NAFTAでのキモヲタのソナタ
こ…これほどまでに、資本主義社会に嫌気を感じるとは!はっきり言います、資本主義は私の体質にまったく合いません。私の性質、いわゆるキャラに相反するのです。しかし、それに従属しなければ生きていけません。食べていけないのです。食料が手に入らないのです。『鉄腕アトム』の世界のように、仕事はロボットがやってくれないかぁ。労働は全部ロボットが担ってくれたなら…。ああ、早く生まれ過ぎた、まだ人間が労働に搾取される時代だなんて。ああ、いっそのことキューバにでも行こうっかなぁ。でも、キューバは独裁国家だし、アニメも見れなそうだし、カストロの独裁政治には反対なので、キューバでは政治犯になってしまいます。ヴェネズエラだったらいいかもしれない。美女も多いと聞きますし。カナダでもいいなぁ。でも、どうせなら、ただアニメを見て、ギターを弾き語りしていたいです。そして、女の子とふざけて遊びたい。そんな社会がいいです。日本とアメリカの大人社会は私の相性には、まったく合いません。日本は儒教をベースにした男尊女卑と年功序列の社会、そしてアメリカは自然淘汰と弱肉強食をベースとしたネオリベラル社会、それがすべての元凶なのです。社会的弱者は、社会から仲間外れにされてしまいます。とくに、身体的弱者は、イジメの被害にあいやすくなります。とくに、労働組合の割合も少なく、国民健康保険もないアメリカでは。

私は、中学のときに、激しい身体的イジメにあいました。そして、いじめっこたちは、身体能力の高い野球部の奴らが大半を占めてました。私は必死に抵抗しましたが、無駄でした。あまりにも身体能力が違いすぎましたから。とくに思春期は、成長の差がはっきりと出ます。だから、私は、野球は害毒であると、すでに中学生のときから悟ったのです。彼らは、クラスの女の子たちに称賛されていましたし、モテモテでした。しかも、かわいい思春期真っただ中のショートカットの女の子たちに!あのときは、まだサッカーブームの前だったので、野球部の連中がもっともモテたわけです。私の好きだった女の子も、野球部のヤツに告白してましたし。まあ、彼女は、ふられましたけど。私は思いましたよ、
「そら、いわんこっちゃない。私に来てさえいれば、いつでもウェルカムだったのに…。」
ちなみに、その子は、ショートでした。思春期ならではの、ヘアスタイルですからね。活発な子で、ほっぺも赤くて健康優良児的でした。しかし、彼女は愚かにも騙されていましたね。そんな下衆をなんで好きになったのか、まったく理解できません。なにしろ、その野郎は、私にプロレス技をかけて、毎日のようにいじめていたんですから。しかも、あいつらは、地区大会でいい成績を残して活躍していたし、先公どもも、生徒の鏡だとして賛美していたし、あいつらのDQNとしての独悪非道さには目をつぶっていたのです。

そして、女の子も女の子で、いじめられている男などには見向きもせず、私が近寄ると、「キモイ」と言って避けました。野球部の奴らを頂点とした学園社会では、
「男は社会に認められて一人前」
という抑圧があるため、私は、その社会に認められてなかったわけですから、性の対象にはならなかったのです。なにせ、野球部の奴らがセクシュアリティーを独占していたわけですから。女の子たちがつねに話題にするのは、野球部の男ばかり、
「XXくん、かっこいいよね〜」
とか、聞いててほんとに憤りましたよ。連中は、学園のジャニーズでしたからね。よって、そのときに、野球に対する嫌悪感が決定的となりました。それ以前は、アニメの『タッチ』などで、ベースボールは、恋のスポーツとしてしか思っていませんでしたが、実は、アメリカ型のスポ根的なものだと気付かされたのです。道理で、野蛮人が多いわけです。だって、よく帰宅するときに、野球部の練習を見たんですが、顧問が軍隊式に部員をしごいてましたし、上級生も下級生に対してすごい惨いことをしていました。そして、顧問はもちろん卑劣な体育教師でした。あれでは、人格が破壊され、ひねくれてしまうわけです。そして野球部は、DQNの温床となったのです。だから、イジメに走ってしまったのでしょう。スタンレー・キューブリックの映画『フルメタル・ジャケット』のブートキャンプのようです。ブードキャンプ=イジメキャンプです。軍曹にいじめぬかれて、戦士となるのです。だから、顧問や上級生によるイジメは正当化されました。すべては、競争に勝つため。野球部員はみんな強制的に五分刈りでしたし、まるで囚人かネオナチの集団ようでした。そうやって、彼らは国家資本主義の犬となっていくのです。ナチスは、国家社会主義ですが、ナピスは、国家資本主義です。National capitalismを略してNapismにします。というか、スポーツ系の部活は、みんなその傾向が強かったです。だから、私はスポーツを忌み嫌うようになりました。そして、とくに野球は男尊女卑とネオリベラリズムを合わせたようなスポーツです。実際に、陸上やバスケやバレーやサッカーなどは、女子もそれなりに有名ですが、女子野球部なんて、私の学園になかったですし、野球はそれこそ男のスポーツという言説がありますからね。

それにしても、どうしてアメリカのスポーツって野蛮なのが多いんでしょうね?アメフト、なんですか、あれは。闘牛を人間にしたような、そんなメンタリティーしかないものでしょう。ステロイド漬けの野獣と化した男たちが暴れまわっている、そして肉食獣のようにチアリーダーたちを強姦するのです。そんなアメフトをスポーツと呼べるのでしょうか?バスケット、あれもほんとつまらない。それにNBAのゲームで、鬼コーチが選手をビシバシ殴るシーンを何度も見ました。まさか個人主義意識の高いアメリカでそんなことが起きるなんて、絶句でした。まるで、どこかの日本の部活の大会のような野蛮なものでした。顧問が負けた部員をぶん殴るのと変わりませんでしたから。これが、上司と部下の関係なのです。選手は、チェスのコマでしかないのです。企業の従業員もそうです。とくに派遣社員やパートタイムがそうですね。もはや資本主義における奴隷制度です。また、アメリカでも、上司がほとんど男という、社長やCEOがもっぱら男という、そんな男たちが女性に命令する家父長的社会なのです。そして、女は自分を命令してくれる男に憧れるしかないのです。つまり、自立心がまったく持てないのです。女の結婚する相手はもっぱら年上ですし。そんなところでは、自分がリーダーとして成功していくビジョンが描けないのでしょう。だから、女は「男に愛されて一人前」という抑圧から解放されないのです。それが、ネオリベラリズムの本性なのです。

私は、女子バスケ部の子を好きになったことがあります、スポーツは、女の子だったら、すばらしいんですよ。コーチが男っていうのが駄目でしたけれど。そいつも野蛮な体育教師でしたし。しかも、中高と、野郎教師が多すぎって、90%は、教師は男でした。それがすべての元凶です。イジメの元凶です。まさに『ハエの王』のような世界です、男社会というのは。教員の50%を女性にするとか、北欧の企業のようにクオーター制度を導入すれば、すべての根本の問題は解決するはずです。しかし、現在でも、先進国の間では、日本のような精神的にもっとも後進した国では、それもままならないでしょう。国連のジェンダー平等指数でも、世界で70位台ですから。しかも、共学なのに、教員が男ばかりの学校、とても息苦しかったです。汚物に息がつまるかと思いました。もっと女性の教師を増やすべきです。ほんと、学園は、男性至上主義社会でしたし、そんなんでは、コーチングを受ける女の子も、かわいそうです。野郎は、ただの卑劣な劣等野獣でしかありませんからね。よって男がスポーツによって精神が豊かになるというのは、ただのデタラメだということは、ほとんどの人はわかっていないのでしょう。とくに、野球は、オヤジどもが酒場で酔いながら見てるスポーツですし、酒場の喧嘩のたねとなります。

私の野球有毒説がただの戯言だと批判する人もいるはずです。しかし、彼らは、スポーツができてモテモテの人間であることが多いのです。私のようにスポーツが苦手なのに、無理矢理、体育に参加させられたことが苦になった人ならば、わかるはずです。キモオタなら、なおさらでしょう!スポーツが不得意な男がモテるようにはならないんでしょうか?だって、女の子だって、もちろんスポーツできる子は、魅力的だけど、星乃結美ちゃんのように、引っ込み思案で地味子でスポーツが不得意でも、とてもかわいいじゃないですか!でも、男はそうはいかないんですって。なんて不条理な!その根拠はいったいどこにあるんでしょうか!すべては、教育機関の洗脳です。だから、アニオタは、迫害されたんです。体育教師は、
「スポーツができなきゃ男じゃない!」
という何の根拠もないふざけた言説をぶちまいていましたからね。そして、それに女の子は洗脳されてしまったんです。体育教師は全員男でしたし。それこそ男社会の弊害というものです。笛を持ち歩いていましたからね、奴らは、まるで、国家の犬どもが、笛を持ち歩いて市民を監視しているように。しかも、体育教師が風紀員として、女子のスカートをチェックしていましたし。そしてスカートの短い子に対して笛を吹くのです。普通はオスが笛によってくるのに、メスが笛によってくるのです、というより、それは強制でした。だから、笛は抑圧の象徴でした。モーツァルトの魔笛のように、人の意志に反して呪術をかけることができる、そう、まさに権力とは、呪術なのです。だから、笛を奴らから取り上げたかったですね。映画『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ一家の当主の笛も、マリアが取り上げたように、子どもたちを抑圧から解放するべきでした。それに、笛だけではありません。体育教師は、根拠もなく竹刀を持ち歩いて威張ってましたし、竹刀も抑圧のシンボルでした。だから、それで、あいつらこそ、教育界から追放するしかないとずっと思ってました。よって、私の学園では美術と音楽は予算カットの犠牲になったとき、とても疑問に思ってました。
「どうして美術と音楽はカットされたのに、なんで体育はカットされてないんだろう?」
と。私にとっては、もっとも不要だった授業でしたから。そのときから、体育不要論を持っていました。体育教師が教育界から追放されるまで登校しないという方針でしたが、それでは単位が取れなくなってしまうので、とうとう権力に負けてしまいました。ハンガーストライキは失敗してしまいました。よって、私の不登校は長続きしませんでした。まさに、断腸の思いでした。

そういえば、明治時代に野球害毒論というのがあったらしいです。新渡戸稲造や乃木希典将軍が、野球を害毒と見ていたとは、明治時代という男限定天皇主権の腐った時代を担っていた彼らを少しは見直しました。しかし、それは、イジメを引き起こすという理由からではありません。つまり、根本的理由が欠けているのです。だから、イジメを引き起こす悪いスポーツという理由を付け加えることで、野球害毒論は完成するのです。キリストがモーゼの律法を完成させるためにやってきたように、私も、明治の野球害毒論を完成させるために、この記事を書いたのです。

【2007/12/09 05:44】 | スポーツ
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ああああ、そんな馬鹿な。あのジダンが退場だなんてー!!!
ショックだー!ジダンをどれほど心から応援していたことか。これが最後の引退試合、しかもその試合がワールドカップの決勝だというのに。ジダンは90年代後半から2000年代にかけて最も偉大なサッカー選手であろう。マラドーナやプラティニ以来の天才とも言われてきた。しかし花道には成らなかった。ああ、花道ではなく、ひとり控え室にうつむいたまま去ってしまった。まるでマッカーサーの「老兵ただ消え去るのみ」のごとく。そうそう、元帥はトルーマンと口論になって首にされたのだ。つまり戦場から退場させられたのだ。ジダンもマテラッツイと口論になり、ヘッドバットを食らわせて退場となった。あれは選手として最も卑劣な行為だ。ジダンは若い世代への教訓を作ったのだ。

ゲームとしては驚いたことにやけにフランスが押していた。ゲームを進めていたのはフランスだった。後半イタリアの選手の足が動かなくなった。私はきっとイタリアはあのドイツ戦のときのようにラストスパートまでエネルギーを貯めているのだろうと思ったが、実際は守りに徹してPKに持ち込もうと思ったのだろう。予想に反して勝負に出てこなかった。逆にフランスがジダンを筆頭として勝ちに行った。延長戦でもフランスが攻め続けていた。そしてあのジダンのヘディングシュート!おしかった。だがそのヘディングを人間にやってしまうとは。ゲットー育ちのジダンは気が荒いことでも有名だが、まさかあんなことをしてしまうとは。恥だ。

あのジダンの退場で応援する気は一気に失せた。フランスはワールドカップにふさわしくないと思った。いくら挑発されたと言ってもあんなことをしては行けないだろう。スポーツマンシップとしては卑劣である。喧嘩なら酒場でやればいいじゃないか。フィールドは神聖なところだ。だがイタリアがボールを持つたびに観客からブーイングが巻き起こった。普通はフランスの方におこるのに。ジダンの卑劣な行為に対して。どうやらフランスのサポーターの方が多かったのだろう。まあドイツとフランスは国境がつながっているし、イタリアとはアルプスの国に阻まれているのだから。

ああ、本当にがっかりだ。PKはイタリアが勝つと思った。ジダンがいなくなったフランス選手は精神面でイタリアに負けてしまっただろう。もちろんPKなんて運だが、練習では止められる方が奇跡に近いが、ワールドカップ決勝ともなるとまったく違うのだろう。そこが大きな差になるのだ。

テレビの画面の前でショックを受けた。世の中こんな馬鹿なことが起こっていいのかと思った。どんなにジダンの花道を見たかったことか。勝っても負けてもジダンにはなんらかの功労賞が送られるのだろうと思っていた。その揺るぎない栄光に拍手を送ろうと構えていたのに。きっとイタリアのサポーター、フランスのサポーター両方ともそれには暗黙の了解が合ったはずだ。彼の引退試合なのだから。だが彼は退場してしまった。表彰式にも参加することもできなかった。まさかこんなことになるとは。私は放心状態となり、イタリア人がワールドカップを持って踊っている姿をただぼーっと見ていた。「こんなはずでは・・・。」私の信じていたジダンが。フランスというより私はジダンその人を応援していたのだから。涙さえ出てこない。実力で負けたならいいだろう。正々堂々と戦ってジダンが負けたのなら、悔し涙が出てきただろう。しかしあんな形で選手人生を終わらせてしまうとは。マラドーナも麻薬で国際試合から姿を消した。偉大なスーパースターとしてはあっけない、そしてスポーツマンとして最も卑劣なことである。ジダンもその点ではスーパースターの伝統を守っているのかもしれない。

まあ、人間完全すぎても好かれない。中道だ。そう釈迦も説いている。最も素晴らしい選手と最も卑劣な選手、それ二つがあってこそバランスが保たれるのではないのか。まさに中道だ。

私は近いうちにフランスに移り住もうと思っていたのに。こんなゲームを見せられてショックだ。でもフランスに移住する野望は変わることはない。私がフランスを好きになったのもなんだかんだ言って、ジダンの98年W杯の活躍である。ジダンは私がフランスを好きになるきっかけを与えてくれた張本人だ。もちろんパリジェンヌとかフランス映画とか美しいフランス人女性が話す甘いフランス語とか、そういうのもあるが、なんと言ってもサッカーだろう。あのジダンの素晴らしいボールさばき、真の天才だと思った。天が、神があの才能を与えたとしか思えない。天才の現れる国、それがフランスである。だからこそ私はフランスに住みたい。アメリカなどもう飽きた。英語もかなりセクシーだが、フランス人女性のフランス語の優雅さ、上品さ、そしてセクシーさ、これには勝らないだろう。フランスに住みたーい!それこそが私の夢だ!


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【2006/07/10 10:30】 | スポーツ
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ポルトガルが負けた。実力ではフランスに勝っていたと思う。だってポルトガルのポジショニングの素晴らしさ、スペースを完全に消していたのだから。それにボールの支配率も圧倒していたし、60%はポルトガルがゲームを支配していたように見えた。それにしてもフィーゴよりもあの若きクリスティアーノ・ロナウドの素晴らしい足さばき、私は息をのんだ。C・ロナウドの両サイドからの切り崩しがフランスを苦しませ続けた。彼の自由奔放にフィールドを駆け巡るスタミナと技術と才能、今日はジダンよりも彼がスポットライトを独占していた。ジダンがボールに触れるのをそんなに見なかったし、ポルトガルのポジショニングにより、ジダンまでボールがつながらなかったのだろう。見事にスペースを消していた。それに後半の一方的な猛攻はブラジルでさえできなかったことだ。ポルトガルは間違いなく優勝しているチームだった。ただ審判に恵まれていなかったとしか言いようがない。フランスがPKを取ったのは正しいが、ポルトガルも取っていたはずだ。明らかにフランスのディフェンダーがポルトガルの選手をペナルティーエリア内で後ろから押し倒しているのだから。まあ、誤審というのがいかに接戦の試合では響くかということだ。まあ、しょうがないだろう。人間が審判をやっている限りは。マラドーナの伝説の神の手も生まれなかっただろうし。

イタリアには正直言って負けてほしかった。フランスとドイツの試合を見たかったのに。非常に残念だ。そうすれば普仏戦争以来の因縁の対決となるからだ。ヨーロッパ連合でもっとも中心的な国、それはドイツとフランスである。イギリスはユーロにさえ参加してないので問題外だ。ドイツが負けたのはいかにも不覚だった。ドイツが負けたことによってフランス対ポルトガル戦に対する情熱が少し失せた。

イタリアで何が有名と言えば婦人警官に下積みのモデルが多いということだ。あれだったら、「逮捕してー」と鼻の下が伸びてしまう。だからイタリアでは交通違反がEUのなかでもきっての多さだと言う。そんなふしだらな国が決勝進出だなんて。せっかくの楽しみもなくなってしまったではないか。フランスがポルトガルに負ければドイツとの試合を見ることができたのだが、ポルトガルはキーパーの天才的な洞察力でさえジダンのボールを止めることはできなかった。

イタリアとフランスか。イタリアは何かと言えばフランスの支配下だったし。アヴィニョンの捕囚やナポレオンのイタリア支配。イタリアは統一するときフランスにサルディニアの一部を譲ってるし。ドイツとフランスだったら、白熱した戦いになり、ヨーロッパ中が湧いただろうに。イタリアめ、勝ちやがって。でもジダンには花道を飾ってほしいし。それにイタリアはもう三回もワールド杯を手にしているんだから。フランスはこれまで前途多難だった。しかしイタリアはオーストラリア、ウクライナと準決勝までは格下のチームとだ。それならドイツ戦でスタミナがあったに決まっている。ああ、ドイツとフランスを決勝でどれほど見たかったか。本当に台無しだ。イタリアにワールドカップを渡したらだめだ。フランスには勝ってほしい。そしてジダンに花道を!

それにしても準決勝になんで日本がいないんだ。日独伊と世界をもう少しで征服できる枢軸パワーだったではないか。その元パワーの二国がワールドカップを争っているというのに、日本だけ蚊帳の外なんて。私の自尊心が大いに傷つく。イタリアとドイツはサッカーであんなに強いのに、どうして日本だけ。


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【2006/07/06 09:13】 | スポーツ
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「ブラジル対フランス」

ロサンゼルスの時間では正午、ブラジル対フランスの試合が開始した。ジダン、なんという選手だろう。あれが三十四歳の動きとは思えない。一時は国際試合から引退したというのに、フランスを救うべく再び国際試合に返り咲いた。若返りを図ったフランス代表チームもW杯出場を危ぶまれ、ジダンも引退を取り消して、フランス代表10番として、代表チームに復活した。

ブラジル代表は蒼々たるメンバーだ。ロナウド、ロナウディーニョ、ロビーニョ、カカー、ロベカル、カフー、たとえサッカーを知らない人でもこれらの名前は認識できるはずだ。世界レベルのサッカーの頂点に君臨する選手が集まっているのがカナリア軍団、セレソンだ。

フランス代表はワールドカップのグループ戦でも苦戦を強いられ、コンディションがガタガタだと思った。だからセレソンと試合をしたら簡単に負けるのではないかと思った。「ああ、やはりジダンがまた入ったとしても、大会予選では通過できたものの、本大会では若返りに失敗したチームは通じないんだな」と思った。しかもフランス代表は今大会では平均年齢が最年長である。しかも1980年代生まれの選手はたったの4人だけ。これではいくらヴェテランといっても・・・。それに老化には勝てないし、新しい世代のサッカーは古いものを淘汰していく。それが一番濃厚な形で反映されるのが、ワールドカップだ。

ブラジル代表は日本に楽勝にだったし、ガーナの頑張りも世界の王者には歯が立たなかった。ロナウドの天才的なスパートにはだれも追いつけなかった。これではまたブラジルは決勝に進出するだろうと思った。そして因縁の戦い。セレソンは98年のワールドカップ決勝でフランスに撃沈されている。だからこの日に限ってセレソン一団はその雪辱を晴らすと意気込んでいた。

だが試合が始まってみれば、全く違った。私はブラジルの一方的な攻撃になってフランスは負けてしまうと見ていた。だがジダンのボールさばき、私は度肝を抜かれた。
「これが34歳の動きか!」
と感嘆した。パスの正確さ、ドリブルの速さ、ショートパスからのゲームの組み立て方、まるで360度周りが見えているかのごとくの位置の取り方、特に驚愕したのはブラジルの選手をドリブルで二人一気に抜き去り、スルーパスでチャンスを作ったところだった。ブラジルの選手を一人抜くだけでも大変なことなのに。
「うわ−!」
とただ声を上げるしかなかった。しかも後半の十二分にジダンからのフリーキックからのアンリーのボレーシュート、あれには正直言って脱帽した。ジダンのマルセイユのゲットーで培った「ジダン・スピン」も披露してくれた。私の全身に鳥肌が立ち、しまいにはジーンと来た。ジダンのプレイは見事としか言いようがなく、もはや芸術の領域である。そう、「美しい」というのが彼のサッカーのスタイルに当てはまる唯一の表現だろう。美学的サッカーとでもいうべきか。

その後は予想した通りブラジル一辺倒の攻撃に切り替わり、フランスは必死にディフェンスに徹した。そしてついにタイムアウト!フランスはまたブラジルを下した。それにしてもジダンの素晴らしさ、なんと表現したらよいのか。これはジダンがブラジルに勝ったと言ってもいいほど。ブラジルはまたジダンに負けたのである。ジダン、この人はすごい、いや真の天才だと思う。

よかった、この時代に生まれて、ジダンのような天才のプレイを生中継で見られるなんて、私は素晴らしい時代に生きているのだ。

「イングランド対ポルトガル」

イングランドがポルトガルに負けたのは残念だった。ベッカムとブラジルの対決、あるいはベッカムとジダンの対決を見たかったのに。レアル・マドリッドの強豪たちがワールドカップで戦っているのだから。まあ、ポルトガルにもフィーゴがいるが。

「貴公子と貴公女」

それにしてもベッカムとはなんという美男子なのだろう。あれではどうしょうもない。美男子すぎて私には嫉妬心さえも起きないほどだ。完全に戦意喪失だ。「ベッカム様」か。日本人の女性があそこまで熱狂するのもわかる。ただペ・ヨンジュに人気があるのはまったく理解できないが。

また世界のサポーターの女の子のなんとセクシーなこと。ベッカムもこんなセクシーな女の子たちにキャーキャー言われるなんて、なんて羨ましい。やはり日本人ではあそこまでセクシーになれるのは肉体的に無理だ。現在では整形手術は顔しか修正できない。体格を改造するのは技術的に不可能だ。だから私はベッカムのような美男子にはなれないのである。

東洋系以外の民族は皆セクシーな女性がたくさんいる。アフリカ、中東、ヨーロッパ、アメリカ、インドなどの南アジア、どの女性も非常にセクシーだ。どうして東洋系の女性だけ平で子供っぽい体型になってしまったのだろう。神は本当に不公平だ。どうして私は胴長短足の民族の中に生まれてしまったのだろう。どうせならセクシーな民族の一員として生まれたかったのに。遺伝子工学が未発達な今、自分の運命を呪うことしかできない。だが遺伝子工学の発展が全てを変える。今まで我々をチビで胴長短足と笑ってきた他民族ももはや笑うことはできない。

なぜ私がここまで美を渇望するのか、その原因を探求しなければならない。集諦とでもいうべきか。その一つの原因はあの忘れがたい屈辱であろう。私はこのことを書くかどうか迷っていたが、思い切って書くことを決断した。書くことはセラピーにもなると言うし。よってそれを告白しよう。

私は一人の美しきブロンド女性に「アジアの男ってチビなのねー」と鼻で笑われたことがある。もう5年前のことだ。私の友人は彼女を注意したが、それでも彼女には反省の気が一かけらもなかった。美しき女性の私に対する中傷はどれほど私を傷つけたか。自尊心どころかすべてを打ちのめされた思いだ。今まで生まれてきてからの人生の記憶がフラッシュバックのように頭をよぎった。ブスな女だったら腹は立つがそれほどまでに心理的ダメージを被っていなかったはずだ。きっと「なんだと、この民族主義者め!」と叱っていたことだろう。しかし憧れのブロンド女性にそんな卑劣なことを、しかも私の陰ではなく、目の前で言うなんて。まったく声が出なかった。あまりものショックで。陰口を叩かないのがアメリカの文化なのだろうが、目の前で言われたショックは計り知れない。私はその後二週間ずっと落ち込んでいて、人と会うのも辛くなってしまい、引き蘢りがちとなった。オクラホマという超ど田舎のど真ん中で日本人が引き蘢ったというのは歴史上私が初めてであろう。とても自慢にはならないが。だが悲嘆のなか呼吸法や精神統一などをして、そして詩を書いたり音楽などを作ったりして、やっと立ち直ることができた。だが今でも嫌というほどハッキリと覚えている。もう彼女のことはどうでもいいが、やはり忘れることはできない。耐え難い侮辱は死ぬまで、いや死んでも忘れられない。いや私は死なないのだ。将来必ず不死を獲得しているのだから。

リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」は私を感動させた。世界を破滅に追い込むアルベリッヒ、彼も侏儒である。アルベリッヒは彼の属するドワーフ族のなかではチビではないが、それと同じで私も東洋系の間ではチビではなく至って普通だ。しかしアーリア人の間ではドワーフなのである。アルベリッヒがブロンドのニンフを追いかけてもただ嘲笑されるばかりで彼はいじけてしまう。私には彼の気持ちが痛いほど分かった。あのブロンド女性も5.9フィートぐらいだったから、176cmはあったはずだ。それにハイヒールを履いていたから、180以上はあっただろう。

それにしてもこの世のものとは思えないほどのスタイルの抜群さで、私は完全に見蕩れてしまっていた。「こんな美しい女性が存在するということは、神が創造したとしか思えない」とさえ思うようになり、無神論者であったはずの私がいつしか神の存在を肯定するようになっていた。だが、ウットリしている間にあんなことを言われて嘲笑されたとは。まるでボクサーが腹筋を緩めた瞬間に食らったボディーブローのようだ。彼女が私をそう判断したという残酷な真実。どんなに辛かったことか、この世で理解できるものはだれもいないだろう。真実はいつも正義とは限らない。この経験によって「ニーベルンゲンの指輪」を深く理解することができ、ニーチェの哲学にも傾倒するようになった。逆にこの経験がなければ、リヒャルト・ワーグナーもニーチェもただ学校で習う有名なドイツ人で終わってしまっていただろう。

今回はドイツ大会ということもあり、ドイツにはぜひ頑張ってもらいたい。ドイツには私の心境を理解する偉大な音楽家や哲学者がいたのだから。フランスも好きだし、イタリアも好きだ。それらのどの国にでも移住したい。その一方で、現在私が束縛されているアメリカなんてまやかしの国でしかない。嘘によって成り立っているのだから。尊欧攘米、それが私の心境だ。でもポルトガルについてはあまり知らない。私はポルトガル語を話すブラジルの音楽が好きだが。特にボサノヴァは素晴らしい。無常観を歌い上げる音楽、そして私の心境を本当によく表している。「イパネマの娘」など、「美しい彼女が通るたびに彼は微笑みかけるが、彼女は気づかない」というフレーズ。それこそ私ではないか!とにかく、ベスト4はすべて西欧の国となった。まるでヨーロッパ選手権のようだ。これからの準決勝、決勝、非常に楽しみだ。

ああ、フランスに行きたいな。どうせならそこに住みたい。お金さえあればすぐにでもフランスに引っ越しているのに。バロセルナもいいな。カタルーニャ方言があるというし、私の習ったスペイン語とはだいぶ違うらしいが。でも行きたい。ドイツにいられたらなあ、そうすればジダンをその場で見れるのに。

西ヨーロッパ、それこそ私の目指すユートピアだ。アメリカなどディストピアにすぎなかった。ヨーロッパの美しい女性こそ瀕死の重傷を負った私の心をいたわってくれるだろう。それこそが私の救いだ。そう、ゲーテの「ファウスト」の主人公もそうであったように。


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【2006/07/03 03:55】 | スポーツ
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何たることか、安藤美姫たることミキティーが失敗してしまうなんて。あとの日本人二人は上位にくい込むことが出来た。日本人としてはそれは喜ばしいかもしれないが、私はミキティーを応援しているので、とてもがっかりした。彼女が手を付いてしまった瞬間、「あっ!」と思わず叫んでしまった。

しかし、あのコスチュームといい、ミキティーに衣装デザインで優るものはいなかった。可愛いし、若い力が魅力的だ。オリンピックは選手がヒーローになる場所だ。ミキティーは国民のヒーローではなく、アイドルであろう。フィギュアスケートの選手の中で私を釘付けにしたのはミキティーだけだ。「戦場のメリークリスマス」をテーマ曲に選ぶとは...あの選曲のセンスといい、感心させられる。フィギュアスケート界に彗星が現れたのだ。

ロシアのスラットスカヤとアメリカのコーエンは全くの非の打ち所がない。この二人はいたって完璧である。冷戦が終結してもロシアとアメリカの戦いは続いているのである。「またかよー」といった感じだ。ロシアとアメリカの戦いなどもう十分だ。ミキティーはジュニア世界選手権で優勝したし、これからの時代を切り開く人であろう。冷戦の余韻など大きな物語の後遺症をミキティーのようなアイドルが吹き飛ばしてくれることであろう。
ある情報によればミキティー神社というのがファンの間では創建するという話しが進んでいるそうだし、神道では生きている人も崇拝の対象となるのだ。まさにミキティーは現人神である。エヴァンゲリオンの綾波レイでさえある神社で祭られていると言われている。私はオタクとあまり交流がないので詳しいことは知らないが。私も、もしミキティー神社が建設されたなら、お参りに行くであろう。ミキティーははっきり言って神か妖精としか思えない。だから神社を創建するのも納得のいく話しである。


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【2006/02/24 01:10】 | スポーツ
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