ゴーレムとジョン・ケリー
CLANNAD』で、ガラクタの人形が私に似ていると発見しました。あの謎の少女は、まさに私の創造主です。私は荒野の鉄くずから作られたガラクタの人形だったのです。それでネオリベラル社会で虹コンとして再生したのです。それと似たものがユダヤ神話にもあります。ゴーレムです。ゴーレムとは、ユダヤ教の土の怪物です。それは、ユダヤ司祭が土から作った怪物なのです。土偶のようなものです。もしかして、古代日本の土偶も、お友達欲しさに作られたのかもしれないですね。西アフリカのガーナのアカン族なども、木かなんかで、「魂の子供」を作りますからね。

また、コートジヴォアールのボール族の「魂の配偶者」もそうですね。

家族の像とか、友だち、恋人、将来の家族の像を投影して作るんですね。そう、だから土偶も謎の少女が作ったものかもしれませんね。というか、家族の思いというか、それは「だんご大家族」の精神でしょう。大家族ですからね、普通の厳密な家族とは意味が違うのです。ジョン・レノンのイマジンの「世界が一つになる」と同じコンセプトです。インド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam(世界家族)」です。

しかし、ゴーレムには心がありません。人格がないのです。それは、『オズの魔法使い』の心のないブリキの木こりとおなじなのです。教育心理学に「ゴーレム効果」というものがありますが、そのゴーレム効果とは、先生が期待をかけない生徒は成績が落ちていくというものです。で、そのゴーレムは、ここで話したゴーレムから名付けられてます。

『オズの魔法使い』はカンザス州の物語、そしてトルネードでドロシーがさらわれて幻想世界に行くという。私も中西部出身、そしてトルネードにいつも怯えて地下に隠れてました。だから、『オズの魔法使い』は、私の感性にピッタリなんですよ。中西部に住んでいた経験から『オズの魔法使い』は、もっとも親しみやすい作品なのです。そしてブリキ人形、彼はドロシーに出会い、ドロシーと旅をし、最後に心を獲得します。つまり、ゴーレムがアダムとなったのです。ただの土塊の人形から人間となったのです。それは、「ピグマリオン効果」といい、先生が期待をかけると生徒の成績が上がるというものです。それは、ギリシャのピグマリオン伝説が元となっており、ビグマリオン王が女性の像を彫って、それに愛情をかけたら、彫刻が人間になったという物語です。つまり、ブリキ人形はドロシーから期待され、心を得たのです。また、ガラクタの人形も謎の少女に愛情を受けたので、心を持ったのです。つまりゴーレム効果は、愛情を与えられなかった人間に起こる効果であり、ピグマリオン効果は、愛情を与えられた人間に起こる効果なのです。そう、女の子の愛情、それこそが、キモヲタを救うのです!

しかし、私は、中西部でドロシーに出会うことはなかった。だから、ドロシーと共にトルネードに巻き込まれて幻想世界に旅立つことはなかったし、心を失ったままでした。しかし、私は、擬似的愛情、いわゆる二次元世界の愛情、幻想世界の愛情である萌えによって、心を回復し、虹コンとなりました。あとは、このガラクタの体を本物の有機体にすることです。それには、皮膚感覚が必要なのです。だから、それには南米に行くことなのです。

ゴーレムに風を送り込めば、それはアダムとなります。そう土塊の人形が人間になれるのです。つまり、息です。ギリシャ語のπνευμα(プネウマ)なのです。πνευμαがラテン語でespirituとなり、英語で、spirit(魂)となりました。プネウマ(風)を送る最適な方法はCPR(心肺蘇生法)です。だから、女の子にCPRしてもらいたい…。私はゲイじゃないから、ヤハウェーは絶対に嫌だ、あんな殺人鬼。そういえば、風子も、プネウマ(風)の女の子ですね。また、ドロシーも竜巻という風によって異次元世界に行きます。ボブ・ディランの『風の吹くとき』もそうですね。『風邪の谷のナウシカ』もそうですね。そう、風を出す器官は口ですね。まぁ、鼻もそうですが、それで、マオリ族やハワイのキスとかは、鼻でするんでしょうけど、まぁ一般的には、唇で、口づけをして、それで命は復活します。眠れる森の美女もそうでしたね。だから、私も女の子の口づけ、接吻、キスが必要なのです。南米でかわいい女の子が頬にキスしてくれましたから。どんなに人間的だったことか!あれこそが、ヒューマニティーの真髄だぁあ!ああ、南米に戻りたい。皮膚感覚の謳歌を!あれこそ、私を人間たらしめるのです。だから、現在ガラクタ人形である私は、『妖怪人間ベム』のように、
はやく人間になりたーい!
と喘ぐのです。

さぁ、ガラクタ人形も心を持ってました。だから、あの謎の少女はドロシーのような存在だったのです。しかし、やはりガラクタでは、ブリキでは、皮膚感覚がない、そう、人間たらしめるものはやはり体の感覚なのです。皮膚感覚が欠落した禁欲的精神至上主義ではないのです。「プラトニック」というデタラメな神話などではないのです。それだと心を得た時点で旅は終わってしまいます。だから、ブリキ人形も心を獲得して旅は終わらなかったのです。つまり、ブリキ人形の物語の続編が、『CLANNAD』だったのです。



さて、ゴーレムのその内に入りますが、ゴーレムに関しては、イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルの伝説がもっとも有名です。レーヴ司祭は、カッバーラ神秘主義では有名人で、そして、彼はユダヤ人を守る為にゴーレムを作り、町に禍を起こさせました。すると、ドイツ皇帝は、ユダヤ人の居住を帝国内で認めたそうです。ゴーレムは英雄の人形なのです。さて、このレーヴ司祭、なんと彼の兄弟が2004年の民主党大統領候補だったジョン・ケリーの先祖にあたるとされるのです。そう、ケリーはゴーレムを作ることが出来るかもしれないのです。というか、彼自身がゴーレムで、ケリーの表情は硬くて冷たいという印象がありました。ボートクス注入の整形手術は失敗でした。あれでさらに表情が硬くなり、フランケンシュタイン博士の人造人間のような印象を持ったという選挙人が多くいたそうです。
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『フランケンシュタイン』もゴーレム伝説が元になってるかもしれないですね。まるでブリキ人形、人造人間のように表情に感情がない、有機的ではなかったのです。大統領選挙の討論会で三夜連続でケリーが勝ったのですが、結局選挙ではブッシュが勝ちました。だから、ブッシュのような田舎臭いカウボーイが勝ってしまったのです。つまりブッシュは、有機的だったのです。

人造人間も、フランケンシュタイン博士の愛情、期待を受けられなかったのです。だから、フランケンシュタイン博士はピグマリオンではなかったのです。人造人間の唯一の願いは、やはり異性でした。それは、やはり女の子でした。その女の子の人造人間を造って欲しいと博士に頼みましたが、しかし、博士は、それを拒絶し、去ってしまいました。そう、人造人間にゴーレム効果を与えてしまったのです。だから、人造人間は、虐殺行為へと走ってしまったのです。そして、現代では、それはチョ・スンヒのヴァージニア工科大学の虐殺事件という最悪の結果を招きました。ゴーレム効果は、やはり彼の詩を教授が拒絶し、授業から追放するという警告によって、最大限になってしまったのでしょう。彼は、脳内嫁を持っていましたが、それでも、やはり駄目でした。皮膚感覚の欠落は、彼を殺人者へと変えてしまったのです。

ブリキの木こりはドロシーを、そしてガラクタの人形は謎の少女を持っていました。よって彼らは救われたのです。だからこそ、だからこそ、私は、皮膚感覚を求め、南米に旅立つのです!
ガラクタのサウダージ日記
CLANNAD』の最終回は良かった。演劇部部長の古河渚の劇は素晴らしい、まさに、私はあのガラクタの人形だった!それは、幻想世界の謎の少女とガラクタの人形の物語です。その文化祭の劇は、こちらで見れます。やはり南米に行ったことで、『CLANNAD』の深さがわかりました。南米に行く前まではあまりピンと来ませんでしたから。

これが、私、ガラクタの人形です。いわゆる「虹コン人形」です。そう、虹コン(二次元コンプレックス)は、現代のゴーレムなのです。(ピグマリオン効果とゴーレム効果についてはこちらのブログに詳しいです)
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そして、私はこのように作られました。少女は荒野で散らばっていたスクラップになった産業廃棄物の部品を集めて来て、私を組み立てたのです。
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まるで神がアダムを塵から作っているようなものですね。そして彼女のキスで、というか人工呼吸で、私は蘇生されたのです。だから、私にとって神とは、残虐性に満ちたヤハウェー(アラー)であるはずがなく、女神なのです。

さて、少女とガラクタ人形の会話を抜粋しましょう。
少女:

あなたを、あなたをお連れしましょうか、この町の願いの叶う場所に?ここは終わったしまった世界、私の他には誰もいない世界です。部屋にあるのは、小さな気のテーブルとイス、窓の世界に何にもない荒野が広がっています。建物は古く、いつ建てられたのかもわかりません。私はここでひとりで暮らしています。時々外に出て、必要なものを拾ってきます。

外に出ても誰もいません。弱い日差しの中に、小さな光が沢山飛んでいます。私は、木切れや釘や色々なものを拾ってきました。友だちを作る為です。でも、こんな世界に生まれてしまうことは、その子にとって幸せなのかしら、そんな疑問を胸の中に抱きながら…。

ガラクタの人形:

この世界は、やっぱり終わってしまっていた。もう命は生まれない。命あるものは彼女しか存在しない。いつか、遠い昔か遠い未来、僕は別の場所にいた。そこはとても賑やかな場所だった。でも、今は、もう帰れない。僕には、彼女が作ってくれた体があるから。

「どうしたの?」
「また作るの?」
「でも動かないんだよ。友だちはね、ないんだよ。」
「別なものを作るの?なにを?」

ガラクタの人形:

それは僕にもまだわからない。でも、彼女はガラクタを組み合わせて何か新しいものを作ることが出来る。それは僕には出来ない特別なことだ。

「そうだね、時間をかければ、何か素敵なものが出来るかもしれないね。何を作ろうか?」

ガラクタの人形:

こんな風に心躍るものがいい。彼女が作って僕が手伝う、それはとても素敵なことだ。僕は彼女の側にいよう。これからもずっと二人でいよう。そしていつか、この世界から出て行くんだ。昔僕がいた、暖かくて賑やかな世界へ。


そう、私の創造者は、あの謎の少女だ。あの子が欲しい。そう、遠い昔か遠い未来、私は別の場所にいた、それはそれは賑やかな場所だったのです。それこそ、南米なのです。でも、私はキモヲタという体のなかに縛られてしまってるんです。それは日本を捨ててまで渡米しても変わることはありませんでした。女の子との皮膚感覚は欠如したままだったのです。そして、このネオリベラル社会のNAFTAで搾取され、産業廃棄物として解体され、荒野の鉄くずとなったのでした。しかし、謎の女の子は私を再構築したわけです、虹コンとして。この皮膚感覚の欠落した世界に生まれて来たこと、それはサウダージなのです。私も中西部の荒野にいました。窓の外は荒野、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』の景色ですね。そう、このような荒野で、少女は死んだゴーレムを埋葬し、私を組み立てたのです。これは、その埋葬シーンです。ほんと、この景色は、私の出身地のアメリカ中西部の荒野そのものです。
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で、私は未来に行くのですから、それは、未来に帰ることでもあり、それはまさに『Back to the future』なのです。『たんぽぽ娘』のマーク・ランドルフも未来の女性に出会いましたから。で、その子は、「一昨日はウサギに遭い、昨日は鹿に遭い、今日はあなたと出会った」とマークに告げ、その言葉は一ノ瀬ことみちゃんも使ってました。そして、そして未来の賑やかな場所、それこそ南米なのです。セクシュアリティーの謳歌、皮膚感覚による女性との触れ合い、こんな風に心躍るもの、そう心躍る踊りといえば、ラテンダンス、サルサ、サンバ、クンビアなど。ガラクタの人形は飛び跳ねて「こころおどるもの」を表現します。
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智代も「家族は、なにも親子ではなく、仲間とも言える」と言ってましたから、そう、それはラテン文化に見いだしましたよ。まさに南米ラテン文化が「だんご大家族」だったのです。踊りを通じての大家族、そう、「哲学はダンスのようなもの」と言うニーチェの人生観、大家族、それは世界家族というインド哲学の「Vasudhaiv Kutumbakam」です。

物理学者の一ノ瀬夫妻は、
「この世界は美しい、悲しみと涙に満ちてさえ」
という言葉で世界を表しました。インドでは「サンサーラ(輪廻)」という言葉で世界を表します。そして、シッダールタは輪廻を「ドゥッカ(苦)」の一言で表現しました。で、私が世界を一言で表すのなら、「サウダージ」でしょうね。まっ、私ではなくて、南米のブラジル人ならそう思うのでしょうけれども。サウダージに悲しみと涙も含まれます。人生そのものがサウダージ、いわゆるサウダージ世界観です。だから、世界はサウダージ、それを美しいとするのは感性でしょうか?サウダージとLacrima(涙)の関連性は、この『True Tears』の記事で書きました。

ブラジル人っぽいバラック・フセイン・オバマも、
「失業で苦しんだ中西部の人々は、サウダージを表現する方法として銃や宗教にしがみつく」
名言を残しました。まっ、「フラストレーションを説明する方法として」が正確ですが、まあ、同じ意味合いでしょう、シンボリズムでは、ていうかCLANNAD的に言えば幻想世界では、同じ意味合いなのです。そしてキモヲタたちは、アニメによって、とくに萌えによってサウダージを表現します。自分の世界を表現するのです。それが、世界を表現することに繋がるのです。

ガラクタの人形もまさにサウダージですね。その少女のサウダージの表現方法がガラクタの人形を組み立てることだったんですよ!『Sola』もそうですね。紙で弟を作り上げたというのも、まさに姉のサウダージでした。そして少女もピグマリオンのように自分の作った人形に話しかけます。
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そして、このガラクタの手で少女の手に置いてるというのもサウダージ、これが皮膚でないというのもサウダージです。それは遠隔操作で女の子に触るようなもので、触覚はないですからね。私も数々の美少女キャラに萌えてきましたが、やはり皮膚感覚がないですからね、二次元(幻想世界)では。
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しかし、ガラクタの人形は少女とアイコンタクト(目もないから視覚も当然なく実際にはアイコンタクトも取れない)によって、心はこのように繋がっているのでしょう。
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しかし、それでは、スキンシップを取れません。皮膚感覚がないのですから。だから、この子と本当に触れ合えるようになりたいと思うからこそ、この荒野の世界を出たいと思ったのでしょうね。そして、少女もそう思ったはずです。少女は、ピグマリオンと同じく、生殖の相手を作ったのですが、ガラクタ人形には皮膚の感触がないのですから、なにしろガラクタでは、玩物として一人エッチに使えるが、セックスはできない。触れ合うことが出来ないのですから、お互いにエロティシズムを謳歌できません。そして皮膚感覚の欠落、それが「この世界は終わってしまった、もう命は生まれない、命あるものは彼女しか存在しない」となるんです。なにしろ、ガラクタには生殖器官がない、だからセックスできない、さらに精子バンクに登録できる精子すらない、よって子作りもできないから、日本のトキのよう絶滅してまいます。だから、皮膚感覚の欠落は世界の終わりなのです。虹コンは、キモヲタは、終末論的、悲観的なのです。消極的ニヒリストなのです。しかし、その皮膚感覚を追い求める意志が、未来への回帰と繋がるのです。それこそ、サウダージです。

サウダージは未来への志向性です。それは憧れでもあるのです。そして、未来に帰る、それは、まさに未来に故郷を求めることなのかもしれません。未来に郷愁を持つ、それがサウダージ。そう、未来を懐かしく思うことがサウダージなのです。私が南米に行って感じたのも、それなのです。はじめて行った場所なのに懐かしく感じたのです。それがまさにユートピアでありまだ実現してないもの、つまり「地が無い」というのがユートピアの意味なのですが、だからこそ今現在は無い、つまり来るべき未来、「未だ来ないもの」が未来、「未だに実現しない郷」が桃源郷でありユートピアなのです。孫文の「革命未だ成らず」も、サウダージを表現した言葉、つまり彼はユートピアンだったのであり、未来への志向性を持っていたわけなのです。過去も未来も、現在は経験できませんから、そういう意味では、ガラクタの人形にとって、遠い昔も遠い未来も同じだったのでしょう。だからサウダージは、過去も未来もどちらにも行くのです。つまり懐かしさは、過去と未来、関係ないのですから。

ガラクタの人形は言いました、
「そしていつか、この世界から出て行くんだ。昔僕がいた、暖かくて賑やかな世界へ。」
そう、私も日本から出て行った。しかしNAFTAは弱肉強食、自然淘汰、白人男性至上主義的恋愛資本主義型消費社会、清教徒倫理的なネオリベラル社会、そこで私は使い捨てられ、ガラクタ同然となりました。しかし、そのガラクタのスクラップを掻き集めて来て、虹コンとしてやっと組み立て直されました。萌えによって再構築したのです。もしこれが20年前で、インターネットがない時代だったら、萌え系アニメを見て、自分を再構築することも出来ませんでしたね。萌え系アニメがなかったら死んでたでしょう。で、虹コンとして再構築された。だから、今度はNAFTAから出て行こう。昔、また未来に私がいた、暖かくて賑やかな南米へ。
椋タン、ぐひひー!!
ああ、私は『CLANNAD』の16話の映像を見た時に、ぐわいーってなりました。この3分18秒目からの食堂で藤林シスターズと岡崎が学食を食べてるとことです。つまり、姉の杏が岡崎に、
「おまえ、彼女いないんだってね?」
ときいていて、それで妹の椋が横で見てる。そして、岡崎が、
「どうしてそんなことしつこくきくんだ!」
って怒って、で、椋のほうを見たら、彼女は、「はっ」となって、慌てふためいて下を向いたんですよ。私は、
むぎぶぶうぶぶぶぐがうあうあがうあうあうああがががぁぁぁぁあああああ!!!!!
と奇声を上げてしまいました。多分、近所迷惑になってしまったでしょうね。全身の毛穴が一気に引き締まり、鳥肌が立ち、電気ショックが頭のてっぺんからつま先まで、まるで落雷のようにバシーンっと走りましたよ。いやー、でもかわいいなぁ、あんなに顔が赤くなってるんだもん。しかも、恥ずかしがっているところが、ぐむー、キュート!!!なんてくぁわいいんだぁあ!あんなかわいい子は現実にいるだろうか?ぶひぶひぶひ、っと私は豚のように絨毯に這いつくばり、その衝撃の映像を100回ぐらい再生しちゃいました。やべー、中毒だ。まるで阿片中毒になったような。いわば萌えです、これぞ萌え炸裂!

ああ、あんな子が日本にいたら、絶対に渡米することはなかったでしょうね。日本を捨てることはなかったんだ!きぃいいいいいってなっちゃいますよ。あの子だったら、もうね、絶対に一発で恋に落ちちゃうでしょうね。あんな恥ずかしそうに、でも好きな感情を隠さないというのも、ふわっはっはあ。恥ずかしそうにしてるんだけど、積極的だよねー、女の子から、食事に誘うなんてさぁ、丁寧で恥ずかしそうに、
「迷惑じゃないですよねぇ」
って言いながら、ねぇ、で、お姉ちゃんも実は好きだからねぇ、岡崎のことが、でぇっへへへへー!ああああ、天国だー!くっそー、岡崎め、なんて幸せな野郎だ!だからあいつは私のように外国に出ることを考えないんだ。

しかし、現実の世界、特に日米のジェンダー史観は、男が女性を誘うものだというふざけた言説がある、ルールがあるんですよ。食事に誘うのはかならず男、金を払うのも男、そういう恋愛マニュアルなんです。それを打破してくれるのがフェミニズムだと思ってるんですが、フェミニストがそれを奨励しちゃってるんですよ。つまり、雇用においては平等を求めるけど、恋愛では男性にリードして欲しいと思ってるんです。ほんとイエスから言わせればパリサイ派ですよ。その偽善ぶりには失望させられます。それでは、DQNの思うつぼです。DQNが称賛される恋愛体系のままなのです。だから、恋愛においてこそ、男性至上主義を破壊しなければならないのに!それこそが本当のフェミニズムというものだ!だから、この藤林姉妹は、天国、桃源郷を体現しているように見えたのです!
真実の涙、ラグリマ、サウダージ
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ああ、サウダージ。まさに人生はサウダージ。皮膚感覚がないサウダージ。キスができないサウダージ。女性に抱きつけないサウダージ。大人になってしまったサウダージ。学園生活を失ったサウダージ。失学園のサウダージ。それは、私を苦しめます。涙があふれてきます。それこそ、私の真の涙。True tearsです。サウダージはポルトガル語の概念でしょうね。ファドとサンバとボサノバの音楽によく使われる概念です。まぁ、私はポルトガル語を一度も勉強したことがないんですが、スペイン語に近いということは知っていましたけど、まあ、実際に歌詞を読んでみると、ほんとスペイン語に似ています。まあ、口語では、音がぜんぜん違うし、まったくわかりませんが、文語だと、とても似ているんです。

そう、例を挙げましょう。たとえば、『True Tears』の原作は、La'crymaです。もちろん、それは、ラテン語の「lacrima」を元にしているのでしょう。ちなみに、それは「涙」という意味です。そして、ローマの詩人ヴィルギリウスの叙事詩『アエネイド』のテーマも「lacrimae rerum」でした。「物事における涙」という意味で、いわゆる人間生活における悲しみの涙、不幸の涙、哀れみの涙、そう、日本の「もののあはれ」に通じるコンセプトです。まあ、とくに『アエネイド』では、トロイ戦争における人間の儚さと苦しみですね。それも、サウダージに通じるものではないでしょうか?サウダージも、涙と結びついていますから。

そして、ポルトガル語で、涙をなんと言うか?「Lágrima」と言うのです。とても似てますね。もう瓜二つです。サウダージを根源哲学とするボサノバやファドの曲でも、この「Lágrima」が出てきます。ファドの女王であるアマリア・ロドリゲスの曲に『Lágrima』という歌があるくらいです。で、スペイン語でも、涙は「Lágrima」と言います。また、ルーマニア語でも「lacrimă」と言います。つまり、ラテン語、ロマンス語の概念なのです。それが、富山の田舎の恋愛叙事詩的なアニメのコンセプトでもあるのです。コンセプチュアル・アートなのです。そう、だから『True Tears』は、ラテンのコンセプトに通じるのですよ。ああ、それにしても、『True tears』の登場人物たちは、みんなサウダージを感じてましたね。そしてラグリマが彼女らの頬を滴り落ちていたのです。そう、スペインのバンドのLa Oreja De Van Goghの『Adios』の歌詞のように。
una de esas lágrimas que van desde tu cara al mar(あなたの顔から海に滴り落ちる涙)」
ちなみにバンド名の「La oreja de Van Gogh」は、「ヴァン・ゴッホの耳」という意味です。スゴいバンド名です。ゴッホは、まさにサウダージの画家でしたからね。

ところで石動乃絵ちゃんは、とてもかわいかった。いとかわいし。小柄でちんちくりんで、髪型も10代の思春期の子にしかフィットしないショートカット、そして、そのショートカットにピンク色の蛍光色のヘアピンをしているという、もう、
うええああああ!!!
となってしまいました。かわいいかわいい。そういやぁ、ペルーで合った15歳の子もショートヘアでしたね。でも、体はぜんぜん違いましたけど、やはりラテンだけあって。一方、湯浅比呂美は、ちょっと女子高生にしては、マチュアすぎた、もっと大人の雰囲気の女性でしたからね。もちろん、きれいな人ですね、とてもきれいです。で、ファッションもきれいです。やはり、日本は、ファッションではミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨークと並ぶほどの実力ですし、四季がある国は、やはり着るものもいいですね。でも、やはり、比呂美もそうだけど平均的に日本人女性は体がないです。だから、『ロザバン』や『To Loveる』などの萌え系アニメだと、現実離れしていて、やけに豊胸だったり、日本人女性とはかけ離れている体をしているんですが、ああ、『True tears』は、trueだけあって、女性キャラたちの体も真実に近かったですね。だから、性欲は起きませんでした。

最近、Denny'sに朝ご飯を食べにいったんですが、そこのラテン系の女の子はかわいかったですね。ああ、まあ、化粧はちょっと派手だったんですけれども、それでもラテンにしては、小柄でしたから。で、たとえ小柄でも、お尻はスゴかった。とてもかっこいいお尻でした。なにしろ、形がいいし、キュッと引き締まっているのです。さすがはラテンです。女性のお尻のカッコよさはラテンが最高でしょう。私は、ミルクティーが鼻から逆流しそうになって、むせてしまいました。いやー、でもラテンの国に行ってから、世界観ががらり変わりましたよ。今までは、アニメでも現実でも、女性の胸ばかりに集中してたんですが、ラテンのすばらしいお尻に出会ってから、目がお尻にも行くようになりました。つまり、私の世界観が、胸からお尻に変化したわけです。まさに「人生の大地震」でしたね。

ああ、ペルーはほんとお尻の素晴らしい女性が多かった。それが、ラテンのスゴいところですね。そしてあのくびれ、もう芸術作品が町中を歩いている感じでしたから。アメリカに帰ってきて、デブが多いのにほんとびっくりしました。今まで住んでたんですけどね、それでもペルーと比べると、アメリカは肥満が多過ぎる。女の人の7割近くがオーバーウェイトという、つまりアメリカ人女性の70%近くはブス確定という、まさに悲惨としかいいようがありません。だから、アメリカは、もっともブスが多い国家ですが、同時にミス・ユニバースをもっとも輩出している国家でもあるのです。ブスがマジョリティーを占めるなかで、世界一の美女も沢山いる、とても矛盾した国家なのです。アメリカの巨大な格差は、なにも経済力だけでなくて、美も格差社会なのです。まあ、同じくアメリカの男も70%が体重オーバーですから、7割は醜い男確定ですが、まあ、男はみんな野獣のように汚く臭く野蛮なので、救われないですからね。男に美しさを求めるのに無理があります。だって退化している動物ですからね。女はダーウィンの進化論に当てはまるけど、男はどう見ても、退化論にしか当てはまらないでしょう。だからニューハーフを抜かして、99%の男は醜いでしょうね。それはペルーでも変わらなかったです。吐き気を起こさせるようなもんですからね、男を見たら。でも、ペルーはセクシーな女の子が多かった。やはり、体がずばぬけてスゴかったからですね。

地元のペルーのおばさんも、私に言っていました。
「ペルーには女の人が充分にいるから、女を作りたければ、いつでも戻ってくるといい」
ははは、その通りなんですけど、そんなためにペルーにまた行くというのも、動機が不純というか…、いや、でもそれこそが私の純粋な動機と言うもんです!いや、真の動機ですね。Trueですからね。私のサウダージも女性との皮膚感覚の欠落によるものですから、それで私は毎晩True tearsを流してるんです、よってラテンのすばらしい官能的な肉体の女性との皮膚感覚を復活させるには、やはりラテン文化圏に移住するしかないでしょう。まあ、南米ですよね。

アメリカでは涙を流す男は女々しい、「pussy(弱虫)」だと糾弾されます。泣くことは、女のものだという意識が強いですからね、弱肉強食の競争を奨励する男権社会、マッチョ社会のアメリカでは。だって、シュワルツネッガーが知事になるくらいですから。だから、アメリカではTrue tearsは受け入れられないんです。でも、ラテンでは、男も泣いていいのです。そうすれば、女性は「pobrecito(かわいそうな子)」と言って、同情してくれるのですよ。だって、ボサノバでは、『desafinado(音痴)』という曲があるぐらいですから。自分はどうしょうもない音痴だけど、それでも自分の下手な歌で、君に自分の気持ちを伝えたい、という。それで、同情してくれますからね。だから、ボサノバの巨匠のジョン・ジルベルトも、キモメンで歌も肺活量がない弱い声で本当に下手クソです。でも、そのサウダージに人は感動しますからね。ラテンの包容力は違いますよね。

ああ、True tearsが受け入れられる共同体、私にはそれが必要ですね。今までは、二次元の世界でラグリマを流していたんですが、やはり皮膚感覚がないですから。ラグリマも重要な感情表現の一つですからね、しかし、涙を流すことさえ出来ない、つまり感情を統制する社会、それこそが人を不健康にさせると思います。ブラジルでは、ラグリマはとても尊重されますね。だから、小泉も演出でブラジルで涙を流したんですね。やっぱ、あの人は偉大な演出家だけあって、その土地の風俗習慣というものを、よく読んでいますね。その嗅覚というのが、特に優れていたのではないでしょうか?しかし、彼のラグリマがtrueだったかどうかは、疑問ですけど…。

だから、サウダージによる真実のラグリマ、それをembrace、abrazarしてくれるラテン女性、millones abrazosを、限りない抱擁を、その皮膚感覚を、私は求めているのデス。それを追い求めることが、私の旅となり、サウダージの人生とならんことを!
幾山川越え去りゆかば…
ef a tales of memories』の第5話後半で、芸術性の高いヴァイオリニストの久瀬修一が、新藤千尋を送っていく帰り道で、若山牧水の短歌を引用しました。
幾山川 越え去りゆかば 寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅行く

それは、岡山県哲西町の牧水歌碑では、
幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

となっています。しかし、小泉改革の市町村合併で2005年に哲西町は廃止となり、新見市として統合されました。だから、厳密には哲西町は、もう存在しないのですが…。若山牧水のウェッブサイトで、牧水歌碑集をクリックして、岡山県に行き、哲西町・二本松峠をクリックすると、この短歌を読むことが出来ます。

久瀬は、千尋ちゃんに短歌を現代語に訳しました。
どれだけ多くの山や河を越えれば、淋しさのない国に行けるのだろうか?そんなものないことを実は知っているのだが、今日もあらたに旅をして行こう
それを聞いた千尋ちゃんは、
淋しさと言っていますが、明るい歌なんですね
と感心していました。さすがは、詩人です。彼女の感性はすごい。眼帯をしてるだけある。

私もかつて超古代文明があったペルーに旅に出ます。日本は淋しい国、いや、男尊女卑の年功序列型資本主義社会、先進国でジェンダー指数が最悪な国、そんな息苦しい社会では、どうしょうもありませんでした。ひきこもりとなってしまい、そして、女性のぬくもりを最後までゲットできずに、苦しみ抜いて、とうとう耐えられなくなって渡米してしまいました。しかし、アメリカは、ネオリベラル資本主義型消費社会の総本山、本当に冷酷で残酷で、冷たく淋しい社会です。その犠牲となった瞬間に、勢いに身を任せて南米行きを決定しました。そして、私は南米にいきます。アンデス山脈の国に行くのです。そこに旅をしに行くのです。そう、そこに希望があるかもしれません。輝かしい未来の為にも。よって、もはや旅に身を投じるほかありません。それは、『空の夢』のの精神にも通じるものだと思います。私は牧水のこの短歌を思い出す度に、千尋の詩を連想してしまうのです。それこそが、私の共感覚でしょうね!

ヒロインたちへの投影
やばい、このアニメはいい。そのことばかり考えちゃう。よすぎる。『ef a tale of memories』は、いい。キャラは、こちらを参照してください。

新藤 景ちゃん、身長は小さいね。150cmか。でも、バスケ部でアスリートなんだよねぇ。くっくくー。私はスポーツがとても苦手だった為に、異性に自分の持っていない才能や能力を投影してしまうんでしょうね。だから、スポーツ系の女の子にとても憧れるんだよね。高校のときも、近くの柔道の道場に通っているかわいい女の子に恋しそうになったし。高校最後のときの好きだった人も、バスケ部の副キャプテンで、身長もモデル並みに高くて、顔がバタ臭くて、でも端正だったし、かっこよかった。そう、私は、身長がないから、異性に身長の高さも投影してしまうのかも。そして、インテリな子にも、憧れてしまいます。なにせ、私は勉強ができませんでしたから。ああ、自分ができないことを異性に求めてしまう。それに、私はとても恋に落ちやすい体質なんでしょうね。ちょっと女性と接触すると、すぐに恋のモードになってしまうんですよ。そして、心が破壊される。だから、恋が怖い。

でも、宮村みやこさんは、やっぱ積極性かなぁ。ちょっと、ストーカーって感じも合ったけど。好きな男子にデートをすっぽかされたときに何十回も電話し続けたとか。いやー、そのシーンが5分も続いたのも、結構不気味だったね。文字の羅列で、ちょっと衝撃。あんなアニメは見たことがない。いやー、ほんと、「広野君!」って、彼のことが本当に好きだったんだね。病気だね、あれは。3回電話して、電話に出なかったら、普通はふられたと思うけど、あの執念、まあ彼女の育った家庭環境からすると、愛情がぜんぜんなかったから、愛情に飢えていたのかもしれない。一人っ子というのも、辛かったんじゃないかなぁ。昔の村意識というのが、町からなくなったのが原因でしょうね。震災から町を復興させようとして、村人の結束はより固まるはずなんですが、彼らは宙に浮いていた存在で、それに村意識というのさえ共有していないんでしょうね。たぶん、再興し終わって、もとの冷たい環境に戻ってしまったのかも…。都会人は、過疎化によって孤独なんでしょうね。家の外に出たらもう孤独、しかし家のなかでも家庭崩壊が起きたら、それこそ愛情なんてないでしょう。だから、精神病になっちゃう人があまりにも多いんですよ、都会では。だから、宮村みやこちゃんみたいに、恋愛依存症の人が多いんですね。ああ、でもあんな子がいたら、私は絶対渡米しかなったですよ。渡米の最大の原因は、片思い、報われない恋でしたから!

それにしても、宮村みやこちゃんの積極性、あれさえあれば、虹コンを救うことが出来るんだ。それは、マニフェストにも書いた。
女性の積極性の問題だ!
男性至上主義的家父長制資本主義を打破せよ!そうすれば、ラヴシャイの男性を救うことが出来るんだ。私は、ラブシャイではないけれども。ラブシャイの気質は、モテないキモオタに共有するものがたくさんあるから。

新藤 景が広野を「お兄ちゃん」と呼ぶから、はじめ兄妹かと思いましたよ。でも、アカの他人だったんですね。お兄ちゃん萌えか。「あたしが世話しないとお兄ちゃんなにもできないんだから!」という感情なんでしょうね。兄思いが恋愛になっちゃった。まるで、カレン・カーペンターのように。兄に近づく女性すべてを遠ざけようとするような、そう、ニーチェの妹のように。たしか、天皇家でも、ありましたね、兄妹の近親相姦が、『衣通姫伝説』として有名です。木梨軽皇子は、実の妹と恋したために、天皇に即位する資格を失い、死んでしまいます。兄萌え、妹萌えは、古代から犯罪だったのです。いやぁ、でも、宮村みやこことミヤミヤと、新藤景のバトルは、面白かったです。
うがぁぁぁあああ!!!!
っとなってしまいました。

でも、やっぱり新藤千尋がペストでしたね!あの子の歌う『空の夢』は、やはり彼女は小説家だけあって、言葉の力、言霊はすごいものです、オーディンも智慧を得るために片目を失いましたが、この子もそうなのかもしれません。グルマン民族にルーン文字をもたらしたオーディンは詩の神とされますし、千尋も小説家ですから、言葉の錬金術師、いわゆる詩人なわけです。つまり、あの眼帯は、オーディンのと同じで、智慧の徴なのかもしれません。しかし、この楽曲から伝わってくるイメージ、もう、切なさ、静かさ、あでやかさ、なまめかしさ、そして希望、ほんとトランス状態に陥りますよ。そして、インカの大空を思い浮かべることが出来るのです。イメージできるんですよ。ペルーと超古代文明の叡智、それを凝縮したような楽曲です!
うわああぁぁ、これはEuphoric Field!

ef a tale of memories』を見ますたよ!!!efは、Euphoric Fieldの略、つまり至福のフィールド(地)、ユーフォリアは、英語のeuphoriaであり、ギリシャ語が語源です。「幸運を運ぶもの」ですね。euは、福、phorosは、運ばれる、つまり英語のcarried awayの表現と類似するでしょうか?ちなみにphosphorosは「光を運ぶもの」つまりラテン語でlucifer(ルシファー)ですね。ちなみに「写真」を意味するphotograpyのphotoは、phosが変化したものです。

いや〜、これは切ない。とても切ない。私は、あの記憶障害の女の子が自殺してしまうのではないか、そう、カミーユ・ビダンのように最後は悲劇で終わってしまうのではないかと、とてもブルブル震えていました。そうですよ、人というのは、記憶ですべて成り立っているんですよね。レナードの朝のように、12歳からたった13時間なんて、あまりにも残酷だ!それにその事故で片目まで失ってしまっている、オーディンやオシリスのように。どうしてそんなことをするために産まれてきたんだろう。ただ苦しむために毎日同じことを繰りかえすだなんて。シジフォスの受けた罰のようだ。どうして世の中は苦しみばかりなんだ。仏教は輪廻や前世の業で説明するが、そんなのでは納得できるか!

しかーし!やはり、これは希望のアニメでした。信じる者は救われる、まさにキリスト教の根源とも言える哲学、信じる者には、最後には奇跡が起こるのです。私も、このアニメがもし悲劇に終わっていたならば、ペルーには絶望とともに飛んでいたことでしょう。そこで朽ち果てていたかもしれません。しかし、希望、それを私は見た!

実は、このアニメは私が見つけたのではなく、尊師の強い勧めによるものでした。その時の尊師の目はマジでした。いつものみんなに好かれる気さくさでジョークを言って人を楽しませるひょうきんで愉快な尊師ならば、
「ヘルメスさん、このアニメはいかかですか」
と柔らかな表情で勧めてくれるのですが、この時ばかりは、おどろおどろしい武士のような殺気がこもっており、とても
「いやー、次の機会に見ますよ」
と答えられる雰囲気ではなかったですね。尊師の表情は笑っているのですが、目は笑ってない。
「ヘルメスよ、このアニメは、なにがなんでも絶対に見るべきだ!」
と眼光から伝わってきました。なにかの役を演じている時の真剣さを感じました。正直言って、ちょっと怖かったです。よほど、このアニメを私に見てもらいたかったのでしょうね。だから、私の師の真剣さを真意に受け止めなければならないと思いました。

ストーリーは、すごかった、あれだけ心理的に入り組んだストーリーをアニメでやってしまうとは!これほどのシンボリズムを駆使したアニメはウテナ以来か!?映像がきれい、さらにアングルが斬新、そして町並みが南ドイツの町だ、南ドイツに行ったことがある私が言うんだ!そして、なんといっても、主題歌が良い!『Euphoric field』の英語版と日本語版、私は、もう英語版の楽曲に惚れてしまいましたよ!まるで、諸行無常のエヴァネッセンスのようなサウンド!そして、主人公の女の子が歌う『空の夢』も激動の感動をもたらしました。これはロックでもジャズでもないし、普通のアニソンでもない、とても深く趣があって、さらに歌詞がもう「stream of consciousness」を彷彿させるような、そのふわっとした歌い方にその歌詞、そして不安定な地に脚がつかないようなメロディー、そしてあの転調、ああ、ピアノとストリングスとエレキピアノ、そしてエレクトロニックスサウンド、あああああ、すばらしい!いと、美しき!!!駄目だ、もう良すぎて、それに三次元と違ってやはりアニメの女の子はとても積極的、それこそフェミニズムの勝利を体現していると言えまーす!ああ、あの子に会いたい、新藤千尋に直接会いたい!日本からの逃亡、渡米、そして南米への飛行、そんなのを超越してしまうようなぁあああああははああががっがぎぎっぐぐぅうううぅぁああああ(頭を抱えてモニターの前に倒れ込む)。

では、早速、『空の夢』の歌詞を抜粋しようではないか。
夢 見てた ひとり

空 見上げ いつか
なくした痛みを 思い出すの

白い羽に風をうけ
揺れる記憶に鍵をかけ

届け 果てまで
どうか 彼方へ
笑顔 あなたに 戻る明日へ

夢 消えて ひとり
聞こえた言葉が 時をつなぐ

赤い雨に導かれ
旅の続きを描くため

白い羽に風をうけ
遠い記憶の壁をこえ

届け 果てまで
どうか 彼方へ
手と手 かさねて 進む明日へ

ずっと ふたりで

私の人生、恋なき人生、今まで人を愛したことがない、愛されないのならどうやって愛することができようか?私は愛など信じてこなかった。とくに恋愛など、性欲のエクステンションとしか思えなかった。ただの幻影、まやかしとしか思えなかったのだ。片思いは苦しい、苦し過ぎる、というか死にたくなる、本当に、報われない恋など。だから、恋なんてしたくない、セックスで充分なのだ。恋は萌えで代替となる、しかし皮膚感覚を伴う恋、それはやはり三次元でないと駄目なんだ。だけど、私は恋にそんなに関心はない。肉体だ。肉体の快楽が最優先だ!しかし、セックスはキリスト教に支配されている世の中では、愛のなかでしか許されない。どいつもこいつも恋はセックスへの特権のごとくファックしやがって!だからこのアニメに対して切れた!そんな不条理な社会は破壊したい。革命を起こして、セックスと愛の分離をしようと思っている。それが、私の人生の最高目標であり、そうなれば私は幸福を手に入れられると信じている。その信条たるマニフェストは、私が16歳の若さを取り戻すまで、変わらないであろう。それが、私の夢であり、私は、空高く舞うのです。そして南に飛ぶのです!しかし、このアニメは、恋愛によって奇跡が起きるということを証明した。恋愛で人が幸せになることを目の当たりにしたのです!!

それは昔ナザレのイエスというたった一人の人物が愛を説いたという、その愛の力が山をも動かすということなのでしょうか?

私もこの歌詞にあるように、旅の続きを描こうではないか。ペルーに行くのは、そのためなんだ!ああ、この楽曲をペルーに行っても聴きたい、いや、ペルーという大地にこそ合っているような曲ではないかとさえ私は思うんですが、やはり元同僚のペルーの子は、iPodを治安が悪いペルーに持っていくのは、とても賢明とは思えないという意見でした。だったら、ペルーに行く直前までに、徹底的に聴いておくことにします!ペルーこそが、私のEuphoric Field であらんことを!!

いや、でも、なんだかんだ言って、このアニメを紹介してくださった尊師に最上の合掌!
おかっぱ、私もやるしかない!!?
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上の図は、左からチョ・スンヒ江頭2:50、そして塔矢アキラです。クリックすると、拡大できます。

塔矢アキラ、彼は『ヒカルの碁』では、もっともかっこいい男とされています。彼のトレードマークはなんといってもおかっぱ。いや、私は、はじめ、アキラは、女の子だと思ったんですよ。たぶん小学校もエリートの私立で、だから学欄も着ていましたし。『少女革命ウテナ』のウテナも学欄を着ていましたから、だから、アキラも「ボクッ子」だと思ったんですよ!それに声優さんは小林沙苗ですし、彼女は『いちご100%』のセクシーキャラの北大路さつきちゃんの声でしたから、だから女の子だと思ったんですよ。

でも、なんと男だった!『焼きたて!!ジャぱん』の冠茂のときのように騙されたわけです。そう、アキラが16歳になったときには、美少年でしたからね、男だとわかりましたが、小さいときは、女の子かと思ってました。でも、どうしてずっとおかっぱ頭なのか、理解できません。おかっぱは、お笑いキャラの定番だと思っていたのですが、いやー、ほんと虚をつくような意外性でしたね。おかっぱもあんなかっこよく見えるものなんですね!!でも、あれは、よほどの美少年でないかぎり、フィットしないと思いますが。私が、おかっぱにすると、江頭2:50がおかっぱにするようなものですから(涙)。

そういやぁ、おかっぱは、『千と千尋の神隠し』でも、ハクがいましたね。特別な才能がある人は、ああいう髪型になるのでしょうか?まるで楠田枝里子のような…。スフィンクス?でも『千と千尋』は、宮崎アニメでは、珍しくつまらない部類に入りますね、声優も素人がやっているとしか思えないし。ナウシカやラピュタなどの超大作に比べたら、駄作でしょうね。まあ、弘法も筆の誤りと言いますから、天才宮崎も誤ることがあるんでしょう。

アキラのファンのサイトがあります。結構、面白いです。108の質問というのが、仏教の108の煩悩にかけているのが、いいですね(笑)。萌えって、煩悩なのでしょうか?彼のおかっぱ断髪のサイトもあります。また、アキラをテーマにした書き下ろしネット小説もあります。とても面白いです。英語のネットでも、アキラ絶賛サイトがあります。やっぱり髪型と髪質を絶賛するものが多いですね。あと、碁に対する情熱とか、礼儀正しさ、もちろん美少年ということも。また、ニコニコ動画で、アキラのキャラソンがアップされていて、そこのコメントがとても面白いです。女性ばかりのコメントも楽しいですね。「かわいい」「かっこいい」「おかっぱ萌え〜」「彼氏にしたい」「子供にしたい」「息子にしたい」「子供ができたら絶対おかっぱにする」「ヒカルに恋している」とか、かならずどこかにBL(やおい)的な妄想をしているようなコメントが投稿されています。きっと腐女子たちが、ハアハアと息を切らせて、鼻血を出しているのでしょうね。なんでそこまでBLが好きなのか?もはやBLは、女性向けのポルノなんでしょうか?

でも、まさかおかっぱがここまで女性の称賛を浴びるとは。だったら、おかっぱにすれば、モテモテになるはず。塔矢アキラを見て御覧なさい。ならば、私もおかっぱのカツラをかぶって、南米に行こうかなぁ…。こんなふうに…。

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翼人、南に飛ぶ!
でががががががぁぁぁあああ!!!劇場版アニメの『Air』を見たぞー。これは、すばらしかった!!

普通、劇場版というのは、本編のアニメに比べたら劣ると言われています。『天空のエスカフローネ』も、劇場版は駄作というレッテルを貼られました。しかし、『Air』は、ごっぺよかったです!そうそう、私も、からすの「空(そら)」に導かれて、天空を飛びたいですね。そして、南に飛ぶんです。そう、南米に、そのからすなら、もしくは翼人ならば、ナスカの地上絵も見られますね。楠田枝里子も、彼女のサイトを見ると、ナスカの地上絵の保護運動家だそうですからね。彼女に感謝しなければ!

南米に飛ぶ、ピンクフロイドの『Dogs』の歌詞のように、
「in the end you'll pack up and fly down south」
というように、荷造りして南に飛ぶんですよ。まさに翼人の気分になれるわけです。しかし、ネオリベラルという呪縛に縛られているのは、翼人に対する仏教僧の呪術と同じでしょうね。そして北米ネオリベラル資本主義社会の一望監視システムの牢獄から逃れようとすると、翼人が矢の雨を浴びたように、銃弾の雨を浴びるかもしれない。だが、それでも翼人は千年かかって最終的にその呪縛を解き、解脱しました。私もNAFTAから解放されたいのです。オバマは、大統領になったらNAFTAを見直すと言っていましたが、彼が大統領になるかどうかはわかりません。とにかく、その答えは今年の11月に出ます。マッケインになったら、もう絶望ですね。アメリカにいる必要はないでしょう。2012年に向けて、世界は破滅してしまうでしょう。南米、超古代文明があったとされる南米に行って、その古の叡智を授かるしかないような気がします。
久々にアニメ三昧、『焼きたて!! ジャぱん』
焼きたて!! ジャぱん』を見終わりました。2月5日のスーパーチュースデーが終わってから、やっとアニメに頭を切り替えることが出来ました。それまでは、選挙のことに集中し、アニメは見ていませんでした。三次元に没頭していたのです。しかし、結果的に私に投票した候補は、世間ではまったく知名度がありませんでしたし、代表団員の一つすら獲得できませんでした。それは、少し絶望に近かったです。オバマは確かに今よりは良くなる、希望がある候補であることは、確かですが、やはり本当に根本から良くするためには、クシニッチの政策が一番いいと思いました。しかし、彼は、スーパーチュースデー前に、選挙を辞退してしまったのです。だから、残された候補でもっともクシニッチに近いといえば、グラヴェルしかいませんでした。だから、はっきり言って、あの選挙で吹っ切れました。

よって、『焼きたて!! ジャぱん』を見たのです。これは、『ミスター味っ子』の流れを組むアニメで、料理アニメジャンルで、ハチャメチャなコメディーでとても面白かったです。キング牧師も登場しましたし、ブラッド・ピッド、そして小泉純一郎まで登場し、田中角栄までも登場しました。しかし主人公の東和馬は、どうして田中眞紀子のような日本語を話すのだろうと思っていましたが、東は新潟出身なので、だから田中角栄のような日本語をしゃべっていたんですね。というか、新潟弁ですけど。また、東と河内の新潟人と大阪人の田舎者コンビもおもしろかったです。二人とも方言で大ボケをかますところなど最高です!

しかし、梓川月乃は本当にかわいい。やさしいし、癒し系で、なんてたって髪の毛がいいね、栗色で、しかもエメラルドグリーンの眼で。各エピソードで見せるそのファッション、あああああああ、駄目だ、あんな子が本当にこの世に存在したら、私はもう昇天してしまうでしょうね。それに、泣く東を後ろからいたわるように抱きついた20話の4分目のシーン、私は、
こんな女の子が日本にいたなら、アメリカに渡ることはなかったんだー!
と叫んでしまいました。また、彼女の水着姿には、鼻血が炸裂してしまった。とくにこの65話の1分16秒のシーンに、飛び散った血がモニターを真っ赤に染めてしまったのです。しかも声優が美女の大塚ちひろですし、声も非常にかわいくて萌えちゃいました!!!しかも、月乃ちゃん、意外とムッツリだったりして???この15話の5分30秒の黒柳審査員のリアクションに、目を覆っていましたが指の隙間からちゃっかり覗いていたという!!はーはははぁはぁはぁあああああ!!!!


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