
このブログの題名に「サウダージ」とあるように、その言葉はブラジル源流なのです。もちろん、ポルトガル語圏全般にありますが、やはりもっとも有名なのは、ブラジル版のサウダージでしょうね。で、そのサウダージ文化を体験したいがために、サンバのライブに行きました。
ブラジルのサンバのライブがロングビーチのBlueCafeというダンスクラブでありました。すごかった、あのドンドコドンドコという太鼓はすごい。そして、それに合わせて踊る孔雀姿のお姉ちゃんたち。SambaLa Schoolという団体が主催してましたが、そのグループの音楽は、バイア州系統のサンバでありました。だから、私たちに一般的になじみ深いヒオ・ジ・ジャネイル系統のサンバとはちょっと違って、もっとアフリカ色が強くなります。私たちがサッカーのワールドカップや、Jリーグかなんかでよく耳にするサンバは、ヒオ・ジ・ジャネイル系ですね。しかし2時間ぶっ続けであの太鼓を打ちたたき、ダンサーたちが踊っているとは、ブラジル人のスタミナはスゴいです。しかも、お尻の動きは人間ではありません。まるで、軟体動物か、もう電気ウナギのようにブルブル震えているのです。あれは、人間バイブレーターというか、もう振動そのものですね。あれこそ、「balançar 」です。バランスをとるという意味ですが、「振る、揺らす」という意味もあるのです。つまり、振ってバランスを取るわけです。鎮魂祭の「魂振り行事」ですね。「魂」を振って健康バランスを取るのです。サンバは「お尻」ですけどね。中東のベリーダンスも臍を振るダンスですから、下半身を振るダンスですね。つまり臍下丹田を振るのです。この映像は参照になるんじゃないでしょうか?それにしてもあの脚のステップの複雑な動きもスゴい。あれじゃ、サッカーは絶対に勝てないですね。フランス代表も、ジダンという特殊な天才がいなければ、ブラジルにやられていたでしょう。サッカーをやるには、まずはラテンのダンスから身につけないと駄目ですね。
サルサとかクンビアは、ラテンダンスでも、社交ダンスという性格が強いですね。踊る時はみんな正装してきます。半ズボンでは、踊れません。それは、道場で道着を着用するようなものです。正装なので、ダンスも疑似デートのようなものです。それでも、お尻のふりふりはスゴいですけど。なにしろ私のWeltanschauung(世界観)を胸からお尻に変えたほどですから。人生の大地震でした。でも、サンバは、正装では服が台無しになるでしょうね。あれは、やはり裸に向いているダンスです。孔雀姿のダンサーも、だから裸同然の格好なのです。で、かならずしもパートナーが必要ではなく、一人で踊れるのがサンバです。だから、下手クソでも、だれにも迷惑をかけることがありません。なにせサンバは社交ダンスではなくて、カーニバルのダンスですからね。一人か団体で踊るのに適してますね。とにかく動きが激しいですから。服があったら逆に邪魔になる。まるでトランス状態にかかったように体がブルブル震えて、みんな踊るのです。なにか踊り子たちが霊媒師のような。まるで岩戸の隠れでアメノウズメが裸体になって全身が痙攣したようなダンスを踊ったような。そうなると、宗教色も強くなるでしょうか?なにか、オリシャ(ヨルバ族の神々)を召喚しているような。バイア州は、西アフリカのダホメ王国の太后が政治犯として連行されたところです。それと同時に多くのダホメの囚人も奴隷として連行されました。それで、ヨルバの神々がバイアに入って来たのでしょう。バイア州は、アフリカ系がもっとも多い州でもありますから。
まぁ、でもサンバは、中央アフリカのコンゴとアンゴラから奴隷が伝えたのが源流だとされてますし、そのダンスは男女が臍と臍を合わせて踊るようなもので、かなり官能的だったとされます。それで、腰の動きがあそこまでなったんですね。あのくねくねした腰。本当に骨が入っているのかとさえ思ってしまうほど柔軟性に富んでいます。どれだけお尻を振動させるかで、拍手と歓声が沸き起こるのです。ほんと、すごかったですね、あれは。エロティシズムの肯定、というか、それが淫靡とか、まったくそういうのがなくて、ほんと自然ですから、それはとても健康的だと思いました。エロスが生活のなかに溶け込んでいるのです。それぞ南米文化ですね。日本とアメリカはあまりにもエロスが抑圧されてますね。あれじゃ、神経症患者が出てきてもおかしくないですよ。日本ではキモヲタが大量発生するし、アメリカではチョ・スンヒのようなものが出て来る、実に不健全な社会です。それに、エロスの度合いがネオリベラル格差社会と結びついているので、エロスにも格差が生じてしまいます。日本は偏狭的潔癖文化で、アメリカは清教徒倫理文化。なにか、共同体で、蕩尽のようにエロスを共有するということはないんですね。『CLANNAD』の「だんご大家族」が、ネオリベラル社会では欠落しているのです。しかし、南米にはそれがあります!
アメリカでは、音楽では黒人が一番優秀というステレオタイプがありますし、R&Bは、もう黒人の専売特許という感じがありますが、ブラジルのサンバは、どの人種も優秀なのです。インターナショナルですね。「黒人じゃなきゃああいうふうには踊れない」ということはまったくないのです。まぁ、キモヲタはああいうふうには踊れないことは確かですね。実際、私がそうですから。でも、ブラジル人ができないこと、それは二次元の世界で萌えることでしょうね。それが、私にとっては、サンバなんですから。自分のお尻を妄想の世界で振わせるのです。それで「balançar 」で、おあいこ、バランス(均衡)を取れるのです。
あぁ、サウダージ、ブラジルに行きたいですね。ペルーとブラジルは隣同士だし、アマゾン川はペルーにも流れてます。未来に帰りたい、未来を懐かしく思う、そして私の未来は南米、それこそサウダージですね。
ビートルズの曲で『抱き締めたい』というのがありましたが、原題は『I wanna hold your hand(君と手をつなぎたい)』なのです。邦題ほど、腐った風習はありません。だから、私は替え歌で、『I wanna hug your body(抱きつきたい)』と歌うのです。それが今回の記事のテーマ。
オレンジ・カウンティーでパーティーがありました。日系の著名なプロテスタント系教会のゴスペルバンドのコンサートがあるとのことだったので、で、行ってみた。厳密に言えば、これもサブカルに入るんだろうね。いや、しかし、オレンジ・カウンティーだけあって、家々は裕福、豪華絢爛です。なんか、私の生活が惨めに思えてきた。汚いアパートに住んでますからね。プロレタリアートにも属さない宙ぶらりんなキモヲタ兼虹コンですから。しかし、なんでこう米国のブルジョワは丘に住みたいんですかね。ブラジルやペルーでは、丘に住む人ほど、貧しいんですけどね、とくにブラジルでは、ファヴェーラというゲットー区域がヒオ・ジ・ジャネイルの丘に集まっているんです。しかし、アメリカでは逆なんですよ。ビバリー・ヒルズとか六本木ヒルズとか、ヒルズ(丘)なんですね。どうして、丘がそんなに魅力的なんでしょうね。丘って不便じゃないですか。
いやー、パーティーは、日系のコンサートだけあって、日系の女の子がたくさんいました。いや、日系じゃないか、日本人か、移民して来た人たちがほとんどでしたから。みんな日本語話してましたから。でも、自己紹介して、ペルーのように初対面で抱きつくことはないんですね。かわいい子が意外といたから、
「うわっ、抱きつきたい!!!」
と思いましたが、がんばっても握手がやっとでした。ほんと、不健全な文化です。こんなんでは、まったく人生は楽しくない。皮膚感覚がまったく欠落してしまっているのが、日本文化の最大の汚点です。しかもそれも明治維新以降のです。ヨーロッパがまだキリスト教倫理観から脱却できてない時の価値観を輸入してしまったからです。しかし、ヨーロッパは今ではとてもセクシャルになりました、しかし、日本は第一次大戦前のヨーロッパ文化の呪縛に縛られてしまっているのです。それが、この女の子たちの、私が距離を縮めたら、拒否反応を起こして後ろに下がるというリアクションにつながってしまってるんです。誠に残念です!このようなふざけた文化は、撃滅するべきなんです。
でも、こう言ったら変かも知れませんが、このパーティーではブスは一人も見かけませんでした。いや、これは口からでまかせじゃなくて、ほんとに本当です。みんな整った容姿をされてたんです。これは驚嘆すべき事象でした。いやー、たぶん、ステージに立つ人たちだから、やはり音楽のコンサートだけあって、ミュージシャン、歌手、ダンサーなど、ステージ慣れしている人たちが見に来たパーティーなので、というか「同業者パーティー」みたいな。そんなところに、私だけアニヲタが紛れ込んでしまったという心境でしたね。私は音楽の話はぜんぜん出来ないし、まぁ、私も結構音楽好きですけど、相手はみんなプロですからね、知識量がじぇんじぇん違い過ぎます。アニメだったら、会話できたんですけどねぇ。まぁ、そういうパフォーマンス系の人たちだったから、それで外見は自然と良くなってったのかもしれません。というより、外見が良くないと、人に不快を起こすような外見だとステージには立てないのでしょうけれども。それぞれ魅力的な女の子ばっかでした。年がいってるオバさんも綺麗でしたからね、ビックリしました。日本舞踊のダンサーということで、しかも化粧もやはりプロですね。オバさんでさえ、抱きつきたいと思ってしまった私、自分が同一性障害に陥ったのかと思いましたよ。しかし、そういう見かけのいい人たちだったからこそ、私の苦しみはいつもの百倍以上までに増大しました。
ああ。本当に欲望を抑圧するのに神経を疲労困憊させてしまいました。これほどまでに制御するのはどんなにきつく辛かったことか。普段はあんな沢山のかわいい子は見ないですからね、この米国の人口70%が体重オーバーという国で。7割がブサイクということですから。しかし、パーティーの女の子たちはみんなかわいかった。だから、どうしても、抱きつきたかった。
「抱きつきてぇ、抱きつきてぇ
」
と呟く自分がいました。でも、さすがに日本語だとバレるので、スペイン語で、
「Las quiero abrazar, las quiero abrazar」
と呟きました。その渇望はもうどうしょうもなかったのです。なのに、日本文化はそれを許してくれない!なんたることか!魅力的な人と皮膚感覚を謳歌できないなんて。そんなの犯罪だ。人権侵害だ!国連の権利章典に違反してるんだ!魅力的な人にはどうしても触りたいという衝動が起きて、どうしょうもなかった。ほんとに苦しかった。苦しくて苦しくて、しょうがなかった。まるで犬が飼い主から餌を目の前にして食べるなと命令されてるのと同じような心境だ。だから、よだれがばんばん出る。空腹に苦しむ犬は、床にポタポタと唾液を垂らすのです。ほんと、拷問です。日本社会は、セクシャルな面において不健全です。あんな社会では、キモヲタが沢山出てくるのも頷けます。日本の20代の男性の4分の1が恋愛経験がないというのも、そういう腐敗した文化だからです。
でも、みんな男を連れて来てましたね。すごい残念。あれでは、触れないではないか!いちいち、
「おまえの女を抱かせてくれ!」
と許可を取るわけにも行かないし。ラテンだったら、許可なしに、というか、挨拶で女の子から抱きついてくるけど、日系コミュニティーでそんなことしたら集団リンチに遭いかねないですから。日系は男社会ですからね。だから、コンプレッサーでグシャリと欲望を押しつぶしました。『ターミネーター』のラスト・シーンでサラ・コナーがターミネーターをコンプレッサーで押しつぶしたように。その代わり、今度は嫉妬心が私を焼き焦がしました。
ああ、とくに音楽療法師の女の子はかわいかったなぁ。癒し系で(まっ、癒しのプロだからそうなんだけど)、まるで17歳教教祖の喜久子尊師をそのまま20年若くしたような雰囲気の子で。はぁはぁ。やべっ、よだれが。だから、泥んこまみれになった子犬のように、
「僕を癒してー!!」
とお強請りしましたが、鼻で笑われて終わりました(涙)。キモヲタとして受けて来た仕打ちによって深く傷ついたか弱い心を癒して欲しかったのに…。サウダージでしたよ。いやー、でも、日本人の子は、胸とお尻はないけど、顔はほんと日本人形のようにかわいい。それに、痩せてる分だけ、よりファッションモデルに近い格好ができる、つまり着せ替えが多様にできる、そこは本当有利で、アメリカのようにジーンズ一色にならない。さすがは日本はイタリア、フランスと並ぶほどのモードの国。しかし、まぁ、でも化粧はだいたい画一化されてて、で、話し方も、なんか敬語のときは、みんな女性は同じですよね。ふだん通りに話せば、個性は出てくるんだけど、日本語の敬語というのは、ほんとみんな防毒マスクをつけてるような感じになりますからね。あれは明治政府の人工語ですからね、現代ヘブライ語みたいなものです。人工的に作られたんです。だから、日本人は普段の言葉と人工語で、あんなにキャラが変わってしまうんです。
またお辞儀をするのもほんと無様。みんな頭をちょんちょんと下げ合っている、あんなの世界から見たら、嘲笑の対象です。国際社会であんなことするのは、まったくみっともない。ほんと文化的に未開です。だから、相手が頭を下げたら、腰を突き出す。そうすれば、釣られて頭を下げなくて済む。で、代わりに握手をしました。頭を下げるのは卑屈精神で、いわば儒教的な腐った風習。しかもアメリカに来てまで、そんなことを仕出かすなんて、ほんと一緒にいて恥ずかしい。あんなことをする奴らと同じだと思われたくない。私は米国で韓国系と日系以外で、頭を下げるのを見たことがない。中華系はだれもそんなことはしないし、自己紹介の時はかならず握手です。そう、儒教の宗主国である台湾や中国ですら、その風習は崩壊したのです。それにくらべて、日韓というのは、文化的に頽廃してるとしかいいようがない。まるで、
「今の中華文明が失った礼儀作法を引き継いでいる正当な後継者は我々だ」
という馬鹿なプライドがあるんでしょうね。水戸学のような。それが最悪DQNの蔓延る体育会系社会を作り出してしまったのです。
また、日本では、それ以上にやっぱり「お上に逆らっては行けない」という観念があるからでしょう。とくに今では目上である天皇を風刺したりするコメディアンは出てきません。君主国の英国でさえ、セックスピストルズのような女王をコケにするヒット曲を出す文化なんだから。だから裕仁を退位させるか死刑にしなかったことは、日本に悪影響を残したのです。アメリカ型民主主義が徹底しなかったのが大きな禍根です。裕仁がちゃんと責任を取っていれば、ここまで硬直することはなかったでしょう。人間宣言は天皇の神格の解体にはならなかった、やはり裕仁の起訴が神格を否定することとなったはずです。ヒエラルキーの一番上が崩れるわけですから、儒教的家父長道徳のピラミッドはそれで倒壊したはずです。まぁ、敬語はビジネス用語として確立していれば問題ないけど、あのまるでハトが道端に散らばってるトウモロコシを突っつくような滑稽な習慣、そして、そのあとは腹のふくれたハトが糞をまき散らし、憩いの場であるプラザを汚染するという、まさに汚染文化そのものです。この風習は文化的ダイオキシン、撃滅しなければならないのです。それこそ日本の『不都合な真実』ですよ。
まっ、腰を突き出すのはラテンアメリカ、とくに南米の文化ですよね。アメリカは清教徒倫理だから、抱きつくにしてもちょこんと腕を肩に乗せるだけですから。表面的にも甚だしい。こう、体全体ではハグしないんです。しかし、南米では、体全体、そう、臍というか、腰でハッグする勢いなのです。皮膚感覚が体全身に伝わるわけです。南米でハッグをしなかったら、「風邪引いてるの?」ときかれますからね。
しかし、日本は潔癖性の国ですからね。ラテンに比べると潔癖過ぎです。とくに、日本とドイツは最悪と聞きます。ドイツ人は匂いにもとても敏感な民族で、カントも嗅覚について哲学を書いてるぐらいですから。まっ、その民族性は世界一のリサイクル国家というのには役立ってますが…。いやー、それでも日本人の潔癖ぶり、まるで皮膚病患者を避けるような文化です。日本では、リサイクル面ではなくて、変な方向に潔癖が現れている。とくに対人関係に関してです。あれじゃ、沢山の日本人がキリスト教に改宗してもおかしくないですよ。だって、皮膚病患者に対等に接して治療してくれたのはナザレのイエスだけだったんですからね。キモヲタが、日本であそこまで気持ち悪がられたのも、日本の独特な潔癖性文化です。そう、あの日本の敬語という人工語も潔癖そのものですね。陽気な関西人でさえ、敬語を使うと心理的潔癖感を感じて、表現が規制されるそうですから。
「漂白剤で洗われてるようや」
と言ってますからね。まっ、私は方言を使えないので、その心境はわかりませんけどね。まぁ、確かに人工日本語では、感情をがつんと表現できませんね。人工日本語を上手く使いこなせるのは声優ぐらいですからね、あんな標準語を感情的に使えるのは、やっぱりアニメキャラですね。だから、キモヲタもそれに憧れて、日常会話でも敬語を使おうとするのです。それが、現実の女の子には、もっとキモく感じてしまうんですけど。まぁ、声優のは特殊なケースで、人工日本語それ自体が、感情を圧迫するような、感情を汚れとして捕らえる潔癖感がありますね。やはり、アメリカ英語のほうがダイレクトに、強く率直にものをはっきりと言えます。だってアメリカには人工的な敬語がないですからね。だから、ロックは英語に合うんですよ。
ああああ、やっぱり日本人の女の子はかわいい、魅力的であることは確かです。ラテンの腰から来る破壊力抜群のダイナマイトさには欠けるけど、それでも充分魅力的ですよ。柳腰もいいです。着物を着るとそれは本当ピッタリです。大和撫子って感じ。なにしろかわいい。抱きつきたい、抱きつかずにはいられなかった。でも、なんでラテンのように抱き合わないんだろうか。それにしても日本人女性は痩せてます、それもアメリカ人から見ると病的なくらい、私も今回久しぶりに大和撫子の花畑を見て、目が慣れるまでは、
「拒食症じゃないのかなぁ」
と心配になったんですが、やはりファッションの多様性に適してるんだなぁってことがわかりました。ああ、わかった!だから女の子はみんな痩せたいんだ!痩せれば、多様性が広がるからですね。でも、ファッションは多様なのに、化粧がちょっと画一化というのは、奇異でしたけどね。まぁ、でもかわいいですよ、かわいければなんだっていいんです、っていうか、今回のパーティーにブスはいなかっただけのことか…。
抱きつきたかった。でも、抱きつけなくて、精神が参ってしまった。トイレに行って鏡を見ると、目が充血してました。あぁ、我慢が限界点を越えてしまったんですね。皮膚感覚の欠如がこれほどまでに苦痛なことはかつてあっただろうか!ある子は、うなじが…、うなじがとても魅力的で、キ・・キスしたい衝動に駆り立てられました。南米であれば、キスできたんですけどね。日本人は、顔がかわいいです。体はファッションに覆われて、誤魔化すっと言ったらなんだけど、まあ、痩せていれば、多様性なファッションに有利ですから、でも、顔はやっぱ先天的なものだし(整形ももちろんあるけど)、かわいいですからね。それに日本人の子の口はもともと小さいから歯並びが悪くても、あんま目立ちませんよね。欧米人は、口が広いから、スマイルすると歯が目立ちますからね。だから、日本人の子は、欧米人の女の子より、そういう面でも、若さが持続しますね。ああ、でも、あの子たちの唇を感じたかった。だから、ラテン文化であれば、あの子たちの唇を私の頬で感じることが出来たんですよ。で、私の唇で彼女たちの柔らかい頬を感じることもできる、ああ、なんで日本はラテン文化じゃないんだ!しかし、だれともキスできなかったなぁ、ああ、苦しい、胸焼けがする、で、我慢できなくなって、手当り次第に抱きついていったら、彼女らの野郎どもにリンチされたでしょうね。だから、会場に集まってた男に関しては、いい感情は持ってなかったです。嫉妬で心臓が焼き尽くしされそうだったので。まるで、男全員ヤハウェのように見えましたよ。そう、ヤハウェは、女を独占する男の集合的無意識なんですよ。
皮膚感覚の有無、そこが、アニメの女の子と日本人の実際の女の子との違いですね。アニメの子だと、積極的に皮膚感覚を謳歌しようとしますから。だから、私は、
「ぐふあーあははぁぁあ!!!」
と萌えを炸裂させ、コンピューターの前で食べていた朝食の目玉焼きにケチャップが飛び散るのです。だから、ちり紙で鼻を詰めておかないと、萌え系アニメを観る時は。
ああ、でも日系っていいところに住んでるんですね。社会の成功者ですね、丘に住んでるなんて。でも、その反面皮膚感覚の欠如は、金銭面での豊かさとはかけ離れてましたけどね。ねえ、ガバって抱きつければいいんですけどね、女の子に。どうしてそんなに禁欲的なんでしょうね。もしかして、クリスチャン系だったからかなぁ?清教徒倫理の禁欲原理主義と日本の潔癖文化がドッキングして、人としての温かさを失ってしまったんでしょうね。それにしても、魅力的な子に抱きつけないとは、ああ、ほんと、サウダージでした。
あっ、そういえば、肝心のゴスペルグループですが、よかったですね、コーラスがきれいでした。ゴルペルはあまり私の音楽のタイプではなかったので。アニソンだったら、よかったのに。後は、ボサノバとか。ラテン音楽ですね。ティーンのロックもいいですね。くっそー、みんな男を連れて来たのはちょっとなぁ、やってらんねぇ、で、その子たちのだれにも抱きつけなかったのも、本当最悪だ。限界点を越える我慢はやはりよくない。パーティーの翌日、睡眠不足になってしまいました。我慢は体に悪いですよ。病気になりやすくなりますし、生活リズムが狂って、健康を損ねてしまいます。やはり、私の行くべきところは、南米であるということが、これではっきりしましたね。
オレンジ・カウンティーでパーティーがありました。日系の著名なプロテスタント系教会のゴスペルバンドのコンサートがあるとのことだったので、で、行ってみた。厳密に言えば、これもサブカルに入るんだろうね。いや、しかし、オレンジ・カウンティーだけあって、家々は裕福、豪華絢爛です。なんか、私の生活が惨めに思えてきた。汚いアパートに住んでますからね。プロレタリアートにも属さない宙ぶらりんなキモヲタ兼虹コンですから。しかし、なんでこう米国のブルジョワは丘に住みたいんですかね。ブラジルやペルーでは、丘に住む人ほど、貧しいんですけどね、とくにブラジルでは、ファヴェーラというゲットー区域がヒオ・ジ・ジャネイルの丘に集まっているんです。しかし、アメリカでは逆なんですよ。ビバリー・ヒルズとか六本木ヒルズとか、ヒルズ(丘)なんですね。どうして、丘がそんなに魅力的なんでしょうね。丘って不便じゃないですか。
いやー、パーティーは、日系のコンサートだけあって、日系の女の子がたくさんいました。いや、日系じゃないか、日本人か、移民して来た人たちがほとんどでしたから。みんな日本語話してましたから。でも、自己紹介して、ペルーのように初対面で抱きつくことはないんですね。かわいい子が意外といたから、
「うわっ、抱きつきたい!!!」
と思いましたが、がんばっても握手がやっとでした。ほんと、不健全な文化です。こんなんでは、まったく人生は楽しくない。皮膚感覚がまったく欠落してしまっているのが、日本文化の最大の汚点です。しかもそれも明治維新以降のです。ヨーロッパがまだキリスト教倫理観から脱却できてない時の価値観を輸入してしまったからです。しかし、ヨーロッパは今ではとてもセクシャルになりました、しかし、日本は第一次大戦前のヨーロッパ文化の呪縛に縛られてしまっているのです。それが、この女の子たちの、私が距離を縮めたら、拒否反応を起こして後ろに下がるというリアクションにつながってしまってるんです。誠に残念です!このようなふざけた文化は、撃滅するべきなんです。
でも、こう言ったら変かも知れませんが、このパーティーではブスは一人も見かけませんでした。いや、これは口からでまかせじゃなくて、ほんとに本当です。みんな整った容姿をされてたんです。これは驚嘆すべき事象でした。いやー、たぶん、ステージに立つ人たちだから、やはり音楽のコンサートだけあって、ミュージシャン、歌手、ダンサーなど、ステージ慣れしている人たちが見に来たパーティーなので、というか「同業者パーティー」みたいな。そんなところに、私だけアニヲタが紛れ込んでしまったという心境でしたね。私は音楽の話はぜんぜん出来ないし、まぁ、私も結構音楽好きですけど、相手はみんなプロですからね、知識量がじぇんじぇん違い過ぎます。アニメだったら、会話できたんですけどねぇ。まぁ、そういうパフォーマンス系の人たちだったから、それで外見は自然と良くなってったのかもしれません。というより、外見が良くないと、人に不快を起こすような外見だとステージには立てないのでしょうけれども。それぞれ魅力的な女の子ばっかでした。年がいってるオバさんも綺麗でしたからね、ビックリしました。日本舞踊のダンサーということで、しかも化粧もやはりプロですね。オバさんでさえ、抱きつきたいと思ってしまった私、自分が同一性障害に陥ったのかと思いましたよ。しかし、そういう見かけのいい人たちだったからこそ、私の苦しみはいつもの百倍以上までに増大しました。
ああ。本当に欲望を抑圧するのに神経を疲労困憊させてしまいました。これほどまでに制御するのはどんなにきつく辛かったことか。普段はあんな沢山のかわいい子は見ないですからね、この米国の人口70%が体重オーバーという国で。7割がブサイクということですから。しかし、パーティーの女の子たちはみんなかわいかった。だから、どうしても、抱きつきたかった。
「抱きつきてぇ、抱きつきてぇ
」と呟く自分がいました。でも、さすがに日本語だとバレるので、スペイン語で、
「Las quiero abrazar, las quiero abrazar」
と呟きました。その渇望はもうどうしょうもなかったのです。なのに、日本文化はそれを許してくれない!なんたることか!魅力的な人と皮膚感覚を謳歌できないなんて。そんなの犯罪だ。人権侵害だ!国連の権利章典に違反してるんだ!魅力的な人にはどうしても触りたいという衝動が起きて、どうしょうもなかった。ほんとに苦しかった。苦しくて苦しくて、しょうがなかった。まるで犬が飼い主から餌を目の前にして食べるなと命令されてるのと同じような心境だ。だから、よだれがばんばん出る。空腹に苦しむ犬は、床にポタポタと唾液を垂らすのです。ほんと、拷問です。日本社会は、セクシャルな面において不健全です。あんな社会では、キモヲタが沢山出てくるのも頷けます。日本の20代の男性の4分の1が恋愛経験がないというのも、そういう腐敗した文化だからです。
でも、みんな男を連れて来てましたね。すごい残念。あれでは、触れないではないか!いちいち、
「おまえの女を抱かせてくれ!」
と許可を取るわけにも行かないし。ラテンだったら、許可なしに、というか、挨拶で女の子から抱きついてくるけど、日系コミュニティーでそんなことしたら集団リンチに遭いかねないですから。日系は男社会ですからね。だから、コンプレッサーでグシャリと欲望を押しつぶしました。『ターミネーター』のラスト・シーンでサラ・コナーがターミネーターをコンプレッサーで押しつぶしたように。その代わり、今度は嫉妬心が私を焼き焦がしました。
ああ、とくに音楽療法師の女の子はかわいかったなぁ。癒し系で(まっ、癒しのプロだからそうなんだけど)、まるで17歳教教祖の喜久子尊師をそのまま20年若くしたような雰囲気の子で。はぁはぁ。やべっ、よだれが。だから、泥んこまみれになった子犬のように、
「僕を癒してー!!」
とお強請りしましたが、鼻で笑われて終わりました(涙)。キモヲタとして受けて来た仕打ちによって深く傷ついたか弱い心を癒して欲しかったのに…。サウダージでしたよ。いやー、でも、日本人の子は、胸とお尻はないけど、顔はほんと日本人形のようにかわいい。それに、痩せてる分だけ、よりファッションモデルに近い格好ができる、つまり着せ替えが多様にできる、そこは本当有利で、アメリカのようにジーンズ一色にならない。さすがは日本はイタリア、フランスと並ぶほどのモードの国。しかし、まぁ、でも化粧はだいたい画一化されてて、で、話し方も、なんか敬語のときは、みんな女性は同じですよね。ふだん通りに話せば、個性は出てくるんだけど、日本語の敬語というのは、ほんとみんな防毒マスクをつけてるような感じになりますからね。あれは明治政府の人工語ですからね、現代ヘブライ語みたいなものです。人工的に作られたんです。だから、日本人は普段の言葉と人工語で、あんなにキャラが変わってしまうんです。
またお辞儀をするのもほんと無様。みんな頭をちょんちょんと下げ合っている、あんなの世界から見たら、嘲笑の対象です。国際社会であんなことするのは、まったくみっともない。ほんと文化的に未開です。だから、相手が頭を下げたら、腰を突き出す。そうすれば、釣られて頭を下げなくて済む。で、代わりに握手をしました。頭を下げるのは卑屈精神で、いわば儒教的な腐った風習。しかもアメリカに来てまで、そんなことを仕出かすなんて、ほんと一緒にいて恥ずかしい。あんなことをする奴らと同じだと思われたくない。私は米国で韓国系と日系以外で、頭を下げるのを見たことがない。中華系はだれもそんなことはしないし、自己紹介の時はかならず握手です。そう、儒教の宗主国である台湾や中国ですら、その風習は崩壊したのです。それにくらべて、日韓というのは、文化的に頽廃してるとしかいいようがない。まるで、
「今の中華文明が失った礼儀作法を引き継いでいる正当な後継者は我々だ」
という馬鹿なプライドがあるんでしょうね。水戸学のような。それが最悪DQNの蔓延る体育会系社会を作り出してしまったのです。
また、日本では、それ以上にやっぱり「お上に逆らっては行けない」という観念があるからでしょう。とくに今では目上である天皇を風刺したりするコメディアンは出てきません。君主国の英国でさえ、セックスピストルズのような女王をコケにするヒット曲を出す文化なんだから。だから裕仁を退位させるか死刑にしなかったことは、日本に悪影響を残したのです。アメリカ型民主主義が徹底しなかったのが大きな禍根です。裕仁がちゃんと責任を取っていれば、ここまで硬直することはなかったでしょう。人間宣言は天皇の神格の解体にはならなかった、やはり裕仁の起訴が神格を否定することとなったはずです。ヒエラルキーの一番上が崩れるわけですから、儒教的家父長道徳のピラミッドはそれで倒壊したはずです。まぁ、敬語はビジネス用語として確立していれば問題ないけど、あのまるでハトが道端に散らばってるトウモロコシを突っつくような滑稽な習慣、そして、そのあとは腹のふくれたハトが糞をまき散らし、憩いの場であるプラザを汚染するという、まさに汚染文化そのものです。この風習は文化的ダイオキシン、撃滅しなければならないのです。それこそ日本の『不都合な真実』ですよ。
まっ、腰を突き出すのはラテンアメリカ、とくに南米の文化ですよね。アメリカは清教徒倫理だから、抱きつくにしてもちょこんと腕を肩に乗せるだけですから。表面的にも甚だしい。こう、体全体ではハグしないんです。しかし、南米では、体全体、そう、臍というか、腰でハッグする勢いなのです。皮膚感覚が体全身に伝わるわけです。南米でハッグをしなかったら、「風邪引いてるの?」ときかれますからね。
しかし、日本は潔癖性の国ですからね。ラテンに比べると潔癖過ぎです。とくに、日本とドイツは最悪と聞きます。ドイツ人は匂いにもとても敏感な民族で、カントも嗅覚について哲学を書いてるぐらいですから。まっ、その民族性は世界一のリサイクル国家というのには役立ってますが…。いやー、それでも日本人の潔癖ぶり、まるで皮膚病患者を避けるような文化です。日本では、リサイクル面ではなくて、変な方向に潔癖が現れている。とくに対人関係に関してです。あれじゃ、沢山の日本人がキリスト教に改宗してもおかしくないですよ。だって、皮膚病患者に対等に接して治療してくれたのはナザレのイエスだけだったんですからね。キモヲタが、日本であそこまで気持ち悪がられたのも、日本の独特な潔癖性文化です。そう、あの日本の敬語という人工語も潔癖そのものですね。陽気な関西人でさえ、敬語を使うと心理的潔癖感を感じて、表現が規制されるそうですから。
「漂白剤で洗われてるようや」
と言ってますからね。まっ、私は方言を使えないので、その心境はわかりませんけどね。まぁ、確かに人工日本語では、感情をがつんと表現できませんね。人工日本語を上手く使いこなせるのは声優ぐらいですからね、あんな標準語を感情的に使えるのは、やっぱりアニメキャラですね。だから、キモヲタもそれに憧れて、日常会話でも敬語を使おうとするのです。それが、現実の女の子には、もっとキモく感じてしまうんですけど。まぁ、声優のは特殊なケースで、人工日本語それ自体が、感情を圧迫するような、感情を汚れとして捕らえる潔癖感がありますね。やはり、アメリカ英語のほうがダイレクトに、強く率直にものをはっきりと言えます。だってアメリカには人工的な敬語がないですからね。だから、ロックは英語に合うんですよ。
ああああ、やっぱり日本人の女の子はかわいい、魅力的であることは確かです。ラテンの腰から来る破壊力抜群のダイナマイトさには欠けるけど、それでも充分魅力的ですよ。柳腰もいいです。着物を着るとそれは本当ピッタリです。大和撫子って感じ。なにしろかわいい。抱きつきたい、抱きつかずにはいられなかった。でも、なんでラテンのように抱き合わないんだろうか。それにしても日本人女性は痩せてます、それもアメリカ人から見ると病的なくらい、私も今回久しぶりに大和撫子の花畑を見て、目が慣れるまでは、
「拒食症じゃないのかなぁ」
と心配になったんですが、やはりファッションの多様性に適してるんだなぁってことがわかりました。ああ、わかった!だから女の子はみんな痩せたいんだ!痩せれば、多様性が広がるからですね。でも、ファッションは多様なのに、化粧がちょっと画一化というのは、奇異でしたけどね。まぁ、でもかわいいですよ、かわいければなんだっていいんです、っていうか、今回のパーティーにブスはいなかっただけのことか…。
抱きつきたかった。でも、抱きつけなくて、精神が参ってしまった。トイレに行って鏡を見ると、目が充血してました。あぁ、我慢が限界点を越えてしまったんですね。皮膚感覚の欠如がこれほどまでに苦痛なことはかつてあっただろうか!ある子は、うなじが…、うなじがとても魅力的で、キ・・キスしたい衝動に駆り立てられました。南米であれば、キスできたんですけどね。日本人は、顔がかわいいです。体はファッションに覆われて、誤魔化すっと言ったらなんだけど、まあ、痩せていれば、多様性なファッションに有利ですから、でも、顔はやっぱ先天的なものだし(整形ももちろんあるけど)、かわいいですからね。それに日本人の子の口はもともと小さいから歯並びが悪くても、あんま目立ちませんよね。欧米人は、口が広いから、スマイルすると歯が目立ちますからね。だから、日本人の子は、欧米人の女の子より、そういう面でも、若さが持続しますね。ああ、でも、あの子たちの唇を感じたかった。だから、ラテン文化であれば、あの子たちの唇を私の頬で感じることが出来たんですよ。で、私の唇で彼女たちの柔らかい頬を感じることもできる、ああ、なんで日本はラテン文化じゃないんだ!しかし、だれともキスできなかったなぁ、ああ、苦しい、胸焼けがする、で、我慢できなくなって、手当り次第に抱きついていったら、彼女らの野郎どもにリンチされたでしょうね。だから、会場に集まってた男に関しては、いい感情は持ってなかったです。嫉妬で心臓が焼き尽くしされそうだったので。まるで、男全員ヤハウェのように見えましたよ。そう、ヤハウェは、女を独占する男の集合的無意識なんですよ。
皮膚感覚の有無、そこが、アニメの女の子と日本人の実際の女の子との違いですね。アニメの子だと、積極的に皮膚感覚を謳歌しようとしますから。だから、私は、
「ぐふあーあははぁぁあ!!!」
と萌えを炸裂させ、コンピューターの前で食べていた朝食の目玉焼きにケチャップが飛び散るのです。だから、ちり紙で鼻を詰めておかないと、萌え系アニメを観る時は。
ああ、でも日系っていいところに住んでるんですね。社会の成功者ですね、丘に住んでるなんて。でも、その反面皮膚感覚の欠如は、金銭面での豊かさとはかけ離れてましたけどね。ねえ、ガバって抱きつければいいんですけどね、女の子に。どうしてそんなに禁欲的なんでしょうね。もしかして、クリスチャン系だったからかなぁ?清教徒倫理の禁欲原理主義と日本の潔癖文化がドッキングして、人としての温かさを失ってしまったんでしょうね。それにしても、魅力的な子に抱きつけないとは、ああ、ほんと、サウダージでした。
あっ、そういえば、肝心のゴスペルグループですが、よかったですね、コーラスがきれいでした。ゴルペルはあまり私の音楽のタイプではなかったので。アニソンだったら、よかったのに。後は、ボサノバとか。ラテン音楽ですね。ティーンのロックもいいですね。くっそー、みんな男を連れて来たのはちょっとなぁ、やってらんねぇ、で、その子たちのだれにも抱きつけなかったのも、本当最悪だ。限界点を越える我慢はやはりよくない。パーティーの翌日、睡眠不足になってしまいました。我慢は体に悪いですよ。病気になりやすくなりますし、生活リズムが狂って、健康を損ねてしまいます。やはり、私の行くべきところは、南米であるということが、これではっきりしましたね。
『Lola... Érase una vez』という、メキシコのテレノベラがあります。まあ、日本で言うとドラマですね。主人公はローラで、とても貧乏な子で、金持ちの家でメイドとして働いてます。そう、メイドさんです。メイド萌え、きぇきぇけー。その金持ちの家は、ドイツ系貴族のヴォン・フェルディナンド家です。たぶん、ドイツ移民でしょうね。ドイツ移民はメキシコに多いですね。有名なスーリアリズム派の画家フリーダ・カーロも、ドイツ系でした。あと、車もフォルクスワーゲンが多いです。メキシコシティーに行った時は、タクシーがもっぱら緑色のフォルクスワーゲンだったのですから、しかも旧式ビートル。ヒットラーの大衆車でした。で、そのフェルディナンド家の当主が急死して、家督は長男のアレキサンダーに引き継がれました。で、アレクサンドルは、6人兄弟の長として、一家を任されます。で、彼の親戚が訪れた時は、家族はドイツ語で会話するので、ローラはまったくわかりません。
メキシコのドイツ系メキシコ人は、ドイツ語を保っているのですね。アメリカでは、とくにオクラホマに住んでいた時は、ドイツ系が多数を占めていましたが、だれもドイツ語を話せませんでした。ドイツ系のコミュニティーもあったんですが、みんなアメリカ語でした。しかし、メキシコでは、言語が保たれている。そういえば、アメリカの日系も、日本語をまったく話せません。でも、最近の移民は、言語を保ってます。ウォールマートに行っても、ターゲットに行っても、違う言語が飛び交っている。40年前のアメリカとは、まったく違った光景になったのです。多文化主義が蔓延した結果でしょうね。
ローラはフェルディナンド家の家政婦、しかし彼女はロックバンドのヴォーカルで、将来はバンドで食っていきたいとのこと。その夢を抱いているのです。で、彼女は、とても反抗的で、しかも16歳か17歳です。そう、まさに私の最も理想とする年齢なのです!なんか、10代のリンジー・ローハンを思い出します。わたしは、その時のローハンの熱烈なファンでした。ローハンのティーン映画に夢中でした。しかし彼女が成人してから、私は興味を失いました。やはり10代の反抗精神、それは、憧れです。社会に対してどんどん反抗してゆく、親、学校、先生、警察、かつてはマーロン・ブランドーや、ジェームス・ディーンのような。そんなかっこよさが、女の子にも出て来たということですね。『きまぐれオレンジロード』でも鮎川がいましたが、あれは80年代、あの髪型は駄目ですね。ファッションがもう死んでる。よくあんなのが美しいと思われてました。すべてプラスチックで身を包んだような。音楽もプラスチックで、まったくセクシーさを感じません。80年代は、人間の歴史のなかで、もっともファッションが駄目な時代でした。まるですべてフェイクであるような。ほんとフォーニーです。ポップ音楽も駄目です。あんなへぼい音楽をよく作ったものです。アニメも駄目です。映画も駄目です。車も駄目です。あんな時代に生きてしまったことがもう恥です。ああ、90年代に生まれていれば…。やはり、ロックバンドの女の子は、涼宮ハルヒでしょう。
ああ、でもロックは死んだと言います。今はヒップホップの時代、なんでもコンピューターでサンプリングされたリズムが基本で、ラップ的な要素が加わっていないと駄目なんです。しかも、歌も、やたらと黒人的に上手くないと駄目だし。日本も宇多田が起爆剤でしたね。そして整形手術された顔。そう、プラスチック・サージャリーなのです。なんでも、プラスチックなのです。ジョン・レノンの妻が、そのコンセプトを持ち込んだのですから、あの芸術家の責任は大きいです。フォークミュージシャンは、ぜんぜん出て来れません。ロックは死んでしまいました。いまで、生き残ってるロックは、サバーバン系ですね。都市郊外の若者が好むような、そう、パンクがベースにあって、それにハードロックの激しさが融合した、なのにメロディアスな、で、英語のアクセントがまさに郊外の白人のもの。むかしのロックの南部訛りというものは、まったくありません。で、たまにグリーンデイのような、イギリスアクセントを真似た歌い方までします。ティーンロックは、とても洗練されてしまっているのです。黒人音楽のブルースから伝わるロックの伝統がブチッと切れてしまったのです。ある種、ロックはブルジョワ化してしまいました。チャック・ベリーやリトル・リチャードの音楽を聴いても、だれもあれがロックのルーツとは思えないでしょうね。でも、私はやはり新しいものが好きなので、しかも私は16歳なので、ティーンロックは好きです。
しかし、ローラの曲は、ロックの黄道のような、もとあったロックのレッドツェップリン的なリフが残ってます。まあ、ロックなのに英語ではなくて、スペイン語なのも、そうですが、それが違和感がない。いやー、でもローラのガラージバンドの曲は、生々しくていいですね。シンプルで、技術も高いことをやってないし、いいです。いまのティーンロックは、とても技術が高いですからね。ロックの売りだった「素人さ」と「ワイルドさ」というのがなくなりました。そう、自然さがなくなったんですね。労働者階級の音楽だったロックが今では、白人の郊外のティーンが聴くようになったのですから。そう、あまりにも技術が高くなり過ぎた。ラフさがなくなったのが、悲しい。でも、ローラの曲はそれがまだ残っているような。それが、この映像、「Si me besas(もしキスしてくれたら)」です。かっこいいですよ、ローラ!
で、ローラは、アレキサンドルのことが好きです。しかし、アレキサンドルは金持ちの当主、しかも若くて独身、当然、様々な女性から妨害されます。しかもローラのライバルたちは、実業家、キャリアウーマンなど実力のある女性たち、家政婦でバンドをやっているローラには太刀打ちできません。経済レベルで駄目ですね。だから、彼女は、妖精に向かってセンチメンタルに涙を流しながら祈祷します。
「奇跡が起きますように」
と。ああ、しかし、なんでみんな金持ちの男が好きなのだろうか?洗脳だよ。男性社会による男性優位主義の。そしてネオリベラル資本主義の。それに、アレキサンドルもその家父長制の長にすぎないのです。労働者階級の男、私なんか労働者階級でもないんだから。それよりもっと下の、どこの階級にも属さない、キモオタという最下層の、ハリジャン、いわゆるアンタッチャブルなんだから。私は不可触賤民なんですから。だから、女性は私に触れないんです。彼女らは私に触れると穢れると思っているのでしょう。穢多なのです。だから、私が彼女らにさわろうとすると、セクハラになってしまうんです。キモオタには、皮膚感覚が欠落している。しかし、ペルーは違いました。私は、ペルーでは、アメリカのカースト制度から完全に脱していたのですから、それにアメリカのカースト制度はペルーには適応されないのですから、私でも皮膚感覚が発生したのです。それは、どんなに私の世界観を変えたことだろうか!
男は成功しなければならない。女と皮膚感覚を謳歌したければ。それが、まさにアメリカだ。メキシコもそうなのだろう、NAFTAというネオリベラル機構に参加しているのだから。だから、ローラのような女の子が出てくるんだ。メキシコもNAFTAに参加したことで、もう終わってしまいましたね。ローラのような貧しい子でさえ、自分は金持ちにしかふさわしくないと思っているんですから。ああ、悲しい。それこそ、世界のサウダージです。だったら、社会主義のほうがまだいい。収入によって男を判断することはないのだから。それかヒッピーの共同体か?
メキシコのドイツ系メキシコ人は、ドイツ語を保っているのですね。アメリカでは、とくにオクラホマに住んでいた時は、ドイツ系が多数を占めていましたが、だれもドイツ語を話せませんでした。ドイツ系のコミュニティーもあったんですが、みんなアメリカ語でした。しかし、メキシコでは、言語が保たれている。そういえば、アメリカの日系も、日本語をまったく話せません。でも、最近の移民は、言語を保ってます。ウォールマートに行っても、ターゲットに行っても、違う言語が飛び交っている。40年前のアメリカとは、まったく違った光景になったのです。多文化主義が蔓延した結果でしょうね。
ローラはフェルディナンド家の家政婦、しかし彼女はロックバンドのヴォーカルで、将来はバンドで食っていきたいとのこと。その夢を抱いているのです。で、彼女は、とても反抗的で、しかも16歳か17歳です。そう、まさに私の最も理想とする年齢なのです!なんか、10代のリンジー・ローハンを思い出します。わたしは、その時のローハンの熱烈なファンでした。ローハンのティーン映画に夢中でした。しかし彼女が成人してから、私は興味を失いました。やはり10代の反抗精神、それは、憧れです。社会に対してどんどん反抗してゆく、親、学校、先生、警察、かつてはマーロン・ブランドーや、ジェームス・ディーンのような。そんなかっこよさが、女の子にも出て来たということですね。『きまぐれオレンジロード』でも鮎川がいましたが、あれは80年代、あの髪型は駄目ですね。ファッションがもう死んでる。よくあんなのが美しいと思われてました。すべてプラスチックで身を包んだような。音楽もプラスチックで、まったくセクシーさを感じません。80年代は、人間の歴史のなかで、もっともファッションが駄目な時代でした。まるですべてフェイクであるような。ほんとフォーニーです。ポップ音楽も駄目です。あんなへぼい音楽をよく作ったものです。アニメも駄目です。映画も駄目です。車も駄目です。あんな時代に生きてしまったことがもう恥です。ああ、90年代に生まれていれば…。やはり、ロックバンドの女の子は、涼宮ハルヒでしょう。
ああ、でもロックは死んだと言います。今はヒップホップの時代、なんでもコンピューターでサンプリングされたリズムが基本で、ラップ的な要素が加わっていないと駄目なんです。しかも、歌も、やたらと黒人的に上手くないと駄目だし。日本も宇多田が起爆剤でしたね。そして整形手術された顔。そう、プラスチック・サージャリーなのです。なんでも、プラスチックなのです。ジョン・レノンの妻が、そのコンセプトを持ち込んだのですから、あの芸術家の責任は大きいです。フォークミュージシャンは、ぜんぜん出て来れません。ロックは死んでしまいました。いまで、生き残ってるロックは、サバーバン系ですね。都市郊外の若者が好むような、そう、パンクがベースにあって、それにハードロックの激しさが融合した、なのにメロディアスな、で、英語のアクセントがまさに郊外の白人のもの。むかしのロックの南部訛りというものは、まったくありません。で、たまにグリーンデイのような、イギリスアクセントを真似た歌い方までします。ティーンロックは、とても洗練されてしまっているのです。黒人音楽のブルースから伝わるロックの伝統がブチッと切れてしまったのです。ある種、ロックはブルジョワ化してしまいました。チャック・ベリーやリトル・リチャードの音楽を聴いても、だれもあれがロックのルーツとは思えないでしょうね。でも、私はやはり新しいものが好きなので、しかも私は16歳なので、ティーンロックは好きです。
しかし、ローラの曲は、ロックの黄道のような、もとあったロックのレッドツェップリン的なリフが残ってます。まあ、ロックなのに英語ではなくて、スペイン語なのも、そうですが、それが違和感がない。いやー、でもローラのガラージバンドの曲は、生々しくていいですね。シンプルで、技術も高いことをやってないし、いいです。いまのティーンロックは、とても技術が高いですからね。ロックの売りだった「素人さ」と「ワイルドさ」というのがなくなりました。そう、自然さがなくなったんですね。労働者階級の音楽だったロックが今では、白人の郊外のティーンが聴くようになったのですから。そう、あまりにも技術が高くなり過ぎた。ラフさがなくなったのが、悲しい。でも、ローラの曲はそれがまだ残っているような。それが、この映像、「Si me besas(もしキスしてくれたら)」です。かっこいいですよ、ローラ!
で、ローラは、アレキサンドルのことが好きです。しかし、アレキサンドルは金持ちの当主、しかも若くて独身、当然、様々な女性から妨害されます。しかもローラのライバルたちは、実業家、キャリアウーマンなど実力のある女性たち、家政婦でバンドをやっているローラには太刀打ちできません。経済レベルで駄目ですね。だから、彼女は、妖精に向かってセンチメンタルに涙を流しながら祈祷します。
「奇跡が起きますように」
と。ああ、しかし、なんでみんな金持ちの男が好きなのだろうか?洗脳だよ。男性社会による男性優位主義の。そしてネオリベラル資本主義の。それに、アレキサンドルもその家父長制の長にすぎないのです。労働者階級の男、私なんか労働者階級でもないんだから。それよりもっと下の、どこの階級にも属さない、キモオタという最下層の、ハリジャン、いわゆるアンタッチャブルなんだから。私は不可触賤民なんですから。だから、女性は私に触れないんです。彼女らは私に触れると穢れると思っているのでしょう。穢多なのです。だから、私が彼女らにさわろうとすると、セクハラになってしまうんです。キモオタには、皮膚感覚が欠落している。しかし、ペルーは違いました。私は、ペルーでは、アメリカのカースト制度から完全に脱していたのですから、それにアメリカのカースト制度はペルーには適応されないのですから、私でも皮膚感覚が発生したのです。それは、どんなに私の世界観を変えたことだろうか!
男は成功しなければならない。女と皮膚感覚を謳歌したければ。それが、まさにアメリカだ。メキシコもそうなのだろう、NAFTAというネオリベラル機構に参加しているのだから。だから、ローラのような女の子が出てくるんだ。メキシコもNAFTAに参加したことで、もう終わってしまいましたね。ローラのような貧しい子でさえ、自分は金持ちにしかふさわしくないと思っているんですから。ああ、悲しい。それこそ、世界のサウダージです。だったら、社会主義のほうがまだいい。収入によって男を判断することはないのだから。それかヒッピーの共同体か?
まあ、おもしろいビデオを発見しました。私の好きなブラジルのミュージシャンでエルメート・パスコアルがいますが、彼は、ブラジルでも特異なジャズミュージシャンです。なんと、彼のバンドがコカコーラのビンで楽曲を演奏している映像がありました。では、さっそくこちら。
どこかの池で演奏しているのでしょう。これぞ自然音楽、アースアートという感じですね。
ああ、ブラジル、まさにサウダージの国ですね。「サウダージ」は、私のブログの題名にも使ってます。女性はほんとうにかわいいといいます。その女性の魅力、かわいさゆえに、サウダージとなってしまうんです。ラテンの国ですからね。でも、ポルトガル語はちょっとわからないです。スペイン語に似ているそうですが、うーむ、でもボサノバの女性ボーカルの歌は、やさしくていいですね。ブラジルのポルトガル語ならではです。サウダージの曲と言えば、まさに『Chega De Saudade』ですね。そして、こちらがそのオリジナルバージョンの曲です。ジャン・ジルベルトがギターを弾いています。私が高校の時ギターでこの曲を練習しましたよ。ラテンアメリカに行きたい一心で。ああ、やはり、涙が出てきます。ラテンの女の子をサウダージ、人生はサウダージなのです。私は虹コンとして、サウダージです。だから、サウダージ日記を書くのです。
どこかの池で演奏しているのでしょう。これぞ自然音楽、アースアートという感じですね。
ああ、ブラジル、まさにサウダージの国ですね。「サウダージ」は、私のブログの題名にも使ってます。女性はほんとうにかわいいといいます。その女性の魅力、かわいさゆえに、サウダージとなってしまうんです。ラテンの国ですからね。でも、ポルトガル語はちょっとわからないです。スペイン語に似ているそうですが、うーむ、でもボサノバの女性ボーカルの歌は、やさしくていいですね。ブラジルのポルトガル語ならではです。サウダージの曲と言えば、まさに『Chega De Saudade』ですね。そして、こちらがそのオリジナルバージョンの曲です。ジャン・ジルベルトがギターを弾いています。私が高校の時ギターでこの曲を練習しましたよ。ラテンアメリカに行きたい一心で。ああ、やはり、涙が出てきます。ラテンの女の子をサウダージ、人生はサウダージなのです。私は虹コンとして、サウダージです。だから、サウダージ日記を書くのです。
ああ、アメリカン・アイドル、シーズン7、最悪な日だ。ラミエル・マラバイが上位8位まで残らなかった。くー、残念だ!でも、カントリーミュージックは彼女の得意なジャンルではなかった、不得意だったから、一番歌いこなせてなかったのは事実です。でも、彼女の歌唱力は本物です。Youtubeで検索して御覧なさい。ああ、でも、白人、ヒスパニック、黒人が多勢を占める中で彼女は一人だけアジア系だし、しかもフィリピン系アメリカ人で、とてもかわいいです。身長はたぶん、150cmぐらいで、一人だけ子供が参加しているようでした。しかも、アングロサクソン、アーリア系のブロンドで長身な女の人の間では、一人だけちんちくりんで、そのコントラストがとてもかわいく見えたのです。そう、まるでアニメで出てくるようなロリコンキャラっていうのかなぁ、いやぁ、実際にはロリコンじゃないんだけど、そう、『Kanon』で言えば、アユアユのような、16歳なのに子供に見えると言う、そう、ラミエルは20だけど、子供に見えると言う、まさに現実の世界で萌えっ子を発見したような、
「きええぇぇぇえええいいい!!!
」
と奇声をあげて、彼女が歌う時はいつも頭が蒸発してました。だから、心から応援してたんですよ!しかも、彼女にはちょっとしたスキャンダルが…。それは、彼女にレズ疑惑があるということです。その証拠の写真まであります。では、このタブロイドサイトから、勝手に写真を抜粋しましょう。


ふははははぁぁはぁはぁはぁ、アニメで言えば、百合ですね。そう、百合的な、ぐふふー!やはり美しいものは触れ合いたい、スキンシップをとりたいと思うのです。ああ、私もどれだけ女の子になりたかったことか…。
ああ、でもフィリピンって、アメリカが占領するまで、スペイン領だったんだすよね。それにスペイン遠征軍はメキシコから出発したようだし、だったらラテン系ですね。その血が入っているのでしょう。ああ、道理で、ラミエルはかわいいわけだ。アジア系、東洋系にしては、ちょっと違ってますからね。ちょっとアウストロネシア的な、そしてラテンも入っている、ああ、かわいい、実にかわいい、くぁわあいいなぁ、かわいくてかわいくてたまらない。いやー、審査員のポーラも若い時はそうだったんでしょうね。彼女も、背が小さいですからね。しかも、彼女はイスラエル系だし、エグゾチックで、まさに中東のかわい子ちゃんという感じでしたから。まあ、今でももちろん魅力的ですけどね。イスラエルには美女がたくさんいる。それに今年はイスラエル建国50周年というし、イスラエルに行こうかなぁ?
いやー、でも他の二人の背の高いブロンド女性(ブルックとクリスティー)がボトム3というのには驚いた。だって、ブルーグラス、カントリーウェスターンといえば、彼女らがもっとも得意とする音楽じゃないですか?彼女らにとっては、お家芸みたいなもんでしょう。一番、フィットしていたと思っていたのに、アメリカの大衆はそうは思わなかったみたいですね。いや、やはりありふれていた、「same old thing」に見えてしまったからでしょうか?でも、今回の審査は、まともでしたね。サイモンは今回はとくに厳しかったけど、まあ、ちゃんとした審査をしてましたからね。文句はないです。
まあ、でもブルックは結婚してるからアイドルになる資格はないですね。アイドルは独身でないと行けない。それか、結婚してることを公表してはいけません。ジョン・レノンでさえ、アイドル時代、結婚してることを隠してたんですから。まあ、ヨーコ・オノとの結婚は、あれはもうジョン・レノンがアイドルを卒業して、哲学者兼芸術家兼公民権運動家となってたときですからね。
それにしても、ラミエルの退場は、残念でなりませんでした!予想はしてたけど、やはりショックは隠せません!
「きええぇぇぇえええいいい!!!
」と奇声をあげて、彼女が歌う時はいつも頭が蒸発してました。だから、心から応援してたんですよ!しかも、彼女にはちょっとしたスキャンダルが…。それは、彼女にレズ疑惑があるということです。その証拠の写真まであります。では、このタブロイドサイトから、勝手に写真を抜粋しましょう。
ふははははぁぁはぁはぁはぁ、アニメで言えば、百合ですね。そう、百合的な、ぐふふー!やはり美しいものは触れ合いたい、スキンシップをとりたいと思うのです。ああ、私もどれだけ女の子になりたかったことか…。
ああ、でもフィリピンって、アメリカが占領するまで、スペイン領だったんだすよね。それにスペイン遠征軍はメキシコから出発したようだし、だったらラテン系ですね。その血が入っているのでしょう。ああ、道理で、ラミエルはかわいいわけだ。アジア系、東洋系にしては、ちょっと違ってますからね。ちょっとアウストロネシア的な、そしてラテンも入っている、ああ、かわいい、実にかわいい、くぁわあいいなぁ、かわいくてかわいくてたまらない。いやー、審査員のポーラも若い時はそうだったんでしょうね。彼女も、背が小さいですからね。しかも、彼女はイスラエル系だし、エグゾチックで、まさに中東のかわい子ちゃんという感じでしたから。まあ、今でももちろん魅力的ですけどね。イスラエルには美女がたくさんいる。それに今年はイスラエル建国50周年というし、イスラエルに行こうかなぁ?
いやー、でも他の二人の背の高いブロンド女性(ブルックとクリスティー)がボトム3というのには驚いた。だって、ブルーグラス、カントリーウェスターンといえば、彼女らがもっとも得意とする音楽じゃないですか?彼女らにとっては、お家芸みたいなもんでしょう。一番、フィットしていたと思っていたのに、アメリカの大衆はそうは思わなかったみたいですね。いや、やはりありふれていた、「same old thing」に見えてしまったからでしょうか?でも、今回の審査は、まともでしたね。サイモンは今回はとくに厳しかったけど、まあ、ちゃんとした審査をしてましたからね。文句はないです。
まあ、でもブルックは結婚してるからアイドルになる資格はないですね。アイドルは独身でないと行けない。それか、結婚してることを公表してはいけません。ジョン・レノンでさえ、アイドル時代、結婚してることを隠してたんですから。まあ、ヨーコ・オノとの結婚は、あれはもうジョン・レノンがアイドルを卒業して、哲学者兼芸術家兼公民権運動家となってたときですからね。
それにしても、ラミエルの退場は、残念でなりませんでした!予想はしてたけど、やはりショックは隠せません!
ボンボン、bombonとは、いわゆるラテンアメリカの言葉で、「hot girl」という意味です。そう、超かわいいセクシーな女という意味ですね。まさにセクシーダイナマイトです。その歌があります。ちょっと、メキシコ風にインド系統が合わさっているのかなぁ、ボリーウッド映画に通じるものがありますね。さあ、アーティストはニネル・コンデです。ミュージックビデオはこちら。そしてテレノベラで使われていた番組がこちら、「fuego en la sangre(血の中の炎)」というメキシコの歴史ものドラマです。日本で言えば、NHKの大河ドラマに当たるのかなぁ?その5分10秒目にニネルのパフォーマンスがあります。そして、歌詞がこちら。
この歌詞は、要するに「みんな、わたしのことをボンボンと言うのよ」ということです。しかもニネルは三十代後半、それであの肉体、素晴らしいとしか言いようがありませんね!
ああ、ラテン文化、あの官能主義を取り戻したい、だから、テレノベラを見てるんです。女の子と触れ合いたい。ラテンではそれが可能でしたから。魅力的な女性に触れることが出来るのですから。アメリカでは痴漢になりかねないですからね、ふざけた清教徒倫理のおかげで。ああ、ラテンの女性は、やはり体が芸術ですね。こういう体型の子は、いたるところにいました。やはりアングロサクソンとは違いますね。アメリカは60%の女性が体重オーバーですからね。でも、私が恐れているのは、ラテンの子がここまで魅力的だと、ラテンの女の子はすべてレズビアンになってしまうのではないかと…。だから、私はレズの気持ちをもっとも理解できるんですよ!
だって、私には、男を好きになることなんてまったく理解できません。男は醜いです。醜悪です。体臭がひどい。臭い、汚い、気持ち悪い、まさにKKKです。汗っかきだし、代謝も激しい。ボディービルディングなんか見てると、ゲロを吐きます。あんな醜いものによくオイルを塗って人様の前で展示しようとします。その神経が理解できない。だからシュワルツネッガー知事が理解できません。古代ギリシャのムキムキマンのフルチンの彫刻などは、見てられないですね。そこまで気持ち悪いです。だから、逆に私がキモオタとして女の子に避けられていた方が理解できるのです。だって、男はもともと気持ち悪いんですから。それをさらにキモくしたのが、キモオタなのです。男は気持ち悪い、同性である私から見てそう思います。すね毛もぼうぼうだし、脇毛、腕の毛、しかもヒゲがじゃりじゃりしていて、気持ち悪い。しかも頭がはげる。まるで獣ですよ。ここまでキモイ生物がよく作られたなぁと思います。それは進化というより退化ですね。だから、私はダーウィンに対抗して「退化論」を普及したいと思います。女性は世代ごとに進化していきますが、男性は世代ごとに退化していくのです。そして、より醜く下品になっていく。そして、体は筋肉質ででこぼこしている、また顎もごつごつしていて、顔の線が乱れまくっています。それは野性的でとても危険な信号です。だから、男が男にキスをすること自体、考えられない、ゲイの気持ちがまったく理解できません。まあ、女性がそんな不潔な男にキスするのも理解できないですが…。
古代ギリシャではゲイは流行ってましたし、それに少年愛までもが、普及してました。マイケル・ジャクソンにとっては、天国だったことでしょう。だから、古代ギリシャには気持ち悪い彫刻がいっぱいあるのです。幼い女の子がフルチンだという、まるでヘンリー・ダーガーの作品のようです。まあ、一見女の子に見えるんですが、実は男という気色の悪いものです。男の子に女の属性を求めるのなら、どうしてはじめから女にいかないんでしょうかね。男の子は成長するとどうせ醜い男になってしまうんですから。まあ、少年は女に近いですからね、外見的に、幼女と幼い男は、まだ思春期前ですから、あまり変わらないですからね。しかも古代ギリシャは男は子供の時はロンゲですからね、外見的に女の子と変わらないのです。まあ、男は幼い時はたしかに汚くないですね。幼女は、女性の魅力はまったくないですね。男で清潔さを求めるとしたら、やっぱ少年期になってしまうのでしょうか?でも、男は「男」ですからね。
でも、女性は、よくこんな汚く臭い男性を好きになります、そしてセックスしたいと思います。まあ、でも異性に対する性欲は本能みたいですから、だって、女性は赤ん坊の写真と男性のヌード写真に瞳孔が最も反応するようですから。本能は否定できないのでしょう。いやぁ、でも、いくら本能と言っても、汚いものは汚い、不潔です。だからは、私は自己嫌悪なのです。男が嫌い、自分も男、だから自分も嫌い、よって自己嫌悪。あぁ、男だけにはなりたくなかった。だから、男になることを否定したんですが、それは許してもらえませんでした。現在もスカート穿いて就職活動なんかできないですからね。そんなんで雇ってくれるところはゲイバーぐらいですか。男にならなければ、生きていけない社会なんですよ。まぁ、女性も「女」でないと生きていけない社会ですね。でも、女性はスカートもズボンも自由に穿けるし、なにせネクタイをしなくていいですからね。ああ、でも化粧しないといけないのか。真夏の暑いときでも、髪は切れないし。それも大変ですね。
しかし女性は美しい。もうあの官能的な体、とくにラテンのくびれは、もう駄目です。あれは本当に美しい。神が創造したとしか思えない。無神論者の私でさえ、神の存在をちょっと考え直してしまいそうです。人のイデオロギーを揺さぶるほど、女性の美というのは神秘的なのです。で、女性は、女性を美しいとは思わないのかなぁ?いや、美しいと思ったら、もう触れ合いたい、乳くり合いたいというどうしょうもない欲求に見舞われるのではないでしょうか?そうなったらレズビアンか?女性が女性とセックスしたいとは思わないのでしょうか?恋に落ちることはないんでしょうか?あれほどの芸術作品が同性でたくさんいるのに、それでも男性と恋をしようとするなんて。同性には恋の感情は生まれないんでしょうかね、あんなに美しいのだから。というか、気付いてないのかも…。でも気付いてない方が男にとっては幸いです。なにしろ、気付いたらみんなレズになっちゃいますから。でも、みんな女性がそうなったら、最後。男は、だれも女性とセックスできなくなってしまいます。男はただ必要なときにいればいいということに…。最悪、ディルドーかヴァイブレーターが男に取って代わります。ただ、人類存続の為に仕方なく精子バンクで、女性は種の保存をするだけでしょう。そうなったら、男から自殺者が多発するでしょうね。やはり、女性性によって男は導かれるのですから、しかしそれがピタリと止まったら、男は存在価値を失って「ハエの王」のような修羅の世界に陥り、絶滅するでしょう。
どうなんでしょう。女の子はレズになってもおかしくない美しさですからね。でも、本能が男性を求めてるっていうんだったら、それは、もう感謝感謝です。その本能に感謝ですね。麻薬は体に悪いとわかっていても体が求めてしまう。それと同じで、男は不潔な野獣だとわかっていても、つい体が求めてしまう、それが女の子なのかもしれません。つまり男は麻薬なんでしょうね。で、ラテン文化ではそれを謳歌している、女性はかならずキスで挨拶しますから、もう私は、
「ぎえええええ!!!!!」
ですよ。あのセンセーション、ラテン文化のセンシュアリティーを取り戻したいです!
でも、ラテン、インドの女性はもう最高ですね。体がスゴい。なんであんな腰をしているのか、理解不可能です。ああ、シッダールタも夏の雨期の離宮で、ずっとこんな女性たちのエンターテーメントを楽しんでたんだろうなぁ。それは、もう思い残すことなく出家できたに違いないですね。あれは、もう爆弾ですから。ダイナマイトですからね。そのセクシーさは、宇宙一ですよ。梵我一如、その梵というのは、ブラフマーですが、ブラフマーはラテンの女性、もしくはボリーウッドのインド女性、ああぁっ、梵我一如したい!!!
| Ninel Conde on 6Lyrics.com |
この歌詞は、要するに「みんな、わたしのことをボンボンと言うのよ」ということです。しかもニネルは三十代後半、それであの肉体、素晴らしいとしか言いようがありませんね!
ああ、ラテン文化、あの官能主義を取り戻したい、だから、テレノベラを見てるんです。女の子と触れ合いたい。ラテンではそれが可能でしたから。魅力的な女性に触れることが出来るのですから。アメリカでは痴漢になりかねないですからね、ふざけた清教徒倫理のおかげで。ああ、ラテンの女性は、やはり体が芸術ですね。こういう体型の子は、いたるところにいました。やはりアングロサクソンとは違いますね。アメリカは60%の女性が体重オーバーですからね。でも、私が恐れているのは、ラテンの子がここまで魅力的だと、ラテンの女の子はすべてレズビアンになってしまうのではないかと…。だから、私はレズの気持ちをもっとも理解できるんですよ!
だって、私には、男を好きになることなんてまったく理解できません。男は醜いです。醜悪です。体臭がひどい。臭い、汚い、気持ち悪い、まさにKKKです。汗っかきだし、代謝も激しい。ボディービルディングなんか見てると、ゲロを吐きます。あんな醜いものによくオイルを塗って人様の前で展示しようとします。その神経が理解できない。だからシュワルツネッガー知事が理解できません。古代ギリシャのムキムキマンのフルチンの彫刻などは、見てられないですね。そこまで気持ち悪いです。だから、逆に私がキモオタとして女の子に避けられていた方が理解できるのです。だって、男はもともと気持ち悪いんですから。それをさらにキモくしたのが、キモオタなのです。男は気持ち悪い、同性である私から見てそう思います。すね毛もぼうぼうだし、脇毛、腕の毛、しかもヒゲがじゃりじゃりしていて、気持ち悪い。しかも頭がはげる。まるで獣ですよ。ここまでキモイ生物がよく作られたなぁと思います。それは進化というより退化ですね。だから、私はダーウィンに対抗して「退化論」を普及したいと思います。女性は世代ごとに進化していきますが、男性は世代ごとに退化していくのです。そして、より醜く下品になっていく。そして、体は筋肉質ででこぼこしている、また顎もごつごつしていて、顔の線が乱れまくっています。それは野性的でとても危険な信号です。だから、男が男にキスをすること自体、考えられない、ゲイの気持ちがまったく理解できません。まあ、女性がそんな不潔な男にキスするのも理解できないですが…。
古代ギリシャではゲイは流行ってましたし、それに少年愛までもが、普及してました。マイケル・ジャクソンにとっては、天国だったことでしょう。だから、古代ギリシャには気持ち悪い彫刻がいっぱいあるのです。幼い女の子がフルチンだという、まるでヘンリー・ダーガーの作品のようです。まあ、一見女の子に見えるんですが、実は男という気色の悪いものです。男の子に女の属性を求めるのなら、どうしてはじめから女にいかないんでしょうかね。男の子は成長するとどうせ醜い男になってしまうんですから。まあ、少年は女に近いですからね、外見的に、幼女と幼い男は、まだ思春期前ですから、あまり変わらないですからね。しかも古代ギリシャは男は子供の時はロンゲですからね、外見的に女の子と変わらないのです。まあ、男は幼い時はたしかに汚くないですね。幼女は、女性の魅力はまったくないですね。男で清潔さを求めるとしたら、やっぱ少年期になってしまうのでしょうか?でも、男は「男」ですからね。
でも、女性は、よくこんな汚く臭い男性を好きになります、そしてセックスしたいと思います。まあ、でも異性に対する性欲は本能みたいですから、だって、女性は赤ん坊の写真と男性のヌード写真に瞳孔が最も反応するようですから。本能は否定できないのでしょう。いやぁ、でも、いくら本能と言っても、汚いものは汚い、不潔です。だからは、私は自己嫌悪なのです。男が嫌い、自分も男、だから自分も嫌い、よって自己嫌悪。あぁ、男だけにはなりたくなかった。だから、男になることを否定したんですが、それは許してもらえませんでした。現在もスカート穿いて就職活動なんかできないですからね。そんなんで雇ってくれるところはゲイバーぐらいですか。男にならなければ、生きていけない社会なんですよ。まぁ、女性も「女」でないと生きていけない社会ですね。でも、女性はスカートもズボンも自由に穿けるし、なにせネクタイをしなくていいですからね。ああ、でも化粧しないといけないのか。真夏の暑いときでも、髪は切れないし。それも大変ですね。
しかし女性は美しい。もうあの官能的な体、とくにラテンのくびれは、もう駄目です。あれは本当に美しい。神が創造したとしか思えない。無神論者の私でさえ、神の存在をちょっと考え直してしまいそうです。人のイデオロギーを揺さぶるほど、女性の美というのは神秘的なのです。で、女性は、女性を美しいとは思わないのかなぁ?いや、美しいと思ったら、もう触れ合いたい、乳くり合いたいというどうしょうもない欲求に見舞われるのではないでしょうか?そうなったらレズビアンか?女性が女性とセックスしたいとは思わないのでしょうか?恋に落ちることはないんでしょうか?あれほどの芸術作品が同性でたくさんいるのに、それでも男性と恋をしようとするなんて。同性には恋の感情は生まれないんでしょうかね、あんなに美しいのだから。というか、気付いてないのかも…。でも気付いてない方が男にとっては幸いです。なにしろ、気付いたらみんなレズになっちゃいますから。でも、みんな女性がそうなったら、最後。男は、だれも女性とセックスできなくなってしまいます。男はただ必要なときにいればいいということに…。最悪、ディルドーかヴァイブレーターが男に取って代わります。ただ、人類存続の為に仕方なく精子バンクで、女性は種の保存をするだけでしょう。そうなったら、男から自殺者が多発するでしょうね。やはり、女性性によって男は導かれるのですから、しかしそれがピタリと止まったら、男は存在価値を失って「ハエの王」のような修羅の世界に陥り、絶滅するでしょう。
どうなんでしょう。女の子はレズになってもおかしくない美しさですからね。でも、本能が男性を求めてるっていうんだったら、それは、もう感謝感謝です。その本能に感謝ですね。麻薬は体に悪いとわかっていても体が求めてしまう。それと同じで、男は不潔な野獣だとわかっていても、つい体が求めてしまう、それが女の子なのかもしれません。つまり男は麻薬なんでしょうね。で、ラテン文化ではそれを謳歌している、女性はかならずキスで挨拶しますから、もう私は、
「ぎえええええ!!!!!」
ですよ。あのセンセーション、ラテン文化のセンシュアリティーを取り戻したいです!
でも、ラテン、インドの女性はもう最高ですね。体がスゴい。なんであんな腰をしているのか、理解不可能です。ああ、シッダールタも夏の雨期の離宮で、ずっとこんな女性たちのエンターテーメントを楽しんでたんだろうなぁ。それは、もう思い残すことなく出家できたに違いないですね。あれは、もう爆弾ですから。ダイナマイトですからね。そのセクシーさは、宇宙一ですよ。梵我一如、その梵というのは、ブラフマーですが、ブラフマーはラテンの女性、もしくはボリーウッドのインド女性、ああぁっ、梵我一如したい!!!
ピンク・フロイドの『アニマルズ』というアルバムのなかで、『ドッグズ』という楽曲があります。『犬たち』という意味です。その動画をYouTubeで見つけました。とても長いです。17分もあります。それはクラシック音楽並み。普通のアニソンはせいぜい長くても5分か6分ですが、ロックでここまで長いのは、すごいです。まさにコンセプト・アルバムの世界。
さて、これが第一部です。
そしてこれが第二部です。
まさにネオリベラル資本主義社会に使い捨てられた私の心境を表しています。
歌詞は、こちらから抜粋します。そして邦訳は私です。
そう、私はまさに荷造りをして、飛行機で南に飛ぶのです。南米に飛ぶのです。北米、いわゆるNAFTAは、もうこりごりです。あそこでは、希望なんてないでしょう、最低11月までは。昨年は雛祭りを祝ったのですが、今年の3月3日は、とてもそれどころではありませんね。私の世界で最も好きな女の子の日なのに。ずっと打ち拉がれたまま、次の行動を考えている最中です。そう、そして南米行きのチケットはすでに買いましたし、あとはどうにでもなれですね。
さて、これが第一部です。
そしてこれが第二部です。
まさにネオリベラル資本主義社会に使い捨てられた私の心境を表しています。
歌詞は、こちらから抜粋します。そして邦訳は私です。
You gotta be crazy, you gotta have a real need.
You gotta sleep on your toes, and when you're on the street,
You gotta be able to pick out the easy meat with your eyes closed.
And then moving in silently, down wind and out of sight,
You gotta strike when the moment is right without thinking.
君は狂ってなければならない、本当に必要なものをもたなければならない
つま先立ちで眠らなければならない、そして路上にいる時
簡単な肉を目を閉じても選び抜くことが出来なければならない
そしてそのなかに静かに移動し、風にそって、見えない所で、
機が熟したら考えずに仕掛けなければならない
And after a while, you can work on points for style.
Like the club tie, and the firm handshake,
A certain look in the eye and an easy smile.
You have to be trusted by the people that you lie to,
So that when they turn their backs on you,
You'll get the chance to put the knife in.
そしてしばらくしたら、スタイルのためにポイントを稼げばいい
ネクタイとか、そして固い握手のように
確かな目の表情と軽い微笑み
嘘をつく相手に信用されなければならない
そうすることで、彼らが背を向けた時、
ナイフを刺すチャンスをゲットするんだ
You gotta keep one eye looking over your shoulder.
You know it's going to get harder, and harder, and harder as you
get older.
And in the end you'll pack up and fly down south,
Hide your head in the sand,
Just another sad old man,
All alone and dying of cancer.
片方の目を開けて肩の向こう側を常時チェックしておかなければならない
年を取れば取るほどそれは難しくなる
そして仕舞には荷造りをして飛行機で南に飛ぶ
砂の中に頭を隠して(困難から目をそらして)
ただのひとりの悲しい老人として
たったひとりぼっちで癌で死んでゆく
And when you loose control, you'll reap the harvest you have sown.
And as the fear grows, the bad blood slows and turns to stone.
And it's too late to lose the weight you used to need to throw
around.
So have a good drown, as you go down, all alone,
Dragged down by the stone.
そしてコントロールを失った時に、蒔いた種を刈り取るんだ
そして恐怖をつのらせるにつれて、悪い血は遅くなり、石へと変わる
かつて振り回すのに必要だったその重りを手放すのはもう手遅れだ
だから良い溺死を、ひとりぼっちで沈むと同時に、
岩に引きずり下ろされて
I gotta admit that I'm a little bit confused.
Sometimes it seems to me as if I'm just being used.
Gotta stay awake, gotta try and shake off this creeping malaise.
If I don't stand my own ground, how can I find my way out of this
maze?
自分がちょっと混乱してるのを認めなければならない
時々まるで自分がただ利用されているように見えるんだ
起きてなければならない、トライしてこの気味悪い不安を振りほどかなければならない
もし自分自身の地に立たなかったなら、どうやってこの迷路から活路を見出すことが出来るだろうか?
Deaf, dumb, and blind, you just keep on pretending
That everyone's expendable and no-one has a real friend.
And it seems to you the thing to do would be to isolate the winner
And everything's done under the sun,
And you believe at heart, everyone's a killer.
つんぼ、おし、めくらよ、その振りをし続けてるだけ
みんな使い捨てられるだけ、そしてだれも本当の友だちがいないという
君にとって勝者を孤立されることがやるべきことのように思えるだろう
そしてすべては太陽の下でやり尽くされた
そして君は、みんなが殺人者だと心で信じてる
Who was born in a house full of pain.
Who was trained not to spit in the fan.
Who was told what to do by the man.
Who was broken by trained personnel.
Who was fitted with collar and chain.
Who was given a pat on the back.
Who was breaking away from the pack.
Who was only a stranger at home.
Who was ground down in the end.
Who was found dead on the phone.
Who was dragged down by the stone.
だれが苦痛だらけの家に生まれたのか
だれが扇風機に唾棄しないように仕付けられたのか
だれが人に何をするか言われたのか
だれが訓練を受けた兵士に壊されたのか
だれが襟と鎖にはめ込まれたのか
だれが背中にパットを打たれたのか
だれが連中から離脱したのか
だれが家ではただの見知らぬ人だったのか
だれが最後に倒れたのだろうか
だれが電話で死んでいるのを発見されたのだろうか
だれが岩に引きずり下ろされたのだろうか
そう、私はまさに荷造りをして、飛行機で南に飛ぶのです。南米に飛ぶのです。北米、いわゆるNAFTAは、もうこりごりです。あそこでは、希望なんてないでしょう、最低11月までは。昨年は雛祭りを祝ったのですが、今年の3月3日は、とてもそれどころではありませんね。私の世界で最も好きな女の子の日なのに。ずっと打ち拉がれたまま、次の行動を考えている最中です。そう、そして南米行きのチケットはすでに買いましたし、あとはどうにでもなれですね。
二枚版アルバムでは、ビートルズの『ホワイトアルバム』を二位に退け、世界で最も売れたというピンク・フロイドの『ザ・ウォール』に『Young Lust(若い色情)』という曲があります。プログレッシヴ・ロックを代表するピンク・フロイドがディスコのような音楽を作曲したというのも、非常に稀なので、とても貴重と言えるでしょう。まあ、1980年は、ディスコの最盛期でしたからね。ジョン・トラボルタの『Saturday Night Fever』が、まさにブレークした時代ですから。
映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』のなかの『Young Lust』の映像はこちら。
歌詞はこちらから抜粋します。邦訳は私です。
まさに、Rock'n roll refugee、そう、私はロックンロールの亡命者なのです。どこか新しいところに行くしかないですね。dirty womanのdirtyは、そのままだと「汚い」という意味ですが、dirty magazineは、「エロ雑誌」という意味なので、まあ直訳すれば、dirty womanは、「エッチな女」となるでしょう。そう、エロティシズムが汚いというのは、まさにキリスト教の、いわゆる清教徒倫理に影響された言説ですね。私にとっては、エロティシズムほど美しいものはないと信じて疑いませんが。だから、私もとにかくエッチな女の子が欲しい。そして国外に行って、新来者として快楽を追求したい。NAFTAでは、敗北者となってしまったのですから…。
しかし、映像でのエッチな女の子たちは、有名なロックミュージシャンのパーティーに招待された子たちなので、やはり金と名声に群がる男性至上主義的資本主義思考の女であることにはかわりありません。つまり、金と名声としか遊ばないのです。主人公はすでに富と名声を手に入れたから、離婚した時に自暴自棄になって遊び系の女の子のなかから一人自分の部屋に連れ込むことが出来たのです。いわゆる、グルーピーですね。しかもこのときは80年代、社会的成功を収めた金持ちの女は少なかったはずです。
私のような貧乏なキモオタでは、どうしょうもありません。彼は打ちのめされても名声と金がありましたから。しかし、私こそが、女の子の慰めを受けたいのです。女の子は打ちのめされたとき、いつでも男に泣きつくことが出来る。しかし、男は打ちのめされたとき、そばにだれもいない。順調なときにしか、女は集まってこない。それは、エリック・クラプトンの『Nobody knows you when you're down and out』の歌詞にも反映されています。だからドラッグに走るしかないのです。阿片です。そしてその代表的なものが宗教です。宗教は阿片なのです。
私にとって阿片宗教は、萌えです。つまり、アニメの女の子を求めることです。それにエッチな女の子が負け犬と遊んでくれるのはアニメでしか見れないですから、現実の三次元ではそんなことは残念ながら起きません。セクシュアリティーは二次元でしか解放されてないんですよ。そこで、くるみちゃんや、『ロザバン』の赤夜萌香に萌えるのです。あの、胸のふくらみに顔をうずくめておもいっきり泣きたい。だから、私は虹コンになるしかない、いまの男権至上主義ネオリベラル社会では。
でも、できることなら皮膚感覚が欲しい。だからこそ、真に男女平等の世の中にならなければならない。女性がもっとやさしく、貧困の男性とも金を出してまでデートしてくれないと。だって今では女性はCEO、そして大統領選までにも出ているんですから。やはり『虹コン・マニフェスト』に描いた革命が起きてくれないと、私たちは野垂れ死にしてしまいます。
映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』のなかの『Young Lust』の映像はこちら。
歌詞はこちらから抜粋します。邦訳は私です。
I am just a new boy,
Stranger in this town.
Where are all the good times?
Who's gonna show this stranger around?
Ooooh, I need a dirty woman.
Ooooh, I need a dirty girl.
オレはただのニュー・ボーイだ
この町で初めての
どこで楽しい時間を過ごせるか?
だれがこの新来者を案内してくれるだろうか?
あああ、エロい女が欲しい
おおお、エッチな女の子が必要だ
Will some cold woman in this desert land
Make me feel like a real man?
Take this rock and roll refugee
Oooh, baby set me free.
Ooooh, I need a dirty woman.
Ooooh, I need a dirty girl.
はたしてこの砂漠の土地で冷たい女は
オレを真の男にさせてくれるだろうか?
このロックンロールの亡命者を引き取って
おおお、ベイビー、オレを解放してくれ
おおお、エロい女が欲しい
あああ、エッチな女の子が必要だ
まさに、Rock'n roll refugee、そう、私はロックンロールの亡命者なのです。どこか新しいところに行くしかないですね。dirty womanのdirtyは、そのままだと「汚い」という意味ですが、dirty magazineは、「エロ雑誌」という意味なので、まあ直訳すれば、dirty womanは、「エッチな女」となるでしょう。そう、エロティシズムが汚いというのは、まさにキリスト教の、いわゆる清教徒倫理に影響された言説ですね。私にとっては、エロティシズムほど美しいものはないと信じて疑いませんが。だから、私もとにかくエッチな女の子が欲しい。そして国外に行って、新来者として快楽を追求したい。NAFTAでは、敗北者となってしまったのですから…。
しかし、映像でのエッチな女の子たちは、有名なロックミュージシャンのパーティーに招待された子たちなので、やはり金と名声に群がる男性至上主義的資本主義思考の女であることにはかわりありません。つまり、金と名声としか遊ばないのです。主人公はすでに富と名声を手に入れたから、離婚した時に自暴自棄になって遊び系の女の子のなかから一人自分の部屋に連れ込むことが出来たのです。いわゆる、グルーピーですね。しかもこのときは80年代、社会的成功を収めた金持ちの女は少なかったはずです。
私のような貧乏なキモオタでは、どうしょうもありません。彼は打ちのめされても名声と金がありましたから。しかし、私こそが、女の子の慰めを受けたいのです。女の子は打ちのめされたとき、いつでも男に泣きつくことが出来る。しかし、男は打ちのめされたとき、そばにだれもいない。順調なときにしか、女は集まってこない。それは、エリック・クラプトンの『Nobody knows you when you're down and out』の歌詞にも反映されています。だからドラッグに走るしかないのです。阿片です。そしてその代表的なものが宗教です。宗教は阿片なのです。
私にとって阿片宗教は、萌えです。つまり、アニメの女の子を求めることです。それにエッチな女の子が負け犬と遊んでくれるのはアニメでしか見れないですから、現実の三次元ではそんなことは残念ながら起きません。セクシュアリティーは二次元でしか解放されてないんですよ。そこで、くるみちゃんや、『ロザバン』の赤夜萌香に萌えるのです。あの、胸のふくらみに顔をうずくめておもいっきり泣きたい。だから、私は虹コンになるしかない、いまの男権至上主義ネオリベラル社会では。
でも、できることなら皮膚感覚が欲しい。だからこそ、真に男女平等の世の中にならなければならない。女性がもっとやさしく、貧困の男性とも金を出してまでデートしてくれないと。だって今では女性はCEO、そして大統領選までにも出ているんですから。やはり『虹コン・マニフェスト』に描いた革命が起きてくれないと、私たちは野垂れ死にしてしまいます。
この日は、日本仏教では、ゴータマ・シッダールタが成道した日です。つまり、悟りを開いた日でもあります。そして、真珠湾攻撃の日でもあります。そして、ジョン・レノンが銃殺された日でもあります。日本では、ジョン・レノンを崇拝する人が多いので、ジョン・レノン・ミュージアムがあるほどです。ジョンは、私のヒーローであり、プロレタリアートの英雄でもありました。あのパンクバンドのグリーンデーも、『労働者階級の英雄』をカヴァーしているぐらいですから。ジョン・レノンは、ビートルズが労働者階級のバンドであることを誇りにしていました。私は、ジョン・レノンもそうですが、フリーダ・カーロも同じ労働者階級系統で、とても尊敬しています。私は、チェ・ゲバラよりも、フリーダでしたね。かつては、彼女が、私の世界でもっとも尊敬する芸術家でした。彼女は、メキシコ出身のスーリアリズムの女性芸術家で、私は、メキシコシティーにあるフリーダの美術館にも巡礼に行きました。そこは、フリーダの青い家が美術館に改造されていて、そして彼女の寝室には、マルクスとレーニンの写真が飾ってあったのが衝撃的でした。また、スターリンや、毛沢東の写真まであったのは驚きでした。あの二人は、ちょっとヒットラーと同じぐらい邪道であるとしか思えないのですが…。でも、マルクス主義の考え方には同調しないにしろ、弱者救済の思想には共感します。ジョン・レノンの『イマジン』も、そういうところの影響は受けているはずです。とくに、ネオリベラリズムで貨幣経済最優先となってしまったこの大人の社会では、ジョンの精神は見直されるべきでしょう。弱肉強食、自然淘汰というあまりにも過酷な競争社会は、人の心と体、両方ともボロボロにしてしまいます。だから、薬物かサプリメント、栄養増強ドリンクとかで、体力を補充して、くたくたになるまで働かされるのです。そう、薬物の助けがなければ、とてもやっていけない社会なのです。それが、ずばり資本主義社会です。酷使です。労役です。8時間も労働に拘束されて平気であるというほうがおかしいのです。そして、週末になると飲みに行き、楽しみはそれで終わってしまうのです。そして気付いた時には、過労死寸前の危機に陥ってしまっているのです。いわゆる企業奴隷です。だから、大人になりたいと思う子どもは減っていくのです。そして、彼女らはインディゴチルドレンと呼ばれるのです。やはり、今こそ、ジョン・レノンの魂を復活させるべきではないでしょうか?それを強く認識させられる日でもありました。
ああ、働きたくない。月曜日は本当に最悪です。さらに水曜日は、とくに週の中間なので、とくに疲れます、精神的にも肉体的にも。人間は、肉体よりも、精神を使った方が疲労度が激しいと言いますからね。たしかに、それは当たっていると思います。お金がないキモオタは、出掛けるきっかけがないので、週末の休日は、ひたすらひきこもってアニメに没頭しています。そうやって、現実逃避、資本主義社会という大人社会から逃避して、二次元の学園世界へと旅立つのです。そう、そのときこそ、資本主義の奴隷の身分から解放されるのです。大人から、16歳の高校生へと、変身するのです。そうやって、毎週の週末は、若返りをはかるのです。そう、再生、復活のようなものです。クリスチャンも、毎週の日曜日に教会に行って、聖水を飲むように。アニメは、私にとっては、聖水なのです。
そうそう、格闘技のできる女の子は、ほんとかっこいいですよね。というか、かわいいし。ナウシカで私は、はじめて、童心ながら、女の子の強さというものに神秘的な要素を感じましたし、『Yawara!』で、私は強い女の子にとても憧れました。そして『Bamboo Blade(直訳:そのまんま竹刀)』で、あの主人公のタマちゃんにとても憧れてしまいますよ!しかも、とても強いのに、性格は普段はおっとりしていて、というかぼーっとしていて、それにちんちくりんでかわいいし、なんといっても髪型がショートカット、そう、学園でしかその魅力が発揮できないスポーツガール系のショート、それが、もっとも私を、
「うご〜、かわいいいいいい!!!」
ときゅいーんとさせてしまいましたね。私は小さい子は、あまり路線ではないのですが、いや〜、タマちゃん、くっくく。あと、幽霊部員的なサヤちゃんは、私の音楽の趣味とピッタリでしゅ。彼女は、ジミヘンの『Purple Haze』に感化されて、エレキギターをはじめましたからね。まあ、飽きが速いとうのが、彼女の短所なんだけれど…。そう、サイケデリックロックですよ。ジミヘンといえば、『星条旗』をディストーションサウンドのエレキギターで演奏したはじめてのギタリストじゃないですか!アメリカ人ならば、だれもが知っている超偉大な人物です!それから、エレキをやってる人ならば、絶対に弾くとされる定番になったわけですから!俳優なら、絶対にシェークスピアの台詞は暗唱できなきゃいけないようなものです。
私は、高校のとき、彼を尊敬していました。そして、高校生であるサヤちゃんがジミヘンをすげぇ〜と賛美していたのですから、絶対に私と感性が合うはずなんでーす。そういや、私の学園では、ジミヘンを聴いている子なんていなかったなぁ。みんなスマップのようなジャニーズや、安室奈美恵などの小室ファミリーを頂点としたJ-popばかりで、完全に恋愛資本主義に冒されてしまっていましたからね。ああ、だから、サヤちゃんは、ほんと貴重ですよ。あんな子がいたなら、絶対に友だちになっていたし、渡米も考え直したと思う!
まあ、そんなわけで、今回は、ジミヘンの『パープル・ヘイズ』を貼付しまーす!サヤちゃん、ばんざーい!!!
そうそう、格闘技のできる女の子は、ほんとかっこいいですよね。というか、かわいいし。ナウシカで私は、はじめて、童心ながら、女の子の強さというものに神秘的な要素を感じましたし、『Yawara!』で、私は強い女の子にとても憧れました。そして『Bamboo Blade(直訳:そのまんま竹刀)』で、あの主人公のタマちゃんにとても憧れてしまいますよ!しかも、とても強いのに、性格は普段はおっとりしていて、というかぼーっとしていて、それにちんちくりんでかわいいし、なんといっても髪型がショートカット、そう、学園でしかその魅力が発揮できないスポーツガール系のショート、それが、もっとも私を、
「うご〜、かわいいいいいい!!!」
ときゅいーんとさせてしまいましたね。私は小さい子は、あまり路線ではないのですが、いや〜、タマちゃん、くっくく。あと、幽霊部員的なサヤちゃんは、私の音楽の趣味とピッタリでしゅ。彼女は、ジミヘンの『Purple Haze』に感化されて、エレキギターをはじめましたからね。まあ、飽きが速いとうのが、彼女の短所なんだけれど…。そう、サイケデリックロックですよ。ジミヘンといえば、『星条旗』をディストーションサウンドのエレキギターで演奏したはじめてのギタリストじゃないですか!アメリカ人ならば、だれもが知っている超偉大な人物です!それから、エレキをやってる人ならば、絶対に弾くとされる定番になったわけですから!俳優なら、絶対にシェークスピアの台詞は暗唱できなきゃいけないようなものです。
私は、高校のとき、彼を尊敬していました。そして、高校生であるサヤちゃんがジミヘンをすげぇ〜と賛美していたのですから、絶対に私と感性が合うはずなんでーす。そういや、私の学園では、ジミヘンを聴いている子なんていなかったなぁ。みんなスマップのようなジャニーズや、安室奈美恵などの小室ファミリーを頂点としたJ-popばかりで、完全に恋愛資本主義に冒されてしまっていましたからね。ああ、だから、サヤちゃんは、ほんと貴重ですよ。あんな子がいたなら、絶対に友だちになっていたし、渡米も考え直したと思う!
まあ、そんなわけで、今回は、ジミヘンの『パープル・ヘイズ』を貼付しまーす!サヤちゃん、ばんざーい!!!









