ったんですが、彼らも、アメリカ女と同じ美的感覚だったのは、はっきり言って失望しました。それで、アメリカの全てに失望しましたね。大統領がすべて白人男性だったというのも不思議ではないですね。チョ・スンヒは、アメリカ人種社会の最悪な結果なのです。

でも、日本よりかは遥かにましです。なにしろアメリカ人女性の素晴らしいところは、 もちろん、教育水準が高いこともありますが、アメリカでは大学進学率も女性の方が高いですし、しかし、それらを考慮してもなお、なによりも彼女らの素晴らしいところは、性欲が強いということです。それこそがアメ人女性の素晴らしいところなのです。それは日本人女性よりも強いことは確かですね。日本人の女は、エッチであることを恥と思ってるし、オナニーさえ恥だと思ってる、その腐ったメンタリティーは明治政府の道徳教育の結果ですね。そんな環境じゃ、キモヲタがたくさん出ても不思議じゃないです。セックスを否定的に見る文化でどうしてスキンシップを期待できましょう?しかし、アメリカ人女性は、セックスの話とか、平気でしますからね。あんだけ性に対してオープンなのは素晴らしい。『セックス・アンド・ザ・シティー』がそれを表してます。

しかしそれでも、アメリカ人女性は背が高くて肉好きの良いDQNタイプの男だけとエッチしたいのでしょう。東洋人男性は、平均的に身長も低いし、筋肉はやっぱり黒人とかと比べるとどうしても劣るし、性的対象にはなりづらい。また、東洋人の「いつも脇役」というステレオタイプが横行しています。いつまでたってもエキストラでしかないんです。それは映画だけじゃなくて、社会でもそうだからです。だからスキンシップを取ってくれない。そんな不条理なことがあっていいのか!東洋系はいつも脇役なんです。社会的地位は高いけど、脇役なんです、主役にはなれないんです。やっぱり主役にならないと、性的対象にはならないのでしょう。とくに、ハリウッド映画で。政治でも、政治家がいつも気にするのは、マイノリティー票だと、黒人とヒスパニックとユダヤ票です。アジア票はどこにあるのでしょうか?どうして東洋系は、はぶかれてるのでしょうか?社会が東洋系をそんなに重要視してないんだったら、女の子がどうして重要視しようか?女=社会、オバマも社会に拒絶されることは好きな娘に拒絶されるようなものだと言っていますから。

大学で、とてもエッチな子がいて、その子は、いつもセックスの話をして、フェラチオのこととか、男たちはいつも自分のお尻をじっと見つめてよだれを垂らしてるとか、性的な話ばっかしてましたからね。自分の気に入った男は、もうすぐ交渉してましたから。あれぞ、若い女性の鏡ですね!プレイ・ガール、万歳!
I love America!
と叫んでしまいました。で、私も、お願いしたんですが、駄目でした。完全に打ちのめされました。で、私がいじけてると、
「お尻ぐらいなら触っていいよ」
と、お尻しか触らせてくれませんでした。ショックでした。だからウィスキーを焼け飲みしました。やっぱり東洋系は性の対象にはならないんです。その残酷な現実が、私の生気を木っ端微塵に砕きました。でも、彼女は、我体がとてもよくて、アメフトのコーチにもいい体をしてると言われるほど、骨も太くて筋肉質でしたから。上腕とか太くて、あれでチョークスリーパーされたら、死んでしまいますね。まっ、彼女はドイツ系でしたから、体ががっちりしてるんですね。だから、男にとっては、あまりって感じですけど、私は強い女性に憧れているので、良かったですけどね。大酒飲みですし、酒が入ると暴れ回る、とても面白かった子ですが、それでも、そんなエッチな女の子でも、私を性的対象にしてなかったのは、本当に残念でした。つまり彼女がセックスしてたのは、ステレオタイプによって称賛されてる男なのです。そう、ネオリベラル社会によって理想とされる残酷で冷酷で暴力的な海兵隊のような競争社会を下克上の戦場としてサバイバルしていくような軍人なのです。ナチスが理想とする男像なんです。社会ダーウィン主義の自然淘汰、弱肉強食、そこで勝ち残る男なのです。

で、大学を出るとネオリベラル社会、ワーキングプアでは、まったく女性の相手にされません。みんな経済力を求めるし、経済力のない男は、デートすらできません。女の子は、ネオリベラル社会に出ても、デートはできますね。それは、デートでは、男が金を払うからです。フェミニズムを提唱しながら、そういう重要なところは男支配をキープしようとするのです。女性も積極的にデートに誘って払うようにしなければなりません。それぞ、本当の平等でしょう。偽善フェミニストなんです、アメリカ人女性は。それに、彼女らは、男に対して優しくありません。あまりにも冷酷。冷たいのです。競争に負けた負け組の男なんかは、まったく眼中にありません。ラテン文化だったら、「pobrecito」と慰めてくれますが、アメリカでは、それは自己責任として処理され、廃棄処分されるだけの存在、粗大ゴミ扱いなのです。ほんと、態度そのものが、ネオリベラルなのです。まさに切り捨て社会なのです。男は、女が泣いたら、ぎゅっと抱き締めてあげますが、男が泣いたら、女は、
「pussy弱虫、loser負け犬」
と言って、無視するんです。冷たいことが強いことであるように、彼女らフェミニストは考えているのです。本末転倒なんです。それは、明らかに間違ってます。優しい=強いというのが、ほんとは、正しいのですから。だから、負け組は、スキンシップが欠落してしまうんです。

それに、結婚制度が勝者独占社会を助長します。年収の低い男は結婚できません。つまり結婚可能な男しか、スキンシップが取れなくなっているのです。結婚できそうもない男はセックスの対象にもならないのです。アメリカの結婚制度は、間違ってます。あれは、清教徒倫理言説を維持するためにある装置です。ナザレのイエスのもっとも間違った悪しき教えです。どうして、セックスはたった一人だけしかできないのか、どうしてセックスが恋愛の支配下にあるのか、結婚していると他の人とセックスできないのか、まったく理解できません。で、イエスの理論的根拠は、
「神がそう作られたから、それがもっとも自然」
だそうです。ヤハウェのような残虐非道な嫉妬神の考えることはやはりそんなもんなのです。だいいち、恋愛結婚なんて、4年もすれば、愛は冷めるという統計が出てるんですから、その後は、セックスしたい人とすればいいのです。無理に我慢して、もう飽きた相手としか一生セックスできないというほど不条理なことはありません。それこそ不自然です。昔の日本の村社会なんか夫婦であろうと、妻が違う男を寝室に連れ込んで来たときは、夫は邪魔しちゃ行けないと台所で寝てたそうですし、夜這が盛んだったんですから。夫婦というより、村としての絆のほうが強かったためです。だからスキンシップを謳歌してたんです。それこそが、もっとも「大道=自然」ではありませんか?

しかし近代になって国家を頂点とする結婚制度で家族を作り出して国家に組み込んだんです。天皇を頂点とする国家に組み込むために、戸籍制度によって民衆に名字を強制し、民を家単位に再編成して、臣民として国家に従属させ、それによってスキンシップはなくなりました。今の結婚というのは、排他主義に成り立っているのです。そして、その横の分断によって、縦の鎖が強化されました。その鎖の頂点が天皇だったのです。「大道廃れて仁義あり」が国家主義の結婚制度なんです。だから今の結婚制度は幸せではなく、苦しみ発生装置です。パワー(大道)ではなく、フォース(仁義)による結婚制度なのです。女の人が信じてる
結婚=幸せ
というのは、紛れもないウソなのです。

私も北欧系の既婚女性を好きになってしまって、とても苦しみました。可能性がまったくゼロだし、しかし、でも金欠で貧乏な私をいたわってくれた、彼女の家に夕食に招待してくれて、彼女の作ってくれたイタリア料理はおいしかった、彼女はケーキ屋で働いていて、彼女の作ったクッキーやケーキなどもご馳走になったし、また一緒に映画まで見に行ってくれた。ほんと、彼女のことが好きでした。まっ、夫は、単身赴任で違う州にいましたからね。こんな日がずっと続いてくれたなら…。しかし、とうとうある日、彼女は夫が働いてる州に引っ越したんです。彼女はすでに夫を愛してなかったのに。妻のつとめとしてコミットメントを示すという?彼女がいなくなった州なんて、ぽっかりスペースが開いたようで無意味でした。しかも、外は人が少ない大草原、その大きなスペースが苦痛に思えて来たんです。私は、自殺を考え、ピストルを購入しようかと思いました。でも、死ぬのが怖かった、でもこの行き場のない感情は制御不能だった、だから自暴自棄になって仕事も辞めて、カリフォルニアになんの当てもなく移ったのです。車に全部荷物を積んで、アメリカ大陸を横断しましたよ。まるで、スタインベックの『怒りの葡萄』のように。

あれから、私は結婚廃止論者になり、リバータリアン党のドメスチック・パートナー制度を支持するようになりました。結婚制度そのものを廃止させるのです。そうすれば、、自由恋愛になり男の経済力をそれほどまでに重視しなくなります。結婚は、宗教制度です。それを国家が認めるというのは、まったくおかしいのです。政教分離の原則に反しているのです。ブッシュは、結婚を神聖と言いましたが、「神聖」と使った時点で宗教ではありませんか。よって憲法修正第1条に抵触します。だから、宗教制度に関する法は認めず、無効にするべきですね。結婚なんて滅びますよ、実際北欧では、半数以上の新生児が結婚外で生まれてるんですから。いかに結婚が意義をなさないかということが、ようやく証明されたんです。結婚に基づく恋愛なんて根拠がないのです。恋愛形態が結婚を模擬したものなのです。それは、2000年のキリスト教の洗脳でしかなかったことを証明したんです。そして、国家主義政策による結婚による家族の形成というイデオロギーでしかなかったことを、先進国の人々はとっくに気付いたのです。アメリカは、先進国の中では無神論はまだ未熟ですから、当分無理ですね。だから、この国は駄目なのです。宗教心がなくならないかぎり、セックスの束縛は続くのです。

日本では、アニヲタ、キモヲタとして女性にモテず、アメリカでは東洋系男性、またワープアとして、モテない。ネオリベラル社会と清教徒倫理による結婚制度、それも私のセクシュアリティーの苦しみを助長しているのです。渡米して、さらにネガティブなアトリビュートが増えたんです。よって、NAFTAに渡米したのは大間違いでした。そう、皮膚感覚がまったくない、スキンシップが欠如してる状況が思春期からずっと続いたのです。よって、私には二次元しかなかった。だから、インターネットが発達してきて、アメリカでも日本のアニメが見れるようになった時に、萌え系美少女キャラにすがったんです。まるで、聖女が降りて来たようでしたよ。森永さんも書いてますね、

しかし、それはキャラクターで性的欲求を紛らわすという安易なレベルではない。血の滲むような努力が水の泡に帰した後の選択だ。彼らは心からキャラクターを愛するように「解脱」をするのである。私は、この解脱が理解できるかどうか、萌えが分かるかどうかの決定的なポイントだと思っている。萌えの人々は、本当に心からキャラクターに恋をして、そしてそのキャラクターに性的興奮を覚えるようになるのだ。その感覚は一般の男性が女性と性的関係を持つときと同じものだ。(p 55)

一方、萌えアニメを見せた場合、一般人の反応はAVを見ているときよりも、ずっと脳波の出方が小さい。体育会系オタクに至っては、まったくの無反応だった。ところが文化系萌えオタクからは強い脳波が出ていた。しかも、その脳波はα波もβ波も、体育会系オタクがAVを見たときに出していた脳波と、パターンといい、強さといい、ほとんど同じだったのだ。(p 56)

何度もチャレンジしてようやく気づく人もいる。しかし最後に彼らは、いくら頑張っても自分の努力がまったく無駄なことだと悟るのだ…しかし、女性に相手にしてもらえない状況のなかで、愛の対象を切り替えることは、実際に可能なのだ。人間の脳は、愛の対象を切り替える能力を持っているのだ。(p 201−2)

そう、その通り!森永さんは、日本人の中では、私をもっとも理解してる人だ(アメリカ人ではオバマ)。私も悟ったんですよ、ネオリベラル社会のアメリカで。私ももう十年以上必死でがんばってきましたが、現実の女の子とスキンシップが取れない、セックスができない。だから、二次元の女の子にすがりつくしかなかったんです。

しかし、私は南米に旅行に行き、初めてスキンシップを謳歌しました。人生初めて、どうしてはじめっから南米に渡米しなかったんだろうか?そうしていれば、萌えに目ざめることもなかったでしょうに。

だから、私は、南米に行きます。オバマが大統領選に勝たなければ、アメリカが変わることはないし、絶望の土地のままなので、そこに留まる必要はありません。私がかつて日本を捨てたように、今度は、アメリカを捨てて、南米に移住するのです。だから、私の将来は、すべてオバマの勝利にかかっているのです。

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【2008/06/04 00:05】 | 読書
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本を読みました。『生きがいの言葉』というものですが、それは生きがいシリーズの総集編みたいなものですが、私にもっとも影響を与えた『生きがいの女性論』からの引用はありませんでした。ほとんどは前世や来世を前提としての言葉で、老病死を克服するために永遠の命を目指している者にとっては、来世などは、その夢を妨げるものですし、来世があるということは、つまり死ぬということですから。不死身に来世はないのですから。しかし、現在は不幸にも遺伝子工学が未発達なために人は必ず死んでしまいますから、そのメッセージで救われることは否定しません。私も、その夢がとうとう叶わずに息絶えてしまうなら、来世があると思いたいです。でも、私は楽観思考で生きます、
「必ず近い将来、不死身になれる!そして永遠の16歳になる!」
と科学の進歩に大いなる期待を寄せます。

『生きがいの女性論』でもそうあるように、生きがいは、やはり異性とのスキンシップです。スキンシップが欠落していては、まったく生きている気がしません。どんなに暖かい言葉をかけてもらおうとも、やはり触ってもわらなければ、愛は感じられません。ナザレのイエスも、人の病を癒すときは、スキンシップをとっていたではありませんか。南米にはそれがあります。だから、『生きがいの女性論』がもっとも素晴らしいメッセージだと思いました。スキンシップの奨励が『生きがいの言葉』からは、なかったので、この書物では、日本の潔癖文化を変えることは出来ません。私は、その日本の腐ったあまりにも礼を重んじる儒教的な皮膚感覚の拒絶が、問題の根幹であると思います。しかもその礼が年功序列と男尊女卑に基づいたもので、女の人は自ら異性に触ろうとしません。積極性に欠けるのです。男は女の子が触ってくるまでは、基本的に女性に触ることができません。じゃないと、痴漢となってしまいます。女性が触るとしても肌と肌をくっつけるものではなく、ただ背中や上腕をポンと叩くだけ、または服の裾をちょこんと引っ張ったりと、つんつんと指先で突っついたりと、まったく皮膚感覚が生じないものです。どんなに仲良くなってもそれです。あれでは、病んでしまいます。体全体で抱擁してくれなければ、どうしょうもないのです。異性との触れ合い、それがないものは、餓鬼となってしまいます。異性との皮膚感覚に飢えて死にそうになっているのです。キモヲタが大量に発生し、病んだ男たちが引きこもりとなり、虹難(二次元難民)が増えてしまいます。餓鬼界は掴んだ食べ物が炎に変わるという世界です。つまり、あまりにも飢えているために炎でさえ食べ物と勘違いしてしまうのです。
「飛んで火に入る夏の虫」
って言いますけど、まるで蛾がコンビニの紫色のランプの光に飛び込んで焼け死ぬようなものです。キモヲタはまさにそうです。スクリーンに映っている萌え系キャラの女の子にキスして、バチッ!と静電気で唇を切ってしまうようなものです。20代男性の4分の1が恋愛経験がないという、そんな悲惨なことはあるでしょうか?4分の1ですよ!そんなことがあっていいのか!それはあまりにもおかしい。彼らは出家したわけでもないのに。救いの手はそこに差し伸ばさないといけないのです。しかし、ネオリベラルの競争原理はさらに追い討ちをかけるばかり、だからスキンシップの代わりとして、麻薬の萌え系アニメにすがるのです。最後の希望は、萌え系アニメなのです。まるで、かつてのドイツ人の失業者たちがナチスにすがったように。「我ら最後の希望、ヒトラー」というポスターのように。
lasthope.jpg

そして、飛んで火に入る夏の虫となってしまったのです。

私も日本にいたときは、女性との皮膚感覚が欠落していたために、精神がおかしくなり、無意味な言葉を呟きながら、陸橋の上をぶらぶらと歩いているだけでした。そこから飛び降りようかなぁと、夢想しているうちに本当に飛び降りて、で、清水の舞台から飛び降りたら、アメリカ行きの飛行機に飛び乗ったんです。そう、崖から落ちて猛スピードで落下しているときに、箒に乗って飛んでいる魔法使いの女の子が私をキャッチしてくれるような心境でした。魔女の宅急便か、ナウシカのような。そうして、私は魔法使いの女の子の後ろに捕まり、太平洋を横断したのです。

日本は、まったく皮膚感覚が欠落しています。皮膚感覚がないというのは、どんなに苦しいことか?その苦しみは言葉では表現不可能です。ヴィトゲンシュタインもそう言ってたし、ジョン・レノンは、
「神は人の苦しみの尺度だ!」
と無神論を宣言した「God」という曲で、叫んでました。まぁ、私の場合はキモヲタですから、「神」ではなく「萌え」ですけどね。
Moe is a concept by which we Kimowotas measure our pain.(萌えはキモヲタの苦しみを量る概念だ!)
と私は叫びます。

私の思春期、青春期、学園時代、異性との皮膚感覚はまったくありませんでした。私は小さいときからアニメが好きで、おとなしい子でした。スポーツは苦手で、どちらかというと部屋でお絵描きしたり、アニメを見たりするのが私にとってはもっとも楽しい時間でした。学校は嫌いで、とくに体育の授業がもっとも嫌いで、体育の授業があるときは、いつも保健室に行ってサボってました。でも、体育の授業のある日はお腹が痛くなったので、具合が悪かったのは本当です。仮病ではなかったのです。美術と音楽は予算カットになったのに、体育がなくならなかったのは、私にとってはもっとも不条理でした。しかし、もっとも学園で嫌悪感をもったのは、体育会系の先公と体育会系の同級生でした。そう、DQNです。それが最大の登校拒否の原因ですね。体育に嫌悪感を持ったのは、スポーツが不得意だからでなく、彼らのカバの糞のようにまき散らす言説が原因です。彼らはとても暴力的で野蛮で凶暴で、見るからに卑しい存在でした。なにかにつけて、彼らは私をぶん殴る機会をうかがっていました。私がアニメ好きで、彼らとはまったく違ったためです。でも、彼らの言説が支配していたのですから、それに私は当てはまらなかったのです。彼らが口を揃えて中傷した言葉は、
「女々しい、タマキンついてるのか?」
ということでした。そして暴力を振るわれるのです。だから、思春期の皮膚感覚の記憶というのは、激痛を伴うもの、そうパンチとキックによって埋め込まれたものなのです。

それに成長期では、ちょっと成長が遅れている子と圧倒的な体力の差が出来ますから、私は学年では身体が平均より低いほうだったので、とてもその暴力に太刀打ちできませんでした。まぁ、アメリカの憲法のように銃所持が認められていたら、正当防衛もできたんですが、日本は憲法で武装は禁止されているので、弱者はどうしょうもありません。だから、私はただ逃げまわるしかなかったですね。かならず迂回して教室を移動していましたが、やはり狭い学園では、どうしてもブチ当たってしまいます。しかし、どうして放っとかないんでしょうかね。彼らの権利を私が侵害したでしょうか?それで暴力を受けなければいけないとは、正義はどこにあったのでしょうか?

でも、そんな煉獄のような学園でも、完全に登校拒否にならなかったのは、やはり女の子たちの存在でした。女の子が唯一の希望だったのです。だから、私は好きな子たちに一心に希望を託したのです。しかし、女の子たちは、私に振り向いてくれませんでした。なによりも憤激したのは、体育会系の奴らに女の子が集っているということでした。どうしてあんな野蛮な連中に性欲が沸くのか、まったく理解できませんでした。DQNは、残忍で、凶暴で、野蛮で、残酷で、冷酷で、残虐で、好戦的で、サディストで、セクシストで、レイピストで、血に飢えた野獣なのです。それに比べて、ヲタクは奴らのように暴力を振るったりしませんし、とてもセンシティブで優しいんです。しかし、そんなヲタクをなぜか女の子は避けてました。告白した子は、悉く拒絶しましたし、当時のヲタクに対する偏見も助長して、私は変質者のように認識されていました。私がもっともすがっていたもの、それは女の子の優しさだったんです。しかし、私にそれはとうとう訪れませんでした。彼女たちにどんなに抱きつきたかったことか…。その抱擁とキスで私をいたわって欲しかった…。その柔らかい胸に顔をうずめて泣きつきたかった…。そしてその膝枕の上でお寝んねしたかった…。しかし、DQNに洗脳された彼女らは、私たちを「キモイ」といって、まったく相手にしてくれませんでした。そして、私は絶望し、引きこもりとなり、また外に出ては、陸橋をぶらぶらして飛び降りようと夢想してましたが、そんな状況に耐えきれず、とうとう日本を捨てて、NAFTA(北米自由貿易協定圏)に移住するにいたったのです。

でも、まさか『Serial Experiments Lain』のような、あの自殺願望のシンボルだった陸橋が小泉劇場の観客席になるなんて…。女子高生が陸橋を埋め尽くして、情熱的に演説する小泉を携帯でパチパチ撮ってましたからね。あんな群衆の重さによく陸橋も耐えられたなぁと思いました。信じられない光景でした。今でも小泉が総理大臣だったということが信じられません。まぁ、小泉政権時には、私は日本にいないので、実感が沸かないというのは、当然かもしれませんが。でも、ほんと、手品を見ているようでした。小泉はアメリカ型なので、日本ではリーダーになれないだろうと思ってましたから。しかし、彼の皇室典範改正案が頓挫したことからも、やはり日本のオヤジとクソジジイどもの腐り切った救いようのない精神性が伺えます。DQNの言説は、変人一人では、どうしょうもできないのです。つまり、私が去った時から、日本の本質はまったく変わっていないのです。
「ああ、やっぱり欧米と違って日本だからなぁ」
と納得してしまうんです。

日本は、体育会系が支配する社会で、そこで私は、キモヲタとして迫害され、とくに女の子の態度は冷酷そのものでした。儒教的男尊女卑年功序列という腐った道徳が蔓延してる為に、体育会系のDQNが政府、官僚、自衛隊、警察、企業、労組、学校に蔓延り、日本社会の腐敗のもととなっています。戦後、マッカーサーによって、DQNの集まりによる軍部の支配と横暴から日本と東アジアは解放されましたが、しかし、その頂点にあった裕仁の責任は放置され、軍国主義のシンボルであった靖国は解体されることなく、GHQはさっさと占領を終えて、ファシズムの根幹であったDQN根性が野放しとなってしまいました。憲法9条はたしかに日本を武装解除しましたが、人民レベルでは、それは達成されず、そのままずるずると60年経ってしまったのです。あの時、ちゃんと改革していれば、こんなことにはなっていなかったんです。改革が不十分だったのです。彼らにとっては、日本が二度とアメリカに逆らうことなく、共産圏に対する防波堤になりさえすれば、それでよかったんです。で、
「陛下の上にはアメリカがいらっしゃる」
というメンタリティーを植えつけられ、復員兵のDQN国粋主義者は今度はフィクサーとしてCIAに使われることになったのです。DQN根性がそのまま解体されることなく逆にアメリカに利用されたんです。だから、いたるところに体育会系が存在したのです。政治団体だろうが、労働組合だろうが宗教団体だろうが、大企業、中小企業、零細企業、体育会系が仕切っている社会です。つまり日本社会それ自体が腐っているのです。当然、日本の教育を高校まで受けた私も、体育会系方式で教育を受けました。しかし、いまだに丸刈りを強制する体育会系軍国主義学校が日本に存在するとのことです。まるで戦時の男子は丸刈り、女子はおかっぱのような。それはただちに排除されなければなりません。軍部主導の戦争の反省がまったくなっていないのです。ジェンダー指数では世界の先進国で最低であり、女性を蔑むイスラム国家と順位を競うほど遅れています。体育会系が撲滅されない限り、日本社会は良くならないのです。改革は進みません。

やはりアメリカ占領時に日本の民主化が徹底しなかったのが大きいのです。あの時こそ、日本を根底から改革するチャンスだったのに。それは、やはり儒教的家父長的制度の家父長的存在であった裕仁を退位させるか処刑したなったことが、もっとも大きいです。まるでアフガニスタンでタリバンを崩壊させたのに、タリバンの腐敗した道徳は排除されずにそのまま残っているようなものです。その服従構造の道徳の頂点に裕仁が君臨してたんですから、裕仁に責任を取らせて排除しなかったことは、タリバンの膿みが残留する結果となってしまいました。それで、日本ももっとも醜い部分、そう、軍国主義が形を変え、抑圧的な体育会系DQNが横行する社会となってしまったんです。で、子供は体育会系の部活動でDQNメンタリティーを叩き込まれていくのです。だから、彼らはスポーツを楽しんでいるのではなく、体育によって体育会系根性を叩き込まれ、いつの間にか凶悪犯のような凶暴性を身につけているのです。それは、まさにアイヒマン心理そのものなのです。南京集団レイプ事件も、あのような凶暴性を植えつけられた皇軍ならやりかねないと世界に納得されても、不思議ではないのです。下の図表は、その服従の構造です。
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日本では、スポーツマンと体育会系は混同されてますが、それは大間違いです。はっきりと断言しますが、DQNと体育会系は、スポーツマンではありません。スポーツマンは、日本では住みにくいはずです。なにせ、日本にはスポーツ教育というのがない、それにかわって「体育」という豚の下痢のような悪臭とギョウ虫にまみれた毒素の器が学校を汚染しているのですから。生徒に排泄物を無理矢理食わせるようなものです。かつてナチスの強制収容所でSS将校がシマシマの囚人服を着たユダヤ人にそうしたように。体育着は、まさに囚人服です。あれで、女の子はブルマを穿かされ、辱めを受けるのです。で、体育教師は一望管理システムの所長のように笛で服従の合図を出すのです。あれが、スポーツ教育と言えるでしょうか?いや、絶対に違います、それは「体育」です。ダイオキシンによる環境汚染という以前に、体育による学園汚染ですね。地球温暖化という以前に、日本DQN化ですね。それこそ、日本版の『不都合な真実』です。

そもそもスポーツは英語で「sports」ですが、「sport」は、ずばり「楽しむ」という意味です。フランス語の「disporter」が語源であり、des(離れて)+ porter(運ぶ)で、英語でいえば「carried away」ですね。で、disportのdiが省略されて、sportとなったのです。もちろんスペイン語でもスポーツは「deporte」と言います。つまり、スポーツとは遊ぶことなのです。欧米の人々はその概念を言葉で理解しているのです。この「遊び」の要素、それこそがスポーツの真髄なのですが、DQNはそれをすべて「体育」にしてしまったのです。だから、私は体育の授業はいらないと思ったし、参加することもないので、サボったのです。あれは楽しめない、つまり「スポーツできない」となりますから。スポーツするを「楽しむ」と訳せば、日本でスポーツがここまで歪曲されることはなかったでしょうね。日本の学校の部活動はスポーツではありませんから。あそこは、社会の害毒を生産しているダイオキシン工場ですから。試合に負けて部員すべてが丸刈りになるとか、ああいうのは、どう考えても人権侵害でしょう。しかし、根っこが腐敗している日本では、それが通じてしまうのです。それが問題にならないこと自体おかしい。そこでも、「先進国」と日本を位置づけるのが間違っています。経済力のみが発展していて、あとは髄まで腐り切っています。生理学に譬えると、癌が骨髄までに転移してしまったような状態です。

つまり、日本には何が必要か?それは、DQNメンタリティーを助長する儒教道徳の撤廃でしょう。そうすれば体育系部活動で子供が人格崩壊を起こし、DQNとして組み立てられるようなことはありません。なにしろ、学園で体育会系の野郎の先公どもが仕切っている為に、男の子たちはそういう卑劣な人間に育ってしまい、それで社会自体が腐敗してしまうのですから。あんなところにいたら、嫌でも健康を損ねます。精神性の低い国で精神性を高めるのは無理です。人を救うにはまず社会から改革しなければなりません。そうすれば、女性の地位は向上し、積極的にもなるし、男性に服従しなくてもよくなるし、独立したかわいさと美しさを手に入れることが出来ます。そして、そうなれば積極性も出てきますし、虹コン(二次元コンプレックス)やキモヲタにも皮膚感覚が生じることとなるでしょう。そう、『生きがいの女性論』で展開されたスキンシップ理論が日本でも実現するのです。まぁ、私は日本では、それは無理だと思ったので、日本を捨てたんですけどね。日本=絶望、アメリカ=希望という図式が私の頭の中にありました。絶望か希望か、もちろん希望に決まってます。しかし、いざアメリカに行くと、そこもDQN言説が蔓延しているネオリベラル社会でした。でも、そんな言説に対抗するリベラルな雰囲気の人々も多くいるのが、アメリカの救いです。それは、まさに希望です。で、アメリカはオバマが希望の土地に変えてくれそうです。それが「チェンジ」です。でも、オバマが大統領になれなかったら、私は、南米に行きますね。『生きがいの女性論』では、南米のスキンシップの素晴らしさを語り、そしてそれを私は実際に体験して来た生き証人ですから。

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【2008/05/14 02:04】 | 読書
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