NAFTAでのキモヲタのソナタ
先日、仕事の休憩中、休憩室でテレビを見ていると、緊急速報が入ってきた。アンナ・ニコール・スミスがフロリダのホテルで意識がなくて倒れているところを発見され病院に搬送されたという。我々労働者は騒然となった。そして翌日、ABCニュースを見ると、ヘッドラインでアンナが死亡したと報道されていた。その日の職場はこの話題で持ち切りであった。また検死官が死因を特定できなかったと発表したことにより、これから様々な陰謀説が飛び交うことであろう。その時、私はシッダールタのことばを思い出した。
青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女についての嫉妬から夜も眠られない、ーこれは破滅への門である(スッタニパータ112)
つまり若い女との恋は、青春を過ぎてしまった男にとっては破滅ということである。アンナは雑誌の『プレイ・ボーイ』で有名になり、その甲斐あって石油の大富豪と結婚した。その大富豪との年の差は60歳以上であった。その結婚はアメリカ全土を震撼させた。そして大富豪が死んでから遺産相続で裁判沙汰になって、裁判は最高裁までもつれ込んだという。だが、アンナも昨年一人息子を亡くし、また去年生まれたばかりの長女を残して他界してしまった。つまり、青春を過ぎた男だけが、若い豊胸の女性との結婚で破滅に追い込まれただけでなく、その若い女性までもが破滅してしまうということが証明されてしまったのだ。また彼女の親類までもが破滅の門をくぐることになってしまうのだ。キサー・ゴータミはシッダールタに出会って救われたが、アンナはそのような機会にも恵まれず、5ヶ月の子どもを残して死んでしまった。

私だって青春を過ぎてしまった。しかし、私は大富豪ではない。それに結婚を望んで恋愛することもない。だから大丈夫だ。まあ、この新自由主義的資本主義社会の恋愛の言説がまかり通る娑婆では、絶世の美女に辿り着くチャンスは微塵にもないが。絶世の美女も大富豪の老人と結婚せず、私と遊んでくれたなら破滅せずに済むものを。しかし、あの老人、なにもアンナを妻にすることはないではないか。ただケネディーのように普通に遊んでいれば、破滅することはなかったのに。オナシスもジャックリーンと遊んでいるだけで良かったものを。だから恋愛は深入りしないほうが良い。とくに結婚となると破滅をもたらす。これこそ恋愛結婚の最悪なケースであろう。江戸時代の恋愛は「粋」といい、純粋に肉体関係を楽しんでいただけである。そのほうがよほど安全だ。深入りしなければ、お互いに傷け合うことも少ないだろうし。さもなければ、可愛さ余って憎さ百倍とも言うし。何を隠そう、結婚なんて突き詰めてしまえば財産上の契約でしかない。だから契約を破棄すれば、離婚すれば、配偶者が死亡すれば、同然財産で揉め事になり、裁判となる。しかも遺産が大きければ大きいほど問題も肥大する。大富豪の遺族はなおさらだ。しかし結婚しなければ、そんな問題は毛頭起きない。

「盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて」の「誘き入れて」とは要するに結婚のことであろう。当時のインドの都市社会でも既にアンナのようなことが行われ、破滅した老人と女性が多かったのだろう。『テーリーガーター』に登場する尼僧たちも青春を過ぎた男との結婚でひどい目に会い、それが出家の動機となっている。というか出家しか救われる方法はなかったのだろう。世間では老人の庇護がなくなった今、どこへ行っても「あばずれ」として唾棄されるのだから。かつてマリー・アントワネットが「オーストリアの売女」と罵られ、断頭台の露と消えたように。また青春を過ぎた男、いわゆる老人で若い美女と結婚できるのは大抵大富豪である。それに年老いた大富豪はよっぽどの美女しか結婚相手に選ばない傾向が強い。だからシッダールタの尼僧たちもかつては絶世の美女であり、ちやほやされて大富豪の老人たちと結婚していたのだろう。しかし、その結婚が仇となってしまったのだ。アンナのように。だからシッダールタはこのように戒めているのかもしれない。

アメリカではカジュアル・フライデーという日があって、ホワイトカラーの職場では金曜日だけスーツを着ずに普段着で通勤していいという習慣がある。しかし、こともあろうに、その日に限って若い女性が胸の谷間をもろに見せるようなカットの入ったシャツを着てきて仕事をしていることがある。それは本当にチラチラして全く仕事に集中できない。いやー、普段はまったく気にかからない女の子でさえ、
「うぇ!すげっ!ティンバルの実だぁぁ!」
とその子がやけに色っぽく見えてしまい、セックスアピールが遍く顕彰されるかのごとくである。そんなに目立たない子にでもセックスアピールはとても有効だということか・・・。気付かなかった。なにせカジュアルフライデーのような職場は初めてなもんで。普段は通りすがりの美人にしかドキッとさせられないが、うーむ、脳が過剰反応して、脳裏にその子の谷間が焼き付いてしまう。「夜目、遠目、笠の内」では反応しえない子たちの積極的なティンバルの実の露出。
「おいおい、本当に社内でそんな格好していいのかよ」
と面と向かって指摘できない。そんなこと言ったら、逆に誤解されてセクハラ訴訟もあり得るからだ。アメリカは訴訟社会だからなぁ。怖い怖い。しかもその子たちはその日に限って愛想がいいというか、笑顔を振りまいたりなんかして・・・、普段は見せない肩をキュッとさせる可愛らしい仕草、
「やめろ、そんなことされたら駄目なんだ〜」
と喘ぐしかない。だって目つきが全然違うんだもん。あの目つき、どう表現したらいいのかな。獲物を狙う目でもないし、妖婉な目つき?それに近いかも。とにかく、こっちが、
「ひぇえええ〜」
となってしまうような目だ。金曜の夜は皆デートするからなぁ。愛欲剥き出しになるんだろう。その愛欲が私に向いてくれさえすれば、とっくの昔に無神論を捨てているというのに。くぅぅー、ちくしょう。ああ、いかでか女の子と恋愛遊戯に興じたいか、神でさえわかっちゃいねぇ。いや、神なんていねんだ。もし本当に神さまがいたなら、今頃のあたしは女の子たちと享楽の世界で愛欲を大爆発させているに決まってるもん。「Please come with me, Amen(『おとボク』の主題歌より)」と歌いながら。

私は独身だ。だから青春はまだまだ続くはずだ。事実、悲しいことに私の世代ではもう結婚して子どもを持つのが当たり前になってしまったが、
「へえ〜、まだパパじゃないんだ」
とふざけたことを言いやがるボケなすどもが次から次へとまるでスパムメールのように現れてくるが、それでもその言説と社会的圧力には絶対に屈しない。そもそも「青春を過ぎた男」とは結婚している、もしくは結婚していた男性である。まあ、アメリカでは戸籍というシツテムがないので「バツイチ」の定義には当てはまらないが。そんな腐ったシステム、なんでマッカーサーは破壊しなかったのだろうか。米国は米国で、アメリカの女はやけに名字を変えたがる。それをまた喜ぶ心理も理解不能だ。
「あたし、最近名字が変わったからぁ」
まったくふざけているとしか言いようがない。移民国家アメリカでは名字で文化が判別されてしまうからだ。移民の女は皆、アングロサクソン系の名字に変えたいのだろう。そんな名字なんか廃止してしまえ。インドネシアのように名前一つだけで通じる国はないのか。あるいはジョン・レノンとオノ・ヨーコみたいに両方がそれぞれの名字を付け足すということはしないのか。それはともかく、私は結婚経験がない独身だ。よって、私はまだ青春期にいるのだ!たとえ万人が私の青春を否定しようとも!青春の自由を謳歌し続けて不死身になってやる!




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【2007/02/11 01:13】 | 芸能
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