ブッシュ、ヤハウェ、チンパンジー


最近、メキシコのテレノベラ(ドラマ)をよく見ますが、その中で『Pasión 』という大河ドラマがあり、去年メキシコで大ヒットしたのですが、その最終回が先月にありました。感動して、泣いちゃいましたよ…。なんといってもアニヲタにとっては『ポケモン10』のEDで有名なサラ・ブライトマンの歌う主題歌がいいですね。で、どういう物語かというと、まだスペイン領だった18世紀のメキシコで、婚約したての女性がDroit De Seigneurから逃れるために、村から脱出して、逃げ先で海賊の男と出会い、そして最終的に恋に落ちるというものです。で、私は、
「そのDroit De Seigneurって一体なんだろう?」
と疑問に思って、それでいろいろ考慮しながら、この記事を書くことにしたのです。


ヤハウェ&チンパンジー


さて、中世ヨーロッパには、Droit De Seigneurという領主の初夜権がありました。つまり、領民の娘が結婚したときに、最初にする男が領主なわけです。それは領民の娘がすべて領主に属しているからです。しかし実際には、結婚税、または結婚登録料金が初夜権を購買したこととなり、つまりそれで新郎がセックス権を買ったことになったので、領主とのセックスはほとんどなかったようです。その権利売買はオプション取引みたいですね。セックスを金で交換していますから、これも立派な売春、いや援助交際?で、その伝統はヨーロッパ独特ではなくて、チグリス・ユーフラテス川の流れるメソポタミアにあり、ヨーロッパ文明もギリシャを通して、メソモタミアに辿り着きますから、ギルガメッシュの時代にまで遡るそうです。そう、シュメール、バビロニアがそうですね。で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の源流である、いわゆるセム民族の開祖であるアブラハムも、メソポタミアのウル出身です。まっ、メソポタミアという意味がギリシャ語で「真ん中の川、中川」ですから、世界の中川というぐらいだから、ギリシャ人でさえ自分たちの文明はメソポタミアからもたらされてたと思っていたわけです。丁度、日本人が今でも支那を「中国」と呼ぶようなものですね。そんなわけでDroit De Seigneurも、当然、メソポタミアから発祥したのでしょう。

そう、領主のモデルはヤハウェですね。Droit De Seigneurはフランス語で「領主の権利」という意味で、実質「Seigneur」はスペイン語だと「Señor」、英語だと「Lord」で、「主」という意味です。つまり「ヤハウェの権利」としてもとることができます。結婚でセックスする権利をヤハウェから買うのです。つまり、娘は家父長ヤハウェのものだから、すべての処女(未婚女性)はヤハウェに属するのです。Droit De Seigneurは、本当はだれが娘の所有者か、それを明白にさせる権利だったんです。つまり、だれがボスかということです。だから、処女とエッチすることは、ヤハウェに対する犯罪なのです。で、結婚は、新郎にヤハウェの権利を与えたわけですから、浮気はヤハウェとの契約を侵害することになるので駄目なのです。なぜなら、自分の娘とのセックスの権利を新郎に与えたのであり、他の男には与えてないからです。また第三者の男が処女かまた既婚女性とセックスするならば、、ヤハウェに対する犯罪となります。よって当事者はすべて石打の刑に処せられます。たとえそれがレイプであっても、女は貞操を失ったとして、死刑です。被害者まで許さないのが「慈悲」の神ヤハウェなのです。結婚は、男女の契約ではなく、ヤハウェと男の間の契約なのです。だから、結婚はヤハウェの代理人である牧師の前で行われます。それこそ、家父長制男性至上主義社会であり、その集合的無意識がヤハウェだったのです。女性は、飽くまでも、男のための存在であり、それ以上ではありません。アダムが淋しい思いをすると行けないので、男のためにイヴが造られたのですから。ゴーレムやアダムのようにちゃんと土から造ってないのです。しかも、男のあばら骨から。つまり女はもともと男の体の一部、だから男の所有物、男に属するもの、だから、男がどうしょうといいわけなのです。つまり、男の都合の為に女はいるのですから。それが創世記を書いたヤハウェ的人間、そう、モーゼはそういう世界観をもった思想家だったのです。

だから、アダムより高い次元の存在とされたリリスという女性は、アダムとのセックスで下になることを拒みました。リリスは土ではなく、ましてやあばら骨からではなく、風によって造られた精霊です。だから、自分はアダムより高い存在なので、アダムこそが下になるべきだと主張しました。そして、リリスはヤハウェを拒み悪魔となりました。つまり、ヤハウェは、女であれば、すべて男に屈服させようとしたのです。風の精霊、風と言えば、『CLANNAD』の風子、そう、彼女はリリスだったのです。ヒトデばかり造っていましたが、ガラクタ人形を造った謎の少女が主人公だったので、風子はサイドキックほどの存在でした。その子たちは、ヤハウェ的社会で、みんな病気になるんですね。

そして、Droit De Seigneurは、なにも人間社会においてではなく、チンパンジーにも確認されているです。そう、チンパンジーのボスがセックス権を握っているのです。よって、すべてのメスチンパンジーは、ボスのものなのです。それでボスがだれかわかるのです。ダーウィンの進化論だと、人間はチンパンジーは共通の祖先から進化したのですから、ボスのセックス権もそのチンパンジーの祖先である猿が始めたんでしょう。つまりそのDroit De Seigneurという伝統と思想は猿ゆずりだったといいうわけです。そう、進化の過程で、その野蛮な風習も人間に継承されたのです。まっ、聖書をはじめとするセム神話はメソポタミアが人類発祥の地とされるので、メソポタミアで猿が人類に進化したんでしょうね。で、Droit De Seigneurもメソポタミアで発祥したのですから、猿から引き継いだ、そして、その領主は、もともと猿のボス、で、そのボス猿の姿は全身が体毛で覆われているチンパンジーに近いはずでしたから、ということは、ヤハウェは、その領主の集合的無意識だから、ヤハウェは、姿としてはチンパンジーのボス、いわゆるボスチンプだったのです

そして、その「ヤハウェ」を最初に妄想したのはアブラハムです。ヤハウェはアブラハムの二重人格の一つだったか、勝手にヤハウェを作り上げたんでしょうね。それか「imaginary friend」だったんです。つまり、ヤハウェがアブラハムの分身だとしたら、人類とチンパンジーの共通の祖先がアブラハムなのです。だから、アブラハムはボス猿なのです。よって、アブラハムも外見はチンパンジーなのです。そして、アブラハムの息子のイサクもボス猿で、で、彼の二人の息子がエサウとヤコブです。それが、チンパンジーと人類の分かれ目となります。つまりエサウがチンパンジーの祖、ヤコブが人類の祖だったんです。そう、創世記は、実は進化論に基づく物語だったのです。もちろんエサウは毛もじゃらのチンパンジーでしたから彼が正統後継者でしたが、体毛が薄い人間であるヤコブは、毛皮を着て、
「自分はチンパンジーのエサウです」
と盲目の父親イサクを騙し、正統後継者となります。それか、イサクは、「turn a blind eye (見て見ぬふり)」で、内心、人類が猿の伝統を引き継いでくれることを喜んでたのかもしれません。そう、毛もじゃらであることが、神の正統後継者としての証だったのです。人間は、猿から完全に決別して進化しようとしたんですが、ヤコブはそれを阻止してしまったのです。せっかくの「人類」としての進化のチャンス、猿からの自由と独立のチャンスを潰してしまったのです。やはり、一人だけ体毛が薄いことは、霊長類の「はぐれもの」というレッテルに耐えられなかったのでしょう。よって、世界の大部分の人口がキリスト、イスラム、ユダヤという毛皮を着てしまうハメになったのです。なにしろヤハウェに無条件に従属して徹底服従することが信仰ですから、ナチ党員が茶色いシャツとハーケンクロイツを身につけてヒトラーに従属するようなもので、人々も猿の毛皮を着て、それを服従の証、信仰の証としたのです。イスラムという意味はアラブ語で「surrender(服従)」という意味で、ムスリムは「服従者」という意味です。「unconditional surrender」とは、無条件降伏ですね。そう、ヤハウェへの無条件降伏が「faith(信仰)」なわけです。それは、猿の毛皮で表します。だから信仰とは、毛皮のようなものなのです。そう、猿の伝統と猿への信仰(帰属、従属、服従)は、猿の毛皮なんですよ。よって、キリスト教徒だったダーウィンは、下の図のように猿の毛皮を着ているのです。だから、彼の中では進化論とキリスト教は反駁することなく合致していたのです。

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そう、ボス猿が、ヤハウェの元だったのです。それがミームとして進化して、ヤハウェになった?そう、猿が人間に進化したと同時に、ヤハウェはチンパンジーに進化した(?)というか、それがヤハウェと呼ばれるようになっただけのことです。そう、そのボス猿の性風習を引き継いだのがチンパンジーだったのです。だから、猿のボスでもあり、当然人間よりもチンパンジーを選んだヤハウェはまたチンパンジーのボスでもありますね。で、その人間のように進化できなかったチンパンジーの性風習を、チンパンジーよりはるかに進化した人間にまだ押し付けようとしているのです。「毛もじゃら猿の伝統を絶やすな!」と言わんばかりに。Droit De Seigneurは、チンパンジーと人類が兄弟である証だったのです(ヤハウェからの視点では)。だから、それを捨て去ってしまったら、人類は完全にチンパンジーから離別してしまうことになってしまいますから。しかし、人類は進化するために、チンパンジーを捨て去ることが必要だったのです。つまり進化できていないのは、ヤハウェだけなのです。だから、ヤハウェはボスチンプのカヴァーだったんです。

どうして、ヤハウェは、偶像崇拝を禁止しているか、それは、自分がチンパンジーであることがバレてしまうからです。だから、神の姿は極力避けるように仕向けたのです。ミケランジェロのシスティン聖堂の天地創造の白髪で白ヒゲを貯えた白人のジジイではないのです。そう、人間ではないのです。チンパンジーなのです。チンパンジーの姿では、人間はだれも崇拝してくれません。逆に下等生物としてバカにされてしまいます。それに、ほかの神々は、人間らしくて、とても美しいです。だから、彫刻にされたら、みんなアフロディーテとかベルダンディーとかアポロとかディオニソスとかに心を奪われ、チンパンジーは取り残されてしまいかねません。多神教では彼は埋もれてしまうのです。だから、あそこまで偶像崇拝禁止にこだわり、一神教に徹底し、十戒にも載せたのです。
「自分は嫉妬の神だから、他の神ではなく、自分だけを拝んで欲しい」
って。そう、姿を見せなくすることで、人々の心に畏れを抱かせるのです。天皇がかつて幕の後ろに隠れていたようなものです。そうすれば、チンパンジーであろうが、バレません。動物だろうが、なんだろうが、崇拝してくれますね。で、自分を崇拝しない人間は「infidel」として虐殺します。たかが一匹のチンパンジーを崇拝しないために、ジャーヒリーヤとしてテロ攻撃の対象となってしまうのです。

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あと、ヤハウェは自分の姿に似せて人間を造りましたね。それは、ヤハウェから人間に進化したことを表しています。自分の子孫が人間であるなら、それは理にかなっているでしょう。ナザレのイエスも「神の子」と言っているのですから。つまりもし私たちの先祖が神であるなら、進化論からすると、先祖はチンパンジーと共通の祖先なので、チンパンジーのような毛もじゃらな猿が神となります。当然、人間はチンパンジーに似てますし、DNAの98%が人間と同じです。そのたったの2%で、姿が似てるけど、違うようになるのです。だから、ヤハウェと人間が98%DNAが同じならば、それは「似てる」と言えるでしょう。

またボスチンプとしての伝統を守るヤハウェは、ヨセフの婚約者であったマリアに対して、チンパンジーならではのDroit De Seigneurを行使しました。そして、ナザレのイエスはひっそりと馬小屋で誕生します。だから、私はマリアが未婚状態で子供が出来たということで「Virgin Birth(未婚女性の出産)」を信じます。で、イエスは、ヤハウェを「神」ではなく「父」と呼びました。だから、イエスは、チンパンジーと人間の間の子、半人半猿の「チンパンマン」なのです。そう、犬夜叉みたいなものですね。安倍晴明も母親が雌ギツネといいますし、獣姦は神話のお決まりパターンのようであります。そう、チンパンジーと人類の間の子を造ることによって、人類をすべて猿の伝統に縛り付け、人類の進化を阻止しようとしたのです。イエス自身は、
「自分はチンパンジーと人類の架け橋だ」
と正義感に燃えていたようですが、ご存知の通り、それで、人類の大多数がキリスト教となってしまい、進化のプロセスがスローダウンしてしまいました。それでDroit De Seigneurが中世ヨーロッパに蔓延し、また18世紀のメキシコで『Pasión』の悲劇を生み出しました。で、イエスもチンパンジーと人類の間の子ですから、イエスの容姿は、チンパンジーに近かったはずです。

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そして、これが人間とチンパンジーの進化の過程とアブラハムの神話の家系図です。そして、分化した二つの族を統合させようとしたのがイエスの存在でした。
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ブッシュ&チンパンジー


話は変わりますが、イエスの神話からわかるように、未婚の女性とエッチすれば、ヤハウェと同じことをしてるので、つまり、神になれるのです。イエスの生物学的父親も、聖書にはまったく出てきませんし、その責任は追及されることなく野放し状態です。『ターミネーター』も、黙示録のようなもので、未来に起こるハルマゲドンですね。そして、ジョン・コナーというメシア(救世主)が人類を救う。しかし、その母である処女(未婚女性)サラ・コナーをターミネーターがタイムマシンで1984年に抹殺しにいくわけです。で、ジョン・コナーの率いる解放軍の一兵士のカイルも、タイムマシンでサラを救出すべく、1984年に行きます。そう、ジョージ・オーウェルの『1984』の小説の年です。しかし、カイルは、サラとファックしてしまいました。それで、ジョン・コナーの父親はカイルとなってしまったのです。そう、カイルは、Droit De Seigneurを行使することによって神になったのです。救世主の父、しかも父親の素性がわからない、なにせ未来から来たのだから。よって、私もタイムマシンで2008年前に中東に行って、結婚前のマリアとエッチすれば、神になれるのです。
イエスの父親は私だ。だから、みんな、私を崇拝しろ!
となるのです!まっ、でも、だれもイエスの肖像画をキモメンに描かないので、私が父親ということはないですけどね。なにせ、チンパンジーに先を越されてしまいましたからね。

まぁ、80年代の聖母マリアは、サラ・コナーだったわけですが、あともう一人いますね。それは、ビリー・ジーンです。彼女は、息子の父親はマイケル・ジャクソンだと主張しましたが、マイケルはそれを否定しました。
「but the kid is not my son」
って。父親の素性がわからなければ、その子は神の息子となり、その父親は神となるのですから。そう、だから、マイケル・ジャクソンも、ヤハウェなのです。『スリラー』のビデオで、彼も満月を見て、チンパンジーのような毛もじゃらな体に変身するので(実際は狼男だったんですが)、彼も元エホバの証人(ヤハウェの証人)だけありますね。つまり毛皮を着てるわけです。



そういえば、ヤハウェの証人が原作の『ドラゴンボール』の孫悟空も、満月を見ると巨大チンパンジーに変身しますね。まっ、キングコングのような、キングコングこそが、ヤハウェの姿にもっとも近いのでは、と思う次第であります。サイヤ人は、人間に比べると尻尾もあり、進化しきれてないので、野獣的で、人間よりは下等な存在ですが、よりヤハウェに近いというのは確かでしょう。凶暴で残忍ですからね。体育会系やDQNのように好戦的で残虐性に満ちていてますからね。サイヤ人は半人半猿ですから、彼らはイエスの子孫かもしれないですね。だから、サイヤ人は、より神に近い生物なんでしょうね。そうなると、サイヤ人も「チンパンマン」だったんですね。なのに人類は、そんな下等なサイヤ人のようになろうと猿の毛皮を着ようとするのです。



そういえば、W.ブッシュ大統領もチンパンジーそっくりですね。サイヤ人なのかなぁ。っていうかスーパーサイヤ人?あれこそ、神が自分に似せて造った最高の彫刻なのでは。チンパンマンなのかなぁ、イエスみたいに。だから、ブッシュもイエスのような奇跡の力を持っている?なにせ、ブッシュは神の声が聞こえるようで、私たちには、
「きききー」
という奇声にしか聞こえない鳴き声が、
「神は私にイラクを侵攻するように告示してくれた」
と聞こえたのですから。しかし、さすがに「きききー」では、リチャード・ドーキンズ博士も指摘してるように、侵攻の大義名分であるWMD(大量殺戮兵器)の有無はわからなかったようですね(Dawkins, p112)。しかしエデンの園があったチグリス・ユーフラテス川の流れるメソポタミアで戦争を起こすとは…。まさかチンパンジーの鳴き声までもが、グロッソラリアに数えられるとは…。多数のキリスト教原理主義の牧師も、ヤハウェがブッシュを大統領に選んだと発言してます。ああ、それはもうチンパンジー・ポリティックスですね。だからブッシュの政治の特色はチンペリアリズム(Chimperialism)と言われます。それは、チンパンジーと帝国主義をかけたものですね。

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そう、ブッシュも神の世界を実現したいとのことです。しかし、神の世界、恩寵の世界とは、まさにチンパンジーの世界なのです。だから、天国、ヤワウェ的桃源郷は、『猿の惑星』のような景色が広がっているのです。チャールトン・ヘストンが困惑するわけです。『猿の惑星』の役者は、猿の毛皮を着てますからね。みんなヤコブを模範にしてるんです。あれが、ヤハウェの約束した未来なのです。みんなチンパンジーの姿に戻って、メスは、ボスチンプの都合のいいときにエッチさせられる、つまりチンパンジーのハーレムが天国なのです。それこそ先祖帰りもいいところです。かつての野蛮な猿としてのDNAの記憶がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教として受け継がれたのでしょう。だから、あれだけあれらの宗教が広がったのです。なにせ、DNAに埋め込まれている記憶が刺激されるのですから。まさにチンパンジー回帰です。 で、それらの宗教にどっぷり浸かると、テロリストとして覚醒し悟空のように巨大チンパンジーの姿になって、十字軍やアルカイーダなどの聖戦やジハードで暴れ回るのです。まるで、サムソンがある時覚醒し、怪物になったように。しかし、それは人間に進化する前の状態に戻ることですから、それは「進化」ではなく「退化」です。つまり、ダーウィンの進化論に対して、私は「退化論」を唱えるわけです。だから、それは、「進化論対創造論(evolution vs creationsim)」ではなくて、「進化論対退化論(evolution vs devolution)」にすり替えればいいだけのことです。創造論者が退化論者となればいいのです。なぜならヤコブとエサウの話がすでに進化論の上に成り立っているんですから、聖書は進化論で、その中の議論としての退化論だったんです。聖書自体が進化論に基づく本だったんですよ。そうすれば、問題の本質はもっと明確になるはずです。

しかし、私たちは、進化し、チンパンジーではなくなったのですから、それを切り捨てることこそ、本当に進化したということになるのではないでしょうか?ヤコブが着ていた毛皮を脱ぎ捨てなければならないのです。ヤハウェのご機嫌を取るために、毛皮を纏うことでチンパンジーであるということを偽る必要はないのですから。ヨーロッパの先進国はそれが出来てます。ドイツは85%が無神論、フランスが65%、イギリスは44%が無神論、で、驚くことに精神性が低いはずの日本が意外にも65%。先進国(日本も含めて?)は、やはり精神的に進化してます。しかし、アメリカでは、無神論はわずか12%です。なんと悲しいことでしょう。冷戦時代の反共とキリスト教が結びついたプロパガンダの結果ですね。「無神論=赤」というデマです、それを盲目的に今でも信じてしまってるのです。それにしても、ボスチンプが、人間社会の目に見えないボスであるというのも、おかしな話ですからね。だから、悪魔が山羊の姿をしているなら、ヤハウェはチンパンジーなんですよ。そして、その介在者がブッシュなわけです。

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オバマも、やっとジェレマイア・ライト牧師との関係を絶ちました。あれはちょっとネガティブでしたからね。あれで、宗教もカットオフすれば、いいんですけどね。オバマはもともと無神論だったのに、無理矢理キリスト教に改宗したようですからね、で、ああいうことになっちゃう。政治家は、無神論から退化論に、政治家は人民の代表ですから、人民の風俗を反映してるのが政治家ですから、それがアメリカの実像なんでしょうけれども、ぜひオバマにそれを「チェンジ!」してもらいたいものです。

***


ということで、Droit De Seigneurというのは、毛もじゃらの猿ボスであるヤハウェの性風習だったのです。それが、『Pasión』の主人公の女性を苦しめ、彼女は追い詰められ、とうとう村から脱出して波瀾万丈の人生を送るという物語の中核です。それが、スペイン領メキシコのキリスト教の社会だったのです。その中で、彼女は自らをヤハウェの横暴から解放し、自由を獲得したのです。それこそ、Emancipation Proclamation(解放宣言)です。彼女は、チンパンジーの毛皮を脱ぎ捨てたのです。それは、人類が突然変異によって猿の特性をなくし、進化したことの証でもあります。なにしろ、私たちはヤハウェよりも遥かに進化しているのですから。それを逆戻りさせようとしても、もはやそうは行きません。すでにニーチェがヨーロッパで「神は死んだ」と宣言したのです。18世紀、19世紀にやっと人類は、人類としての進化ができるようになったのです(インドでは2500年前にすでにそうでしたが)。まぁ、メキシコの大河ドラマを見て、そういう結論に至ったわけです。


参考文献:
Dawkins, Richard. (2008). The God Delusion. New York: Mariner Books.
労働は無期懲役
会社は嫌だ。というか、労働が嫌だ。ヴァケーションがない。保険もない。働いても働いても貧乏なまま。労働は苦痛でしかない。しかも死ぬまで働かなければならないなんて。今の時代、年金危機で、定年退職したはずのジジイやババアでも働かなければならなくなってきているし、死ぬまで労役に酷使されるのです。子供はさすがに児童労働禁止法で守られてますし、それは国連の子供人権宣言にも記されてあります。しかし、お年寄りには老人労働禁止法がありませんし、もはや搾取の対象から逃れることは出来ません。つまり、大人は老人、または身体障害者を含めて、そう、全大人総動員ですべて搾取されるのです。遊ぶことは出来ないのです。余生などないのです。そして資本家は命じます、
死ぬまで働け!
労働こそが正義で、余暇は邪悪なのです。それこそ、資本主義の倫理観なのです。しかし、本当に人は資本主義の奴隷になるために産まれてきたのでしょうか。少なくとも、旧約聖書の創世記によれば、人はもともと働かなくても良かったんですが、エデンの楽園を追放されてから、働かなければ食べていけなくなり、女性は陣痛という苦しみを味わなければならなくなりました。そして、蛇は手足を失い、地面に這いつくばり、また、人とコミュニケーションを取れなくなってしまいました。そう、ヤハウェーによる罰として、人は働くのです。つまり、労働とは、懲役なのです。英語でいうと、penal labourです。それこそが、聖書の真理なのです。だから、「陣痛」も「労働」もアメリカ英語では「labor」なのです。だから、子供は大人になりたがりません。永遠の未成年者が続出しています。だって、大人になるということは、無期懲役が待っているということなのですから。そして、大人になると子供を作る義務が発生します。そのために結婚が奨励され、そして独身は所得税において罰金を払わされます。それは、独身税であり、酒税やタバコ税と同じSin Taxとして扱われるのです。また、結婚して子供が出来ると、家族を養うために毎日のパンと牛乳を労働で稼がなければなりません。つまり、大人になることは、地獄に入るということなのです。ネオリベラル社会では、なおさらです。労働から自由になる方法、それはないのでしょうか?ロボットによって労働が運営されないのでしょうか?それか、ヤハウェーを倒すしかありませんね。そうすれば、私たちを罰するものがいなくなるわけですから。きっと楽園を取り戻せますよ。

だから、私は、この世界から逃避したい。シムーンで。楽園に行きたい。この世界は腐敗しています。私はどの宗教も信じませんが、この世が腐っていることは確かでしょう。だれも否定できない真理だと思います。だから、世の中を変えたいとがんばりますけれども、それが実現できなければ、もはやアニメの世界に飛び込むしかないですね、かつて私が日本を捨ててアメリカ社会に飛び込んだように…。とくに、おしとやかな星乃さんや元気溌剌な明日夏ちゃんのいる世界で。
結美ちゃん、私を救ってー!
女子トイレに乱入せよ!
アメリカではシャワーとトイレがかならずセットになっている。だからトイレを米国では「バスルーム」という。いわゆる、おぞましきものを排除する場所だ。また韓国でも風呂とトイレが一つで、洗濯機も置いてあるが、漬け物まで置いてあるというのが、そこがちょっと欧米と違うところだ。

なにか日本の若い女性にとっては便秘になることが、綺麗になるための条件のようである。どうやらダイエットもしくは摂食障害と便秘はセットになっているようだ。とくにアイドルやモデルではそれが行き過ぎている。これもブルジョア(都市市民)の不潔感を裏手に取った潔癖性の一つなのかもしれない。都市ほど汚いところはない。都市宗教だった仏教も性欲を断つために女人を「大小便に満ちた女」と見るよう教えている。
糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何なのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。(スッタニパータ835)
そして少食を促しているのだ。つまり、仏教はトイレも性も不浄として避けたのである。少食と性欲の制御と便秘は消費社会の罪を拭うために行き着くところの潔癖である。少食になれば排泄量も少なくなるし、よって大小便に満ちることはなくなる。また脱いでみたら骨と皮だけという激やせ女性に性欲が沸くはずもなく、また女性自身の性欲も減退し、月経までも止まってしまう。それが都市社会の潔癖の行き着くところである。

京の着倒れ、大阪の食い倒れ、東京の買い倒れ」が日本三大都市の特徴である。「東京のやり倒れ」でも通じるが。江戸時代の「食う、打つ、買う」が現代では「着る、食う、買う」となったのだ。この三点セットとも言うべき消費三原則が消費社会の言説の根幹である。いわゆるブルジョア的ライフスタイルの確立である。これらは消費社会の罪とブルジョアのあいだでは認識され、そのため彼らは進んで布施を行う。罪滅ぼしのために。そして自らダイエットとエクササイズと禁欲に励むのだ。仏教はまさに「着る、食う、買う」に反旗を翻した都市宗教だった。ファッション、グルメ、恋愛を真っ向から否定したのである。都市社会では「恋愛」といえども、それはただ援助交際をより上品化させたようなものである。シッダールタの弟子たちの剃髪に糞掃衣、托鉢による少食、完全な婬欲否定、恋愛消費社会をそのまま否定しているのである。というか、それは古代インドも都市ではそのような恋愛消費社会が既に確立していたいう可能性を示唆するのだろうか。つまり都市社会が確立しなければ、仏教は起きなかった。資本主義が確立しなければ、プロレタリアート革命が起きないとマルクスが言ったように。萌えもまさに消費社会に対する反抗である。なにしろ萌えが性欲に取って替わるというのは、物質主義的なブルジョアを否定することにほかならないからである。

だが、都市社会が確立する前の日本ではトイレとセックスはどうだったのだろうか。仏教の糞尿によるセックスの否定の根拠を都市社会以前に見いだせるのだろうか。たぶん日本は日本書紀の時代から糞尿は肥料として利用されたのだろう。イザナミはアイドル女優の対極にあるわけだが、彼女は火の神を陰部から、水の女神を尿道から、そして土の女神を肛門から産んで死産した。そして土の女神と火の神が交わって穀物神が産まれた。それは焼き畑を象徴している。また女神の糞尿が農業に不可欠であったことも示している。陰部の火の神はきっと月経の血であり、マグマは赤くて炎を帯びて森林を焼き尽くので、またポリネシアの島などでは溶岩の通ったところは畑に使われるらしい。

また『古事記』では川でお通じ中の女神が弓矢でナンパされたことも記録されている。
故、美和の大物主神、見感でて、その美人の大便まれる時、丹塗矢に化りて、溝より流れ下りて、その美人の陰(ほと)を突きき。(87項)
これも厠(川屋)の起源だろうか。まさに厠の恋愛である。ギニア出身のサンコン氏も地元では小型弓矢を使って女をナンパする風習があると言っていた。これぞ、シッダールタの言っていた「愛欲の矢」である。西欧的に言えば、「キューピッドの矢」だ。大物主神は日本のキューピッドだったのである。だが、もしアメリカで女子トイレに入ってナンパしたら、それこそセックスオフェンダーとして司法局に登録されてしまう。

日本神話は排泄と性行動を賛美しているようだ。つまり輪廻肯定、穢土肯定の穢土真宗といったところだろうか。だから神話時代の男に、
「女人は大小便に満ちている」
と言っても、
「それがどうした、当たり前だろ。だれだってそうなんだよ」
という反応をするだけで、厠でナンパを続けたことであろう。

仏教は身を不浄と見よと言った。しかしそれは都市の潔癖性だけに通じる概念であり、古事記にもあるように都市文化が発達していない文明では厠が恋人の出会いの場であった。つまり森と共存していた人にとっては排泄も人間の営みの一つであり、「自然」なことであったのだ。森と共存していた人は神に近かったのである。というか神とともに暮らしていたのだ。「くさい」「くさ」「くそ」はエコロジーでは当たり前なのだ。しかし都市文化では排泄はもっとも卑しいものとなって追いやられた。だからお通じ中のナンパは犯罪行為となってしまった。それに森への回帰は性への回帰でもあるのだが、シッダルータは性を都市的なものだとして退けたのだろう。在家は都市で出家が森林、それが性でも分化したことがシッダールタの特徴である。つまり彼にとってセックスは都市的だったのである。

しかし人は森でセックスを習ったのだ。自然からセックスの楽しさを学んだ。『日本書紀』にはイザナミとイザナギは鶺鴒の交尾を見て、セックスの仕方を覚えたという。ということは日本人の性体位はバックが主流だったということであろう。
時に、鶺鴒有りて、飛び来りて其の首尾を揺す。二の神、見して学びて、即ち交の道を得つ。(30−32項)
だが、その時代は人類の人口は少なかったのだろう。しかも、そもそも人口が増え過ぎたから資源を枯渇させて森林を破壊してきたのだから。シッダールタは人間性の根源であるセックスを断って、生態系を守ろうとしたのだろう。つまり縁起の法則によって森を営みを知り、その最大の破壊者が人間であることに気付き、人間を減らそうとして、セックスを断ったのだろう。十二縁起はまさに無明のためにセックスして子を作ると説明しているようなものだ。だから智慧があれば子孫は発生しないこととなる。少子化は智慧ある現象なのだ。また生態系のバランスを崩すことはない。森はバランスが取れたところなのだから。ところがどっこい、森とセックス、仏教はそれらを切り離したが、もともとは森とセックスは共存していた。森への回帰はセックスへの回帰であったはずなのだが、セックスを都市的とした仏教は完全に禁欲を貫いた。なにもセックスそのものまで禁止することはなかった、子作りに結びつきさえしなければ。ローマ帝国もキリスト教を採用したのは人口増加のためだと言われている。それまでのフリーセックスではローマ社会は少子化し国家が弱体していたが、セックスを結婚だけに束縛するキリスト教を国教にすることにより人口は再び増加し、ヨーロッパの森林は破壊されるに至った。つまり自然に近い自由なセックスのほうが森林に優しい、いわゆる「フォーレスト・フレンドリー」なのである。つまり、仏教は自然にありながら、自然に反していたのである。セックスが開放されている社会ほど少子化が進んでいるのというのに。だから人口抑制は自由なセックス、いわゆるフリーラヴが鍵となるのだ。かつてヒッピーがウッドストック69で大自然を謳歌しながら池で乳繰り合っていたように。よって、仏教は密教の登場まで、都市宗教の自縛から解かれることはなかったのである。それが仏教の限界であった。また「萌え」も都市社会の限界を超えられず、DVDもテレビもパソコンもない森では無用の長物である。また携帯もアラスカやロッキー山脈の森では圏外である。「萌え」は都市の制約を受けるのである。なにしろ「萌え革命」を生み出した秋葉は東京のど真ん中にあり、大山倍達の修行した山森とは全くの無縁なのだから。

よって本当の自然回帰とは、トイレとセックスが結びつくことである。アメリカではトイレとシャワーは一緒である。またシャワーでセックスすることもある。日本も近代までは混浴が当たり前であった。当然、温泉はセックスの場となったはずである。またセックスは恋愛が独占するのではなく村人全てで共有していた。映画の『楢山節考』を見れば一目瞭然である。だから醜女だろうが美女だろうが、醜男だろうが美男であろうが、だれでもセックスできた。というか、ちゃんと順番が回ってくるので、皆平等だった。セックスの前での平等である。そして最も重要なことはトイレが出会いの場所、ナンパする社交の場であったということだ。現在の恋愛資本主義では喫茶店で合コンをしてセックスの相手を探り出す。それはニコチンとカフェインの悪臭が充満している場所である。しかし、都市文化の発達前は、川屋の悪臭であった。それが森の文化であった。川屋で匂いづけした女性が、男を惹き付けていたのだ。フェロモンはとくに糞尿に含まれているらしい。だからフランスのブルジョア女性の高級香水になると糞尿が含まれているのである。そう、女子川屋、いわゆる女性トイレが恋愛の発芽、つまり原始的「萌え」だったのである。それが「萌え」の自然回帰であろう。「萌え」を引きこもり専用の都市の個室から自然へ返そう。都市化した「萌え」を再び自然へ。

したがって、古代の萌えに憧れている環境保護家の恋愛はトイレから始まるのだ。よって、環境保護家の老若男女よ、トイレでナンパせよ。それぐらいしなければ消費社会の恋愛の言説に対抗することはできないだろう。「トイレの恋」がこれからの恋愛をリードし、新自由主義的恋愛を打破するのである。それこそが、革命である。よって、革命はトイレ(バスルーム)から始まるのだ。したがって、全世界の青少年よ、
女子トイレに乱入せよ!


*注意:
これはあくまでもシンボリズムであり、本当にやると人権侵害であり、立派な犯罪行為である。良い子の皆は絶対にやらないように、また悪い子の皆も絶対にやってはいけない。悪い子も注意の対象としなければならないのだ。それこそ悪人正機というものである。


参考文献:
中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫、2006年
坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀(1)』岩波文庫、2000年
倉野憲司校注『古事記』岩波文庫、1999年




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スカルドとモアイ
先日、地球新世紀の第一話を観たが、地球の森はあと400年で消滅してしまうという。イースター島のモアイが文明崩壊の決定打となったようである。モアイを彫心鏤骨するために山を削り取って森林伐採したのである。それはまるで小説の『蝿の王』のような世界である。深作監督の『バトル・ロワイヤル』にも共通した世界観だ。しかし、海外と貿易さえしていれば、こんなことにはならなかった。日本も自給率がやたらと低く、もし貿易国でなかったら、モアイのように内戦となってしまうであろう。アメリカの穀物への依存、とくに全ての日本食の味のもとである大豆は80%以上がアメリカ産だ。それはGMD(遺伝子組み換え)の穀物でもある。アメリカなしでは日本は食糧難になることは必至である。日本は歴史的に大飢饉に見舞われてきた。手塚治虫の『火の鳥〜鳳凰編』によれば、東大寺の毘盧遮那仏も大飢饉の真っただ中に作られた代物だそうだ、そう、モアイのように。また豊臣秀吉の大仏殿建設計画のために屋久島の森林は伐採された。そして貴重な屋久島の自然は16世紀に破壊された。それはイースター島の文明が滅びた時代と合致するのは奇遇の産物であろうか。月尾氏はモアイは現代の高層ビルに類似しているとコメントした。つまり記号性においての類似点を指摘したのだ。たしかにモアイは破壊された。それはまるでアフガニスタンのバーミャンの大仏を爆破したような残骸跡であった。それでなくとも、もともとこの大仏は顔が削られていたというのに。そしてマンハッタン島のグラウンド・ゼロもアメリカ文明の破壊を狙ったものなのであろう。広島の原爆ドームはまさに文明滅亡の危惧を呈している。世界はまさにイースター島化しようとしているのである。つまりモアイの約束した未来とは破滅だったのである。モアイの意味は「モ(未来)」であり、「アイ(生きる)」である。つまり、未来を生きようとすることが返って莫大な負債を抱え、文明は滅びてしまったのだ。

ああ女神さまっ』はウルド(Urd)、ヴェルダンディー(Verdandi)、スカルド(Skuld)のノルン三姉妹である。運命の神であるという。彼女らは糸を紡ぐことによって未来を占う。シェークスピアの『マクベス』にもウルド姉妹なるWeird Sisters(ウィアード・シスターズ)が登場し、マクベスに予言するのである。Weirdは「奇妙な」という意味の単語であるが、その元の綴りはWyrdとなり、ゲルマン語のUrdが英語に変化したものだという。つまりウルドがそのまま英語ではstrangeやpeculiarと同じ意味を表す「奇妙」という単語に進化したのである。「合縁奇縁」という漢語があるが、それはまさしくノルン三姉妹、もしくはウィアード・シスターズを表しているのであろう。とくに「奇」という言葉はウィアード(ウルド)という意味に捉えていいであろう。ウィアード姉妹の一人は黒沢監督の『蜘蛛の巣城』で糸車をまわす山姥として登場している。ガンディーの独立のシンボルとしての糸車とは正反対の記号であるということは興味深い。ノルンの糸車とは、まさに輪廻世界への束縛を表している。つまり、負債によって子孫七代にわたってまでスカルドに束縛され続けるのだ。

ウルド(過去)は財産、ヴェルダンディー(現在)は資本、そしてスカルド(未来)は負債を司る。それが「已今当」の三世である。スカルドは未来、または負債を司るのである。またスカルドはワルキューレでもあり、女戦士、またはオーディンのための死刑執行人である。つまり殺人者である。したがってネオリベラリズムはゲルマン神話により近いのである。そう、マクベスのような企業戦士が殺し合いを促すのがウィアード・シスターズなのである。
「戦え、殺せ、引きずり下ろせ、成功のために」
まるでユーゴ内戦のセルビア軍のプロパガンダのラップビデオを観ているかのごとくである。だからアメリカ人はクレジット・カードによってスカルドに支配されてしまうのだ。負け組が負けを自覚できずに食い尽くされていくのである。つまりスカルドの呪縛にかかることにより、ゲルマンの運命の女神に手玉に取られてしまうのだ。そのノルン姉妹の手練手管にかかってしまうのだ。マクベスの未来はスカルドによって支配され、部下の謀反により滅びてしまった。つまり未来を予言されたことは負債を背負わされたということである。だから負債を抱えないためには予言や占いなどをしないことである。そして現代の占い師はクレジットスコアをはじき出すCPA(公認会計士)である。つまり会計士はスカルドのシャーマンなのだ。しかし、どの占い師も言うことは同じだ。
「私の未来はどうなっているんですか。」
と訊けば、
「死んでいますね。」
と答えるのだから。それに終末論を唱えないカルトは前代未聞だ。つまり不死になるためには占いなどにこだわらないことだ。

そう、スカルドはクレジットカードの女神である。私も残念ながら未来を彼女に支配されているのだ。しかもクレジットカードをキャンセルしたら、クレジットスコアが下がってしまい、将来ローンを組むときに却下されるという。だから借金をしてこそ、アメリカ人ははじめて信用されるというふざけた社会なのである。スカルドの承認なしには家もマンションも車も買えないのだ。だからスカルドは貨幣経済の発達した都市文化ならではの存在なのであろう。そして負債を抱えたまま死んだ者は自縛霊となって子孫七代までスカルドの餌食になってしまうのだ。

そんなスカルディックな社会でもラルフ・ネーダーのような人はクレジットカードの不条理さを指摘し、消費者運動を展開している。彼はかつてシートベルト運動を推進した張本人である。まさに消費者保護運動のヒーローだったのであるが、最近は何回か大統領選に立候補しており、「老いたる麒麟は」と言われるようになってしまった。また2000年選挙の遺恨で民主党員には彼を嫌っているものが多い。しかし、それでも彼が信念を貫いてきたことは確かであり、アメリカ社会を良くしてきたことは評価されるべきだ。

クレジットカードを使わずに生きていける社会にしなければならない。プラチナのクレジットカードをレストランで支払うところを披露すると、女の子はまさにウットリ状態だ。まったくふざけているとしか言いようがない。つまり金があっても消費せずに貯金していたら、ケチと判断されて女の子は遊んでくれない。ネオリベラル社会では消費する男こそ理想なのである。それはまるで女の子がスカルドの巫女として振る舞っているかのようだ。彼女らはまさにスカルディストだ。どれだけ女のために消費(浪費)してくれるかが、男のクレジットスコアを上げる決め手となるのだ。そう、クレジットというのはいわゆる「信用」だ。信用を上げるためには、借金してまでの消費がモノを言うのだ。その点数が上がれば、天佑神助だという。だがそれは天佑ではなく、修羅佑である。恋愛もビジネスでもこのクレジットスコアが全てを支配しているのだ。またクレジットスコアがマイナスでしかないHIPCはスカルドに完全に束縛されてしまっているのである。まるで死の王マーラの支配から逃れられないように。そう、スカルドはオーディンの娘であり、マーラまたはナムチの娘だ。シッダールタを誘惑した三姉妹とはノルン三姉妹だったのだ。なにしろ彼は一国のプリンス、ウィリアム王子のような存在だったのだから。

しかし、そんな恋愛の言説を潰してもらいたい。だから我々はスカルドに反旗を翻そうではないか!スカルドを除霊しなければ。スカルドの呪縛を女の子から解放しなければならない。もうすぐ桃の節句、いわゆる雛祭りだ。雛人形にスカルドを擦り付けて、川に流さないと。もし近くに川がなければ、水洗トイレで流すのもかまわない。トイレは日本語で川屋(厠)である。よってトイレは身を清めるのに最適な場所である。だからアメリカではトイレとシャワーは同じバスルームにセットとなっているのだ。とにかく、アメリカ人女性からスカルドを取り払い、禊祓いして破邪顕正するのである。

金は天下の回りもののはずである。お金はインカでは太陽の象徴であり、ペルーの通貨単位はスペイン語で「太陽」を意味するSolである。そしてイエスは「太陽が人を区別することなく平等に照らすように、人間は神の前で平等である」と言った。だから太陽は普く照らさないといけないのだ。ブルジョアだけが太陽を独占するなんて、全く道理を外れているのだ。それはブルジョアが自分勝手に高い建物を建てて、庶民の日照権を奪っているようなものだ。太陽の恵みを受けられない人間はクレジットカードに走り、スカルドの占い詐欺に引っかかり、破滅への道へと進んでしまうのである。クレジットカードの蔓延する娑婆世界、まさに無明の世界、光のない世界、光の神バルドルは復活せず、ノルン三姉妹はラグナロークを予言することになる。つまりクレジットカード文明はラグナロークへの序曲なのだ。

イランよりインドに偏った狂言綺語になってしまうが、ネオリベラル的な修羅界を司る毘盧遮那仏、またはヴァイローチャナ、阿修羅(アスラ)の王であり、奈良の大仏はそのシンボルだ。そしてモアイは大仏同様に巨大である。モアイとスカルド、共に未来を司る。イースター島民はモアイを崇拝して争いが起き、滅んだ。アメリカ人はスカルドの免罪符であるクレジットカードで瞬時の快感に興じている。そして、その当のスカルドはワルキューレという修羅の女であり、梶芽衣子の『修羅雪姫』を連想させられる。またスカルドの父であるオーディンの日は水曜日である。「Wednesday」とは英語で「オーディンの日」という意味であり、ドイツ語でも「Wochentag」と呼ばれていた。だからこの日に限ってデートに誘う確立が高くなるのだろう。クレジットカードの蟻地獄に追い込むために。

このままではアメリカはクレジットカードによってラグナロークを迎えてしまうであろう。マヤ文明の暦ではラグナロークは2012年だという。まさにアセンションのときだ。それまでに死の王から人々を解放しなければならない。スカルディズムをなんとか食い止めなければ。事態は緊急を有する。まさに危急存亡の秋である。



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