これが私です、ではなくて、自殺した犯人の肖像である。

ヴァージニア工科大学の乱射事件、これぞアメリカだと思った。大学や高校でのキャンパスがルサンチマンの標的になりやすいのは、どうしてだろうか。私が学生の頃、コロンバイン高校虐殺が起きたし、それは1999年だったし、それでほとんどの高校では金属探知器が導入されたのだが、それから8年経って、今度は大学で虐殺事件が起きてしまった。今までの犯人はミドルクラスの白人の高校生だったが、今度はミドルクラスの韓国人の学生だったのが今回の特徴というか、歴史的な転換だ。これで、アジア人の男性は危ないという間違ったメッセージがアメリカ全土に派生したら大変なことになる。今までは黒人が犯罪者と認識されてきて不当な差別を受けてきたが、今度はアジア人も犯罪者のプロファイリングに入るようになってしまったのだ。アジア系アメリカ人は今までは「マイノリティーモデル」として、米国でもてはやされてきたのだが、しかし、この韓国人青年のせいで、それが砕けようとしている。しかも、彼は大学では薄気味悪い存在で、人と関わらず、孤独で、無口で、女の子をストーキングしていたというし、またSS隊長のヒムラーのようなブサイクな眼鏡をかけていて、全く女の子にモテなかったという。しかも、ワシントンポスト紙の報告によると、彼は気に入っている女性が他の男とイチャついているのが許せなくて、最初に射殺した被害者はその女性と女性のボーイフレンドだったという。つまり、モテないことへのルサンチマンだったのだ。まあ、その根拠はまったくないし、ただの流言飛語かもしれないのだが。
思えば私も同じく彼のように全く女性に相手にされなかったが、さすがに女性を殺したいとは思わなかった。男が邪魔だと思っていたから、女性を射殺したのは、全く理解できない行動である。アメリカは男性至上主義社会なんだから、男がすべて行けないんだ。その男のせいで彼はモテなかったんだから。だったら男を排除するべきであって、女性に罪はないだろう。そして女性とのスキンシップの欠如がやはり最大の原因だと思われる。女は男とのスキンシップを取りたいのかどうか知らないが、まあ、私の聞いたところによると、彼女らもスキンシップを取りたいようであるが、また基本的には魅力的な男には触りたいと言っていたが、またある女性はエッチしたいとも言っていたが、私を標的にすることはめったになかった。だから、私はとても傷ついた。しかしそれが虐殺行動に結びつくだろうか。アメリカはネヴァダ州の一部を除いては風俗は全て違法だからね。ルサンチマンをカタルシスで発散させる場所は限られているし。とくにバージニアは南部で保守的だからもっとセックスに対して厳しいのだろう。しかし、ゴッホやニーチェも風俗に通っていたが、それでも彼らは発狂して、死んでしまった。やはり金で買うセックスではなくて、フリーセックスだ、人を癒すのは。だから私はセックス解放を説くのだ。このような悲劇が生まれないためにも。きっとだれもセックスしてくれなかったんだろう。しかしそんな絶望的な状況でも、アニメで萌えるのも一つのカタルシスだ。皮膚感覚はさすがにないが、それでも精神的には癒されるだろう。だから犯罪行為までにはいたらなかったはずだ。ただ、スキンシップがないということは、窓から飛び降りたい衝動を止めることにはならないということだが。しかし、彼の場合は、問題はそれほど単純ではない。なにしろ人種構成が複雑なアメリカ社会。そして、もっとも重要なことは彼がアジア系であったということだ。今まで従順と思われていたアジア系の男がそんな犯罪に手を染めたのはアメリカ史上初めてといっていいであろう。それは人種というややこしい問題を抱えている。
そういえば、キルドーザーという殺人ブルドーザーがコロラドの町を破壊したという事件もあったが、あれは逆にアメリカの一部では「アメリカンヒーロー」と称賛されているそうだ。なんと市役所を粉々に破壊したのだから。それは財産権の問題で、まあ、盗人にも三分の理というのがあるように、一概には言えない問題であった。私も日頃から役所には腹を立てているからね。あと郵便局、あそこのサービスは最悪だ。郵政民営化はアメリカでやりたいぐらい。そして自動車免許所、あれはもうゲロ以下だ。アメリカの役所のサービスの質というのは先進国のなかで最低であろう。だから、このようなキルドーザーが役人を思い知らせてやったというのは、実にすかっとするのだ。だって何回言ったて彼らは全く脳みそがゲロでできているのかとしか思えないほど、わからないのだから、そうなったらキルドーザーもやむを得なかっただろう。役所の住民いじめには、革命を持って対処するしかなかったのだ。なにしろ我々には革命権があるのだから。
しかし今回の大学乱射事件は非人道的行為であり、人道に対する罪である。まったく正当化できる余地がない。しかし、私がもっとも懸念することは、この虐殺でアジア系の男に対するステレオタイプと偏見が助長されてしまうことであろう。マイノリティーは数が少ないので、偏見が持たれやすいのが禍だ。黒人も『国家の誕生』では白人女性をレイプする犯罪者だったが、『アラバマ物語』では、白人女が黒人紳士をやってしまおうとするものであり、それは当時としてはかなり衝撃的だったが、現在では『コーラテラル』ではトムクルーズが黒人女を襲う犯罪者だ。だから時代は完全に進み、黒人は恋愛面でも市民権を得たのである。そう、ハリウッド映画を見れば、アメリカの恋愛市場はどうなっているか、だいたい見当がつくのである。
しかし、白人のアジア系の女性に対する美的感覚は我々のと明らかにずれている。それは白人と黒人が恋愛至上主義社会のマスターでアジア人はナチス社会でのユダヤ人のようなものである。ルーシー・ルーは白人男性にとってはセクシーだが、アジア系の男から見たらただのドブスだ。サンドラ・オーなどもっとひどい。柴田理恵並みだ。しかし東洋系のドブスな女性が白人には綺麗と思われるのだ。田島陽子だって、ヨーロッパでは勝ち組の貴族の男たちと恋愛していたぐらいなのだから。しかしアジア系男性はどこにいっても、コミカルにしか見えず、アジア系の女以外の人種の女性には、そう見えてしまうのだ。アジア系男性は、
「従順で消極的、背が低い、小さいつり目、三白眼、無表情、眼鏡、出っ歯、小さいペニス、ガリ勉、コミカル、天然、ヌンチャクができる器用さ、東洋の奇妙さ、ルックス最悪、セックスするには値しない」
というステレオタイプがある。だから私はアメリカ人のなかでは背が低いし、脚も短いし、女性には、
「ほんとうアジア系代表って感じだね」
と批評されたし、それに超セクシーなアメリカ人女性は私の目の前で、
「アジアの男ってペニスが小さいんだよね」
と私の友だちに言っていた。彼は親友だったが、いまニューヨークでIT関係の仕事で活躍しているが、彼がオクラホマで当時付き合っていたガールフレンドに私を紹介されたとき、そういうコメントをしたのだ。私は苦笑いを浮かべたが、心の中では燎源の火であった。というか、あまりにもショックで、茫然自失となった。しかし、そんな中でも、私に欲情したアメリカ人女性もいたことにはいた。なかにはユダヤ人女性もいたが、それは私がセクシーだったからではなく、私はいつも滅茶苦茶なことを言うので、コミカルの度が行き過ぎていたためであったからだ。しかもその子たちも、普通の精神の持ち主ではなかったし。まあ、資本主義に洗脳されてダイヤモンドを期待している女性よりかは遥かにましだが。だから韓国人学生もそのステレオタイプのせいで、女性からまともに相手にされずに苦しんでいたのだろう。というか女性だけでなく、社会全体がそうだったのだろう。そしてルサンチマンが爆発してしまったのだ。
もちろんアジア系男性でもイケメンはいる。しかし、そのような俳優たちが主役に抜擢されたことがあるだろうか。役が回ってきたとしてもアジアのアクセントで演じなければ行けないという屈辱、アメリカ人なのに。アメリカで生まれ育って英語も完璧なのに。つまり東洋系アメリカ人が映画に使われる時は、映画にエギゾチックな要素を加える、そう七味唐辛子のような役割しか与えられていないのである。それが私の俳優仲間の友だちの証言だ。それでアメリカの凡人は、
「ほら、アメリカは異人種国家なんだよ」
と自負するのである。それが、一体なにを示しているかをまったく気付かずに。だからそれが恋愛にも影響を与えてしまっているのだ。恋愛での人種差別が起きてしまっているのである。だから東洋人にとって最後の市民権はハリウッドと恋愛なのである。一方、同じアジアの民であるインド系のサンジャヤは自他が認めるアメリカン・アイドルだというのに。東洋系だけか、不当な差別を受けているのは。だって東洋系アメリカ人はアメリカに生まれているのにも関わらず、非東洋系アメリカ人には、
「おまえ、どこで生まれたんだ?」
と失礼な質問をされるのだから。完全に東洋系は同化していないと思われているではないか!我々に最も必要なのは、東洋系アメリカ人のアメリカン・アイドルだ!
私はデタラメを言っていると思うのか。私の言うことがそんなに信じられないのなら、ハリウッド映画を見よ。アジア系男性と白人女性のセックスシーンはあるだろうか。それが答えだ!
しかし、今回の事件でアジア系の男性が「従順」という要素はなくなったであろう。そしてセクシャル・プレデターとしての要素がでてきた。七味唐辛子のビンがキャップごと取れてしまい、メルティングポットのうどんにドサッと注いでしまったかのようだ。黒人もそういう経路を辿って、やっと恋愛市場で市民権を獲得したのだから。そういう意味では、恋愛市民権の一歩手前まできたということか。でも、東洋系の数はとても限られているので、ヒスパニックや黒人のように訴える力があるかどうか。それがまた問題である。





ヴァージニア工科大学の乱射事件、これぞアメリカだと思った。大学や高校でのキャンパスがルサンチマンの標的になりやすいのは、どうしてだろうか。私が学生の頃、コロンバイン高校虐殺が起きたし、それは1999年だったし、それでほとんどの高校では金属探知器が導入されたのだが、それから8年経って、今度は大学で虐殺事件が起きてしまった。今までの犯人はミドルクラスの白人の高校生だったが、今度はミドルクラスの韓国人の学生だったのが今回の特徴というか、歴史的な転換だ。これで、アジア人の男性は危ないという間違ったメッセージがアメリカ全土に派生したら大変なことになる。今までは黒人が犯罪者と認識されてきて不当な差別を受けてきたが、今度はアジア人も犯罪者のプロファイリングに入るようになってしまったのだ。アジア系アメリカ人は今までは「マイノリティーモデル」として、米国でもてはやされてきたのだが、しかし、この韓国人青年のせいで、それが砕けようとしている。しかも、彼は大学では薄気味悪い存在で、人と関わらず、孤独で、無口で、女の子をストーキングしていたというし、またSS隊長のヒムラーのようなブサイクな眼鏡をかけていて、全く女の子にモテなかったという。しかも、ワシントンポスト紙の報告によると、彼は気に入っている女性が他の男とイチャついているのが許せなくて、最初に射殺した被害者はその女性と女性のボーイフレンドだったという。つまり、モテないことへのルサンチマンだったのだ。まあ、その根拠はまったくないし、ただの流言飛語かもしれないのだが。
思えば私も同じく彼のように全く女性に相手にされなかったが、さすがに女性を殺したいとは思わなかった。男が邪魔だと思っていたから、女性を射殺したのは、全く理解できない行動である。アメリカは男性至上主義社会なんだから、男がすべて行けないんだ。その男のせいで彼はモテなかったんだから。だったら男を排除するべきであって、女性に罪はないだろう。そして女性とのスキンシップの欠如がやはり最大の原因だと思われる。女は男とのスキンシップを取りたいのかどうか知らないが、まあ、私の聞いたところによると、彼女らもスキンシップを取りたいようであるが、また基本的には魅力的な男には触りたいと言っていたが、またある女性はエッチしたいとも言っていたが、私を標的にすることはめったになかった。だから、私はとても傷ついた。しかしそれが虐殺行動に結びつくだろうか。アメリカはネヴァダ州の一部を除いては風俗は全て違法だからね。ルサンチマンをカタルシスで発散させる場所は限られているし。とくにバージニアは南部で保守的だからもっとセックスに対して厳しいのだろう。しかし、ゴッホやニーチェも風俗に通っていたが、それでも彼らは発狂して、死んでしまった。やはり金で買うセックスではなくて、フリーセックスだ、人を癒すのは。だから私はセックス解放を説くのだ。このような悲劇が生まれないためにも。きっとだれもセックスしてくれなかったんだろう。しかしそんな絶望的な状況でも、アニメで萌えるのも一つのカタルシスだ。皮膚感覚はさすがにないが、それでも精神的には癒されるだろう。だから犯罪行為までにはいたらなかったはずだ。ただ、スキンシップがないということは、窓から飛び降りたい衝動を止めることにはならないということだが。しかし、彼の場合は、問題はそれほど単純ではない。なにしろ人種構成が複雑なアメリカ社会。そして、もっとも重要なことは彼がアジア系であったということだ。今まで従順と思われていたアジア系の男がそんな犯罪に手を染めたのはアメリカ史上初めてといっていいであろう。それは人種というややこしい問題を抱えている。
そういえば、キルドーザーという殺人ブルドーザーがコロラドの町を破壊したという事件もあったが、あれは逆にアメリカの一部では「アメリカンヒーロー」と称賛されているそうだ。なんと市役所を粉々に破壊したのだから。それは財産権の問題で、まあ、盗人にも三分の理というのがあるように、一概には言えない問題であった。私も日頃から役所には腹を立てているからね。あと郵便局、あそこのサービスは最悪だ。郵政民営化はアメリカでやりたいぐらい。そして自動車免許所、あれはもうゲロ以下だ。アメリカの役所のサービスの質というのは先進国のなかで最低であろう。だから、このようなキルドーザーが役人を思い知らせてやったというのは、実にすかっとするのだ。だって何回言ったて彼らは全く脳みそがゲロでできているのかとしか思えないほど、わからないのだから、そうなったらキルドーザーもやむを得なかっただろう。役所の住民いじめには、革命を持って対処するしかなかったのだ。なにしろ我々には革命権があるのだから。
しかし今回の大学乱射事件は非人道的行為であり、人道に対する罪である。まったく正当化できる余地がない。しかし、私がもっとも懸念することは、この虐殺でアジア系の男に対するステレオタイプと偏見が助長されてしまうことであろう。マイノリティーは数が少ないので、偏見が持たれやすいのが禍だ。黒人も『国家の誕生』では白人女性をレイプする犯罪者だったが、『アラバマ物語』では、白人女が黒人紳士をやってしまおうとするものであり、それは当時としてはかなり衝撃的だったが、現在では『コーラテラル』ではトムクルーズが黒人女を襲う犯罪者だ。だから時代は完全に進み、黒人は恋愛面でも市民権を得たのである。そう、ハリウッド映画を見れば、アメリカの恋愛市場はどうなっているか、だいたい見当がつくのである。
しかし、白人のアジア系の女性に対する美的感覚は我々のと明らかにずれている。それは白人と黒人が恋愛至上主義社会のマスターでアジア人はナチス社会でのユダヤ人のようなものである。ルーシー・ルーは白人男性にとってはセクシーだが、アジア系の男から見たらただのドブスだ。サンドラ・オーなどもっとひどい。柴田理恵並みだ。しかし東洋系のドブスな女性が白人には綺麗と思われるのだ。田島陽子だって、ヨーロッパでは勝ち組の貴族の男たちと恋愛していたぐらいなのだから。しかしアジア系男性はどこにいっても、コミカルにしか見えず、アジア系の女以外の人種の女性には、そう見えてしまうのだ。アジア系男性は、
「従順で消極的、背が低い、小さいつり目、三白眼、無表情、眼鏡、出っ歯、小さいペニス、ガリ勉、コミカル、天然、ヌンチャクができる器用さ、東洋の奇妙さ、ルックス最悪、セックスするには値しない」
というステレオタイプがある。だから私はアメリカ人のなかでは背が低いし、脚も短いし、女性には、
「ほんとうアジア系代表って感じだね」
と批評されたし、それに超セクシーなアメリカ人女性は私の目の前で、
「アジアの男ってペニスが小さいんだよね」
と私の友だちに言っていた。彼は親友だったが、いまニューヨークでIT関係の仕事で活躍しているが、彼がオクラホマで当時付き合っていたガールフレンドに私を紹介されたとき、そういうコメントをしたのだ。私は苦笑いを浮かべたが、心の中では燎源の火であった。というか、あまりにもショックで、茫然自失となった。しかし、そんな中でも、私に欲情したアメリカ人女性もいたことにはいた。なかにはユダヤ人女性もいたが、それは私がセクシーだったからではなく、私はいつも滅茶苦茶なことを言うので、コミカルの度が行き過ぎていたためであったからだ。しかもその子たちも、普通の精神の持ち主ではなかったし。まあ、資本主義に洗脳されてダイヤモンドを期待している女性よりかは遥かにましだが。だから韓国人学生もそのステレオタイプのせいで、女性からまともに相手にされずに苦しんでいたのだろう。というか女性だけでなく、社会全体がそうだったのだろう。そしてルサンチマンが爆発してしまったのだ。
もちろんアジア系男性でもイケメンはいる。しかし、そのような俳優たちが主役に抜擢されたことがあるだろうか。役が回ってきたとしてもアジアのアクセントで演じなければ行けないという屈辱、アメリカ人なのに。アメリカで生まれ育って英語も完璧なのに。つまり東洋系アメリカ人が映画に使われる時は、映画にエギゾチックな要素を加える、そう七味唐辛子のような役割しか与えられていないのである。それが私の俳優仲間の友だちの証言だ。それでアメリカの凡人は、
「ほら、アメリカは異人種国家なんだよ」
と自負するのである。それが、一体なにを示しているかをまったく気付かずに。だからそれが恋愛にも影響を与えてしまっているのだ。恋愛での人種差別が起きてしまっているのである。だから東洋人にとって最後の市民権はハリウッドと恋愛なのである。一方、同じアジアの民であるインド系のサンジャヤは自他が認めるアメリカン・アイドルだというのに。東洋系だけか、不当な差別を受けているのは。だって東洋系アメリカ人はアメリカに生まれているのにも関わらず、非東洋系アメリカ人には、
「おまえ、どこで生まれたんだ?」
と失礼な質問をされるのだから。完全に東洋系は同化していないと思われているではないか!我々に最も必要なのは、東洋系アメリカ人のアメリカン・アイドルだ!
私はデタラメを言っていると思うのか。私の言うことがそんなに信じられないのなら、ハリウッド映画を見よ。アジア系男性と白人女性のセックスシーンはあるだろうか。それが答えだ!
しかし、今回の事件でアジア系の男性が「従順」という要素はなくなったであろう。そしてセクシャル・プレデターとしての要素がでてきた。七味唐辛子のビンがキャップごと取れてしまい、メルティングポットのうどんにドサッと注いでしまったかのようだ。黒人もそういう経路を辿って、やっと恋愛市場で市民権を獲得したのだから。そういう意味では、恋愛市民権の一歩手前まできたということか。でも、東洋系の数はとても限られているので、ヒスパニックや黒人のように訴える力があるかどうか。それがまた問題である。



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